毅然たる対応
今日はなんだか非常に慌しい1日でした。作業的にも、精神的にも。
そして、今日は全体的に「不安定」な1日でした。
その一旦を受けたのが、自分。利用者さんが作業のチェックに持ってきて、「OK。じゃ、次の作業をお願いします」と頼むと、しばし無言の状態。そして・・・自分の脛めがけてキック。もちろんこの行為、看過できない。どちらかと言うとプレッシャーをかけるとつぶれる可能性の強い利用者さんだったけど、だからと言ってその行為は認めることはできない。その場で「どんな理由があっても、人を蹴っちゃダメ。」とやや強めに教示。すると、今度はだだっこパンチで応戦。そしてそのまま、泣き崩れる状態に。この状態ではとてもじゃないけど作業にならないため、一時別の場所に移動して、落ち着かせることに。
おそらく背景的には、こんな感じ。
その利用者さんの前で、別の利用者さんが寝ており、自分はその利用者さんを起こそうとしていた。
でもやみくもに「起きて」と言うだけでは一方的過ぎるので、単純に「起こす」のではなく「寝れない環境」を作るために色々とコミュニケーションを取っていた。利用者さんはそれを試て、おそらくその過程が納得できずに、自分に対して当たったのではないか、と推測。
別室で落ち着かせて、色々と話を聞くことに。
「どうして(蹴ったりすることを)やっちゃったのかな?」と聞くと、「わからない」とのこと。ならば周りの環境について尋ねると、寝ていた利用者さんを見て「怠けている(と思った)」とのこと。やはり第1原因はそこにあるみたい。と、同時に自分に対して「目を覚ましてほしい」とのこと。多分、その伏線に自分もいて、一番身近に当たることのできる対象として自分がいたため、自分に当たったのではないか、とこれも推測。ただ自分のことに関してや核心部分については曖昧にしたままの状態。そして「仕事に戻る」とのこと。結局仕事に戻ってもその後は作業にはならなかったものの、とりあえずはそこで一度区切りを付けられた状態。
「本心」がなかなか引き出しにくい利用者さんや、言うことのできない利用者さんの場合、自分たちがやれることは「どうしてそうなったのか?」と言うことを可能な限り推測することにあると思います。この前の記事にも書いたけど、物事をするには必ず因果関係があるはずであり、結果がそこにある以上、その結果に至る理由があるはず。理由なくして結果が存在する訳ではなく、今回の「蹴り」についても、「蹴る」に至った理由があるはずであり、その理由を知るのは本人のみ。だから本人から離してもらえなければ、客観的に見てことの成り行きを「推測」する必要がある。「憶測」ではなく「推測」をしなければならない。その中で社会的に認められないことは毅然たる対応をして、その他の部分に対しては一緒に悩み考え、良い方法を見つけ出していく必要があると思う。
良い意味での利用者さんとの「馴れ合い」の関係も大事だと思いますが、時には毅然とした態度で接することも必要かな、と改めて思う今日の出来事でした。
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