「一線」を越えないこと
久しぶりに祖母の特養へ。
ここ最近は少し忙しく、なかなか行くことができなかったけど、今日は久しぶりに行くことに。もっとも、今日を逃したら今後の諸処の都合で行けなくなってしまうため、今日行くことに。(その「諸処の都合」に関しては、明後日明らかにすることに。)
行ってみると、何かを展示している様子。どうやら「クラブ発表会」らしい。
形だけだけど、一応は利用者さんの創作活動としての場を設けているということだけど、「介護中心なので、もう少し手を入れたいのだけど・・・」と言うのが職員の本音らしい。たしかに、それは俺も同じことを思う。でも実際問題としては人手の問題などでそこまで対処できていない実態もある。分野は違えど同じ「福祉」に携わっているものとして理解はしているものの、やっぱりもう少し力を入れて欲しいなぁ・・・と思うのが俺的の本音。まぁ家族が頑張ればいいのだけど、結局家族もどっかで張り合いを感じなくなり、バーンアウトしてしまうこともあるだろう。
そんな中、熱心に来ている家族があるのも事実。
うちの祖母も少しお世話になっているみたいで、色々と話を聞くことに。ただ、今日の会話の中で祖母の車椅子を別の利用者さんが押しているとの話があり、そのことに関してその家族は「○○さんが手伝ってくれていいわよ。」とのこと。それに対して、母親が一言・・・「うーん、何かがあると、それは困るな」。
その返答をしたあと、その家族の人は話しかけなくなってきたが・・・
うちの母親もオイラに感化されている部分があるためかそんな返答になったけど、母親の言っていることもわかる。
いわゆる「リスクマネージメント」と言うわけで、たしかに「お手伝い」をしているつもりであっても見方を変えてしまえば「何かあったら困るから、ヘタに手を出して欲しくない」と言う見方もある。その家族の人は色んな利用者の人に手を出しているみたいだけど、正直オイラから見ると「やりすぎ」と感じる部分もある。福祉従事者として「ちょっとドライすぎる」と批判を受けるかもしれないが、ここ最近になって「一定の距離」をおくことの必要性を感じていることも事実。ちょっと前までは頑張っていた自分もいたけど、最近はあんまり頑張らない自分になってきている。もしかしたらそれは「バーンアウト」なのかもしれないけど、仕事で「福祉」をやっている自分はあんまりプライベートの場面までは福祉を持ち込まないようにしたほうがいいのかな、と思っている。だからオイラから能動的に他の利用者さんに手を出すことはしていない。あくまでも特養の中でのオイラの立場は「親族」であって、福祉従事者ではない。ましてや、ボランティアでもない。ただの「一親族」としているのであって、「社会福祉士」として面会に来ているわけではない。
「一親族」である以上、「嫌なものはイヤ」と素直に言うのは当然だろう。
ただ、ここで「社会福祉士」的な見方をしてしまえば、家族の面会で来ている人が必要以上なことをすること、ここで言えば「ボランティア」的なことにまで手を出してしまうのは、やはり「リスクマネージメント」的に考えてもいいことではないと思う。本人は「善意」としてやっているつもりかもしれないけど、もし何かの事故が起きた時に誰が責任を取るのか、と言う話になったとき、第一義的にはその人が取るべきなのかもしれない。しかし実際には施設がその責任を負うわけであり、施設側としてはその行為をどこまで把握している、というリスクマネージメントをしておかなければならないと思う。わかった上での行為であれば問題ないかもしれないが、わかってない行為であればリスクマネージメント不足といわざるを得ないだろう。別にこう言う行為を批判するわけではないが、やはりどこかで「一線」をおいておかないと、何か起きた時の「責任」の所在がわからなくなってしまうと考える。
そういった意味で、最近は自分も「一定の距離」を置いている。
何となくこの人がやっている行為は「一線を越えた」ものになっている気がする。今後、何か問題が起きないことを祈りたい。
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