概念の見直しか
慌ただしい毎日が続いています。もちろん昨日のことも若干引きづり気味。
で、その話も今日はあったけど、それ以上に今回自分が感じたのは「ボランティア」の限界。
というのは、実は近隣の学生から「夏休みのアルバイトに興味がある」との連絡を受け、自分が電話を返した時のこと。自分は何気なく「ボランティアの件ですね」と話したけど、話のあとに学生さんから「時給800円のを見たんですけど・・・」とのこと。
自分としては「ボランティア」という感覚でいたけど、本人たちは「アルバイト」の感覚なんですね。
まぁ確かにその時の募集の案内が「アルバイト」という表現だったから学生さんも「アルバイトなら・・・」という気持ちで電話をしたのかもしれません。ともすれば、学生さんの頭の中には「ボランティア」というのは想像していないのかな・・・と感じています。
もちろん今回のボラ、無償ではなく有償です。
ですから学生さんの言った通りに謝礼はでますし、活動費に関してもこちら側で負担をします。でも「ボランティア」という言葉で集めるのは、今や限界なのかな・・・と感じます。
自分が専門学校に通っているときに「ボランティアの概念」というものを勉強し、ボランティアは無償ではなく有償のものもあるんだ、ということを勉強しました。もちろんそもそもの「ボランティア」の概念的な意味としては「自発性」「無給性」というのがあるけど、現在では色々と様変わりをして、逆に無償のボランティアのほうが少ない状態なのかもしれません。例えばボランティアに参加したときにお弁当が出た・・・考え方によっては「お弁当」という現物支給の形での「有償ボラ」という考え方もあるし、自分が今行っているボランティアでも「活動参加費」という形で薄謝を出しています。自分の場合はその薄謝がちょうど交通費の費用弁済になっているので、実質的には無給状態ですが、本当の無給・無償ということであれば、何も費用を求めず、自己負担のもとで参加するのが本来的な「ボランティア」の考えなのかもしれません。
しかし時代背景もあり、今は昔のような「ボランティア」を集めることは難しいのかもしれません。
今自分が行っているボランティアのところでもボランティア不足になっており募集を呼びかけている状態。自分も今回の子どもたちの夏休み活動に関して、自分の母校に学科教授を通じて働きかけをお願いしたけど、結局問い合わせはゼロ。「ボランティア」という言葉の敷居の高さが邪魔をしているのか、あるいはボランティア活動そのものに対する関心の薄れがあるのか・・・何とも言えませんが、少なくとも今の時代では「ボランティア」という言葉の中に本来持っていた「自発性」「無給性」という概念は取り払う必要があるのかな、と思います。
この記事へのコメントは終了しました。
コメント