コネタマ;裁判員、やりたい?やりたくない?
正直、自分にとっては難しい問題です。特に、現状では。
珍しく社会派の話題を挙げていますが、今の率直な気持ちでは「やりたくない」かもしれません。
実はつい先日まで自分のスタンスは「やりたい」でした。ところが、裁判の進行を例示されるにあたって、自分にとって「避けたい存在」が浮かび上がってきているからです。
その「避けたい存在」というのが、証拠。
単なる証拠であれば別にかまわないのですが、裁判員制度で取り扱われる事件の1つに「殺人」があり、その証拠の中で「死体」やそれに類する物的証拠が示されることがあるとのこと。特にバラバラ殺人などの場合には、そのバラバラにされた体の一部などが証拠として出されるとのこと。
自分の今の状態・・・というか、自分の病気である「パニック障害」のことを考えると、避けたいものです。
いやむしろ、現状では避けなければいけないのかもしれません。当然自分の場合は身体上(精神上)の理由で裁判員になることは回避することができます。回避できないとしても、医師の診断があれば回避することもでき、特に自分の場合は裁判員になった場合、病状の悪化が考えられる状態です。
もし証拠写真を見てパニックを起こせば、間違えなく大発作につながるでしょう。
そして大発作が起きたことによって、今度は「裁判所」というところを避けたい場所として認識し、常に広場恐怖の1つとなることでしょう。ようやく広場恐怖が治まりつつある状態のところで悪化につながることは、当然避けなければならないでしょう。
このことが報道で取り上げられなければ、今も裁判員にはなってみたい、というスタンスだったかもしえません。
しかし、裁判員制度が始まって起こるとされる問題点・課題を報道されることで、まだ私たちが理解していないことを伝えてくれることは、今後裁判員になるかならないかの大きな分岐点になると思います。それは裁判員制度だけでなく、裁判員制度を前提とした裁判を行う中での裁判進行の方法・裁判のあり方に対しても問題を提示することになり、国民に開かれた裁判を行うに当たってとても重要なことではないかと思います。
裁判員制度がスタートしましたが、裁判員になる以前に、時間があれば一度裁判を傍聴するのも必要かもしれません。
今まで法廷とは縁遠いところにいた私たちにとっては、少しでも身近な存在にするためには、「裁判とは何をしているのか」というのを自分の目で確認することが必要かもしれません。その意味で「裁判の傍聴」というのは裁判員を受任するうえでの参考材料になると思います。芸人さんたちが「風俗に関係する裁判を傍聴すると面白い」と言っていますが、裁判員ということを考えた時は、やはり殺人などの実際の裁判を見ることが、これから私たちが「裁判員」としてどのような判断をしていくのか、判断材料の1つになるかもしれません。
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