契約終了
今日を持って、産休代替職員としての勤務は終了。仕事は一区切りです。
転職も少し焦っていた部分があったけど、昨日の先生の助言を受けて「のんびり、気ままに」やっていきたいと思います。わかりやすく言えば、走っていた足を少しだけ緩めて、のんびり散歩する程度に。焦ってもしょうがないし、やっぱり「自分のやりたいこと」をしっかりと見つけてやるべきかな・・・と思っているから、それが見つかるまでは、のんびりと過ごしていこうかなぁ・・・と思う。
そう考えるきっかけになったのは、やっぱり自分は「障害者福祉」が好きだと言うこと・・・いや、知的障害者福祉が好きなのかもしれない。たしかに「知的障害」は他の障害に比べて目に見えないものであり、それを理解するのは難しいし、適切な支援を行っていけているかを点検することも難しい分野。医者やリハビリテーションであればある程度の「尺度」として明確な評価をすることはできるけど、こういった仕事って「~のように思われる」「~であったと感じる」などと、どうしても抽象的な表現に終始してしまうことが多い仕事であると思う。事実、そんな現状に少し嫌気がさして、目に見えない支援の効果を疑問視して「作業療法士」と言う選択をした部分もあったかもしれない。
しかし自分が障害・病気を持つことによって、また気持ちが生れた。
気持ちがどん底まで落ちて、普通だったらとてもじゃないけど仕事にならないような気分の中でも仕事に行っていたことはあった。と言うより、4月から6月にかけては本当に「必至」になって仕事に行っていたと思う。気持ちは仕事なんかやっていられない・・・と言うのがある一方で、利用者を目の前にすると嫌でも自分の気持ちを奮い立たせて元気に振舞っている自分がいた。そして利用者が帰って退勤すると、魂の抜けた状態で帰宅する自分の姿があった。だけどこのことがきっかけで学校を退学し、徐々に気持ちの余裕が出てくることによって、自分が今まで忘れていた「何か」を見つけ出せるようになってきた。
自分が忘れていたもの・・・それは「楽しさ」と言うこと。
楽しくなければ、仕事をしていてもつまらない。支援者が楽しくなければ、利用者はもっと楽しくない。だから利用者とともに楽しむことによって、自分も楽しくなれるのだ・・・と言うことを。そのことが集約されたのが、この記事。今日も利用者が来る前に色々と職員と話をした。その中で盛んに言われたことが「Mitakeさんが一緒でよかった。利用者を色々とよく見てくれたし、本当に助けられたよ。ありがとう。」との、感謝の言葉。自分は特に何も考えず、ごくごく普通に当たり前のようにやっていただけのこと。ただ1つだけ違うことを言えば「歳相応の対応」をしながらも、スキンシップなどを通じて「触れ合い」を大事にしたこと。知らない人が見たら「虐待???」と思われるようなことをしていたかもしれないけど、それは利用者が喜んでいる顔を見てやっているだけのこと。つまり利用者にとって「楽しいこと」であれば、「歳相応」とか言っている場合ではなく、そのことを共に「楽しむ」ことが大事なんだと思う。今まで自分がやっていなかったことを、心境の変化を境にしてやるようになった。それが結果として「忘れていたものを思い出すこと」になったのだと思う。もっとも、そんなことを言われなかったら自分は気がつかなかったし、全然意識をしなかったと思う。いつしか「楽しむこと」が自分の中で当たり前になっている部分があって、それを気づかせてくれたのが、周りの職員。そしてプールの時に言われた「Mitakeさんにまたこの世界に戻ってきて欲しいよ。」と言う言葉は、自分にとってものすごく心に響いた。私の前職である知的障害者授産施設では、その時の理事長に採用面接の際にこんなことを言われた。
キミは、利用者に親しまれそうな顔をしているね。
この理事長はその一言を言って、履歴書をパーァと一通り目を通して、面接終了。そして・・・採用。
その理事長の名は、前全日本手をつなぐ育成会会長・前東京都知的障害者育成会理事長であった故緒方直助氏。いわば緒方さんの「鶴の一声」で知的障害の世界に職業として足を踏み入れることになった。そして約3年間、自分は寄り道をすることなく「知的障害者福祉」の現場に携わってきた。そして緒方さんの言ったことは、決して間違ってはいなかった。「『やりたいこと』って・・・」で触れているように、少しは利用者の心を掴んだのかなぁ・・・と感じる部分があったけど、保護者の方からも自分が退職することに関して惜しむ声があったのも事実。今日の連絡帳には、そのことに触れてくださった保護者の方には自分なりの言葉で挨拶をさせてもらった。たった1年と言う短い期間ながら、利用者の心を捉え、保護者からそのような声をいただけたのは、福祉従事者としては光栄なこと。本当に嬉しいことである反面、申し訳ない気持ちがあるのも事実。
でも退職が決まって今日の退職の日まで色々とハローワークなどに行って必至こいていた自分を、この1週間で大きく気持ちを変化させた。知的障害者福祉以外にも高齢者分野や児童分野にも興味があり、機会があればやってみよう・・・と思っていたけど、この1週間を通じて、自分は確信した。
自分にとって福祉の仕事・・・とりわけ障害者福祉、特に知的障害者福祉の仕事は「天職」であると言うこと。
その気持ちを確認した今、次の仕事はある程度頭の中でプランニングをしています。もちろん人生何があるかわからないので急転直下する可能性もあると思いますが、今現在の自分気持ちは「また、障害者福祉に携わりたい」と言う気持ちです。自分自身が体験し、そして障害者を身内に抱える者として、そして経験として「障害者福祉」に携わった者として、この際できるところまで「障害者福祉」を追い求めて行きたい、と思っています。
とりあえずは、ちょっと体をゆっくりと休めることにします。さぁ、2006年度の業務報告は何時から始まるのでしょう。
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