福祉

2009.07.01

基本は、受け止めて、そして向かい合って

いやぁ、ホント仕事したくないですね。

いきなり愚痴モードですが、明後日までに宿泊の素案を見直すことに。時間はありませんが・・・さすがに今日の職員会議の説明で疲れてしまい、とてもじゃないけど自宅でやろうという気が起きなくなってしまったので、明日残業して何とか全体に説明できる形にしていきたいと思います。まだまだ壁はたくさんありますが・・・何とかしないと。

でもこういう忙しいときにこと、自分の時間を持てるのはいいことですね。
先週はお休みだった手話も今日から再開。手話を勉強している時間は完全に仕事のことを忘れられる時間。笑いながら勉強する手話、今では自分にとって大切な時間ですね。

そんな手話でも今日の「私の趣味は?」でblogをやっていることを話したので、あんまり愚痴モードではいけませんね。
まずそんなに自分のblogを見ようと思う人は少ないと思うのですが、もし見たときに「愚痴しか書いてないじゃん」って突っ込まれるのも、ショッパイと言われるのも何なので、たまにはちゃんとしたこと(?)も書こうかな、と思います。

ルーキー支援、今回が2回目。
ここ最近はホント幅広く利用者さんの支援をさせていただいていますが、やっぱり「若い力」にはどうしても押されるような状態になってきています。まぁこの施設が比較的障害の程度が重い人が中心になっているので「投げ方」の違いというのもあるのかもしえませんが、今日担当した利用者さんも「投げ方」を帰る利用者さんの1人です。

このblogでも何度も言っていますが。基本的な支援の在り方はどんな利用者さんでも同じだと思います。
ただ同じボールを投げるにしても、直球で投げて行ける人がいれば、変化球で攻める人もおり、また中にはスローボールでゆっくりと打ち取っていくことも必要な時があります。それは利用者さんの「個性」を見ながら、この利用者さんならこの方法でできるかな、と考えながらやっています。今日の利用者さんはどちらかと言えば「変化球のスローボール」といった感じでしょうか。

この利用者さん、施設の中では「能力が高い」と評されている利用者さん。
ただ「お節介さん」なので、他者との関係でうまくいかない部分もある人。時には利用者さんを挑発することもあり、支援の方法について結構苦慮する利用者さんの1人。もちろんどの利用者さんも「この支援の方法でいいのか」という反省を常にしていますが、この利用者さんは今年入ったばかりなので、支援計画も手探りの状態。日々ミーティングの中でどのような支援をしていけばいいのかを考えたりしています。

そんな中で自分が見出しているのは、支援の基本でもある「受容」。
どんなことでも、利用者さんの存在をすべて受け止めてあげること。「すべて」というのは利用者さんの存在もさることながら、言動や会話などあらゆるところで一度受けてあげること。良く言えば社交的、悪く言えばうるさいのですが、そんな利用者さんでも話しかけてきたらとりあえずは受け止める。そのうえでそのことに対してさまざまな評価をしていく。その中には認められない行動も含まれたりする。でもその場から逃がすことなくその存在や行為を受け止めて、そして面と向かって対峙して話していくことも必要。どんなことに関しても真正面から受ける心構えがなければ支援者としてはダメかな、と思ったりしています。

時にはバカ見たいなことを言いながら、お遊び半分の支援をするときも。
でも気持ちはいつも利用者さんと真剣勝負、利用者さんと真正面から向き合っています。適度な余裕を持ちながら、やるときはやる・・・これが今の自分の支援スタイルかもしれません。

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2009.06.03

手話には感情がある

毎週水曜日の手話講座。
昼間に行っている母親はのほうは「静か」みたいですが、夜間の自分は非常にアットホーム。笑いもありながらの講座。正直当事者が教えるとのことだったので「難しそうだな・・・」と思っていたけど、ふたを開けてみたら非常に面白く、講師の先生もとてもユーモアのある人。なので2時間の講習があっという間に終わる感じ。一方母親は「時計を見ながらだよ」とのこと。自分の行っている夜間のコースは親子連れから70歳近いご年配の方まで非常に年齢層に幅があるクラス。それゆえ、なかなか面白いことも起きており、そういう意味ではクラスに恵まれたかな、といったところ。仕事では恵まれていませんが、ちゃんと人生って釣り合いのとれるようになっているんだな・・・とちょっと感じました。

そんな手話ですが、先週と今週の2週間で「指文字」を勉強。
非常に指がつりそうな感じですが、何とか50音は頭に詰め込んだ状態。ただし、詰め込んだのは本当に50音順で、じゃ読み取りは・・・といわれると、全く歯が立たない状態。講師の先生の指文字を読み取る、というのがあっても、指文字が速すぎて読めない状態。仮に最初の文字の形がわかっても、それを指文字50音の中から探し出すのに非常に苦労している状態。指文字の読み取りには、まだまだ時間がかかりそうです。

まぁ指文字だけではなく、手話も一緒に勉強中。
今日までの講義は「手話」というよりも「伝える」ということに重点が置かれている内容。なので毎回勉強したことをを踏まえつつ、イメージを膨らませながら、時には手話の方法を利用して伝える練習をしているのが、今日までの講座。その中で先生の話では「表情や身振りを大切にして」とのこと。それと「恥ずかしがらないで」とのこと。

指文字の読み取りのときにも話を受けたけど、指文字をするときも単に指で形を表すのではなく、指文字をしながら口も同じように動かしてやるとのこと。例えば「テレビ」を指文字で表すときに、指文字だけで「て」「れ」「び」を表現するのではなく、指文字をしながら言葉で「て」「れ」「び」と言いながら表現すると、口の形から読み取りやすくなるので必ずしてほしいとのこと。で、手話も同じで「お願い」を手話で表す時に、無表情で「お願い」をするのではなく、懇願した表情で「お願い」とか、気楽な感じの表情で「お願い」を表現するのでは、読み取りに全く違いが出てくるとのこと。私たちの言葉では話口調や語気などで感情を表しているけど、手話も同じように単に「手話」を使うのではなく「表情」を用いることで、私たちの「話口調」や「語気」を伝えることができるということ、表情がないと伝わりにくいということを勉強。

昔、小さな劇場で手話劇をしたときにちょこっとだけ手話を習ったけど、手話には単純に「表出」だけではなく、その手話1つ1つに「感情」があることを改めて今日の勉強で実感しました。芝居をやっていたときも自然と手話と一緒に表情が出ていたように、手話での会話をするときも単純に「手話」を伝えることだけに一生懸命になって無表情になってしまうと、結果として何も伝わらない。伝えるためには「手話」だけでなく手話に込められた「感情」を表現することで相手に伝わるということを改めて実感しました。私たちの言葉などに感情があるように、手話にも感情があります。そのことを忘れずに、手話を勉強していきたいと思いました。

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2009.05.30

専門職員の積極的採用・配置を

昨日のココログを書いた後に、生活保護関係のニュースがありました。
今日のを含め、2本ほど紹介したいと思います。

<処分取り消し>車所有の難病夫婦、北九州市が生活保護停止 訴訟で市が敗訴(毎日新聞)

 車の所有を理由に生活保護を停止したのは違法として北九州市の体に障害のある夫婦が同市に停止処分取り消しや慰謝料を求めた訴訟の判決が29日、福岡地裁であった。増田隆久裁判長は「処分は違法」として停止処分を取り消し、同市に計60万円の賠償を命じた。
 原告側代理人の平田広志弁護士は「社会的弱者ほど車が必要なのに、車所有が原因で生活保護をあきらめるケースも多く、画期的判決だ」と話している。
 訴えていたのは同市門司区の無職、Aさん夫婦。
 訴状によると、夫婦で野菜販売業を営んでいたが、妻(77)が全脊椎(せきつい)靱帯(じんたい)骨化症という難病を、Aさんは心臓病などを患い、働けなくなったため、00年11月に生活保護受給を始めた。軽自動車(93年式)を所有していたが、市門司福祉事務所は翌12月以降「生活保護で所有は認められない」と売却するなどして処分するよう指示。しかし、歩行困難な妻の通院などに必要で処分しなかったところ、04年9月~05年4月の約7カ月間、生活保護を停止された。
 夫婦側は(1)正当な理由なく保護を不利益変更したのは生活保護法に違反する(2)車は走行25万キロを超え換価性はない(3)厚労省保護課長通知で規定された「障害者の通院・通学などで車が必要な場合に所有を認める条件」に該当する--などと主張し市と争っていた。(5月29日)

北九州・生活保護停止違法 餓死も覚悟「感無量」 勝訴原告 「市は聞く耳を」(西日本新聞)

 「感無量です。胸がいっぱいで言葉も出ません」。29日、軽乗用車の所有を理由に生活保護を停止した北九州市の処分を違法と断じた福岡地裁判決。勝訴した原告の同市門司区、Aさん夫妻は同日、福岡市中央区で記者会見し、深く喜びをかみしめた。夫妻は一時は餓死さえも覚悟したという。「完全勝利の判決」(弁護団)に安らぎの表情が戻った。
 病気で生活に困窮し、2000年11月から生活保護を受けた。それが停止されたのは04年9月。乗用車を処分するよう求めた市の指示に従わなかったからだ。
 「生活保護の受給者が車を持つなんて言語道断」。福祉事務所の担当者から、ののしり声を浴びせられた。何度も。だが、家にこもりがちだと体の衰えが心配だ。何よりも、車はAさん妻の通院や買い物などで使う「生きる上での命綱」(Aさん)で手放せない。月額約14万円の保護費は受けられなくなった。
 相談していた弁護士たちが月に約8万円をカンパしてくれた。だが、生活は一変。風呂や食事の回数を減らした。山や海で食材を探すこともあった。久子さんは「3度も食事ができなかった戦時中を思い出して暮らした」と振り返る。
 あまりにもつらい日々に、Aさんは生活保護の停止を開き直って受け止めるようにもなっていた。「役所と関係が切れ、気が楽になったというか、餓死しても構わんとさえ思っていた」
 当時の同市の対応について、夫妻は「何が何でも手放せというばかりだった。私たちの言い分を聞く耳を持ってほしかった」と口をそろえた。

■原告側が市に 控訴断念要望
 北九州市の生活保護停止処分を違法とした福岡地裁判決を受け、原告弁護団は29日、同市役所に控訴の断念を求める申し入れ書を提出した。市は幹部を集めて緊急に協議したが、控訴するかどうかの結論は出さなかった。
 弁護団は申し入れ書で「障害を抱える原告にとって自動車の利用は必要不可欠。裁判所の判断は当然の結論」と訴えた。
 これに対し、同市幹部の1人は、移動が困難な身体障害者にはタクシー利用料の補助が支給されることから「この件は(申請を受け付けない)いわゆる『水際作戦』とは違うとの考えで争ってきた。生活保護の停止は、保護費の増加を抑えるのが目的ではない。主張が受け止められなかった」と語った。
 同市の守口昌彦保護課長は、控訴するかどうかについて「判決文をよく読んで、関係機関と協議して対応を検討したい」と話した。(5月30日)

この不景気のためか、生活保護に関するものは即座にニュースにされていますね。
最近の生活保護関係の裁判を見ていると、多くが原告勝訴の判決を出されていることが多くみられるような気がします。今回の判決も一福祉従事者からみて「妥当」だと思います。

むしろ、北九州市は極端な生活保護の申請拒否が社会問題化し、自ら「生活保護行政検証委員会」を立ち上げてパブリックコメントや有識者による委員会を経て答申を出していたにもかっ変わらず、類似したような問題をまだ出しているという考えのほうが自分にはあります。今回の場合は「申請」の問題ではありませんが、個々の状況を踏まえた適切な保護をせず、マニュアル的な指導を繰り返していたものです。

生活保護需給において「車の所持」に関する原則は市が主張している「所有不可」でありますが、例外として「障害を持つ」人に関しては個々の状況に鑑み所有を認めるケースもあります。今回の場合は夫妻が両者とも重度障害者であることと、通院をするには車が日常生活で必要不可欠であることを理由に「車の所持」を主張してきました。客観的に状況を見れば所有を認められるケースでしたが、市は「身体障害者にはタクシー利用料の補助が支給される」という理由で車を手放すことを強く支持してきたみたいです。

しかし市の主張する「タクシー利用料の補助」で生活が成り立つのか・・・ということを考えると、生活保護を受給している人のケースを考えると、かなり難しいと考えられます。ここで考えられるタクシー利用料補助の方法は2つで、1つは障害者に給付される「タクシー券」の利用、もう1つは生活保護の「医療扶助」の一環で行う「通院交通費」としての支給があると思われます。まず「タクシー券」の利用について考えると、タクシー券は用途を限らず日常生活において必要な時に使うことができます。しかしタクシー券の支給に関してはかなりの地域差が見られ、市町村によってその補助する内容も異なってきます。私の市では「基本料金」の補助として最大50枚程度が支給されています。私の市のように「チケット方式」と採っているところがあれば、「金券方式」を採っているところもあります。しかしタクシー券も無限に使えるわけでなく、年間で補助される額が決まっています。さらにこの額は全国均一でなく、市町村が独自に決めており、私の市の場合は約3万円の補助になります。ところによっては2万円であったり4万円であったりしますが、限度があるのが実際です。

そこで2つ目の「医療扶助」としての支給を考えた場合、「通院目的」であればおそらく全額支払うことが可能でしょう。しかし「医療扶助」と名が付いている通り、タクシーの利用は「通院目的」のみが支払われるのであり、日常生活の場合は支給されません。さらにここ最近では「生活保護費の不正受給」の例としてタクシーや航空機を使った通院の交通費が問題となっており、タクシーの利用に関しては今後厳しくみられることが考えられます。このような情勢の中で「通院にタクシーを利用」となったとき、果たして北九州市がそれを認めるのか、という問題があります。今の情勢を利用して「タクシーは認めない」ということも考えられることであり、いずれにしても夫妻の生活に大きな支障をきたすことは予測できるものです。

今回のこの根本的な問題は、いかに福祉行政に関して知識を持つ専門職員が不足していることにあると考えます。
以前に「社会福祉主事」のことを取り上げたことはありますが、福祉事務所(今はほとんどのところが「~福祉課」などといった名称になっています。)で勤務する職員には「社会福祉主事」の資格を有していることが求められます。しかしこの「社会福祉主事」は福祉系の学校・大学を出ていなくても採ることができ、またこの資格は「任用資格」であるため、比較的容易に取得することができます。さらに社会福祉主事を採れる条件に「指定された科目を3科目以上履修」というものがあり、このハードルが社会福祉主事を容易に取得できるものになっていると思います。この「指定された科目」の中には一般教養で習得するような科目も含まれており、その点も問題になっています。(そのため、平成12年に改訂され、現在の大学では福祉に関するものがほとんどになっています。しかし、それでもまだ「一般教養」の域で取得することも可能な状態です。)

そのため、現場において「社会福祉」のことを学んだ職員が少ないのも実態です。
都道府県や政令指定都市においては「福祉職」という枠を用意して採用する自治体もありますが、多くの市町村の場合は「一般職」を募集し、その中から福祉課に配属されるケースがほとんどであり、「福祉職」という枠を設けている自治体は少ないと思います。しかし適正な運営を考えるのであれば、やはり現場に福祉のことを学んできた人員を配置することは必要であると考えます。また民間福祉で経験を積んだ人を自治体の「福祉職」として登用していくことも必要ではないかと思います。どの分野においても「専門性」というのは必要とされることかもしれませんが、福祉の領域の場合、その内容が直接命にかかわる部分でもあり、そのことを考えればやはり専門職員を配置していくことが早急に望まれるのではないか、と感じています。

今日は久しぶりにニュースから福祉ネタを書いてみました。

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2009.05.20

実は気楽にいけばいい

さぁて、今日は何を書きましょう。昨日に比べたら、ネタ満載ですから・・・(^^♪

でもやっぱり、手話のことかな。
今日から毎週水曜日(お休みの日もあり)の夜に、社協開催の手話教室に参加することに。車で通勤しているので、仕事帰りにそのまま行くことに。

でも・・・行ってみたら、まだ誰もいませんでした。
30分前なのに、自分が1番乗り・・・なんか恥ずかしかったので、ちょっと前室で時間つぶしをしてから入りましたが・・・いざ始まってみると、男は自分ともう1人だけ。ほとんどが女性でした。

そんな感じで、やや緊張した状態で講座スタート。
講師の方は聴覚障害をお持ちの方で、助手で手話のできる人がいるけど基本的に手話通訳はなし。講師の手話を見て、内容を理解していくというもの。

最初そのことを知って「えっ?マジで?」と思ってしまいましたが・・・
いざ始まってみると、何となく言っている内容がわかりました。というか、すごく色々と配慮をしてわかりやすく手話を使いながら話してくれました。正直、手話をまともにやったことのない自分でもある程度理解できたので、ホントに和気あいあいとした雰囲気で参加していました。

もっとも、講師(って言いにくいので、先生にします)の人いわく・・・
 ・手話だけが表現ではない。
 ・手話以外に身振り、表情、口話、指文字などを積極的に使う。
 ・イメージを膨らませて想像する。

と、手話というものを「手話」ということだけでなく、持っているものをすべて活用すればいいということを話していました。
言われてみれば、自分たちがカタコトの英語を話すときも何となく単語の羅列や身振りなどで何となく伝わることを考えれば、手話も同じなんですよね。要は「手話をしなくちゃいけない」のじゃなくて、「手話という新しい言語」を使ってみる、という考えなのかもしれません。どうしても「手話」ということを考えてしまうと、言葉で表現しながら手を動かさなければ伝わらない、手話の表現方法を理解しないとできない、といった固定概念があって小難しく考えていたのかもしれませんが、実はもっとも単純でイメージを膨らませれば意外ととっつきやすかったりするものなのかもしえません。あんまり身構えずに、気楽にやっていけばいいのかな・・・と感じました。

少なくとも、今日は自分の名前を手話で表現することを覚えたので、来週はもっと覚えてみたいと思います。

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2009.05.18

うる覚えの知識

月曜日がやってきました。
ここ最近は、なんかいつも同じような書き出しになっている気がします。漠然とはしているけど、何とも言えない状況・・・

そんな状態でも支援は止まることなく、いつものように動いています。
時折同世代の職員の人と談笑しながら作業をすることもあります。そんな中で上限管理のことについて聞かれることに。正直事務的なことまではよく理解できていないけど、「きっとこういう意味であろう」と自分が認識している範囲で答えることに。

同じ社会福祉士を持っている人ですが・・・いかに自分の不勉強さを感じます。
社会福祉士を取って早6年。取ったときは本当にがむしゃらにいろんなことを身につけようと頑張っていました。それが今では何となくなおざりの状態。不勉強というより、関心が低くなってきているのだと思います。本来であれば貪欲にいろんなことに関して知ろうとしなければいけないのだと思いますが、その気持ちがちょっとずつ薄れているのかな・・・と感じています。

そんな後手後手の状態なので、自分も言われて「あぁ、正しかったかな?」と思って色々調べる始末。
ネットを駆使して、六法を見ながら、解説書を確認しながら・・・だけど、なかなか今回のことは答えが見つからない。あくまで「事務処理」のことだから直接現場に携わっている身としてはそれほど大きなことじゃないけど、でも知っているに越したことのない知識であることは当然。知っていれば事務手続きもできるわけであり、理解して支援するのはまた違ってくるもの。そんなことを言われて「あぁ、そうだな。なんかあぐらをかいているな・・・」と反省。

昨日の記事でやりたいことばっかり書いたけど、やらなきゃいけないこともある状態。
でも何から手をつけていいのか、今の自分の立場でいったい何ができるのであろうか・・・というのを常に模索中の状態。今の自分にできることはかなり限られているけど、その中でいかに自分が動けるか・・・ということを考えたとき、やっぱり何か聞かれたときにすぐに答えられる状態であることが、今の自分にとって必要なこと。あと、いろんな人からの信頼を獲得すること。
口で言うのは簡単だけど、実際にするのは難しいことなんですよねぇ・・・うーん、もっと勉強しないと。

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2009.03.08

講習終了

この1枚の修了証をもらうために、頑張りました。
Nec_0069

昨日・今日と続いた社会福祉士の実習指導者の講習会が終了。
昨日はホントにウトウトしていましたが・・・今日も午前中はウトウトでした。一番前の席なのに・・・(^_^;)

でも昨日と違って、今日は演習だったので結構楽しくやらせてもらいました。
やっぱりただただ座って座学・講義を聴いているよりも、演習でいろいろとやってみる方が、眠くなりませんし楽しいですね。今日は最初に図形の伝達・カレーライスの作り方をやった後に、実習生の事前面接を想定したロールプレイ。あ、「図形の伝達」と「カレーライスの作り方」は、知らない人もいるかもしれないのであえてここでは内容を明かすことはやめておきます。この2つは事前に内容を内容を知るよりも、知らないでまっさらの状態でやった方が面白みがあると思いますので、ここで話すことは差し控えたいと思います。ちなみに、自分は図形の方は知っていたので知りながらやっていましたが、カレーライスはまんまとはまってしまいました。

それにしても、演習でいつもやる内容は、自分が指導者になった時に使えるものばかりです。
専門学校の時に先生が使った技法も、未だに覚えています。今回は自分が「受ける立場」の実習指導者講習会でしたが、自分が「指導する立場」になった時も使えるものばかりです。体験的に感じていることですが、やはり単純に話を聞いているよりも、実際にやってみることの方が身につきますし、理解も早いです。どんなにいい話を聞いても、やはり「経験」に勝るものはありません。(あ、ここで言う「経験」と言うのは、単に仕事に従事している・・・と言うことではなく、今日みたいな講習会や勉強会などでの「体験」の意味合いの方が強いです。誤解のないように・・・)

面接のロールプレイも、はっきり言えば自分がやった事のないこと。
でも自分が学生だったら・・・と言うことを考え、自分が学生だったときの立場に戻ってロールプレイをしてみると、意外と好反応でした。自分ではそんなに深く考えないでやってみたのですが、見る人が見ればそこにアセスメントのエッセンスが詰まっているみたいで、フィードバックを受けることで自分が「あぁ、そうなんだ。そういう風に使うこともできるんだ」と感じながらやったので、いざ自分が実習生を受け入れる時になった時のヒントにもなりました。もちろん昨日・今日の講習会を受けたからすぐに実習指導者になれる・・・なんてことは全然思っていません。これからが本番であり、実際に実習プログラムを立てることをはじめなきゃいけません。そのためには、まだまだ勉強することや経験すること、そして準備することも山ほどあります。でも今回の講習会はこれからの自分の「やりたいこと」を実現させるための大きな一歩になったことは間違えありません。今の仕事を覚えながら、将来的に、できれば早いうちに「実習生を受け入れる」と言うことを実現してみたいなぁ、と改めて感じた2日間でした。

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2009.03.07

こっくり、こっくり・・・

昨日は宴に遅くまで付き合ってしまいました。
結局昨日寝たのは2時。で、起床は7時半で・・・いつもより短い睡眠時間です。

で、研修と言うのは・・・前にもネタにした「社会福祉士実習指導者講習会」です。
Nec_0068

予定では昨日が添乗の早番だったので、宴までの時間つぶしに読もうと思っていたのですが、なんだかんだしている間に時間になってしまったため、結局読まずに研修に参加することに。予定より早く社事大についたので少しだけ読む時間があったけど、事前の精読は全然できていない状態。

そして開講。
今日のメニューは講義2時間+2時間+3時間の計7時間。でも当然、昨日の宴が響いて頭の中は空っぽ。
研修だから寝ないように・・・と思っていても、脳は正直です。眠くなる時に「ダメだ、ダメだ・・・」と自分に働きかけても、気がついたらボールペンを握ったまま落ちている状態。落ちているのに気づいて「あ、ヤバイヤバイ・・・」ともう一度息を入れなおすけど・・・やっぱり陥落。結局最初の講義は一体何だったのか・・・と言う状態で、頭の中に入らない状態。

さらに、2つ目の講義は講師の声が小さくて、まるで「子守唄」。
眠さもピーク。もし学生だったらそのまま寝ちゃっていると思いますが、もう社会人ですし、ましてや自分から希望して申し込んだ講習会。寝るわけにはいきませんが・・・やっぱり、落ちているんですよね。この講義も、レジュメにチェックは入れているものの、頭の中に入らず。

そのため、お昼は早々に食べて、仮睡。寝なきゃ・・・やっていけません。

そして、最後の講義。
2つの講義はpowerpointを使っての講義だったけど、この講義は講師の先生がうまくpowerpointを使えないとの理由で、レジュメだけを追いかけながら講義を聴くことに。最初のうちは講師の先生の声でなんとか耐えるものの、時間が経つにつれて・・・徐々に眠気も襲ってくる状態。で、気がついたら、やっぱり落ちているんですよね。結局、頭がまともに動いたのは、最後の1時間だけ。とりあえず「何をやったのか」はわかったけど、じゃそれが頭の中に入っているのか・・・と言われると、疑問。あー、ホント情けないです・・・((+_+))

明日は演習もあるから・・・今日は早めに寝ましょう。

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2009.02.08

正しい認識を

先日「何をかこうか忘れちゃった」と書きましたが、思い出しました。
書きたかったのは、生活保護のこと。ちょうどテレビで「生活保護のほうがお金がいい」なんてことを言っていたので、ちょっと誤解があるのかなぁ・・・と思い、取り上げることにしました。

すでに生活保護のことについては、「御岳の山」の時に取り上げているのですが、ここで改めて取り上げたいと思います。色々と改めて書くのも面倒なので、一部を抜粋しながら話していきたいと思います。

日本国憲法第25条には

・すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
・国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
という条文です。つまり私達は憲法によって人間的な生活をする権利(生きる権利)が保証され、また国がその為の必要な施策をすることが定められています。

ところが、もし私達が生存権を脅かされる事態になった時、一体どうすれば良いのか?
特に雇用不安が広がっている現在では、急な派遣切りなどで住むところすら困ってしまうという状況もあります。そこで出てくるのが「生活保護法」です。生活保護法の第1条では、「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を実現させるための目的が掲げられています。

生活保護法第1条
この法律は、日本国憲法第25条に規定する理念に基づき、国が生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行ない、その最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長することを目的とする。

生活保護法は、憲法第25条に基づき、その人が生きていくために必要な最低限度の国が保障すると共に、その人が再び自立した生活が送れるようにすることを目的としています。そして生活保護を行なうにあたって、4つの基本原理が定められています。

国家責任の原理
日本国憲法でも規定されているように、生活保護法は国の責任において生活困窮者の保護をすることを規定しています。

無差別平等の原理
生活困窮にに至った原因を問わず、生活保護の要件を満たせば無差別・無条件で保護を行なうことを規定しています。つまり、生活困窮の原因がリストラによる失業でも、怠惰による生活困難でも、生まれや育ち、性別を関係なく平等に保護を行なうことを意味しています。

最低生活保障の原理
日本国憲法でも規定されているように、生きていくために必要な最低限度の生活を保障することを規定しています。

保護の補足性の原理
生活保護法で1番重要な原理で、生活保護法では「最低限度の生活」を保障するもので、「最低生活」に足りない分について、生活保護法で保障する規定になっています。また最低生活を維持するために、持っているすべてを最大限活用し、それでも不足する部分について保護をすることになっています。また利用できる他法・他施策(児童福祉法・障害者福祉法・知的障害者福祉法・老人福祉法・母子及び寡婦福祉法など)を使っても最低生活に至らない場合に、生活保護が開始されます。このことからも生活保護法は、生活困窮救済の「最終手段」としての位置付けがあります。

この中で誤解を招きやすいのは、「生活保護になったら全部お金を払ってもらえるのか」ということです。
そのことを説明するのが「保護の補足性の原理」です。生活保護というのは、いろんな法律や制度を使ってもお金がない、あるいはその制度が使えないなど、どんな手だてを使っても生活を継続していくことが困難になった時に初めて使えるものなのです。ですから生活保護を受けるには、さまざまな審査があります。その中の1つが「資力調査(ミーンズテスト)」です。この「資力調査」とは、本当に今現在生活に困窮している状態なのかを調べるため、生活保護を申請した人の貯金や財産などを確認するものです。たとえば貯金がまだあるのに生活保護を利用しようとしても、「貯金がある」ということは現に生活に困っているとは判断されないので、貯金が無くなって初めて生活保護を受けられることになります。また車を持っている場合などは「車を売れば財産が発生する」との考え方から、原則として車(財産)を売却して生活を乗り切りなさい、という判断がされます。

ここで示したのはあくまでも代表的な事例であり、このほかにも収入など事細かに調査され、その上で「本当に保護をしなければならない」と判断されたときに、初めて生活保護を受けることができます。ただし、生活保護が決まればたくさんもらえるのか、と言ったらそうではなく、「生活保護に必要な金額」が支払われます。

この「必要な金額」を計算するのに用いるのが「生活保護基準額表」というものです。
これは毎年改定され、その表を元に「最低生活費」を計算します。そして資力調査で判明した資産(収入充当額と言います)が最低生活費よりも低ければ、そこで初めて生活保護を受けることになります。ただし、生活保護になった時にもらえる金額(扶助額と言います)は「最低生活費-収入充当額」の差額が貰えることになります。

具体的な例を「社会保障の手引」から引用すると、標準的な3人家庭(父・母・子)の場合、最低生活費は約18万円となります。この金額が生活保護を実施するか否かの基準となり、収入充当額が18万円よりも下回った時に生活保護が開始されます。つまり、生活保護を申請しても資産が約20万円あった場合は生活保護は適用されません。また資産が17万円だった時は、最低生活費よりも収入充当額のほうが低いので、生活保護の対象なります。しかし先ほども話したように、生活保護になったから18万円全部もらえるのか、と言ったらそういうわけではなく、「最低生活費18万円-収入充当額17万円=差額1万円」の計算から、最低生活費に不足する1万円が扶助(もらえる)ことになります。この部分を報道されていないため、「生活保護者はお金をたくさんもらっている」と誤解されているのかもしれません。

もちろん生活保護費は税金から賄われています。
そのため、生活保護を不正に受給した場合は保護の廃止や受給金品の返還、場合によっては刑法により処罰されることもあります。ちゃんと制度は「まじめにやっている人が馬鹿を見る」ような法律ではありません。また生活保護を受給すると、さまざまな指導を受けることになり、その指導に従わないと、保護が停止されることがあります。収入を得た場合も、ちゃんと申告しなければやはり保護の停止になることがあります。いずれにしても「生活保護」は最終手段であり、生活保護を受けた時はそれなりの管理がされることになります。だから生活保護が決しておいしいものである、というのは間違っていますので、その部分を誤解しないでもらいたいと思います。

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2009.01.27

何となく、もどかしい

うーん、何と言うか・・・あんまり今の時点で「支援論」を話すのは避けたいのですが・・・なんか、今日は支援論になりそうな感じです。

昨日、ふとした疑問から色々と利用者さんの情報を得た自分。
その情報を元に、今日はまたちょっと変えて接してみました。そのためか、多少は自分の話すことを受け入れてもらえたみたいです。でもやっぱり、まだまだだな・・・と実感します。

ただ、今日はそんなことよりも、今の支援について色々と感じることに。
一言で言ってしまえば、支援の内容がぶれているんじゃないのか、ということ。

1週間ごとに特定の利用者さんについて仕事を覚えており、今日も特定の利用者さんにつくことに。
でもその利用者さんの支援を見れば見るほど、自分の中では「どうなんだろう・・・」と思う部分が出てくる状態。もちろんここは「不特定多数」の人が見る場所なので詳しく話すことはできないけど、「社会性」と言う部分で考えることに。

今までの支援の経緯があって今の支援になっているのだと思うけど、今の施設の支援の原則は「~していただく」とのこと。なので、社会的に受け入れられない行為をした時も、「~していただく」とのこと。例えば物を投げたら、投げたものを「とっていただく」、意図的に水をこぼしたら「水を拭いていただく」などと言った感じ。もちろんこの考え方そのものに関してはまったく異を唱えるつもりはありません。「あ、なるほどな」と自分でも思った部分はありましたし、その考え方は大切だな、と思った部分もありました。

しかしその一方で「集団においての社会性」を重視しながらも、もっと大事な部分が忘れられているのでは・・・と感じる部分もあります。その一つが「衛生の保持」という部分。その利用者さんは、何でも「紙」であれば、自分の唾をつけて顔に貼ることをしている。最初にこの職場に入った時に「これは・・・いいんですか?」と聞いた時、この行為が彼の「精神的安定」の一部になっているので構わない、ということだった。ただいざ自分がその利用者さんと接してみたときに、「やっぱり違うかな」と感じたのも事実。色々と「社会性」ということを言いながらも、奇をてらった行為をすることは、果たして「社会性」という部分では疑問にならないのか、と感じた。さらにその方法も決して衛生的ではなく、自分の唾を使って紙を顔に貼るという行為も良いものか、と感じた。かといって、それを制してしまえば本人の「精神的安定」に支障が出る可能性があるので、今の時点で安易に自分がそれを制することは決して好ましくないことでもある。やっぱり今の自分は利用者さんをよく観察することが必要であり、何かをするのはそれからかな、と思っている部分もある。そう思って今日一日、利用者さんの目を見て観察をしていたけど・・・その利用者さんにとっての精神的な安定というのはどういうことなのだろうか・・・と感じることに。そしてその中で、もしかしたら今の支援はこの利用者さんにとっては精神的安定という部分ではあまり良くないのでは、と感じることに。

たしかに「社会性」を身につけること、その場にふさわしい行動をすることを身につけるのは大切なことである。
しかしそういった社会性を身につけるまえに、まず「個人」の部分ができなければ話にならないのでは、と思う。ここで自分は別に支援の順番を言おうとしているのではない。もちろん「個」の部分と「社会性」を身につけることは同時並行に行われていくべきものであるとも思っている。ただ、本人が精神的に安定をする状況になければ、社会性を身につけていくことも難しいのではないかと感じる。精神的に安定することで周囲のことに目を向けることができていくのではないか・・・と、経験は浅いながらも感じる部分がある。それと「衛生面」という部分でも、唾で何かをするというのは決していいものではない。いくら精神的安定と言っても、やっぱりその部分は違うのかな、と感じる部分がある。

ただ何度も言うように、まだ自分は経験が浅い。
この施設に来てまだ1ヶ月も経ってなく、今の時点で「支援論」を言うのはできれば避けたいと思っている。でも今日思ったことというのは絶対に忘れてはいけないと思う。「あの時、自分はこう感じた」というものがなくなってしまうと、本当の意味での「より良い支援」ということにつなげられないと感じる。だから自分は今でも学生時代の実習ノートや実習メモを捨てずにとっておいてある。それは自分が学生のころ・・・もっといえばまだ福祉のことを何も知らない時に感じた「新鮮な思い」というのを忘れてはいけないと思っており、自分が考えに迷った時はいつも実習ノートや実習メモを心のよりどころにしており、学生時代に一度戻ってみることにしている。そこで何か見出すことができるかもしれないし、もう一度初心に戻ることもできるのではないかと思っている。きっと今の自分には「学生の時に感じた、新鮮な思い」というものが必要なのだと思う。このもどかしい思いを、忘れずに数ヶ月後、数年後に思いだせるようにしていきたい。

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2009.01.16

「重度」ってなんだろう?

仕事、2週目終了です。まだまだ・・・と言ったところですが。

ところで、最近ふと「重度の程度」と言うのを考えることがあります。
もちろんきっかけになったのは、この施設で働き始めた時に「この施設は重度の方がほとんど」と言われたこと。

仕事を始めて2週間経ちましたが、仕事をしていると、改めて「重度って?」と思うようになりました。
自分もこの施設が4か所目、授産→デイ→作業所→生活介護と渡り歩いてきたわけですが、一言に「重度」と言っても、しゃくし定規にあてはめられないことがほとんどだと思います。

これはあくまで自分の中での基準ですが・・・今まで働いてきたところを見てみると、自分の中では軽度・中度→重度→様々→重度、かなと感じます。あくまでこれは自分の経験上のこと。ただ、「自分の経験からみた程度」と「その職場の経験者が言う程度」では、明らかにその差があるような気がします。

例えば今の施設に来るまで、今までで一番重かったのはデイサービスでした。
そのため自分の中では「デイサービス」を一番重いと考えているわけであり、必ずしも今の施設が「重度の人」とは言い切れない部分があります。もちろん、実際重度の利用者の方が多いのは事実であり、それは仕事をしていて感じることです。ただ自分がとらえている「重度」と言うのと、その施設で長く働いている人が言う「重度」では、違いが出てくることは明らかです。

さらに、「重度」と言ってもその障害特性は様々です。
重複障害を持っている、自閉傾向が強い、強度行動障害がある・・・など、多岐にわたっています。そのため重度と言うものを一概に一括りできず、そのため同じ「重度」と言っても、今まで経験してきたことによってその解釈は異なるものになります。この乖離を埋めることが必要になってくるわけでありますが、ここで「経験」と言うのを無視することが、良くも悪くも左右すると思います。

良い点で考えれば、「新しい支援の方向性」を見出す意味でも、今までの経験をリセットすることは意味を持ってくることだと思いますし、経験から得たカテゴライズに当てはめなくすることができます。ただ経験を無視してしまうと、今まで蓄積されていた「良い点」までもをなくしてしまう可能性があり、また無視させてしまうことで、「より良い支援」の幅を狭めてしまうことにもなりかねません。さらに「新しい風」が吹き込まれなくなり、支援の硬直性が出てくる可能性もあります。

そんなことを考えたとき、今まで当たり前のように使っていた「重度」とか「軽度」と言うのはどんな基準なんだろう・・・と自分自身に疑問を呈するようになります。簡単に「重度の施設にいました」とか「ここは重度の施設です」とか言うことに対して、「何が重度なのか」「どんな点が重度なのか」と言うことをしっかりとさせることが必要なのかな・・・と感じます。

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2008.11.27

社会福祉士実習指導者講習会

に、参加できるみたいです。
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以前本だけ届いた・・・という話をしましたが、今日ジムから帰ってきたら、1通のメール便が届いており、開けてみると、この案内が来ていました。申し込みをしてからずいぶん経っており、また本だけ先に来たことですっかり申し込んでいたことを忘れており、てっきりダメかと思っていました。思わぬところで講習会に参加できて、ラッキーです。

ところで「何故この講習会に?」と言うことですが・・・
一言でいえば、自分も「社会福祉士」を育成する立場になりたいな・・・という思いがあります。そのための1歩として、この講習会に申し込んだ訳であります。これまで社会福祉士の実習指導者には大枠の規定がありましたが、このほど実習指導者の要件が改められ定められました。その要件とは・・・

ロ 実習の質の確保と標準化を図るため、実習施設等において相談援助実習を行う実習指導者の資格要件について、社会福祉士の資格を取得後3年以上の相談援助業務の経験を有する者であって、かつ、実習指導者を養成するために行う講習会であって厚生労働大臣が別に定める基準を満たすものとしてあらかじめ厚生労働大臣に届けられたもの(以下「社会福祉士実習指導者講習会」という。)を修了した者とする。
(経過措置)
 ロの実習指導者については、平成24年3月31日までの間は、社会福祉士の資格を取得後3年以上の相談援助業務の経験を有する者を実習指導者とすることができることとし、社会福祉士実習指導者講習会は平成24年3月31日までの間に受講すればよいこととする。また、現行の実習指導者の資格要件の一つである、社会福祉主事として8年以上相談援助に従事した者、又は、実習演習教員講習会に相当するものとして厚生労働大臣が認める研修(社会福祉法人全国社会福祉協議会が行う実習指導者の養成のための研修その他の社会福祉士実習演習担当教員講習会に相当する講習会をいうものであること)の課程を平成21年3月31日までに修了した者を、当分の間、実習指導者とすることができる。なお、社会福祉士実習指導者講習会の要件等については、平成20年度後期から講習会を実施することができるよう、平成20年夏頃までを目途に関係告示等を制定する予定である。
(社援発第0328078 号(平成 20 年 3 月 28 日)より。)

平たく言えば・・・
①「社会福祉士実習指導者講習会」を修了した人だけが社会福祉士の「実習指導者」になれる。
②平成24年3月31日までは社会福祉士資格取得後3年以上の相談援助業務の実務経験をの人を実習指導者とすることができる。ただし、平成24年3月31日までの間に社会福祉士実習指導者講習会を受けること。
③当分の間、社会福祉主事として8年以上相談援助に従事した者、厚生労働大臣が認める研修の課程を平成21年3月31日までに修了した者も実習指導者とすることができる。

の3点が社会福祉士の実習指導者となることができる、との通達が出されています。
そして今回は、その「社会福祉士実習指導者講習会」の初めての開催となり、主催する日本社会福祉士会には申し込みが殺到した(実際には開催する都道府県社会福祉士会)、と言うのが現在の状態です。ですから自分もすっかり閉め切られてしまった・・・と思ったところに、今回の案内となったわけです。

まぁもっとも、今はこの講習会よりも「仕事」を見つけることが先な訳であり・・・
講習会も3月なので、講習会までには仕事を見つけたいものですね、ハイ。

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2008.11.24

メディアも同罪

ちょっと過激なタイトルと言うか、責任転嫁のようなタイトルになってしまいましたが・・・
いつも通り、母親の迎えから帰ってきて、母親がテレビを回していると、ちょうどTVタックルで外国人介護福祉士・看護師の話題に。VTRが終わった後、議員さんや政治評論家が色々と話をしていたけど・・・

えーと、自分は前から「待遇が悪い」という話はしていたと思いますが・・・
以前にも「福祉士の現状」として福祉職の平均年収は他の職種の平均年収に比べて低い、と言うことを触れていました。このことは別に今に始まったことではなく、前々からわかっていたと思うことなのですが・・・

ただこの問題、議員さんや官僚だけではなく、メディアの責任もあるのではないか・・・と感じます。
メディアが全く取り合えげていない、と言うつもりはありませんが、あまりにもメディアの関心が低いのではないか、と感じます。(ただフジテレビは結構頑張っているような気がします。)たしか郵政民営化の問題で衆議院が解散になった時も、ここでは触れたのですがメディアでは郵政民営化のことだけで、障害者自立支援法のことを触れるメディアはほとんどありませんでした。

そして今回の外国人福祉士・看護師の問題。
やっぱりこのことを積極的に触れるメディアは少なく、一般企業に比べ福祉業界の給料が低いこともあまり知られていない状態。自分はまだ「勉強してとった資格(=社会福祉士)なんだから・・・」の気持ちを持っているので、まだ福祉の世界から離れるつもりはないけど、将来的にどうなるかは自分でもまだわからない状態。もしかしたらこの世界を離れているかもしれないけど、その理由の根本になるのは、やはり収入の問題になると思う。

この状態が続けば・・・きっと、福祉の崩壊も時間の問題になると思う。
社会福祉の歴史を紐解けば「慈善」から始まっており、今の福祉もその考えが全くなくなったわけではないと思う。また日本古来の土壌である「福祉は賜り物」の考えがまだ根強く残っていることも背景にあると思う。ただ、介護保険法や障害者自立支援法など、1割負担や規制緩和による競争原理を導入しならが、肝心の待遇に目を移すと全く変わっていない。変わっていないどころか、悪くなっている部分もある。「聖域なし構造改革」を声高に掲げながら、現状は悪くなっているのが実態。果たしてこれが「構造改革」の結果なのだろうか?

そしてその結果に対しては、メディアは検証をしたのだろうか?
規制緩和することを積極的に報道しながら、その検証はなおざりになっていないだろうか?検証が行われなければ、メディアも同罪ではないかと思う。政治も官僚も、作るだけ作っておいて後はしらんぷり・・・にしているのを、メディアが何も言わないのは、政治家や官僚と同じ「同罪」なのではないか、と思う。

ホント、メディアで時々福祉のことに触れることがあるけど、みんなどこまで「本気」なのかわかりません。
ホントに必要だと感じているなら動いているはず。なのに、一向に動く気配のない政治。口ばっかりの政治家が政治家なら、それを知らんぷりするメディアもメディアです。すべてのことを政治のせいやメディアに責任を押し付けるつもりはありませんが、もしやるならきちんとした形でやってほしいですし、ちゃんとした形で取り上げて欲しいものです。

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2008.11.03

知らない方が支援しやすいのか

今夜、「カンブリア宮殿」を見てのこと。

いや、普段は見る番組じゃないけど、たまたまチャンネルを合わせたら「障害者雇用」のことに触れており、ちょっと関心をもったので見てみただけのこと。途中からみたので全部の内容は知らないけど、ホームページなどで色々と調べていくことで、何のことなのかを大筋で理解できた。

まぁよく言う言葉で表すならば「パラダイム的転換」ということなのであろうか。
色んなメディアを見ていると、障害者雇用・・・というか、障害者の現実の問題に関しての理解が深いのは、実は福祉関係者ではなく、まったく福祉とは縁のないところから関心をもった、というのが真実なのかもしれないと感じた。今回の企業も最初は「体験だけだから・・・」と思って職場実習をしてみたら、実はその特性を見出して雇用が成功していったという事例だった。もちろんそこに福祉のことや障害などの見識がある人は誰もおらず、初めて接してみてわかったから、そこで初めて理解が生まれ、現在に至っているとのこと。

どうしても福祉関係者が考えると、「就労」というのは非常にハードルが高いように感じる。
事実、ハードルが高いのは間違えないし、我々で言う「一般就労」に結びつけるにはかなりの時間を要することは様々な事例から明らかである。

ただ、今日の番組を見ていて、福祉のことを知っている人よりも知らない人の方が、実は福祉のことを理解しているのではないだろうか、と感じた。もっといえば、余分な「偏見」がないからこそスムーズに流れているのかな、と感じた。
ここで言う「偏見」というのは、差別のことではなく、学問的・実務的に福祉に傾斜した見方をしていないことを言っている。こんな発言をするのは不適切かもしれないが、我々人間は自分と異なるもの・・・ここでいえば「健常者」から見た「障害者」という異質な存在を受け入れる一歩に「偏見・差別」というのがあることは、どんなに綺麗事を言っても「絶対ない」とは言い切れないことであると思う。実際、既出の企業も最初は障害者の雇用をしてこなかったが、実際に障害者を職場に入れたことでそこにあった「偏見」が解消され、雇用につながった。

「偏見」というのは何も雇用の場面だけでなく、日常生活の場面にも同様にあると思う。
その中で今回は「雇用」という問題に着目して話が進められてきたのだが、このような番組を見るたびに、現場で社会へのマッチがうまくいかないと言っているのは、結局「社会を的確に理解していない」からこそ起きているのかなと感じている。例えばここで出た「就労」の問題も、施設という場に留めてしまうがためにそこから先の一歩が出ることがなく、結果的にその機会を専門職が奪ってしまっているのではないかと思える。どうしても施設の場合は障害者の評価を知らず知らずのうちに低く評価し、その評価がスタート地点にあるから前になかなか進まないのかな、と思う。一方、施設にいることを知らない人が障害者と初めて接しいざ現場スタート・・・となった時、その人は障害者が持っているバックボーンを知らないため、「ゼロ」からのスタートとなっている。

「ゼロ」からスタートするのと「マイナス」からスタートするのでは、支援に大きな差が出る。
例えば私が特別支援学校(旧養護学校)の生徒さんの実習をスタートするに当たっては、事前に調査書等の資料を元に、何が得意で何が苦手なのかを知ってからスタートする。そこで得意なことを知るのはプラスになるかもしれないが、苦手なことを知ってしまうと、ともすればその生徒のマイナスを克服することを避けてしまうことになるかもしれない。いわゆる私たちが「QOL」の視点に立つのは、弱点を補うのではなくプラスを伸ばす、という視点であり、そんなことを色々考えながら支援しているのが現実ではないのか、と感じる。

でも本当のところはそんな学問的な考え方は後から付いてくるものであって、実際に行動してみることが本来的なのかもしれない。結局我々は変に福祉のことを知ったり勉強したり、あるいは経験で身についてしまっているがために「福祉的視点」で物事を見ることをスタートしているのではないかと思う。でも実際に就労に至ったケースを見ると、必ずしも福祉的な発想ではなく、ごく一般的なスタートラインに若干の配慮をしただけのパターンが多いのではないかと感じる。つまり、変に何かを知ってやっていくのではなく、逆に何も知らないでスタートした方が、もしかしたら真の「支援」という意味では良いのではないか、と感じる部分がある。
福祉の世界に従事する私も、もっと「世間的発想」を身につける必要があるのであろう。

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2008.09.24

受け止めてあげる「心」

何にしようか考えましたが・・・今日のことをネタにしたいと思います。
前にも同じようなことを書いたかもしませんが・・・同じ内容ならゴメンなさい。何しろ、もう数え切れないほどの記事数なので・・・

最近・・・というか、今の作業所に来てからよく使う言葉である「構ってオーラ」と「ネタ」。
今日も1人、なんとなく構ってオーラを出している利用者さんが。それも他の部屋から自分のことを見るように。何となく薄々は感じていたのですが、今とり急いで構うようなことでもないと思っていたので、視線を感じつつもスルー。すると、休憩時間中にそろーっ・・・とやってきて、自分に対して些細な愚痴を。まぁいつものこと・・・と思いつつ、とりあえず話を聞いて流すことに。

今日は職員会議のため作業は午前中だけで、お昼を食べてからの帰宅。
ただ、お昼を食べ終わった後も自分のところにきて、何か「構って」と言う感じ。このとき「大」をもよおしていたのでトイレに行きたく、なんとなく遊んでいる感じもしたので、ここではスルー。ところが自分がトイレから戻ってきて作業部屋に戻ろうとすると、利用者さんから強引に引っ張りだされて、外のベンチへ。ここで「構って」ではなく、小爆発。

どうも今までのことが積もりに積もって、それが耐えきれなくなった様子。
また色々と「イジワル」をされているとのこと。そのことを「ネタ」に、自分を捕まえて、利用者さんが帰った後も延々と自分に話す状態。と言っても肝心の「じゃ、どうしたいの?」ということに話が及ぶと、いま一つその辺が明らかにならない状態。もちろん他の職員さんは休憩に入っているけど、自分は捕まってしまったので、休憩が取れない状態。話の折を見て「本当に何とかしたいならば、真剣に係長に話をしてみたら?」と提案。で、そのまま係長にパス。自分は横で話を聞いているだけ。まぁ話している内容は自分に話したことをそのまま係長に話しているだけだから、特に進展はないのですが・・・

結局、利用者さんの対応をしたために、休憩はほとんどとれなかった状態。
ただ午後の職員会議の中のケース検討で、今回の事例が出ることに。確かに今日のことは「ネタ」と言ってしまえばネタだろうだけど、決して利用者さんが言っていることが「ウソ」ではないと思う。若干話の内容を誇張している部分はあるかもしれないけど、やっぱりそこに至るには我慢して積もりに積もったものがあふれ出してしまい。どっかでそのことを発散せずにいられない状態になったのだと思う。

よくここでも言っていることなのですが、「ネタ」と分かっていても、受け止めてあげる必要はあるんですよね。
もちろん時と場合、状況に応じて対応の仕方は変わってくるのだと思いますが、今日の場合なんかは「ガス抜き」が必要なことであり、その思いを受け止めていくことが必要だったのかもしれません。「ネタ」と分かっていても受け止めてあげる心、係長の対応を見ていて、改めて大切かな・・・と実感しました。

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2008.09.09

「個人の平均」ではなく「全体の平均」

今週もお掃除当番。遅出の出勤です。

作業所に着いて今日の配置を確認した後、新しい作業が入ったので部材を取りに行くことに。
それと合わせて、前日の清掃の引き継ぎを。軽く流せば・・・と思っていたものの、細かくなってしまうことに。

話題は、利用者さんの掃除について。
ある利用者さんは手を抜いて、ある利用者さんには一通りできるようになってほしい・・・とのことで色々と引き継ぎをしたけど、その中でも自分の意見を色々とぶつけることに。

手を抜いて・・・の利用者さんは、自分からは「それほどでも・・・」という印象。
まぁたしかに作業に身が入らないことのある利用者さんだけど、清掃に関しては自分が当番のときはちゃんとやっているかな・・・という評価。「色々とこだわりが・・・」って言うけど、自分の中では「害」になるこだわり(結果的にマイナスになってしまうもの)じゃなければ、それくらいは黙認をしてもいいかな・・・と思っている。その「こだわり」の根源をたどると、自分自身を認めてほしいというものであることが分かっているので、本当にダメな時はちゃんとその理由を説明してやめてもらっており、そうじゃなければ別に気にせず、というのが自分のスタンス。あわせて、「褒めて伸ばす」ことも実践。

そしてもう一人の一通り・・・の利用者さんに関しては・・・そこまで要求しなくていいかな、という感じ。
たしかに全員の利用者さんが一通りどこに入ってもできる状態になることはとても望ましいことだし、全体のことを考えればそれは望ましい形。でも現状を考えると、清掃開始からずーと清掃に携わっていながら、結局は職員の見守りが必要な状態、ということは、悪い言い方をしてしまえば「その程度の能力」とみなせてしまう。そうすると当然「できる人」と「できない人」の二極化になってしまい、その差が大きくなってしまうことに。

でもこの「差」を無理に埋める必要はないかな・・・というのが自分の考え。
たしかに「能力差」があることは事実だし、それは清掃だけではなく作業全体でも同じことが言える。例えばいつもやっているショッピングバックを例に考えれば、すべての工程ができる人がいれば、ひも通ししかできない人もいる。他方で口板入れは苦手だけどひも結びは丁寧に仕上げてくれる利用者さんもいる。すべての人がすべてできるわけではなく、その人の能力に応じて作業ができるのであり、結果として1つの「製品=ショッピングバック」が完成しているのである。

そのことは清掃の作業でも同じことが言えるのであり、トイレ掃除や掃除機は苦手だけど拭き掃除はすべて任せられる、と言う人だっている。であるのなら、無理に苦手なものを育てていくのではなく、できる作業をできる範囲で任せていくこともあってはいいのではないか、と思う。一人ひとりが「平均値」にたどり着くのではなく、結果として全体的に「平均値」にもっていければいいのであって、その人の得意なところを活かしていくことが大事なんじゃないかな・・・と考えている。自分が「差を埋める」ことにこだわらないのも、その理由の1つ。

もちろん職員もたくさんいるから、職員ごとにその考え方は違ってくると思うけど、1つの考え方としてそういうものを持っていてもいいんじゃないのかな、と思いながら、日々清掃をしています。

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2008.07.30

「ネガティブ」ではなく「ポジティブ」で

月一定例の職員会議。
今日は何故か送迎添乗の指名を受けて、添乗することに。別に自分である必然性を感じなかったけど、職務命令なので、ただ従うだけ・・・

会議では次の行事に関することと、作業所移転のことについて。
作業所移転のことに関しては、とりあえずここでは触れないことに。いや、先日保護者会があり、既にそこで報告されたこともあるので隠さないでも構わないのだけど・・・いや、不用意なことは言わないほうがベターかな・・・と思って、ある種の「自主規制」でありますが・・・

最後に、ケース検討へ。
話題に上がったのは、ある利用者さんに関して。この件には係長がちょっと絡んでいて、係長が特定の利用者さんを持ち上げるがために、また別の利用者さんのフラストレーションを溜めさせている状態に。そのことについて、自分を含め他の職員も「ちょっとやりすぎなんじゃないの?」との意見が。ただ、係長の考えは「もう少し盛り上げさせてあげたい」とのこと。

というのも、この利用者さんは時に他の利用者さんに他害が向かう可能性を持つ利用者さん。
次やったとき(他害をした時)は退所・・・とまで言われている利用者さんであり、作業所の中でも他の利用者さんとの接触がかなり制限されている利用者さん。どちらかと言うと、周りの目は「事なかれ」的にみている状態。もっといえば、過剰に輪を掛けている利用者さんの一人かもしれない。

ただ、その部分に関して係長は「とかく自己アピールが難しい状態で、アピールとなると他害や粗暴という形でしか表わすことができない。だからこそ、温かく見守って、いい意味で盛り上げてあげたい」とのこと。確かに「自己主張」という意味では、決して上手とは言えない利用者さん。そのため、その形が悪い方向でしか表わせられない、というのが正直なところ。だからこそ、そういう形ではなく良い形で、職員から拾い上げて存在を認めていこう、というのが「盛り上げてあげたい」と言うところの主旨。

そう言われれば、確かに「そうだな・・・」と感じる部分も。
この事例に関係なく、自分たちが「ケース(事例)」としてあげることは、どちらかと言うと「否定的」な部分に目が行きがち。事実、ケース記録も「良いこと」よりも「悪いこと」のほうが注目されがちで、記録内容もその方向に偏ってしまう。ただ、ここで見方を変えて、肯定的・プラスとなるような評価をしてあげよう、というのが係長の言いたいことなんだろうな・・・と自分なりに解釈している。この意見に異を唱える職員さんもいるけど、自分としては「あぁ、なるほどね」と納得している部分のほうが大きいかも。「悪い所を直す」のではなく「良いところを延ばす」という視点に立ちましょう、ということなんだと思う。

この仕事に限らず、人間って「良いところ」よりも「悪いところ」のほうが目につきやすいと思う。
だから粗探しとなると、どんどん目につきやすくなってくると思う。なかなか長所に目が届くのは時間がかかることだと思う。悪いところばっかり見るのではなく、良いところを見つけてあげるという、広い意味での「QOL」の向上をしていくことが、今までの視点に欠けていたのかな、と感じる。だからこうやって提起されることで、気づきをさせているのかもしれない。

ここで「QOL」とう言葉を使うことが妥当かどうかはまだ議論の余地があるかもしれないけど・・・
ただ、こうやって提起させられるということは、やっぱり伊達に「係長」の名が飾りだけじゃないんだな・・・と改めて実感しています。普段は何をやっているのか・・・とか突拍子もないことを言い出したり、今日なんか業務命令で本来しなくてもいい添乗をした挙句に、帰ってきてから他の職員が休憩している中で「掃除しろ」なんてふざけたことを言ったりして「ふざけんな・・・」と思うこともありますが、やはり肝心なところは上に立つ者としての器をもっているんだな・・・と改めて実感しました。

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2008.07.27

「怠惰」の代償?

先週に、こんなものが送られてきました。
Sany0003

送り主は、社会福祉振興・試験センター。
自分たちが関係するのは、社会福祉士などの福祉士に関しての試験や登録などに関してのこと。だから受験する時と合格して登録する時以外はあまり関係の持たないところだけど、そんなところからの郵便。

で、内容を見てみると、登録事項に関しての現況調査とのこと。
ただ、目的はどうもそれだけではなく、こんなことに関しても調査をしたいらしい。

Sany0002

別紙もあり、読んでみるとこんなことが。

 さて、現在の我が国においては、少子高齢化の進行、世帯構成の変化、国民のライフスタイルの多様化等により、今後、国民の福祉・介護サービスへのニーズの拡大が見込まれ、多様化・高度化するニーズに適切に対応していくことが求められています。  一方、近年の景気回復に伴い、他の分野での採用意欲が増大する中、福祉・介護分野においては離職率が高く、恒常的に求人募集が行われているなど、一部の地域や事業所では人手不足が生じているとの指摘もあります。  今後、高齢化がさらに進行することが予想される中で、福祉・介護分野は最も人材確保に真剣に取り組んでいかなければならない分野であり、福祉・介護の仕事が働きがいのある、魅力ある職業として社会的に認知され、今後さらに拡大が見込まれる・福祉・介護ニーズに的確に対応できる質の高い人材を安定的に確保していくことが、今や国民生活に関わる喫緊の課題となっています。  厚生労働省においては、こうした状況に対応し、質の高い人材の安定的な確保が図られるよう、昨年8月に「社会福祉事業に従事する者の確保を図るための措置に関する基本的な指針」を見直し、労働環境の整備の推進やキャリアアップの仕組みの構築、資格を取得しながら福祉・介護分野で働いていない方々など、潜在的なマンパワーの活用の促進等の取り組みを進めていくことにしています。  財団法人社会福祉振興・試験センターが行う3福祉士の「現況把握調査」は、この指針に掲げる取組の一環として、有資格者の福祉・介護分野に行ける就労・不就労の状況、福祉・介護分野における就労に対する意識等の現状を把握し、今後の人材確保対策に反映させていくことを目的とするものであり、厚生労働省が委託して行うものです。

この件に関して、すでにmixiでも反応が出ています。
内容は「何を今更・・・」というものであり、それに対していろいろな反応があります。いわば、今まで「タブー視」されてきたことに関して、今回この手紙が届いたことで、一気に不満や思いが爆発した、と言っても過言ではないと思います。

まぁこの世界の待遇や現状などについては、過去にこのblogでも何度か取り上げてきました。
その時の論調は基本的に「自分がもっと頑張らないと・・・」というスタンスのほうが多く、社会批判という側面は薄いものでした。どちらかと言うと「物言わぬ人間」という立場だったかもしれません。

ただ、そんないろんな議論の感化を受けてか、自分の中の1つにも「今更動くのかよ・・・」という思いも。
福祉の世界の待遇の悪さは、自分でもわかっている。とはいえ、自分は「福祉以外」の仕事をしたことがないため、何がスタンダードなのかはわからないけど、世間一般では「待遇が悪い」と言われていることは実感している。事実、今も「非常勤」という不安定な身分に立っており、資格を持っているのにもかかわらず薄給で雇われている状態。なのに、仕事の内容は正職とあまり変わらない。そう感じると、「こんなに頑張っているのに・・・」と思ってしまう。そのうち、この世界に「諦め」をもつようになり、福祉の世界から離れる・・・というのが今の現状だと思います。

まぁ自分は何度も言っているように「天職」と思っているので、相当なことがない限りこの世界を離れることはないと思いますが・・・ただ、それと「お給料」はまた別問題で、死活問題でもあります。いくらこの仕事が好きだからと言っても、とんでもない給料の場所では働くことはできません。まだ今は独身ですからあまり気にしなくてもいいかもしれませんが、いざ結婚して子どもを持つようになれば、やはり求めるものは変わってくると思います。また20代前半と40代で同じ仕事ができるか・・・と言ったら、そこにも疑問はあります。やはり「自分の福祉」のことを考えずに他人の福祉なんてできませんからね。

もちろん自分たちが何らかのアクションを起こさなければならないのだと思います。
だから国に頼っていては、自分たちの福祉がなりゆかなくなってしまいます。もしかしたら今、遅すぎますが福祉士は立ち上がらなければならない時期に来ているのかもしれません。

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2008.07.22

理屈と「非」理屈

今日の仕事中のこと。
今日は清掃当番だったので、遅出。で、お昼の時間になり、お弁当を並べていると、男性利用者さんがなんだか自分のことを触っている。まぁ別に変な状態でもなかったので、あまり気にもせずそのまま放置。

そして仕事中のこと。
納品する袋を折り曲げていたので何気なく「○○さん、折らないでねぇ~」と言うと「は~い。」との返事。ただ、折ることをやめていない状態。続けて「お願いだから、折らないでねぇ~」というと、またまた「は~い、わかったぁ~」の返事。だけど・・・折るのをやめない状態。というか・・・よくよく見ると、こっちの様子をうかがっている状態。

その時は仕事中だったため、とりあえず注意だけしていた状態だったけど、清掃が終わって自宅に帰る車の中でちょっと一考・・・「なんで様子を見ていたのかなぁ・・・」

なぜに今日こんな話を出すのかというと・・・
実はmixiの中で「叱り方」ということに関して「まず何故なのかを考える」というのを盛んに目にした覚えがあり、ちょっと触れようと思ったのです。きっと数年前の自分だったら色々と「理屈」をこねていたかもしれません。

じゃ今は考え方が変わったのか・・・って、別に変ってはいません。
ただ「理屈の時間」を考えるようになりました。その場で「理屈」を通す場面なのか、そうではないのかということを。

極論を言ってしまえば、便失禁をした利用者さんに「何故失禁するのか・・・」なんてことを考えるよりも、まず先に「失禁した」という事実に対しての対応をしなければなりません。こんなこと、当たり前ですよね。今、その場で便失禁をした利用者さんに「なんで失禁したんだろう・・・そうすればしないのかなぁ・・・」なんて考えるよりも、「便失禁」に対応することが「今やるべきこと」ですよね。失禁してしまったら、お尻を拭いてパンツを交換する、というのはだれでもすることですよね。「便失禁しています。どうしましょう?」という質問に対しての答えは、1つしかありませんよね。

あくまでも今のは極論。実際の現場では自傷他害や問題行動などが議論の中心になると思います。
今回の「折る」というのもその場における1つの「問題行動」であります。ですからその行動に対して「どうしてやってしまうのか」ということを理屈に沿って考える必要はあります。ただ、それを考える時間が「今」なのかは十分に考えなければいけないと思います。今ここでとやかく考えるよりも、まずは「やめさせる」ことを考えるのが第一ではないのか、と思います。「どうして・・・」の部分は今ではなく、その次の段階。ひと段落した後に検討したり、あるいはケース検討・ケース会議などで討議するのが筋なのかな・・・と思います。ここでいうことは別に屁理屈ではありません。ただ、この時点での理屈には沿っていないと感じるので、自分はあえて「非理屈」と呼ぶことにします。

「屁理屈」と「非理屈」は違います。
現場では理屈抜きでいかなければいけない部分もたくさんあります。理屈だけで通れば、専門家なんていりません。理屈じゃ通らない部分があるから、専門職や専門の知識が必要なんだと思います。まずは「現実に起きていること」に対処してから、理屈を考えるべきなのかな・・・と感じます。

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2008.07.10

ともに支える

久しぶりに「福祉ネタ」になるのかなぁ・・・と思い、何となく取り上げてみます。

前にも話した「連絡ノート」の存在。
色々とたくさん書いてきてくださるご家庭があれば、特に何も書かず必要最低限のことだけを伝えるご家庭もある。こんな話をするのはあまりよくないかもしれないけど、やはり何でもいいから書いてくださるご家庭のほうが「書きがい」としてはあるのは事実。振れば反応があるし、それがコミュニケーションの一歩につながるから、どうしても「書いてくださる」ご家庭にはより丁寧になってしまうのが本音。

そんな連絡ノートですが、中には保護者の方の悩みが書かれていることもあります。
今日もそんなノートに出会い、読むことに。もっとも、昨日今日と作業が忙しく、なかなかゆっくりと連絡ノートが読めない状態。朝時間通りに来ている利用者さんならともかく、他の部屋の利用者さんや遅れてくる利用者さんの場合は、どうしても後回し、あるいはノートを書くときになってしまう。今日もそんな状態でノートを開いたら、ノート両面にみっちりと保護者の方が書かれた文が。大体利用者さんのノートはどのくらい書いてきてくれるかがわかっているので、一見するだけで今日は多い・少ないと言うのはすぐに読み取れる状態。で、今日は一見して「多いな」と思ったので、時間がなくても丹念に読むことに。

でもこういうノートは正直、難しいですね。
今自分の作業部屋は自分が一番キャリアが長いため、難しい文例には自分が対応している状態。ただ、キャリアが長いといっても、自分だって4年程度のキャリア。授産時代から連絡ノートは書いていますが、やはり言葉1つ1つに気を使います。言葉を選びながら慎重に、でもしっかりとしたことを書くようにしています。とはいえ、その内容が「親子関係」に類するものになると、いつも以上に慎重になる状態。自分はまだ結婚もしていないし子どももいない。ましてや子育てなんかしたことないから、どう考えても自分の言葉に「重み」がないのは事実。それでも「専門的見地」と言う立場上、それに対峙していくことは避けては通れない。だから色々と文面から想像して、1つ1つ丁寧に拾い上げて保護者の方の「心の声」を聞いて、そのことをありのままに受容して、共感する姿勢をもちながら、「ともに支える」と言うことを伝えていくのが、自分ができる精いっぱいのこと。

「一番の理解者は親」と言う言葉があるけど、どんなに長いキャリアを持っている職員でも、保護者には勝てない部分がある。
それが「支援」や「理解」と言う部分で、本来は勝っていたいけど現実としては勝れない事実。それは子どもを生んだときから今この時間まで一番身近にいる存在であるのが「親」。だからどんなに頑張っても「親」を超えることはできず、その子のことを一番理解しているのは親である。でも「親」であっても、時には理解できないこともある。そのときに手を出す存在として、自分たちのような専門職がいるのだと思う。困ったときのSOSサインをつぶさに読み取って、そのSOSにいつでも対処できるような体制をとっておくべきなのだと思う。日々の状態を把握して、いつも気にかけていなければ「SOS」に気づくことができない。些細なこと・何気ないことでも気にするようになれば、ちょっとした変化もわかるようになるはず。だから「親に近い存在」になることが、職員として求められる部分なのかもしれない。

なんだかまとまりのない文章になっちゃったけど、大事なのは「ひとりじゃない」ということを気づかせてあげること。
いつもどこかに自分たちのような存在がいること、一人で抱えてしまうのではなく、みんなで支えていく体制があることを伝えていくことが、必要だと思う。今日のノートにもそんなことを書いた。保護者の方がたくさん書いてくださったから、その思いに応えるためにも自分もいつもより長く書いている。それが「共感」の第一歩につながると、自分は信じています。

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2008.05.25

「必要最低限」の範囲

Yahooニュース「生活保護の通院交通費打ち切りも…読売調査に30都道府県」

 生活保護受給者に支給される通院交通費を巡り、北海道滝川市の元暴力団員が約2億円を不正受給した事件を受け、厚生労働省が打ち出した新たな支給基準に、自治体の間で困惑が広がっている。
 読売新聞の取材に、30都道府県が「支給打ち切りの受給者が出る可能性がある」と回答。「事実上の保護費切り下げ」との指摘も相次いだ。これまでは多くの自治体が電車代やバス代を払っていたが、新基準は、やむを得ず高額になる交通費に支給を限定しているためだ。受給者からも「生活が圧迫される」と不安の声が出ている。
 通院交通費の基準はこれまで「最小限度の実費」とされているだけで、支給するか否かの判断は自治体に任されてきた。滝川市の事件を機に不正受給を防ぐため、厚労省が先月、自治体に通知した新基準は、支給範囲について、〈1〉身体障害などで電車やバスの利用が難しい場合のタクシー代〈2〉へき地等のため、電車やバスで最寄りの医療機関に行っても高額の交通費がかかる場合--などに限定。原則、福祉事務所管内での通院が対象で、7月から本格導入される見込みだ。
 同省保護課は「どの程度、支給するかは自治体の判断」としつつ、「高額ではないバス代や電車代は、(生活保護費として支給している)生活費の中で賄ってほしい」とする。
 新基準について今月、都道府県に聞いたところ、支給打ち切りや減額のケースがあり得ると回答したのは、北海道や東京都、大阪府など30都道府県、「検討中」は13県。「これまでと変化はない」は4県だった。自治体間で現在の支給実態に開きがあることが、回答の差になって表れたとみられる。
 新基準では、「へき地等」「高額」の判断基準がはっきりせず、多くの自治体が明確化するよう求めている。東京都などは同省が明確な基準を示すまで従来通り対応するとしている。
 自治体担当者からは「不正受給でもないのに支給を打ち切るのは説明がつかない」などの指摘が多い。「国は現場の意見を聞かないで進めている」「『交通費がないから病院に行かない』となるのが一番怖い」といった意見もあった。
 東京都内の福祉事務所の職員は「電車賃やバス代がだめなら、現在の8~9割は支給できなくなるのでは」と話す。生活保護の支援団体からも厚労省への見直し要請が相次いでいる。
 同省によると、2006年度、延べ約130万人に43億円余の通院交通費が支給された。(読売新聞)

2日連続のニュースからです。
昨日は後期高齢者医療制度に関して生活保護法の一部を引用しての紹介でしたが、今回はその生活保護法に対してです。

生活保護法、今までの流れでは福祉事務所の裁量で行われていた部分があります。
また現在行われているかはわかりませんが、「自立の助長」と考え本来であれば認められないケースを目をつぶる、と言うことも昔はあったとのことです。

さて、今回の問題では生活保護法における「医療扶助」と呼ばれるものです。その医療扶助の内容について、生活保護法では次のように定めています。

 (医療扶助)
 第15条 医療扶助は、困窮のため最低限度の生活を維持することのできない者に対して、左に掲げる事項の範囲内において行われる。
  1.診察
  2.薬剤又は治療材料
  3.医学的処置、手術及びその他の治療並びに施術
  4.居宅における療養上の管理及びその療養に伴う世話その他の看護
  5.病院又は診療所への入院及びその療養に伴う世話その他の看護
  6.移送

また「医療扶助」の実施方法についても、次のように定めています。

 (医療扶助の方法)
 第34条 医療扶助は、現物給付によつて行うものとする。但し、これによることができないとき、これによることが適当でないとき、その他保護の目的を達するために必要があるときは、金銭給付によつて行うことができる。
 2 前項に規定する現物給付のうち、医療の給付は、医療保護施設を利用させ、又は医療保護施設若しくは第49条の規定により指定を受けた医療機関にこれを委託して行うものとする。
 3 前項に規定する医療の給付のうち、あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゆう師等に関する法律(昭和22年法律第217号)又は柔道整復師法(昭和45年法律第19号)の規定によりあん摩マッサージ指圧師又は柔道整復師(以下「施術者」という。)か行うことのできる範囲の施術については、第55条の規定により準用される第49条の規定により指定を受けた施術者に委託してその給付を行うことを妨げない。
 4 急迫した事情がある場合においては、被保護者は、前2項の規定にかかわらず、指定を受けない医療機関について医療の給付を受け、又は指定を受けない施術者について施術の給付を受けることができる。
 5 医療扶助のための保護金品は、被保護者に対して交付するものとする。

今回問題になっているのは、この「移送」の部分に関わる「金銭給付」の問題です。
実情として、医療扶助においては金銭給付が伴わないのがほとんどですが、場合によっては当然公共交通機関を使うこともあります。その点に関しては今回の支給基準が出される前から認められていたものです。ただ今回大きく問題になったのは、あくまで「常識の範囲」を逸脱した保護があったことが問題になっているのであると思います。

生活保護法には具体的な保護の実施方法のほかに、次のように「指導・指示」と言うものがあり、被保護者はこの指示に従う義務があります。

 (指導及び指示)
 第27条 保護の実施機関は、被保護者に対して、生活の維持、向上その他保護の目的達成に必要な指導又は指示をすることができる。
 2 前項の指導又は指示は、被保護者の自由を尊重し、必要の最少限度に止めなければならない。
 3 第1項の規定は、被保護者の意に反して、指導又は指示を強制し得るものと解釈してはならない。


 (指示等に従う義務)
 第62条 被保護者は、保護の実施機関が、第30条第1項ただし書の規定により、被保護者を救護施設、更生施設若しくはその他の適当な施設に入所させ、若しくはこれらの施設に入所を委託し、若しくは私人の家庭に養獲を委託して保護を行うことを決定したとき、又は第27条の規定により、被保護者に対し、必要な指導又は指示をしたときは、これに従わなければならない
 2 保護施設を利用する被保護者は、第46条の規定により定められたその保護施設の管理規程に従わなければならない。
 3 保護の実施機関は、被保護者が前2項の規定による義務に違反したときは、保護の変更、停止又は廃止をすることができる。
 4 (省略)
 5 (省略)

「生活保護」はあくまで「自立の助長」が目的でありますが、その一方で状況に応じてはある種の「強権的」な部分もあります。ですので今回のケースも本来であれば上述の条文どおりに指導をした上で保護の停止などの措置を取ればこのような問題にならなかったのではないか、と思います。また被保護者の背景には「暴力団」という存在があり、生活保護を開始するに当たっては暴力団との絶縁を確認できなければ保護を実施しない等の通知(実際に「保護を実施しない」と言う旨は書いていないが、警察などと連携し徹底した調査を行う旨は書かれている)が出ています。

話は話は少し逸れてしまいましたが少し逸れてしまいましたが、法外な内容でなければ通常は認められるものです。
しかし今回のように明らかに疑念を抱くものに関しては、徹底的に調査を行えば保護の停止や返還請求などをできるはずです。自分の場合、あくまで「机上の論理」を話しているので、実際に携わっている方には「そんなことできるわけない」と言われるかもしれませんが、現在の社会全体が年金を含めた社会保障問題に関心を示している今、やるべきところはやる時代に来ているのは事実です。法規定も重要ですが、それと同時に「道徳的」な観点を持って現業に携わっていくことも必要ではないのでしょうか。そうすれば、おのずと「必要最低限」と言うものが見えてくるのではないか、と思います。

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2008.05.24

論点をはっきりと

Yahooニュース「後期医療廃止法案を提出=旧制度に戻す-野党4党」

 民主、共産、社民、国民新の野党4党は23日午後、75歳以上の後期高齢者医療制度(長寿医療制度)を2009年3月末で廃止し、旧来の老人保健制度に戻す法案を参院に共同提出した。批判が強い同制度の廃止を迫ることで、福田政権をさらに追い込むのが狙い。6月上旬に可決し衆院に送付する方針だが、衆院で多数を占める与党は反対しており、成立は困難とみられる。
 政府・与党は低所得層の保険料軽減措置の対象拡大など運用面を改善し、国民の理解を求めていく考えだ。一方、民主党は政府・与党の対応などを見極めながら、福田康夫首相問責決議案提出の是非を判断する。
 廃止法案は制度廃止までの経過措置として、(1)年金からの天引きは遅くとも10月からは行わない(2)被扶養者からの保険料徴収の凍結措置は09年3月まで延長する(3)遅くとも10月から保険料負担の軽減を図る-と規定。また、09年4月から2割になる予定の70~74歳の医療費自己負担を1割に据え置く。 (時事通信)

久しぶりに「高齢者関係」に触れてみました。
で、恥ずかしながら自分、この制度、今年に入るまで知りませんでした。いつもお世話になっている薬局のポスターでこのことを知りました。最初は「へぇ・・・」と思っていましたが、色々とニュースを聞くうちに「こりゃちょっとまずいな・・・」と感じました。ただ何より、この世界にいる人間ながら最新の制度について理解をしていなかったことは「社会福祉士」として情けないな・・・と感じています。畑違いとはいえ、福祉でオールマイティに活動しなければいけない立場としては、ちゃんと理解をしていかなければなりませんね。

「ちょっとまずいな・・・」と書いたとおり、基本的にこの制度には「反対」です。
ただ、自分が反対するのは「費用」の部分であり、制度そのものには特別反対はしていません。もっと言えば、基本的な制度は「1割負担」と言うスタンスに変わりはありませんから。

じゃ何が反対かと言うと・・・安易に高齢者から費用負担を取ろうとする点です。
この安易な方法、そう介護保険制度のときも「年金天引き」と言う点が問題になりました。「使わない人は払い損」みたいなことも言われましたが、今回も年金から天引き。このことを考えると、現在年金を満額貰っている人は1ヶ月約6万6千円。この中から介護保険料や今回の保険料が天引きされることを考えると・・・高齢者の1ヶ月に残る手元のお金は本当にわずかなものになってしまします。今話しているのはあくまで年金を「満額」貰っている人の話。もし満額もらえない人は当然この金額が下がっているわけですから、手元に残るお金はさらに少なくなります。本当に「最低限度の生活」に近いものになりかねません。

制度はまったく違いますが、生活保護法にはこんな条文があります。

 (公課禁止)
 第57条 被保護者は、保護金品を標準として租税その他の公課を課せられることがない。

これは「生活保護費」が国のお金、つまり「税金」から出ていることを踏まえ、税金に税金をかけることは認められないことを意味しています。生活保護法でこのような原理を示しているのであれば、年金に対しても同じような原理が働いてもいいじゃないかな・・・と思います。現在の公的年金制度は「賦課制度」であり、自身が払った年金保険料と国庫負担、すなわち「税金」を財源として運営されています。で、あるのであれば年金は生活保護費同様「税金」からまかなわれているのであり、保険料と言う名の「税」を課されるのは、生活保護法で言う「公課禁止」に当てはまるのではないのか、と考えます。もちろん生活保護と年金を同じレベルで考えるのは無茶があるかもしれませんが、少なくとも年金から保険料が引かれ、生活するのが難しくなっている現在のことを考えれば、同じような議論があってもいいのではないか、と思います。

久しぶりに福祉ネタでちょっと締めてみました。

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2008.05.14

これぞ実践?

今週に入り、ようやく通常出勤。眠い・・・のですが、やはりこっちのほうがしっくりきます。

それにしても・・・仕事が終わりません。
まぁ新部屋に移動になったときにある程度は覚悟していたのですが・・・ホント、やっても終わらない状態です。
部屋には検品待ちの袋がドッサリ。一応職員は3人配置されているのですが、うち1人は係長。係長だと係長業務に専念することがあるので、実質的には2人。ただ、その2人も休憩やフレックス出勤になると必然的に1人になってしまう。まぁ決して1人で回せないことはないんだけど、色々なことが重なるとそれが大きくなってしまい、結果として圧迫される状態。職員1人に対し、利用者比を考えれば・・・終わらないのは当然のことですね。

まぁその業務の中には「コントみたい」で触れたトイレ介助や作業指示があるけど、1つ1つの仕事が「大したことがない」ものであっても、それが積み重なると「大したもの」になっている状態。結局、そこでひっ迫してしまうんですよね。

でもこの部屋、面白いですよ。いろんな発見もあります。
今日も利用者さんが今日の作業分のノルマを達成し、他の職員さんに介助についてもらいトイレ誘導へ。その際、その利用者さんに「終わったら○○さんを呼んであげてね」と一言。大方の予想では「たぶんできないだろうな・・・」だったけど、トイレから帰ってくると、ちゃんとその利用者さんのところに行って呼んだ。このことには大方の予想に反し、大爆笑と感嘆。発語のない利用者さんのため、肩をたたいて呼んだけど、ちゃんとできたことに「おぉ、よくできたね」と感嘆。

実はこの利用者さん、作業所の中で言えば「一番作業ができない人」に入る位置。
だから「人間関係」と言う点では希薄さがあると考えられていたけど、ちゃんと相手によってはちゃんと他の利用者さんであることを認識しており、職員に関しても「○○さんは誰?」と聞くと、ちゃんと答える。数的理解や大小関係など、いわゆる「学面」の部分ではかなり難解な部分があるけど、自分たちが予想をしない、あるいは予想を超えた部分での理解もできている部分もある。こういうことって、学校の授業などで教わるものではなく、その現場に立って理解したり、感じたりするものであり、決して「机上の学問」では学ぶことのできない部分。いわば「実践」の部類に入るかもしれないけど、こういう過程を通じて「あぁ、こういう理解があるんだな」と職員も学ぶ部分が多いのも事実。今の職場ではたった1年足らずなのに、ちょうど自分は真ん中の位置にいる立場だけど、新しく入った職員さんにも「こういうことは決して知識として学ぶことのできない部分であり、感性による部分だと思う」と話し、どんなに経験をたくさん積んでも、実際に携わらないとわからない部分である。そういった意味では、やはりこれこそが「実践」と言うべきものなのかもしれません。このことは決して「理論」では片付けられないものですからね。

いやぁ、ホントに勉強になりますし、大変ながらも毎日を面白く過ごさせてもらっています。

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2008.04.20

柔らかければ良い訳ではない

久しぶりに10時過ぎの起床となりました。
完全に今日の予定は狂ってしまい、ジムは中止。何かこだわりがあるみたいで、ちょっと自閉があるかも・・・(^_^;)

それはさておいて・・・
午後からは祖母の特養へ。最近は全然運動などに取り組んでいないから、足の筋肉は完全に弱くなってしまっており、歩くのは難しい状態。もっと自分が取り組めばよかったものを、自分もちょっとあきらめてしまったのかもしれません。そんな中、食べ物には色々と工夫を。

食べるものに関しては、特養に入所する前の療養病棟のときから色々とやってきました。
当初はホントにどうなってしまうのか・・・と思ってしまいましたが、嚥下の機能が戻りつつある状態から色々と挑戦。最初に挑戦したのは、プリン。仮に噛まなくても問題なく食べられるため、一番柔らかいレベルからスタート。もちろんこのときはアイソも取り入れています。

そして現在は・・・
今日は「コパン」を食べました。一時期は重湯生活だったことを考えると、格段の向上です。
で、どうしてこんなものに取り組もうと思ったかというと・・・「食べること」を思い出してもらうため。

実は多少歯ごたえのあるものを入れるようになったのは、つい最近の話。
今までは月餅や練りきりなど、噛まなくても問題ないものを中心に取り組んでいた。自分たちも「安全」を考えてなめらかなものを・・・と思い、それを善しと思ってやっていました。ただ、先日「変り種」として駄菓子を持っていってみたところ、思いのほか反応がいいことに。そこで「じゃ歯ごたえのあるものはどうかなぁ・・・」と思い、翌週に「かっぱえびせん」を持っていくことに。歯ごたえを持ちつつ、少し水分が含まれれば柔らかくなり、カルシウムも補える、と色々考えてのもの。そして食べてみると・・・

これがホントに「やめられない、とまらない」という状態です。
まるでこういうのを求めていたかのように、パクパクと食していきます。自分が想像していた以上の反応です。で、今日は2匹目のどじょうではありませんが、「たけのこの里」と「コパン」になったわけです。たけのこの里もペースよく食べ、コパンもとりつかれたように食べていました。

ここに来て「歯ごたえがないものより、歯ごたえのあるものの方がいい」ということを実感しました。
もちろんここまで移行する今までの食べているものからちゃんと嚥下具合を確認することが必要ですが、今の祖母にとってはプリンとかゼリーよりも、こういった「形あるもの」を提供するほうがいいのかもしれません。ある程度歯ごたえのあるものを食べることで嚥下機能の維持・向上を期待することができ、食べているほうも自分の口で「食している」ことを実感してもらえるのかな、と思います。

柔らかければいいものではなく、時には食感を味わえるものも必要なんですね。

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2008.04.11

今日からタダ。

本日、定期通院日。
予約の時間にギリギリの到着だったけど、その時点で今日は30分待ち。「空いている」と言う話だったけど、どうやらこの2週間で状況は変わったみたい。さらに、今日は30分を過ぎても一向に呼ばれる気配がない。そして時間だけが過ぎ、1時間が経過。そして1時間10分後、ようやく呼ばれることに。年度初めのためか、久しぶりに長い待ち時間となりました。まぁ診療内容はいつもと変わらず、経過記録上は特段問題になることもなく、いわゆる「穏やかに過ごす」になっていましたが、心の引っ掛かりがあったので、そのことを話すことに。そのため、たぶん今日の内容だったらいつもは5分程度ですむ内容だったが、色々と話をしたため自分も10分ぐらいの診察に。まぁ30分以上診察を受けていた人に比べれば、自分はまだ可愛いほうですが・・・

そんなこともあって、今日は薬局での処方も19時を過ぎることに。
で、前回薬局に行ったときに「4月から報酬点数の改定により、夜間・休日加算が行われるので・・・」と言うポスターが張ってあった。病院にも今日行ったら同じ内容の文書が張り出されていたけど、病院のほうは7月から改定とのことで、今回は影響なし。ただ、薬局のほうは夜間加算がされる時間帯に処方箋を出したので、加算されることに。

と言っても、4月からの自分にとってはまったく影響ありません。
以前にも書いたように、4月から自立支援医療の自己負担が変わり、今日からは負担なしに。つまり、病院や薬局に何時何時に行っても自分のお財布にはまったく影響なく、タダで診察と処方を受けられることに。もちろんこれは「精神科」に係わるものだけであって、単なる風邪で内科に行ったときやそのときの処方に関しては従来どおり3割負担。あくまでも「精神科関係」の内容だけでありますが・・・でも、ちゃっかり「交通費」は医療費として計上していますが・・・まぁ今年は医療費助成があるので、交通費を計上しても控除金額には到底及ばないと思いますが。

でも医療費助成があっても、従来の「上限管理」は今まで通り。
お金は払っていないけどいくらかかったかは上限管理表を見れば一目瞭然。ただ、今日の金額を見ると、いつもの内容なのにかかった金額は以前より減。同じ内容で、なおかつ今日は夜間加算がされていると思うのに少ないことに、ちょっと意外を感じながらも、今月からは「医療費タダ」の恩恵を受けることに。当面の間はお財布を気にしなくてもよさそうです。

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2008.04.10

居場所になれば

本日は午前中に急遽派遣。午後からは本来の部屋に戻ってのお仕事。
派遣先から帰ってきて、職員の人から「ホントにご苦労さまねぇ・・・^_^;」と励ましの言葉。ホント、他の部屋では「コマ」と化していますから・・・

そんなわけで、いつもはじっくり読む利用者さんのご家庭からの連絡ノートも、さらっと流し読み程度。
読もうと思っても今日は作業が忙しく、検品あるのみでノートを書く時間すらない状態。結局ノートは他の職員さんにお願いをして、自分はひたすら作業をまわすほうに徹することに。明日の午前中までに・・・と言うことだけど、うーん、大丈夫かな?

ただ、連絡ノートを流し読みした程度でも、何か書いてきてくれるご家庭のノートは何となく印象に残る。
で、今日印象に残ったのは、「明るくなった」とのこと。

今年度の時点で養護学校を卒業して入所した利用者さんがいるけど、実はそれよりも前に今年に入って入所した利用者さんがおり、4ヶ月目を迎えようとしている。元々この利用者さんは養護学校を卒業後に別の就労先でお仕事をしていたけど、徐々に就労先とあわなくなってきてしまい、一時自宅に引きこもってしまうことに。そこで去年にうちの作業所で入所を前提とした実習を行って入所に至ったケース。実習と言うのはよくあるけど、どういう目的で実習しているかによって対応も若干異なってくる。たとえば「職場経験」として実習を行うのであれば「働く」と言うことの意識付けをメインにしていくことになると思うし、「現場実習」として実習を行うのであれば、他の利用者さんと同じような形で行うことになる。で、今回は「入所前実習」と言うことだったので、実習の時点では「もし入所したときのことを前提にして」の実習を行っており、自分も一緒に携わることに。入所前の実習ではどこか不安げな様子だったこの利用者さんも、今年の1月に入所して4ヶ月が経ち、徐々に「らしさ」を見せてきてくれるようになった。最初は1つ1つが綱渡りのように歩んでいる状態で、すぐ謝ってしまうことが多かった。ご家庭からは「口癖なので・・・」とあったけど、ここ最近の様子を見ていると、謝っている姿をあまり見なくなった。謝ると「そんなに謝らなくてもいいんだよ」と声かけをし、徐々に職員とコミュニケーションを取れるようになり、そして今では休み時間になると一緒に遊ぶくらいにまでに。その「遊び」も今まではその利用者さんと職員という相互間のやり取りだったのが、ここ最近では他の利用者さんを交えての遊びに変化。今日も自分が他の利用者さんに甘えられてつかまってしまっているときに「ねぇねぇ、助けて。コチョコチョしちゃっていいよ。」と言うと「ウン!」と言って一緒に輪の中に入ってきてくれるまでに。

そんな様子も連絡ノートに書いており、書くと反応を示してくれる。
そして今日のノートには、こんなことが。

今までは家にふさぎこんでいたのが、ウソのように元気に過ごしています。前のところ(就労先)と違って作業所の雰囲気が良いみたいで、毎日楽しかったと話してくれます。

こういう記述があると、素直に嬉しいものですね。
きっと自分がこの仕事にやりがいを感じているのも、こういった「生の反応」を感じることができることに、その面白さを感じているのかもしれません。福祉の仕事はなかなか「目に見える結果」としてあらわすことが難しい仕事ですが、その中でもこうやって日々の変化の中から良い方向に向かっていることを連絡帳などを通じて感じることができると、自分たちの支援の方向性に対して確信に近いものを持つことができますね。自分たちは何より、利用者さんを第一に考えていくことが必要と考えていますから。

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2008.04.07

世界に1つだけの花

今日は・・・疲れました。久しぶりに袋の折りもやりました。
いやぁ、あんまりなれないことをするものではないですね。とはいえ、やらないと作業が回らない状態でしたので仕方ありませんが・・・明日はそうならないことを祈りたいです。

で、今日は作業終了後に利用者さんを数人残してお話。
と言っても何か注意する、と言うことではなくて「話の場」を設定しただけのこと。

実は先週から続いていることだけど、利用者さん同士で関係がギクシャクしてしまっているところがあり、その利用者さんから「関係を元に戻したい」との話があったため、その話をする場をセッティング。それが、今日の帰りのことであっただけのこと。基本的には自分はほとんど介入せず、利用者さん同士で思っていることをぶつけてもらいました。あくまでも自分はその場においては単なる「立会人」と言う存在だけ。自分がどうこうしよう、ということではありません。

ただ、1つだけ話したのが「思いやり」の話。
利用者さんの前ではあえて意図的に「仲良くなろうとしたり、仲が良いフリをすることはないけど・・・」と前置きをした上で、「もし自分が逆の立場・相手の立場だったときにどう思ったり感じたりするかを考えてほしい」と一言。何かをしようとするときに必ず「相手」がいると思うから、その人の立場のことも考えてほしい、と話すことに。思いやりの話は利用者さん同士の話がどんな方向に行っても話そうと思っていたことなので、この話は予定通りの話。

さらに、今回「相手」となった利用者さんには「同じ人はいない」と言う話も。
そもそもの原因は「関係を元に戻したい」と言ってきた利用者さんにあるみたいだけど、利用者さんのやり取りを聞いている中でちょっと心に引っかかった部分があったのも事実。それが「同じ人はいない」ということ。

話の敷居を低くするために、自分も精神科に通院していることを話した上で、「ここには仕事のことだけではなく、人間関係のことでも来ている人もいる」(実際にはもっと噛み砕いて話をしています)と話した上で、「全員の人がみんなAさんの思うように考えてくれたり、行動したりするとは限らない」と話し、「人と自分は違うんだよ」と言うことを話すことに。作業所は当然作業をする場所であるけど、それと同時に人間関係の形成やそれに付随すること諸々を支援していくことも「施設」として取り組むのは当然の話であり、今回の場の設定もそれに合わせて、前もって職員間で打ち合わせをした上で自分の判断で行ったもの。そのため、フォローは基本的に自分。そしてフォローをするときに一人だけのフォローをするのではなく、双方のフォローをしていくことが必要であり、お互いの「歩み寄り」を少しでもうまく進めるために、「他者と自分」の存在を話すことに。健常者ですら人間関係を構築していったりお互いが互いのことを理解したり考えたりすることが難しい中で、障害を持ったもの同士がお互いを理解していくことはもっと難しいこと。でもできないからそれでいいのか、と言えばそれはNO。「1つの社会」の中で生活していくためには、「人間関係」というソーシャルスキルが必要になっていくのは当然の話であり、ソーシャルスキルを身につくように支援していくことも施設として必要なこと。だからこそ「必ずしも自分と同じように動いてくれるとは限らない」と言うことを説明。この話をどの程度まで理解してもらえたかはわからないけど、話をしなければ先に進めないので、今回は1つのきっかけとして話すことに。この話は、予定外の話。

 ♪そうさ 僕らは 世界に一つだけの花
  一人一人違う種を持つ
  その花を咲かせることだけに
  一生懸命になればいい

そんな歌詞と今日の話を重ね合わせて、こんなタイトルにしてみました。みんな、一人ひとり違うんですものね。

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2008.02.27

あくまで「利用者の利益」のために

今日はミーティング。色々と話が出ましたが、そのうちの1つに入所関係の話も。

もちろんここは「公」の場だからあんまり具体的な話はできないけど、ちょっと考えるような入所事例も。
と言うのは、18歳にならない人が入所の申請を出したとのこと。

一応福祉作業所とか授産施設は成人施設であるため、基本的には18歳以上の入所がほとんど。
ただし、場合によっては18歳ではなく、15歳以上の人も入所が可能。これは法律にも定められているし、通知や条例などで定められていること。だから決して今回の申請が不当なものではなく、申請を受けた以上は相当の理由がない限り拒否することはできない。

ただ、話を聞くとどうも解せない部分もあり。
普通ではあれば養護学校の高等部なりを卒業してから入所・・・と言うのが本来の流れ。
しかし今回はその養護学校を退学してまで、一刻も早く入所したいとのこと。で、何故ゆえ・・・保護者の方の主訴は「居場所を確保したい」とのこと。

今回のケース、今までいろんなケースを見てきましたが、このケースも自分の中での指折りの中に入りそうなケース。ごく最近に家庭環境が変わったため、その変化に対応できずに保護者の方の一心で入所を申請したみたい。養護学校のほうでも色々と話をしたけど、養護学校側のスタンスとしては「やむをえない」とのこと。ただしこの状況、決して正常な状態(何を持って「正常」と言うのかは難しいけど・・・)ではないことはたしか。他の方法や社会資源を使っても対応できそうな事案であり、何も学校を辞めてまで今すぐ入所する必然性はないように思える。ただ、保護者の方は「一刻も早く・・・」という気持ちのほうが先行しているみたいで、今回の状態になったみたい。もちろん施設側としても他の手段や社会資源の情報を提供したけど、保護者の方は作業所しか見えていない状態。もちろん役所にもこのことは流れ、逆に役所からうちに情報確認をする状態。

結局このケース、流れ的には受ける方向に。
ただ、受けてはい終わり・・・と言うわけではなく、役所のケースワーカーさんが中心になって色々と動くことに。とりあえずは保護者の方を安心させて、ひと段落してからまた考えましょう、と言うのが、とりあえずの方針みたい。

うーん、保護者の方の気持ちはわかりますが、支援するスタッフとしては「利用者のため」を尊重します。
たしかに保護者の方の気持ちを受け入れて共感していくことも大切なことですが、施設が考える第一の目的はやはり保護者の方ではなく「利用者の利益」だと思います。以前に自分が対応したケースで、利用者の利益を考えた問題があったけど、誰が生活の中心かと考えれば、うちの施設でいけば「利用者」になるわけで、そのあとに保護者の方になる。だから保護者の方の気持ちは何度も言うようにわかるけど、そのことが本当にその子の為になるのか、と言うことを考えたら、それはちょっと違うかな、と思う部分もあります。確かに養護学校の教育は一般の教育とは違いますが、やはり学校で学ぶことや経験すること、身につけること、もっと言えば訓練的要素を持つところで得るものは大きいと思います。それを途中で止めてしまい、いわば「ライフステージ」を早く迎えることはどうなのかなぁ・・・と思う部分があります。相当の理由があってのことであれば致し方ない部分もありますが、今回のケースの内容を聞く限りでは、いわゆる「相当な理由」には当たらないかなと感じています。もちろん保護者の方のサポートも早急に必要なケースではありますが、とりあえずは「本人」と「保護者」のことは切り離して考えるべきかな、と思います。今の状態は「本人」ではなく「保護者」の方のニーズのほうが先行している状態であり、いかに保護者の方に納得してもらって問題を解決するかが課題かな、と思います。もちろんその過程の中で「一時入所」と言う方法も出てくるかもしれませんが、本格的に入所としてしまうのには、ちょっと時期早々かと感じています。

施設には施設の役割があります。
うちの施設はあくまで「利用者の利益」を第一に考えている場所なので、その部分をもっと慎重にならなければいけないのではないのかな・・・と思います。

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2008.02.14

せわしない「オトコ」たち

世間的にはバレンタインデー。
授産施設やデイのときは何にもありませんでしたが、どうやらここの作業所では、「ビックイベント」みたいです。

今月に入ってからそわそわする利用者が多くなってきたバレンタイン。
女性は女性で色々考えているみたいですし、男性は男性でなんとなくソワソワ。そしてピークは、今日。

休み時間の合間に色々とやっているみたいだけど、昼休みになるとあからさまな状態に。
その「あからさま」具合が大きいのが、男性。普段部屋にいないような人が何故か部屋にいるし、いつも以上に人口密度が多い状態。どうやら男性陣は女性陣から「バレンタイン」を期待しているみたい・・・ではなく、完全に期待していました。

いやぁ、ホントにせわしないオトコ達ですね。
自分なんかはハッキリ言ってどーでもいいことなんですが、利用者にとってはやっぱり大きいみたいです。
特におかしく思えたのは、もらいたいオーラ全開の利用者さんには渡されず、「バレンタインって???」というような利用者さんにはバレンタインのチョコが渡される状態。バレンタインをよくわからない利用者さんには「ありがとう、って言ってもらっていいんだよ」と、職員が趣旨を説明。まぁ年に1度のことですし、今までに特に大きな問題は起きていないみたいなので職員としても特に関与するつもりはないので、利用者の自主性の尊重としては別にこういったものをするのもかまわないのでしょう。
ただ・・・それにしてももらいたい気満々の人ほど、もらえていないんですよね・・・(^^♪

そんな自分も、ちらほらといただきました。
事前に伺いたてをしましたが「個人的範囲として・・・」ということで、とりあえずは受け取ることに。うーん、倫理的にはちょっと気が引けますが・・・まぁこれが支援に影響することはまず絶対にありえないので、ホントに「個人的」にいただく事にします。さぁ、そうなるとお返しも考えなきゃ・・・これがちょっと、ユウウツなんですけどね(^^ゞ

で、話題はガラッと変わって、自宅に帰ると「自立支援医療」の受給者証が届いていることに。
中身を確認すると・・・落ちるところまで落ちたかな・・・といった状態です。
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前回も低所得層でしたが、今年はさらに低くなりました。さらに、都の医療費助成つき。
前回は中間所得層の「重度かつ継続」だったのか、「低所得層2」だったのかが不明でしたが、今回は明らかに「低所得層1」に該当です。それだけで上限金額が「2500円」になったので大きいのですが、今回はさらに「医療費の本人負担なし」のおまけつき、つまり4月からは無料で診察と処方を受けられることになります。これ、非常に大きいです。特に今の現状では「働けど働けど・・・」の状態であり、医療費の負担も大きかったのですが、これからは医療費のことを考えなくていいと思うと、かなり楽です。と同時に、生活保護までに至らないものの、とうとう落ちるところまで落ちたか、といった感じです。(あ、自立支援医療については、こちら。)

まぁ来年は所得が上がっているのでおそらく「本人負担なし」はなくなると思いますが、1年間の猶予と恩恵を受けたいと思います。

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2008.02.13

「障害者」以前の問題

ケータイを見ると非常にショッキングなニュースが入っていたので、これを取り上げないわけにはいきません。

asahi.com「知的障害者に『奴隷生活』 保護の4人、経営者らを提訴」

 札幌市の食堂で住み込みで働いていた知的障害のある32~51歳の男女4人が13~31年間、無報酬で劣悪な生活を強いられ、07年6月に保護されていたことが13日わかった。労働時間は1日十数時間で休日は月2回。食事も満足に与えられなかったという。4人は同日、「奴隷のように働かされ、障害者年金も横領された」などとして経営者らを相手取り、約4500万円の損害賠償を求めて札幌地裁に提訴した。経営者は行方がわからないという。
 4人は、32歳の男性1人と35~51歳の女性3人。定食類を出す札幌市S区の「A食堂」の調理室で調理や皿洗いを担当していた。
 4人を保護して暮らしぶりを聴き取った弁護士によると、4人は食堂2階の部屋などに住み、毎日午前6時ごろ起床。仕事中はトイレに立っても怒鳴られた。食事は残り物ばかりで、調理室の食べ物を持ち出してしのいでいたという。
 休みは月2回で渡される金は週1回、銭湯代だけ。しかし入浴は休日しか許されず、下着は汚れたものをずっと使っていた。歯磨きも「仕事を始めてからほとんどしたことがない」といい、保護時は緑色の歯石がびっしりたまっていたという。
 4人は長期にわたって恐怖感を植え付けられ、逃げ出すことができなかったという。親たちも知的障害があるなどの事情で、後ろ盾になれる状態ではなかったという。
 弁護士の電話相談に事情を知る人物から情報が寄せられたことから、4人は障害者施設に保護された。発見時は4人ともやせ衰え、繰り返し「早く食堂に戻らないと大変なことになる」とおびえていたという。
 食堂の経営者らは4人の障害基礎年金の手続きも無断で行い、約2600万円を横領していた疑いもあるという。経営者は弁護士に「面倒をずっと見てきた。責められることはない」と話したという。
 弁護士は「自己主張のすべがないのをいいことに、奴隷のような環境で人格をおとしめた。裁判を通じて警鐘を鳴らしたい」と話している。

以前に「最低賃金」の問題でニュースを取り上げたことがありますが、これはそれ以前の問題です。
「障害者」云々という次元ではなく、「人権」の侵害であります。すべての法律の大前提にある日本国憲法第25条には、次のように書かれています。

すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

あくまでも法的な解釈ではこれは生活保護法に対してのプログラム規定と捉えられていますが、単純に彼らのおかれていた状況を考えると、これは明らかに憲法違反の状態であるといえます。もちろん先述したとおり「プログラム規定」の考え方に立っているので、これを根拠に何かする、という話にはなりませんが、少なくとも「人権侵害」の状態に置かれていたことは確かです。

障害者に関しての「権利」を明記したものとしては、

障害者は、その人間としての尊厳が尊重される生まれながらの権利を有する。障害者は、そのハンディキャップと障害の原因、性質、程度のいかんにかかわらず、同年齢の市民と同一の基本的権利を有する。このことは、まず第一に、可能な限り通常のかつ十分に満たされた相当の生活を享受する権利を意味する。(「障害者の権利宣言」より)
・知的障害者は、実際上可能な限りにおいて、他の人間と同等の権利を有する。
・知的障害者は、搾取、乱用及び虐待から保護される権利を有する。犯罪行為のため訴追される場合は、知的障害者は正当な司法手続に対する権利を有する。ただし、その心神上の責任能力は十分認識されなければならない。(「知的障害者の権利宣言」より)

などがありますが、今回の状態は「障害者」としてではなく、一人の「人間」としての尊厳を大きく侵す内容であると考えます。街中で知的障害を持つと思われる、あるいは障害を持つと思われる人が少しずつ今の社会に出つつある状態ですが、その一方で、私たちが知らない・見えない「影の部分」でこういった問題が起きているのです。もしかしたらこの問題も「氷山の一角」なのかもしれませんし、もっと社会がこのような問題を強く見ていく必要があるのではないかと思いながら、我々専門職もこの状態を看過しないようにしなければならないと感じます。

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2008.01.22

まずは、受け止めて

昨日の「派遣」から一転、今日は再び「ホーム」でのお仕事です(^^♪
やっぱり「相変わらず」というか、やること多すぎです。まぁ今は切羽詰ってないから比較的余裕を持って作業することできるし、そんなに仕事がたまっていないからまだ大丈夫なのかもしれないけど、これが忙しくなると・・・また忙殺されるのでしょうね。

そんな中、昼食の時間帯に利用者さんが自分のところにやってきて「・・・帰る。」との一言。
一応、自分は正職ではないので「なら、ちゃんと正職さんに言ってからね。」というと、嫌だとのこと。
「じゃなんで嫌なの?」と聞くと、返事なし。とにかく、「帰りたい」の一点張り。別に帰ってもいいんだけど、それを認めちゃうと逃げ道を作っちゃうかな・・・と思い、「どうして帰りたいの?」を聞くことに。ただ、依然としてそのことは話そうとしない。

しまいには「作業所を辞める」とのこと。他の職員さんから場面変更をしたら、とのことで、場面を一度切ることに。
そして改めて、話すことに。といっても、話すことは真正面からの話。何にもひねりを加えることなく、噛み砕いて理解しやすいように話をするだけのこと。真正面から話をして、とりあえずは納得し、午後も普通どおりに過ごすことに。そして気がつけば、いつものように遊んでいる。他の職員さん曰く「かまってもらいたいだけでしょ」とのこと。
うん、それは自分も重々承知の上で。

まぁこの利用者さんの家庭環境も複雑なため、「かまってもらいたい」という欲求もアタッチメント理論からは説明できるもの。とはいえ、毎度毎度かまっているわけにも行かない。その利用者一人だけじゃないのだから。ただ、その利用者さんのことを「受け止めてあげる」ことは必要なのかな、と思っている。だからよく「ネタだよ」とか「かまってもらいたいだけよ」などといわれるけど、自分のスタンスは一度受け止めるという考えである。この考え、この利用者さんだけではなく、すべての利用者さんに対して当てはまることだけど、いわゆる「バイスティックの7原則」で言う「受容」の部分です。利用者さんを、あるがままに受け入れる、というそのものを実践。

はっきり言って「アタッチメント理論」から考えるに、複雑な家庭環境の中できちんとかまってもらえる場所がなかったのかな、と推測。それが今の「かまってほしい」にかかわってきているのかな、と思う。ただその一方で「自立」ということを考えたときに、いつでも「かまってもらえる」という状況を作ってしまうのも難しいところ。だけど自立に向けた土壌がまだ完成していない現在の状態を考えると、やっぱり誰かが「受け止めてあげる」ということをしてあげなくてはならないのかな、と感じる。言葉が悪いけど、うまい具合に利用者さんを手の上で転がして利用者さんに語りかけていくことが大事なのかな、と考えています。

なかなか具体的な部分に突っ込むことが難しいので説明がわかりにくいですが・・・まずは「受け止めてあげる」ということが、大事なのかな・・・と思います。

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2008.01.15

社会福祉士試験&福祉従事者に

珍しく・・・というか、初めての「レビュー」です。
見て覚える!社会福祉士国試ナビ2008」中央法規出版
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この本は昨日買い物に行ったときに一緒に買ったものです。
買い物に行くと常に自分自身の情報収集のために「福祉関係」の書籍がおいてある場所に自然と足が向かっています。どうしてもないときは都心のほうまで行くことがありますが、昨日たまたま見つけたこの本は、さらっと流し読みした程度ですが、一見しただけでとてもよくまとめられている本であるな、と感じました。

自分たちが社会福祉士を受験したときは、受験の必須アイテムとして「必携社会福祉士」と「社会福祉士ワークブック」の2冊がメジャーなものでした。私自身も「必携社会福祉士」は手放すことのできないアイテムでありました。そして今回、そのメジャーアイテムの中に堂々と入ることのできる書籍が、この本です。

先述した「必携~」「ワークブック」との決定的な違いは、「1冊にまとめられている」という点でしょうか。
「必携」は「基礎科目」と「専門科目」の2冊から構成されていましたが、この本ではその内容を領域別にまとめ、1冊でコンパクトになっています。必携も精神保健福祉士の受験対策から精神保健福祉士受験の人にも重宝されているものですが、この「見て覚える」は、精神保健福祉士の科目は入っていませんが、知識として得るには非常に有益なものばかりであると思います。

さらに、この本は「社会福祉士受験」を目指している人だけでなく、現役の社会福祉士、そして福祉従事者にとっても非常に「使い勝手」のいい書籍になっていると思います。私みたいな社会福祉士は非常に恥ずかしいのですが、試験が経過して数年してしまうと、概要は何となく覚えていても細かいところに関しては知識が乏しくなりがちです。そんなときに「振り返り」の手段としてこの本を活用すると「あぁ、そうだった、そういうことだった!」とすぐに思い出すことができ、また最新の情報を得るという意味でも、社会福祉士に限らず、すべての福祉従事者にとってケース解決の「糸口」になりえる内容であると思います。「welfare-net21」で色々と活動していますが、正直私にとってはこの本を見つけて「ラッキー」という感じです。自分にとっては「辞書代わり」に使うことのできる1冊です。

社会福祉士試験直前の追い込みに、最終確認をするという意味でも、この本はとても役に立ちます。
また来年以降に受験を検討されている方にも、大変お勧めできる内容です。

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2008.01.12

適度な間

去年末に「仕事ネタからの福祉ネタ」を取り上げたいと語りましたが、結局できませんでしたね。
ネタはあるのですが、なかなか機会がなかった、と言うのが本音でしょうか。

今日はWii Fitをミッチリとやったのでそれをネタにもできたのですが、ちょっと違うことにしましょう。

昨日は定期通院日であったためそのことがそのままネタになりましたが、通院がなければ今日のことを話題にしようとしていました。それは「利用者」と「支援者」の「間(ま)」について。

昨日のミーティングで「特記ではないけど・・・」と前置きをした上で、利用者さんと別の場所での支援者の関係について触れることがあった。元々その利用者さんと支援者さんとは比較的濃密な関係であり、支援者さんが個々でやっている事業に利用者さんが参加しており、緊急ケースがあった際もその支援者さんの力でフォローしたこともあった。で、今年からその利用者さんが支援者さんが新規に立ち上げるグループホームに入寮する予定だった。

ところが、その入寮が直前になってキャンセルとなった。
自分も何となくグループホームのことを利用者さんに聞いてみたところ「お父さんが(グループホームに行かずに自宅に)いてもいいんじゃない、って言われて、(自宅に)居ることになった」と話していたことがあり、白紙になったのかな・・・と思うことがあったけど、どうやらそれがホントに白紙になって入寮が見送られた。

その一件があってからか知らないけど、その利用者さんと支援者さんの間に微妙な「間」ができているように感じるようになった。去年は何かあるにつれてその支援者さんといろんなことをやっていたのだが、今年になって利用者さんが支援者さんと距離を置くようになっていることに気づいた。そんなことがミーティングの話題になり、「もし支援者さん側から距離を置くようになったのならば、ちょっと考え物だけどね・・・」という雑談になった。

今までは濃密な関係、それがグループホームの一件で関係が変わっている・・・微妙な問題です。
あくまでもここの話は職員の「推測」であり、本人や支援者さんから直接話を聞いたわけではないので真実はわからないけど、自分は以前からこの支援者さんについて若干の疑問を持つように感じていました。あんまり詳しく話すことはできないけど、その支援者さんと利用者さんとの関係について、公私の区別が曖昧になっているんじゃないのかな・・・と感じています。別の職員さんにこの支援者さんのことについて聞いてみると「あの人はカリスマだから・・・」とのこと。別にカリスマだろうが何だろうかオレには知ったことじゃないけど、利用者さんとの関係について、少し近づきすぎているんじゃないのかな・・・と感じている部分がありました。別に福祉の増進のために寄与していただいていることは感謝すべきことだけど、ある特定の人のために事業を立ち上げたり、態度を変えたりするのはどうなのかな・・・と感じています。元々今回のテーマになった「グループホーム」もこの利用者さんを入寮させるために立ち上げたと言われており、その利用者さんが直前になって入寮を白紙に戻したことに対して、その利用者さんに対する態度を変えたというのであれば、それはちょっと違うんじゃないのかな・・・と感じています。

利用者さんとの「間」、もちろんこれは自分にも関係する問題です。
実は自分もデイサービスにいたとき、パソコンをやっている利用者さんからmixiの話になり、利用者さんもmixiをやっていることがわかって自分のところにマイミクの申し込みがきたことがありました。当時はまだ「利用者」と「職員」の関係であり、このマイミクに関してはかなり悩んだことがあります。それは利用者さんとの関係の「行きすぎ」について。結局自己防衛をすることで対処しようと思いマイミクを受け入れましたが、本音では「利用者と職員」という関係がなくなってからmixiの関係を作りたいな、と思っていました。自分にも似たような経験があったため、今回の一件に関しては余計に人事に思えないものがありました。

「社会福祉士の行動規範」の中には「利用者との関係」について書かれている文言があります。

1.利用者との関係
  1-1.社会福祉士は、利用者との専門的援助関係についてあらかじめ利用者に説明しなければならない。
  1-2.社会福祉士は、利用者と私的な関係になってはならない。
  1-3.社会福祉士は、いかなる理由があっても利用者およびその関係者との性的接触、行動をしてはならない。
  1-4.社会福祉士は、自分の個人的・宗教的・政治的理由のために、不等に専門的援助関係を利用してはならない。
  1-5.社会福祉士は、過去または現在の利用者に対して利益の相反する関係になることが避けられないときは、利用者を守る手段を講じ、それを利用者に明らかにしなければならない。
  1-6.社会福祉士は、利用者との専門的援助関係とともにパートナーシップを尊重しなければならない。

関係してくるのは「社会福祉士は、利用者と私的な関係になってはならない」の部分であり、ここに抵触する危険性がありました。今は「利用者と職員」という関係ではないので問題ではありませんが、社会福祉士にこだわることなく、すべての福祉従事者に対してこの行動規範は当てはまるかな、と思います。

利用者さんとの「適度な間」を間違えないようにしたいものです。

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2008.01.05

社会福祉士以前の問題

ここ数日は「画像ネタ」で逃げていましたが、今日は画像で逃げずに行きます。
と言いながら「ニュース」に逃げているのであります・・・(^_^;)

YOMIURI ONLINE「生活保護業務ケースワーカー、無資格者が23%…全国調査

 全国の福祉事務所で生活保護業務に従事するケースワーカーの4人に1人が、社会福祉法で義務付けられた社会福祉主事の資格を取得していないことが、読売新聞の調査で明らかになった。
 ケースワーカーは自治体職員だが、経験3年未満が全体の7割近いことも判明、保護世帯の増加に対して自治体側の職員育成が追いついていない現状が浮き彫りになった。
 読売新聞が東京23区と17政令市、47都道府県にアンケートし、昨年4月時点での全自治体の人員配置状況を集計、分析した。
 全国1237福祉事務所のケースワーカー計1万3150人のうち、社会福祉主事の資格を持っていない者は23・4%。無資格者の割合が最も高かった政令市は大阪市で69・4%。都道府県は宮城県(仙台市を除く)の46・6%が最高だった。
 一方、経験年数は、判明した9963人を見ると1年未満が23・3%で、これも含めた3年未満は67・5%。大阪市は3年未満が99・6%を占めた。
 ケースワーカーは、生活困窮者らから相談を受け、生活保護の必要性を判断するほか、公共職業安定所など他官庁との調整も行う。
 2006年度の保護世帯は約108万世帯と5年前より3割増加したが、ケースワーカーについては「心身ともにハードな仕事で希望者が少ない。ベテランの大量定年退職と保護世帯増加に伴う増員が重なり、経験豊かな人材の確保が困難になっている」(大阪市)という。
 厚生労働省社会・援護局は「無資格者の従事は違法。判明すれば、早急に改善を指導する」としているが罰則規定はなく、「従事するな、とまでは言えないほど現状は厳しい」(同省関係者)との指摘もある。(読売新聞)

「社会福祉法で義務付けられた社会福祉主事の資格」ということで、法律のほうを紐解いてみると・・・

第三章 福祉に関する事務所(※「福祉に関する事務所」=「福祉事務所」)

第十四条(設置) 都道府県及び市(特別区を含む。以下同じ。)は、条例で、福祉に関する事務所を設置しなければならない。
2 都道府県及び市は、その区域(都道府県にあつては、市及び福祉に関する事務所を設ける町村の区域を除く。)をいずれかの福祉に関する事務所の所管区域としなければならない。
3 町村は、条例で、その区域を所管区域とする福祉に関する事務所を設置することができる。
4 町村は、必要がある場合には、地方自治法の規定により一部事務組合又は広域連合を設けて、前項の事務所を設置することができる。この場合には、当該一部事務組合又は広域連合内の町村の区域をもつて、事務所の所管区域とする。
5 (省略)
6 (省略)
7 (省略)
8 (省略)

第十五条(組織) 福祉に関する事務所には、長及び少なくとも次の所員を置かなければならない。ただし、所の長が、その職務の遂行に支障がない場合において、自ら現業事務の指導監督を行うときは、第一号の所員を置くことを要しない。
 一 指導監督を行う所員
 二 現業を行う所員
 三 事務を行う所員
2 所の長は、都道府県知事又は市町村長(特別区の区長を含む。以下同じ。)の指揮監督を受けて、所務を掌理する。
3 指導監督を行う所員は、所の長の指揮監督を受けて、現業事務の指導監督をつかさどる。
4 現業を行う所員は、所の長の指揮監督を受けて、援護、育成又は更生の措置を要する者等の家庭を訪問し、又は訪問しないで、これらの者に面接し、本人の資産、環境等を調査し、保護その他の措置の必要の有無及びその種類を判断し、本人に対し生活指導を行う等の事務をつかさどる。
5 事務を行う所員は、所の長の指揮監督を受けて、所の庶務をつかさどる。
6 第一項第一号及び第二号の所員は、社会福祉主事でなければならない

第十六条(所員の定数) (省略)
第十七条(服務) (省略)


第四章 社会福祉主事

第十八条(設置) 都道府県、市及び福祉に関する事務所を設置する町村に、社会福祉主事を置く
2 前項に規定する町村以外の町村は、社会福祉主事を置くことができる。
3 都道府県の社会福祉主事は、都道府県の設置する福祉に関する事務所において、生活保護法、児童福祉法及び母子及び寡婦福祉法に定める援護又は育成の措置に関する事務を行うことを職務とする。
4 市及び第一項に規定する町村の社会福祉主事は、市及び同項に規定する町村に設置する福祉に関する事務所において、生活保護法、児童福祉法、母子及び寡婦福祉法、老人福祉法、身体障害者福祉法及び知的障害者福祉法に定める援護、育成又は更生の措置に関する事務を行うことを職務とする。
5 第二項の規定により置かれる社会福祉主事は、老人福祉法、身体障害者福祉法及び知的障害者福祉法に定める援護又は更生の措置に関する事務を行うことを職務とする。

第十九条(資格等) 社会福祉主事は、都道府県知事又は市町村長の補助機関である職員とし、年齢二十年以上の者であつて、人格が高潔で、思慮が円熟し、社会福祉の増進に熱意があり、かつ、次の各号のいずれかに該当するもののうちから任用しなければならない。
 一 学校教育法(昭和二十二年法律第二十六号)に基づく大学、旧大学令(大正七年勅令第三百八十八号)に基づく大学、旧高等学校令(大正七年勅令第三百八十九号)に基づく高等学校又は旧専門学校令(明治三十六年勅令第六十一号)に基づく専門学校において、厚生労働大臣の指定する社会福祉に関する科目を修めて卒業した者
 二 厚生労働大臣の指定する養成機関又は講習会の課程を修了した者
 三 厚生労働大臣の指定する社会福祉事業従事者試験に合格した者
 四 前三号に掲げる者と同等以上の能力を有すると認められる者として厚生労働省令で定めるもの
2 前項第二号の養成機関の指定に関し必要な事項は、政令で定める。

と、このように「福祉事務所」には「社会福祉主事」がいなければならないことになっています。
もっと踏み込んで言うと、福祉事務所(市町村の福祉を担当する課)の業務は原則として社会福祉主事を持った人でなければ就くことができないのです。社会福祉主事については、すでに「御岳の山」で取り扱っている通りです。

今回問題になっているのは、無資格のケースワーカー、すなわち「社会福祉主事を持たない職員」がいたと言うことです。これは私が専門学校の学生時代の福祉事務所実習で聴いた話ですが、社会福祉行政、特に生活保護業務に関しては多くの職員がその業務を担うことを拒んでいる・否定的であると講義で話がありました。これは何を意味しているのか・・・それは、いわゆる「3科目主事」でも同じ「社会福祉主事」であるため、大学等で基礎科目を学んでいる人であればほとんどの人が「社会福祉主事」を持っており、結果として「誰でもできる仕事」として扱われているのであります。本来であれば専門性の求められる職域でありながら、実態はこのようになっている、というのが今回の記事の根幹であります。

東京都や東京23区、横浜市などは福祉に関する職務を専従とする「福祉」の職種での採用枠があります。このような採用枠がある場所では「社会福祉主事」あるいは「社会福祉士」などを有している人・取得見込みの人を採用するように決めているところがありますが、市町村レベルでは特別に採用枠を求めているところは少なく、一般の行政職員と一緒にして採用をしているところがほとんどではないか、と思います。無資格者の割合が多かった大阪市では、「福祉」という枠組みを持ちながらも資格の有無を関係させない採用形態をとっていました。

現在、社会福祉士・介護福祉士の資格取得の見直しなどが論議されていますが、今回のこの調査は、社会福祉士の議論をする以前の問題であり、行政としてこの実態を把握していなかったことは、大きな問題であると思います。厚生労働省は現状から弱腰になっていますが、それではいつまで経っても社会福祉士の社会的な位置づけはできないままであると感じます。もちろんこの問題は厚労省だけの問題ではなく、現場を取り仕切る行政の問題でもあります。いっその事、市町村独自で採用が難しいのであれば、各市町村が広域連合の集合体を作って、その中で専門的な職種の採用・任用などを行っていけば問題解決の一端になるのではないのかな、と感じています。

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2007.11.27

先生じゃないんだなぁ・・・

今日の午後のこと。
来客者がいて利用者さんが対応したかと思えば、何の反応もなし。様子を見に行くと、来客の方が「先生をお願いしているみたいで・・・」とのこと。状況の変化がないため、オイラが対応することに。内容は自主生産品についての問い合わせ。問い合わせの内容に関してはうちの作業所では扱っておらず、他の作業所で扱っている可能性があるかな・・・と思い、正職さんに連絡を入れてもらうことに。その結果、他の作業所では問い合わせの内容らしきことをやっているとのことで、その情報と連絡先や地図を渡して対応。

今日のネタ、別に「自主生産品」のことではありません。
そう、「先生」と言う言葉。以前にも「支援と指導」など、支援論に関して色々と触れてきました。今回も、その延長線上にあるのもかな・・・と思います。

自分はこの仕事に就いて以来、「支援者」と言うスタンスで利用者さんと向き合っています。
時には「支援」ではなく「指導」を必要とすることがありますが、基本的には「支援」です。それは法内施設だろうと法外施設だろうと考え方は変わりません。今は法外施設(作業所)にいますが、この考えは不変です。当然ですが、前に勤めていた法内施設(授産施設)では完全に「職員」と「利用者」の位置づけがされており、基本的には「先生」と言う言葉はなくなっていました。(一部の保護者の中には「先生」と呼ぶ親御さんもいらっしゃいましたが。)

しかし今の作業所では未だに「先生」と言う言葉が残っています。
それは利用者さんも親御さんも共通して言えている言葉です。入職した当初は「ここには先生はいないよ」と利用者さんに話していましたが、ここ最近はそのことに触れなくなりました。「触れて直す」ことも必要なのかもしれませんが、1つの推測として、自分の名前は苗字だけで5文字であるため、それを覚えることが難しくて呼び方が「先生」になってしまっているのかな・・・とか、単純に名前がわからないから「先生」と呼んでいるのかな・・・などと考えています。たしかに苗字が長いことは事実で、覚えられないと言うのは仕方がないことなので、自分に関しては利用者さんからどう呼ばれようとも構わないのですが、さすがに「先生」と言うのは抵抗感があります。

そんな中で、今日問い合わせに見られたお客さんは、作業所前の自主販売で売り子をしていた利用者さんが「中の先生に聞いてみてください」と話したことで、お客さんも「先生をお願いして・・・」と言うことにつながったのだと思います。この時に「あぁ、やっぱりこれはちょっと考えていかなければならないな」と思いました。たしかにこの作業所は開設されて30年余り経っており、その名残から未だに一部の職員に対しては「先生」と言う言葉が使われています。しかしその部分の「先生」は完全に染み込まれたものであり、今からその部分の修正は無理だと思っています。ただ、今回のように「対外的」な部分での「先生」と言う言葉はやっぱり直していかなければダメなのかな・・・と感じました。前段のような理由で「先生」と言ってしまうのは仕方がない・目をつぶるとして、せめて対外的な部分については「先生ではなく、職員」と修正していかなければならないのかな、と思います。生活面や作業面で指示を出したりする部分はありますが、特別何かを教えている訳ではありません。ですから、私たちは「先生」ではなく支援の「スタッフ」であるのです。

呼び方の問題はなかなか難しいことですが、利用者に強制することなく、自然な形で直っていくことが望ましいかな・・・と感じています。

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2007.10.25

この国の福祉は・・・

昨日のblogで「24時間365日福祉のことを考えているわけではない」と書きましたが、テレビ欄に「障害者自立支援法」と書かれていては、見ない訳にはいきません。

特集は10分程度で、主に利用者側の視点から特集されたものでした。
実態としては、よくあらわしていると思います。そのものズバリ、現状の問題点ですから。「障害者自立支援法」に関してはこのblogの「コトバ」として十数回と解説してきました。

このことを自分の努めていた職場に例えますと・・・
まず現在勤務している作業所の場合、現在は障害者自立支援法における枠組みに入っておらず、位置的には「法外施設」との位置づけであるため、今現在は利用者負担は発生していません。ただ食事に関しては実費負担となり、作業所で給食(お弁当)を注文する人は、注文した分に応じて食事代が請求されます。また一部の行事に関しても自己負担が発生します。(ただ、職員の場合は食費を除いて自己負担はありません。「仕事なのだから当然」といえば当然ですが、見方を変えれば「なんで特別扱いされているの?」と疑問符を打つこともできますが・・・)

で、以前勤務していた「知的障害者デイサービス」の場合、「地域活動支援センター」に移行することもできましたが、障害者自立支援法の枠組みである「生活介護」に移行しました。この移行によって、費用負担は大きく異なります。

以前の「知的障害者デイサービス」であった場合、利用者本人の所得(未成年者においては保護者の所得)に応じて費用負担が発生していましたが、ほとんどの利用者は障害基礎年金だけであったので、自己負担をしていた利用者はおらず、仮に自己負担が発生していたとしてもほとんどは未成年の利用者であり、未成年の利用者も二十歳になると同時に利用者負担がなくなっていました。食事に関しては、実費負担は変わりません。

しかし現在の「生活介護」になると、介護保険法のデイサービスのように、利用実績に応じてその費用を負担しなければなりません。その費用負担上限となる算定は住民基本台帳における世帯、つまり「住民票」に書かれている世帯で計算されることになります。そのため、ほとんどの利用者が費用負担を余儀なくされる現状にあります。

またこの自立支援法、利用者だけでなく職員に対してもしわ寄せがやってきます。
「利用者負担」は利用実績に応じて収入として入るため、利用が少なければ当然収入も減ります。そうなると真っ先に切られるのは「人件費」で正規職員の給与カットや非正規職員(非常勤・パート)の採用、人員削減など、本来一番必要であるはずのマンパワーの部分を削られることになります。また正規職員の採用を見送る事業所もあり、足場の安定しない非正規職員の募集だけが増えるだけになり、結果として職員の負担が大きくなる、と言う現実があります。

今の総理大臣は障害者自立支援法の見直しを公約に掲げているみたいですが、結局福祉の問題はいつも「棚上げ」です。某K総理大臣も障害者自立支援法よりも郵政民営化を推し進めるだけ進めて辞めてしまい、障害者自立支援法は十分な審議をされないまま可決・成立・施行に至っています。そして今回もテロ特措法に重点が置かれ、やっぱり福祉の問題は全く審議されていません。もっとも、今の社会構造が福祉に対してあまり目を向けない部分があり、マスコミがもっと報道すべきところを報道していないことに、社会の関心が薄れている部分があると思います。もっと積極的に報道をして欲しいものです。
そしていつまでも福祉を「棚上げ状態」にするのは終わりにして欲しいものです。

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2007.10.21

「一線」を越えないこと

久しぶりに祖母の特養へ。
ここ最近は少し忙しく、なかなか行くことができなかったけど、今日は久しぶりに行くことに。もっとも、今日を逃したら今後の諸処の都合で行けなくなってしまうため、今日行くことに。(その「諸処の都合」に関しては、明後日明らかにすることに。)

行ってみると、何かを展示している様子。どうやら「クラブ発表会」らしい。
形だけだけど、一応は利用者さんの創作活動としての場を設けているということだけど、「介護中心なので、もう少し手を入れたいのだけど・・・」と言うのが職員の本音らしい。たしかに、それは俺も同じことを思う。でも実際問題としては人手の問題などでそこまで対処できていない実態もある。分野は違えど同じ「福祉」に携わっているものとして理解はしているものの、やっぱりもう少し力を入れて欲しいなぁ・・・と思うのが俺的の本音。まぁ家族が頑張ればいいのだけど、結局家族もどっかで張り合いを感じなくなり、バーンアウトしてしまうこともあるだろう。

そんな中、熱心に来ている家族があるのも事実。
うちの祖母も少しお世話になっているみたいで、色々と話を聞くことに。ただ、今日の会話の中で祖母の車椅子を別の利用者さんが押しているとの話があり、そのことに関してその家族は「○○さんが手伝ってくれていいわよ。」とのこと。それに対して、母親が一言・・・「うーん、何かがあると、それは困るな」。
その返答をしたあと、その家族の人は話しかけなくなってきたが・・・

うちの母親もオイラに感化されている部分があるためかそんな返答になったけど、母親の言っていることもわかる。
いわゆる「リスクマネージメント」と言うわけで、たしかに「お手伝い」をしているつもりであっても見方を変えてしまえば「何かあったら困るから、ヘタに手を出して欲しくない」と言う見方もある。その家族の人は色んな利用者の人に手を出しているみたいだけど、正直オイラから見ると「やりすぎ」と感じる部分もある。福祉従事者として「ちょっとドライすぎる」と批判を受けるかもしれないが、ここ最近になって「一定の距離」をおくことの必要性を感じていることも事実。ちょっと前までは頑張っていた自分もいたけど、最近はあんまり頑張らない自分になってきている。もしかしたらそれは「バーンアウト」なのかもしれないけど、仕事で「福祉」をやっている自分はあんまりプライベートの場面までは福祉を持ち込まないようにしたほうがいいのかな、と思っている。だからオイラから能動的に他の利用者さんに手を出すことはしていない。あくまでも特養の中でのオイラの立場は「親族」であって、福祉従事者ではない。ましてや、ボランティアでもない。ただの「一親族」としているのであって、「社会福祉士」として面会に来ているわけではない。

「一親族」である以上、「嫌なものはイヤ」と素直に言うのは当然だろう。
ただ、ここで「社会福祉士」的な見方をしてしまえば、家族の面会で来ている人が必要以上なことをすること、ここで言えば「ボランティア」的なことにまで手を出してしまうのは、やはり「リスクマネージメント」的に考えてもいいことではないと思う。本人は「善意」としてやっているつもりかもしれないけど、もし何かの事故が起きた時に誰が責任を取るのか、と言う話になったとき、第一義的にはその人が取るべきなのかもしれない。しかし実際には施設がその責任を負うわけであり、施設側としてはその行為をどこまで把握している、というリスクマネージメントをしておかなければならないと思う。わかった上での行為であれば問題ないかもしれないが、わかってない行為であればリスクマネージメント不足といわざるを得ないだろう。別にこう言う行為を批判するわけではないが、やはりどこかで「一線」をおいておかないと、何か起きた時の「責任」の所在がわからなくなってしまうと考える。
そういった意味で、最近は自分も「一定の距離」を置いている。

何となくこの人がやっている行為は「一線を越えた」ものになっている気がする。今後、何か問題が起きないことを祈りたい。

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2007.09.24

パーキングパーミットの普及を

今日はやけに「劇重」のココログです。そんな中でも、更新はしないと・・・

今日は珍しく祝日に福祉ネタを。
今日のフジテレビ系「スーパーニュース」の特集で、身障者用駐車場の健常者利用を取り上げていた。
スーパーニュースはいわゆる「福祉領域」に関する話題を比較的多く取り上げるな・・・という印象を持っており、今日もまた取り上げているな、と思いながらテレビを見ていました。

身障者用の駐車場、このblogでも「駐車禁止除外標章」や「身障者マーク」などで取り上げてきている通り、障害者の「駐車環境」と言う意味で色々と話してきました。そのときの「主眼」として主張してきたのは「目に見えない障害」に対して意見を述べてきました。

今回の取材に対しても、正直「全数調査」の方法で行っていることに違和感を感じました。
たしかに「見た目では健常者」で、実際に健常者でいる人は多かったですが、その一方で「見た目は健常者」でも実際は「障害者」であった人もいたはずです。そのときに「失礼しました」の一言があってもよかったんじゃないかな・・・と思います。いわば「アイツも健常者だろう」という障害者狩りをしていた訳であり、障害者に対してもう少し配慮のある言葉がけをしていても良かったんではないかな・・・と感じています。

実際、自分の場合はあらぬ誤解を生まないようにするためにも、障害者マークと駐車禁止除外標章を並列して駐車しています。当初は駐車禁止除外標章のみの掲示でしたが、あまりにもわからないと言う反響を強く感じた(何しろ、警察官ですらわからないのですから・・・)ため、今のように掲示するようにしました。

そんな中で紹介された、佐賀県の「パーキングパーミット制度」に、一筋の光明が有るような気がします。
単純に「障害者」と言う区切りだけで切るのではなく、実際の「生活問題」に着目しての区分け、それに伴う配慮をしているこの制度に、強く共鳴しました。「障害者」だけではなく、高齢者や障害の程度が低いなど「駐車禁止除外標章」に救われない人や、一時的な傷病でスペースを必要とする人、妊産婦もこの制度で救っていく佐賀県の姿勢は、本当の意味での「福祉」と言う点で、理にかなっているものであると感じます。「福祉」は「弱者」だけのためにあるのではなく、ユニバーサルモデルのように「必要な時」に使えるように「万人のための福祉」であるべきと感じます。この制度、佐賀県だけではなく他の都道府県レベルでも普及させて欲しいものと感じています。

さらに、先進諸国に比べて著しく「障害者」に対して遅れを取っている日本。
「パーキングパーミット」を法的レベルまで引き上げても良いと考えています。特集で紹介されていたように、日本の駐車マナーはもしかしたら世界一低いかもしれない・・・もはや「モラルとマナー」だけではどうにもできないような気がしており、毅然とした、厳しい対応をしていく必要があるのではないかと思います。

パーキングパーミット制度、ぜひ積極的に推進して欲しいものと思います。

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2007.09.13

能力開発

久しぶりの仕事。出勤するや否や「Mitakeさ~ん、久しぶり~」と利用者の元気な声が。
そう、知的障害者の世界は「元気」が一番であり、「あぁ、また現実に戻ってきたんだなぁ・・・」と感じることに。
とはいえ・・・出勤は今日だけで、明日からまたお休みなんだけどね・・・(^_^;)

それにしても、今月は月16日だけの勤務になりそう。もしかしたら、16日をきるかも・・・
そうなったら、お給料が10万に届くか微妙な状態。まぁ元々稼動日自体が少ないから、しょうがないけどね・・・

そんなわけで、数少ない出勤の1日から、久しぶりに「福祉」ネタを(ネタと言うほどでもないが・・・)
ようやく最近になって「仕事のカン」を取り戻しつつあるオイラ。最初は一心不乱に、感じたことをストレートにやってきたけど、ここに来てようやく余裕が出てきたのか、それとも「転職後のスタンス」がわかってきたのか、徐々にコントロールをすることができるようになったきた感じ。今日も本来なら作業能力のある利用者がやる気なしモードに入っていたため、利用者さんに「終わるまでやってもらうよ。終わらなかったら、残業だよ。」とちょっとハッパをかけたら、キチンと耳そろえて完成させてきた。もちろんやったことは評価しているけど、相手が自閉の利用者さんだったため、「時間」の侵食が死活問題になるために慌ててやった、と考えるのがフツーかな。まぁ目に見えるようなハッパをかけることはここではそんなにやってなかったので、久しぶりに授産時代を思い出してハッパをかけたら、うまいこと行った、と言う感じかもしれない。

そんな「授産時代」にやっていたこと、「能力開発」と言う部分。
授産時代の自分の行動を「攻め」と例えるならば、今の自分は「守り」に入っている状態。今持っている利用者の能力に合わせた作業分配を行っている状態。ただ、今日はある利用者・・・って言うか、やっぱり出て来た、ダウンの利用者さんが、ショッピングバックの「ひらき」をやりたいとのこと。当然現段階の能力的にはNGである状態。ただ、終了前までにちょっとした時間があったので、既に開いた袋でボツになった袋を使って試してみることに。結果は予想通り、ちゃんとできない。まぁその辺のことは読めていたけど、いずれにしろ長い目で見たときは、試してみてもいいかなぁ・・・と思っている。なので利用者さんには「今度時間があるときに、サービス袋でやってみようね」と話す。

授産の時代は仕事に追われる状態で、ショッピングバックの部分で「能力の開発」をすることはなかった。今の作業所でも仕事に追われる時はトコトン仕事に追われるが、そうでない時もある。だから、そういった時間を使って、商品にしないショッピングバックを使って練習してみる取り組みをしてもいいかなぁ・・・と個人的には思う。

もちろん大前提として「それができたから、社会で通用する」と言うことはサラサラ思っていない。
あくまでもここでの能力開発は「作業所内におけるスキルアップ」に過ぎず、広い意味での開発には当たらない。本来的には、いわゆる「BADL」や「IADL」の向上が直接的につながっていくものなのかもしれないけど、まず「小さな社会で」と言う観点で言えば、「できないよりは、できたほうがいい」につながっていくものに取り組んだ方がいいのかもしれない。その1つが、「ひらき」という手段なのだと思う。

そんなことを言いながらも、実際は余裕のある場面でちょっと取り組んでみたりもしている。
例えば「線のところを折る」と言う作業、職員がやるところを利用者さんにやってもらうこともあり、その都度挑戦して、できる人にはやってもらったりもしている。できることがわかれば、次回以降同様の作業に関してはできる可能性を持つ人として計算できるからである。あくまでも、ここでの話は「作業所」という小さな社会の中だけの話であるけど・・・

まぁ現状ではそこまで取り組む余裕がない、と言うのが本音かもしれない。
いや、本当の本音を言えば「できる人にやってもらった方が、効率がいい」から、そこまで取り組まないのかもしれない。まぁ今現在では「法外施設」として位置づけられている作業所、いずれ自立支援法により法内化されるのは時間の問題だし、いずれ個別支援計画で取り組むべきことを明らかにしていく段階になっていくと思うけど・・・個人的には以前も述べたように「先駆的」に取り組むべきなんじゃないかな・・・と感じています。だって、大きいバックがついているのだから・・・(ついているからできない、との話もあるけど・・・うーん、どうなんでしょ?)

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2007.08.13

「故意」である、「故意ではない」故意

故意・・・一言で言えば「わざと」と言うことです。
タイトル、非常にわかりにくいですね・・・「故意」なのに、「故意ではない」と言っている状態。

今日は「仕事」はしていたけど、「作業」はしなかった1日。
午前中は先日の外出実習のご家庭向けの報告を書く。本来なら自分の担当した部屋だけ書けばいいけど、何故か「課長」が担当した部屋も書くことになってしまったので、7名分の報告を作成。自分の部屋は楽だけど、課長の部屋はどう書けばよいのか・・・といった状態。だって、課長の部屋なんか行ってないし・・・
午後は「宿泊実習」の書類作成。実踏報告や利用者向けしおりなど、作るものは山ほど。だから今日は「作業」はしなかったけど、お盆休みで利用者さんの休みも半数がお休みのため、ゆっくりと「仕事」をしました。

で、そんな仕事をしている中で、突如利用者さんが職員を襲うことが発生。
襲った現場は見たけど、襲う前の前後行動は仕事をしていた席から「死角」になっていたため、状況把握は肝前にはできず。ただ、襲った職員はケガをしている状態。その「ケガ」をしているところをめがけて襲っているので、完全に「故意」で襲った状態。そのあとも利用者さんはパニック。襲われた職員の人が押さえつけると、このことを保護者には報告をしないで・・・と懇願している状態。でも周りの物にあたるなど、パニックは続いている状態。

ちょうどその部屋には自分と襲われた職員しかいなかった状態であり、作業も終盤になっていたため、完全に気を抜いていた状態。結局襲われた職員さんは病院へ。利用者さんが帰った後に、ミーティングで報告。どうやらその利用者さん、何かしらのアクションを起こす時は必ず前後行動が見られるとのこと。ただ、自分には「死角」になっていた部分もあったため、完全に前後行動は把握できず、襲った現場しか見ていない状態。

今になって冷静に考えると、たしかに利用者さんのとった行動は「故意」の行動である。
だけど、さらに分析すると、その行動は「故意ではない」故意の行動だったのかなぁ・・・と思う。

と言うのは・・・そうそう、「男嫌い」の利用者さんも、この例に当てはまるのかな?
今日の例にしても、自分に襲ってくる利用者さんの例にしても、多分はなから「襲う」ことは目的にはしていないと思う。ある程度は自分の中で押さえつけて、抑圧させたり置き換えをしたりと・・・いわゆる「防衛機制」を働かせている状態であるけど、どこかでその防衛機制が働かなくなってしまった時に「襲う」と言う行動に出てしまっているのではないのかな・・・と感じています。これが「故意ではない故意」と言う部分です。ですから、やってしまった行動そのものは「故意」であっても、本来は自分では起こそうと思わなかった・・・つまり「故意ではない」ということが働いているのでは、とも感じられます。ですから今日の例の場合、「懇願している」部分から、本来はそんなことをするつもりじゃなくても、自分の中で抑え切れなくなってしまい「故意」の行動に移ってしまった、と言うのが正しいのかもしれません。

いづれにしても、行動として起こしてしまった「故意」に対しては毅然に対応しなければなりません。
でもその一方で「なんでその行動になってしまったのか」といった因果関係を探ることも大切です。今日の場合は因果関係がはっきりしませんでしたが、物事を「行動」に移すには、何らかの「要因・原因」があるから行動に移るわけであり、行動に移した「結果」がそこに存在するのだと思います。
何か今日はちょっとだけアカデミック(?)な感じで書いてしまいましたが・・・明日以降、要観察です。

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2007.07.27

お手伝い、ありがとう♪

本日、第3回目の外出実習。
したがって今日もイレギュラーな編成でしたが・・・意外にも今日のほうが流れがよかったりします。
職員の配置も若干変わっている部分がありましたが、それが良い方に転じたのか、それとも利用者さんのパワー関係が変化したのか、いつも以上にとても落ち着いた状態で作業をしていました。何と言っても、職員がいつもより負担が軽く感じるくらいで、いつもこれくらいならいいなぁ・・・と思ったりもしてしまいます。

そして今日は2週連続の台所当番。
これも職員配置の都合上、自分が当番になることに。でも利用者が少ないから洗い物も少なくて済む。
ハッキリ言って「ラッキー」である。そこへ利用者がやってきて「何やってるの?」と聞かれる。「これ、洗っているんだよ。家でもお手伝いしている?」と返答。

質問の相手は、自分の支援には外すことのできない「ダウン」の利用者さんです。
もうダウンの利用者はこれでもか、と言うくらいに支援してきました。自分の支援の中で「ダウン」の利用者が関わらない支援はないと言うくらいに、必ずと言っていいほど登場します。授産時代は中~重度の利用者を、デイでは重度の利用者を、そして今の作業所では軽度~中度の利用者さんを相手にしています。

ただ、ダウンの女の子は初めてのケースであり、今まで自分が使ってきた「スキンシップ」は使えない。
そんな中自分も湯呑みを洗いながら「小さい時からおかあちゃんと一緒にお手伝いするんだよぉ」と言うと、何かを感じたのか、自分が洗った湯呑みをゆすぎ終わると、その湯呑みを取って食器かごへ。どうやら彼女なりに「お手伝い」をしているのかもしれない。

別に手伝ってもらわなくてもいいのだが、こう言うところは大事にしたいなぁ・・・と思うのがオイラ。
手伝いを拒否することなく、逆にお願いした。自分がゆすいだ湯呑みを彼女に渡して、彼女が食器かごへ。ほんの1アクションだけど、彼女なりに「貢献」しているつもりなのだと思う。そういう心はもっとのばしてあげたい、作業ができるのもそうだけど、作業以外の「シャドーワーク」、いわゆる「お仕事ではない部分」での援助も必要だと思う。もしオバちゃん職員だったら利用者を台所から排除してしまうかもしれないけど、自分の場合はオールOKのスタンス。台所だから話せることやできることがある。だから自分はその部分をありのままに受け入れてあげている。今回の「手伝い」もしてもらわなければもう少し早く済ませられたかもしれない。でも、大事なのは「手伝おうとする気持ち」であって、気持ちと言うのは作業だけでは援助をすることのできない部分であると思う。だから自分は利用者のすることについて、明らかに危険なことや難しすぎることに関してはクッションを入れるけど、それ以外のことであれば、全部受容してあげたいと思っている。

手伝ってくれた彼女には「ありがとう」と言い、「ナイショだよ」と言って、冷凍庫から氷のかけらをプレゼント。
「冷たーい」と言いながらも、おいしそうに舐めて涼んでいる彼女。別にエサで釣るつもりはないけど、ちゃんと貢献してくれた分には、それなりの報いも保証してあげたい。特に自発的に動いてくれたことを評価したい。もちろんこんなことをしていることがベテランのオバちゃん職員に見つかったら「Mitakeさん、そんなことしちゃダメ」と言うかもしれないが、それを承知で彼女と「二人だけの秘密な」と言って氷をプレゼント。彼女の満足そうな笑顔が、やっぱりこの仕事から離れられないでいるんだな・・・と改めて実感するオイラでありました。

そうそう、今日は定期通院日。
1週間だけだったため、特に体調変化なし。処方もいつもどおり。今回は「問題なし」でした。
来週は東北地方への実踏と外出実習。イベントがありだらけの2週間、うまく乗り切ることができるでしょうか・・・

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2007.07.09

ないなら、先駆的に

今日は「業務報告」よりも「福祉」の色合いが強いかな?
ここ最近は「福祉」のネタで書くことが少なかったので、久しぶりにこっち方向で書こうかな・・・と思います。

週明けの月曜日、やっぱりブルーマンデーです。
そんでもって、利用者の配置もいつもより若干変わっている状態。この辺について利用者が帰った後のミーティングで「何か(利用者の配置を変えた)意図とか・・・(あるんですかぁ?)」と聞いてみると「何にもないんじゃない」とあっさり。むしろ「今日は職員の人数が少ないから、必然的に利用者を割り振っての配置じゃないの?」とのこと。職員の人数が少ないのは、今に始まったことじゃない。だけど今日はお休みの職員が多く、職員配置的には「かなり薄い」状態であったことは確か。だから別に利用者の配置が変わったのは、特段意図がない・・・と言うことらしい。

で、話は「作業所のあり方」について。
1人の利用者さんのことを例に挙げて聞いたところ、話がだんだん「作業所」の方に進んだ状態。
細かい話をすると長くなるので、掻い摘んで言うと、「民営の施設では作業能力のテストをしている」とのこと。正直このことを聞いた時は「何でそんなことするの?」と思った。で、話を聞くと「工賃アップ」を目指すのであれば「能力の高い人」を入れていくのが自然な流れであって、現実問題として「工賃を上げる」ことを目ざすのであれば「能力の満たない人」を切り捨てていくしかないのではないか、と言う話。もちろん自分なりに納得がいかないこともあったので「能力云々よりも、(作業所を)希望しているのであれば、拒否せずに受けるのが自然の流れではないか?利用者がイヤと言っているのであればともかく、希望しているのであれば受けていく必要があるんじゃないのか?」と反論。しかし返す刀であり「果たして利用者自身が自分の希望で(作業所に)来ている人はいるのか?ほとんどは『親の意思』で来ているのではないのか?」とのこと。

うーん、たしかに本当に「本人の意思」できているのか・・・と言われれば言葉に詰まる。
たしかに今の作業所は能力的に見れば非常に幅の広い状態である。器用に作業をこなす人・指示通りに作業が出来る人がいれば、日課的に来て時間が過ぎるのを待ち、時間になったら帰る・・・と言う人がいるのも事実。前者の場合は意思を確認できるとしても、後者の場合は本当に「自分の意思」で来ているのかを聞き出すのは困難な状態。となると、代弁者は「親」となり、結果として「親の意思」=「本人の意思」につながってしまう部分がある。だからそのことをつつかれてしまえば、何にも返す言葉がない。

ただ・・・誰の意思であろうとも、一応は作業所に来ているのであれば、何かする必要があるのでは・・・とも思う。
もっと言えば「作業所」と言う枠組みにとらわれないで、もっと柔軟に対応して行く必要があるんじゃないのかなぁ・・・と思う。もちろんこのことは「作業所」の存在を根底から覆すことになるのであろう・・・と言うのは十分承知の上でのことだが、一口に「知的障害」と言っても、その言葉で括ることができないのが実態。身体障害であれば「目に見える障害」であるために色々と対応ができるかもしれないが、知的障害の場合は単純に知的障害だけを持つ人もいれば、自閉傾向やダウン症、統合失調症など複数の障害を併せ持つ人がいるもの事実。要はニーズが多様化しているといえる。その中で1つの枠組みにおいてやっていくことには、もう限界があるのではないか・・・と思う。かといって、何か先行事例があるのか・・・といわれれば、今の自分では聞いた事がない。

のであれば、もっと先駆的に色んなことをやって言ってもいいのでは・・・とも思う。
たしかに「授産施設」「作業所」と言う括りの中では「作業して工賃を得る」と言うのが目的になる。特に授産施設に関しては「工賃2倍計画」が出ているくらいで、もっと作業的側面を強くしていかなければならないと言う現実があると思う。しかし他方のベクトルに進んでいく必要もあるのではないか・・・と思う。いわば、「授産施設・作業所」と「更生施設・デイサービス」の間にいる「グレーゾーン」の利用者にどう対応していくか、と言うことである。グレーゾーンがあるからこそ、「来るもの、拒まず」の体制が必要ではないか、と思う。そして受けた以上はどんな形であれ、何らかの「improve(インプルーブ)」(向上・開発する)をしていかなければならないのでは、と思う。improveの内容は作業的でも生活的でもどちらでも構わないから、何らかの目標設定をして、それに向かって支援していくこと、もっと言えばエンパワメントをしていく必要があるのではないか・・・と思う。

うーん・・・頭の中が整理できていないから矢継ぎ早に書いてしまったけど、1つの固定概念にとらわれていては先に進まないのではないかと思う。そのためには、「作業所だから」とか「授産施設だから」なんてことを言っていないで、もっと先行的に進めていく必要があるのではないか・・・と感じています。
平日の記事なのに、久しぶりに長くなってしまいましたが・・・また思うところがあったら書きたいと思います。

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2007.06.25

たまには「ナナメ」に見て

今週も仕事が始まりました・・・ハイ。完全にブルーマンデーです。
もちろん仕事モードの時はちゃんと仕事をしましたよ。ただ利用者を送り出したあとは、完全にオフモード。

利用者さんを送り出したあとは、その日の反省。
特に話題となる利用者さんもいなかったため、そんなに大きな話にならずに終了。ただ、ミーティングをしていて感じたのは、たまには「ナナメ」に見ることも大事かな・・・ということ。

ある利用者さんについての話題が出た時に、その利用者さんが他の利用者さんから他害を受けそうになって自分のところに逃げたことが話題になった。それについて常勤の職員さんは「それはMitakeさんだったら何らかのフォローをしてくれると思ってとった行動だと思うよ。オレの方が近かったのに、わざわざ遠いMitakeさんのほうに行っているのだから」とのこと。うーん、たしかに自分はここではまだまだ不慣れ。そのため利用者さんの行動に関しても額面どおりに受け取っているのが今の状態。もちろん、額面どおりではなく色々と推察をして行動していることも有ります。

ですが、ちょっと思ったこととして、「慣れ」によって「この利用者さんはこう言う行動をとった」と言うことを決めてしまうのもどうなのかなぁ・・・と感じている部分もあります。たまには額面どおりに受け取ってあげることも大事かなと思ったりもしますし、「慣れ」によってついてしまった「利用者への支援」のあり方についても、時々違った方向から見てあげることも大事なのかなぁ・・・と感じています。今の職場を含めて3ヶ所を渡り歩いているオイラ、常勤さんは5ヶ所ぐらいを渡り歩いているみたいだけど、法人としては2ヵ所。自分も法人としては2ヵ所だけど所々で色んな利用者さんを見てきました。ただ1つ思うのは、1つの場所に長く居てしまうと、支援の方法も固まってしまうんじゃないのかな・・・と感じている部分があります。自分の場合はそんなに長く居ることなく色々と渡り歩いていますが、常に「新鮮な目」を持つことは大事なんじゃないかな・・・と思ったりもします。もちろん長く勤めている人のキャリア・経験談を否定するつもりはありませんが、すべてをすべて肯定するつもりもありません。経験は「事実」として存在しているものなので、それはありのままに受け入れることが大事です。ですがその「事実」が常に不変なものかどうかと考えれば、それは違うと思います。加齢と共に体力が衰えていくのと同じように、同じ「場面」であってもその人の心情や精神状態によって変化があるのは事実です。だから「この人はこうだ」と言う考え方ではなく、もう少し柔軟に見ることも大事じゃないのかなぁ・・・と、ふと今日のミーティングで感じました。

物事を「ナナメ」に見ること、言葉で言うのは簡単ですが、行動に移すのは難しいものです、ハイ。

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2007.06.10

低所得者です。

実は昨日の時点で届いていたのですが、バザーだったので今日に先送りされました。
前回は「重度かつ継続」の判定、そして今度は、一定所得以下、すなわち「低所得者」としての判定です。

Dscn0058

まぁ実際には「5000円」と言う枠は「一定所得者以下」の「市町村民税非課税・本人収入>80万円」なのか「中間所得層」の「市町村民税<2万円・(所得割)」なのかはわかりませんが、いずれにしても1月の更新申請の時に比べては、所得は低く計算されたことになります。でも多分、自分は「一定所得者以下」になったと思います。
事実、この時期になると送りつけられてくるはずの「住民税」の請求が来ない。つまり去年度の所得が低かったために「非課税」の対象になった可能性があるのです。(話がつながらない方は、コチラ

たしかに去年は1年間失業の生活をしていたので、何が何でも脱却したいとの思いから今の仕事についています。多分今も失業中なら本当に「無所得」になっていると思いますが、さすがに2年目の失業生活突入は避けたく、また経済的にも本当に困窮を極めつつある状態であったので、とりあえず何かの職には就かないと・・・との思いから今に至っています。

その「台所事情」が確定申告でちゃんと通知されたのか、今回の所得に関する判定は「自分ひとりだけ」の判定(前回は国保だったので世帯としての判定)だったので、結果的に計算も低くなったことになります。

今回の新しい上限設定により、今度は「上限金額」に達する可能性が出てきました。
今までの場合、どんなに通院をしても「月3回」が限度であり、10000円には及びませんでしたが、今回の5000円の決定により、「月2回」の場合は変わりませんが「月3回」になると上限金額に達する状態になるので、今度は本当にちゃんと上限管理をする必要が出てきました。(もちろん「10000円」に設定された時から上限管理はちゃんとやっていますが・・・)

まぁ心中は「低くなって、意味が出てきた」と思う自分と「あぁ、所得少ないなぁ・・・」と感じる2人の自分・・・いや、もっとたくさんの自分がいるかもしれません。

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2007.06.06

ある程度は、想定内

やはり、このニュースは取り上げざるを得ないでしょう。

Yahooニュース「コムスン事業所の新規・更新、2011年末まで認めず」

 厚生労働省は6日、グッドウィル・グループ(GWG)の訪問介護大手「コムスン」(東京都港区)の全国の事業所の新規指定と更新を、2011年12月まで行わないよう都道府県に通知した。
 2006年4月施行の改正介護保険法により、不正な行為があった事業者による指定・更新を5年にわたり認めないとする規定を適用した。コムスンは、全国8か所の事業所で、雇用していない訪問介護員を勤務しているなどと偽り、介護事業所指定を不正に取得したことが問題とされた。この規定を全国規模で適用するのは初めて。
 同省によると、5月末現在、同社の介護事業所は2081事業所(介護予防サービス事業所除く)あるが、同法では不正がなかった事業所も含めて更新が5年間禁じられるため、来年度には1424事業所に減少、最終的には、2011年度に426事業所にまで減る。2081事業所には、訪問介護だけでなく、デイサービスやグループホームなどの事業所も含まれる。サービス利用者は、更新時期まではサービスを受けることができるが、事業所の更新が認められないと、事業所を変えなければならなくなる。(読売新聞)

Yahooニュース「<コムスン>不許可…「現場に影響大きい」利用者ら不安」

 訪問介護の最大手の「コムスン」が、介護保険事業から撤退する公算が大きくなった。厚生労働省は6日、コムスンに介護施設の新規開設や更新を今後認めないことを決定。勤務実態の虚偽申請が、2万4000人に及ぶ従業員を抱える業界トップの「崩壊」につながった。介護関係者や全国利用者に衝撃と不安が広がった。
 「利用者が多いので、影響は少なくないでしょう」。認知症のお年寄り家族を支える活動を20年以上続ける群馬県前橋市の竹田千恵子さん(82)は、不安の声を上げる。さらに「本来介護は、企業が利潤を追求する対象になじまない。人手が足りないので民間が担うのはやむを得ないが『それぞれの家庭に密着して地道に支えるのが本質』という警鐘を鳴らしている気もします」と、厚生労働省の出した厳しい「決定」を解説してみせた。
 介護保険法が施行され、社会福祉協議会が行ってきたヘルパーの仕事の民間化が一気に進められた。コムスンは、地元の人を採用し、急成長してきた経緯がある。「介護保険法に基づき、利益を追求できる枠は一定なのに、収益を無理に増やそうと、介護員の水増し請求を続けてきたのではないでしょうか」と竹田さんは推測する。
 「コムスンが行った不正は絶対に許されないが、このままコムスンが介護事業から撤退することになれば、介護の現場に与える影響が大きすぎる」と心配するのは、大谷強・関西学院大教授(社会保障)。「最も被害を受けるのは介護を受ける利用者。慣れたヘルパーの介護を受けられなくなる不安は大きい。コムスンが抱えるケアマネージャーやヘルパーなども失業してしまう」と話した。
 介護保険利用者への情報提供を行っている「介護情報ネットワーク協会」(神戸市)の糟谷有彦代表理事は「(コムスンの対応は)悪質だったのである程度は予想できた結果だ」と話す。そのうえで、「コムスン以外の事業所が充実している地域でなく、コムスンに頼ってきた地方への影響は計り知れない。地方を中心に新たな『介護難民』が発生する可能性がある」と指摘した。(毎日新聞)

そして最新のニュースでは、また新たな展開です。
Yahooニュース「コムスンの全事業、グループ連結子会社に譲渡へ」

 訪問介護大手「コムスン」(東京都港区)が、厚生労働省から介護事業所の新規指定などが認められなくなった問題で、親会社のグッドウィル・グループ(GWG)は6日、コムスンの全事業を、同グループ連結子会社の施設介護会社、日本シルバーサービス(東京都目黒区)に譲渡する方針を決めたと発表した。
 理由についてGWGは、「顧客へのサービス継続と従業員の雇用の確保を最優先するため」としている。
 厚生省の指導で、介護事業所の新規指定と更新が5年間認められなくなり、コムスンの事業所は現在の2081事業所から2011年度には426事業所にまで減少する見通しとなった。GWGは、日本シルバーサービスに事業譲渡することで、コムスンの行っていた訪問介護事業はすべて継続できるようになるとしている。(読売新聞)

基本的に、言うことは識者の言っているのと同じです。
ここでも何度か言っているように、別に自分は「社会福祉法人神話」を肯定も否定もしません。ただ、「福祉経営」を考えた時に、以前の全国研修のことを思い出し、福祉においても「法人・施設の経営能力の必要性」は痛感しました。しかしコムスンの行っていることは「福祉経営」ではく「営利戦略」と言った方が正しいでしょう。もちろん今書いたように、福祉の世界でも「経営」をしていくことは必要です。その部分は一般企業と何ら変わることはないと思います。しかし一般企業との違いは「非営利」が目的であることです。「R25」を読んだことのある方は「法人の区分」について眼を通した覚えのある方がいればわかると思いますが(眼を通されてない方は・・・こちらで簡単に説明しています。)「社会福祉法人」は公益性のある非営利法人であるのに対して、コムスンなどを運営する一般企業は「株式会社」に属する。で、株式会社は何に属するかと言えば「非公益性の営利法人」と位置づけることができる。介護保険法の制定では、一部の社会福祉事業に関して株式会社にも参入を認めた経緯がある。しかし自分は最初から「それはヤバいんじゃないの・・・」と思った。そして自分自身も「株式会社」が運営する法人には入社せず、社会福祉法人格のある施設に入社した。どうしても自分の中では「営利目的の企業の運営するサービスなんて、質が落ちていくことが眼に見えている」という偏見の眼があったため、入社しなかった。そして今回の新規申請・更新の不認可、眼に見えていたことが現実のものになった、と言うべきのなのかも知れません。

こう言う言い方をすると「若いくせに古い考え方だ」と言われるかもしれませんが、上記の法人の説明のとおり、「社会福祉法人」と「株式会社」は全く対極の位置に存在する法人格であり、いわば「水と油」のような存在。それを高齢者分野から認めてしまったことによって、高齢者を「利用者」ではなく「顧客」と見なすことになった。別に「お客様」と言う考え方を持つのはいいことだと思う。しかしながら「お客様」ではなく「金づる」と見てしまうと、一気に考え方が変わってしまう。株式会社の第一義的目標は「利益を上げる」ことにある。しかし法律で決まっている介護サービスの場合、提供するサービスの内容によって利用者から得ることのできる金額は決められており、どんなに良いサービスを提供しても、もらえる報酬額は変わらない。そのため、違反行為をしてそれを「利益」としていた点が、今回の最大の問題点であると思う。だから自分は「株式会社に社会福祉事業の参入を一気に認めてしまうのは・・・」と言う考え方を持っていた。

語弊のないように言いますが、もちろんすべての民営(株式会社)がコムスンのようである、とは言いません。
ただ、これは私の思うに「氷山の一角」ではないかと思います。他の事業所も調べていけば、コムスンのような状態が見つかるかもしれません。それに対して社会福祉法人には「公金」も使われるため、必ず監査が入ります。もちろん監査に引っかかることがあれば、内容によっては法人格の取消しも行われるくらい厳しいものです。逆に言えば、厳しい監査の眼が光っているからこそ、法令順守をしているのだと思います。(こう言う言い方も、ちょっと変ですね。コンプライアンスはどの法人格でも当たり前のことなのですから・・・)

書けば書くほど長くなりそうなので、この辺で書き止めますが・・・
やっぱりもう一度、「社会福祉事業のあり方」を考えていくべきだと思います。障害者福祉でも、やっぱり少し見直していくべきなのかなぁ・・・と思います。特にこのblogでは何度も取り上げている「障害者自立支援法」なんかも、ちゃんとチェックしていくべきものではないか、と思います。

(追記;07.06.07)
後付で書くのは「メディアで言ってたからだろう・・・」と言われそうですが・・・それでも付け加えます。
この記事でニュースを3本つけ、最後のニュースが「サービス移譲」のニュースでした。そのニュースを見た瞬間の印象は、「本質が全く変わっていないじゃん」と言うことです。テレビでは「処分逃れ」と批判されていますが、たしかにこの批判は受けるべき批判ではありますが、問題なのはコムスンがこの問題の本質を捉えていない点です。たしかにコムスンのおかげでサービスが行き届いていた事業所があるのは事実ですし、僻地においてもサービスを行っていたとこう部分に関しては評価すべき点です。しかし同時に「悪しき部分」があったのも事実であり、単に利用者・従事者の救済のための安易な業務移譲は、結果として「グッドウィルグループ(GWG)」の本質自体が変わっていないだけのことです。仮に業務移譲をしたとしても、これからサービスの内容や経営方針を劇的に変化していくのかは、また別問題です。重要なのは「コムスン(GWG)の本質そのものの改善」にあると思っています。

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2007.05.29

もやもや感

何となく消化不良気味のオイラです。

今日は初めて別部屋へ応援へ。利用者のことは知っていたけど、実際に作業の様子を見るのは初めて。
なので完全に心境は「アウェー」状態。ホームでぬくぬくといたため、妙な緊張感が走ります。とはいえ、やることは基本的に一緒。作業出来高表を見て「この利用者は~ができるな」などを把握。また利用者さん個々の動きを見ることに。なので基本的にのんびり、まったり・・・とした状態。

ただ、今日の「消化不良」の原因は、教示に。
自閉傾向の利用者さん、離れて作業をしており、仕事の時はキチンとした言葉遣いで指示を聞いたり確認をしている利用者だけど、ちょっとした「こだわり」があり、基本的にそのこだわりが出てくるのは休み時間や帰るときに出てくるもの。で、一度「ホーム」である自分の部屋では注意をしたのだが、今日は「アウェー」の場所で教示。それも、自分が思っていた以上に自分の声が大きかったみたいで、他の部屋にも聞こえてしまったらしい。利用者の中にも「怖っ」と驚いていた利用者がいたのも事実。そこにもうすぐ定年を迎える非常勤の職員さんが「何をしたの?」と聞かれたので、自分が教示した理由を説明。するとその職員さんは「そんなに注意することのなの?」とまくし立てるように聞かれることに。自分の中では明らかに「ふざけ」と読めたので「ON・OFFをハッキリさせるためにも、必要だと思いやりました」と反論。

その後、ホームである自分の部屋へ。
そこで別の非常勤の職員さんから「もう少し、注意の方法を考えた方がいいと思うよ。(教示の)声に反応する利用者さんもいるし・・・」との助言。その時に自分が「あ、そんなに大きな声を出していたのか・・・」と、ちと反省。一方で自分とタメの職員さんからは「聞き流した方がイイよ。」とのこと。たしかにその場での教示の方法としては、ちょっと配慮が足りなかったかな・・・と思う部分もあり、その点に関しては真摯に受け止めている。けど、教示そのものに関しては自分は「間違っていない」と思っており、その場では「するべき教示」と考えている。自分の支援観としても、役割としてもその点は曖昧にしちゃいけないと考えていた。基本的に自分たちの間ならば白黒つけない「グレーゾーン」はあって当然だと思う。しかし障害を持っている利用者にとっては、何が白で何が黒か、をある程度はっきり区別しなくちゃいけないかな・・・と思っている。だからその場でふさわしくないことに関しては、キチンと白黒はっきりつける必要があるかな・・・と思っている。

でも、利用者さんが帰った後のミーティングで、「職員像」の話に。
その中で「我々は指導員じゃない。何かを指導するわけじゃなく、手助けをするのが我々の役目ではないのか?」と言う考えが。もちろん、その考えは自分も共感する。ただ、一部だけ解釈を変えるのであれば「時には指導も必要」と言うことだと思います。それが、今日の「白黒つける」ことにつながってくると感じています。

上述の考え、いわゆる「エンパワメントの視点」と言うことであると思います。
たしかに支援の基本にはエンパワメントが重要だと思っています。しかし一方で、以前に「支援と指導」で書いたようなことも必要かな・・・と思っています。そのコメントの中で、自分はこう言う風な表現をしています。

施設で働いていると色んな利用者がいます。
当然、支援の手法や内容も利用者によって違ってきます。用いる手段も異なります。そんな中ふと思うことは、支援者は「母性愛とパターナリズム」の2つの側面を兼ね備えている存在なのかな、と感じることがあります。父親のように「厳しい」側面がある一方、母親のような「深い愛」で包み込む側面で利用者を支えていく・・・どっちか片方が強すぎてもダメだし、ないのもダメ。実際、利用者に対して厳しく接する場面もありますが、その一方でやさしく利用者を包み込もうとする自分がいるのも事実。

「母性愛とパターナリズム」の考え方、基本的にはパターナリズムはなるべく控えていくべきことかな・・・とここ最近になって感じています。(このコメントを書いたのが、2004年。まだこの世界に入って1年目の時かな?だから「若気の至り」的な部分もあるかもしれません。)でも完全にパターナリズムを否定してしまったら、本当にダメなときに、エンパワメントだけで物事が解決できるのか、と言うことになるのではないか、と感じています。エンパワメントの基本にあるのは、「利用者の持っている力を引き出す」と言う点。その「引き出し」があればいいのですが、引き出しがない場合はやっぱり作らなきゃいけないと思ういます。そういうときに「賞と罰」という強化子(この辺は心理学の手法ですので、ここでは取り上げません。「強化」「強化子」「賞」「罰」などと言ったキーワードで検索してみてください。)を用いることが必要かなと・・・それに対応していくものが「母性愛とパターナリズム」と言うことなのかな・・・と考えています。

そんなこともあり、今日の自分の行った行為を改めて考えると・・・正しかったのかなぁ、と疑問が残るのは事実。
でもその場では「必要なこと」と思って行った行為なので、決して間違ってはいない、と思っているのも事実。
この部分、まだまだ支援者として「未熟だな」と感じる部分ですね。まさに「もやもや感」が残っている状態。
5年目に入っても、答えの見つからない問題に突き当たっているMitakeなのであります。

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2007.05.24

将来像があれば

今日のスーパーニュース、特集は「自閉症の旅立ち」をテーマにしたものでした。
養護学校卒業を機に、自宅から離れて一人暮らし(実際にはグループホームだと思います)をしていく過程を追ったものでした。

この自閉症の特集は今回が初めてではなく、以前から取材を続けていたものでした。
そして今回の「卒業」を機に、新たな目標を設定し、それが「親元を離れて暮らす」と言うものでした。

率直な感想を言うと、本当にお母さんの苦労は相当なものだっただろうなぁ・・・と感じました。
また養護学校の指導も、卒業後の行く末を決める大きなファクターになるんだなぁ、と実感しました。

今まで自分が担ってきた部分は「卒後」の部分であり、その前は「教育」の部分には立ち入っていませんでした。
ですから養護学校で特別な支援を受けた教育をしていることを知っていても、その実際の部分は盲目になっていました。なので今回の特集を見て、率直に養護学校での支援の重要性を改めて実感しました。

それと同時に思ったことは、お母さんを含めご家族が「明確な将来像」と言うものを描いていることでした。
「将来像」を描くのは普通の人でも大変ですが、障害を持った人、とりわけ「自閉症」の方の将来像を描いていくことは非常に大変なことだと考えています。自閉傾向を持った人の特徴の1つに「コミュニケーション能力」と言うものが挙げられますが、自閉傾向を持っている方の場合は「言葉」を言ったとしても、実際にその「言葉」に「意味」が伴っているかはわかりません。もちろん意味を伴って、意味を理解して発言することもありますが、本当に「言葉」だけの場合もあります。ですから何を持って彼らのニーズと判断するのかは大変難しく、支援者としては・・・と言うか、私個人としては「その人らしい生き方」を中心軸に支援を展開しています。

養護学校などの特別教育が施される場合は、必ず「個別学習計画」や「個別移行計画」などを立てて指導に当たっています。そして卒業後の施設では「個別支援計画」が立てられます。つまり、「教育」から「福祉」へとシフトしていくという、大きな過程がそこには存在しているのです。教育の場合は保護者や生徒が中心となり「教えていく」ことを中心に行っていくけど、福祉の場合は本人が中心となり、保護者の意見などを参考にしながら「援助していく」ことを中心に行って行きます。「教える」と「支援する」、何となく似ているものですが、性質は全く異なると思っています。何故なら、福祉の面においては「教育的要素」は少なくなるからです。これは福祉施設は「学校」ではないので、基本的に改めて何かを「教える」ことはしません。基本的な学習は学校を持って終了するからです。

しかし、いざ学校を卒業して施設を利用することになったとしても、当然そこには「乖離」される現実があります。
例えば学校では認められてきたことが、施設では認められないことはたくさんあると思います。「他害」なんかはその代表例にあたるのではないでしょうか。学校内では他害をした時点で「しちゃいけないよ」としながらも職員に当たる生徒は多々いると思います。しかし学校を卒業した以上、生徒は1人の社会で生きる存在へと変わるため、他害行為は許されないものになります。施設や社会においては絶対に許されないことです。学校生活の中では多少のゴムのゆるみみたいなものがありますが、社会ではそのゆるみはなくされます。そのため、いかに「他害」を抑えていくことができるか、その支援・援助をしていくのが福祉に委ねられたものだと考えています。

少し話がそれましたが、本人の意思を尊重して支援計画を立てることは重要なことです。
しかしもっと重要なことは、保護者の方がいかに子どもに対して「将来像」を描いているかだと思います。「この子にはこうあって欲しい」という、保護者の方の意向を反映していくことで、現場はそれを実現していくにはどのような支援をしていくか・・・と言う話になっていくと思います。現実問題として、保護者の方からなかなかそのような「将来像」を描くような発言が得られないのが実情です。もちろんそこには保護者とのコミュニケーション不足と言うのもあると思いますが、やはり施設がきちんとアセスメントをし、それに基づいて中心となる「支援軸」を作ることは必要なのではないか、と私は考えています。

具体的な将来像を持つことは、保護者にとっても施設にとっても、重要なことではないかと思います。

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2007.05.21

これが福祉士の現状

仕事ネタでも話題はあったけど、久しぶりにこんな観点から斬るのも良いでしょう。

Yahooニュース「<介護福祉士>資格持つ4割が職就かず 給与・待遇悪く」

 都市部などで人材不足が深刻化している介護福祉士の国家資格を持つ人の約4割が、実際には福祉の仕事に就かずにいることが厚生労働省の調査で分かった。介護福祉士は現場で介護保険事業などを担うが、給与水準や休日などの環境が悪く、特に都市部では家賃が高いなどの理由から敬遠されているとみられる。現場からは、こうした「潜在的介護福祉士」について待遇改善による活用促進を望む声が上がっている。
 厚労省の複数の調査によると、介護保険事業に従事する介護福祉士は約22万人(04年10月現在)、介護保険以外の障害者、児童福祉などの社会福祉の現場で働く介護福祉士は約9000人(03年10月現在)で、計約23万人が仕事に就いていた。一方、こうした調査時期に近い04年9月末現在の介護福祉士の資格所有者は約41万人で、同省は全体の約4割にあたる残りの約18万人が潜在的介護福祉士と試算した。
 介護福祉士の資格所有者は06年5月末現在で約54万5000人に増えており、潜在的介護福祉士がさらに増加している可能性もあるという。
 同省の調査では、介護職員の平均給与総額(諸手当や税金などを含む)は労働時間が長い傾向にあるにもかかわらず、20.8万円(04年9月支払い分)。年齢が若く勤続年数が短い影響はあるものの、30万円を超えている全産業に比べて低い。
 同省福祉人材確保対策室は「潜在的介護福祉士がいる詳しい理由は分からない」としているが、介護施設職員を対象とした同省調査(04年)では、不安や悩みに47.8%が「給与等収入が低い」、43.9%が「有給休暇を取りにくい」、29.9%が「業務の負担や責任が大きすぎる」を挙げていた。労働条件が潜在的介護福祉士を増大させている背景になっているとみられる。
 神奈川県社会福祉協議会の篠原正治副会長(64)は「介護報酬は全国でほぼ変わらないため、家賃や物価が高い横浜市など都市部では特に介護職のなり手がいない。介護福祉士の資格が取得できる専門学校の先生ですら、学生に『特養(特別養護老人ホーム)なんか行くと大変だぞ』と言っている。潜在的介護福祉士を減らすには待遇改善が急務」と指摘している。 (毎日新聞)

この現状、介護福祉士だけではなく社会福祉士も同様のことが言えます。
ただ単に「介護福祉士」の方が「社会福祉士」よりも業務とする内容がわかり易いから捉え易いものであり、社会福祉士の実態も、「待遇の低さ」と言うのもがあります。

今月の日本社会福祉士会ニュースでは「社会福祉士現況調査」の結果が公表されています。1つ1つ触れていくと長くなるので、要点だけまとめると・・・

・多くの社会福祉士が主体的に社会福祉専門職になるという目的意識をもって、資格取得をしている。
・しかしながら社会福祉士資格を取得しても、職場における待遇(給与等)が改善される傾向はあまり見られない。
・社会福祉士が職場に求めるものは、専門性が発揮できる立場の確保と給与等の待遇面の改善が推定される。「専門性が活かされていない」と感じている社会福祉士が過半数を占め、その者の職場に対する満足度は低い。賃金面のみならず、自己研鑽がしにくい、意見が反映されにくいこと等が不満となっているものと推定される。
・全産業における労働者の平均年収453万円(年齢40.7歳において)と比較すると、大学卒業者で、資格取得者で、常勤でもあるにもかかわらず、年収は低額である。
・転職によって、収入面以上に、専門性を活かせるやりがいのある職場を求めている様子がある。
・自己研鑽の意欲は高い傾向があり、職場の環境による影響もあり、職場への満足度が高い職場にいる社会福祉士は、より自己研鑽に励んでいることが推察できる。
・(2000年に行った現況調査に比べ)職場における社会福祉士に対する認知度は、業務内容や採用条件から見ると、未だ低いままではあるが向上の傾向は見られる。一方、資格取得による勤務形態や年収等の待遇の変化は見られず、その面では低いままである。

とまぁ、結果は介護福祉士と似たり寄ったりの状態です。
これは介護福祉士・社会福祉士に関わらず「福祉に携わる人全体」の問題であり、未だに福祉の業務内容が社会的に評価されていない部分があると考えることができます。福祉の原点は救貧・慈善活動にあるわけですが、「職業」として福祉を捉えた場合はやはり「専門性の担保」が要求されることになります。介護福祉士・社会福祉士は一定の知識・技術を持ったものとして「国が担保した資格」=国家資格として位置づけられている・・・はずなのですが、現状は上述のとおりな訳であります。

もちろん「雇用者側」の問題というのもあります。
近年の福祉施策の変化により、雇用する側としては厳しい現状にあるのも事実です。そのため今まで「正規職員・常勤職員」として雇用していたものを「パート職員・非常勤職員」に切り替え、少しでも人件費を抑えようとしている傾向があるのも事実です。そのため「正規職員」と「非正規職員」との給与面・待遇面格差の広がりが出ていいるのも事実であり、さらに全産業に比べる「格差」が大きくなっていることも事実であります。今の自分の待遇(パート・非常勤)では年収200万円にも達しない状態です。正規で勤務していた時は何とか年収300万円を維持していましたが、現在ではそれを維持していくのも先行き不透明なため困難を極める状態にあります。

福祉士の資格を取得するのにはそれなりの費用がかかっているのは事実であり、その名を使うだけでも「登録料」が発生しています。にもかかわらず、現状はこんな状態なのです。もちろん職能団体のアクションも必要ですが、「現実問題がある」と言うことを厚労省も受け止める必要、それに対しての施策を講じる必要があるのではないか・・・と感じております。

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2007.04.05

まだまだ、ペースつかめず・・・

昨日は「貝になる」って言ったけど、本当に「貝」になれるかなぁ・・・
フラストレーションが溜まりそうな気がするけど・・・主旨は昨日と同じだから、省略。

まぁ昨日も書いているように、まだ4日目ですから、物事の「ペース」がつかめないのは当然です。
今日も午前中に利用者さんの連絡ノートを確認しようと思い、ノートを確認しようとすると、何かの封入物あり。何かなぁ・・・と思って確認しているとパートのおばちゃんから「これは○○さんが入れたものです!勝手に確認しないで下さい!」とものすごい剣幕で言われてしまい、何も言えず。
って言うか、その前に「これはどうすれば・・・」と聞こうと思った矢先に言われてしまったので、何もこっちは意見できず。

また利用者に対しても、まだペースがつかめていない状態。
作業中に関しては多少のペースをつかんだものの、作業外では全くつかめない状態。特に「対利用者」で、まだ今の時点で接点のない利用者に対して、窓ガラスが空いたまま入ってきた利用者に対して「○○さん、まだドアが開いていますよ」と、自分では「声掛け」をしたつもりだったのが、利用者にとってはそれが「注意」「怒られた」と捉えられてしまったみたいで、その利用者が動かない状態を見て、自分が閉めようと窓ガラスの方・・・と言うか、その利用者の方に行こうとしたら、「バン!」と勢いよく利用者が閉めてしまい、興奮状態に。後から別の職員さんが自分のところに来て「○○さんは、直接注意すると怒ってしまうので・・・特に知らない人だと・・・」とのこと。
自分が接した利用者は3分の1程度、まだまだ・・・といったところです。

でもねぇ・・・その利用者の「衝動性」と言うか、「感情を抑える」とかって、社会に出るにあたって重要なことだと思うんですよね。今の福祉の基本的な流れは「障害者も地域社会の中で」と言う風になってきているけど、でもそこはやっぱりある種の「ギブ・アンド・テイク」みたいなものもあると思うんですよね。例えば利用者さんを怒らせてしまった自分の行動。これは「作業所」という小さな社会の中だから通用するのですが、本当の社会に出たときに、見知らぬ人に注意されてカッとなって他害した、と言うわけにはいかないと思うんです。「障害者だからゴメンネ」では済まされないことだと思うんです。その証拠に、自分が行こうとしたら怒りながら閉めた、と言うことは「開いているから閉めて」と言う意思は伝わっていながらも、自分の意にそぐわない状況だから怒る、と言うのは、ちょっと言葉が悪いですがある意味「確信犯」的なことですよね。

一番端的でわかりやすい事例があったので、このことを取り上げましたが、要は「修正できるのか、修正できないのか」と言うことであり、修正ができるキャパシティがあるのであれば、それを修正していくことも必要なんじゃないか、と思うんです。結局それが「個別支援」につながっていくものであり、支援をすることによって「小さな社会」から「大きな社会」へと出て行くことができると思うんです。逆に修正ができない場合・・・そのときは「それはそれ」と受け止めて、「じゃどうすれば社会との妥結点を見出せるか」を支援していくことが、プロとしてのあり方なのかなぁ・・・と感じます。

自分が授産時代に、個別支援を計画するに当たって教え込まれたことは「いかにその人らしい生活を送っていくか」が支援の大黒柱にあると言うことです。言うなれば、木の大きな「幹」であり、実際に行う個別支援計画と言うのが「枝葉」になると考えています。これが俗に言う「QOLの向上」と言うものなのかもしれません。
うーん、まだまだ勉強が足りませんねぇ・・・オイラ。

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2007.02.20

この国の福祉は・・・

Yahooニュース「時給わずか100円台…神戸の障害者施設、改善指導へ」

 神戸市内の知的障害者の作業所が、最低賃金法に違反しているなどとして、神戸東労働基準監督署は近く改善指導を行う方針を固めた。
 作業所は一定の条件を満たせば労働関係法規の適用が除外されるが、同署は、作業実態が訓練の範囲を超えた「労働」にあたると判断した。作業所への改善指導は異例。同様の事例はほかにもあるとみられ、厚生労働省は近く、労働者としての保護を徹底するよう、関係施設に通達を出す。
 指導を受けるのは、社会福祉法人「K育成会」と、運営する3作業所。知的障害者計16人が、指導員から指導や援助を受けながら、クリーニングなどを行い、工賃などとして1人あたり年間約25万円を得ている。
 作業所や授産施設は〈1〉作業収入は必要経費を除き、障害者に全額工賃として支払う〈2〉能力により工賃に差を設けない〈3〉出欠や作業時間、作業量などは自由で、指導監督をしない――などを条件に、労働基準法の適用を除外される。障害者は労働者とみなされず、労働法規の対象とならない。
 同署は昨年11月、同育成会へ立ち入り調査し、収支報告書などを分析。この結果、同育成会は、作業収入を障害者に全額還元せず、遅刻すると工賃を減額するなど適用除外の条件を逸脱していることがわかった。
 また、同育成会の昨年度の会計報告によると、作業収入は計約1600万円で、このほかに神戸市から年間約1400万円の補助金を受けているのに、障害者の工賃や福利厚生に使われた費用は計約400万円で、残りは指導員の人件費などに充当されていた。最低賃金は、兵庫県では時給683円だが、関係者によると、同育成会の作業所では百数十円程度だったと見られている。
 同署は、工賃が最低賃金法に違反し、名簿や賃金台帳などの不備が労基法に抵触するなどと判断、指導することを決めた。同育成会は、労基法適用除外の条件に合うように作業環境を見直し、作業所のまま継続するか、労基法などの労働関係法を適用した事業所に衣替えするかを求められることになる。
 同育成会の理事は「保護者の理解を得て10年以上前から行っており、違法と言われては、作業所の運営は極めて難しい」と話している。
 埼玉県立大の丸山一郎教授(社会福祉学)は、「障害のために生産性が低い人たちを、福祉の世界に押し込めてきた矛盾の表れ。障害者を労働者として認め、雇用政策の中で支援していく方向へ、改める必要がある」と指摘している。 (読売新聞)

Yahooニュース「<老人虐待>ペット用のオリに…手錠も 千葉の介護施設」

 千葉県浦安市の介護施設で、入所者をペット用のオリに閉じ込めたり、両腕に金属の手錠をかけてベッドに拘束するなど虐待をした疑いがあることが分かった。関係者の通報で、浦安市と千葉県は高齢者虐待防止法に基づき7日と16日、合同で施設を調査しており、虐待が確認されれば告発も検討する。施設側は毎日新聞の取材に、手錠やひもによる身体拘束を認めたが「オリには(入所者が)自分からふざけて入った」と説明している。
 同施設には、認知症の高齢者や障害者など50代から80代の男女26人が入所。個室や8人部屋など約5部屋に分かれて生活し、職員4人が交代で介護している。同市のガイドブックには「有料老人ホーム」と書かれているが、介護施設として老人福祉法で定められた県への届け出はない。
 元職員の証言によると昨年11月ごろ、当時入所していた30代の障害者の男性が、高さ約150センチのペット用のオリに、布団、簡易トイレと共に入れられ、夜は鍵をかけられた。男性は交通事故で片足が不自由で、脳や言語に障害があった。外に出ようとして怒られ、おとなしくしていたといい、オリの中の生活は少なくとも元職員が退職する07年1月まで続いた。
 また元職員によると、午後7時ごろの最後の巡回の際、入所者の約半数をベッドから離れないよう身体を拘束。ビニールひもで胴体をベッドに縛ったり、市販の金具とボルトで自作した手錠で、手首をベッドにつないだりした。元職員がオリや拘束への疑問を口にすると、別の職員から「この施設は無認可だから関係ない」と言われたという。
 同施設の管理責任者によると、6年前に元病院の建物を借りて開所したという。責任者は身体拘束の事実は認めたが、オリについては「他の患者をベッドから引きおろすので、反省するようオリを持って来たら、喜んで中に入った。遊んでいた」と説明した。
 施設は無届けのため、2年に1度の県の立ち入り検査や毎年の事業報告がなく、県や市は実態を把握していなかった。
 法務省人権擁護局は「事実ならば人権擁護上、見過ごせない事案であり、被害申告や情報提供などがあれば適切に対処したい」と話し、調査も視野に対応を検討する。

 ◇行政は改善に力を
 ▽高齢者虐待防止に詳しい田中荘司・日本大学文理学部客員教授の話 身体拘束は80年代から人権侵害として施設に指導し、厚生労働省も「身体拘束ゼロ作戦」としてPRしてきた虐待行為。今回の施設は20人以上の入所者を24時間預かり介護しているという実態があるが、高齢者以外の入所者もいるという。法の谷間にあるような混合施設は今後増える可能性がある。福祉の名を借りて経済活動する典型的な例だ。行政は虐待を生みかねない運営状況の改善に力を入れるべきだ。
 ◇施設の実態と身体拘束の経緯語る
 入所者がオリに閉じ込められたり、自作の手錠でつながれたりする身体拘束が、職員の手で繰り返されていた千葉県浦安市の介護施設。虐待が疑われる運営の実態は、県には無届けの施設であることもあって、高齢者虐待防止法に基づく関係者の通報があるまで分からなかった。施設の管理責任者は毎日新聞の取材に、運営状況や身体拘束の経緯を語った。一問一答は次の通り。
 ――施設の形態は。
 ◆認知症の高齢者や精神障害者、交通事故で半身不随や脳に障害を持たれた方など、いろいろな入所者がいる。家計が苦しく、老朽化した施設でも仕方がないという方や、他の病院で“お手上げ状態”という方を受け入れている。26人の入所者を朝と夜は2人の職員で、昼間は、少ない時で1人で対応している。
 ――職員が足りないようだが。
 ◆介護保険を使わず入居料(一時金30万円、月額15万円前後)だけでやっているので、ほとんどボランティア状態で増やせない。
 ――入所者の身体拘束はしていたのか。
 ◆ベッドから落ちたり、栄養をとる管を取ったり、服やおむつをはいだりしないためにやっている。家族の同意も得ている。現場を知っている人なら、特別のことではないと分かる。
 ――ペット用のオリもあったようだが。
 ◆確かにオリはある。入っていたのは交通事故で脳に障害を持つ30歳代の男性。かんしゃくを起こすと止められず、他の患者をベッドから引きずり下ろすなど暴れるため、「反省して」と、オリにトイレと布団を運んだら喜んで中に入った。ふざけて遊んでいたようなもの。
 ――手錠型の金具で拘束もしていたようだが。
 ◆布ひもをほどいて誤って漂白剤を飲んで騒ぎになった人なので、金具にしてみた。本人はそれも外してしまった。
 ――今後はどう改善していくのか。
 ◆拘束なし、というのは難しい。マットレスに替えてみたり、いろいろ対策をしたが、見栄えも良くないし、転がるのを止められない。ただ今後は「拘束ゼロ」という市の方針にできるだけ沿っていく。
 ◇無届けの有料介護施設は増える傾向
 専門家らによると、無届けの有料介護施設は増える傾向にあるという。NPO法人「特養ホームを良くする市民の会」(東京都新宿区)の本間郁子理事長は「背景には高齢者施設の需要の多さに比べて供給が足りないことがある」と指摘。さらに「十分な人員できちんとケアを行っている施設は入居に必要な資金が数千万以上と高く、入りたくても入れない」と言う。
 一方、無届けであれば入居資金が100万円以下で済む施設もある。今回、問題が表面化した千葉県浦安市の介護施設は入居料30万円、月額15万円。こうした施設の運営は、営利だけが目的の異業種からの参入も増えているといい、自治体などの検査がないため「倉庫や社員寮を改装し、限られた人手で運営されているケースも少なくない」(本間理事長)という。「劣悪な環境の施設に仕方なく入っている高齢者がたくさんいる。行政は実態を把握し、サービスの質の確保をきちんと監視すべきだ」と訴える。
 高齢者をめぐっては昨年4月、高齢者虐待防止法が施行されたが、その後も後を絶たない。
 岡山市の特別養護老人ホームでは利用者が虐待されている疑いがあるとして昨年9月、県と岡山市が施設の立ち入り検査をした。福岡県星野村でも介護福祉士の男性職員が男性入所者(当時90歳)を虐待したとされ、同月に県の調査を受けた。職員は暴行を否定したが、暴言を一部認めて辞職している。
 法務省によると、老人福祉施設を含む社会福祉施設の職員による入所者への人権侵犯事件は増加傾向にあり、05年は前年比52%増の47件に達した。調査の結果、人権侵犯が確認されれば、刑事告発や勧告などの措置がとられる。 (毎日新聞)

連日報道される、福祉の問題。
この国の「福祉」は一体どの方向に向かっていくのでしょう?

福祉に関する「法律」はどんどん作られる一方で、現場はそれについて来れない現状。
「have」(財を持っている人)と「have not」(財を持っていない人)の二極集中され、中間層が取り残されている現実。
本当に、ニッポンの福祉は「矛盾だらけ」の状態です。

「時給わずか100円」の記事は「がじゅまるにっき」さんにお任せします。
言わんとすることは、ほぼ同じですから・・・何のための「自立支援法」なのか、このblogでも自立支援法が可決された時に色々と物申してきました。よく「作業所」とかと言う言葉を耳にすることがあるかと思いますが、作業所と言うのは法律に定められた施設ではなく、いわゆる「無認可」の施設なのです。法律に基づく施設は「授産施設」と言われます。しかしこの「授産施設」も自立支援法によって概ね5年以内に新体系に移行することが決まっているので、「授産施設」と言う施設も将来的には自立支援法下の枠組みに収まることになります。しかし「5年」と言うスパンの中で、果たして完全移行することはできるのでしょうか・・・いや、移行しなくてはならないのです。
しかし当然法律がまた改正されることも否定できない事実であります。

老人虐待の記事・・・なんですか、これ?
手錠って・・・刑務所ですか、この施設は・・・「抑制ゼロ運動」以前の問題です。
抑制について「現場を知っている人なら、特別のことではないと分かる」とは、何事ですか?家族の同意を得れば何でもOKなのですか?
以前、祖母が発熱をしたとき、Drの指示により点滴を受けていました。しかし祖母の足を見ると、点滴をしている足に対して「抑制」をかけているじゃないですか。現状はわかっています。しかし、自分はあえて言いました。「本人がトイレに行きたがっている」と。施設側は「点滴をしているから・・・」と言いましたが、自分にとっては「だから何?抑制を外せばいいことのだけじゃん」と感じました。しかし次の日に行くと、抑制帯は外されていました。点滴は普通どおりしています。恐らく「家族の目」が光っていたために、外したのではないか・・・と推測しています。

今はプゥの身ですが・・・この国の福祉は一体どうなるのでしょう。
現場が変わらないといけないのか、それとも制度が変わらないといけないのか・・・多分、両方でしょう。

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2007.02.14

重度かつ継続

の判定です。

Dscn0047障害者自立支援法については、何度も取り上げてきました。そして「ネックの1つ」として「自立支援医療」を取り上げました。さらに自分自身が自立支援医療を受けることもこのblogに書いてきました。
そして今日、先日の申請に対する決定がされました。

同じ診断書なのに、今回は「重度かつ継続」に該当しました。(厳密には同じではないけど・・・)
「重度かつ継続」になると何が違うのか、一言で言うと「負担上限が設定」されることになります。今現在の自立支援医療では「重度かつ継続」が非該当なので「医療費上限の1割負担」、つまり通常「3割負担」の医療が1割に軽減されるだけだったのですが、「重度かつ継続」に該当すると、さらに「負担上限金額」が設定され、上限金額に達した場合はそれ以上の医療費負担はなくなる、と言うものです。「負担上限金額」は所得により異なり、自分の場合は1ヶ月につき「10000円」が上限となっており、精神科医療に関しては1万円以上の負担はしないでよいと言うことになります。

ところで何で今回は「重度かつ継続」になったのか?
改めて振り返ると、「重度かつ継続」に該当するのは、次の疾患でした。

「重度かつ継続」の範囲
 更生・育成    腎臓機能・小腸機能・免疫機能障害
 精神
 (1)統合失調症・躁うつ病・うつ病・てんかん・認知症等の脳機能障害、薬物関連障害(依存症等)
 (2)3年以上の精神医療の経験を有する医師により、以下の病状を示す精神障害のため計画的・集中的な通院医療(状態の維持、悪化予防のための医療を含む。)を継続的に要すると診断された者として、認定を受けた者
 ・情動及び行動の障害
 ・不安及び不穏状態

で、これを簡略化したものとして、ICDカテゴリーがF0~F3カテゴリー、G40と紹介していました。
そして去年の私の診断は「恐怖症性不安障害」というF40でした。それが今年は「不安障害」のF41に変わりました。さらに「今後の治療方針」について、去年と今年を比較してみると・・・去年は

「薬物・精神療法を継続し、恐怖感の軽減を目ざす」

とあったのが、今年は

「薬物・精神療法を継続して精神症状の軽減、社会適応の向上を目指す。症状は頑固で難治であり、継続した関わりを要する」

と変わっていました。つまり、「但し書き」にある「不安及び不隠状態」が強化されてしまっている状態にあり、結果的に「重度かつ継続」に該当することになったのでしょうね。

まぁ正直なところ、診断書を見て「もしかして今年は重継(重度かつ継続の略)かな?」と感じていたので予想通りの結果が来たかな、といったところです。でも今年度いっぱいは普通の1割負担なのでまだ関係なし。来年度から再び「負担金額の上限管理」をすることになり、ちと面倒くさくなってしまった状態です。

なんだか「ドツボ」にハマってしまっているような感じです、ハイ。

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2006.12.10

「一部」の調査

画像を修正するか迷いましたが・・・「公文書」扱いなので、そのまま出すことにしました。(単に面倒?)
今日、都の社会福祉士会から調査票と共に次の文章も同封されて送られてきました。

Img023

ポップアップをかけていますが、それでも見難いと思いますので、文章だけ打ち抜き。こんな内容です。

東京都社会福祉士就業等実態調査の実施及び御協力の依頼について

 平素より東京都の福祉保健行政にご理解、ご協力を賜り、厚くお礼を申し上げます。
 この度、都では福祉人材育成の視点から、社会福祉士のみなさまの就業等の実態を把握し、今後の事業の参考にさせていただきたく、「東京都社会福祉士就業等実態調査」を実施いたします。
 御多忙のところお手数をおかけしますが、調査の主旨をご理解頂き、何卒御協力くださいますようよろしくお願い申し上げます。

まぁ早い話、都社会福祉士会に「就業調査」を依頼したと言うわけですな。
奇しくも昨日「社会福祉士その10」で書いたことが、そのまんま行政の調査につながったのかな・・・って感じています。ただ、今の俺は「就業していない」からあんまり参考にはならんと思うけど・・・(^_^;)

で、ざーっと調査票を流し読みしてみると・・・雇用状況や研修状況などについての質問で、昨日書いた「個人情報」とは全く関係のないような内容。どちらかと言うと「ソーシャルアクション」の傾向が強いかなぁ・・・と思うような内容です。まぁ自分は無職なので、さらーっと書いて出そうと思います。

ただですねぇ、私の卒論における調査によると・・・
平成14年時点で、東京都における社会福祉士の登録者数は約4000人。恐らく現在は8000人程度になっていると思います。対して、「社会福祉士会」に加入している人との人数は約32%、東京都の社会福祉士のうち3人1人しか社会福祉士会に加入していないんですねぇ。で最近では・・・30%に満たない状態になっているのが現実です。

さて、そこで「加入率30%に満たないグループ」を調査して、何か変わるんでしょうかねぇ。
これでは「一部の社会福祉士」に対する調査であって、全体に対する調査にはなりません。で調査方法が郵送回答形式であり、回答率は恐らく60%に達するかどうか、が社会調査の相場。と考えると・・・形式的には「都が社会福祉士会に依頼」した形になっていますが、実際のところは「社会福祉士会としてのソーシャルアクション」に近い形に感じてしまうのは、私だけでしょうか?もちろん、私も「社会福祉士の一員」として調査には賛同しますが・・・「調査の信憑性」としては、どうなんでしょ?

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2006.12.09

コトバ★「社会福祉士その10」

今回のコトバは「社会福祉士」の第10弾。書くきっかけは、この記事からです。
(非常に話が混沌としており、わかりにくいです、ハイ。自分で書いていてもわからなくなってきていますので・・・)

Yahooニュース「福祉士実習、個人情報に過剰反応…内閣府部会で報告」

 内閣府の国民生活審議会個人情報保護部会が8日開かれ、厚生労働省が社会福祉士養成の現場で起こっている個人情報保護法への過剰反応例を報告するなど、各省庁が、法の運用状況や現場で発生している問題について述べた。
 厚生労働省は、社会福祉士の養成課程で行政機関による過剰反応が起こっていると報告。社会福祉士を志望する学生らが児童相談所や福祉事務所などで実習する際、支援方法についての理解を深めるために、支援対象の子どもや家族の個別のケース記録の閲覧は不可欠だが、個人情報保護を理由に実習先が見せず、効果的な実習ができないことがあるという。
 また、内閣府防災担当は、市町村で個人情報保護への意識が壁となり、災害時要援護者のリスト作りや、支援にあたる担当部局、民間団体の間の情報共有が進んでいない状況を報告。3月に行った調査では、福祉部局の要援護者情報を防災部局も共有している市町村は全国の15%だったといい、「個人情報保護条例の解釈次第で情報共有はできる。先進的な取り組みをしている自治体の例を広く紹介し、とまどいを払しょくしたい」と述べた。(読売新聞)

個人情報保護法ができたのが、平成15年。職場でもその話題の回覧が流れた覚えがあります。
個人情報に関する記述は社会福祉士会の倫理綱領行動規範にも記されておりますが、実はここに記されているのは「対被個人に対して」のみであり「対社会」に対しては書かれていません。また個人情報に関しては行動規範上、次のように定めています。

利用者に対する倫理責任(抜粋)
 7.プライバシーの尊重
  7-1.社会福祉士は、利用者が自らのプライバシー権を自覚するように働きかけなければならない。
  7-2.社会福祉士は、利用者の個人情報を収集する場合、その都度利用者の了承を得なければならない。
  7-3.社会福祉士は、問題解決をする目的であっても、利用者が了承しない場合は、個人情報を使用してはならない。
 8.秘密の保持
  8-1.社会福祉士は、業務の遂行にあたり、必要以上の情報収集をしてはならない。
  8-2.社会福祉士は、利用者の秘密に関して、敏感にかつ慎重でなければならない。
  8-3.社会福祉士は、業務を離れた日常生活においても、利用者の秘密を保持しなければならない。
  8-4.社会福祉士は、記録の保持と廃棄について、利用者の秘密が漏れないように慎重に対応しなければならない。
 9.記録の開示
  9-1.社会福祉士は、利用者の記録を開示する場合、かならず本人の了承を得なければならない。
  9-2.社会福祉士は、利用者の支援の目的のためにのみ、個人情報を使用しなければならない。
  9-3.社会福祉士は、利用者が記録の閲覧を希望した場合、特別な理由なくそれを拒んではならない。
 10.情報の共有
  10-1.社会福祉士は、利用者の情報を電子媒体等により取り扱う場合、厳重な管理体制と最新のセキュリティに配慮しなければならない。
  10-2.社会福祉士は、利用者の個人情報の乱用・紛失その他あらゆる危険に対し、安全保護に関する措置を講じなければならない。
  10-3.社会福祉士は、電子情報通信等に関する原則やリスクなどの最新情報について学ばなければならない。

あくまでも倫理綱領上・行動規範上定めたれているのは「利用者に対して」の個人情報保護のことに対してです。もちろん行動規範には「専門職としての倫理的責任」として教育に関する部分も書かれていますが、上述のような細かな規範説明にまでは至っていません。

ただ、これは行政現場に限らずすべての現場において「個人情報」に対する過剰反応があることも事実であると思います。法律上は個人情報の内容に関する定義などはされていますが、いざ実際の運用となった場合、どの範囲を持って「個人情報」と区切るのかが難しい部分だと思われます。例えば上記の記事にあったように、社会福祉士実習のために福祉事務所・児童相談所・福祉施設に行った際、立場上は「実習生」であっても法律上は「実習生」は「関係者」なのか、あるいは「第三者」に当たるのかによって、この「個人情報保護法」に対する解釈も変わってくると思います。もし「第三者」とするのであれば、実習に行ったその時点で「個人情報に触れる」わけであり、実習そのものがNGとなってしまいます。逆に「関係者」であれば個人情報保護法で言う「個人情報取扱事業者」に該当することになります。
しかし、個人情報保護法で言う「個人情報取扱事業者」の中に、「次に掲げるものを除く」と但し書きがされています。

1.国の機関
2.地方公共団体
3.独立行政法人等
4.地方独立行政法人
5.その取り扱う個人情報の量及び利用方法からみて個人の権利利益を害するおそれが少ないものとして政令で定める者

で、その「政令で定める者」とは次のようにあります。(中途抜粋)

(個人情報取扱事業者から除外される者) -個人情報保護法施行令より
第2条  法第2条第3項第4号の政令で定める者は、その事業の用に供する個人情報データベース等を構成する個人情報によって識別される特定の個人の数(当該個人情報データベース等の全部又は一部が他人の作成に係る個人情報データベース等で個人情報として氏名又は住所若しくは居所(地図上又は電子計算機の映像面上において住所又は居所の所在の場所を示す表示を含む。)若しくは電話番号のみが含まれる場合であって、これを編集し、又は加工することなくその事業の用に供するときは、当該個人情報データベース等の全部又は一部を構成する個人情報によって識別される特定の個人の数を除く。)の合計が過去六月以内のいずれの日においても五千を超えない者とする

ゴメンなさい・・・なんだかこっちまでよくわからなくなってきました。
ただ1つ言えることは、地方公共団体は個人情報取扱事業者から外れることによって、公的機関では「個人情報保護法」に抵触するおそれは少なく、そのため基本的には「個人情報だから」と言って利用者ケースを見せない、と言うことは法律の解釈上は違っているのかな、と思います。じゃないと、実習そのものが「個人情報」をさらけ出した状態で行っているので、変にその部分だけ「個人情報だから」と言うのも、おかしな話、だと思います。

もっとも、一番手っ取り早いのは「他者に公言しない」と一筆書いてもらうのが早いと思いますが・・・

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2006.11.25

コトバ★「児童福祉司その3」

今回のコトバは「児童福祉司」の第3弾です。
はじめに断っておきますが、今現在私は「無職」の身であり、児童福祉分野の経験がありませんし、私自身も児童福祉司ではありません。その部分を頭に入れてお読みください。

もっとも、何故故こんなに「児童福祉司」に関心があるのか、正直私が知りたいくらいです。たしかに2回ほど児童福祉司について触れてきました。1回目は児童福祉司の仕事について簡単に、2回目は「児童福祉司と財源」について触れてきました。しかし検索ワードを見ると「児童福祉司」でサーチする人が後を断たない状態です。既に児童福祉司のことは自分の中では終わった存在でいたのですが、先日の事件のこともありますし、改めて「児童福祉司」についておさらいをしながら、「児童福祉司が出来ること」について考察していきたいと思います。

まず基本的なこととして、「児童福祉司」とは児童相談所に配属された児童専門のソーシャルワーカーのことを指します。同義・対義的なものとして福祉事務所に配置される「社会福祉主事」のうち「査察指導員」が生活保護専門のソーシャルワーカー、「身体障害者福祉司」「知的障害者福祉司」がそれぞれ身体障害者・知的障害者に対する専門のソーシャルワーカーであります。ですから極端な話をすれば、児童福祉司として児童相談所で勤務していた人が人事異動で他の部署に異動となったとき、その人は児童福祉司ではなくなるのです。児童福祉司は「職種名」ではなく「職権名」と考える方がよいかもしれません。ただし、児童福祉司になるにはそれなりの資格も必要となっています。このことについては第2弾で触れていますので、参考にしてください。

さて児童福祉司について「職種名ではなく職権名」と書きましたが、本来は「職種」です。
しかし実際のところ、職権として動く部分が許されている部分もあるので、実体的には「職権名」であると思います。例えば虐待をされている恐れのある家庭がある場合、児童福祉司の職権(実際には児童相談所所長の命令)で児童を保護するために家庭に立ち入る権限を有しています。児童福祉司だけでは困難な場合は警察の協力を得て行うことができることも法律上明言されています。

こうした「強権的」な側面を持つ一方で、「保護的」な側面を持つのも児童福祉司です。
例えば18歳未満の児童が療育手帳の申請を行った場合は、その申請に対して審査・調査を行い交付することも児童福祉司の仕事であります。また発育の状態を見るために家庭訪問をし、子育てについての悩みや相談を受けることも児童福祉司の仕事であります。さらに一時保護した児童を児童養護施設に連れて行ったり、児童養護施設での生活状況を把握しに行くことも児童福祉司の仕事であります。当然、今回事件になった「母子生活支援施設」に行って生活の状況などを把握し、必要に応じて適切な処置(母子分離、施設入所など)を執ることも児童福祉司の役割であります。

ただ「職権」といえど、実際のところは「児童相談所長」の指示・決定の元に行われるのが実際であると思います。
職権を発動すると言うことは、相当緊急性の高い問題を抱えている時に行われるものであり、今回の事件の舞台となった「母子生活支援施設」でも、職員から情報を得ていれば職権を発動すべきものであり、危険なケース・・・特に潜在化しつつあるケースに関してはじっくりと状況を把握しすぐに対応をできるようにしておくのが児童相談所・児童福祉司の役目であると思います。ただ・・・実際のところ、東京などの大都市圏では1人の児童福祉司が抱える相談事例は150件以上とも言われており、慢性的な児童福祉司不足の解消と増員が叫ばれている状態は、依然として変わらないものと思います。

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2006.11.15

くさびは打てたはずなのに・・・

Yahooニュース「大仙の男児殺害:進藤容疑者、睡眠薬投与も図る--04年、支援施設で/秋田」

 大仙市の保育園児、Aちゃん(4)が殺害された事件で、殺人容疑で逮捕された母で無職のB容疑者(31)が秋田市の母子生活支援施設に入っていた04年7月、Aちゃんをたたいたり、睡眠薬を飲ませようとするなど、身体的虐待を繰り返していたことが分かった。同施設から報告を受けた県中央児童相談所は「命にかかわる重大な事案に発展する恐れがある」と判断、Aちゃんを潟上市のB容疑者の実家に預けて母子を引き離す措置を取った。B容疑者が以前から日常的に虐待をしていた実態が浮かび上がった。
 県などによると、B容疑者は04年5月初め、「秋田市で就職先が見つかり、生活拠点がほしい」としてAちゃんを連れ同施設に入所。しかしB容疑者はAちゃんをたたいたり、部屋のベランダに放置するなど虐待行為を繰り返すようになった。7月には自身が服用していた睡眠薬をAちゃんに飲ませようとして、職員に制止された。
 B容疑者は同月21日、県秋田福祉事務所(現・県中央福祉事務所)に「精神的に不安定な状態で、虐待しそう」と自ら電話で相談。同事務所は23日に同相談所に虐待の事実を通告した。事態を重く見た同相談所は同日中にAちゃんを実家に預け、母子を引き離した。しかしB容疑者も実家に戻ることを希望したため、「両親らがいる実家なら安全は確保される」と判断。B容疑者は翌24日、実家に戻った。
 その後、相談員の家庭訪問などで虐待行為は確認できなかったため、県は「虐待の問題は解消された」と判断。昨年6月24日に潟上市福祉事務所に「継続的な保護が必要な親子」として経過観察を引き継いだ。その後も虐待の兆候は見られず、昨年12月に2人が大仙市に移住したことから、今年1月に大仙市福祉事務所に活動を移管した。
 大仙市によると、10月までにB容疑者から7回程度、面談などで相談を受けたが、子育ての悩みなどに関する内容はなかった。Aちゃんが通っていた保育園からも、虐待をうかがわせる連絡はなかったという(毎日新聞)

「くさび」は一応は打ったみたいですが、まだまだ打つことはできたと思います。
特に今回のケースは「母子分離」が絶対に必要なケースだったはずなのに、翌日には「両親がいる実家」という理由だけの担保で母子分離をしなかったことは、あまりにも児相・福祉事務所の判断が甘かったかを結果的に裏付けるものになってしまいました。もっと言えば母子生活支援施設の段階で日常的な虐待が判明している時点で施設から児相に通告すべきものだったのではないか、そうすれば「児童の福祉」を守ることができたのではないか、と感じます。

救える命をこうやってダメにしてしまうあり方に、残念さを感じます。これも1つのケースとして、教訓にして欲しいものです。

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2006.11.04

コトバ★「現場実習」

先週は久しぶりに友人たちと会う予定があったので、コトバはお休みにしました。
今回はやることがあるといえばあるのですが・・・コトバを行いたいと思います。今日のコトバは「現場実習」です。

なぜここにきて「現場実習」を取り上げようと思ったのか?
やはり、その要因として大きいのは、先日3日間に渡った実習選考があると思います。正直「今更・・・」と思った部分もありましたが、いざ経験をしてみると大変新鮮味のあるもので、忘れかけていたものを呼び起こすような、そんな経験をしました。そのため、改めてここで「現場実習」の意義を取り上げなおしたいと思います。

HP「御岳の山」には学生時代に経験した現場実習についてまとめてあります。
そもそも福祉系での「現場実習」は当然ながら資格取得を念頭においた実習のことであり、私の場合は「社会福祉主事任用資格」取得のための実習と「社会福祉士受験資格」取得のための実習が大きな実習でありました。現在社会福祉主事任用資格取得のために必要な実習時間は180時間(約1ヶ月)以上の実習時間を、また社会福祉士一般養成施設における受験資格取得のために必要な実習時間は90時間(約2週間)以上の実習時間が必要になります。ちなみに私の場合は任意実習も行いましたので、専門学校時代の実習時間は342時間であります。

ただ、現場実習ではいろんな意味での「限界」があるのは事実です。
例えば「社会福祉士受験資格」を取得するための実習なのに、実態として「特別養護老人ホーム」での介護的要素を担った実習であったりすることも多く、必ずしも「本来の目的」に即した実習が行われているのか、といわれれば難しい部分があるのは事実であり、その点は多くの学生の人が感じる部分でもあると思います。

ではその中でどのようにして「実習の意義」を見出していくのか。
結局のところ、現場実習で何が必要なのかといえば、現場実習に当たっての「心構え」が非常に重要である、と言うのが、今現在の私が思える解釈の1つであります。つまり、最初から「拒否的」な姿勢で行った実習に関しては、何にも実習の「意義」は見つからず、見出すことも困難であると言うことだと思います。たとえ、実習の内容が「介護的要素」の実習であっても、そこで「もし自分が「社会福祉士」であったとしたら、何を考えるか」といった目的意識がなければ、同じ「介護的要素」の実習であっても得るものは異なってくると思います。

事実、私が行った実習先の1つには、比較的重度の「知的障害者更生施設」があり、そこでは入浴介助や排泄介助など、介護的な要素も含まれていました。しかしその部分だけを着目してしまうと「社会福祉士とは・・・?」と言う問題にぶつかると思います。これは特養でも同様のことであり、介護面だけに着目した実習では、結果として「社会福祉士の実習じゃない」と言う結論になってしまうと思います。

つまり「社会福祉士の実習ではない」と言う結論になってしまった場合、それは実習者の「目的意識」が薄い、のだと思います。特養にしても、更生施設にしても、「介護」と言うのは全体の生活の中の「一部分」であり、それがすべてではありません。社会福祉士の実習は「ソーシャルワーク」の実習であり、「ケアワーク」の実習ではありません。では「ソーシャルワーク」とは一体何なのか?
これに対しての「目的」や「目標」を見出すのが、現場実習なのです。

「ソーシャルワークとは何なのか?」、ソーシャルワークは目に見えないものであることは先日の統一研修の報告でも書いたように、現場実習では「目に見えるもの」を得るのではなく、「目に見えないもの」をいかに実体化させていくことであると思います。実体化させた結果が、現場実習の意義なのではないか、と考えています。
私が3日間経験した「実習選考」では、改めて自分の「不勉強さ」を痛感したことが、自分にとっての収穫でした。

これから現場実習に行く皆さん、何を考え、何を思うのか。目的意識を持って臨んで欲しいと思います。
無論、今回は「現場実習」について書きましたが、教員免許取得のための「介護等体験」の体験(実習)も同じことです。

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2006.10.21

コトバ★「審査請求」

今回のコトバは「審査請求」、前回老健での事案があったために急遽差し替えたのですが、今日はこれをやりたいと思います。

さて、先週ですが、実は「あるところ」に殴りこみ(?)に行ってきました。
行ってきた場所は、東京社会保険事務局、一言で言えば、東京都内の社会保険事務所の本丸です。
で何故に殴りこみに行ったかと言うと、審査請求をするためです。

一度法解釈の部分で触れたことがありますが、私たちの生活の中には、色々な形で市役所から通知が来るものがあります。例えば、高齢者で言えば介護保険の要介護度の決定、自動車税の課税通知、免除決定などなど、色々なものがあります。しかしこれらは一言で言えば「行政処分」を受けていることになります。行政処分と聞くとなんだか耳障りな感じですが、例えば車に対して課税する場合、車を所有していることを根拠にその車の排気量に応じた税額を徴収するすることを「課税処分」と考えることができます。また介護保険の場合、介護保険を利用したい場合には必ず市役所へ要介護認定の「申請」を行います。そして市役所、つまり「行政」が様々な調査や認定委員会を開いた上で、要介護度がいくつなのかを申請者に通知します。これも「行政処分」の1つの形といえます。

で、自分の話に戻ると退職直後は多少の蓄えや失業給付があってとりあえずの機関の年金保険料は納めることができましたが、想像以上に失業の状態が長くなってしまったために7月の中頃に市役所に「保険料納付の免除申請」を行いました。そして市役所側から「2ヵ月後に決定の通知が行きます」との答えでした。しかし、2ヵ月経っても返事はなく、もうすぐ3ヶ月を迎えようとしている中でもくる気配がありません。

本来であればいきなり本丸に乗り込まなくても、管轄の社会保険事務局に問い合わせればよいのですが、如何せん「うんともすんとも言わない状態」であり、また地元の社会保険事務局の場所がわかりにくいため、行かずじまいでした。しかし先週の金曜日がちょうど「定期通院日」であったため、その日を利用していきなり「本丸」に乗り込むことにしました。

行政手続きの根拠となる法律として「行政手続法」と言うものがあり、「処分」については実はここで細かく規定されており、行政手続法で言う「処分」とは「行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為」と定めています。ですから前述した自動車税の課税や要介護認定なども「公権力の行使」に当たるので「処分」となります。そして行政手続法には「標準処理機関」として、行政処分を行うに当たってかかるおおよその期間を提示し、それを守るよう努めなければならない」と言う規定もあります。今回の年金の場合は「2ヵ月」がその相当期間と考えられます。

しかしその期間を超えても処分が行われない場合、あるいは処分は行われたがその内容に不服がある場合、その内容に関して異議を申し立てたり、審査請求をすることができます。このことを規定している法律が「行政不服審査法」であり、先日の「法解釈」の部分につながっていくわけです。福祉領域の場合、ほとんどの法律は「審査請求」を行うことが定められています。生活保護法、介護保険法、国民年金法などなど、行政処分に不服がある場合は「審査請求」をすることが前提になっています。これを「審査請求前置主義」といい、仮に行政処分に対して裁判を起こすとなった場合、審査請求をしていない場合は裁判を起こすことができないことを各々の法律で定めているのです。例えば生活保護法の場合、「審査請求と訴訟との関係」として「この法律に基づき保護の実施機関がした処分の取消しの訴えは、当該処分についての審査請求に対する裁決を経た後でなければ、提起することができない」と書かれており、国民年金法にも同様のことが書かれています。

さて、それに基づき今までの流れを踏まえて、先週、本丸に乗り込んできました。
新宿でお昼を食べた後「よし、行くか!」とエレベーターに乗って降りたものの、そこには何もなし。見ると張り紙が一枚・・・「東京社会保険事務局は移転しました」とのと・・・移転???

いきなり腰砕けになってしまいましたが、移転先は・・・新大久保とのこと。
なんだよぉ・・・と思いながらも、仕方なく隣の新大久保まで。そして新大久保から歩いて10分過ぎ、ようやく本丸に到着。入り口で「審査請求をしたい」と伝え、社会保険審査官のいる部屋まで上がっていくことに。このとき、気持ちは完全に「野武士」の気分。(笑)でも態度は・・・「すみませぇ~ん・・・」(小っ)

対応に当たった職員に「不作為に基づく審査請求をしたいのですが」と事情を話すと少し黙った後、とんでもない言葉を口に。

「う~ん、となると、裁判を起こすことになりますね。」

さ・裁判???
イヤ、そんなつもりで来ていないし、第一「審査請求前置主義」を法律で掲げているじゃん、と思いながらも話を聞くと「こことは別に、ちゃんと申請に対して業務を行っているかを確認したり、指導する部署がありますので、そちらの方にご案内します」とのこと。今度は「指導課」に通され、状況の報告を受ける。このときの対応の職員、終始低姿勢の状態。まぁ、いきなり管轄を飛び越えて殴りこんできたんだから、そりゃそうなるだろうし、タダですら社会保険庁はバッシングされているから、当然の姿勢といえばそうなんだろうけど・・・

で、色々と調べた結果、既に申請は通っており、「納付猶予」との形との事。
正直「免除」されるものと思っていたため、ちょっとそこの部分に噛み付こうかなぁ・・・と思ったけど、この時点で1時間以上居座っていたため、そろそろ飽きてきた頃だし、カラ期間でも加入期間として認められているからいいかなぁ・・・と言うことで、低姿勢に免じて帰ることに。お見送りまで、ご丁寧に・・・

と言うわけで、年金問題はとりあえず決着です。皆さんも、不満があったら行動しましょう!
特に「本丸」に乗り込んだ方が話は早いかもしれませんね。(笑)


※カラ期間
年金は「25年以上の加入が必要」と定められており、「カラ期間」とは「年金の加入年数には参入されるものの、その期間の保険料を納めない場合は年金額には反映されない」と言う期間のこと。例えば学生特例で納付が免除されて、その期間の保険料を納めないでいる場合は「年金加入期間」には反映されるけど、「年金額の算入」には反映されない、ということ。だから、カラ期間でもいいから手続きをした方がいいのです、学生の皆さん。

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2006.10.14

コトバ★「福祉施設その5」

久しぶりに戻ってきたコトバ、再開します。で、色々と考えていたのですが、今日の夕刊にこの記事があったので、コトバも差し替えになります。今日のコトバは「福祉施設」の第5弾です。

YOMIURI ONLINE「東京都が介護施設に業務停止命令、介護保険法に違反」

 医療法人「杏稜(きょうりょう)会」(東京都練馬区)が運営する介護老人保健施設「すずしろの郷(さと)」(同)が施設管理者を決めないで運営を続けているのは介護保険法に違反しているとして、東京都は14日、同施設に業務停止命令を出した。
 再三の行政指導にもかかわらず、施設側から有効な解決策が示されないため、安定的な経営が望めないと判断した。同施設に入居している高齢者72人は、退去を迫られることになる。同法に基づく介護老人保健施設への業務停止命令は全国で初めて。
 法人登記や同区の調査によると、杏稜会は1998年2月に設立され、非常勤も含め約70人の職員が勤務している。設立直後から経営陣の内紛が続き、理事が地位確認の訴訟を起こしたり、理事長が頻繁に交代したりする事態になっている。
 登記上は2002年11月から約4年間で、4人が延べ47回も理事長に就任。昨年9月から東京地裁に選任された弁護士が、理事長職務代行に就いている。
 「すずしろの郷」の建物や土地も不動産業者に売却されて名義が書き換えられているうえ、開業資金を融資した独立行政法人「福祉医療機構」からその土地・建物の競売を申し立てられている。月額2000万円以上ある介護報酬についても、債権譲渡を受けた業者から今年7月以降の分を仮差し押さえされており、職員への給料遅配も発生しているという。
 このため、施設では2000年ごろから、医師や看護師が次々と退職。リハビリテーションを担当する理学療法士がいない時期もあり、区などから再三、指導を受けていた。都は今年8月、区とともに立ち入り検査に入り、合同で改善を指導し、その後も介護保険法に基づく勧告や措置命令などで段階的に解決を迫っていた。
 介護老人保健施設への業務停止命令は、介護保険法の改正で今年4月に盛り込まれた。命令を受けた施設は指定の期限までに、入居者を他の施設に移さなければならない。都では今後、2か月程度の間に同施設の改善状況を見極め、杏稜会に施設の設置許可の停止や取り消しを出すことも検討する。(読売新聞)

内容に突っ込む前に・・・介護保険法における「施設サービス」は3つあります。
・指定介護老人福祉施設;いわゆる「特別養護老人ホーム」を指す。常時介護的ニーズを必要とする人が入所。
・介護老人福祉施設;従来「老健」「老人保健施設」と呼ばれたもので、在宅復帰のための訓練的要素が強い。
・指定介護療養型医療施設;医療的管理が必要な方を中心とした、医療介護施設。

で、今回問題になったのは2番目の「介護老人福祉施設」です。
記事を見る限りでは、どうやら「身内の争い」で崩れてしまった感じですね。この記事を読むだけでは、利用者のことなどは全く微塵も感じることはできません。

今後この施設にいた利用者は退去しなければなりません。その数、72人。
一体誰がこの72人の行き先を考えるのでしょうか?ただですら「待機待ち」が多い高齢者福祉、こんなことで施設が1つなくなるのは、情けない話です。

利用者のことは当然ですが、それと合わせてこの施設に携わった結果去った職員、今もなお残る職員にも同情の余地があります。恐らく辞めていく医師・看護師・介護士は、ギリギリの選択を迫られていたのでしょう。そして今もなお残っている職員も自分の生活を顧みることなく利用者さんのために、力を尽くしてきたのでしょう。それを考えると、同じ福祉人として「経営者としての資質」を問いただしたくなります。誰のためにサービスを提供しているのか、その一番重要な部分が丸々と抜けているため、設立から10年も経たずして「破綻」の道に行ったのです。

たしかに今の福祉にも競争原理が働いている部分があるのは事実であります。
しかし「競争原理」だけでは測れないものもたくさんあるのです。特に高齢者・障害者を含め「入所型」の施設や、社会福祉法が定める「第1種社会福祉事業」は競争原理を用いてはいけない部分ではないかと思います。職員への待遇もおろそかになったために職員も減っていき、給料の遅配があってもなお利用者のために勤務してきた職員の人の苦労を考えると、経営陣の責任を徹底的に追及しなければならないのは、言うまでもないことです。

今後の推移を見守っていきたいと思います。

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2006.10.08

いたって、健康・・・(^_^;)

先ほど、Webメールで確認をしていたら、マイミクの方からメールが来ているとのことでした。
で、内容を確認すると・・・「大丈夫ですか?」とのこと。どうやら、自分自身が「入院」しているものと勘違いさせてしまったみたいです・・・(^_^;)
ハイ、Mitakeはいたって健康です。今日は1日中「ごろ寝」していましたから・・・(^^ゞ

こういう機会でもありますので、ちょっとまじめなことも書きますか・・・久しぶりに。(いつも適当というわけじゃないけど・・・)

blogでも公言しているとおり、自分はmixiユーザーです。
で、マイミクには基本的に「直接知っている人」を原則に、それ以外の人はある程度親交が深まった段階でマイミク登録をしています。ですから、自分のマイミク数は少ないです。そして、私のマイミクには「元利用者」も含まれています。

実はここでも「利用者←→職員関係」にあったときも何度かblogのネタにさせてもらっていたときがありますが、現在はその職場を離れているため、「元利用者」という関係にあり、単純なる「マイミク」関係です。まぁ多少の関係性は残っていても、公的な関係にはもうないため、普通の関係になっています。

正直なところ、利用者とのマイミク関係は慎重になるべきかな・・・と思っていました。
この利用者がmixiをやっているのを知ったのはデイのプログラム中のときのこと。たまたま話題を色々振ったらmixiをやっていることがわかり、当分の間は「マイミク関係」にならなくても、お互いに「ユーザー関係」でいいかなぁ・・・と思っていました。ところがある日、利用者のほうからアプローチがかかってきて、「利用者・職員関係」の時期にもかかわらず、マイミク関係になったのです。

正直、どうしようかなぁ・・・と悩みましたが、結論は案外早く出ました。「マイミクを拒否する理由はない」。
正直言って、世間が「ノーマライゼーションの精神」を高く掲げていても、実際のところ障害者の社会参加は限られているのが現状です。そんな中で「パソコンを使って関係性を広めていく」というのは私自身の理念としては「あり」と考えていた部分でもあり、今のように「対等な関係」でいることが出来るのも事実であります。だから辺に利用者・職員関係を深く考えてしまうよりも、仕事は仕事、プライベートはプライベート、mixiの世界はmixiの世界、と考えてしまえばいい、という結論になったのです。

もちろん障害を持つ人が社会に関わるというのは、ある意味で「大変」な部分もあると思います。
特に周囲にいる人・・・身近な関係で言えば保護者やヘルパーなど「サポート」に入る人は正直なところ「骨の折れること」かと思います。しかし私自身の考えとしては、骨を折った分・・・すなわち「手をかけた分」だけ、結果として戻ってくるリターンも大きいのではないか、とも感じます。以前ここで「神戸・大阪の旅」について書いたときも、正直準備には相当苦労しましたし、利用者向けの冊子に関してもどのようにしていけばよいか手探りの状態で準備をしてきました。しかし結果として評価を行ったときに、苦労した分だけその内容にも「深み」があることを実感し、「よりよい支援を行うためには、それなりに骨を折ることも必要」であることを実感しました。障害を持つ人が社会に出るためにはまだまだ障壁の多い世界ですが、その障壁を少しずつ排除・除去していくことで、苦労をするけどその分だけ、「目に見えないリターン」は大きいと考えています。ですから正直こうやって自分が色々言っていることに関して苦労をされている方も多いかともいますが、それを十分に承知した上で自分も行っています。ご負担をかけている方には、本当にご苦労をされていると感じる一方で、その援助に対して頭の下がる思いです。
今日はそんな思いを感じつつの、blog投稿です。

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2006.10.05

こっちも動くか・・・

昨日・一昨日の2連続面接を終え、今日はのんびりモードの1日です。
が、1つだけやり残したことが・・・それは異議申し立て・審査請求。

法解釈が誤っていたらおバカですが・・・あくまでも、自論。
このblogにも「証拠」として書いてあるように、今年の7月18日に「国民年金」の保険料の免除申請をしました。
ところが、現在になっても未だ、その申請に対しての返事がありません。既に60日以上は経過。

今までに何度か保険料の免除、あるいは学生特例の申請をしてきましたが、申請が通ると必ず次のような文言が書かれています。

なお、この決定に不服があるときは、この決定があったことを知った日の翌日から起算して60日以内に文書又は口頭で、あなたの住所地の社会保険審査官(地方社会保険事務局内)に審査請求することができます。

年金に限らず「○日以内に~」と言う文章、よく見ると思いますが国民年金の場合は「国民年金法」で決められているものであり、他にも生活保護法・介護保険法など様々な法律で決められているものがあります。

で、自分の場合ですが・・・肝心の「60日」を過ぎても決定される様子がなく、既に2ヶ月以上経過しています。そして結果通知に関しては「2ヵ月後に郵送」と書いてありますが、まだ郵送されていません。そのため、行政不服審査法に基づき「不服申立て」を検討しています。申立ての根拠は「不作為」です。

ただ「不作為」と言っても「???」と言う方もいると思うので「不作為」について説明すると・・・
「行政不服審査法」では第2条に定義として「『不作為』とは、行政庁が法令に基づく申請に対し、相当の期間内になんらかの処分その他公権力の行使に当たる行為をすべきにかかわらず、これをしないことをいう。」とあります。簡単に言ってしまえば、役所が何もしなかったことを「不作為」と考えてよいでしょう。で、自分の場合は「社会保険事務所から2ヵ月後に郵送」とありますが、2ヶ月を経った今でも通知されていません。つまり「2ヵ月」と言う相当の期間内に何らかの処分、ここで言えば「保険料の免除の可否」をしなかった、と言う「不作為」が存在することになります。

本来であれば「国民年金法」に基づいて行われるべきなのですが、国民年金法には「不作為」に関する記述はないため、「行政不服審査法」に基づく行為を行おうと考えています。行政不服審査法第7条には「不作為についての不服申立て」として「行政庁の不作為については、当該不作為に係る処分その他の処分を申請したものは、異議申立て又は当該不作為庁の直近上級行政庁に対する審査請求のいずれかをすることができる。(後記省略)」と書いてあるので、今回のケースに条文を直接当てはめると、「社会保険事務所の不作為については、保険料免除申請に関する処分を申請したもの(=私)は、異議申立て又は社会保険審査官に対する審査請求をすることができる」と解釈されます。

とまぁ、今回も「法律」を盾に色々やっていますが、実際に動けるのは来週以降でしょう。
それまでに判断が来れば、よいのですが・・・

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2006.09.09

コトバ★「障害者自立支援法その14」

今回のコトバは久しぶりに「障害者自立支援法」です。今回が14回目になります。

当事者団体の中で反対運動が起きながらも可決・成立し、今年4月から始まった「障害者自立支援法」。
ただ、この4月に始まったのは補装具給付関係と自立支援医療に関してでした。しかし10月からはいよいよ本格的に始動することになります。

その大きな枠組みが「新サービス体系への移行」です。新サービス体系に関しては第7回で取り上げていますが、いよいよこの体系での移行が10月からスタートとなります。これによって1割負担をはじめ、利用する制度そのものも変わってきます。特に自分が従事する知的障害者福祉に関しては、「更生施設」は大きく変わるものと感じています。
そのイメージ図を「知的障害」に限って、以下のように示してみました。

現在の状態
(必要とするニーズ)
移行後のイメージ
入所施設利用者(更生施設・授産施設)
主として介護的ニーズがある 日中;生活介護
夜間;施設入所
主として自立志向が高い 日中;自立訓練(生活訓練)→就労継続支援(非雇用型)
夜間;施設入所→グループホーム・福祉ホーム等
自立して働きながらサービスを受ける 日中;自立訓練・就労移行支援→一般就労・就労継続支援
夜間;施設入所→グループホーム・福祉ホーム等
通所施設利用者(更生施設・授産施設)
主として介護的ニーズがある 日中;生活介護、重度障害者等包括支援
福祉サービスを受けながら働きたい 日中;就労継続支援(雇用型・非雇用型)
自立して働きながらサービスを受ける 日中;自立訓練・就労移行支援→一般就労等・就労継続支援

(参考文献;図説 よくわかる障害者自立支援法、中央法規出版)

現在の知的障害者福祉法には知的障害者授産施設・知的障害者更生施設など様々な施設類型がありますが、主たる考え方として「入所施設利用者」(更生施設・授産施設・通勤寮など)と「通所施設利用者」(更生施設・授産施設・デイサービスなど)の2つに分けられると思います。この際、通所施設利用者に関しては「日中活動の場」を考えればよいのでニーズ把握によって振り分けが比較的容易ですが、入所施設利用者の場合はこれまで「1日」を単位として考えていたものを「日中」と「夜間」に分けて考えていかなければなりません。その時、入所者に対してどのようなニーズがあるのかをアセスメントし、その上で利用者に適切な支援とサービスを提供することになります。

入所施設の場合、施設内で「日中活動の場」と「生活活動の場」が分けられているケースがほとんどであるため、施設の実態に即して10月以降、どの施設体系に移行するのかを考えていかなければなりません。ただ新施設体系への移行は法律施行後概ね5年以内に行っていくとなっているので、今すぐに決めなければならない問題ではないのですが、先送りできる問題でもありません。いずれにしても障害者施設は今後、難しい舵取りを迫られていくことになりそうです。(自分が障害者施設に面接に行って今後のことを聞くと「検討中」と答える施設がほとんどでしたから・・・)

(参考文献;坂本洋一著、図説 よくわかる障害者自立支援法、中央法規出版)

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2006.09.03

調査もそうだけど・・・

Yahooニュース「介護施設での虐待調査へ、1000か所対象に検討

 介護施設でお年寄りが職員から暴力や暴言を受ける被害が起きているのを受け、厚生労働省は、施設での虐待防止に関する初の調査研究事業に乗り出す。
 専門家によるプロジェクト委員会を今月スタートさせるほか、先進施設へのヒアリングや全国の介護施設に対する実態調査などを実施。表面化しにくい施設内虐待の根絶を目指す。
 調査研究は、「認知症介護研究・研修仙台センター」(仙台市)が主体となって行う。今年度の事業費は約2000万円。
 具体的には、都道府県に対し、今年4月に施行された高齢者虐待防止法の施行半年後の虐待の把握件数や内容などについて調査する。施設への調査については、全国から約1000施設を抽出し、虐待の実態や防止体制、職員への支援方法などを調べることを検討している。(読売新聞)

話題に入る前に・・・ここで言う「介護施設」とは主に3つのものを指すと考えられます。
・指定介護老人福祉施設;いわゆる「特別擁護老人ホーム」で、主に介護的ニーズの高い人が入所。「終の棲家」的な存在。
・介護老人保健施設;従来の老人福祉法で「老人保健施設」に当たるもので、通称「老健」。在宅復帰を目的とする。
・指定介護療養型医療施設;医療ニーズの高い高齢者が入院・入所。

また施設ではありませんが「認知症対応型共同生活介護」(グループホーム)や「特定施設入所者生活介護」(有料老人ホーム・軽費老人ホーム)、短期入所生活介護(ショートステイ)なども施設的な色合いがあるものと考えられます。(ただ今回の記事の「介護施設」と呼ばれるものには含まれないと考えます)

これを踏まえた上で本題に。
このblogでも入所施設での問題は色々取り上げてきています。そして「ようやく」と言うか、何と言うか・・・国が動き始めた、と言う状態ですね。
ただ、被虐事件が起きるたびに毎回自分が訴えていることは「マンパワーの確保」を常に唱えています。福祉の原点は「福祉は人なり」と言われるように、支援する人によってその質が変わってくるものであり、従事者によって良いほうにも悪いほうにも傾いてしまう、いわば「シーソー」のようなものなのです。

しかしこのような事件が多発している中でも、福祉従事者の待遇は向上していないのが現状ではないかと思います。正直、福祉の現場で働いている人は「現状」には満足していないと思います。どうしても「割り切ってやらなきゃいけない」と言う部分も存在しているのが実態ではないか、と思います。自分が福祉の現場で従事している時も様々な「ジレンマ」に置かれ、いろいろと考えたり悩んだりしたものでした。

その割に・・・と言うのも変ですが、福祉従事者の給与は決して高いものではありません。
もしかすると、民間企業よりも安いと思いますし、福利厚生も決して高いものではないと思います。一度とある掲示板で「福祉従事者もセイフティーネットにかけられているんだ」と言う主旨の発言を見ました。簡単にいえば「一般企業で働けないような人が、福祉業界で働けている」と言うような内容です。
ハッキリ言います。それは絶対に違います。介護・福祉の仕事はそんなに単純なものじゃありませんし、そんなに簡単なものではありません。福祉従事者は一人ひとりが「プロ意識」を持って挑んでいる・・・はずなのですから。

そう、「プロ意識」を持っているはずなのに、こういった悲しい事件が起きてしまう。
その根底には何があるのか?技術の低下なのか、モチベーションなのか、それとも・・・待遇なのか?
調査するのは大いに結構です。しかしやっぱりこれだけは声を大にして言いたい。もっと福祉従事者の待遇を良くして欲しい。東京都の場合、福祉職に従事している人の給与は「一般行政職」の給与表を用いて支払われているが、福祉職にはレッキとした「福祉」というアイデンティティが存在している。だから福祉職は「一般職」ではなく「福祉職」なのだから、それに見合った待遇の支援をして欲しい・・・ものです。

郵政民営化は結構ですが、福祉のことはいつも端っこに追いやられてしまっている様に感じるのは、私だけでしょうか・・・

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2006.09.02

コトバ★「パニック障害その5」

前回は完全にパニック発作に襲われてしまい、全く書けずに終わってしまいました。でも今日は発作が起きていないので、大丈夫です。なので、前回のコトバに引き続いて、今回もパニック障害について触れたいと思います。今回で5回目になります。

以前にもパニック障害についてその治療について述べてきましたが、改めてその部分について触れようと思います。
パニック障害については以前にも紹介した通り、胸がドキドキしたり冷汗をかいたり、手足の震え・めまい・吐気・過換気・気が遠くなるなどの症状が何の前触れもなく突発的に起こし、その症状が何度も継続して続く障害のことを指します。そしてその治療には主に「薬物療法」と「認知行動療法」があり、薬物療法には「選択的セロトニン再取り込み阻害薬」(SSRI)やノルアドレナリンにも作用する「セロトニン&ノルアドレナリン再取り込み阻害薬」(SNRI)が使用されます。

そのSSRIという薬には現在服用している「パキシル」や「ルボックス」、「デプロメール」という名称で、またSNRIでは「トレドミン」と言う名称の薬を用います。パニック障害では主にSSRIが使用される傾向があります。またSSRIの中でも「パキシル」は特にパニック障害に対しての効果が認められるとされている薬でもあります。

このSSRI・SNRIと言う薬は「第3世代」「第4世代」の薬と言われております。またこれらの薬が日本国内で承認される以前は抗うつ剤(三環系抗うつ薬・四環系抗うつ剤)を使用していましたが、SSRI・SNRIが承認されると、パニック発作を起こすメカニズムとして考えられている「セロトニン」へ作用することからルボックスやデプロメール、パキシルが用いられるようになっています。

ただSSRI・SNRIにはまだ「後発品」が出ておりません。いわゆる「ジェネリック医薬品」と呼ばれるものです。
SSRI・SNRIの国内承認の歴史はまだ浅く、それに代替する薬がないのが実際のところです。そのため薬価も高く、私のように「自立支援医療」を使っての1割負担でも、他の薬も含め2週間分で約1200円程度の負担となります。1割負担でも1200円ですから、通常の3割負担の場合は3600円となり、非常に経済的に負担の大きい薬であると言えるでしょう。

ただし、効果に関しては確実に「有効」と見てもよいと思います。
それが、今の私です。先週・先々週と発作の連発で辛い夜を送っていましたが、夜のパキシルが復活になってから、夜の発作が抑えられているのが実際に「効果」として現れています。夜のパキシル復活はまた3日ですが、この3日間の夜の体調はスコブル順調であります。ですから、たしかにSSRIはパニックに対しては「有効」と考えて良いと思います。

しかしながら「副作用」があるのも事実で、睡眠がうまく取れない、と言うのも副作用の1つになっています。
そのため、睡眠の部分も含めて薬を調節している状態にあります。睡眠のリズムが取れると、良いのですが・・・

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2006.08.19

コトバ★「パニック障害その4」

今回の「コトバ」は「パニック障害」の第4弾です。今回は「内容」よりも「宣伝」のほうがメインです。

「パニック障害」はこれまでに3回取り上げてきました。
1回目は「パニック障害」について、2回目はパニック障害に向き合う自分、3回目はパニック障害の治療方法について触れてきました。

さて、自分が「パニック障害」と言う診断が下されて、1年を過ぎようとしています。
発症は小学生の時でしたが、ようやく去年になって診断された、といった状態です。その間、何度も服薬調整をしてきて、現在は・・・

・パキシル 朝・昼1錠(計20mg)
・ワイパックス 毎食後1錠(計3mg)
・プリンペラン 毎食後1錠(胃薬)
・ルボックス 就寝前2錠(計100mg)
・サイレース 就寝前1錠(計2mg)
・アモバン 就寝前1錠(計7.5mg)
となっています。もちろんこの内容は今後変更していくことがあると思いますが、最終的な目標は「薬を使わなくても日常生活を営むこと」だと思っています。そう考えると、あと数年はかかるのかなぁ・・・と感じています。

ところで自立支援医療を申請したことを書いたときに、「パニック障害」はない、と書きました。
これが、今日の本題・「宣伝」に当たるのですが、自分の場合はわかりやすくするために「パニック障害」と言っていますが、正式には自分の病名は「恐怖症性不安障害」と言う、「神経症性障害、ストレス関連障害及び身体表現性障害」と言うものの中に含まれる病気の1つであります。で、「パニック障害」もこの分類の中に含まれているのですが、パニック障害は「恐怖症性不安障害」ではなく「その他の不安障害」に分類されています。つまり同じ「不安障害」でも「何か恐怖と感じるものをはっきりと捉えている不安」と「不安の理由・原因がはっきりと特定されていない不安」の2つに分けられ、前述の不安を「恐怖症性不安障害」、後述の不安を「その他の不安障害」と分類し、特に何の前ぶれもなく襲ってくる不安を「パニック障害」と位置づけています。

よく「パニック障害」の症状として「パニック発作」「予期不安」「広場恐怖」などがありますが、このうち「広場恐怖」の場合には「特定の場所が恐怖として感じられる」と言うことが明確になっているので広場恐怖は「恐怖症性不安障害」に分類されます。一方今テレビでもよくCMで流されているSAD(社会不安障害)やGAD(全般性不安障害)の場合、SADは「恐怖症性不安障害」に、GADは「その他の不安障害」に分類されており、一口に「パニック障害」と言っても、その原因や要因など、背景因子によって「病気」としての分類には非常に幅広いものがあることがいえます。
この分類に関して興味のある方はこちらを参考にしてください。

さて、この「不安障害」について、来週の21日から25日まで、教育テレビで「不安障害~悩むあなたへ」として取り上げられます。放送の内容は・・・

8/21 突然襲うパニック障害
8/22 人前が苦手な社会不安障害
8/23 こだわりを消せない強迫性障害
8/24 実践!不安を除く自律訓練法
8/25 「不安障害」悩むあなたへ(Q&A)
となっています。実体験を元にこのblogでも色々と取り上げていますが、ぜひ「不安障害」を理解してもらうためにも、ご覧頂ければ・・・と思います。

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2006.08.07

倫理の欠如

本当は昨日取り上げようと思ったけど、今日にずれ込みました。
Yahooニュース「特養ホームで男性職員2人が性的暴言、出勤停止処分に」

 東京都H市の特別養護老人ホームで、男性職員が女性入所者に性的な暴言を吐いていたことが6日、わかった。
 同特養を運営する社会福祉法人は、家族に謝罪し、男性職員2人を出勤停止5~7日間、施設長らを減給10%(1か月)とする処分を決めた。
 被害を受けたのは寝たきりで言葉も不自由な認知症の女性(90)。同苑によると、1月21日夜、女性のオムツ交換の際、30歳の職員が女性の名前を呼び、性的な言葉をかけた。21歳の職員も笑いながら受け答えしていたという。介護内容に不信感を抱いていた家族が録音したテープで発覚した。(読売新聞)

これ、完全な倫理観の欠如です。1人はヘルパー2級、もう1人は介護福祉士だったそうです。
介護福祉士の場合は、「社会福祉士及び介護福祉士法」に抵触することも行っていますね。

社会福祉士及び介護福祉士法 (信用失墜行為の禁止)
第45条 社会福祉士又は介護福祉士は、社会福祉士又は介護福祉士の信用を傷つけるような行為をしてはならない。

ただ、45条には「罰則規定」がないので、処罰はできないんですよねぇ・・・
もし今回の件を「秘密漏洩だ!」と親告すれば、第46条で処罰ができますが・・・

(秘密保持義務)
第46条 社会福祉士又は介護福祉士は、正当な理由がなく、その業務に関して知り得た人の秘密を漏らしてはならない。社会福祉士又は介護福祉士でなくなつた後においても、同様とする。

46条違反の場合は「1年以下の懲役又は30万円以下の罰金」に処すことができ、また場合によっては懲戒請求によって介護福祉士の資格取り消し、あるいは資格停止にすることもできます。これは45条違反でもできますね。

(登録の取消し等)
第32条 厚生労働大臣は、社会福祉士が次の各号のいずれかに該当する場合には、その登録を取り消さなければならない。
 1.第3条各号(第4号を除く。)のいずれかに該当するに至つた場合
 2.虚偽又は不正の事実に基づいて登録を受けた場合
2 厚生労働大臣は、社会福祉士が第45条及び第46条の規定に違反したときは、その登録を取り消し、又は期間を定めて社会福祉士の名称の使用の停止を命ずることができる。

まぁ登録問題は別に置いておいて、入所施設で、特に密室の空間になったときに起こる問題ですね。
基本的に「施設に預ける」と言うことはお互いの信頼を担保にして行っているわけであり、今回の件でこの施設と利用者との信頼関係は崩れましたね。当然、こういった理由で信頼関係が崩れ施設にいられなくなった場合は「契約違反」として契約の解除もできます。しかし実際のところは、契約を解除しても「その次」がないのが現状なんですよねぇ・・・もちろん「緊急措置」として対応することも可能だとは思いますが・・・難しいですねぇ。

うちの祖母も、たぶん「疥癬」に感染させられたっぽいし・・・だから当分の間、面会はストップ。
面会OKになったら、ちょっと突っ込んでみようかなぁ・・・と思います。

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2006.07.29

コトバ★「社会福祉士その9」

今日のコトバは「社会福祉士」の第9弾です。これまで倫理綱領・行動規範を中心に取り上げてきましたが、今日は気になるニュースが1つ入っていたので、その部分で取り上げたいと思います。

YOMIURI ONLINE「介護など外国人福祉士を容認…規制改革会議が答申案」

 政府の規制改革・民間開放推進会議(議長・宮内義彦オリックス会長)の中間答申案の全容が28日、明らかになった。
 一層の少子高齢化に備えるため、外国人労働者の受け入れ拡大を求め、新たな分野として、社会福祉士と介護福祉士を明記した。
 NHK改革では、衛星放送3チャンネルのうち、2チャンネルを2011年度までに停止し、民間に開放することを提言した。福祉士については、今後、需要が高まることが予想されるため、政府は外国人受け入れを前向きに検討する考えだ。
 規制改革会議は31日の会合で答申を決定し、小泉首相に提出する。
 外国人労働者の受け入れは、出入国管理・難民認定法に定めた在留資格に基づき、「投資・経営」「教育」など27分野に限って認めている。答申案は「高齢化社会の進展に伴い、介護分野は労働力需要が高まると予想され、質の高い人的資源を確保すべきだ」とし、新たに外国人の社会福祉士と介護福祉士の受け入れを検討し、今年度中に結論を出すよう求めた。単純労働者受け入れは従来通り、認めていない。
 政府はフィリピンとの経済連携協定交渉で、条件付きで看護師と介護福祉士の受け入れで合意している。この分野は過重労働などで人手不足が深刻になっている。同会議はこうした動向を踏まえ、受け入れ枠拡大を提言した。日本の社会福祉士、介護福祉士の国家資格を取得することが前提となる。
 ただ、厚生労働省は「介護分野は国内労働力でまかなえる。身分が不安定な外国人の参入は問題がある」と慎重姿勢で、今後、政府内の調整が必要になる。
 一方、NHK改革では、衛星放送2チャンネルを民間に開放するとともに、公共放送のまま残す6チャンネル(衛星1、地上波2、ラジオ3)については、報道などの基幹的サービスと、娯楽部門を分別して再編成することを求めた。
 教育分野では、政府が市町村の教育委員会について、権限を首長に移譲する構造改革特区の創設を検討していることを踏まえ、「特区は必要な措置を速やかに講じるべきだ」と明記した。(読売新聞)

「介護福祉士」はともかくとして、「社会福祉士」の外国人受け入れ、と言うのはちょっと解せないです。
元々日本にいる在留外国人で、その人に受験資格を与える、と言うのであれば理解できますが、国や文化の違いのある人に対して「相談援助部門」の人的資源を確保すると言う考え方は、ちょっとわかりません。介護福祉士の場合は既にフィリピンとの協定が結ばれており、また介護の「基本的技術」に関しては国を問わず同様の質を保てる可能性があるので理解ができるのですが、社会福祉士に関しては今もなお福祉の現場において位置づけが不明確であるがゆえに、この時点での「社会福祉士解放」はちょっと時期尚早のように思えます。

もっとも、まだ日本には「福祉はお上からの賜り物」との意識が強く、依然として「家庭内介護」が主流である中、日本の土壌に「社会福祉士」(ソーシャルワーカー)が完全に根付いていないのは事実だと思います。むしろ日本においてソーシャルワークの土壌を植えつけるために、その部分の制度改革などのほうが必要不可欠のように思います。

諸外国においては「ソーシャルワーカー」と言うのが1つの「職業」として確立されており、特にアメリカでは「MSW(=Master of Social Worker)」として位置づけられているとのことです。対して日本は従来長く続いてきた「措置制度」と言う行政処分の歴史が長く、介護保険制度や障害者自立支援法が施行されているにもかかわらず、未だに「~される」という受身の福祉であることがいえます。本来であれば既に「利用者」と「サービス提供者」が対等な立場でなければならないのですが、その部分の認識がまだ日本には根付いていないため、「社会福祉士」を外国人労働者として受け入れるためには、その土壌整備が必要だと考えられるのです。

もっとも、社会福祉士にしても介護福祉士にしても「社会福祉士」と言う仕事はありませんし、「介護福祉士」も元々は「資格名」であり、職業名ではありません。ただ社会福祉士と介護福祉士の業務形態を比較した時に介護福祉士のほうが業務内がはっきりとわかりやすいため「介護福祉士」は資格名でありながらそのまま「職業名」としても定着しているのだと思います。一方社会福祉士は「何でも屋」的な要素が強いため、高齢者施設では「介護支援専門員」とは別に「生活相談員」や「支援相談員」、病院では「MSW(=Medical Social Worker)・医療相談員・医療ソーシャルワーカー」と称して活動するのが現状になっているのです。また高齢者以外の施設でも「社会福祉士の必置(必ず配置しなければいけない)」の条件がないため、結果として「社会福祉士」は「社会福祉士」として埋もれてしまっている現状があります。きっとこれは社会福祉士の資格を持つ一人ひとりが、自ら「社会福祉士」であることの自覚と誇りを持ちつつ、常に自身の業務に対して前向きに、なおかつ知識及び技術の研鑚に励まなければならないのであろう、と思います。

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2006.07.20

メッタ斬り

本日、定期通院日。パニックに関しては落ち着いているものの、睡眠がイマイチです。
そして寝る前に飲む薬がついに6粒になりました・・・ハイ。もう訳わからない状態です・・・(^_^;)

さてさて、午前中に病院に行った後は少し休んだ後、午後は面接。と言っても夕方だけど・・・
昨日の記事に書いたように自分の思いや理想を訴えました。しかし・・・メッタ斬りに合いました。惨敗です。

と言うより、スタートラインが違った。
自分は「デイサービス介護職」として面接に行ったけど「特養だからちょっとけん制しておかないと・・・」と思い、今の自分の状況から履歴書に「夜勤・宿直不可」と書いた。そしてそのけん制は案の定ヒットし、「特養の職員」としての採用だった。だから面接の時に「デイサービスの職員と言うことで、応募をした」と言った。もちろん、異動の可能性ありとのこと。履歴書上でけん制しておいて、一安心。

でも面接の内容は・・・ボロボロでしたね。
もちろん言うことは言いましたよ。だけどね・・・やっぱり「経営層」には、うまく伝わらないんですよね。一通り自分の思いや考え、信念を言うと施設長からの反撃開始。

「キミの言っていることはたしかにそうなんだ。しかし国基準でやっては到底いけない。だからパートの職員などを雇って基準以上にしようとする。しかし人員配置を増やしても国から補助が出るわけではない。となればどこからかその人件費を持ってこなくてはいけない。いくら社会福祉法人と言えども、借金をしたら返さなければいけない。だからキミが思っているようなことをするのは100%ムリだ。」

ハイ、十分承知しています。承知の上で言いました。
でもこうもバッサリと斬られると何にもいいようがありません。特に「人件費」の具体的なことに言及されてしまっては、もうそれ以上のことは言えません。他の人からも同様の意見。「もっと影の部分を見なさい」と言うことを暗に言われてしまいました・・・

帰りの車の中では何故かアクセルを踏む足が震えており、途中休みながらの帰宅。
それだけ、今回の面接は気持ちいいくらいにバッサリとメッタ斬りされました。

うーん、今日の面接を受けて思ったこと・・・やっぱり、自分には「高齢者」はないかな?
だからどんなに時間がかかっても、通所で働ける施設でも探しましょう・・・ハイ................_| ̄|○...

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2006.07.19

「介護」って、やめない?

明日は通院日と面接のダブルブッキング。
正直同じ日にあわせたくはないけど、先方の都合もあるから仕方なく明日面接に行くことに。もちろん、今日は面接場所までの試走もしてきました。

さて、昨日も書いたけど「介護職だから本望じゃないけど・・・」と言う件の文章を載せたけど、昨日の記事を書きながら、そして今日面接に向けて何をアピールしようかなぁ・・・と考えた時、ふと1つの言葉に思い当たった。それは「支援」と言う言葉。

自分の福祉業界のスタートは障害者福祉であり、職種も「支援員」と言う肩書きで働いていたため、どうしても「支援」と言う概念から抜けきれない部分があり、どうしても「介護」と言う言葉に抵抗感をもっている部分がある。だから「介護職は本望じゃない」と言うのはきっとその部分に固執しているのかもしれない。

でも、よく冷静に考えた時・・・「介護」って誰の視点に立った言葉なんだろうなぁ・・・と感じた。
要するに「介護」って結局「介護をする側」の視点で見たものであり、「介護を受ける側」は一言も「介護をしてください」なんて言うことを聞いた事はない。以前に「支援と指導」と言うタイトルで記事を書いたこともあるけど、結局「指導」と言う言葉も「指導する側」の視点の言葉であって、基本的に「指導してください」と言うのはお稽古事とか、何かの「師事」を受けるときに使うのが一般的。学生時代にイヤと言うほど聞いたことがある人もいるかもしれない「生活指導」と言う言葉も、別に学生側から「指導してください」と言ったものではなく「学校の教育上の都合で指導をしている」に過ぎないこと。

結局それは「介護の現場」でも同じなのかなぁ・・・と感じる部分がる。
「介護」って言うのも「身体機能の低下によって、何らかの援助が必要とする人に対して行う行為」であって、結果論で言えば「介護を提供する側の言葉」として存在しているのが「介護」なのかもしれない。そう考えた時に盛んに介護・介護と言っているのは、あくまで「職員主導の意見・考え」なのかなぁ・・・とふと思う。

だから自分はちょっと視点を変えてみようかなぁ・・・と思う。
「介護職に就く」のではなく「支援をする仕事に就く」と言う考え方に。「生涯発達」の時にも書いたように、「人は生まれながらにして発達する力を持っており、その力は永遠に続くものである」の視点に立ったときに、まさに高齢者分野でも同じようなことが言えると思う。一昨日の記事に書いた「特養の業務としては効率的だと思うけど、本当に「自立への支援」になっているのだろうか?」にあらわしているように、あくまでも自分たちは「自立への支援」を常に心がけなければいけないこと。それはどんな職種であっても同じことだと思う。だから今自分の中では「介護」と言う言葉はなるべく使わないようにしようかなぁ・・・と考えている。あくまで自分たちが行うのは「介護」ではなく「支援」であるということ。必要な部分に必要なだけの「介助」と言う支援を提供することで、本来持っている自分自身の力を最大限発揮させること、これが真の目的なのかなぁ・・・と感じている。

まだ自分は一度もまともな「高齢者福祉」の現場に携わったことがないから「理想論」が言えるのかもしれないけど、でも理想を理想のままにはしたくない。やっぱり「理想」を「現実のもの」に変えていきたい。明日の面接で、自分の考えや理念、信念がどこまで伝わるかわからないけど、取りあえず「言いたいこと」だけでできる限り言ってみようと思います。

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2006.07.17

やっぱり心は・・・

平日は何もすることがないから引きこもりがちだけど、休日は何らかんらででかけることの多いMitakeであります。
そして、自然とこの本を手に取り、買ってしまいました。
D1000105

「動作をみる介護~リハビリテーションの応用で介護力を高める」・・・書名で買ってしまった気持ちのほうが大きいですね。もうこのblogでは何度も話題に挙げている祖母のこと。土曜日に面会に行った時に「家に帰りたい」と言ったため、気持ちを納得させるためにも「自分で歩いてみよう」と提案し、ベッドから車椅子を使わずに立たせた。
無論、歩けることはなく、「歩けない」と言うことをわかっていながら、あえて歩かせようとした。事実を受け入れてもらうために。その上で「歩けるようになれば、家は無理でも外にお出かけできるから」と話し、納得をしてもらった。

ハッキリ言って独歩ができないことを承知でこんなことをやるのは、素人が行うのは危険。
ただ今までの経過の中で「1人で車椅子への移乗ができる」ことを確認しているため、「支えがあれば立位保持は可能」と言う考えがあり、また筋力がなくなった足に対して「体重をかける」だけでも「リハビリテーションとしての効果」があることは退学前に習っていたため、あえてそのような行動をとった。事実、前職の知障デイサービスのときもトイレ介助の際に「しっかり立ってみよう」と声かけをしてながらトイレ介助を行なった経験もあった。だから「自らの負荷」で筋肉を鍛えることは理にかなっていると考えていたため、「歩いてみよう」という無理難題の行動をとった。

そういった祖母への働きかけの中で「参考になれば」と思って買ったのが、今日のこの本。
「今現在の祖母の体で、できることはやってみよう。動く部分は、動かしてみよう。」と言う気持ちが自分の中には強くある。何でもかんでも介助してしまったら、できるものもできなくなってしまう。だから「可能な限り」、祖母には動いてもらうようにしたい。

学校を退学して、もうすぐ1年。志半ばで学校を辞めてしまったが、心の中にはまだ「リハビリテーション」の気持ちが残っているのかもしれない。当初は希望を持って学校に入学した。勉強もハードな中頑張ろうと決めていた。しかし入学して間もなくして倒れ、それからは苦しい日々の毎日だった。そして皮肉なことに、自分が病気であることがわかったのと同時に、その病気・発作を引き起こす要因が「学校の授業」にあったこともわかった。いくら作業療法士になりたいと思っても、自分には「解剖」という避けては通れない道があり、その道を通らなければ作業療法士にはなれない。しかし自分の病気の要因は「解剖」であり、作業療法士を目指す自分にとってはまさに「致命傷」であった。だから自分は作業療法士の道を断念した。作業療法士になるために貯めてきたお金もすべて失った。

作業療法士になるために通らなければならないところに「致命傷」が存在する以上、自分はこの道を閉ざされた。
しかしその道を閉ざされても心の奥底には未だに「リハビリテーション」への思いが残っていることに、改めて気づく。特に祖母が療養病棟への入院、特養への入所を目の当たりにして自分自身もできる範囲でケアをするうちに、自然と自分の心の中に「リハビリテーション」への思いがあふれ出ていた。

でも今の自分にはその道に戻ることはできない。経済的な部分もあるけど、何より「フラッシュバック」と「発作」への恐れから、それはできない状態である。ただ「日常生活の中でできるリハビリテーション」があることにはわかった。毎日小さな積み重ねだけど、それを「介護」の中で実践できる可能性があることには気がついた。だからもし自分が「介護の道」に進むのであれば、「余裕のある介護」を提供できる場所に就職したいと考えている。

祖母の入所している特養でのこと。
祖母が「便所」と言ったので、特養内でのケアに関しては職員に任せることにして、トイレの場所までは自分で行ってもらうことにした。しかし祖母よりもワーカーが来るのが先で、ワーカーが来るなり、祖母の足をフットレストに乗せて、トイレに連れて行ってしまった。

この行為、特養の業務としては効率的だと思うけど、本当に「自立への支援」になっているのだろうか?
これが「余裕のある介護を提供できる場所に就職したい」と考える大きな理由である。車椅子に乗って歩いてトイレまで行けるのであれば、それを見守って、トイレについてから介助をすればよいのではないか・・・その部分の「余裕」をどうして持てないのか?
もちろん時間的な「余裕」だけではなく「心の余裕」も持って仕事に挑みたい。

病気のことがあって作業療法士の道は断念したけど、自分の心の奥底には未だに「リハビリテーション」への思いは根強く残っているのかもしれない。

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