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思ひ出アルバム

  • 卒業式が終わって・・・
    以前HPで行っていた「todya's photo」の写真や「御岳写真館」で使用していた写真を再び復活させるべく、「思ひ出アルバム」として随時更新していきたいと思います。また最近の写真でも「思ひ出」となるものについては、ここに納められていくことになるでしょう。

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2012年4月

2012.04.27

どれだけ出回っただろうか

今月は外回りが非常に多いです。
先週は家庭訪問、その前の週が企業訪問。そして今日も、企業訪問。正直今日の企業訪問は、腹立ちましたけどね。もちろん対外的にはそんなことは言いませんが、話を聞きながら「何を言っているんだ!」と思うこと、多数ありましたね。

今回は自分だけでなく、局長も同席。
面会が終わった後、局長に「(先方の対応について)どうですか?」と聞くと、一言。


  うーん、ムカつくな。


局長がそういうなら、きっとそれが真実なのでしょう。
局長ももちろん表向きにはそういうことは言わず、至って「大人の対応」をしたわけでありますが、局長が問題の場面をどう受け取るかというのが、自分が行ってきた支援の方向性を見据えているかな、と考えているので、今日の反応でまんざら間違った方向に進めているわけではないのかな、と思いました。

もちろん、センターに戻る車内では色々と話しました。
基本的に「短気」な人間2人が揃っているわけですから、批判をしながらも今後をどうするかも検討しました。まぁこの先どう舵を取っていくかについては、自分一人ではなく局長を含めて考えていこうかな、と思います。

それにしても今週は、本当に出回りました。
来月もこれくらい、出回ることになるのでしょうか・・・ハイ。

2012.04.24

作業にこもりっきり

やっぱり火曜日の出勤は、勝手がわかりません。
でも今日は完全に作業場にこもってしまいました。というより、作業メイン。

準備すべきものは色々あるけど、取り急ぎというのはそんなでもない状態。
そのため作業のヘルプにも対応することに。なにしろ、今日から始めるものだとのこと。

内容としては非常に簡単。化学成分の色見本を半分に折るというもの。
ただ・・・作業は簡単だけど、その後の手間は非常に大きかったです。

折る紙はちゃんと折り目もついているので、比較的誰でもできる作業。
その後に枚数を数えて結束するという作業もあるけど、これも利用者さんに任せられる作業。

しかし最後の梱包はそう簡単にはいかないもの。
台紙をまとめてキャラメル包みで梱包。さらにそれを段ボールに入れて出荷。最初は別の職員がやっていたけど「やってもらえる?」とのお願いがあり、自分が担当することに。

ところが今回の作業、少々曲者でして・・・
キャラメル包みをするのはわかるけど、梱包する体積が大きく、普通に包んだのでは若干包装が小さい。さらに包むものが「結束した台紙」で、ちゃんと安定して梱包ができないもの。きちんと積んで包装することができないんですよね。包むものは不安定、包装紙は寸足らず。非常にやりにくく、曲者です。

まぁそんなことを言いながらも、何とかするのが自分。
色々と方法を考えて、ギリギリのところで包装しました。寸足らずの紙も何とか引き寄せ、最後は体全体を使って圧縮して包装することに。以前の職場で何度もキャラメル包みをやっていたからできるものの、普段からキャラメル包みに慣れていない人では、ちょっと難しいかな・・・と言ったところ。

でもね・・・明日、自分お休みなのね。
で、明日までに今日の作業分も合わせて2万枚の台紙を作らなきゃダメなのね。今日の時点で約1万で来ているから残りは1万だけど・・・キャラメル包み、誰かがやらなきゃ進まないんです。一応「包み方のコツ」は伝授してきたけど、結構包むのは大変。明日を乗り切ったとしても、今月中に7万枚を作ってとのこと。作業そのものは楽だけど面倒なことも残っており、この先を考えると少々ゾッとします。

2012.04.20

なんとかなるものだ

今日は午前中に訪問活動。
直接は自分が関係しているものではないけど、同行しての訪問。

訪問したのは、もうすぐ90歳になる独居の世帯。
いや、正しくは3人家族だった家。

「直接関係ない」と言いながらも、そもそもは自分が最初のケース。
思い起こせば2年前、精神科病院を退院してきて相談のあったケース。元々は知的障害があり、精神科の入院で作業所を退所となったために今後のつながりを求めてきたケース。だからスタートは自分のところ。

その後服薬コンプライアンスが守れず、再入院。
その矛先は自分に向けられ、父親からは「話の相手」にされていない状態。そのうち母親の介護問題が徐々に浮き彫りになり、市の地域包括支援センターも関わりを持つことに。うちが連携を取り始めたのもこの頃から。どうやって突破口を開いていくか、保健師さんも交えて色々と検討。

そんな中、父親の我慢ができずに退院へ。
とてもじゃないけど監護能力のないところに戻すなんて、ありえない話。寝耳に水の話に関係者が一気に巻き込むことに。自分も急きょ手配した訪問介護事業所にお願いをして、ギリギリのところで地域生活を支えることに。でも案の定、やっぱり服薬コンプライアンスが守れず、さらに肺炎と悪性症候群を引き起こしてしまい緊急入院。父親も肺炎で入院。残った母親も緊急一時保護から短期入所へ。

その後母親は末期がんで先月他界。
本人は未だ精神科病院に入院。症状は安定しているものの、自宅には戻せない状態。そのため自宅は、父親1人の独居状態。そんな状態を懸念した自分が地域包括支援センターのケアマネさんと一緒に訪問した、というのが今日になります。

このケース、ホントに長いんです。
ここではかいつまんでいますが、実際はここには書けないくらいにいろんなことがありました。でもそんな状況でも何とか乗り越えてきました。乗り越えることができたのは「チームケア」が機能したからこそのこと。スタートは自分と市の保健師さんと地域包括支援センターのケアマネさんから。その輪が一時期は関係者が8者にまで膨らみました。自分は決してコーディネートができたわけではありませんが、本当にいろんな人に支えてもらいながら、この家族が地域生活を送ってきました。

そして今は落ち着き、自分とケアマネさんで訪問となりました。
訪問の帰り道、「元気そうでよかったですね」と、ケアマネさん。スタートからずっと関わってきたケアマネさんには、本当に色々と助けてもらいました。自分一人で心もとないときにケアマネさんに手伝ってもらったことは何度あったことか。ケアマネさんがいたから円滑な関係が築けましたし、チームケアというものを「生の教科書」で勉強をさせてもらいました。色々と大変なことがたくさんありましたが、今となれば「何とかなる」というのが本当に当てはまるケース。「絶対に在宅生活はできない」と関係者全員が口をそろえて話しても、数か月は綱渡りながら在宅生活を送ってきたこの家族、最終的には破たんしてしまいましたが、途中までは何とかなっていました。まぁ何とかなっていたのも、関係者の連携があったからこそ「何とかなった」のですけどね。

きっとこの家族は、最期を見るまで関わると思います。
いつその時が訪れるかはわかりませんが、最後の最後まで見届けるのが自分たちの役目なのかな、と感じています。

2012.04.17

勝手がわからない

いつもは公休の火曜日。
でも今週と来週はシフトで出勤することに。ぶっちゃけた所・・・うーん、自分が休みでも問題なかった?
まぁ1件、自分が相談を取ったけど、自分じゃなくても対応できた内容かな。

それにしても、普段休みの日に出勤すると、勝手がわからないものです。
別に普段通りにすればいいのだと思うのですが、何をすればいいのかわからないんですよね。結局午前は相談を取ったほかに何をやったのかを覚えていない状態。午後こそは利用者さんとサロンで過ごす時間が多かったけど、メチャクチャ仕事らしい仕事をしたのか・・・と言えばそうでもないのが実際。

で、仕事が終わった後に、少し仕事。
って、全然違いますよね。普通仕事の時間内に仕事をやるのが当たり前ですが、なかなか正規の仕事の時間中に仕事を進めるのって、結構大変なんですよね。だから仕事終了後に「少し仕事」で済んだのは、少しずつ進めていたからのこと。なんだかんだ言いながら記録を迫られたり電話対応をするなど、やりたい時にやりたいものが必ずしもできる訳じゃないんですよね。

正直、火曜の出勤はリズムが崩れます。
できることなら、正規の日に普通に休みたいものです、ハイ。

2012.04.14

晴れて2枚看板

昨日届いていたのですが、不在だったため、今日再配達。
2枚目の看板が届きました。
Cimg0042

9年ぶりの新しい資格、精神保健福祉士。
自分の中で「機会があれば・・・」と思っていた資格だったけど、社会福祉士取得から10年以内に取得することができました。自分の中では思ったよりも早く取得ができた、という感想です。

まぁ自分が足を踏み入れたのも、色んなことがあったから。
もし最初の職場を離れずに今も続けて仕事をしていたら、精神保健福祉士の取得はもっと先のことになっていたと思います。色々と動きをしたから取ることのできた資格であり、自分が色んなことを経験したから取ることのできた資格でもあります。これで正式に「精神保健福祉士」を名乗ることができます。

ただ・・・今はとにかく勉強。
国家試験も基準点を優にクリアしていたけど、知識の足りなさは自分でも実感。特に精神医学の部分はもっと知識を取り込む必要もあるので、もう一度足場固めをしたいと思います。

2012.04.12

「あってはならない」ことが再び

Yahooニュース「<京都祇園暴走>容疑者「てんかん」の疑い 関連を捜査」

◇容疑者を含め死者8人、11人重軽傷
 12日午後1時10分ごろ、京都市東山区の四条通大和大路の交差点付近で、軽ワゴン車が歩行者を次々とはねた。京都府警によると、はねられた男女7人が死亡し、11人が重軽傷を負った。車はその後、電柱に衝突して大破し、運転していた男は間もなく死亡した。府警は、自動車運転過失致死傷の疑いで捜査している。
 府警によると、男は京都市西京区桂朝日町、会社員、A容疑者。
 容疑者の車はまず、南北を通る市道の大和大路通(幅約5~12メートル、一方通行)を北上し、四条通の南約170メートル付近でタクシーに追突した。そのまま逃走し、クラクションを鳴らしながらスピードを上げ、四条通との交差点の赤信号を無視して横断歩道の歩行者に突っ込んだ。その際の速度は時速30キロ程度との目撃情報もある。交差点では10人以上がはねられたらしい。
 さらに、大和大路通を北進し、歩行者数人と駐車車両に接触した後、交差点の北約190メートルの電柱に正面衝突して止まった。容疑者は衝突で大けがをし、約2時間後に病院で死亡が確認された。
 はねられて死亡したのは男性2人(40、77歳)と女性5人(50~60歳)。このうち50~60歳の女性1人の身元がわかっておらず、府警が確認を急いでいる。負傷者は男性3人(20~80代)、女性8人(30~70代)。うち1人はオーストラリア国籍の女性(57)。

◇仕事で軽ワゴン車運転…A容疑者
 容疑者は、現場近くの藍染め製品販売会社の従業員。社長の女性によると、営業担当の容疑者は普段から車で取引先を回り、この日は午後1時ごろ、営業用の軽ワゴン車で会社を出た。同社は「(容疑者に)てんかんの疑いがあることは知らなかった」としている。
 容疑者は両親と計3人暮らし。近くに住む姉(34)によると、容疑者は約1年前、脳の病気で発作を起こす「てんかん」の疑いと診断を受けた。最近、てんかんの発作のような症状を2~3回、起こしており、家族が車の運転を控えるように言っていたという。府警は車の暴走との関連を調べている。
 府警によると、今年3月の運転免許の更新時、容疑者から、てんかんとの申告はなかった。てんかんについて申告義務はないという。府警は、13日にも容疑者の遺体を司法解剖する方針。
 現場は、京都を代表する観光地「祇園」の一角の繁華街。当時は多くの花見客らでにぎわっていた。(毎日新聞)

またしても、あってはならない事故が起きてしまいました。
自分の記事を調べたところ、ちょうど去年の5月にも同様の事故があり、それに対して自分の見解を書きました。

同じことを何度でも書きます。
この事故は過失ではありません。明らかな「故意」です。踏み込んで言えば「未必の故意」です。

それともう1つ。「てんかん」を持つ人が運転してはいけないとは思いません。
ちゃんと適切な治療を受け、発作のコントロールをし、医師から運転が問題ないとされれば、健康な人と同様に運転をしても構わないと思います。それは本人の努力によって治療を行い、その結果として発作の可能性を限りなくゼロに近い状態にもって行ったことになりますので、許可さえあれば全く問題ないと思います。

同じ「てんかん」であっても「医師の判断」によって、結果は「過失」か「故意」が分かれると考えます。
前者の場合、適切な治療を受けて医師から許可をもらったうえで運転をしたが「発作」で事故を起こした。この場合は医学的に「発作の危険性は予見できない」ことであり、その結果(事故)が予見できなければ、これは過失であると思います。

後者の場合、医師から禁止されているにもかかわらず運転中に「発作」で事故を起こした。この場合は医学的に「発作の可能性が予見でき、その結果は重大なものになる」と判断されていると考えられ、事実として結果(事故)が残れば、これは明らかに故意です。「運転中に発作を起こす可能性を認識しながら車を運転した」→「発作が起きた時の結果を認識したうえで運転をした」ということであり、「未必の故意」が成立するのではないか、と考えます。

しかしながら、運転をした本人も亡くなりました。
残された家族は、この大きな代償を背負うことになるでしょう。家族が運転を止めるよう説得していた中での事故。事故に巻き込まれ亡くなった方はもちろん被害者でありますが、この家族もある意味では被害者であると言えるのではないでしょうか。本来であれば、運転をして事故を起こした本人が償うべき事故。絶対にあってはならないことであり、家族の思いを察するに余りあります。

2012.04.11

再勉強

お昼の時間に、団体の見学対応をすることに。
聴覚障害者団体の対応で、手話通訳の方も一緒についてもらうことに。

そういえば3年前に手話教室に通いました。
半年ぐらいは仕事もそんなに忙しくなかったので通うことができたのですが、残りの半年はとてもじゃないけど忙しくて行けるどころの話にならず、途中でとん挫してしまいました。

あれからというもの、完全に手話を忘れてしまいました。
数字だけ手話でできるものの、日常会話をするなんてとんでもない話。思い起こしながら手話でできるところは・・・と思ったものの、マカトンと混在してしまっているため全然手話にならない状態。指文字も完全に忘れてしまいました。

夕方のミーティングでは手話通訳者の方から「手話のできる職員を」との要望。
自分もそれに対応できるように・・・と思っていたけど、途中でとん挫してしまったためとてもじゃないけど「勉強しました」とは言えません。もう一度機会があれば、ちゃんと勉強をし直さないとダメだな・・・と強く実感しました。

今ちょっと調べたら、手話講座があるみたいだから、申し込んでみようかな。
定員になっていなければまだ申し込めそうだから、ちょっと明日市役所で聞いてみようかな。

2012.04.08

恋愛指南?

自分の仕事はソーシャルワーカー。でも今日の話は、ソーシャルワーカーらしくない話。

先週、親御さんと同伴面談をした利用者さん。
自分の中では「2週連続は良いかな・・・」と思っており、面談はしないつもりでいた自分。でもそのキャンセルをすることをすっかり忘れていた自分は、利用者さんが来て思い出すことに。当然「ないよ」とは言えないため、面談実施。

まぁ来たら来たで話すことはあるんです。
でも今日の話は完全にソーシャルワーカーとしては外れた話。だってそれは、恋の話だから。

一言で片づけてしまえば、おそらく「初恋」をしたのだと思います。
そのことがうまく仕事の中で消化することができずにちょっとした課題になっている、というのが内容。先週も同様の話をしたけど、やはり親の前で初恋のことを話せるわけもなく、自分もそこまで突っ込まなかったので「対親御さん」ということで先週は話をし、そして今週は「対本人」として話すことに。

ただねぇ・・・自分もそんなに大きなこと、言えないんですよね。
もちろん初恋の経験はあるけど、そんなに恋愛経験はないですからね。いや、皆無かも。なのに自分が恋だの愛だの語れるような人間ではありません。ですから自分の経験+想像で話す部分も。

でもこんなことを話すのも、ソーシャルワーカーなのかな。
今回は本人が「恋」というのもを知らないから話せたもの。ともすれば今の時代、自分より恋愛経験が豊富な利用者さんがいてもおかしくない事実。まぁ今日は話せてよかったけど・・・自分、話せるほどの経験ありませんから、ハイ。

2012.04.04

そういえば、新年度なんだなぁ

日曜日に「新年度になった」という記事を書きましたが・・・
出勤するまですっかり「新年度」という感覚を忘れていました。出勤して改めて実感。

まず実感その1。
施設長が変わり、今日が初顔合わせ。挨拶をして、レクチャーできる部分はレクチャー。あわせて取り急ぎ必要な営繕関係は説明することに。

実感その2。
各所のあいさつ回りがあることに。特に市役所は色々と。
4月の人事異動で部長と課長が異動。で、今まで担当係長だった人が課長に昇格。後釜の係長も着任し、午前中に部長・課長・係長が年度あいさつに。また隣の小学校の副校長も移動で着任とのことで、午後にあいさつ。さらに施設長自身も着任のあいさつ回りをすることに。

実感その3。
お給料が月給制から時給制に。これで超勤付き放題???
いやいやそんな訳なく・・・市の言いなりに待遇を下げられた状態。そんなことを言いながらも、施設長は自分の事情を既に把握の様子。「新規事業には・・・」なんて話もあったから、それなりに今までの自分の経緯については話をきいているのかな、と言ったところ。もちろん「W福祉士」ということも影響している可能性大。

とまぁ、早速色々と動いている様子。
自分も新年度になり色々と動かなければいけない部分もあるので、間違えなく去年以上に忙しくなるのは必至。ホント、待遇下げられて・・・って感じだけど、とりあえずはやるしかないんですよね。まぁとりあえずはコツコツと。じっくりやっていく以外に方法はありませんからね。

2012.04.01

新年度

今日から新年度。カテゴリーもまた増えました。
記念すべき、社会人10年目のメモリアル(?)イヤー。大学・専門学校を卒業してあっという間に30代になったけど、実際に数字として「10年目」と言ってしまうと、まだ10年しか経っていないんだなぁ、と思います。自分の中ではかなり濃密な10年を送っており、気分的には10年以上経っている気分ですが、実際はようやく10年目なんですよね。

そんな10年目初日は朝から大忙し。
出勤して早々に面談実施。親御さんにも同席をしてもらっての面談。分離面談をするかどうか悩みましたが、結果として同席面談をしてよかったのかな、と思います。この職場に来て親子での面談は何度とななく設定していますが、社会人なりたての時の自分は親御さんの反応にいちいちビクビクしていましたね。支援計画書の作成に対してもいかに親御さんにOKを貰うのかということばっかりが先行して、本来の部分はだいぶ薄かったかな・・・と今更ながら思います。でも今は余裕・・・とまでは言いませんが、今までのいろんな経験から自分も多少は説得力のある話ができるようになり、親御さんからもご理解を頂いています。今日の面談も実際に展開をしながら「思いの共通認識」を目的に挙げ、親御さんからも「よかった」との声を貰い、非常に有意義な面談になりました。

午後はリハビリ。今日は久しぶりに相談なしの余裕体制。
そのためいつも通りにリハ助手となり一緒にリハビリを行うことに。中には先生の指示を受けて自分がトレーニングをサポートすることも。リハビリを担当するようになって3年目。リハビリに来る人の中には言語的コミュニケーションが難しい子もいるけど、その子とも関係が取れるようになって一緒にリハビリを楽しむ間柄に。一時期は自分もセラピストを目指しましたが、こういう形で長く携わっていくのもいいのかな、と思います。

それにしても・・・休日体制が3人はちときつかったなぁ。
その分、明日は現場職員のほとんどが休暇。明日の運営、大丈夫なのか???

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