何となく、もどかしい
うーん、何と言うか・・・あんまり今の時点で「支援論」を話すのは避けたいのですが・・・なんか、今日は支援論になりそうな感じです。
昨日、ふとした疑問から色々と利用者さんの情報を得た自分。
その情報を元に、今日はまたちょっと変えて接してみました。そのためか、多少は自分の話すことを受け入れてもらえたみたいです。でもやっぱり、まだまだだな・・・と実感します。
ただ、今日はそんなことよりも、今の支援について色々と感じることに。
一言で言ってしまえば、支援の内容がぶれているんじゃないのか、ということ。
1週間ごとに特定の利用者さんについて仕事を覚えており、今日も特定の利用者さんにつくことに。
でもその利用者さんの支援を見れば見るほど、自分の中では「どうなんだろう・・・」と思う部分が出てくる状態。もちろんここは「不特定多数」の人が見る場所なので詳しく話すことはできないけど、「社会性」と言う部分で考えることに。
今までの支援の経緯があって今の支援になっているのだと思うけど、今の施設の支援の原則は「~していただく」とのこと。なので、社会的に受け入れられない行為をした時も、「~していただく」とのこと。例えば物を投げたら、投げたものを「とっていただく」、意図的に水をこぼしたら「水を拭いていただく」などと言った感じ。もちろんこの考え方そのものに関してはまったく異を唱えるつもりはありません。「あ、なるほどな」と自分でも思った部分はありましたし、その考え方は大切だな、と思った部分もありました。
しかしその一方で「集団においての社会性」を重視しながらも、もっと大事な部分が忘れられているのでは・・・と感じる部分もあります。その一つが「衛生の保持」という部分。その利用者さんは、何でも「紙」であれば、自分の唾をつけて顔に貼ることをしている。最初にこの職場に入った時に「これは・・・いいんですか?」と聞いた時、この行為が彼の「精神的安定」の一部になっているので構わない、ということだった。ただいざ自分がその利用者さんと接してみたときに、「やっぱり違うかな」と感じたのも事実。色々と「社会性」ということを言いながらも、奇をてらった行為をすることは、果たして「社会性」という部分では疑問にならないのか、と感じた。さらにその方法も決して衛生的ではなく、自分の唾を使って紙を顔に貼るという行為も良いものか、と感じた。かといって、それを制してしまえば本人の「精神的安定」に支障が出る可能性があるので、今の時点で安易に自分がそれを制することは決して好ましくないことでもある。やっぱり今の自分は利用者さんをよく観察することが必要であり、何かをするのはそれからかな、と思っている部分もある。そう思って今日一日、利用者さんの目を見て観察をしていたけど・・・その利用者さんにとっての精神的な安定というのはどういうことなのだろうか・・・と感じることに。そしてその中で、もしかしたら今の支援はこの利用者さんにとっては精神的安定という部分ではあまり良くないのでは、と感じることに。
たしかに「社会性」を身につけること、その場にふさわしい行動をすることを身につけるのは大切なことである。
しかしそういった社会性を身につけるまえに、まず「個人」の部分ができなければ話にならないのでは、と思う。ここで自分は別に支援の順番を言おうとしているのではない。もちろん「個」の部分と「社会性」を身につけることは同時並行に行われていくべきものであるとも思っている。ただ、本人が精神的に安定をする状況になければ、社会性を身につけていくことも難しいのではないかと感じる。精神的に安定することで周囲のことに目を向けることができていくのではないか・・・と、経験は浅いながらも感じる部分がある。それと「衛生面」という部分でも、唾で何かをするというのは決していいものではない。いくら精神的安定と言っても、やっぱりその部分は違うのかな、と感じる部分がある。
ただ何度も言うように、まだ自分は経験が浅い。
この施設に来てまだ1ヶ月も経ってなく、今の時点で「支援論」を言うのはできれば避けたいと思っている。でも今日思ったことというのは絶対に忘れてはいけないと思う。「あの時、自分はこう感じた」というものがなくなってしまうと、本当の意味での「より良い支援」ということにつなげられないと感じる。だから自分は今でも学生時代の実習ノートや実習メモを捨てずにとっておいてある。それは自分が学生のころ・・・もっといえばまだ福祉のことを何も知らない時に感じた「新鮮な思い」というのを忘れてはいけないと思っており、自分が考えに迷った時はいつも実習ノートや実習メモを心のよりどころにしており、学生時代に一度戻ってみることにしている。そこで何か見出すことができるかもしれないし、もう一度初心に戻ることもできるのではないかと思っている。きっと今の自分には「学生の時に感じた、新鮮な思い」というものが必要なのだと思う。このもどかしい思いを、忘れずに数ヶ月後、数年後に思いだせるようにしていきたい。
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