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思ひ出アルバム

  • 卒業式が終わって・・・
    以前HPで行っていた「todya's photo」の写真や「御岳写真館」で使用していた写真を再び復活させるべく、「思ひ出アルバム」として随時更新していきたいと思います。また最近の写真でも「思ひ出」となるものについては、ここに納められていくことになるでしょう。

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2010年12月

2010.12.28

仕事納め

あっという間に仕事納めです。
結局今日も作業場とセンターの往復。箱作りの目途が立ったところでセンターに戻り通信の状況確認。通信が終われば再び作業場に戻って納品準備。納品に出ようと思ったら所長から「市役所に行って」とのこと。今日も移動ばっかりの1日でした。

今年1年を総括すると、「忙しかった」の一言かもしれません。
入職した当初は不安をたくさん口にしていたけど、いざblogを読み返してみると、かなりの頻度で外に出ていることが判明。中でも入職3日後に企業回りして挨拶に行っていること。まだ何もわかっていない自分が言われるがままに挨拶へ。そこで利用者さんと会ったけど、当然お互いに知らないので「???」って感じ。でもその利用者さんとはその後企業からの支援要請で頻繁に会いに行くようになったおかげで、今では普通に話すまでになりました。ただ・・・新年の挨拶に行ったときに何の支援をしようか、今から考え中でもあります・・・

「忙しかった」と同時に1年が「早かった」のも、今年の特徴かも。
社会人になってから1年が早く終わることを実感するようになったけど、今年はいつも以上に早く感じ、今までの職場の中で一番時間の流れが早く感じたかもしれません。でもそのことは、裏を返せば「充実した1年」だったのかもしれません。研修に行った数は間違えなく今までの中で最多。延べ日数で数えれば、1年のうち15日ぐらいが外部研修に行っていると思います。単純に相談支援従事者の初任者研修と現任研修を合わせても9日。さらに精神科病院の実地研修に3日。そのほかに単発の研修にも結構行っているので、研修の数はかなりの日数になっていると思います。ただ後半は「指定管理者」のことがあって研修どころではない状態になり、その準備で時間を費やしました。

そうそう、企業からの支援要請もそうだけど、「同行支援」もありました。
今まではあっても通院の付添ぐらいだったけど、利用者さんと一緒に出向いて色々と交渉をしたり話を聞くこともありました。先日の「手帳判定」もそうですし、負債問題の支援もしました。家庭訪問にも行きましたし、銀行に行ってお金も磨きましたね。市役所へ行くことも頻回で、「外回り」というのもかなり多かったですね。

本当に今年1年でやったことを思い出すのも大変なくらい。
それだけたくさんのことをやってきたのでしょう。ただ、幸いなことに今年1年は大きな事故もなく、途中でドロップアウトすることもなく、体調も大きく崩すことがなかったことはよかったと思います。去年はドロップアウトに体調悪化、一昨年は内定切りにあうなど、ここ数年は散々な年でしたが、今年は温和に過ごせた1年だったかなと思います。また来年も無事に過ごせることを祈りたいです。それに、来年はちょっと考えていることもあるので。

2010.12.27

何がなんやら・・・

正直、今日ってどんな仕事をしたっけ・・・って感じです。

今日は日直だけど、午前中は作業場へ応援。
お昼は利用者さんと鍋をつついて、午後からは利用者ミーティング。ミーティング後は明日発送予定の通信紙の原稿を作成。途中、来年度に向けた職員会議をしたのちに、ようやく日直の仕事であるケース記録を記入することに。その後、社協へカレンダーをもらいに行って、今日の業務は終了。

うーん、なんか色々と飛び過ぎて何をやったのかがわからないです。
通信の原稿も仕上げなくちゃダメだったし、箱作りの応援も必要な状態。と思えば、職員会議もしたし、社協にも行くことに・・・まさに「師走」って感じ。

だから「今日はこれをしました」って書けるものがない。
強いて言えば、通信の原稿が今日全部そろって、一気に編集して仕上げたくらい。ただ・・・まだ印刷と封入があるので、決して安心できる状態ではないのだけど・・・とにかく、年内投函を目指してひたすら作業。きっと明日も作業場とセンターの往復をするのでしょうね・・・(-_-;)

2010.12.26

突貫作業

今年最後の日曜日。
でも、センターにもかかわらず箱作りをしていました。それも「突貫作業」で。

センターに残っていた箱の在庫は200。そのうち100を午前に。
途中利用者さんを混ぜたけど、ほとんどは自分ともう一人の職員で作ることに。

途中、昼食会を挟んで、午後からも作業。
作業前に午前中に作った箱を結束してから、残りの100を作ることに。こっちの100は、完全に自分ともう1人の職員だけでの作業。

職員だけでの作業・・・利点と言えば、ノーチェックということぐらい。
利用者さんが作業したものだと1度チェックをしてから使うけど、職員が作っているものなので、完全にチェックを省いての作業。なにしろ100個と言っても「ふた」と「底」に分かれているから、「ふた」だけでも100個。もちろん、「底」も100個。トータルすると、4時間ぐらいで400個・・・1時間に100個のペースで仕上げて行った自分たち。

いや、まず普通の作業でこのペースはありえないですね。
1つの箱(ふた・底)を作るのに、約30秒。これが2つだから、完品を作るのに1個当たり1分の計算。実際には「底」のほうが工程が多いため、約40秒ぐらい。まぁ単純に1個1分で計算すると、1時間で60個。これを2人でやっていたので、1時間当たり120個の計算。

本当に自分でもありえないくらいの速さでしたね。
これだけ1日で作ると、しばらくは箱の顔を見たくないものですが・・・とにかく、年内にすべてを終わらせないといけないので、明日は「応援」に行きます。

あ、でもその前に通信も作らないとなぁ・・・忙しい。

2010.12.25

ボラ納め

ボランティア2年目の今年も、クリスマス会が「ボラ納め」になりました。
Nec_0074

写真は例により、クリスマスケーキ。
今年もロールケーキにクリームを塗り、イチゴやスプレーチョコでデコって完成。正直今日担当した子は「食べること」には積極的でも「作ること」に関しては消極的かな・・・と思ったのですが、自分から「ケーキぬる!」と言ってクリームを延ばし、イチゴをカットしたりデコったりするなど自分の思った以上に積極的でした。さらに、今日は「こだわり」ができなかったためか、いつもよりおとなしい感じ。前回は汗だくになって対応していたのが、今日は対応では汗ひとつかかずの状態。頑張っていたので、おやつ前にちょっとだけクリームをなめさせちゃいました。表向きは「事故」を装ってですが・・・(^^♪

そんなわけで、今年のボラは終了。
来年はお餅つきがボラ初めになります。仕事もあっという間ですが、ボラもあっという間に1年が終わりました。また子どもたちが成長するのを、目に焼き付けることになるのでしょうね。

2010.12.24

最後はしめたね

このカテゴリーで書くのは、久しぶり。
最近は去年再びケーブルTVが見れるようになったのを機に、WWEを週末に見る日々。ただ、やっぱりサイコーなのは、日本のプロレス。

で、今日は毎年恒例のNOAH、クリスマス興業。
毎年笑いの渦に巻き込まれるクリスマスイベントだけど、今年は殺伐とした年。メインがGHCジュニアタッグで新日vsNOAHの「やるか、やられるか」の試合。あえてクリスマスにこの試合を組むということは、それだけ真剣さがこもっていることの表れなのかもしれません。

試合は正直「ダメかなぁ・・・」と諦めていました。
明らかに金本・タイガーの試合巧者ぶりが存分に発揮し、キャリアの差は歴然としているもので厳しいと思っていました。でもそこは丸藤が流れを変えて、最後は青木の精神力一本で押し切った形でタイトルを奪還しましたね。いや、取れるとは思っていませんでした。ただでさえ苦戦していたのだから、もっと長期戦になっても不思議じゃないかなと思いましたが、試合時間はありふれたタイムで、もうちょっと金本も粘って良かったんじゃないかな、と思いました。

とはいえ、何とか今年中に取り戻して、ちゃんとしめることができました。
もし奪還できなかったら、クリスマスまで撃ってやった意味がなくなってしまいますから、そういう点では頑張ったというところでしょう。でもクリスマスは、やっぱり爆笑パターンが好きですね。来年のクリスマスを期待しましょう。

2010.12.23

コネタマ;片付け

片付け・・・自分にとっては耳の痛い言葉です。
でも自分の場合は「対価」や「必要性」がないと動けないみたいです。

基本的に片付けは苦手。机の上は山盛りです。
それでも来年から精神保健福祉士の講座を受けようと思っているので、必然的に環境を整えないと・・・と思えば体は動いて、一応は片付けます。

あと、お金が発生しても動きますね。
初期のころに書いていましたが、一番最初の施設では公園清掃が仕事。普段自分の部屋を掃除することはほとんどないのに、公園清掃となるときちんと清掃をするんですよね。トイレ掃除も自宅ではやらないくせに、公園のトイレはせっせときれいに清掃。自宅前の落ち葉なんか掃いたことがないくせに、仕事となればせっせと動く・・・やっぱり目的がないと動きませんね。

そんなわけで、今年は机の上を少しだけ片付けての年越しになりそうです・・・


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2010.12.21

みんな敬遠?

今日は作業場での仕事。今年も残すところあとわずか。

そんな年の瀬を表すかのように、作業場には大量の発注が入りました。
年末年始用に、化粧箱を1700個作ってくれとのこと。

普段は150個ぐらいの発注が入ることがあり、利用者さんの人数によっては1時間ほどで終わってしまう量。しかし1700個となると、さすがに話は違います。他の作業所に孫請けを出したり、普段なら箱作りを半日だけにするものを1日中箱作りをするなど、完全に箱作り体制になります。

そんなことを知った利用者さんの中には「今日は午前中だけで・・・」という人も。
たしかに1日中ずっと箱を作っているのは大変なことだと思うけど、利用者さんの中には就労に向けている人もおり、そんな人には「ちょっと頑張ってほしいなぁ・・・」と言いたいところだけど、あくまでも作業所ではないので強制することはできない状態。利用者さんの中には敬遠する人もいると思います。

作業場での仕事を終えても、センターでも箱作り。
既にセンターの倉庫にも在庫を抱えており、これも出すことに。まぁ今日だけで400個近く作り終えたので何とかなりそうですが・・・みんな、ちょっとだけ頑張って、と言いたいところです。

2010.12.20

ボランティアの力

昨日は有休で仕事をお休み。その前日は、午前様。

午前様の理由は飲み会だけど、その前にはボランティア。
土曜日は年に1度のお楽しみ会で、この日は一番子供たちが集まる日。と同時に子どもの数だけボランティアが必要になる日でもあるけど、今年のお楽しみ会は例年になく雰囲気が違いました。

話によると、ボランティアの人数が子どもの人数を上回ったとのこと。
レギュラーでボランティアを初めて1年半、お楽しみ会の時の単発ボラを含めると4年の経験の中で、ボランティアの数が子どもの数を上回ったのは、初めてかもしれません。その大きな要因になったのが、地元大学生の「体験授業」。

以前に「ここのボランティアは力がある」と書いた覚えがありますが、そうはいっても年々ボランティアの数が少なくなってきていることも事実。去年は実施することのできたイベントが、今年はボランティアの数が足りないために中止することに。それだけでも寂しいことであり、特に学生さんのボランティアの数は目減りしている状態。一方で社会人ボラは仕事などの都合で必ずしも毎回来れるとは限らない状態。自分もそのうちの1人。

そんなことを社協と大学側で話をしていたところ、大学側の思惑と社協側のニーズが合致し、まずは「現場実習」という位置づけで学生さんにボランティアに来てもらうことに。その数、20人。

20人という数は大きいです。
たしかにまだ経験ゼロの学生さんなので、子どもの対応も難しくない子を中心に、さらにそこにベテランボラがついて層を厚くして対応。そうすることによってほぼマンツーマンの対応ができ、ボラ同士でのサポートも比較的余裕をもって対応できることに。

いや、今回も「ボランティアの力」というものを感じました。
正直言って、なかなかこれだけの層の厚さを持ったボランティア組織はそう多くはないと思います。もちろん母体に社協が加わっているからこそできるというのもありますが、最終的にはみんな子どものことが大好きなんですよね。大好きだからこそ、遠方から時間をかけてボランティアに来る人もいますし、「魅力あるボランティアの場所」なんだと思います。今回現場実習という位置づけで来た学生さんにも、ぜひ来てもらえればな、と思います。

2010.12.17

リスクマネジメント

今日は作業場での仕事。ただ、色々と忙しいので半日でセンター戻りへ。
と同時に、1つ対応を考えることに。

それはお昼頃の電話。
センターから作業場に電話がかかってきて話を聞くと、昨日の放課後対策の時になったのではないかと思われる「服の破れ」が見つかり、そのことについて保護者から問い合わせが来ているとのこと。

戻ると別の職員さんが対応してくれて、破けたとされる衣服の画像を押さえてもらってることに。
画像を見ると確かに袖の部分が虫食いのように破けており、また下着も一部破れている状態。昨日の状況を見ている限りでは意図的な力が加わったような状況はなかったし、異食をする形跡も見られず。ただ、昨日の放課後対策の時以降にこの状況に気付いたことは確か。自分もそこまでチェックをしていなかったので、完全にすり抜けてしまった状態。

担当をした職員にも事情を確認することに。
本来であれば担当職員がちゃんと確認をして受け取り・引き渡しをするべきこと。でもそれが機能していなかったというのは、こちら側の問題。自分も任せっきりにしていたため、事情を把握することなく帰してしまった。

ともあれ、まずは率直な謝罪が必要なので、電話で謝罪と事情報告。さらに電話だけで済ませるのもどうかな・・・と思い、直接話し合いの機会を作って意思確認をしなければならないと考え、面談の場を設定。

いや、服が破れたかどうかの問題ではなく、ちゃんと対応しているかが問題。
そのことは自分も重々承知で、面談ではこちら側のスタンスと誠意持った対応が必要。直接自分がかかわっているわけじゃないけど、でも自分が中心にいる以上は、自分の責任も問われることに。起きてしまったことは仕方ないし、仮にこちら側に非がなかったとしても今後の円滑な関係・行き違いのない関係を構築するためにも、自分のこれからの対応が重要になるのは間違えないこと。些細なことでも、重く受け止めなくてはなりません。これもこれからのセンター運営にかかわること、いかに対応していくかです。

2010.12.16

これからが本番

事実だけ述べます。
今日の議会で、うちの法人が来年度以降の地域活動支援センターなどの事業を行うことになりました。「指定管理者」として議会で議決がされたとのことです。

いやぁ、ホントに「指定管理者」に振り回されました。
今年の1月、そんなことは知らず・・・というか、移転すること自体を知らずに入職し、4月からは常勤と思いきや、非常勤待遇。さらに移転の話と指定管理者の募集・・・自分にとっても死活問題でしたね。指定管理が取れなかったら「失業」なわけですから・・・

なので今日の議決は「一区切り」になります。
今日の利用者ミーティングでもそのことが報告されました。ただ、報告したのは「事実」だけ。

実際のところはまだ何にも決まってません。
来年度以降の体制や運営、事業の中身などは「真っ新」の状態です。まぁ基本は今の業務が中心になるわけですが、当然それだけでは終わらないと思います。やるべきことはまだまだありますし、文書的に整えなくてはならない部分もあります。当然移転によって利用が不便になる人もいるでしょう。

直接の事業ではありませんが、放課後対策でセンターを利用している親御さんからのアンケートを取ったところでは、やはり移転することによって利用を考える家庭もあります。たしかにアクセスの問題は非常に大きなものであり、職員は自前で何とかするとしても、利用者さんの便宜という点では不便な状態にあります。そういったところの問題もまだ解決していない状態。

新しい場所での業務は、新年度から。
単純に準備期間は3か月程度しかなく、この3か月で方向性を決めなければいけません。もちろんその中には事務的な手続きも含まれていますが、5人の職員でどこまでできるのか・・・うーん、不安ですね。まさにこれからが本番です。

2010.12.14

コネタマ;注射

注射や採血の瞬間、見れません。
というか、穿刺がダメでしょうね・・・変なところで気にしちゃって。

穿刺した状態を見るのは大丈夫だったんです、パニックがあっても。
でも1度、穿刺した腕を見て嫌な想像をしてしまい、それがきかっけでダメになってしまいましたね。そのことに配慮して、母親は自分を病院の中に入れないようにしていますから。

で、自分の場合も同じで、採血の時はダメですね。
注射ならまだ自分の見えないところでやってもらえますが、採血の場合はモロに見える位置。一度見てみようかなぁ・・・と思いましたが、結局見ることができず、完全に首をそらした状態。採血だけでなく、注射のときも明後日の方向を見ている状態。生理的に受け付けなくなってしまったんでしょうね。

そんなことを書いているけど、明日は採血の予定。
うーん・・・注射に比べれば大したことないけど、憂鬱だなぁ。


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2010.12.13

少なっ

週始めの月曜日。
今日はかなり寒かったですね。

そんなことが影響してか、センターでも珍しい状態。
午前中は月例会議で別室へ。会議が終わって事務所に戻るけど、普段なら誰かしらいるサロンに今日は誰もいない状態。職員が休憩中にようやく1人やってきたくらい。

しかしその後、利用者さんはほとんど来ることなし。
日直の自分はいつも来る人を見ながら日誌を書いているけど、今日は書くことがほとんどない状態。夕方から少しだけ電話が入り相談記録として書くことがあったけど、結局書いたのは数件。そして今日の来所者の人数は・・・わずか3人。たった3人の来所。だから終礼も5分で終了。

いくら寒いからと言っても、3人というのは少なすぎ。
所長曰く「こういう日もある」とのことで、特に気にすることはないとのこと。まぁおかげで議事録起こしは終盤まで進み、事務をするにははかどった日。

雪が降っていた時もある程度は人がいたけど、今日は完全に閑古鳥が鳴いていた状態。
人がいないから余計に寒く感じたのかもしれません。明日は人も来るかな?それとも、やっぱり少ないかな?

2010.12.12

コネタマ;クリスマスツリー

今日は色々と考えるのもちょっと面倒なので、ネタ逃げ。
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お昼を買いに行ったらちょうどクリスマスツリーがあったので、撮ってきちゃいました。あと、アメブロにはこんなものも。
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クリスマスツリーじゃなくて、イルミネーションですね。
ちょうど通院先の近くで輝いていたので、撮ってみました。

この写真を職場の人に見せたら「やだぁ、Mitakeさんこんなの撮っているの?」と意外に受け取られることに。うーん、自分はあんまりキャラじゃないということなのでしょうか。

まぁもっとも、写真を撮るときは「ネタ」がほとんどですけどね・・・(^_^;)


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2010.12.10

何もないことの幸せ

今日は定期通院日。
久しぶりに1か月、何事もなく無事に終わった1か月。

いや、本当に「何事もない」ことの幸せさを感じます。
今までは「何もなかったけど・・・」とネガティブに考えていましたが、今日はボジティブに感じました。きっと受診2時間前のことがあるのでしょう。

受診2時間前・・・まだ仕事中。
ただ、普通に仕事をするのではなく、利用者さんとトークをしていた自分。今日は午後からカラオケで、今回も自分が同行。カラオケを終えてセンターに戻り、のんびりとくつろいでいるところで、自分も休憩がてら利用者さんと話をすることに。

その中で「障害を持ったこと」についても話すことに。
自分も含めて、病気になる前と病気になった後について話すことに。その中で「病気になって気が付いたこと」というのを話すことに。その中で「楽しむことを覚えた」というのが共通項に。自分の場合、変に「職員だから」と意識することが自分を苦しめていたわけであり、職員とか関係なく純粋にカラオケやスポーツを楽しむことが何よりの「薬」であることに
気づいた自分。

そんなことを知りながらお互いに「病気との付き合い」に話が。
「病気を治す」のではなく、「病気とうまく付き合っていく」ということを確認した自分たち。そんな話をしていたからこそ、「何もなかったこと」がいかにいいことなのかを実感していたのだと思います。

これで今年の通院は終了の予定。
体調を崩すことなく、新年を迎えたいものです。

2010.12.09

仕事ができなーい

例により、また議事録作成が滞っています。

今日は放課後対策の日だけど、対応のほうはスタッフに全部お任せのつもり。議事録の作成が進まないため、とにかく今年中になんとかしたく、子どもたちの対応の時間を削ってまでの作成。午前中も議事録をやろうと思っていたけど、その前に所長から急ぎの書類を頼まれたため急きょ作成し、提出。午前中いっぱい使ってしまい、お昼当番だけど電話番でもあるから、議事録をおちおちと作っても入れられない状態。

それでも午後からは何とか作れそうな感じだったけど・・・
結局遊びの輪の中にうまく入れなかった子どもの対応をすることになり、自分が思っているほど議事録は進まず。泣きが入っていた子どもも落ち着いてきたのか、自分に対して「遊ぼうよぉ~!」と無邪気な呼び込み。「Mitakeさんの仕事ができないけど、いいの?」と聞くと「いいよぉ~!」とのこと。
ハイ、もうこの時点で今日の仕事は諦めちゃいました。

まぁ放課後対策をスタッフ2人で任せた自分も、自分ですが・・・
でも放課後対策をやっていると、どこまで子どもたちに求めればいいのか・・・を考えてしまいますね。ボラで行っているところは「子どもたちが楽しく過ごせるように」とのことで、子どもたちはもちろん、ボラも一緒に楽しむというのがスタンス。一方で自分が動かしている放課後対策も基本は「楽しく」だけど、子どもたちの支援をする中では一定のテーマは持った方がいいのかなぁ・・・と日々自問。先週は支援についての自分の考えているところをスタッフの前で話したけど、親御さんの思いを考えると、なかなか難しい問題です。

あー、明日も議事録は難しそうだし・・・日曜日に先送りかな?

2010.12.07

行けるところに、行くべき

今日は作業場での仕事。
と同時に、作業場には今日から特別支援学校の実習生が来ました。

最終学年でこの時期に実習を組むのは、異例。
たしかに今回の場合はいわゆる普通の生徒とはちょっと違ったもの。それは愛の手帳を持っていないこと。最初の職場での生徒さんの実習でも愛の手帳がないというケースはあったけど、今回は愛の手帳がない代わりに精神保健福祉手帳を持っているケース、発達障害があるというケースです。

事前の情報ではあまり余計なことはしないでいい、とのこと。
でもふたを開けてみると、生徒さんから結構話しかけをする状態。自分も必要以上に話すつもりはなかったけど、コミュニケーションを求めている感じだったので他の利用者さんと同じように話をすることに。

いや、話した感じでは、発達障害があって、知的障害もボーダーかな、の印象。
たぶん判定を受ければもしかしたら手帳が取れるかな・・・というレベル。たしかにPCを自作する(最初の職場のケースも、PC自作が趣味だったなぁ・・・)というだけあって、手先は器用。パーラービーズをピンセットなしで作り上げるところは、やはり巧緻性の高さが伺える・・・けど、自分から挑戦した箱折に関しては、何となくちょっと要領を得ない感じ。まぁ最初でちょっと難しい方から行ったから、仕方ないのかもしれないけど・・・

まぁ初日を終えたところでは、落ち着いて取り組んでいた感じです。
ただ・・・個人的な所感としては「作業場の利用者ではない」ということ。今回の実習の経緯は「他のところも見てみよう」とのことで、実習が組まれたもの。ただ、うちの施設はあくまで「地域活動支援センター」であって、作業所でもないし授産施設でもない。利用者さんの生産機会の提供としては作業をする場を設けているけど、利用のベースはあくまで「地域活動支援センターの利用」であって、ここは就労先ではない。ましてや入所という形でもない。ここは「利用する場所」である。

これはあくまで「建前」だけど、本音は「ここをベースと考えないでほしい」ということ。
彼の場合は別の施設にも実習に行き、そこの施設に就労という形が取れる状況とのこと。ただ、施設と本人とのマッチングの面で検討の余地があり、それでうちに実習を求めてきたというもの。本来うちで「実習」というのはあまりないケースで、おそらく今までにも「学校からの実習」というのはないと思う。だから職員も「どうすればいいのか・・・」というのがあるのも実際。所長は別の施設で特別支援学校の生徒さんの実習を受け入れているので勝手はわかっていると思うけど、現場職員で「特支学校の生徒の実習」を受け入れたことのある職員は、たぶん自分だけ。だから自分は両方の見方(実習指導者として、地活職員として)で生徒さんを見ているけど、やっぱり彼はここの作業場で留まってはいけない子。ちゃんと就労先があるならばそこに行くべきで、どうしても行けない事情があるならば初めてそこで検討すべきことであり、今の段階で「楽で、緩い」施設を知ってしまうのは、果たして彼にとってどうなのか、と疑問も残ることに。

もちろん今日の終礼ではその報告もし、自分の私見も述べることに。
まだ決定ではないので何とも言えないけど、自分はそんな考えを持っています。行けるところがあるならば、まずはそこに行くべきじゃないのかな・・・と思います。

2010.12.06

これも仕事

今日は朝一で銀行へ。
朝一と言っても、仕事は10時からなので、10時に銀行へ。目的は、利用者さんの貯金の代行業務。

まぁ本来は「本人」がやるべきことであり、法的にも自分には何の根拠もない状態。
ただ今回の場合は本人も親族も同意しているため、自分が代行して行うことに。

そりゃ、1円玉や5円玉が風呂桶4つ分もあれば、お願いするわな・・・
こっちも軽い気持ちで引き受けたのが、すべての始まり。

さすがにこれだけ大量の小銭を連絡なしに持っていくのはどうかな・・・と思い、事前に銀行へ連絡。その後銀行に持ち込んだけど・・・表の「計数器」で数えてとのこと。で、数え始めると「埃とかがくっついてしまうので、一度きれいに磨いた方がいいですね」と、別室に移動することに。

そこから自分にとって「魔の時間」が始まることに。
小銭を全部広げて、小銭の選別をすることに。ちゃんと機械で読み取れる小銭と、酸化してしまっている小銭の分類。何しろ風呂桶4つ分なので・・・正直「なんて不親切な銀行だ!」と思いました。なんで自分たちの機械で計数ができないのか、銀行が数えた金額で構わないと言っているのに、なんでわざわざそんなことまで客にやらせるんだ・・・と、不満たんまり。窓口での対応も不親切だし、いったん何なんだ、この銀行は・・・と、普段ならキレているかもしれない自分。でも今回は自分のお金じゃないし、机ひっくり返するのも・・・と思ったので、その怒りを鎮めながら小銭磨きをすることに。

まぁ実際に小銭磨きをすると、徐々に「こりゃ、ダメだな・・・」と実感。
利用者さんが貯めていた風呂桶には、小銭が少なくなれななるだけ、風呂桶の底には埃がたんまり。たしかにこれをそのまま機械に入れたら「故障」と言われても仕方ないかな・・・と感じることに。さらに、行員さんも1人だけ一緒に手伝ってもらっている状態。こんなひどい状態で持ち込みながら対応してもらっていることに・・・なんだかこっちの方が悪く感じてきました・・・いや、冷静に考えれば銀行が拒否したらどこに持っていけばいいんだ・・・という話ですけどね。

さらにこの銀行の場合、店舗の中に計数機は1台だけで、その1台が表の計数機だとのこと。バックヤードには計数機はなく、業者の人も一般の人と同じように計数機にかけて入金をするとのこと。自分の中では銀行が預かってバックヤードの計数機に持っていき、そこで計算をして金額を入金するのが当たり前と思っていたので、このシステムの違いにただただ唖然とするだけ。

結局、小銭磨きは4時間かけて終了。
最終的な入金額は約3万円。そのうち、5円玉での入金が9000円近くなので、単純に1円玉は2万1000枚あった計算。2万1000枚以上をコツコツと磨いてきた自分・・・本当に苦しみました。あまりにも長時間磨いていたため、指先の爪はうっ血をしている状態。このblogを書いている今でも、まだうっ血が完全にとれていない状態。

もちろん今日は仕事になりません。
遅い昼食を食べて職場に戻ったのは3時過ぎ。その後、日直の仕事で1時間。残りの時間で議事録作成・・・なんて無理です。というか、手のほうが悲鳴を上げているので仕事にならない状態でした。よくよく考えれば「客に何をさせるんだ!」という状態。他の行員さんは見て見ぬふり・・・何にも思わないのか、と疑問。店長らしき人も脇を通過したけど・・・客がやっている光景に何も感じなかったのか、疑問。

いや、もう絶対にここの銀行には行きたくないです、りそな銀行。
あ、銀行名言っちゃった・・・まぁ、今後どのように考えるかという意味でも、実名公表しちゃいましょ。

2010.12.05

ホンモノは、旨い

お昼をたらふく食べてしまいました・・・(^^ゞ
Nec_0071

今日はそば打ち教室を開催。
そば打ち教室は利用者ではなく、地域住民の方を招いて参加してもらうもの。まぁ「招いて」というよりは「参加希望者」を募って、少人数でやった形。支援センターができてからは毎年やっていたみたいで、当然自分は初参加。でも自分が何かをやるというわけではないので、基本的にはずーとデスクワークをしていました。

なので、ゆでるのもお任せ。
ただ「火の見張り番」だけはやっており、そばをゆでるのは目の前で見学。ゆであがったものは水で洗って、もりそばの完成。

ちゃんとそば粉から手打ちなので、やはり旨いです。
特に感激したのは、そば湯。今まで飲んだそば湯は何だかよくわからないものでしたが、今日のそば湯は本当においしかったです。今までに味わったことのないそば湯で、打ち粉だけが湯に溶けたものとは違い、ちゃんと「そばの色」が付いたそば湯で、何倍でもおかわりできそうな味でした。いや、やっぱり一から作った、本物の味は違いますね。なかなかこの味は自宅ではできませんね。

なので、午後はしっかりとリハビリ教室に。
いつも来ている女の子も今日はやる気満々で、とても頑張っていました。うーん、かわいいです・・・って、本論からそれちゃいました・・・(^_^;)

2010.12.03

次はどうするか

昨日も一応はネタがあったのですが、コネタマに逃げちゃいました。
なので、今日はちゃんと仕事のことで行きたいと思います。

と言っても、今日は1日丸々使っての支援。
登録している利用者さんの「愛の手帳」の判定のために、1日同行支援をすることに。今回の利用者さん、あと数年すれば「介護保険」の対象になる年齢。そう、一度blogにも書いた、あのことを行動に移すことに。

自分の中の予定では親族の方がセンターに立ち寄られ、自分と一緒に病院に行ってから判定に出かける・・・と思っていたのですが、センターの玄関で待っているとすでに迎えに行かれた様子。「あ、大丈夫だったんだ・・・」と思いながら車に乗り込み、「よろしくお願いします」と一礼。そして心障センターまで行くことに。

予定では午後からの判定だったけど、午前中に到着。
そのため先に受付をしてから心障センター内で昼食をとることに。食事が自分で食べれるかというのは自分も関心があったので様子を見ていると、若干一人では食べるのが大変そう。まぁ全く一人で食べれないというわけではないので、いわゆる「一部介助」程度で食事ができるのかな・・・と言ったところ。服薬もあって口の中を確認すると、まだ完全に飲み切っていない状態。そのため「全部飲んじゃって」と言って飲んでもらうと、今度は口の中に薬らしきものは確認できなかったので、一応は飲めたみたい。しばらく一緒にいて様子を観察していたけど、今日の状態を見ていると落ち着いているかな・・・との印象。一時はどうしようもない状態だったけど、今はかなり落ち着いた様子。うーん、いいのか、悪いのか・・・

その後、午後になり判定開始。
最初に親族から成育歴の聞き取り、その後自分がこれまでの経緯を説明。また高齢になって手帳を取得するというのはかなり珍しいケースなので、その意図についても説明することに。その後心理職員と本人だけになって知能検査・心理検査を実施。その後身体計測ののちにDrによる医学的判定へ。

その結果・・・愛の手帳には該当するが、等級は3度とのこと。
自分も「2になりませんかね・・・」と食い下がってみたけど、難しいとのこと。3度の根拠になるのが「20歳までに知的な遅れがあったか」という点で判断するため、20歳以降に発症した疾患などで知的レベルが下がっても、判定見直しの対象にはならないとのこと。そして最大の決め手が「一応コミュニケーションができた」とのこと。心理職員との判定の中で指示通りにテストが受けれたことや「言語によるコミュニケーションができる」という点で、重度とは判定できないとのこと。ただ、マル障ということであれば他の方法もないことはない・・・とのことで、ダメもとでのウルトラCについては検討をすることに。

自分の感想としては「・・・ダメだったか」というところ。
ハッキリ言って現況から見れば2度でもおかしくないと思うのですが、やはり判定基準の「20歳までの状態」ということで区切られてしまうと、非常に厳しいものがあります。当然2度が取れなかったので、知的のほうからのマル障の取得は断念することに。ただ、まだ色々と自分の中では方法を考えていますし、マル障にこだわっていても物事が先に進まないので、次をどうするかを考えることにします。ある意味、ちょうど今がタイミング的にも押し切るチャンスなのかもしれないので、ちょっと頑張ってみたいと思います。

2010.12.02

コネタマ;どうでもいい過去

どうでもいい過去・・・たくさんありますね。

今だから言える「どうでもいい過去」と言えば、子役をやっていたということですね。何度かblogで何となくは・・・は匂わせていたものの、ハッキリと書くのは、これが初めてかもしれません。

自分が子役になったのは8歳のころ。
あえてどこに所属していたかは触れませんが、自分が入った当時はまだ無名の劇団。もちろん自分もそんな縁に触れるとは思ってもいませんでしたので、本当に何もわからずに飛び込んだ世界。別に自分自身に強い希望があったわけでもありません。ただ、「何となく」と「面白そう」という2つだけで、劇団の試験を受けて合格し、入所することに。

もちろん最初の頃は何にもありません。いわゆる「下積み」の状態。
と言っても誰かについて回る・・・というわけではなく、劇団の自主公演に参加したりエキストラを経験するなど、小っちゃいことの積み重ね。で、デビューしたのは9歳の時。デビュー作は家族で見ましたが・・・恥ずかしかったですね。その時のセリフは「おかぁちゃ~ん!」の一言。このことは当然学校でも話題になり、しばらくの間は「おかぁちゃ~ん」と呼ばれ続けたのは言うまでもありません。

そして一応花が開いたのは、小学校6年の頃。
ある児童映画の主役の1人になった自分は、小学校の卒業式を前にクランクイン。撮影は地方ロケになったため、卒業式の前日までは地方に滞在。もちろん学校は最後の最後で休むことになり、卒業式の当日に一時帰京、卒業式がおわたっら地方へとんぼ返り・・・という、子どもにとっては少々厳しいスケジュールの中で撮影をしていました。当初の予定では中学校の卒業式には出れる予定だったのですが、ロケのスケジュールが押してしまい、中学校の入学式には出ることができず、入学式の日にクランクアップ&帰京。翌日に初登校したときは、やっぱりちょっと浮いた感じになっていました。

さらに、児童映画を撮影中に、もう1つ仕事が。
それは舞台。さらに、配役は主役級。その劇場は・・・日生劇場。日生劇場と言えば、運が良かった人(?)は小学校6年生の時に「演劇鑑賞教室」として劇団四季の舞台を見に行ったことがある人もいるはず。自分も6年生の時に日生劇場に行って舞台を見ることに。でもまさか、その1年後に「見る側」から「演じる側」になるとは思ってもいませんでした。

その舞台の公演は、学校が夏休み中に公演をすることに。
ただ本番までには稽古も必要なので、舞台の稽古があった時は学校を早退していました。もちろん練習の合間にはプロモーション活動もあり、それにも出ることに。また中学校には舞台に出演するための書類を校長名で書いてもらう必要があったので、学校にも色々とお願いをすることに。(たぶん入学前に母親が色々と根回しをしていたかもしれません。)

そんな感じだったので、自分のことはいつのまにか学校中に知れ渡り、「芸能人がいる」と言われる状態。もちろん当の本人はそんなこと知らずで、あとから色々と聞いた話。翌年には某テレビ局の昼ドラに出演することになり、やはり夏休み中はほとんどの日が撮影。だから自分にとって中学生の時の「夏休みの思い出」を聞かれると、これしかないんですよね。今でこそ子役のプロダクションや低年齢児のテレビ出演はある意味「当たり前」になっていますが、当時はまだそこまで知られていない状態。なので自分の年齢で芸能関係の思い出しかないというのは少ない方だと思います。

もちろんここに書いたのは、ほんのごく一部。
その他にもCMや単発のドラマにも出演していましたが、今となってはどうでもいい過去。共演した人の中にはその当時から第一線にいた芸能人がいれば、当時はまだ自分と同じだったけど今は超有名人になっている人もいます。あんまり大きな声では言えませんが・・・今世間を騒がせている人とも、一緒にお仕事をしましたよ。本当にどうでもいい過去であり、今もまだその時に使った「台本」は残っています。自分はとっとと捨ててしまいたいのですが、母親が強く「残しておけ」とのことなので、今は洋服ダンスの上で眠っている状態。まぁこの台本の価値が出るのは、自分が死んだ後かもしれません。


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2010.12.01

予定調和

本来なら今日は休みなのですが、ちょっとだけ仕事をしてきました。
まぁ実際に「仕事」として見てもらえるかわかりませんが、所長の代わりに「市議会」を傍聴してきました。

というのは、市議会の定例会が始まる1週間ぐらい前に市議の人から連絡が来て、市議会での質問に関することで問い合わせがあったことがきっかけ。最初に自分が対応したけどあんまり迂闊なことは言えないため、差しさわりのない範囲で返答。その後所長が市議に連絡を取って対応することに。

そしてその市議から、今日質問に立つので来てもらえれば・・・とのこと。
本来なら所長が行く予定だったけど、その日は所長の都合があわないことに。で、別の職員が傍聴に行く予定だったけどその職員も都合あり。なら1時間ぐらいなら自分が出てきてもいいかなぁ・・・と思い、自分が傍聴に行くことを伝え、今日の傍聴に。

傍聴には自分のほかに理事長も傍聴。
理事長にも市議から連絡が入っており、今日は法人として傍聴に来た形に。

ただ・・・うーん、なんだろな・・・って感じです。
市議の質問に対して市長が回答。その回答に対して「待ってました」かのように市議が提案。その提案に市長が「いい提案ですね」との回答。なんだか「ハメられた」ような感じです。いや、別に何も悪いことはないのですが、単純に「実績」を目の前で誇示するかのようなやり取りで、自分としては「そんなやり取りは、いらん」と言いたい状態。真面目に質問と回答をメモしていた自分がバカバカしく思います。あまりにも、予定調和的な展開。

まぁこの年になるまで議会を「傍聴する」という経験がなかったので、人生経験としては1つ貴重な経験をさせてもらったと割り切ったほうがいいのかもしれません。個人的にはもっと突っ込んだやり取りがあってもよかったと思うのに、全然つっこみをせずに質問が終了。「もっと食い下がれよ!」って思う部分もありましたが・・・まぁ、それも議会の流れの1つなのかもしれません。

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