やはり、続けます。
たまには仕事と関係ないことを書くのもいいでしょう。
その前に・・・コメントをくださる方々、本当にありがとうございます。
ここでのコメントにレスをつけない理由はだいぶ前に書いたと思うので詳しくは書きませんが、ちゃんとコメントは読んでいます。毎日書いているのが疎かになり、最近は気力が向いたときに書いている状態でありますが、それでも自己満足(?)のblogを読んでくださる方がいることに、大変感謝しています。
実のところ、今はアメブロの方がメインになっており、気持ち的に「ココログの方は(力を抜いて)いいかなぁ・・・」なんて考えることもありました。やはり2つのblogを同じテンションを維持して続けることは結構大変なことで、なおかつココログに関しては「仕事のこと」を書くようにアメブロとの差別化をしているため、余計に書く内容を自己規制して息苦しくも感じていました。毎日更新のテンションが維持できなくなってきたのも、その辺があるのかもしれません。
でも、だいぶ前に自分が書いた内容にもコメントをつけて下さる方がいることに、改めて「このblogはまだまだ続けなきゃ」と実感しています。「生涯発達」のことを書いたのは今から6年前のこと。6年前と言えば、ちょうど自分がパニック障害の診断を受け、また祖母が介護の必要な状態になった時のこと。「生涯発達」は介護を必要となった祖母を目の前にして、医療でのサポートに限界がある状況に対して福祉従事者として「刺激を続けなきゃ」との思いから実践と理論をまとめたもの。それだけに6年前のこの記事には6年前の自分の「思い」というのが色濃く出ているな・・・と、読み返して実感しています。
6年経った今、祖母は今年他界しました。
自分としてはずいぶん長く祖母にかかわってきたな・・・と思っていましたが、本当に介護が必要な状況になって動き出したのが6年前だったことに、意外と短かったなぁと感じています。自分の中では10年以上もやってきたと思っていたのですが、10年も経っていなかったんですよね。病院と特養、あわせて6年間の生活がものすごく長く感じたのは、孫でありながら祖母にかかわったことの「濃密さ」を表しているのかもしれません。
福祉従事者としての自分も、6年前とは変わりました。
6年前は直接処遇の仕事がメインでしたが、今では障害者施設の相談支援員として直接処遇に近い現場に入りながら、メインの仕事は「相談援助」という間接処遇の仕事が中心となりました。そして当時は社会福祉士・福祉の仕事の一端を・・・との思いから始めたこのblogも、今では精神保健福祉士を目指す立場となり、仕事も「福祉の仕事」という括りから「障害者福祉の仕事」というものに変化しつつあります。
その中で更新頻度が少なくなったこのblogを今も変わらず読んで下さる方がいることに、改めて更新への力が湧いてきました。明日からまた毎日・・・というわけにはいかないかもしれませんが、ココログの方もアメブロに負けないくらいに更新して行けるように、精いっぱいやってみたいと思います。
Mitakeの小箱、まだまだ終わることはできませんねヽ(^。^)ノ
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