まずは、受け止めて
昨日の「派遣」から一転、今日は再び「ホーム」でのお仕事です(^^♪
やっぱり「相変わらず」というか、やること多すぎです。まぁ今は切羽詰ってないから比較的余裕を持って作業することできるし、そんなに仕事がたまっていないからまだ大丈夫なのかもしれないけど、これが忙しくなると・・・また忙殺されるのでしょうね。
そんな中、昼食の時間帯に利用者さんが自分のところにやってきて「・・・帰る。」との一言。
一応、自分は正職ではないので「なら、ちゃんと正職さんに言ってからね。」というと、嫌だとのこと。
「じゃなんで嫌なの?」と聞くと、返事なし。とにかく、「帰りたい」の一点張り。別に帰ってもいいんだけど、それを認めちゃうと逃げ道を作っちゃうかな・・・と思い、「どうして帰りたいの?」を聞くことに。ただ、依然としてそのことは話そうとしない。
しまいには「作業所を辞める」とのこと。他の職員さんから場面変更をしたら、とのことで、場面を一度切ることに。
そして改めて、話すことに。といっても、話すことは真正面からの話。何にもひねりを加えることなく、噛み砕いて理解しやすいように話をするだけのこと。真正面から話をして、とりあえずは納得し、午後も普通どおりに過ごすことに。そして気がつけば、いつものように遊んでいる。他の職員さん曰く「かまってもらいたいだけでしょ」とのこと。
うん、それは自分も重々承知の上で。
まぁこの利用者さんの家庭環境も複雑なため、「かまってもらいたい」という欲求もアタッチメント理論からは説明できるもの。とはいえ、毎度毎度かまっているわけにも行かない。その利用者一人だけじゃないのだから。ただ、その利用者さんのことを「受け止めてあげる」ことは必要なのかな、と思っている。だからよく「ネタだよ」とか「かまってもらいたいだけよ」などといわれるけど、自分のスタンスは一度受け止めるという考えである。この考え、この利用者さんだけではなく、すべての利用者さんに対して当てはまることだけど、いわゆる「バイスティックの7原則」で言う「受容」の部分です。利用者さんを、あるがままに受け入れる、というそのものを実践。
はっきり言って「アタッチメント理論」から考えるに、複雑な家庭環境の中できちんとかまってもらえる場所がなかったのかな、と推測。それが今の「かまってほしい」にかかわってきているのかな、と思う。ただその一方で「自立」ということを考えたときに、いつでも「かまってもらえる」という状況を作ってしまうのも難しいところ。だけど自立に向けた土壌がまだ完成していない現在の状態を考えると、やっぱり誰かが「受け止めてあげる」ということをしてあげなくてはならないのかな、と感じる。言葉が悪いけど、うまい具合に利用者さんを手の上で転がして利用者さんに語りかけていくことが大事なのかな、と考えています。
なかなか具体的な部分に突っ込むことが難しいので説明がわかりにくいですが・・・まずは「受け止めてあげる」ということが、大事なのかな・・・と思います。
コメント
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まずは受け止める。
私も同じ考えです。私の施設の利用者さんもよく「かまってほしい」ということで、本当に体調が悪くもないのに腕が痛いとか、気持ち悪いとか、事務所に来て訴えてくる方が多々います。作業室の状況を考えれば、利用者さんの数に対して、少人数の職員でやっているのだから、いちいちかまっていられない、となってしまうのは仕方ないのですが・・・。休憩時間になると必ず事務所に来て、「○○さん、聞いてちょうだい」と言って、毎回ほとんど同じ話をしてくる人。いくら事務が忙しくても同じ話に同じ返答をしています。でも、毎回同じ話をしていても、時々何かしらサインを出しているときがあるんですよね。こういうことに限ったことではないのですが、まただよ、と思うようなことでもとりあえずは受け止め、その利用者さんが今どんな状態であるかを知り、もし何かしら問題を抱えているようなら、必要な事をしてあげる。
それに、人間誰でも不安に思っていることを口に出したりすると、結構すっきりしたり、何でもない会話をするだけでも、気持ちが落ち着いたりするんですよね。
こういう何気ないことを大切にしていきたいです。
投稿: sora | 2008.01.27 19:17