間違えなく、生きていた
今日は定期通院日。だけど、別の話題を。
先週に引き続き、今日もボランティアへ。今まではイベントのときに参加していたけど、これからは都合の付く土曜日に関しては参加していこうかな・・・ということに。なので、これからの土曜日は自宅でゴロゴロ・・・という訳にはいかなくなります。むしろ、その方が健康的なのかもしれませんが。
で、ボランティアの中には以前知障デイで送迎をお願いしていた会社の添乗員さんも参加しており、色々と今の状況を聞くことに。その中に、自分がちょっと気になっていたことがあり、それを聞いてみた。
気になっていたこと・・・とは、自分が入ったときにいた1人の利用者さん。
その利用者さんはいわゆる「重症心身障害者」(「重心」と略されます)で、日常生活のことすべてに関して全介助の利用者さん。ずーとつきっきりということはなかったけど、自分もその利用者さんの対応をすることがあり、食事介助はもちろん、おむつの交換、作業活動、散歩など、日によって担当することもあった利用者さん。ただ、重心の利用者さんのためコミュニケーションはできず、何を考え何を思っているかは自分が推測することしかできない利用者さん。自分も最初のころは悩んだりしましたが、ある時利用者さんの足をさすってあげると嬉しそうな、快さそうな表情をしたのを見て、「あぁ、これがコミュニケーションになるな」と実感し、何かあるにつれて体を触ってコミュニケーションをとることを試みた利用者さん。
ただ、デイを退職してから初めてのボランティアに行ったときに、この利用者さんの姿はなかった。
「どうしたのかなぁ・・・」と気になりつつも、彼のことを聞くことなくボランティアを終え、その日は自宅に帰った。
そして今日、その添乗員の人と支援のことを話している中で彼のことを思い出し、ふと彼のことを聞いてみた。
すると添乗員さんからは「○○さんは、お亡くなりになられた」とのこと。
そのことを聞いたとき、正直な感想は「やっぱり」というものでした。ショックはありませんでした。
いつもイベントがあるときは積極的に来て、そのイベントに合った服装もしてくる彼。ただ、日常の生活では支援している自分たちも「大丈夫かな」と不安に思うこともありました。食事介助の時は刻み食・お粥にしてもむせることが多く、飲水も難しい状態。成人用の哺乳瓶で飲んでもらうものの、うまく飲みこみができないこともしばしば。そしておむつの交換やリラクゼーションの時に見せた発作様の体の硬直。自分はてんかんじゃないのかと思い、周りの職員もてんかんを疑ったけど、診断の結果はてんかんではないとのこと。彼の日常を見ていると、1日1日を生きることが精いっぱいだったかのように思います。自分が退職する時も、スキンシップをとって別れることに。
しかし、次にボランティアに行ったときは、既に彼の姿はありませんでした。
彼がいなかった時点で「もしかして・・・」と思いましたが、さすがにその時はそのことを聞ける様子ではないと思い聞かずに帰り、確証の無いことを安易に考えないようにと思っていました。しかし今日聞いたことで、その思いは確証に。やっぱり・・・と思う反面、過去今まで自分が支援をしてきた利用者さんの中で初めて亡くなった利用者さんがいたことを目の当たりにすると、やはりやり切れない気持ちです。そんなことに出会うたびに、自分の障害は他の人に比べたら大したことないもの、と思います。
ただ、間違えなく彼は生きていました。「生かされた」のではなく、「生きていた」のです。
おむつ交換をした時も、おむつの中に排便があったので清拭をしおむつを交換し、汚物処理に行って戻ってきたらまた排便があったことも。1度だけのはずのおむつ交換が、同じ時に2回交換することに。でもこれは彼が間違えなく「生きていた」ことの証。ちゃんと体の機能は働いており、人間であれば当然する「うんち」をちゃんと彼はしていたのです。食事もむせながらも食べており、公園に散歩に行った時も日差しを浴びて心地よい表情もしていました。
ちゃんと1人の人間として、彼はこの世で生きていました。
福祉従事者、福祉のことを勉強している人であれば、糸賀一雄の、この言葉が思い浮かぶと思います。
「この子らはどんな重い障害をもっていても、だれと取り替えることもできない個性的な自己実現をしているものである。人間と生まれて、その人なりに人間となっていくのである。その自己実現こそが創造であり、生産である。私たちの願いは、重症な障害をもったこの子たちも立派な生産者であるということを、認め合える社会をつくろうということである。『この子らに世の光を』あててやろうという哀れみの政策を求めているのではなく、この子らが自ら輝く素材そのものであるから、いよいよ磨きをかけて輝かそうというのである。『この子らを世の光に』である。この子らが、生まれながらにしてもっている人格発達の権利を徹底的に保障せねばならぬということなのである」(「糸賀一雄著作集Ⅲ」より)
「この子らに世の光を」ではなく、「この子らを世の光に」。
最初はなかなか理解が難しいかもしれませんが、実際に色々なことを体験していくと、その言葉の意味を理解していけると思います。彼もまた、短い生涯ながら社会の中の1人として、しっかりと生きていました。だから自分は言います。彼は、間違えなく生きていた、と。
利用者が亡くなるというのは辛いことですが、その分、自分たちは今を精いっぱい生きなければならないのだと思います。
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