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思ひ出アルバム

  • 卒業式が終わって・・・
    以前HPで行っていた「todya's photo」の写真や「御岳写真館」で使用していた写真を再び復活させるべく、「思ひ出アルバム」として随時更新していきたいと思います。また最近の写真でも「思ひ出」となるものについては、ここに納められていくことになるでしょう。

業務報告(2005年度)

2006.03.31

契約終了

今日を持って、産休代替職員としての勤務は終了。仕事は一区切りです。
転職も少し焦っていた部分があったけど、昨日の先生の助言を受けて「のんびり、気ままに」やっていきたいと思います。わかりやすく言えば、走っていた足を少しだけ緩めて、のんびり散歩する程度に。焦ってもしょうがないし、やっぱり「自分のやりたいこと」をしっかりと見つけてやるべきかな・・・と思っているから、それが見つかるまでは、のんびりと過ごしていこうかなぁ・・・と思う。

そう考えるきっかけになったのは、やっぱり自分は「障害者福祉」が好きだと言うこと・・・いや、知的障害者福祉が好きなのかもしれない。たしかに「知的障害」は他の障害に比べて目に見えないものであり、それを理解するのは難しいし、適切な支援を行っていけているかを点検することも難しい分野。医者やリハビリテーションであればある程度の「尺度」として明確な評価をすることはできるけど、こういった仕事って「~のように思われる」「~であったと感じる」などと、どうしても抽象的な表現に終始してしまうことが多い仕事であると思う。事実、そんな現状に少し嫌気がさして、目に見えない支援の効果を疑問視して「作業療法士」と言う選択をした部分もあったかもしれない。

しかし自分が障害・病気を持つことによって、また気持ちが生れた。
気持ちがどん底まで落ちて、普通だったらとてもじゃないけど仕事にならないような気分の中でも仕事に行っていたことはあった。と言うより、4月から6月にかけては本当に「必至」になって仕事に行っていたと思う。気持ちは仕事なんかやっていられない・・・と言うのがある一方で、利用者を目の前にすると嫌でも自分の気持ちを奮い立たせて元気に振舞っている自分がいた。そして利用者が帰って退勤すると、魂の抜けた状態で帰宅する自分の姿があった。だけどこのことがきっかけで学校を退学し、徐々に気持ちの余裕が出てくることによって、自分が今まで忘れていた「何か」を見つけ出せるようになってきた。

自分が忘れていたもの・・・それは「楽しさ」と言うこと。
楽しくなければ、仕事をしていてもつまらない。支援者が楽しくなければ、利用者はもっと楽しくない。だから利用者とともに楽しむことによって、自分も楽しくなれるのだ・・・と言うことを。そのことが集約されたのが、この記事。今日も利用者が来る前に色々と職員と話をした。その中で盛んに言われたことが「Mitakeさんが一緒でよかった。利用者を色々とよく見てくれたし、本当に助けられたよ。ありがとう。」との、感謝の言葉。自分は特に何も考えず、ごくごく普通に当たり前のようにやっていただけのこと。ただ1つだけ違うことを言えば「歳相応の対応」をしながらも、スキンシップなどを通じて「触れ合い」を大事にしたこと。知らない人が見たら「虐待???」と思われるようなことをしていたかもしれないけど、それは利用者が喜んでいる顔を見てやっているだけのこと。つまり利用者にとって「楽しいこと」であれば、「歳相応」とか言っている場合ではなく、そのことを共に「楽しむ」ことが大事なんだと思う。今まで自分がやっていなかったことを、心境の変化を境にしてやるようになった。それが結果として「忘れていたものを思い出すこと」になったのだと思う。もっとも、そんなことを言われなかったら自分は気がつかなかったし、全然意識をしなかったと思う。いつしか「楽しむこと」が自分の中で当たり前になっている部分があって、それを気づかせてくれたのが、周りの職員。そしてプールの時に言われた「Mitakeさんにまたこの世界に戻ってきて欲しいよ。」と言う言葉は、自分にとってものすごく心に響いた。私の前職である知的障害者授産施設では、その時の理事長に採用面接の際にこんなことを言われた。


キミは、利用者に親しまれそうな顔をしているね。


この理事長はその一言を言って、履歴書をパーァと一通り目を通して、面接終了。そして・・・採用。


その理事長の名は、前全日本手をつなぐ育成会会長・前東京都知的障害者育成会理事長であった故緒方直助氏。いわば緒方さんの「鶴の一声」で知的障害の世界に職業として足を踏み入れることになった。そして約3年間、自分は寄り道をすることなく「知的障害者福祉」の現場に携わってきた。そして緒方さんの言ったことは、決して間違ってはいなかった。「『やりたいこと』って・・・」で触れているように、少しは利用者の心を掴んだのかなぁ・・・と感じる部分があったけど、保護者の方からも自分が退職することに関して惜しむ声があったのも事実。今日の連絡帳には、そのことに触れてくださった保護者の方には自分なりの言葉で挨拶をさせてもらった。たった1年と言う短い期間ながら、利用者の心を捉え、保護者からそのような声をいただけたのは、福祉従事者としては光栄なこと。本当に嬉しいことである反面、申し訳ない気持ちがあるのも事実。

でも退職が決まって今日の退職の日まで色々とハローワークなどに行って必至こいていた自分を、この1週間で大きく気持ちを変化させた。知的障害者福祉以外にも高齢者分野や児童分野にも興味があり、機会があればやってみよう・・・と思っていたけど、この1週間を通じて、自分は確信した。
自分にとって福祉の仕事・・・とりわけ障害者福祉、特に知的障害者福祉の仕事は「天職」であると言うこと。

その気持ちを確認した今、次の仕事はある程度頭の中でプランニングをしています。もちろん人生何があるかわからないので急転直下する可能性もあると思いますが、今現在の自分気持ちは「また、障害者福祉に携わりたい」と言う気持ちです。自分自身が体験し、そして障害者を身内に抱える者として、そして経験として「障害者福祉」に携わった者として、この際できるところまで「障害者福祉」を追い求めて行きたい、と思っています。

とりあえずは、ちょっと体をゆっくりと休めることにします。さぁ、2006年度の業務報告は何時から始まるのでしょう。

2006.03.29

「バリアフリー」と「非バリアフリー」

今日はグループとしては最後の外出行事。最後に行ったのは・・・ボウリング。
いや、普段のレクリエーションでもボウリングをすることはあったけど、今回は「本当」のボウリング。前の職場では「余暇活動」としてボウリングの引率をしていたけど、その時は全員歩行できる人。そして知的レベルも中軽度の利用者。だからボウリングそのものはなりなっていた。しかし今回は以前いた職場のような状況とは環境が違う。だから果たして上手くいくのか・・・と言うのが懸念材料。

今を遡ること、1ヶ月前。グループ担当職員で「3月に外出をしたいよね」と言う話になり、とりあえず3月に外出行事を組むことは決定。しかし詳細は未定のまま、数週間が過ぎ、取りあえず練った案が「ボウリング」とのこと。以前ボウリング場に行ってやったことがあるとのことだったので「あ、そうなんですか。じゃ、それで行きましょう。」と言うことになり、ボウリング場を予約・・・のはずだった。ところが今まで使っていたボウリング場に下見に行ったところ、想像以上にバリア(段差)があることが判明。今回は車椅子の利用者もいるので、車椅子の利用者が入れなければ意味がない。そのことを聞いてとっさに思いついたのが、ラウンドワン。あそこだったらほとんどのお店はエレベーターがついているし、レーンとウェイティングゾーンがフラットであるため段差は全くない。しかし、施設から近いラウンドワンって・・・と言う状態。自分の家からは車で20分ぐらいしたところにラウンドワンがあるのだが、施設からは「???」と言う状態。そのため、ボウリング場探しからスタートすることに。色々とネットでボウリング場を探してみるが、なかなか見つからない。そして施設から比較的交通の難がない場所に実踏に行って確認もしてきた。ただ、春休み期間中に入ってしまうためか、予約でいっぱいの状態。あぁ、ダメなのか・・・と思い、「可能な限り行けるボウリング場を・・・」と思い、今まで施設が外出行事で一番遠くまで行ったことのある施設を基準に地図をプリントアウトし、施設から最遠距離を同心円状に囲み、園中にあるボウリング場をマーク。
すると・・・あ、なんとラウンドワンがヒットしたではないか!!!

下見をした翌日、下見をした場所は予約で無理だったがラウンドワンが行動範囲内にあることを報告。
それを元に、常勤の職員さんが休日を使って実踏。そして時間的にも問題なく、また車椅子利用者の面でも問題なく、そして予約も問題なかったため、ラウンドワンに行くことに決定!そう、ここが見事「ビンゴ」だったんですねぇ。

ボウリングのレーンとウェイティングがフラットになっているのは知っていたけど、今回行ったところは身障者用のトイレがかなりゆとりを持って作られていた。そのため大きい車椅子も問題なくスムーズに入ることができ、利用者のトイレへのトランスも施設と同じように行うことができた。そしてスペースが広いため、トイレ内で着替えをすることもできた。そういった意味では、色んな意味で「バリアフリー」が整っている施設だったなぁ・・・と改めて実感。

一方で、ボウリング終了後に行ったレストランでは、全然バリアフリーではない。
と言うより、スタートの時点でつまづいている状態。予約の人数を間違えているし、事前注文したのにもかかわらず、全然料理が出てこない。不手際が多すぎる・・・って感じ。去年の華屋与兵衛とは大違い。そして何より大変だったのが・・・トイレ。入り口は一応車椅子でも入れるようにスロープは作られているものの、身障者用トイレはなし。トイレの大便器のスペースが若干広め・・・だけれども、車椅子のままでは入ることができない。そのため、自分がとった手段は・・・利用者を抱えて、そのままトイレにイン。できる限りトイレに近いところまで車椅子できてもらい、そこから自分が利用者を抱えてトイレの中へ。もちろん、自分も体がデカいため、非常に入りにくいし、ドアにぶつかってしまう。利用者には「あぁ、ごめん・・・ぶつかっちゃって・・・大丈夫?」と聞きながらの状態。当然ラウンドワンのように1人で行うことはできず、2人で行う状態でした。(ぶっちゃけ話、車椅子の利用者は2人で行ったのですが、その利用者が同時にトイレを訴えたため、1人は車の中で外から見えないようにしての非常手段、そしてもう1人を自分が抱えあげて行ったのです・・・ハイ)

今日1日の外出で「バリアフリー」と「非バリアフリー」をまざまざと実感した日。
そういえば学生時代に「バリアフリーマップ」を作る時に、偶然車椅子を利用している人がいて、事情を説明して話しを聞かせてもらったことがあった。その時に印象に残っている言葉が「バリアフリーが、また新たなバリアを生む」ということ。(詳しくは「Web diary」過去ログで。)今回はまたちょっと違うけど、形だけ整えても中身がなっていなければ、結局それは「バリアフリー」ではない。外見上のバリアフリーはもうたくさん。やるんだったら、もっと徹底的にやって欲しい・・・と思った、今日の外出でした。

2006.03.28

とりあえず、形に残した

なんだかココログのメンテナンスで今回も更新が難しそう・・・な感じ。
もしかしたら・・・また更新できないのかも・・・(ー_ー)!!

まぁそんなことはお構いなし(?)に取りあえず打っていきましょう。
残すところ、今週のみ。あとは明日と金曜日に出勤したら、それでおしまい。ただ自分が辞めることに関しては、わずかながら「反応」があるのは事実。利用者から聞いた話では「Mitakeさんにもう少しいて欲しかった」との声も聞こえたし、今日直接あった保護者の方からは「えぇ?そうなの?ここがイヤになったの?(笑)でも一気にいなくなっちゃったら、誰が見てもらえるのかしら・・・」と、若干社交辞令が入りながらも、わずか1年ばかりの自分のことを「惜しい」と思ってもらえるのは、この仕事をしていて本当にありがたいことである。

またそれは一緒に働いてきた職員さんからも言われた。
自分と一緒に働いてきた職員さんも、この4月に異動。今の施設は基本を「グループ制」で行っているので、4月になると一気に2人もいなくなってしまう状態。この状態には正直悩んだけど、でも自分自身の道もあるから、本当に「断腸の思い」で結論を出した。一緒に仕事をしてきた職員さんには本当にお世話になったし、その職員さんが色々とフォローをしてもらえたから、何とか1年間持つことができた。本当に入職して早々に襲われた病気で、完全に自分は自信をなくしていたし、もう自分は仕事ができないと思っていた。途中少しは盛り返した時期はあったけど、それでも9月ごろには「もう限界かなぁ・・・」と感じることは何度もあった。でもそのたびに「とりあえずはあと3ヶ月頑張ってみよう」と自分を鼓舞しながら、何とか3月まで来ることができた。本当にこの1年間は「何とか乗り切った」と言う表現がピッタリだ。

でも一緒に仕事をした職員さんからは「Mitakeさんのおかげで色々とできたよ。利用者もよく見てもらったし、本当に助けてもらったよ」とのこと。自分は本当に何もしていない。ただ、そこに「利用者」がいたからやっていただけのこと。何にも助けてもらっていないし、逆に自分のほうが色々と励ましてもらってきた。もっと言えば、この職員さんがいたから3月まで仕事をやり遂げることができたのだと思う。

ただ、やっぱり自分はこの仕事に「就くべくして就いたんだなぁ」と感じることが。それが、今日のこと。
今日はプールに同行で、4月から異動になる、一緒に仕事をしてきた職員さんとの同行。利用者2名に対して職員2名、つまりマンツーマンで対応をしていた。自分も1年間生傷を作りながら接してきた利用者と「最後」のプールを楽しんだ。そしてプールから上がって着替えている時に、職員さんがふとこんなことを漏らした。

ホント、Mitakeさんにまたこの世界に戻ってきて欲しいよ。今までは「指導」と言う感じで「楽しむ」という感覚はなかった。でもMitakeさんの「楽しい」って言うのはすごく大事だと思うよ。今日のプールも利用者さんと楽しみながらやっていたし、利用者も楽しそうだった。施設の中でも利用者とハイテンションになって楽しんでいる姿ってすごくいいなぁ・・・って思った。今までそういう考えがなかったから、Mitakeさんは貴重な存在だと思うよ。だからまたここに戻ってきて欲しいよ。

いや、ここまで言われたのは初めてのこと。前の職場では叱咤激励・檄が飛んでばかりの仕事だった。主任さんからも色々と言われながら「叩き上げられてきた」状態だった。その中で自分が掴んだもの、それは「自分が楽しくなければ、利用者も楽しくない。楽しくなければ、仕事は続かない」と言うことだった。だから自分がこの施設に来て大切にしたいと思ったことは「楽しく過ごしたい」と言うことだった。施設種別はどうであれ、自分が楽しくなければ利用者だって楽しくないし、イヤになる。だからいくら成人施設といえども「遊び」は大切である。我々だって遊んでいるのだから、利用者だって遊んでいいはず。他の職員さんからは「歳相応のことをしてください」といわれることがあったけど、「歳相応」って一体なんなの?と思うこともあった。たしかに歳相応の対応は必要だけど、「歳相応」と「利用者の快」は別次元の問題。歳相応の対応じゃなくても、その対応が利用者にとって「快いもの」であれば、それはそれでいいのではないのかな・・・と感じている。もちろん作業的要素・訓練的要素は必要だけど、あくまで今の施設は「デイサービス」を提供する場であって、更生施設ではない。デイサービスで一番大事なことって言うのは、その日を楽しく過ごすことなんじゃないのかなぁ・・・と感じている。だから今までの自分の支援方法に賛否はあると思うけど、自分は決して間違った支援はしていないと感じている。

ちょっとうれしい言葉をもらえて、この仕事をやって来て良かったなぁ・・・と改めて実感。
そしてやっぱり自分が感じた事・・・それは「来るべくして、この仕事・この世界にやってきたんだ」ということ。つまり、自分にとって「福祉の仕事」は天職以外の何者でもないと言うことだと思う。もちろんこの1年間、心の底から「楽しい」とは思えない日もあった。気持ちが落ち込んでいても、無理やり自分の気持ちを奮い立たせて「楽しい」を演じていた自分もいた。だけど、今の自分は心の底からこの仕事を「楽しい」と感じることができる。この1年間は激動の1年だった。失ったものもあったけど、得るものもあった。そして、改めて自分の進むべき道を見つけることができた。そういった意味で、この1年間は本当に貴重な1年だった。

そして唯一自分が「形」として残したものが、これ。
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「スキルスクリーン」と言うビーズ細工。やり方を教わりながら、ビーズの順番のセッテングを行い、利用者にやってもらった。本格的に始めたのは去年の5月。利用者の共同合作で、3月にすべてのビーズを通し終えた。そして最後の仕上げは、自分がすべて行って、今日完成した。これだけが、唯一自分が「やった」と言える、作業活動。まさか1年間で終わるとは思っていなかったし、自分のいる間に完成形が見れるとは思っていなかった。だから完成した時は、ちょっと嬉しかったので、記念撮影をしました。

何か形に残して終わって生きたい・・・目に見える形では残したけど、あとは利用者の心の中に何かが残ったのか・・・それは、最後の日になってみないとわからないかも。
とりあえずは、明日はグループとしての最後の外出行事。みんなで思いっきり楽しみたいと思います。

2006.03.20

恐れていた現実

正直、このことを書こうか、書くまいか悩んだけど・・・一応、当たり障りのない範囲で。

今日、法人人事関係の内示が出た。もちろん自分は非常勤の立場だから関係ないし、3月いっぱいで終了なので全く持って影響はない。ただ1つ言えば、短い期間ながら利用者との間に築くことのできた関係がなくなってしまうことを懸念していた。ただ、それは別に自分がいなくても他の職員との間で関係が成立しているから、そんなには気にしていなかった。「ある条件」の下では・・・

しかし今日、人事内示を聞いて、自分が恐れていたこと・・・というより、避けたいと思っていたことが現実となった。
今回の人事内示よって「ある条件」が崩れてしまった。つまり・・・短い間で関係を築くことのできた人間が2人、4月から一気にいなくなってしまうという現実がある。利用者との関係と「トイレ介助」を中心に、徐々に関係は築き上げられていった。そして最近になってようやく、本心や本音をこぼしてくれるようにもなった。色んな話をするようにもなった。利用者も、だいぶ慣れてきた部分があった。もっとも自分は「1年契約」の立場だからお別れが来ることは避けられない事実だけど、それでも「まだ他の職員がいるから、大丈夫だろう」と思っていた。しかし今回の人事内示で、その職員が異動することになった。もちろん男性職員は他にもいるから業務そのものに関しては影響はないと思うけど、自分が危惧するのは「精神的」な部分。1年間かけて築き上げてきた関係が「企業方針」によって崩されてしまう現実・・・ちょっと、辛いかなぁ・・・と感じる自分。

でもその一方で異動が決まった職員の人とこのことについて話してみたら「うーん、でもこう言うこともまた新たな刺激にもなると思うし、前向きに見て行ったほうがいいと思うよ。」とのこと。たしかに、悲観するばかりだけではなく「新しい世界」に出会うために、そして色んな経験をすることで「社会とはこう言うものなのだ」と言うことを理解していくには、慣れ親しんだ人間が2人いなくなってしまうことも、彼の生活・人生にとっては必要なことなのかもしれない。

人事関係のことで自分の身の回りも少しバタバタしていますが・・・できれば、こういうことは避けたかった。
しかし福祉施設といえども「一企業」である以上、人事異動があるのは当然のこと。だからこれは避けられない事実。あとは、この事実を何時切り出すか・・・だけだな。

お散歩しながら、色々と考えるMitakeであります。
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2006.03.14

「訓練」と「指導」

昨日の記事で「デイサービスでは訓練する場所ではない」と言う旨の内容を書いたが、今日はそれにちょっと矛盾する内容。

何度か触れているかもしれないけど、今自分が勤務している施設は「複合施設」で、1つの建物(いわゆる「ハコモノ」)に様々な施設が入っている状態。ちなみに自分が勤務している建物は4階建てで、1階が知的障害者のデイサービス、2階が身体障害者のデイサービス、3階が高齢者のデイサービスと老人福祉センター、4階が会議室・・・と、建物の大部分が「デイサービスセンター」となっている。もちろんデイサービスだから給食を作る厨房もあるし、入浴施設もある。そしてリハビリテーションのための訓練室もある。

で、自分が在籍しているのは「知的障害者デイサービスセンター」の部門。ただし「知的障害者デイサービス」と言っても、すべてがすべて「知的障害」だけか、と言ったら、そうではない。知的障害以外にも身体障害を併せ持つ「重複障害」の利用者もいる。つまり「知的障害」のデイサービスだけではなく「身体障害」のデイサービスを受ける利用者もいる。

その利用者のうちの1人が、今月から「知的障害」だけではなく「身体障害」のデイサービスを利用することになった。先週は最初の利用・・・ということもあって保護者が立会いでのサービス提供だったけど、今回は保護者の立会いはなし。利用者だけ。そして身障デイの時間になり、身障担当の人が迎えに来た。そのとき、利用者はテレビ(ビデオ)を見ていたが、時間が来たので「じゃ、移動の時間だよ」と職員が声かけをしてテレビを切り、移動をさせた。そのときのこと・・・突然、利用者が暴れだし、デイに行くことを拒否した。別にいつもと変わらないのだが、テレビを消されたことが気に入らなかったのか、暴れていた。そしてそのうちに、利用者の裏拳が女性職員の顔面・・・いや、目にクリーンヒット。非常に危ない状態。「これはちょっとマズイ・・・」と思い、身障担当の人と一緒に、一時落ち着けるために更衣室へ移動。密室の空間に隔離して「○○さん、どうしたの?デイ、行きたくないの?」と聞くと「ウン」と頷く。たぶん拒否の要因は「テレビ」にあると思うけど、少し落ち着かなければこっちの言うことも耳に入らない状態。一応説得はする。そしてあわせて「行きたくないのはわかるけど、でもどんなことがあっても絶対に他人に痛いことをしちゃダメだ。」とたしなめると、自分のほうに襲い掛からんとばかりに暴れる状態。「ダメ、それは違う。それはやっちゃダメだ!」と話すが、完全に受け入れられない状態。もはやこの空間で落ち着くことは困難な状態。そこで身障の職員さんと相談して、とりあえずは身障デイの方に行って少し気持ちを落ち着けることに。

イヤイヤ、この利用者、一応「前科あり」の利用者で・・・そう、自分の拳を噛んだ利用者です。
うーん、たしかに重度の障害を持っているからすべてを聞き入れて・・・というのは難しい話だと思うし、キッチリ白黒をつけるのは困難なことだと思います。それができていれば、最初から施設に来る必要はないのですから。ただここに来ている以上は「デイサービス」としてのサービスを最低限提供するのが、自分たちの役割。しかしながら噛まれた時にも話しているように、「やっていいこと」と「やってはいけないこと」の線引きは、最低限しなければならない。とりわけ、コミュニケーションが困難な利用者であっても、その部分は重要である。どんなに重い障害があっても、やってはいけないこと・他者から見て明らかに違うと考えられることは、キッチリと線引きをして「ダメ!」と言うことを示さなければならない。このことは年齢とかは関係ない。できていなければ、正すところは正していかなくてはならない。まだ彼は若いのだから、今から修正をしていけば必ず「正しい方向」に結び付けられる利用者であることは間違えない。もちろんその過程には時間がかかるかもしれないけど、それでも「やってはいけないこと」は「指導」していかなくてはならない。「利用者である」とか「支援・援助」とかと言うのとは別次元の問題である。社会で生活をしていく以上、それが重要な問題になりうる事柄であれば、それは「支援」ではなく「指導」なのだと思う。

あ、そうそう・・・一度同じようなことを書きましたね。「支援と指導」と言うタイトルで。
今回は「訓練」と「指導」として、また改めて書かせてもらいました。

2006.03.13

施設の目的は?

今日は1日、室内での活動。午前中は機能訓練で、午後は4人だけのレク。
おまけに今日は1日オムツ交換、1人は大したことなかったけど、もう1人は午前・午後ともにKot連発。特に午後のKotでは衣服まで汚れてしまったため、オムツを交換したあとに衣服を交換させようと思い、とりあえずオムツ交換して更衣準備をして「いざ、更衣・・・」と思った瞬間、オムツの脇から新たなKotが・・・あぁ、できることなら見たくなかったけど・・・現認してしまった以上、放置できない。と言うわけで、オムツ交換から約10分、再びオムツ交換。そして更衣・・・普通なら10分程度で終えられるものが、今日は30分程度かかってしまった。おまけに体の緊張も強かったため、車椅子へのトランスも一苦労。トランスするには全然軽い子(お姫様抱っこを余裕でできる体重)なんだけど、体が緊張しているため上手く車椅子に乗せることができない状態。だからある程度緊張がほぐれた瞬間を見計らって、車椅子へ移乗・・・ふぅ、外は雪が降っていたみたいだったけど、こっちは汗ダクでした・・・(^_^;)

さて、業務終了後は職員会議。年度末のせいか、それとも今までサボっていたツケか、3月だけで職員会議のオンパレード。もちろん日々の連絡もあるけど、主とする内容は来年どのことについて。もちろん自分には関係ないことだけど、3月まではこの施設の職員だから、ちゃんと意見するところはもちろんする。そして今日は、会議議事録担当・・・議事録を作るのは、大変なんだよねぇ・・・前職のケース会議のケース担当並みに。

って言うか、今回のメインは「ケース検討」。長期欠席の続いている利用者の対応について。
正直ここに来て日も経っていないので何ともいえないのだが、周囲の職員の話を聞いている限りでは、長期欠席の件に関しては「毎度のこと」らしい。だったら・・・ということで、自分の意見としては「経過観察でいいんじゃないですか?」ということ。

ただ、自分がそれ以上に気にかかるのは「利用者」ではなく「親御さん」のこと。
今まではどうしても「授産施設」のときの考えが強かったからどうしても「~しなくちゃいけない」と言う気持ちのほうが強かった。作業・創作活動に関しても「~しなさい」という思いのほうが強かった。それは今まで授産施設にいて「福祉的就労」の考えが強かったからこそ、そう感じていたのだろう。しかし今自分が働いている現場は「デイサービス」。つまり「授産施設」とは違うから、考え方も根本的に変えなければならない。

デイサービスで必要な考え・・・それは「訓練をする」と言うよりも、「いかに楽しく過ごせるか」ということ。
もちろんやるべきところではやってもらわなきゃいけないかもしれないけど、それを「強制」してまでやることなのか・・・と言ったら、それは違うような気がする。授産施設であれば「(表向きには)一般就労に向けた訓練」が目的であり、更生施設であれば「生活技能の獲得」が目的だから、どちらかと言うと訓練的要素が強い。特に授産施設の場合には「工賃」が発生する以上、その人の持つ能力を最大限活かすようにしなければならない。そのために「個別支援計画」が立てられているのであり、場合によっては「生活リズムの構築」を目的に「毎日出席する」と言うことを目標に掲げるのも手段だと思う。どちらかと言うと「保護者の立場」よりも「利用者のための施設」と考えるべきなのかもしれない。

しかし「デイサービス」と言うことを考えれば、何も絶対に「来なきゃいけない」と言うことではない。
もちろん利用者が日中活動を楽しく過ごすというのも目的だけど、それ以上に「保護者のレスパイトを担う」と言うのも、デイサービスの目的なのかな・・・と思う。この考えは高齢者のデイサービスとも同じで、介護負担の軽減を目的にデイサービスが存在するのと同じように、知的の分野でも社会適応が難しい利用者に対して「日中活動の場」を提供することにより、利用者は利用者なりに楽しむ一方、保護者は束の間の「休息」を確保するのが、施設としてのスタンスではないのかな・・・と感じる。

似たようなことは以前「施設のあり方」として取り上げたことがあるけど、もちろん「デイサービス」だけにこだわる必要はない。余裕があればそれ以上のサービスを提供してもいいと思う。ただし、施設の「第一義的目的」ができてこその話であり、その部分が確立されていない以上は、結果として「中途半端」になってしまうのではないだろうか・・・と思う。もちろん利用者をサポートするのは当然のことだけど、それ以上に「家族のこと」をケアしていくのも、デイサービスとしての役割なのではないだろうか・・・と感じる。この部分は「授産施設」と「デイサービス」とで決定的に違う部分なのかな・・・と思う。

2年前の文章と比較すると・・・僅かばかりながら、福祉従事者としての「成長」はあるのかなぁ・・・?

2006.03.08

お散歩日和♪

今日はホントにいい天気。なので、お散歩に行ってきました。
本来なら機能訓練を行うのですが、こんな天気のいい日に施設の中にこもって訓練なんてもったいない・・・と言うことを他の職員さんから言われ「それもそうだなぁ・・・」と思い、係長と相談。そして即決、「じゃ、そうしよう!」と言うことになり、機能訓練をせずに散歩に行くことに。

うん、正直今日みたいな日ってかなり「貴重」なんだよねぇ・・・
利用者の中には「動ける利用者」と「動けない利用者」の2つに別れており、動ける利用者の場合は多少寒くても体を動かすことができるから散歩なども多少の配慮で何とかなるもの。しかし動けない利用者の場合・・・つまり「車椅子」の利用者の場合、車椅子に乗っていることだけで移動に制限が出てしまう。さらに完全に自操できない利用者の場合は「座っているだけ」の状態であり、普段自分たちが「寒くない」と感じるような場面でも体を動かしていないため「寒い」と感じる事だってある。だから冬場の散歩、特に車椅子の利用者の散歩は動ける利用者以上に気を使う必要がある。

そんな中での、今日の春めいた天気。今日逃したら、また当分「散歩日和」から遠ざかってしまう。
なので予定を変更して、散歩に行くことに。おかげで散歩に行った利用者の表情はみんな穏やか。ポカポカで帰ってきました。
梅の花も、キレイに咲いているようです。
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ついでですが・・・池のそばには、こんな看板が立っていました・・・
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なるほど・・・家で飼えなくなった金魚や亀をこの池に「放流」されることを恐れているのね・・・でも「メダカを食べてしまうため」とは、実に具体的な表現で・・・(^^ゞ

2006.03.01

処理、早すぎ?

今日から3月。でも・・・メッチャ寒い。
去年の年末に髪を切って以来「帽子」が必需品になっているけど、髪が伸びてきているのにもかかわらず、未だに帽子が手放せない状態。「頭が寒い」と言うよりは「耳が寒い」といったところ。そんでもって今日は職員会議で勤務延長45分。よって退社は17時15分。もちろん、外は寒い・・・

で、本当は昨日職員会議をやる予定だったのだが、色々と都合があって今日に延期。
内容はと言うと、来年度のことについて。と言っても、来年度はもう自分はいない。だから正直関係ない、と言ってしまえばそれまでなのだが、3月いっぱいまでは自分も職員であるから、その部分は「仕事」としてやらなきゃいけない。

でもねぇ・・・話を聞いていると、残り1ヶ月でやることってメチャクチャたくさんあるみたい。
本来であれば常勤がやるべき仕事ばっかりだけど、前の職場の考え方が残ってしまっているのか「甘い!」と話を聞いていて思う場面も多々あり。(と言っても、やっぱり自分からあーだ、こーだって言いにくいものです。もちろん自分の「意見」としては、ちゃんと言っていますよ。)そんな中で自分に関係してきそうなことが「個別支援計画」のこと。以前にもちょっとだけ触れたことがあるけど、現在の法律(知的障害者福祉法及び関係法令)では「知的障害者デイサービス」には個別支援計画の策定義務はないので別に取り上げなくてもいいのだが、施設として運営している以上はやはり「個別支援計画」は必要。で、一応は施設として個別支援計画は立案したものの、結果としてそれが家庭に行くことはなかった。本来であれば家庭に個別支援計画を渡して、それに同意をもらった上で支援が開始されるのが通常。しかしながら、結局個別支援計画を立てながらもその過程を経ることなく今年度が終わってしまった。正直「それはまずいだろう・・・」と思いながらも、逼迫した現状を見ているとあまりいえるような状態ではなかった。ここは、この施設の大きな「課題」として残っている部分だろう。

さて、その「課題」に取り組むわけだが、最初の話では来月の頭までに今年度の個別支援計画の評価・まとめを行って家庭に提供しよう・・・という話になっていた。ところが、自分が担当しているグループに関しては、3月中にメドを立てなければいけない状態となってしまった。
その理由が・・・自分の退職。

スミマセン・・・正直そんなに自分の存在が「重要」とは感じていなかったのですが、今の施設では「グループ担当制」を採っており、1グループを複数の職員(常勤・非常勤)で担当していく形をとっている。で個別支援計画もグループごとに立案などを行っており、もちろんその過程には自分も携わっている。ただ常勤の職員から「Mitakeさんが3月いっぱいまでだと・・・うちのグループは3月中にまとめなくちゃいけないってことだよね?」とのこと。
エッ・・・自分、そんなに荷物背負っていたんですか・・・って感じ。もちろん産休代替職員であり臨時職員である自分を「対等」に考えてくださっているのは、本当にありがたいことなのですが、そこに自分が必要とは、ちょっと考えていませんでした。正直、今の自分は「4月からどうしようかなぁ・・・」と考えているのが精一杯の状態。だから今の職場のことなんか全然考えていませんでした。単に「あぁ、あと1ヶ月で終わりなんだなぁ・・・」とちょっぴり感慨にふけっていたくらいでした。

となると・・・もしかして、自分はちょっとヤバいことをやってしまったかも・・・
「身の回りの整理をしないと・・・」と思い、昨日から職場の身辺整理を開始。その一環として、利用者の個人情報の破棄を行っていた。個人情報の破棄・・・そう、それは「シュレッダー処理」のこと。前の施設を退職したときも膨大の利用者個人情報を持ち帰っての処理を行い、あまりの量の多さに電動のシュレッダーまで購入して個人情報処理を行っていた。そして今回も比較的多めの「個人情報」を握ったままの状態になっていた。なので、昨日からシュレッダー処理を行っていた・・・のだが、当然その情報の中には「個別支援計画」や「月間まとめ」も含まれており、今日の職員会議の流れを見ると「もしかして・・・シュレッダーかけるの、早すぎたのか???」とちょっと焦り気味。既に細かく細断されてしまっており、今から復旧することは不可能。もし必要になったら・・・どうしましょ・・・?


ウン、そのときは「あれ・・・まちがってシュレッダーしちゃったかも・・・」と言って、コピーさせてもらいましょ(^^ゞ
ドンマイ、ドンマイ・・・(^^♪

2006.02.28

いよいよ、残り1ヶ月。

今日で2月が終了。そして・・・今の職場での勤務も、残すところあと1ヶ月となりました。
周りからは「有給全部消化しちゃいな。」と言われますが・・・正直、そんなことはできません。今の時点で有給の残日数が13日。で、今の時点で決まっている有給が4日。そうすると、残り9日。でも実労22日の中から13日間休みを取るのは、かなり至難な業。ってか、そんなに休んでしまったら仕事にならない・・・と感じている。

よく「非常勤なんだから、そこまで考えなくてもいいんだよ」といわれるけど、正直その考え方には「?」である。
自分が一度常勤として勤務している経験があるからかもしれないけど、常勤だろうと非常勤だろうと、仕事をしていることには変わりないし、利用者にとって見れば常勤だろうと非常勤だろうと「職員」であることには変わりない。そう、自分が学生のときに言われていた「実習生であっても一歩現場に出たら、職員と同じように振舞わなくてはいけない」と言うのと同じこと。だから「非常勤だから利用者のことまで考えて休む必要はない」と言うのは、ちょっと違う、と感じている。

元々今の職場は男性利用者が多い反面、職員の男女比は同じ。つまり女性職員が休む分には何とか対応ができても、「同姓介助」と言う点から見れば、男性職員が休むことは利用者支援上は影響がないわけではない。全介助の必要な利用者もいるわけだから、その中で男性職員が1人欠けるということはその部分が「手薄」になることになる。だからどうしても介助の都合を見て休まざるを得ない状態にある。
もちろん、自分のパニック治療の方を優先するのは言うまでもないことだけど・・・あと、4月からの転職先も。

できることなら、有給は全部消化して辞めてしまいたい。でも現実問題としてそれはしにくい部分がある。
前職でもそうだった。本当は有給を消化したかったけど、人員の関係で変に休んでしまうと作業がまわらなくなってしまう可能性もあり、とてもじゃないけど休める状態にはなかった。結局、前職では20日以上の有給を捨てる形で退職。そして今回も、ある程度は消化できても、結局6・7日ぐらいは残して退職する形になるだろう。でもそれは「仕方がないこと」と思っている部分もある。

自分の職業は「モノ」を相手にしているのではなく「ヒト」を相手にしている。いわば「サービス業」。
それに福祉の仕事はモロに「利用者の生活の一部」を担っている仕事であるため、この仕事を選んだ異常は多少の自己犠牲を覚悟の上で臨む必要があるだろう。もちろんすべてを犠牲にする必要はない。事実、先週はスキーに行ってきているし、前の職場では職員旅行でTDRにも行ってきた。だから「余暇」は必要である。ただし若干の犠牲を惜しむようでは、この仕事は勤まらないと思う。現実に前職では仕事が終わった後でも自宅から利用者の自宅に電話をかけて保護者と話をしたこともあるし、色々と相談をしたこともあった。ハッキリ言えば、自分の時間を犠牲にして仕事をしている状態。もちろん通常の勤務外だから、この部分に対してペイされることはない。でも、それは必要だからやっている。

そういった思いがあるから、安易に「休む」と言うことは、いいにくい。
もちろん人員体制が整っているのであれば遠慮なく休むことはできるけど、現状はそうではない。であれば、やっぱり多少の「遠慮」をすることは必要だと思う。第一、まさか1月に「18年分」として有給が11日付与されることは全くの想定外だったから、これを使い切るのも無理な話だと思うけど・・・なにしろ、半年で21日間の有給を消化するなんて・・・かなり遊ばないと取れない有給の量。

とはいえ、今後転職活動で突発的に休むことが出てくるかもしれないので、とりあえずはそのままにしましょう。
で、休めそうな時があれば、休むことに。もちろんどなたから「お誘い」があれば、話は別ですが・・・(そんなもの、あるはずもないが・・・)

さぁ、あと1ヶ月。利用者とともに頑張っていきましょう。

2006.02.24

「引き出し」を増やしていくには・・・

今週の勤務、2日間のみ。超、ラクな勤務・・・まぁその分遊んでいるしね・・・(^^ゞ

唐突だけど、以前「社会経験」と言うことでホテルにフルコースのランチを食べに行った話をした。
まぁこのときは単なる「予算消化」のために行ったけど、現実として障害が重くなるにつれて、「社会との関わり」と言う部分で制限を受けることが多い。また制限とまでは言わなくても、普通の人であれば当たり前にできることが、できないことだってある。それは単に知的な側面や身体的な側面だけではなく、精神的な側面、いわば「心」の部分に関わってくることもある。

で、正反対のことを言うと、逆に障害の程度が「微妙」な位置にいる人・・・つまり重度ではないが、軽度でもない。ただこれと言って日常生活に何か問題が生じているわけではない人・・・というのもある。そういった人こそ「心」の部分で難しい場面が多い。こんな言い方をしてしまうと差別をしているかのようになってしまうが、変に自分の状態を理解しているために、例えば「やりたいこと」があっても躊躇してしまう部分が生まれることがある。それは日常生活の部分から社会生活、果ては恋愛まで広範囲にわたる。

こういった、いわゆる「自己実現」の問題に直面した時、支援者はどうあるべきなのだろうか?
以前勤めていた施設で「何か新しいことを提供してみては」と言う意見が出た。それは例年バスハイクを行っていた際に、必ずと言っていいほどTDRが行き先として話題にあがっていたからだ。当時その施設に就職したときは今までの行事でどんなところに行っていたのかを完全には把握していなかったが、どうしても利用者にとっては「ディズニー」の楽しかった印象が他のどんな行事よりも強く残っているみたいで、利用者に「行事でどこに行きたい?」と聞くと、必ずと言っていいほど「ディズニー!」と言う意見が出ていた。利用者にとっては楽しいかもしれないけど、職員サイドから見れば「マンネリ」状態である。

結局どうして「ディズニー」になってしまうのか・・・それは彼らの「経験の引き出し」が少ないからなのかもしれない。
彼らにとって「余暇を過ごす」といえば・・・ほとんど自分自身で「余暇」をクリエイティブすることが難しい現状。そんな中で施設内で行う行事や日々のレクリエーションの中で余暇を経験している状態である。つまり彼らが「実際の生活」において役に立つことのできる「経験」が少ないために、同じ引き出しから同じものしか出せない現状を作り上げてしまっているのであろう。だから支援者としては少しでもいいから多くの「引き出し」を作っていけるような支援をしていかなければならないのだろう。

ただ、こういった方法で引き出しを作れるのは、言語的コミュニケーションが取れたり、障害の程度が比較的重くない利用者に限られてしまう。問題なのは、言語的コミュニケーションが困難であったり、障害の程度が重かったり、重複障害を持っている場合。彼らに対して「経験値を上げる」には、どのようにしていけばよいのか?多少強引でも、半ば引っ張り出すようにして色んなことを経験していくことが、果たして望ましいことなのだろうか?

今自分が可能な限り行っている「経験の支援」は、金銭管理程度しかできていない。
でも本当はもっと別の部分でも支援をしていかなくちゃいけないのかなぁ・・・と感じる部分がある。と言っても、残された期間はあと1ヶ月。もちろん4月からの自分自身のことも考えていかなくちゃいけないから、人様のことよりも自分のことを何とかしなければいけないのだが・・・本当は。

なんか漠然とした内容でスミマセン・・・ちょっと今日の仕事で色々と感じたことがあったので、走り書きしてみました。

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