否定ではなく、肯定で
今日は久しぶりの支援、と思って気合入れて行ったのに・・・
いざ行ってみると、担当の利用者さんは旅行で今週いっぱいお休み。うーん、なんか肩透かしを食らった感じ。
という訳で、今日もフリー。
ここ最近フリーが多いけど、フリーだとなんか物足りなさを感じるのも事実。とはいえ、いざ支援に入ればフリーなんか関係なく、利用者さんに「(職員の)誰と一緒に歩く?」と聞くと、自分がご指名。その後何度となく聞いてみたけど、やっぱり自分をご指名。まぁご指名があれば別に今日は拒否する理由もないので、普通に支援しましたが・・・利用者さんとおしゃべりをしながら・・・
いや、この利用者さんも今課題を持っている利用者さんの1人。
これは自分が入る前からのことで、朝自宅を出る前に施設に電話をすることがこだわりになっており、お母さんの目を盗んで電話をかけている状態。もちろんお母さんも知っていて止めさせようとするけど、現実にはそこに手がまわっていない状態。で、ここ最近はその電話にこだわるがあまりに送迎の車に乗れず、朝の準備もできず、ほぼ毎日遅刻をする状態。おまけに納得できなければ何度も電話をかけてきて、本来必要な電話が受けられない状態にもなっており、施設の業務にも支障を与えている状態。
で、そのことは何度となくお母さんには話しているものの、制止できない状態。
お母さんも十分に分かっていると思うんだけど、なかなかそこで折り合いがつけられていないみたい。そこで先週、精神科の嘱託の先生が見えられこのことを相談すると、精神的な疾患からくるこだわりじゃないから、強いアクションをしてみたらとのこと。そこで考えたサー管は、電話をしたら施設を強制的に休ませる、という案を。
いやぁ、そんなことで解決する問題とは思わないなぁ。
実際にどう対応していくかについては今後の会議で話し合うことになると思うけど、1つ思うところを言わせてもらえば、今まで「嘱託医」が来ていても全然そのことが現場に知らされていない状態。その中で果たして嘱託医は本当に利用者さんの現状を見て助言をだしているのだろうか。たしかに施設長の頭の中では「使える資源は適切に使え」という考えの中でやっているのだと思うけど、主治医ではない先生に助言を求めるのはあくまで「一般論」であり、それも深くかかわっていないのに簡単にアドバイスを出すのは果たして・・・と思う。以前自分が利用者さんの対応で悩んだ時、ご家庭の同意を得たうえで直接その利用者さんが通院している精神科の主治医の先生に相談しに行ったことがあり、その時はその助言を受けたうえで色々と施設内でカンファレンスをして対応したことがあったけど、本来の対応ならばやはり利用者さんのことを分かっている「主治医」のところに行くことが、まず先決なんじゃないのかな、と思う。今は個人情報の関係で難しくなってきている部分があるのは理解するけど、でも家庭とともにこの問題に対処をしていこうと本気で思っているなら、やはり本来の道筋は「主治医」なんじゃないのかな。あくまで「嘱託医」の意見は意見として受け止めて、実際に行動に移すのであればそこはやはり「主治医」が出てくるべきじゃないのかな、と思います。
その上で・・・「否定的なプレス」ではなく「肯定的な報酬」で考えるべきじゃないのかな。
サー管の案は「電話をしたら、施設を休ませる」という、どちらかと言えばその行為を「否定的」にとらえて、心理学的にいえば「罰」を与える方法。そうじゃなくて、「送迎に乗ってこれると、こんなことができる」と言った、利用者さんにとっては報酬となるもの、心理学的に言う「強化子」でつなげていく方が望ましいかなぁ、と個人的には考えます。この「報酬と罰」の理論、心理学の古典的な条件づけ理論(オペラント条件づけ)だけど、これを今回のパターンに当てはめて考えていけないのかな、と感じています。一時的に罰は効果を出すかもしれませんが、罰には限界があるし、罰を与えて前に進むことは難しいと思います。それなら利用者さんが受け入れられる形で何かほかの方向に転嫁して望ましい行動に向かわせていくことが必要かな、と思います。
思わぬところで「心理学」の理論が出てきましたが、でも支援ってそういうところもあると思います。
時には学問的に、時には実践的・経験的にアプローチをしながら「よりよく生きる」方向に向かうと良いんじゃないかな、と思います。
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