どこまでを「配慮」するのか
いつも、いつも、いつもそうですが・・・休み明けは、色々とあります。
その中でもどこまでを「障害ゆえに」として見るべきなのか、難しい部分があります。
今日は朝から色々と対応をし、本来やりたかった仕事ができなかった状態。
そのうち1人の利用者さんについて、朝から色々と話をすることに。自分が出勤するまでの色々な経緯も聞いたけど、自分の考えとしては「急ぎ過ぎ」という思い。そしてもう少し「社会」のことをちゃんと捉えなければその先に進まないかな、ということ。そのためいつもよりも少しきつめの内容で話をすると、案の定「痛いところを突かれた」との反応。
さらに自分が別件で対応している姿を見て「僕の知っているMitakeさんじゃない」との反応。
そりゃ利用者さんによって対応の仕方は違うし、対応する内容でも当然方法は異なってくるのは当然のこと。しかし彼にとっては「やさしいMitakeさん」という姿しか記憶にないため、そのギャップで自分に相談することができなかったとのこと。
そして最終的には色んな所に電話をした様子。
彼とは明日面談をする予定になっており、そのことで以前利用していた作業所に連絡をすると「今日電話がありました」とのこと。それも1か所ではなく、少なくとも3か所には電話を掛けた様子。もちろん3か所とも事情はよく分かっており、作業所さんからは明日の面接については打ち合わせ通りに進めることを確認。さらに特別支援学校の先生からも「明日なら行かせていただきます」と、ありがたい返事。もちろん自分の方からもお願いし、明日の面接はかなり中身のある内容になりそうな感じ。
これからの支援は、どこまでを「障害があるために」と考えるのか、どこからを「社会に合わせる」と考えるのか、この部分が一番の肝になりそうな部分。障害特性が故に配慮が必要な部分があれば、障害関係なく対応していかなければいけない部分もあり、その線引きをどこにするかが難しいところ。いずれにしても明日の面接では何かしら動く可能性があることは確かなこと。その動きが前向きに動くのか、あるいは後ろ向きに後退するのかは自分でも読めない部分。でも、これは決して避けては通ることのできない問題であり、まさに明日は真っ向勝負と言ったところです。
« 一応、ソーシャルワーカーなので・・・ | トップページ | ダメなものは、ダメ »
この記事へのコメントは終了しました。
コメント