どうでもいい過去・・・たくさんありますね。
今だから言える「どうでもいい過去」と言えば、子役をやっていたということですね。何度かblogで何となくは・・・は匂わせていたものの、ハッキリと書くのは、これが初めてかもしれません。
自分が子役になったのは8歳のころ。
あえてどこに所属していたかは触れませんが、自分が入った当時はまだ無名の劇団。もちろん自分もそんな縁に触れるとは思ってもいませんでしたので、本当に何もわからずに飛び込んだ世界。別に自分自身に強い希望があったわけでもありません。ただ、「何となく」と「面白そう」という2つだけで、劇団の試験を受けて合格し、入所することに。
もちろん最初の頃は何にもありません。いわゆる「下積み」の状態。
と言っても誰かについて回る・・・というわけではなく、劇団の自主公演に参加したりエキストラを経験するなど、小っちゃいことの積み重ね。で、デビューしたのは9歳の時。デビュー作は家族で見ましたが・・・恥ずかしかったですね。その時のセリフは「おかぁちゃ~ん!」の一言。このことは当然学校でも話題になり、しばらくの間は「おかぁちゃ~ん」と呼ばれ続けたのは言うまでもありません。
そして一応花が開いたのは、小学校6年の頃。
ある児童映画の主役の1人になった自分は、小学校の卒業式を前にクランクイン。撮影は地方ロケになったため、卒業式の前日までは地方に滞在。もちろん学校は最後の最後で休むことになり、卒業式の当日に一時帰京、卒業式がおわたっら地方へとんぼ返り・・・という、子どもにとっては少々厳しいスケジュールの中で撮影をしていました。当初の予定では中学校の卒業式には出れる予定だったのですが、ロケのスケジュールが押してしまい、中学校の入学式には出ることができず、入学式の日にクランクアップ&帰京。翌日に初登校したときは、やっぱりちょっと浮いた感じになっていました。
さらに、児童映画を撮影中に、もう1つ仕事が。
それは舞台。さらに、配役は主役級。その劇場は・・・日生劇場。日生劇場と言えば、運が良かった人(?)は小学校6年生の時に「演劇鑑賞教室」として劇団四季の舞台を見に行ったことがある人もいるはず。自分も6年生の時に日生劇場に行って舞台を見ることに。でもまさか、その1年後に「見る側」から「演じる側」になるとは思ってもいませんでした。
その舞台の公演は、学校が夏休み中に公演をすることに。
ただ本番までには稽古も必要なので、舞台の稽古があった時は学校を早退していました。もちろん練習の合間にはプロモーション活動もあり、それにも出ることに。また中学校には舞台に出演するための書類を校長名で書いてもらう必要があったので、学校にも色々とお願いをすることに。(たぶん入学前に母親が色々と根回しをしていたかもしれません。)
そんな感じだったので、自分のことはいつのまにか学校中に知れ渡り、「芸能人がいる」と言われる状態。もちろん当の本人はそんなこと知らずで、あとから色々と聞いた話。翌年には某テレビ局の昼ドラに出演することになり、やはり夏休み中はほとんどの日が撮影。だから自分にとって中学生の時の「夏休みの思い出」を聞かれると、これしかないんですよね。今でこそ子役のプロダクションや低年齢児のテレビ出演はある意味「当たり前」になっていますが、当時はまだそこまで知られていない状態。なので自分の年齢で芸能関係の思い出しかないというのは少ない方だと思います。
もちろんここに書いたのは、ほんのごく一部。
その他にもCMや単発のドラマにも出演していましたが、今となってはどうでもいい過去。共演した人の中にはその当時から第一線にいた芸能人がいれば、当時はまだ自分と同じだったけど今は超有名人になっている人もいます。あんまり大きな声では言えませんが・・・今世間を騒がせている人とも、一緒にお仕事をしましたよ。本当にどうでもいい過去であり、今もまだその時に使った「台本」は残っています。自分はとっとと捨ててしまいたいのですが、母親が強く「残しておけ」とのことなので、今は洋服ダンスの上で眠っている状態。まぁこの台本の価値が出るのは、自分が死んだ後かもしれません。
ブログネタ: 【賞品付き】あなたの”どうでもいい過去”を教えて!
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