まだまだ、ペースつかめず・・・
昨日は「貝になる」って言ったけど、本当に「貝」になれるかなぁ・・・
フラストレーションが溜まりそうな気がするけど・・・主旨は昨日と同じだから、省略。
まぁ昨日も書いているように、まだ4日目ですから、物事の「ペース」がつかめないのは当然です。
今日も午前中に利用者さんの連絡ノートを確認しようと思い、ノートを確認しようとすると、何かの封入物あり。何かなぁ・・・と思って確認しているとパートのおばちゃんから「これは○○さんが入れたものです!勝手に確認しないで下さい!」とものすごい剣幕で言われてしまい、何も言えず。
って言うか、その前に「これはどうすれば・・・」と聞こうと思った矢先に言われてしまったので、何もこっちは意見できず。
また利用者に対しても、まだペースがつかめていない状態。
作業中に関しては多少のペースをつかんだものの、作業外では全くつかめない状態。特に「対利用者」で、まだ今の時点で接点のない利用者に対して、窓ガラスが空いたまま入ってきた利用者に対して「○○さん、まだドアが開いていますよ」と、自分では「声掛け」をしたつもりだったのが、利用者にとってはそれが「注意」「怒られた」と捉えられてしまったみたいで、その利用者が動かない状態を見て、自分が閉めようと窓ガラスの方・・・と言うか、その利用者の方に行こうとしたら、「バン!」と勢いよく利用者が閉めてしまい、興奮状態に。後から別の職員さんが自分のところに来て「○○さんは、直接注意すると怒ってしまうので・・・特に知らない人だと・・・」とのこと。
自分が接した利用者は3分の1程度、まだまだ・・・といったところです。
でもねぇ・・・その利用者の「衝動性」と言うか、「感情を抑える」とかって、社会に出るにあたって重要なことだと思うんですよね。今の福祉の基本的な流れは「障害者も地域社会の中で」と言う風になってきているけど、でもそこはやっぱりある種の「ギブ・アンド・テイク」みたいなものもあると思うんですよね。例えば利用者さんを怒らせてしまった自分の行動。これは「作業所」という小さな社会の中だから通用するのですが、本当の社会に出たときに、見知らぬ人に注意されてカッとなって他害した、と言うわけにはいかないと思うんです。「障害者だからゴメンネ」では済まされないことだと思うんです。その証拠に、自分が行こうとしたら怒りながら閉めた、と言うことは「開いているから閉めて」と言う意思は伝わっていながらも、自分の意にそぐわない状況だから怒る、と言うのは、ちょっと言葉が悪いですがある意味「確信犯」的なことですよね。
一番端的でわかりやすい事例があったので、このことを取り上げましたが、要は「修正できるのか、修正できないのか」と言うことであり、修正ができるキャパシティがあるのであれば、それを修正していくことも必要なんじゃないか、と思うんです。結局それが「個別支援」につながっていくものであり、支援をすることによって「小さな社会」から「大きな社会」へと出て行くことができると思うんです。逆に修正ができない場合・・・そのときは「それはそれ」と受け止めて、「じゃどうすれば社会との妥結点を見出せるか」を支援していくことが、プロとしてのあり方なのかなぁ・・・と感じます。
自分が授産時代に、個別支援を計画するに当たって教え込まれたことは「いかにその人らしい生活を送っていくか」が支援の大黒柱にあると言うことです。言うなれば、木の大きな「幹」であり、実際に行う個別支援計画と言うのが「枝葉」になると考えています。これが俗に言う「QOLの向上」と言うものなのかもしれません。
うーん、まだまだ勉強が足りませんねぇ・・・オイラ。
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