ちゃんと言えたのかな?
本日、定期通院日。
昨日の内容を受けての、今日の診察。とりあえずそのときに「思っていたこと」については吐露したつもりです。で、やっぱり先生からも「うん、焦っているみたいだね」とのこと。まぁこの辺は予想通りの答え。
でも診察が終わった後に、ふと「全部話せたかな・・・」と考えてしまう自分。
診察では「言おうと思ったこと」をとりあえず全部話したので、内容的には過不足はないけど、いざ診察室を出て会計を待っている間に「あれも言えばよかったのかなぁ・・・」と思う自分。そしてまた、悲観的になっていく自分。
さっきまでは先生から「これだけ(働いている)実績があるのだから、1年前に比べたら大きな成果だよ」と言われた自分。たしかに去年の今頃は、一応は「社会復帰のためのリハビリテーション」と位置づけて復帰に向けたスタートをしつつあった。それから1年、1年前に比べれば発作の頻度は確実に減っていると思うし、悲観的になることも少なくなった。もっとも「悲観的」になる時間がなかった、と言ったほうが正しいのかもしれないが、それなりの生活を送ることもできた。微々たるものながら、収入も得るようになった。
ただ、1つのステージをクリアしていくと、当然ながら「更なる上」の欲求が出てくる。
たぶん1年前に先生に言われた「いきなり「正職員」を求めるのは無理がある。」と言う言葉は、今になってみれば「更なる上」を目指すための「地盤固め」だったのかな・・・と振り返ることができる。地盤ができて初めて「欲求」が生まれてくる。マズローの5段階欲求で言うのであれば、「親和の欲求」を満たすものが「労働」であり、それより先のいわゆる「更なる上」が「自我の欲求」であったのかもしれない。いや、「親和の欲求」以前に「安全の欲求」が満たされていなかったのかもしれない・・・(これ以上話すと「心理学」のお勉強になってしまうので、この辺で・・・)
ともかく、今の自分にとっては「さらに上に行きたい」という目標意識と言うか、自己満足と言うか、「補償」を求めている部分がある。仕事に関しても、私生活に関しても、男としても満たされていない現実を変えようとしている気持ちがある。そのことに関しては「いつか必ずチャンスがやってくる」との先生の言葉だったけど、そこまでの意味を踏まえての「チャンス」と言われたのかは、少々疑問。少なくとも仕事上においては必ずチャンスがやってくると言う意味だったと思うけど、後者2つの部分に関しては自分でも強く触れなかったので、その意味合いはたぶん薄いだろうなぁ・・・と思っている。
そんなことを考えると、今日の診察で自分の思っていたことを本当に全部ちゃんと言うことができたのかなぁ・・・と思ってしまう部分がある。今こうやってblogを書いている中でも色々と考える部分があるけど、結局のところいろんな意味で「足場」が固まっていないと何もできないのかな・・・と思ってしまう。今の自分の状態は決して安定した足場ではない。だからもっと安定した足場を作らないことには、自分が求め考える「補償」がされないのかな、と感じる。もちろん毎回の診察の過程はすべてカルテに記録されているので、それを見ながら先生も話しているけど、少しずつ自分の中でも色々と変わってきていることはあるのだと思う。ただ、それにまだ自分は気がついていないだけで、視線の位置を変えることも必要なのかもしれない。
こうやって見ると、やっぱりまだ自分の思いを完全には言っていないのかな・・・と思う。
でも結局問題を解決するのは先生ではなく自分であり、先生はその手助けをしてくれている存在なんだと思う。「医師と患者」と言う関係でありながら、福祉的観点で見れば「ワーカーとクライアント」と言う関係なんだろう。福祉の考えでいけば、最終的に問題を解決するのはクライアント自身であり、クライアントによって決定・あるいは拒否をしていくのであり、今そこにたっている「クライアント」はまさしく「自分」そのものである。第三者的に見ればそれなりに自己分析をしていながら、自分の庭に戻ってくると見えなくなってしまう。まぁそんなもんなのかもしれないけど、色々と思うとことは多々ありますが・・・徒然なるままに書き続けると終わりが見えなくなるので、この辺で。
もうすぐ新年度、どんな状態で次の年度を過ごすのでしょうか・・・自分は。
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