「個人の平均」ではなく「全体の平均」
今週もお掃除当番。遅出の出勤です。
作業所に着いて今日の配置を確認した後、新しい作業が入ったので部材を取りに行くことに。
それと合わせて、前日の清掃の引き継ぎを。軽く流せば・・・と思っていたものの、細かくなってしまうことに。
話題は、利用者さんの掃除について。
ある利用者さんは手を抜いて、ある利用者さんには一通りできるようになってほしい・・・とのことで色々と引き継ぎをしたけど、その中でも自分の意見を色々とぶつけることに。
手を抜いて・・・の利用者さんは、自分からは「それほどでも・・・」という印象。
まぁたしかに作業に身が入らないことのある利用者さんだけど、清掃に関しては自分が当番のときはちゃんとやっているかな・・・という評価。「色々とこだわりが・・・」って言うけど、自分の中では「害」になるこだわり(結果的にマイナスになってしまうもの)じゃなければ、それくらいは黙認をしてもいいかな・・・と思っている。その「こだわり」の根源をたどると、自分自身を認めてほしいというものであることが分かっているので、本当にダメな時はちゃんとその理由を説明してやめてもらっており、そうじゃなければ別に気にせず、というのが自分のスタンス。あわせて、「褒めて伸ばす」ことも実践。
そしてもう一人の一通り・・・の利用者さんに関しては・・・そこまで要求しなくていいかな、という感じ。
たしかに全員の利用者さんが一通りどこに入ってもできる状態になることはとても望ましいことだし、全体のことを考えればそれは望ましい形。でも現状を考えると、清掃開始からずーと清掃に携わっていながら、結局は職員の見守りが必要な状態、ということは、悪い言い方をしてしまえば「その程度の能力」とみなせてしまう。そうすると当然「できる人」と「できない人」の二極化になってしまい、その差が大きくなってしまうことに。
でもこの「差」を無理に埋める必要はないかな・・・というのが自分の考え。
たしかに「能力差」があることは事実だし、それは清掃だけではなく作業全体でも同じことが言える。例えばいつもやっているショッピングバックを例に考えれば、すべての工程ができる人がいれば、ひも通ししかできない人もいる。他方で口板入れは苦手だけどひも結びは丁寧に仕上げてくれる利用者さんもいる。すべての人がすべてできるわけではなく、その人の能力に応じて作業ができるのであり、結果として1つの「製品=ショッピングバック」が完成しているのである。
そのことは清掃の作業でも同じことが言えるのであり、トイレ掃除や掃除機は苦手だけど拭き掃除はすべて任せられる、と言う人だっている。であるのなら、無理に苦手なものを育てていくのではなく、できる作業をできる範囲で任せていくこともあってはいいのではないか、と思う。一人ひとりが「平均値」にたどり着くのではなく、結果として全体的に「平均値」にもっていければいいのであって、その人の得意なところを活かしていくことが大事なんじゃないかな・・・と考えている。自分が「差を埋める」ことにこだわらないのも、その理由の1つ。
もちろん職員もたくさんいるから、職員ごとにその考え方は違ってくると思うけど、1つの考え方としてそういうものを持っていてもいいんじゃないのかな、と思いながら、日々清掃をしています。
« 地味にコツコツと・・・ | トップページ | やっている人は、ちゃんとやっていますよ。 »
この記事へのコメントは終了しました。
コメント