知らない方が支援しやすいのか
今夜、「カンブリア宮殿」を見てのこと。
いや、普段は見る番組じゃないけど、たまたまチャンネルを合わせたら「障害者雇用」のことに触れており、ちょっと関心をもったので見てみただけのこと。途中からみたので全部の内容は知らないけど、ホームページなどで色々と調べていくことで、何のことなのかを大筋で理解できた。
まぁよく言う言葉で表すならば「パラダイム的転換」ということなのであろうか。
色んなメディアを見ていると、障害者雇用・・・というか、障害者の現実の問題に関しての理解が深いのは、実は福祉関係者ではなく、まったく福祉とは縁のないところから関心をもった、というのが真実なのかもしれないと感じた。今回の企業も最初は「体験だけだから・・・」と思って職場実習をしてみたら、実はその特性を見出して雇用が成功していったという事例だった。もちろんそこに福祉のことや障害などの見識がある人は誰もおらず、初めて接してみてわかったから、そこで初めて理解が生まれ、現在に至っているとのこと。
どうしても福祉関係者が考えると、「就労」というのは非常にハードルが高いように感じる。
事実、ハードルが高いのは間違えないし、我々で言う「一般就労」に結びつけるにはかなりの時間を要することは様々な事例から明らかである。
ただ、今日の番組を見ていて、福祉のことを知っている人よりも知らない人の方が、実は福祉のことを理解しているのではないだろうか、と感じた。もっといえば、余分な「偏見」がないからこそスムーズに流れているのかな、と感じた。
ここで言う「偏見」というのは、差別のことではなく、学問的・実務的に福祉に傾斜した見方をしていないことを言っている。こんな発言をするのは不適切かもしれないが、我々人間は自分と異なるもの・・・ここでいえば「健常者」から見た「障害者」という異質な存在を受け入れる一歩に「偏見・差別」というのがあることは、どんなに綺麗事を言っても「絶対ない」とは言い切れないことであると思う。実際、既出の企業も最初は障害者の雇用をしてこなかったが、実際に障害者を職場に入れたことでそこにあった「偏見」が解消され、雇用につながった。
「偏見」というのは何も雇用の場面だけでなく、日常生活の場面にも同様にあると思う。
その中で今回は「雇用」という問題に着目して話が進められてきたのだが、このような番組を見るたびに、現場で社会へのマッチがうまくいかないと言っているのは、結局「社会を的確に理解していない」からこそ起きているのかなと感じている。例えばここで出た「就労」の問題も、施設という場に留めてしまうがためにそこから先の一歩が出ることがなく、結果的にその機会を専門職が奪ってしまっているのではないかと思える。どうしても施設の場合は障害者の評価を知らず知らずのうちに低く評価し、その評価がスタート地点にあるから前になかなか進まないのかな、と思う。一方、施設にいることを知らない人が障害者と初めて接しいざ現場スタート・・・となった時、その人は障害者が持っているバックボーンを知らないため、「ゼロ」からのスタートとなっている。
「ゼロ」からスタートするのと「マイナス」からスタートするのでは、支援に大きな差が出る。
例えば私が特別支援学校(旧養護学校)の生徒さんの実習をスタートするに当たっては、事前に調査書等の資料を元に、何が得意で何が苦手なのかを知ってからスタートする。そこで得意なことを知るのはプラスになるかもしれないが、苦手なことを知ってしまうと、ともすればその生徒のマイナスを克服することを避けてしまうことになるかもしれない。いわゆる私たちが「QOL」の視点に立つのは、弱点を補うのではなくプラスを伸ばす、という視点であり、そんなことを色々考えながら支援しているのが現実ではないのか、と感じる。
でも本当のところはそんな学問的な考え方は後から付いてくるものであって、実際に行動してみることが本来的なのかもしれない。結局我々は変に福祉のことを知ったり勉強したり、あるいは経験で身についてしまっているがために「福祉的視点」で物事を見ることをスタートしているのではないかと思う。でも実際に就労に至ったケースを見ると、必ずしも福祉的な発想ではなく、ごく一般的なスタートラインに若干の配慮をしただけのパターンが多いのではないかと感じる。つまり、変に何かを知ってやっていくのではなく、逆に何も知らないでスタートした方が、もしかしたら真の「支援」という意味では良いのではないか、と感じる部分がある。
福祉の世界に従事する私も、もっと「世間的発想」を身につける必要があるのであろう。
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