誰のためにやるのか
宿泊行事のこと、話を進めるに従ってどんどん「泥沼化」している感じです。
なんとか昨日の夜に書類を完成させ、朝一で事務に提出。
その後職員研修で、宿泊の説明。きっと純粋に「宿泊行事」のことだけをやればそんなに時間がかからなかったと思いますが、話は「財政状況」のほうにすすんでしまったため、当初より大幅に時間をオーバーしてしまいました。
宿泊行事はホントにスタートからつまづいた形。
「バスの手配を」と言われバスの手配をしたら「予算が減っている」との話、じゃ「バスの予算がありません」と話すと「じゃ、止めれば」とのこと。そんな状況下にもかかわらず「プランを出して」と言われ「できない」と言うと「じゃ、サー管に任せて」とのこと。で、サー管に任せたら嘘八百並べられる。そして色々と横やりが入って・・・一体自分は何を目指して進めばいいのか。
今日もこの話をした後に全体の中で施設長が「まだ予算が付いていないので・・・」と仰天発言。
さすがに「それじゃ、話にならないじゃん」と、心の中では唖然。さらに保護者からの意向らしく、別に宿泊をやらなくても・・・という話まで。
うーん・・・一体誰のための行事なのでしょうか。
今日の施設長の発言を聞いていると、赤字のしわ寄せを利用者が受けるようなことも話しており、そのことについては職員研修・職員会議の後に施設長と差しで議論。施設長の根本の考えには「この施設がなくなってしまっては、行事どころの話ではない。この施設を守るためには、大規模な予算のもの(=宿泊)を削減するなどの努力が必要」とのこと。
いや、もちろん言っていることは十分わかります。
施設長の言うことは間違っていないし、自分もその考えには同調できます。ただ、その問題と利用者さんにかかわるものに関して一緒くたにしてしまうのどうなのか、と自分の弁。もちろん自分も正論を貫いており、お互いに正論同士を突き合わせているのだから、話はどんなに行っても平行線。お互いにお互いの考えは理解しつつも、その立場から意見は真っ向からぶつかることに。施設長は「経営」としての立場があり、自分は「現場」としての立場。ある種「現場の声」として行事の企画などをやってきたが、結局今日この話題を出したことによって話はどんどん先行きの見えない方向へ。
正直、自分でも方向性を見失っています。
施設長の言っていることは間違っていないし、今日意見を諮ったところで様々な意見が出たのは事実。「無理してやらなくても・・・」という声があったのも事実。でも利用者さんの中には宿泊を楽しみにしている人がいるのも事実であり、そのことを思えばやはり実施はしていきたい。果たしてどちらの選択がベターなのか、自分でもわからなくなりつつあります。
実際、今日のたたき台を出したことで、他の職員からは同情もありました。
半分、自分の気持ちの中では「ここまでやってきているんだから・・・」という思いもあるのかもしれませんが、意見が割れているのは事実。週明けにも再度検討の機会を設ける必要がありそうです。
本当にこの先、全く見えない状態です。
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