勉強不足
正直、今日もあまり書くことがありません。何もなかったわけではないのですが・・・
でも、こういう時にふと自分の机を見ると、つくづく勉強不足を感じます。
学生時代は教科書で本棚があふれていたのですが、今は支援のための参考文献が並んでいます。
もちろんその中には学生時代から使っている教科書や、毎年買い替えている福祉六法、そして自分のフィールドである障害者や社会福祉士に関する資料が並べられています。
ところが実際にはなかなか読む時間が取れず、宝の持ち腐れ状態になっています。
じゃ実際にどんな時に本を開くのかな・・・と考えると、やっぱり「支援の行き詰まり」を感じたときでしょうか。
この世界に入って5年を過ぎましたが、1年目・2年目のときはホントに文献に頼っていました。
本来なら今の職場でもやるべきなのですが、最初の職場ではケース会議・ケースカンファレンスが毎月行われていたので、利用者さんの支援の方針を決めるための参考資料として学生時代に使った教科書や社会人になってから買い足した文献をもとに「考えの裏付け」をすることをしていました。
ところが今ではそんな機会がなくなっている状態。
今のケース会議についてはそれなりに意味はあるのですが、何かをするにあたっての「根拠」になるものがない。たしかに「即決」という意味ではとても意味のあるものにはなっているけど、利用者さんの長期的な支援ということを考えると何となく「何か」が欠落しているような印象。個別支援計画の中に長期計画・中期計画・短期計画とそれぞれ銘打たれているものはあるけど、じゃ実際の支援に関しては短期・中期・長期を見据えた支援になっているのかな・・・と考えると、何となく疑問に感じる部分があるのも事実。
ちょっと前までは、ある意味「ケース会議」のために資料を集め、結果的に自分の知識にしていたことがあったけど、今ではそういう状況になることがなくなったため、そういう意味で勉強する機会が少なくなってきてしまっている。だからどんなに文献を買っても、何となく「切れ端」にしかなっておらずそれらを結びつけることができていないような感じている状態。できればもっと勉強する機会が欲しいけど、時間がないのと毎日が1日を送るだけで精いっぱいの状態。ここ数年は研修らしい研修に参加できていない状態です。「社会福祉士」という分野では何とか実習指導者の講習会に行ったので全くゼロではないけれど、「障害者」というところでいえば全く研修がない状態。そんなところからも勉強不足を感じています。
何となくいつも感じている「閉塞感」、これを打破すのは、やはり研修に行くことなのかもしれません。
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