去っていく後ろめたさ
今日の業務内容
午前、利用者さん支援で紙すきの材料づくり。
午後、できるところまで宿泊の準備。
うーん、この書き方をするのは久しぶりかな。
最初の授産施設ではその日によってやる内容が違っていたからこういう書き方で成り立っていたけどそれ以外の施設ではこの書き方をするとワンパターンになってしまうため使わなかったけど、ホントに慌ただしく終わったという印象。最後に利用者さんにお別れを言ったけど、普段あまり接することのない利用者さんから惜しむ声があったことはちょっと意外。送迎の添乗や朝来た時に「おはようございます!」と挨拶をすることぐらいしか関わりの無かった利用者さんから帰るときにアピールがあったことはちょっと嬉しかったかな。あと、利用者さんの中には辞めることを話した後に、どっか物寂しげにぽかんとした表情をする利用者さんもおり、重度の施設とはいえ何となく「別れ」を理解する人も。そんな表情をされると、なんだか寂しい気持ち。
仕事が終わった後は、送別会。
明日が休みなら後先関係なくお酒を飲めるけど、明日も仕事なのでセーブ。それでもたった9カ月しかいなかった自分のため(いや、自分ともう1人一緒に退職する人がいたので、自分だけの送別会じゃなかったけど・・・)にわざわざ開いてもらえることが本当に恐縮。色々とプレゼントも貰ったりして、ホントに「そこまでしなくても・・・」という気持ち。施設からは、こんな贈り物。
いや、本当はこれもいいかなぁ・・・だって1年もいなかったんだから。
ホント、自分はほんの少しだけしかやっていないけど、それ以上のリターンがあることに本当に恐縮な気持ち。送別会にもほとんどの職員さんが出席して、いつも現場で一緒に支援していた職員の人もほとんど参加。色々と声をかけてもらい、お別れの時も「ホント、いつでも来てね」と、多くの職員さんから声をかけられることに。
こうやってみると、やっぱり自分は「人」という縁に関しては本当に恵まれているな、と実感します。
自分は本当に大したことはやっていないと思っており、そんなに惜しまれることなんかない・・・と思っていますが、そんな自分でも色々と気にかけてくれたり、良くして頂いたりして、本当に「人の縁」という意味ではこの職場を去るのは後ろ髪が引かれる気分。今までだったら「自分の代わりなんていますから」なんて簡単に言っていたかもしれないけど、自分も色々な経験をしたことでそんなことを軽々しく言えないと思ったので言葉に困る状態。「自分以外でもこの仕事はできる」と思う部分はあるけど、自分だからできた利用者さんの支援・接し方というのもあり、その部分を考えると、やっぱり「自分の代わり」のことは易々とは言えない。利用者さんとの関係もあり、そのことを思うとまたやっぱり去りがたい気持ちがあるのも事実。
ならば「辞めなきゃいいじゃん」となるかもしれないけど、それは「法人の体質」の問題。
現場のことを考えたら、本当に自分が辞めて職員の数が減り、その補充もなく厳しい支援を強いられていくことを思うと、本当に申し訳ない気持ちでいっぱい。でも今の法人の姿勢を見ていると、申し訳ないけど自分の信念・思いとは相反している状態であることに変わりなく、現場のトップもその認識がないことに気持ちは切れている状態。利用者さんのこと、現場のことを考えると本当に辛い決断。だから自分は頭を下げることしかできない。
でも時間は止まることなく、進んでいくもの。
もう明日には新しい職場で新しい生活が始まる。今までだったら「ほっと一息」というのがあったけど、今回は一息つく間もない。明日には、新しい仕事が待っている。だから新しい職場でドロップアウトすることなく、今以上に頑張って利用者さんの「よりよい生活」を送るためのお手伝いをしていくことが、自分に課せられた役割なのかな、と思っています。去ることは辛いことですが、また次の出会いも楽しみにして、明日からまた仕事をしていきたいと思います。
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