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思ひ出アルバム

  • 卒業式が終わって・・・
    以前HPで行っていた「todya's photo」の写真や「御岳写真館」で使用していた写真を再び復活させるべく、「思ひ出アルバム」として随時更新していきたいと思います。また最近の写真でも「思ひ出」となるものについては、ここに納められていくことになるでしょう。

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2007年4月

2007.04.30

blogはぶっちゃけツール

ちょうど「20年大河バラエティ!目からウロコ…1986年バブル経済から2007年超近現代史さんま&所が解明!?人間は相変わらずアホか?」を見終わったところ。そうそう!と思いながらも見ていました。

どちらかと言うと、自分も幼き頃に「バブル」を経験した部類に入る存在。今から20年・・・と言えば、8歳から28歳までとなる。で、バブリーな経験をしたのは12歳。12歳にしてバブルを味わっているなんて・・・と言っても、今から思えば「付けたし」のバブル世代ですから・・・

そんなことより、「ぶっちゃける時代」としてブログが取り上げられましたねぇ。
たしかに私生活の暴露、と言う点では、blogの方が明らかに大っぴらにしていますねぇ。

そんな自分も、結構自分のことをおおっぴらにしている方。まさに「ぶっちゃけツール」として使っていますね。
元々はホームページ世代の自分。だけどいろんなことがあってホームページの更新も途絶えてしまい、その代替手段として現れたのが、blog。最初は「blogって・・・」と思った部分もありますが、さすがに毎日何らかの形でblogを書いていれば、必然的に「こうやって使うんだなぁ・・・」とわかってきます。そして今日の記事が、1268本目の記事。もう3年以上も続けており、前身の日記(今は当時の日記はここで見れます。)を含めたら、もう6年以上も書き続けていることになります。3日坊主のオイラが、6年も続いているなんて・・・やっぱり「好きこそ物の上手なれ」なのかもしれません。ちなみにこの「好きこそ物の上手なれ」と言う言葉、中学を卒業する時にその時の校長先生から贈られた言葉です。当時は別の意味でこの言葉を餞に贈ってくれたのですが、今となってはまた別の意味で自分の糧にしている部分がありますね。

たしかにオイラのblogも、芸能人みたいにプライベートをぶっちゃけている部分はあります。
時には画像も出しており、見る人が見れば「あぁ、ここの場所だ」とわかるような写真もいくつかあります。もちろん「福祉従事者」であるため、ある一定の線引きをしながら色んなことを書いていますが、基本的には何でもザックリ話して行きたいなぁ・・・と考えています。ですから「泥舟発言」とか「コマ発言」とか、結構カモフラージュしながらも思いっきりぶっちゃけている部分もあります。ただ、当初の目的も「包み隠すことなく、思ったことを素直に表現してみよう」と言うポリシーの元に書いているので、別にこれからもそのスタンスを変えることはしませんし、思ったことは一応オブラードに包みながらも、ここではハッキリ言って行きたいと思っています。そう、自分の病気のことに対しても臆することなくそのまま、ありのままに書いていますから。

今のこのblogの状態を言葉で表すなら・・・うーん「仕事への思い」と「ピアサポート」的な部分があるのかもしれません。ただ、基本にあるのはやはり「福祉」ですから、なるべく福祉のことを触れつつも、たまには息抜きの発言も書いて行きたいと思います。ストラップ関係なんか、完全に「息抜き」の記事ですしね、

まぁそんなところで、やはりオイラにとっても「blog」はぶっちゃけツールのようですね。

2007.04.29

伝染ります???

未だ利用者からもらった「咳」と格闘中。
昨日は通常量(1回3錠)の3分の2(2錠)を服用していたけど、今日からは通常量を服用。
多少、その効き目が出てきたのか、昨日に比べると咳をする回数や時間は短くなっている。ただ、まだ完全には治まっていない状態のため、明日も服用することに。

と、自分の「咳」は沈静化しつつありますが・・・オイラがよくなってきたと思えば、今度は母親です。
なんだか完全に「伝染しまくり」の状態。利用者→オイラ→母親と、見事なまでの連鎖。こんなに「教科書どおり」の伝染り方は、そう滅多に見られるものじゃない。大概どっかでストップの歯止めが効くのだが、今回は誰も歯止めにならない状態。もっとも、自分自身は結構風邪とかあまりひかないタイプで、利用者の風邪をもらってしまったこと自体が珍しいこと。今まで色んな施設にいたけど、体調不良の利用者さんがいても大体は自分には影響なかった。また風邪をひいたとしても、「誰かからもらって」と言うことはなく、自分が発症原になることの方が多かった。それだけに、今回の風邪は今までにない珍しいパターン。

昨日も書いたように、まだ咳は続いているものの、昨日・一昨日に比べたらよい方。
それに比べ、今まで何にもなかった母親が咳をするように。自分の場合は市販薬を使って治しているけど、母親の場合もそうするか・・・と言うと、母親の場合はそう簡単にはいかない。

自分も薬を飲んでいるけど、透析をしている母親も当然毎日服薬。
ただ、同じ「服薬」でも、内容は違う。自分の場合はいわゆる「精神疾患」に対する薬を飲んでいるため、直接影響することは少ないと思っているし、通院のペースは2週間に1回。さらに「心療内科(精神科)」のため、別の医療機関に受診しないと薬は処方されない。しかし母親の場合は完全に「内臓疾患」に対する薬を飲んでおり、透析を行っているためほぼ1日おきに通院。もちろん基本的にオールマイティ(モノによっては、別の医療機関か、紹介状)であるため、体調が悪ければその日に処方箋をきってもらえる。さらに服薬内容も把握しているため、それにあった薬を処方してもらえる。決定的なのは、どんなに処方箋をきってもらっても、薬代は無料。それもこれも「マル障」のおかげ。自分の場合は「自立支援医療」のため、精神以外は通用しない。

同じ「風邪」でも、公費負担の種類や通院内容によって、こんなにも異なるんですねぇ・・・
でも自分の場合はなかなか病院に行く機会もなく、さらに今まで通院していた病院には若干の引け目(「てんかんの疑い」と診断した病院だから・・・)を感じる部分もあるため、今度は一体どこの病院に通えばよいのか見つからない状態。病院探しもしなければ・・・と言った状態です。

まぁ本当にヤバい時は、引け目を持っていてもやっぱり行かざるを得ないと思うので、そっちを選択するかもしれません。
でも今は「はしり」の段階、今のうちに手を打ってあるので、多分仕事に入るまでには治ることを期待しましょう。

2007.04.28

もらってしまったか?

昨日の夜から、体調が何となくおぼつかない。
別に「精神面」の体調ではなく、純粋な(?)「身体面」の体調がちょっと・・・

別に熱や頭痛があるわけではない。ただ、咳がちょっと・・・止まらないと言うか、目立つというか・・・
もちろん、blogを書いている今も咳をしていますが・・・一応予防策で早めに薬を飲んでいますが・・・(まぁ市販薬だから、特に飲み合わせに関しては気にすることないでしょう・・・多分。)

でも、なんで咳がこんなに止まらないのだろう・・・
1つだけ思いつくことといえば・・・利用者から伝染された?

昨日は仕事を休んだため職場に入っていないが、今週、ずっと咳の止まらない利用者が1人いた。結構一緒にいる空間も多かった。その利用者、自閉のため自分の体調に関してハッキリ言うことができず、職員が状況を推測するしかなかった。その利用者も熱はなく、特段「これ」と言った体調不良の傾向は見られなかった。そのため、今週の最初には家庭への連絡帳で「咳が多く見られるのが気になりましたが・・・」と言う内容のことを書いたけど、あんまり反応なし。さらに別の職員の人にもノートをかくときに「咳のこと、触れてもらえますか?」とお願いして、別の職員から咳が多いことも書いてもらった。

そして一昨日、連絡帳には「咳はだいぶ収まりましたが・・・」と言う内容の返答が。
たしかに、多少はまだ咳をしているものの、以前に比べたらだいぶ咳は収まっていた。「あぁ、良かった」と思い、自分も休暇。
ところが休みに入った途端、今度は自分の方が咳をするようになり、おまけに鼻づまりや痰もでるようになった。この瞬間、「あ、俺もしかして・・・利用者の風邪、もらった?」と思ってしまった。

もちろん利用者に風邪を伝染すわけには行かないのでこのGW前半戦の間に治すことに。ただ病院には行かず、このまま市販薬を使って治すことに。早めの対応で、早めに予防。

と、これを書いて思ったこと・・・なんかオイラは4月の後半に体調を崩しているなぁ・・・と実感。
で、今までのお薬手帳を見てると・・・平成16年の4月28日は熱発でダウン。さらに翌年の平成17年4月28日は、当時の診断で「てんかん」の治療が開始された日。ただ、さらに翌年の平成18年4月27日は今の診断である「不安障害」で継続されて薬が処方されていた。そして今日・・・平成19年4月28日も、風邪をひいて薬を服薬・・・なんか「4月28日」には必ず体調を崩していることが判明。

うーん、4月28日はどうやら自分にとっての「鬼門」みたいです。
これで自分にとっての「鬼門」は年末年始と4月後半にあるみたいです・・・まったく、イヤですねぇ。

2007.04.27

ストラップ完成!

本日はお仕事を欠勤。
と言うのも・・・すべては「保険証」が来なかったことが原因。前回の診察の時は保険証がまだ届いていなかったため「自立支援(医療)で何とかなるだろう・・・」と思っていたのが、自立支援も使えずに全額自己負担に。そのため上司に「できれば早く保険証を頂ければ・・・」と懇願していたのだが、当初の予定より1週間遅く、昨日到着。先週に到着していれば「土曜日開庁」を期待して行くつもりだったけど、それすらもダメだったために、今日は休んで申請に行くことに。

まずは保険証の返還。
働き始めたのは4月2日だけど、保険などの「雇用上」の採用日は4月1日。そのため、保険関係すべては「4月1日」を持って切り替え。今まで国民保険だったものも、社会保険に切り替えに。となると必然的に「国民保険」の保険証を返還しなければいけないが、新しい保険証を持って「切り替わった事実」が確認できないと切り替えはできないため、結局今日手続きをすることに。

そしてもう1つの手続きが・・・自立支援医療。
保険が変わったことによって自立支援医療の方も「保険変更」の届出をすることに。が、てっきり「保険だけ切り替え」と思っていたのが、自立支援医療そのものの「認定見直し」に及ぶことに。もちろん発生事由は「保険証変更」だけど、今まで国民保険の場合は国保に入っている家族全員の所得によって負担額などが決められており、その結果親父と自分の収入を元に計算されていたけど、今回社会保険に切り替わったことによって、所得の計算は自分ひとりだけとなった。その結果・・・今までは「中間層2」(上限1万円)が「中間層1」(上限5000円)となることに。そのため、自立支援医療自体も変更届出となりました。(この辺の話は説明すると長くなるので、わからない方はこちらをご覧下さい。説明もつけてありますので。)

結局、保険証の返還・自立支援医療届出などで、思ったよりも時間がかかってしまうことに。
そのため、若干の疲労が残り、少し自宅で休むことに・・・

休んだあとは・・・本日、定期通院日。
もちろん当初は休む予定はありませんでしたけど、色々なことをしないと2度も「全額自己負担」をせざるを得ない状況に追い込まれるため、午前中にすべての手続きをして、午後に病院へ行くことに。もちろん、予約の時間も変更をしてもらっての通院。で、通院自体はいつもと変わりません。何かあったとすれば、久しぶりに発作があったことぐらい。でもその発作も「ストレスに起因するもの」と言うことも自分でも感じている部分があり、Drもそう話したので、あんまり無理をしないように・・・とのお達しを受ける程度かな。うーん、無理をしているつもりはないけど、自分の気がつかないところで無理をしちゃっているのかもしれませんが・・・

通院自体はいつもと変わらなかったけど、今回は精算に時間が。
当然前回は「10割負担」だったため、全額自費となったが、今回はすべて手続きをしたうえでのことだったので、その差額分(1割負担だから、90%)を返金してもらうことに。同様に薬局でも返金の手続き。
その結果、お財布の中は少し温まりました(^^♪

温まったから・・・と言うわけではありませんが、せっかく仕事を休んだんだからちょっとぐらいは遊ぼう・・・と思い、その足で例のところへ。「GW前だから、今日なら空いているだろう」との読みも見事的中。静かな空間でじっくりと鑑賞してきました。うーん、やっぱりここは「心のオアシス」です。

そしてさらに、今日は帰りに新宿で途中下車。目的は・・・これ!
Dscn0054

ハイ、オイラのストラップ完成です。東急ハンズに行って、ヴィンちゃんストラップを購入。
さらに・・・勢いでヴィンちゃん人形のキーホルダー(と書いてあったが・・・)も購入。結果、こうなりました。
ちなみに前回の時はドコモダケとちっちゃなストラップだけ。それに比べ、今回はド派手になりました。もっとも、ドコモダケは左手に持っていた桜が取れてしまい、骨折をしてしまいましたが・・・(ーー;)
まぁその分をヴィンちゃんが穴埋めをしてくれるでしょう・・・って、とてもあと2年で「三十路」を迎える男のケータイとは思えない派手さ・・・(^_^;)

もちろん新宿に寄った以上は本も探しましたが・・・今回は「おめがね」にかなう本はありませんでした。
そんなことをしていると・・・帰宅したのは夜の7時過ぎ。ウィークデイなのに・・・ねぇ。
でもストラップが揃ったから、何でもOKなのです・・・(^^ゞ

2007.04.26

お口直しに・・・(^^♪

ここ最近の記事は、結構毒を吐いていますね・・・
特に一昨日なんかは、モロに吐きまくっていますね・・・うーん、でもそんなに強い毒じゃないと思うけど・・・(^_^;)
ただ・・・今日も作業指示が二転三転。自分の休憩時間中にも指示が二転三転したみたいだったけど、トドメは15時に作業指示の変更。この時、既に「検品済み」と「作業済み」が約6000点ほど完成。でも・・・この6000点はすべて「やり直し」。もちろん業者さんの都合ですが・・・「コロコロ変えるな!」と言ったところでしょう・・・

あぁ、また毒出しちゃった・・・解毒、解毒。
お口直しに、今日は久しぶりに写真を1枚・・・カシャ。

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久しぶりの晴天。午後に通り雨があったけど、休憩時間は午前だったので、「春」から「初夏」に移り変わる姿を。
桜の次は、タンポポです。もう「綿毛」になったタンポポもありましたが、まだまだ花の時期は続きそうな予感。
でもこのタンポポもGW明けには綿毛となって、飛んでいくのでしょうね。

うん、これで少しはblogが解毒されたかな?

2007.04.25

初心、新たに・・・

「泥舟に乗せられた感じ」と昨日書きましたが、やっぱり「泥舟」になりそうな予感です。
4月に1人、6月に1人、7月に1人の退職が決定です。そのため、3名の補充要員が必要。果たして、応募はあるのだろうか・・・
事実、自分が入職するのも「内々の伝手」で入職しており、結局伝手が頼りの状態。この先、どうなっていくのでしょうか・・・

で、今日は作業が午前中のみ。午後には利用者さんにはお帰り頂き、スタッフミーティング。
「どんなことをやるのかなぁ・・・」と思っていたが、思ったよりは「まとも」な内容。同じ「作業所」でも、やはりその辺は「民営」の作業所とはちょっと違う。やっぱり社福格(社会福祉法人格のこと)である以上は、その辺はしっかりしている様子。別に「社福格神話」を語るわけじゃないけど、それだけのものを持っている以上は、それなりに最低限のことはしている様子。

議題はいろいろあったけど、個人的に気になるのは「ケース」(利用者支援)のこと。
授産施設を離れて以来、ケースらしいケースと言うのはなかった(と言うより、持つことがなかった)が、今回はケースありの状態。多分「形式上」にはなってしまうかもしれないけど、個人で利用者ケースを持つのは、授産以来のこと。そしてケース内容は自閉傾向の方が中心。今までは自閉傾向を持っていても比較的軽度の自閉傾向であったため、あんまり「自閉」と言う印象はなかった。でも今回は明らかに「自閉」とわかるケース。それだけに、今回ばかりは「初心」に立ち返る状態です。

もちろん、この世界にいる以上「自閉症」の特徴などは把握しているつもりです。
ただ、今まで自分が持ったケースの中で「ザ・自閉症」と言うような、明らかな「自閉傾向」を持っている利用者を持ったことがなかったため、そんなに自閉症のことについて深く掘り下げて考えることはしていませんでした。むしろダウン症の利用者であったり、単純知的障害の利用者を持つことが多かったのは事実です。

それだけに今日のミーティングでケースを持つことがわかり、改めて「自閉症」のことについて、勉強のしなおしです。
自宅には当然のごとく、知的障害・発達遅滞に関する書籍がありますが、改めて書籍を出して読むことに。ただ、改めて読み返してみると、やっぱり自閉症に関しては代表的な症例を紹介しているのがほとんど。社会人1・2年生のときだったらその程度でも良かったかもしれないけど、今は一応社会人5年目。もう少し読み手のある、内容の深いものが欲しいと感じています。ですから、明後日の通院の時に償還される予定のお金が入ったら、そのまま紀伊国屋でも行ってこようかなぁ・・・と思っています。目的は、新たな本を開拓をしに。

と言うわけで、「泥舟」でありながら、漕ぎ出す方向は自分なりに考え付きました。
船が沈むか、先に脱出するか・・・どちらが先になるのかはまだ不透明ですが、ある種の「モチベーション」を持つには良いきっかけができました。あとは、それをどうやって展開していくか・・・それは、自分自身の出来次第になるでしょう。

初心の気持ちを持って、新たなスタートです。

2007.04.24

乗った船は泥舟か?

本題の前に・・・またしてもやってしまいました、寝過ごしを。

モノレールで通勤中のこと。
途中のターミナル駅で乗客がたくさん降りたため、椅子に座ることに。そしてそのまま・・・(-_-)zzz
で、降りる駅の1つ前の時には目覚め、「あぁ、次に降りるんだな」と認識していながら、居眠り。
その結果、本来降りる駅でも寝たまま。目覚めて起きた時は時既に遅し。ドアが閉まって、次の駅目指して動き始めたところ。思わず「あっ、寝ちまった・・・」と焦るオイラ。
でも次の駅で降りると、すぐ折り返しの電車が来たので、急いで反対側のホームに駆け込んで乗車。そしていつもどおりの電車に乗って遅刻することなく到着しました。いやぁ・・・ホントに焦りました(^^ゞ

で、本題。
このところ仕事のことを思ったり感じたり、考えたりする余裕が少しずつ出てきたためか、色々と考えることがあります。そして今日新たにわかったことは、今月に1人退職するほか、5月・6月と定年で退職する可能性のある職員が2人いることを。既に色々と話し合いはもたれているみたいだけど、果たして5月・6月にそのまま退職するのかは、流動的な状態。って言うか、ここが何時定年とするのかが、よくわかっていない状態。ただ、もし年齢と共に定年と言うことであれば、6月までの間に3人も退職してしまう、と言う施設にとっては「異常事態」に突入するわけであり。

その話を小耳に挟んだ自分は、やっぱり「コマ」として扱われたのかなぁ・・・と感じてしまう。
既に3月の時点で2人が退職。で、自分が代替要員として入職。さらに自分が「代替要員」として入れ替わった職員が復帰。この結果、4月の時点では定員どおりの職員数になった。でも・・・もし自分が今回の件を見送っていたならば、現場はもっと混乱している状態なのかなぁ・・・と感じている。

そういった意味で、自分は都合の良いように使われているのかな・・・と感じることに。
何度も言っているけど、本心としては退職前の現場に復帰したいことは事実。でも表向きは「発作があるから」と言う理由で復帰は見送り。その代わりに、今の職場に入ることに落ち着いた。
のだが、後から続々と出てくる裏事情。こう言うことを知ってしまうと、やっぱり自分は適当に使い勝手の良い「コマ」として使われているのかなぁ・・・と感じる部分がある。もっとも、現状では今の自分に適している職場がないことも事実であるため、ひとまずは落ち着こう・・・と言う理由で今回の話を受けた部分もある。でも、もしこういった裏事情を知っていれば、多分自分も話を拒否していたかもしれない。結局自分はいろんな「しがらみ」の中に巻き込まれてしまっている感じは否めない。

本来の目的は「発作を持っていても影響の少ないところ」「心身の負担が軽いところ」と言う話だった。
でも正直言って、今の状況は発作の影響は少ないけど、業務外で既に発作が起きてしまっているし、「心身の負担」と言うことであれば、想像以上の負担を強いられていることは事実である。ハッキリ言えば、同じ「負担」でもデイの時の負担の方が、自分自身が想定している負担を理解できている部分があり、デイのほうの負担の方が自分にとっては重荷にならないと感じている。まぁすべては上の判断だから上が決定したことに関しては自分は言うことができない。それがイヤなら、さっさと次の仕事を見つけることしか、方法はありません。

なんだか「泥舟」に乗せられた気分です・・・はぁ、ハローワークでも検索してみよう・・・

2007.04.23

何かの暗示?

昨日の「頻便」は、今日への暗示だったのかもしれません。

と言うか、久々に「発作」を出しました。帰る途中で。
状況から言うと、バスで駅に着いたのが、ちょうど乗る電車が発車するかな・・・と言う時間。「できればこの電車に乗って行きたいなぁ・・・」と思い、ややダッシュ。そして改札を通ってエスカレーターで降りようとした瞬間、一気に頭の中から血の気が引きました。思わず「あっ、これはマズイ・・・」と思い、動作停止。以降、自宅に帰るまでは恐る恐るの状態で帰宅。自宅に帰ってからは平静を装おうとしたけど、結局装おうことができず母親に発作がバレてしまいました。まぁ、仕方がないことでしょう。

さて発作の要因・・・考えられるのは、仕事からきた精神的疲労・ストレスかもしれません。
と言うのも、今日は「穴あけ」を1日中やっていた状態。もちろん検品をしながらの穴あけをしていたのですが、どうやら自分の検品が悪かったみたいで、不良品を多数出してしまったとのこと。「ちゃんと教えてなくてゴメンネ」とは言われたものの、やっぱり責任は自分にあります。

正直、穴あけはやりたくない・・・と言うのが本音です。
でも自分は「やらざるを得ない」状況に追い込まれており、否が応でもやらなければなりませんでした。やらないと、利用者さんの仕事がないのですから・・・だって、穴あけ機は1台しかなく、穴あけの責任はすべて自分が持っている部屋が持つことになり、これだけで精神的なプレッシャーになります。さらに、先週の金曜日といい今日といい、穴あけができるのが自分しかいなかった状態・・・これでは必然的に自分がやらざるを得ない状態です。

まだここに来て1ヶ月も経っていない自分にとっては、結構なプレッシャーです。
そんな精神的な疲労も重なって、帰宅途中の「発作」につながったのかもしれません。また仕事中も発作とまではいかないものの、途中で何度か「あぁ、俺倒れそう・・・」と感じることがあったのも事実。だけど大事なのはきっと「今」なのかもしれません。今のこういった状況下を乗り切らなければ、正職の道はまだまだ遠いのかもしれません。こういった精神的に追い込まれた状況下でも発作を出さずに過ごせなければまだまだ本格的な復帰は遠いのかもしれません。

ただ・・・逆に自分を追い込んでしまうのもどうなのかなぁ・・・と感じる部分があるのも事実。
これは乗り越えなければ壁なのか、それとも受容するものなのか・・・今週の診察次第です。

2007.04.22

何が引っかかっているのか・・・

うーん、自分でもわかりません・・・
そろそろ「順応」しても良い頃なのに・・・頻便。特に今日は、神経の影響がモロ出ているみたい。

自分でも引っかかる要因は、思いあたりません。
面接とかの前日なんかは完全に要因がわかっていたので諦めがついていたのですが、今は既に仕事を始めている状態。この3週間で一通りのことはやったので、もうそろそろ影響がなくなっても良いと思うのですが・・・

もちろん、人間関係はまだまだです。
利用者の把握も、まだまだです。いろいろ考えれば「まだまだ」尽くしは、たくさんあります。
でもそれだけが影響を及ぼしているとは、考えにくいです。

たしかに、胸が張り裂けそうだったあの時とは、心の持ちようは違います。
あの時は、本当に苦しくて苦しくて仕方がありませんでした。でも今はそんな苦しさはありません。
でも、やっていることの本質はそんなに変わっていないのですが・・・何が違うんでしょう?

いい加減に今年の復帰は諦めればいいのに、それを思っている自分がいるのは確か。
もっと上に行きたい・・・と思っているのも確か。
自己欲求が完全に満たされているのかと聞かれれば、満たされていないのは確か。
でも今は、Drの言うとおり「少しずつ階段を上る」ことが近道なのかもしれません。

仕事を再開して3週間、今週は通院の週です。
さらに今週は色々な手続きもしなければならないので、金曜日は欠勤の予定。なので、4日間です。
久しぶりに体調管理では「特記なし」が続いており、パニックが起きていないのは良い傾向ですが・・・でも、なんか心の奥底で引っかかっているものがあるのは確か。でもそれが一体何なのかは、自分でもわからない。自分でもわからない状態が、「頻便」という身体的なものとして現れているのかもしれません。

さぁ、今週も肩の力を抜いて・・・行ければいいのですがね。

2007.04.21

自由自在の睡眠?

正直、仕事が休みの日はネタがない状態です。
完全に「仕事ネタ」を多用しているために、「ネタがないことをネタにする」と言う発想がなくなりつつあります。

今日も祖母の特養に行ったのですが、木曜日頃から熱発があるらしく、今日もずーと寝っぱなし。
別に会話は普通にできておりそんなに熱発の影響はなさそうですが、いつもなら誰か来ると起きるのに、今日は寝っぱなし。やっぱり多少は熱発から来るだるさが、あるみたいです。
それにしても入所してから頻発する熱発。あと2ヶ月で入所1年になりますが・・・どうなんでしょ、これは。

そんなわけで、今日は大したことなく終了。
でも・・・仕事を始めてから、寝ることが自由自在になっているような感じ。今日も目覚めたのは5時半過ぎ。でも「まだ起きるには早いなぁ・・・」と思って、そのまま再就寝。結局起きたのは、9時前。で、休日はゆっくり・・・と思って、ハローワークの検索をしてから、また寝ることに。以後、1時間おきに目覚めるが、その都度仮睡に。
で、母親に「行くよ」と言われると、すぐに起きられる状態。

面会・買い物から帰ってきた後も、仮睡。でもやっぱり一声かけられると起きれる状態。
じゃ夜は不眠か・・・といわれると、仕事を始めてからは不眠は解消の一途を辿る。やっぱり仕事をしている時としていない時では、寝つきは全然違い、当然だけど仕事をしている方が寝つきは良い。でも精神的には「ちゃんと寝たい」と言う気持ちがあり、寝つきがよくなった状態でも、眠剤は続けて継続。ある種の「お守り」みたいな感じです。ただその影響か、仕事があるときの通勤時間は、やっぱり「仮睡」がある状態。通勤時間帯が一番辛いかも・・・そのくせ、休みの日は早く目覚めてしまう状態。母親曰く、「歳をとると目覚めが早くなるから・・・」とのこと。たしかに、10代のときに比べたら全然目覚めは早くなっているし・・・やっぱり歳なのか・・・?

平日の睡眠は改善されたけど、じゃ休みの日はどうなのか?
実はこれまた、休みの日も改善されています。多分1日の半分を寝て過ごしていると思われる休日。でも不思議なことに、こんなに寝ていても、夜は普通に寝付くことができるんです。もちろん眠剤を使っていますが、それでもスムーズな就寝ができているんです。多少の明るさがあっても、問題なく就寝。今までは本当に真っ暗にしても寝付くまでに1時間以上はかかっていたものが、今では恐らく30分程度で就寝していると思われる状態。

こうやって見ると、本当に「寝ること」を自由自在に操っている状態ですね。
まぁ睡眠が改善されたのは大きなこと。でも自己判断で眠剤を抜くことは、するつもりはありません。やっぱり眠剤にちょっと頼っているのは、事実なのかもしれません。

2007.04.20

初めて感じる「疲労感」

今日で3週目終了。今までは良い意味での「疲れ」がありましたが、今日はホントに疲れました。
と言うのも、今日は職員配置が薄い状態。なおかつ、自分のもち部屋(担当部屋)で残るのは自分だけ。あとは他の担当から応援をもらって進めることに。だけどその運びは、早々からスタートすることに。

まずは部屋の清掃・・・と言っても、利用者がいない・・・と言うか、少ない。
それでも時間になっている以上は清掃をスタート。だけど部屋の職員は自分しかいないため、部屋を離れることができず。この時点でちょっとテンパリ気味だったけど、さらに拍車をかけたのが、ベテラン非常勤職員さん。「Mitakeさん、1人しかいないんだったら、連絡しなきゃ。」「ホラMitakeさん、こここんなに汚れている。こう言うところを職員は掃除をしないと。」などなど・・・もちろん聞いていますが・・・心中はそれどころじゃない状態。いきなりあっぷあっぷの状態。

掃除が終わってミーティングを終え、午前の作業へ。
しかしそこで待っていたのは、大量の検品とショッピングバックの穴あけ。普段は昨日の作業分の工賃記入をするのだが、とてもじゃないけどそんなことをやっていられる状態じゃない。先行きが見えないし、何しろ穴あけが出来る職員は自分しかいない。となれば・・・必然的に自分は「穴あけ」をすることに。検品は他の職員や他部屋の職員にお願いすることに。利用者全員に指示を出した後、1時間半、穴あけ機と格闘。とりあえず目標にしていた時間内に「最初」の穴あけは終了。そのまま検品作業へ。で、検品は「ショッピングバック」と「チラシ」の2つ。両方とも大量・・・でもチラシのほうが今日の夕方が納期のため、チラシの検品をスターとすることに。結局午前中は利用者の状態なんか見ておらず、職員がやる作業で手一杯の状態。そのまんま、午前が終了。

午後になりすぐに休憩時間になってしまうため、15分間を使って工賃記入。
でも今日は「評価項目」がやや多いため、15分以内に終えることができず、20分かかってしまうことに。そのため本来の休憩時間45分のうち、5分はサービスに。さらに休憩時間中も利用者さんとの「交換ノート」をつけているため、図書館で利用者さんのノートを読んで、自分が書くことに。もちろん作業中にやってもいいのだが、正直これを作業時間中にやるのは時間がもったいない。自由に使える時間があるなら、その時間内で行ってしまった方が後々効果的・・・と思い、近くの図書館でノートを書くことに。

休憩を終え、部屋に戻ると・・・そこにあったのは、新しいショッピングバック。
実は午前中に次の作業分のショッピングバックが入荷しており、そんなに急ぎではないものの、利用者さんの作業を用意するには手をつけざるを得ず、午前中から少しずつ作業を開始。で、気がついたら・・・穴あけ分が結構なストックに。そのため今度は「マイスターの技」を行うことに。
当然、自分はまだ「マイスター」ではないため、なかなかうまくいかない・・・と言うか、納得いかない状態。ほんの1ミリ・2ミリ程度なのだが、指示通りの「穴幅」にならない状態。穴幅を微調整したり、台座を微調整したり・・・と、本当に「微調整」の連続。で、ようやくセッティングができたのが、15時。本当はもっと早くやろう・・・と思っていたのだが、利用者さんの連絡ノートも書かなくてはいけなかったし、微調整に少しイライラしていた部分もあり、「穴あけは後でいいや」と思い、連絡ノートの記入へ。しかしそれも束の間、他の部屋から「穴あけは準備できていますかぁ?」との催促の声。「今調整中でーす」といい、ノートが中途半端の状態で再び穴あけ機と格闘。1回目のチェックで「ちょっと幅が広い」と指摘され、しばらく調整をし、2回目のチェックでOK。あとは穴あけ・・・でもノートも書かないと・・・と言う、非常に切羽詰った状態。そのときにちょうど応援の職員さんが来て穴あけをしてもらったため、自分はノートに集中。ノートも書き終わった・・・とその瞬間、利用者の1人がパニックに。原因は・・・同じ作業の続けすぎと推測。自閉の利用者さんに「ひも結びの直し」を午前中からずっとやってもらっていたため、そのストレスが溜まってしまったためか、パニック状態に。利用者さんを落ち着けて気分転換に利用者さんがやりたい作業をやってもらうことに。

そう、午前中に利用者さんの様子をよく見ていなかったため、「パニックの兆候」を見逃してしまった形。
さらに「職員の都合」で色々とお願いをしてしまったため、それもパニックを起こさせてしまった結果に。利用者さんには、本当に悪いことをしてしまったなぁ・・・と反省です。つい、職員の手間が省けると思ってお願いをしてしまったがためにこう言う結果に。さらにはトイレも失敗してしまい着替えていただくことに。それもこれも、もっと利用者さんの様子を見ていればこんなことにはならなかったのかもしれません。いくら入って3週間・・・とは言え、福祉の世界にはもう3年も・・・まだ3年ですが足を入れているのですから、それくらいの対応はできなくては困る、といえるかもしれません。今日は完全に、利用者さんと離れている状態でした。

こうして長かった1日が終了。利用者さんの送り出し後のミーティングでこの件を挙げ、反省。
「職員配置が薄い」のも理由の1つだけど、それを理由にすることは許されないこと。もう帰りはグッタリの状態・・・
心地の良い「疲れ」ではなく、本当に「疲労した」と言う状態。来週のことを考えるとちょっと憂うつ・・・のオイラです。

2007.04.19

やっぱり、キビシイ状態?

今日は職員の人数がやや薄い状態。その中で、作業はたくさん。
と言っても、利用者さんの分はすぐに終わってしまい、それに対しての検品が間に合わない状態です。

そして今朝、同じ部屋を担当している職員さんから、今月いっぱいで退職することを聞くことに。
別に退職に関してはその人の個人的事情があるのだから別に仕方がないと思っているし、多分そのことを前提に色々なことを自分に教えてきてくれたのだろうと思っているので、別に動揺はない。ただ思うことは・・・代替要員の補充が厳しいだろうなぁ・・・と言うこと。

この背景にあることは、先日の「やっぱり本心は・・・」で話したことと同じ。
自分の場合は色々なしがらみの中で今の施設に落ち着いたけど、やっぱり本心としては、この前話したのと同じ。そっちの方が経験もあるし、仕事の内容も知っているし、通勤にも適していることは言うまでもない。でも、ここで「障害の壁」が立ちはばかったために、仕事の内容を知らない、通勤には若干不便なところに回されることに。おまけに、色々な経緯があって3月で異動になった職員が返り咲き(復職)する事態に。結局、人材センター経由や他の伝手を使ってもオイラ程度しか見つからなかった、と言うことになる。

そんでもって、今回の退職。
当然、人員配置的には欠ける状態になるため、また何らかの方法で募集を行うことになるだろう。
おまけに、今はどうなっているか知らないが、デイのほうでも引き続き募集を行っている状態。知っているだけで、片手分の人数を補わなければならない状態。果たして、すべてのところに必要な人員が埋まるのであろうか・・・先行き、まったく不透明。

こう言う自分だって、悪い言い方をしてしまえば「つなぎ」として仕事をしているみたいなものです。
本心はもっと高いレベルを要求しているのですが、現実問題として失業生活2年目に突入してはいけないと自分自身の中で「危機感」を持っていたことと、Drからの「最初はパートから入るのが望ましい」との助言があって、結果的に今の位置に収まっている状態。でもチャンスがあれば、もっと上のレベルにいける・・・と言うか、「社会福祉士」を活かせる仕事をしたいと思っている状態。無論、社会福祉士は「何でも屋」的な存在であるため、今の施設で社会福祉士が全く活かされていないか、と言うと決してそうではないと思う。仮に「活かされてない」と思っていても、実際は「活かしている」ことに気がついていないだけだと思う。だけどやっぱり、自分は今の場所に留まっているような人間ではない、と思っている。だから1年になるか2年になるか・・・あるいは1年以内に行動に移すかわからないけど、自分だって何時辞めてもおかしくない。もちろん士気はちゃんと持っており、仕事に出ている以上は精いっぱいやっているのは当たり前のこと。手を抜くことは、ありません。

とはいえ・・・今の自分の状態は、いろんな意味で「キビシイ」状態。
自分でも今の仕事を「迷いながら」仕事をしている状態なので、未だに緊張が抜けないのも事実。仕事のモチベーションになっているのは「給料を得る」の1つだけ。うーん・・・やっぱりこの世界、難しいことだらけです。

2007.04.18

力ずくでは、開けられない

今日は午後からの仕事が途絶えてしまい、急遽ビデオ鑑賞会に。
まぁ本来「作業所」なのだから、メインでもある「作業」が途絶えると言うのは、決して好ましいことじゃないけどね・・・

そんな中、今日は「アプローチ」で壁に。
一昨日に飛ばした「檄」の方法、もちろんすべてに適応できることではないことは、十分に承知しています。プレスに対応できる利用者であれば檄を飛ばすのは1つの方法として確立できると思いますが、プレスに弱い利用者の場合は、どうしても「変化球攻め」になってしまいます。

で、今日のパターンは「変化球攻め」のパターン。
まず1ケース・・・午後からの作業が急遽ビデオ鑑賞になってしまい、こだわってしまった利用者のケース。長く入る職員の人曰く、この利用者の場合は「波長」が合わないとなかなか頑固が取れないとのこと。それでもアプローチをする必要はあるため、利用者にアプローチ。だけど・・・やっぱり頑固になってしまい、反応すらしてもらえない状態。で、正対して話をしようと考え、ちょっと・・・と言うか、かなり強引に体を自分と正対させて話をすることに。だけど、状況は変わらず。途中、他の職員さんにアプローチを頼むものの、なかなか動かず。そしてケース担当の部屋の職員さんがアプローチすると、ようやく重い腰を上げ行動してもらうことに。

自分でも重々承知しています・・・力ずくでは何も解決しないことを。
でもここは「最低限」の部分だけ力ずくでやらせていただきました・・・でも、体を向けることができても心まで力ずくでは向かせることはできません。

それももう1ケース。普段は別の部屋で作業をしている利用者さんが、今日は自分がもつ部屋で作業。
ただ・・・この利用者さんの場合はいろんな意味で「波」のある利用者さん。調子がいいときは結構おしゃべりを積極的にしてくるけど、調子がいまひとつだと、1人で落ちている状態に。生活場面では接することが多いので特に何かに気を使うと言うことはあまりないけど、作業場面では初めてのことだったため、正直自分のスタンスは「腫れ物に触らない」という状態。もちろんまだ自分自身が利用者さんのことをわかっていないためにそういうスタンスになってしまう、と言うのもあるのかもしれないが、やっぱり何事にも「逃げ腰」では、何の支援も始まらない。ただ、とにかく今は「観察」することが1番の状態。

このblogでも何度か言っているかもしれませんが、やはり支援の基本は「観察」から入るものかな・・・と思っています。
そこから初めは見よう見まねでやってみて、さらに利用者さんのことがわかってきたら、色んな玉を投げてみたりするのが、今の自分にできることなのかなぁ・・・と感じています。前者のケースの場合も、他の職員の人の対応を見て自分もトライしてみたり・・・と言う状態。1回だけ「おっ、ちょっとつかめたかな?」と思ったことはあったものの、やっぱり今日の対応がうまくいかなかったため、まだまだ利用者さんの「心」をつかむのは先かなぁ・・・と言う状態。「心をつかむ」のは、「観察」と同じくらい大切なもので、まだ1ヶ月も経っていない自分にとっては、利用者さんの「心」はまだ完全にはつかみきれていないみたいです。

社会人5年目、福祉従事歴4年目のオイラ、まだまだ自分に対しての課題は、山積のようです・・・

2007.04.17

寒いよ!

一言・・・寒いです!

まぁそんな大きな声出して言うほどのことではありませんが、本当に寒い1日でした。
なにしろ、冬物は日曜日にすべてクリーニングに出してしまったため、手元に冬物の洋服がない状態。仕方ないので、タートルにデニムシャツを着て、さらにその上から春物の上着を着る厳戒態勢。と言うか、普通の春ならば「タートル+デニムシャツ」か「シャツ+春物の上着」で十分な気候なのだが、雨と同時に気温も下がっているため、春先でも寒い時に着る「タートル+春物の上着」では対応できない状態。そのため「タートル+デニムシャツ+春物の上着」と言う状態になってしまいました。

正直なところ・・・着膨れ状態です。
でも洋服も「春先対応」になっているため、今更冬物を引っ張り出すというのも・・・と言う状態です。もちろん仕事の時はタートルだけで十分ですが、仕事以外の場所では、タートルだけでは肌寒い状態。特に昨日・今日と、普段は休憩時間に外に出かけていたが、雨&図書館休館日のため、休憩時間はロッカーのソファーで過ごすことに。もちろんその前提として本を1冊持ってきていましたが、「寒い・・・」と思いながらも、ロッカーで休憩。外に出るのも寒いし、雨に濡れるし・・・そのことを考えたら、まだロッカー室で休憩しているほうがまだマシ。
でも所詮、ロッカー室は「ロッカー室」であるため、冷暖房の設備はなし。ソファーが置いてあっても、ロッカー室はロッカー室。

ホント、ある意味「究極の選択」です。
雨に濡れて外に出かけるか、寒い思いをしてロッカー室でくつろぐか・・・自分の場合は、後者。
無論、利用者さんに影響が出ないよう、ロッカー室で休憩している時はカーテンを閉めて、ちょっとだけ下界と遮断。寒さも慣れれば何とかなるもので、45分間はゆっくりとケータイしたり本を読んで過ごしました。もちろん「寝る」と言う選択肢もあるのですが・・・いくら休憩だから自由に使えるとはいえ、寝姿を他の職員に見られるのもちょっと恥しいものがあるので、さすがに寝ることはしませんが・・・

そういえば、今日は初めての「午後」の休憩。
これから午後の休憩になったときは、仕事外としてやることもできたので、半分はそっちの方に時間を費やすかな?そして何時までネタが続くのか・・・まぁ、これも出たとこ勝負です。

で、明日も寒いらしい・・・どうやら真冬並みとのこと。
そうなると・・・着あわせの選択は「シャツ+フリース+春物の上着」となるのか?今日にも増して着膨れそうだぁ・・・(^^ゞ

2007.04.16

初ゲキ!

勤務3週間目にして、今シーズン初の「檄」が出ました。まぁ「檄」と言うほどのものでもありませんが・・・

檄を出したのは、午後のこと。
午後の作業始まりで利用者さんがそれぞれの作業を始めた状態。しかし1人だけ、作業をしていない。と言うのも、午前中にその利用者さんに対して他の職員が「午後からは別の(作業)をやってくださいね」と釘を刺しておいたのが伏線にある。午後になり、その利用者が納得していないのか、作業に取り掛からない状態が続き、しばらく様子を見ていたが、一向に動く気配なし。そこで、オイラが動く。

実はこの利用者、先週も同様のことがあり、自分では初めての対応をしたため、その後の対応を正職員さんに任せていた。で、対応の仕方を見ていたので、自分も対応することに。もちろん「午後」と言う時間帯、食後ということもあり、多少の「眠さ」はあったのかもしれないが、そんなことは関係ない。

ただ・・・ちょっと昔のオイラと違うのは、いきなり「檄」を飛ばさなくなったことです。
無論、まだ3週間しか経っておらず利用者さんとの関係も完全には構築されていないため、すぐに檄を飛ばせない状態であることも要因の1つですが、まずはソフトに対応することに。

利用者さんのところに行って「○○さん、作業しましょ」と柔らかに行くが、利用者さんの我は強い。
そこで変化球を投げて「○○さんは、ここに何しに来ているの?」的な方向に持っていこうと試みる。が、それでも我の強さは変わらず。そこで今度はちょっと強引に自分と真正面に対峙して話をする環境を作ろうとするが、利用者さんの我はますます強くなるばかり。そのため「作業はできますか?できませんか?」の二者択一の選択肢を用意する。しかし、これにも反応せず。
そして最終手段・・・檄です。わかりました。じゃもうやらなくて結構です。知りませんと放置。

まぁ今までの自分にしてみれば、全然「檄」ではありません。チョイ切れ気味、と言う程度。
もっとも、この状態で話を続けても埒が明かないため、とりあえずは「クールダウン」をする時間を設けることに。既に防衛機制が出来上がってしまっている段階であるため、一度その防衛機制を外すことも必要なので、無関与の時間を取ることに。
もちろん、作業をしていない時の状態も観察。これ、大事。(ここがちょっと大人になったかな?)

そしてしばらくして、再び利用者の下へ。
いきなり直球を投げるのではなく、やはりここも変化球・・・と思ったら、意外と直球でOK。
冷静になった状況下で作業できない「理由」と言うか「意思」を聞こうとしたところ、あっさり「作業をする」とのこと。こうして思ったよりもスムーズに・・・と言っても、午後の作業時間が始まって結構経っていたけど、午後の作業へ入ることに。

ちょうど教示をしたときは、正職さんの休憩時間。
そのため、対応は非常勤の自分たちがすることに。で、正職の人が休憩から戻ってきた時に、経緯を報告。正職さん曰く「午後の時間帯だから、そういうこと(作業拒否)は結構あること」とのこと。正職さんとは手法は違ったけど、結果的に本来の路線に戻すことができた、と言うことは、3週間目にしては評価してもいいことなのかなぁ・・・

ただ、支援者としては少しだけ「オトナ」になれたかも。
1年目・2年目の時はどちらかと言うと「感情」に流された「檄」だったけど、3年目にデイで勤務したことによって「やみくもに檄を入れても、あまり意味がない」ということに気づいた自分。そして1年のブランクをあけて、「意図的な感情表現」をするようになった自分。正確には、3年目の後半から「意図的な感情表現」をするようになった。その典型例はこれこれ。そうやって「色んな方法」を経験したことによって、自分の「支援方法」の幅も少し広がったかな・・・と言う状態。もちろん、今の作業所には一筋縄ではいかない利用者さんも多々いるので、「こんな支援をした」と言うのも、この先「事例」として出てくることになるでしょう。

と言うわけで、本日初の「檄」が出たというお話でした。

2007.04.15

やっぱり、本心は・・・

4月も今日で折り返し。
一応、4月から仕事を再開したけど、それでもなおハローワーク・福祉人材センターの求人を見ているオイラ。
別に・・・今の職場に不満があるわけじゃないけど、やっぱり心のどこかで「もっと」を求めているオイラがいるのも事実。何より「資格を活かしたい」と言う願望が強い。でも今は、まだ辛抱の時なのかなぁ・・・

もちろん何かを探っている本心の中には、福作に勤務することになった経緯があるのも事実です。
ここで「オフレコ」の話をすると、実は自分がデイに復帰できずに福作で復帰することになった際、裏で福作からデイへ異動する職員がいたみたいで、その結果自分がどうやら「代替要員」として福作に勤務することになった状態みたいです。何でそんな「推測話」が出るかと言うと、実は明日から職員が1人増える・・・と言うか、復帰することになるのですが、それが自分の「代替要員」としてデイに行った人が諸事情で福作に復帰すると言うもの。

一応、こう言う形で「福作」の職員定数は埋まった形・・・になったのです。
が、正直腑に落ちないのはオイラ。福作に復帰する経緯を聞いている中で、どうやらオイラが福作で勤務をするのとひきかえに、福作で働いていた人がデイに異動になった、と言う風に感じ取れるのである。その理由が、その人の「個人的事情」によってとのこと。もちろん表向きにそんなことは言えないため、表向きには「施設の都合上」と言う形で復帰するのだが・・・となると、当然デイの人員が欠如することになる。

ならば、いっそのこと「オイラ」がその代替要員としてデイに復帰したい、と言うのが本音。
もちろん福作的にはオイラがいることで定数をキープできるためそんなことはしないと思うのだが、当然何処かから「異動」があれば、そのしわ寄せが来る場所もある。それが「デイ」だと思う。

まだ2週間しか勤務していないが、正直なところ人員を厚くするのは「福作」よりも「デイ」の方が緊急性が高いと感じている。もちろんそう考える理由には、デイのほうがよりマンツーで対応するケースが多く、その分職員の補充はすぐにでも行わなければ・・・という緊急性があるのは、福作よりもデイのほうかなぁ・・・と感じています。

でも現実としては、自分にその話は全くありません。当然といえば当然だと思います。
もちろん自分もこの話を聞いて「じゃ、オイラが・・・」といいたいところですが、「発作を持っている以上は、利用者の安全に関わることにつながる」と言う言葉で、自分の思いも一蹴されてしまうのは目に見えている。それに、そんなことで周辺環境を荒らしたくないと言う気持ちもあるため、この思いは自分の中にしまいこむしかできないこと。ただ、ここで1年間実績を積めば、また次の方向性が見えるかもしれないし、どうなるかはわからない。とにかく今は、実績を残すこと、そして「障害を持っていても働けるんだ!」と言うことをアピールすることが必要なんです。それができなきゃ、前進はありません。とにかく「実績を積むこと」で前進あるのみ、と言ったところでしょう。

精神的には落ち着きを取り戻そうとしている、第3週目。
でも本心は、色々思っていたり感じている部分があるのです、ハイ。

2007.04.14

10年かぁ・・・

休みの日ぐらい、たまには「福祉ネタ」から逸れたいものです。
で、何となく自分のプロフィールを見ると、プロフの始まりが「1997年4月」となっていました。それを見て、しみじみと「あぁ、もう10年経つんだなぁ・・・」と感じていました。

大学に入学したことなんて、まだ最近のこと・・・と感じている部分がありましが、自分のプロフィールを見て「10年間」の出来事が重く感じますねぇ。その10年をプロフィールから引用すると・・・

1997年4月 大学に入学し社会学を専攻。そこで「社会福祉」に出会う
2001年3月 既に決まっていた一般企業の内定を蹴って、大学卒業
2001年4月 福祉系専門学校に進学
2003年3月 福祉系専門学校を卒業
2003年4月 社会福祉士合格・登録
2003年5月 知的障害者通所授産施設に支援員として就職
2005年3月 知的障害者通所授産施設を退職
2005年4月 知的障害者デイサービスセンターに産休代替職員(生活支援員)として勤務
2006年3月 知的障害者デイサービスセンター退職
2007年4月 知的障害者福祉作業所に指導員として勤務

たった10年なのに、自分の変遷はこんなにもあった。
もし自分が「社会福祉」というものに出会わなかったら、きっとこのblogはなりなっていないんだろうなぁ・・・と実感します。ホント、よくよく見てみると結構内容の濃い・・・で、ある意味で「薄っぺらい」履歴だなぁ・・・と感じています。きっと社会福祉に出会わない人生だったら「大学卒業→企業に就職」で終わっていたかもしれません。それが社会福祉と出会ったことにより「大学卒業→専門学校卒業→就職→転職・ニート(?)・転職」と、動きの多い10年だなぁ・・・と感じています。もちろん、今の「障害」のことも含めて。

そういえば大学時代、4年生の最後の活動として学園祭の手伝い(OB)以外に「卒業アルバム制作」と言う活動をしていました。平たく言ってしまえば、当時の大学の自治活動で3年間の生活を終え、4年目に「天下り先」としてあった場所。(もちろん今は、変わっていると思いますが・・・)そこに、オイラと友人(もちろん、マイミクさんですが・・・)さらに2年目で辞めた後輩を引きずり込んで活動をしていました。もっとも、「活動」と言ってもそんな対したことはやっていません。(そんな大学時代のオイラの活動状況は「思ひ出アルバム」で垣間見ることができます。)おまけに、4年生のときの学園祭は諸処の事情により、4年生が非常登板(つまり、復帰)する事態になり、結局ここを実質的に動かしていたのはオイラ。友人には相談をして、あとは自動的に動くだけといった状態。まぁ学園祭が終わった時には正常の状態に戻ったわけですが、最後の「編集後記」に何を書くかで、友人と内容を考えました。で、会話風にしようと考え、当時流行っていた「ICQ」を使って会話を作ろう・・・と提案がありましたが、結局それはしないことにしました。(実のところ、オイラがそれをやるのが照れくさかった、と言う説が・・・)

で、代わりに出したのが、これまた当時流行っていた「未来日記」をモデルに、「5年後の自分」「10年後の自分」「20年後の自分」について、卒業生自身に書いてもらい、しめの言葉としてオイラと友人が書いた合作のメッセージを添えて、編集後記を作りました。

これを書いているうちに、大学時代の卒業アルバムが懐かしくなり、アルバムを開いてみました。
そして「しめの言葉」は、こんな言葉を書いていました。

このアルバムで未来を見てください。
過去を振り返るためでなく、これからを生きていくために・・・

未来を決めるのは、あなたです。
あなた自身で、未来の自分を描いてください。そして5年後、10年後、20年後、もう一度このアルバムを開いて、「未来」のあなたに出会ってください。

たしか「後段」を書いたのが、オイラだった気がします。
なんだか今見るとクサイことを書いていますね。でも、友人と考えたこの「しめ」は、決して間違っていないのかなぁ・・・とも思います。特に「前段」の友人の言葉に関しては。たしかに、「過去」を振り返るのではなく、そこから「未来」へ、そして「これからを生きる」ための、アルバムかなぁ・・・と、改めて感じます。

ちなみに・・・アルバム製作者であるオイラ自身、未来日記は「空欄」です。
でも仮に空欄を埋めていたとしても、オイラの「5年後」は確実に違うものになっているでしょう。そうとなれば、10年後・20年後も、仮にそこへ言葉を埋めていたとしても、未来に描いたものとは遥かに違ったものになっているはずです。
そして5年後・・・ではなく、6年後にアルバムを開いたオイラは、6年前とは明らかに違った「自分」が存在していました。「未来のあなた」は、今現在「福祉」に真正面と対峙しようとしている自分です。

「10年」と言う長さをしみじみと感じながら、「まだ10年かぁ・・・」と感じているオイラであります。

2007.04.13

保険証、早くちょうーだい!

本日、定期通院日。
もちろん仕事は休んでいません。当然ながら、仕事が終わってからの通院です。
とはいえ・・・予定ではもう少し早くいける予定だったけど、利用者送り出し後のミーティングが長くなってしまい、予定の時間のバスに乗れず。それでも予約時間ちょうどに着いたからよかったけど、本当はもう少し早く到着して診察を受けるはずだったけどね。

まぁ診察の方はいつもと変わらず。
仕事へスムーズに入ることができたことを評価して、次の予約を入れて完了。ようやく「社会復帰」の第一歩を歩みだしたのかな・・・と言ったところです。

でも・・・今日大変なのは、お会計。
先月までは国保だったけど、今月からは社保。本来ならば入職してすぐに係長に保険証を早く出してもらえるように言う予定だったが、係長に不幸があったため、最初の週は全く話にならず。そして今週になって係長が復帰したため、課長から自分のこと(パニック障害を持っていること・それに伴って通院治療を行っていること)について確認した上で、今日が診察日なのでできれば今日中に保険証を出してもらえると・・・と言う話をしたけれど、結局今日の診察には間に合わず。まぁ「自立支援医療があるから大丈夫」と思っていました。その反面、もしかして・・・のパターンも考えました。

そして・・・その「もしかして」のパターンになってしまいました。全額、自費医療です。
事情を話したら「今日は自費で払っていただき、後日確認が出来次第、自費分の差額をお返しします」とのこと。自立支援医療についても「保険が変わったので、そのことを役所の窓口で変更の申請をしてください」とのこと。結局自立支援医療も使うことができず、久しぶりの「全額自己負担」となってしまいました。

病院で自費になったと言うことは、当然薬局も「自費」となります。
その結果、病院で4700円、薬局で13800円、合計18500円が今日の会計です。正直、自費負担はかなりデッカイです、いくら後で償還されるとはいえ・・・(つまり、いつもはこの1割を負担していることになりますね。)

と言うわけで、できるだけ早く・・・と言うか、来週中に保険証が欲しいです。その上で、来週の土曜日に市役所で申請ができるかと言うことになります。もし土曜日が申請できなかった場合は・・・そのときは、仕事を1日休んで届出をしなければならないこととなり、できれば少しでも給料のために避けたいのですが・・・この流れでいくと「最悪」のパターンになりそうです。

とにかく、まずは来週中に保険証が来ることを祈って・・・っていうか、保険証がないと何も進まない状態です・・・


(おまけ)
昨日のblogで穴あけに関して「明日は明日の人におまかせー、って感じですかね」と書きましたが・・・
結局、その「明日の人」は自分でした。1日中穴あけ機と格闘して、すべてのショッピングバックに穴を開けていました。あー、そんなはずじゃなかったのに・・・でも細かい作業から解放されていたから・・・ま、いっか(^^♪

2007.04.12

オイラだけじゃないのね・・・

今日は「初」ものづくし。
自分の部屋付きの職員(自分を含めて4人)のうち、3人が休暇でオイラだけの状態。他から応援をもらうものの、実質的には自分がこの部屋を動かしていかなければならない状態。まだ入って2週間も経っていないのに、そんな状況に追い込まれるとは夢にも思わないこと。まぁ今日に関しては応援の職員さんのおかげ、ボランティアさんのおかげで何とかすることができ、また自分自身も始めての現場経験ではないためそつなくコントロールした状態。うん、あんまり必死こいてもしょうがないので、今日のできはそれでいいのかもしれません。

そして、穴あけ機デビューから3日・・・ついに、実践となりました。
新しい袋が入り、それに伴って穴あけ機の設定を変える必要があったため、否が応でも穴あけ機に向かなければなりません。で、ちょうど自分が休憩から帰ってきたときに、応援で入った係長が対応をしていたため「あ、オレは大丈夫だ・・・」と思ったのも束の間、係長から「Mitakeさん、穴あけ機の使い方、教わった?」と聞かれ、「あ、ハイ、一応一通りは・・・」と答えると、係長から「じゃ、ちょっと調整してくれないか?」と一言。

エッー!マジっすか?いきなり「マイスター」の領域に足を踏み込まないといけないんですかぁ・・・って感じ。
どうやら係長もあんまり経験がないため、必然的に自分にその番がまわってきた状態。既にドリルのサイズと穴あけ幅は調整が終わっていたため、後は台座の調整のみ・・・って、一番難しいところじゃないですかぁ・・・でもこれをやらないと利用者さんの作業に影響が出るため、とりあえずは基本どおりに台座をあわせて、別の紙に試しあけをしてみると・・・なんとピッタリ。穴あけの幅・穴~袋の端までの幅が見事ピッタリに。まさに奇跡。うまくいったため、次は商品の袋に実際に試しあけ。それでも間違えなくピッタリだったため、別の職員の人に確認をしてもらい、OKを貰っていざ穴あけ開始。もちろん「ボツ」(不良品)も出してしまいましたが、やっぱり自分のペースでは限界があるのも確か。とりあえず今日の作業分は何とか足りたけど、明日の分のストックは非常に少ないため、明日が大変。でも明日は職員も全員揃うから無理に自分から率先して穴あけをやる必要もないので、明日は明日の人におまかせー、って感じですかね(^_^)

また今日から「台所当番」が回ってきました。台所デビューです。
と言っても、やることは「昼食後の湯のみ洗い」と「台布巾の洗濯」だけです。が、量はやや多めであり、正直「腰が辛い・・・」と言う感じで、洗い物をしている間に午後の作業が始まってしまう、という状況になってしまいました。もちろん「ここでのやり方」があるので、やり方を1からレクチャーしていただきましたが、実はレクチャーを受けたのは、自分がへこみ要因となった職員の人からのレクチャー。戦々恐々としながらも1から教わっていくオイラ。で一通り教わってその職員さんがいなくなった後に、別の職員さんから一言。「○○さんは(言い方などの)あたりは強いけど、別に悪気があって言っているわけじゃないから、気にしないで大丈夫だよ」と。さらに「今年定年だから・・・(^_^;) 」と、自分を安心させてくれる言葉をかけていただいて、本当に恐縮ですぅ~・・・と言う状態。また別の職員さんも自分の状態を同情してくれる言葉をかけていただき、「あぁ、(キツイなぁ・・・と)感じているのは、オイラだけじゃないんだ」と、妙な安心感を持ちました。これで少しだけ、気が楽になった感じです。

さぁ、今週の仕事も明日で終わり。持てる力をすべて出して、「精いっぱい」やりたいと思います。

2007.04.11

緊急対応

仕事が始まったためあまり触れていませんが、実は昨日、母親の再手術日でした。
3週間前にシャント手術をしたのですが、今回は別の箇所を手術。

今回の手術は、内容としては「血栓除去手術」。
経緯は、先週の土曜日に「(手術による)感染症の疑いがある」と言うことで新宿の病院まで行くことに。(ちなみに今回は「仕事をしている自分」に対して配慮してもらったのか、1人で受診)で、それ以前に先週の火曜日に腕の状態を見てみることに。すると静脈に血栓ができていることがエコー診断で判明。しかもこの血栓、随分前からできていたものらしい。じゃなんで見つからなかったのかと言うと、今までは血流量が非常に多かったため、血栓があっても血流量の多さで血栓を圧倒(?)していた状態だったため、今までは血栓ができていることがわからなかったとのこと。しかし人工血管手術をして血流量が少なくなり、通常範囲内の血流量に下がったため、血栓の存在が明らかになることに。血栓が見つかった時点で「なくならなかった、手術」と言うことで、血液をサラサラにする薬を処方して様子を見ていたけど、結局血栓が全部なくなることはなく、血栓除去の再手術が行われたわけです。

その結果、当初は血栓だけを取る予定でしたがうまくいかなかったため、再び人工血管を埋設する方法となりました。そして出血の方は・・・昨日は前回のような大きな出血はなく安定していたので、今日の透析も昼間に通常通りにやっていました。
ところが、夜になって状態が急変。昼間の透析時に手術部の消毒をし、新しいガーゼに取り替えたのですが、夜になって気がつくとガーゼが赤くなっていることに気づく。それも鮮血。出血が始まって間もない状態であることが考えられたため、透析施設に電話。本来ならば明日朝一で・・・となるのですが、本当の「本来」は「夜間透析」であること。今の昼間透析は手術諸々の理由で休職しているため、時間のある「昼間」に透析をしているだけのこと。本来は「夜間」が通常なのです。で、今日は夜間透析を実施しているため電話をして対応を相談した結果、病院に行くことに。急遽、車で病院に直行することになりました。

出血に気がついたのは、ちょうど自分がお風呂に入ろうと思っていたときのこと。
気がつくのが遅かったら、多分対応はできなかったと思います。まぁ「緊急対応」と言うほどのことではないのかもしれませんが、やはり術部から出血していることが確認できる以上は、それなりの対応をしたほうがいいでしょう。事実、今回の止血も前回同様、先生のピンポイント止血で簡単にストップ。一応年には念を入れ、ガーゼの方には多少の出血をしても大丈夫なような処置をしてくださったみたいで、とりあえず今日・明日は大丈夫な状態になっているみたいです。

でもホントに、自分が風呂に入る前に気がついてよかったです。
ただ仕事復帰は、もうちょっと先かな・・・と言う感じです。もしかしたら傷病手当ももらえるかな・・・と言うわけで、明日そのことを行ってみることにします。今日は既に(-_-)zzzなので・・・(^_^;)

2007.04.10

やや、へこみ気味・・・

うーん・・・タイトル、そのまんまです。

授産施設&デイのときは比較的早く職場に順応していたのですが、今回はちょっと時間がかかりそうです。自分からも順応しおうと頑張っては見ているのですが・・・どうも空回り気味。

もちろん自分がどう言う人間なのかが知られていないと言うこともあるのですが・・・
今日はちょっといろいろあって、若干凹み気味です。やっぱり自分は、何となくまだ「蚊帳の外」にいるような感じ。

いや、仕事面(作業面)は何とかなっているのですが、人間関係ではまだまだ・・・といったところ。
内向的で人見知りをする割には、周囲の環境に応じて対応していったり社交性を発揮して何とかしていたのですが・・・今回は今のところ、あんまり芳しい状態ではありません。

まだ1週間とちょっとしか経っていないので、今の時点ですべてを求めるのは困難だと思っていますが・・・
でも初めてデイに入ったときに比べると、やっぱり順応の速度は遅いかな、と言う感じ。多分一番の要因は「職員環境」なのかなぁ・・・と感じている部分もあります。デイのときは常勤・非常勤に関わらず全員にデスクがあり、デスクで顔を合わせてのミーティング。しかし今の職場は常勤のみにデスクがあり、ミーティングも常勤・非常勤別に行っている状態。さらに週によっては職員全員の顔をそろえてのミーティングがないこともあり。少しでも全員が顔をそろえる機会があれば、順応はもっと早く進むのかもしれませんが、それがない以上は順応にしばらく時間がかかるのは仕方がないことなのかもしれません。もちろん、自分も努力しているのですが・・・

こんな「凹んだ自分」がいるのと同時に、若干「割り切った自分」がいるのも事実。
仕事を軽視しているわけではありませんが、自分自身の負担にならないように「自分は契約社員だから、辞めようと思えば何時でも辞められるんだ」とか「そんなに一生懸命になる必要はない」など、自分の「ココロ」に負担がかかり過ぎないように、割り切って考えている部分があるのも事実です。
でも・・・「辞めようと思えば辞められる」と言っても、今は自分自身の「リハビリテーション」の段階。果たして今の施設が「リハビリテーション」として望ましい施設なのかどうかはわかりませんが、とりあえずの「就職口・リハビリテーション」の場所としてパート職を選んだと言うのもあるので、どこまでを自分の中で「許す」のかは、自分のさじ加減次第になるのでしょう。あとは、今週が通院の日なので、そこでDrとのカウンセリング(本当は精神療法)で次へ、次へと見出していくのでしょう。

ちょっと今日は、気分の沈んだMitakeであります。

2007.04.09

マイスターの技

2週目突入。今日は何となく「手持ち無沙汰」になる場面が多々あり。
もちろん、1週目で教わったことはそつなくやっています。工賃記録や、連絡帳書きとかも。
そして今日は、また新たなことを教わりました。それは・・・穴あけ。

そう、前の授産施設でも経験した、ショッピングバックの穴あけです。
とはいえ、授産施設のときは「手動式」の穴あけ機であり、また穴あけ機の調整をすることもなかったため、実質「穴あけ」をやるのは、初めての状態。しかも、ペダルで操作する「自動式」の穴あけ機。

一見、見ている分には簡単そうに見えますが、実は「穴あけ」って結構慎重な作業。
事実、授産施設のときも手動式ながら「ボツ」を何度も出した経験があり、「穴あけ」と聞いただけで戦々恐々の状態。
ましてや、自動式なので不安は増幅。

で、今日の結論から言うと・・・やっぱり、ボツを出しました・・・
所詮、自分の技術なんてそんなものです、ハイ・・・......_| ̄|○...

しかし、「ちゃんと穴をあける」ことが「マイスター」ではない。真のマイスターは、「微調整」ができること。

微調整・・・その名の通り、微妙な調整をすることです。
しかしこの穴あけ、額面どおりにやってうまくいく・・・と言うものではないのです、ハイ。

もちろん穴あけ機にはメモリがついています。だから、メモリどおりやれば普通にできるのですが・・・
実はこの「メモリ」と言うものが厄介で、そのメモリを信じて調整すると、絶対に「失敗」するのです。
つ・ま・り・・・穴あけ機のメモリは完全には当てにならない、と言うことです。

まず、台座のメモリが本来のセンターから5mmずれています・・・これだけで第1の壁。
また穴あけの幅も、メモリどおりに合わせても必ずしも設定したとおりの幅になることはない。そのため、いきなりショッピングバックに穴あけをするのではなく、試しあけをすることに。

でも・・・一発でちゃんと穴あけができるのは、至難の業。
最初の設定から、袋の幅・穴あけの幅・穴~袋の端までの間隔がキチンと揃うまでには「台座」と「穴あけ幅」を微妙に調整をしなければならず、これがまともにできるまでには結構時間がかかる。しかも、この作業所で穴あけ機は1台のみで、自分が今属している作業室の職員はできるようになることが「使命」となっているらしい。おまけに、職員の人(正職さん)曰く、「この作業は経験とカンが頼り」とのこと。
これぞまさしく、マイスター級の技を必要とするのです。

うっ・・・また大変なことをしなければならないみたいです。
穴あけは100歩譲ってゆっくりやるとしても、新しく穴あけを設定するのは、正直自分は避けたいものです。ですから、なるべく穴あけ機の近くにいることを避けよう・・・と思っていますが、実際はそんなこと言ってられません。週明けから何となく「憂鬱」な状態・・・まだ今週は始まったばっかりなのに。

って言うか・・・その「技」を習得する前に、あるいは習得した時にはすでに「別の場所」にいるのかもしれませんが・・・(謎)

2007.04.08

当選速報

今日は統一地方選の投票日。一応、行ってきました。

で、夜。開票が開始。ケータイは自分の部屋に置いておいて、下の居間でジャンクSPORTSを見る。すると「選挙速報」と、画面の上部にテロップ表示される。
と同時に、部屋のどこからかケータイのバイブが振るえている音が。

その、その正体は、オイラのケータイ。
実はオイラの部屋、増築した部屋の1つが自分の部屋。そのため、ケータイのバイブ音などはすべて振動として下の部屋に伝わるため、仮に自分の手元になくてもバイブになっていれば大体は「あ、今鳴っている」とわかる状態。

そして・・・メッセージRでニュース配信を行っているため、すべての知事選の速報がメッセージとして着信。
その数・・・10件、すべて「号外」として着信。

ケータイの設定では、メールやメッセージの着信は「10秒」で設定。
つまり、選挙メッセージの着信だけで10件×10秒=100秒、1時間の間に1分40秒の着信があった計算となる。

まぁこればかりは自分で設定しているため、いらないものでも着信してしまうのはしょうがないこと。
ただ逆にそれで情報を得ている部分もあるので、今回の着信は「仕方がない」着信なのかもしれません。

それにしても・・・昨日といい今日といい、なんな内容の薄っぺらいblogですね。
いかに仕事関係の記事の内容が深いかを改めて感じさせますね。もちろん、失業中も色々と記事は考えながら書いていましたけどね・・・

さぁ、今週も1週間、精いっぱいやることにしますか・・・ハイ。

2007.04.07

ケータイ対応

仕事を再開してからの、最初の休み。
普段起きる時間に目覚めてしまいましたが、お休みなのでそのまま寝てしまいました。モチロン、睡眠バッチリです。いや、もっと寝てもいいかも・・・(^^ゞ

さてさて、ココログが先日メンテナンスをしたのと同時に、バージョンアップもしたみたいです。
そして待望の、「blogケータイ閲覧」が可能になったとのことです。ヒジョーに、素晴らしいことです。

今まではココログのサイトをケータイ版に変換して提供していました。そのため、QRコードもメーカーで自作のものを画像として提供してきましたが、今回からは自動生成されたQRコードで提供されることになりました。

もちろん既に、QRコードは表示してありますので、ケータイから閲覧の際は、どうぞQRコードを読み取って閲覧してやってください。
なお、今回のバージョンアップにより、今までのQRコードは外させていただきました。

あ、あと今はYahooの検索窓を設置していますが、どうやら右サイドバーの一番下の方に、検索ボックスができたみたいです。多分そっちの方が性能がいいと思いますので、サイト内検索もそちらの方を利用していただければ・・・と思います。

なおミクシー経由の方は、やはり反映されないみたいですので、ミクシーのフロフでご案内をしたいと思います。

と言うわけで、今日はこの辺で・・・終了!

2007.04.06

長かった1週間

1年ぶりの仕事復帰のためか、今週は非常に1週間が長く感じました。
ホント、「疲れた」と言うよりも「ようやく1週間が終わった」といった感じでしょうか。体力的には問題ないのですが・・・

事実、今日は午後からお花見散策。
途中で休憩した公園では利用者さんと一緒にサッカーをしたり、体力測定(?)みたいなこともした。散策も全然苦にならず、むしろ「物足りない」感じすらする。その辺は、知障デイでの散歩付添が1年経った今でもまだ体にしみ付いているのかなぁ・・・と感じる。

そんなこんなで初回・第1週を終えたわけですが・・・やっぱり長く感じましたね、繰り返しますが。
もちろん「慣れていない」「手持ち無沙汰になる」「利用者の名前・作業能力が把握できていない」と言うのが要因の1つにあるとは思いますが・・・実際、軽いパニック症状が1日だけ出たかな・・・と言うものもあったし、「環境変化」に対応しきれていないから、1週間が長く感じたのかもしれません。

授産の時代も1週間を長く感じることがありましたが、そのときは「体力面」で感じたもの。
知障デイでも1週間を長く感じることがあったけど、これもやっぱり「体力面」から感じたもの。
で、今回は・・・うーん、今回は「精神面」から感じているのかなぁ・・・事実、今週のblogを見れば色々と感じた事を書いているから、その部分が自分の中で完全に消化しきれていないのかもしれませんが・・・

まぁ「慣れ」がコワいと思っているうちは、適度の緊張感を持っており、また初心の気持ちで挑んでいるので、ある意味この状態は「いい状態」なのかもしれません。物事に「慣れ」ができてしまうと、利用者の反応・対応とかを端的な理由に結び付けてしまう傾向がでてしまうので・・・今の自分は何が利用者からのアピール・サインなのかが知らない状態。だから些細な出来事でも「これはどうなのか」と考えることができるけど、これが段々と「慣れ」になってしまうと、「この利用者は~だから・・・」と結び付けてしまう可能性を孕んでしまう。そういった意味では、今は利用者の行動に対して真正面から受け止めている自分がいるから、ある意味で基本を忠実に歩んでいるのかな・・・と思う。そう、支援を行うにあたって大切な「傾聴」の精神。

と言うわけで、とりあえずは無事に終わった1週間でした。さぁ、来週も・・・かぁ、ハァ(-_-)zzz

2007.04.05

まだまだ、ペースつかめず・・・

昨日は「貝になる」って言ったけど、本当に「貝」になれるかなぁ・・・
フラストレーションが溜まりそうな気がするけど・・・主旨は昨日と同じだから、省略。

まぁ昨日も書いているように、まだ4日目ですから、物事の「ペース」がつかめないのは当然です。
今日も午前中に利用者さんの連絡ノートを確認しようと思い、ノートを確認しようとすると、何かの封入物あり。何かなぁ・・・と思って確認しているとパートのおばちゃんから「これは○○さんが入れたものです!勝手に確認しないで下さい!」とものすごい剣幕で言われてしまい、何も言えず。
って言うか、その前に「これはどうすれば・・・」と聞こうと思った矢先に言われてしまったので、何もこっちは意見できず。

また利用者に対しても、まだペースがつかめていない状態。
作業中に関しては多少のペースをつかんだものの、作業外では全くつかめない状態。特に「対利用者」で、まだ今の時点で接点のない利用者に対して、窓ガラスが空いたまま入ってきた利用者に対して「○○さん、まだドアが開いていますよ」と、自分では「声掛け」をしたつもりだったのが、利用者にとってはそれが「注意」「怒られた」と捉えられてしまったみたいで、その利用者が動かない状態を見て、自分が閉めようと窓ガラスの方・・・と言うか、その利用者の方に行こうとしたら、「バン!」と勢いよく利用者が閉めてしまい、興奮状態に。後から別の職員さんが自分のところに来て「○○さんは、直接注意すると怒ってしまうので・・・特に知らない人だと・・・」とのこと。
自分が接した利用者は3分の1程度、まだまだ・・・といったところです。

でもねぇ・・・その利用者の「衝動性」と言うか、「感情を抑える」とかって、社会に出るにあたって重要なことだと思うんですよね。今の福祉の基本的な流れは「障害者も地域社会の中で」と言う風になってきているけど、でもそこはやっぱりある種の「ギブ・アンド・テイク」みたいなものもあると思うんですよね。例えば利用者さんを怒らせてしまった自分の行動。これは「作業所」という小さな社会の中だから通用するのですが、本当の社会に出たときに、見知らぬ人に注意されてカッとなって他害した、と言うわけにはいかないと思うんです。「障害者だからゴメンネ」では済まされないことだと思うんです。その証拠に、自分が行こうとしたら怒りながら閉めた、と言うことは「開いているから閉めて」と言う意思は伝わっていながらも、自分の意にそぐわない状況だから怒る、と言うのは、ちょっと言葉が悪いですがある意味「確信犯」的なことですよね。

一番端的でわかりやすい事例があったので、このことを取り上げましたが、要は「修正できるのか、修正できないのか」と言うことであり、修正ができるキャパシティがあるのであれば、それを修正していくことも必要なんじゃないか、と思うんです。結局それが「個別支援」につながっていくものであり、支援をすることによって「小さな社会」から「大きな社会」へと出て行くことができると思うんです。逆に修正ができない場合・・・そのときは「それはそれ」と受け止めて、「じゃどうすれば社会との妥結点を見出せるか」を支援していくことが、プロとしてのあり方なのかなぁ・・・と感じます。

自分が授産時代に、個別支援を計画するに当たって教え込まれたことは「いかにその人らしい生活を送っていくか」が支援の大黒柱にあると言うことです。言うなれば、木の大きな「幹」であり、実際に行う個別支援計画と言うのが「枝葉」になると考えています。これが俗に言う「QOLの向上」と言うものなのかもしれません。
うーん、まだまだ勉強が足りませんねぇ・・・オイラ。

2007.04.04

自分なりに・・・

正直なところ、昨日はココログのメンテナンスに救われた形です。
昨日はちょっとブルーな気分だったので、そういうときにかく内容はどうしても「閉塞感」のある内容になってしまうので・・・
かといって、今日の内容も若干「閉塞」気味かも・・・

勤務3日目、今日から色々と教わりながらの仕事が本格的に始まりました。
職員の人数が少ないときの対応の仕方や、作業工程のチェックの仕方など、色々と覚えながらの毎日です。もちろん利用者の「顔」と「名前」を一致させることも、結構大切・・・って言うか、そこがわからないと何にも話が進まないので、まずは配属された場所で顔と名前の一致に必至になっている状態です。

その一方で、とりあえず今年は「貝」になるつもりに・・・
やっぱり初めて来た場所なので、いきなりあーだこーだ言っても、その発言に説得力がないのは事実。でも、3日目でも色々感じることがあります。

職員の人には、自分が何故この作業所に来たのかは、その真相は伏せたまま。
とりあえず「異動でここに来た」と言う表向きの理由をつけての状態。もちろん真相はこのblogで書いたとおりのこと。デイ復帰を希望していたものの、発作を不安視されて福作に落ち着いたと言うこと。当然、自分の障害のことは全くのクローズの状態。できることなら、こう言うことは表向きに言うことは避けたい気持ち。ただ、直接の長となる人には、当然知っていてもらいたいこと。今までの経緯を知った上で自分を雇っていることだけは理解していて欲しい状態。(ただ、その直接の長も、不幸があり忌引の状態。だから正式な契約などはまだ全然済んでいない状態。さらに一番心配しているのは、健康保険。当然変わっているので、保険証は早急に欲しい。でないと、来週の通院に間に合わないかも。まぁ「自立支援医療」を受けているから、そんなに急がなくてもいいのかもしれないけど・・・)

まぁそういった状態で「表向き」はやっていますが、3日目で感じるのは、やはり「甘い」と言うこと。
「甘い」と言うのはデイにいたときも感じていたことであり、法人(もちろん具体的な法人名は言えませんが・・・)と言う名の下に「胡坐」を書いている状態かな・・・と感じている。特に、まだ勤務して3日しかたっていないけど、この作業所が「どこに向かっているのか」がまだビジョンとして見えていない状態。一応先日の面接では「就労支援・就労継続B型、地域センター」を軸に考えているとのことだが、それのための「記録」と言うのは全くの不備の状態。自分は法内の授産から始まったから、そういった記録類・フェースシート・アセスメントなどは「当然のもの」と考えているため、それが整っていない時点で「ウッソン」と思ってしまっている現状。

さらに「甘い」と感じるのは、利用者と職員の関係。
今日も帰るときに利用者の一人から「Mitake先生」との声。思わず「ちょっと待って。ここには先生はいない。いるのは、Mitakeだよ」と、基本の基本を修正。あくまでも自分が行っていることは「支援・援助」であり、何かを特別に教えているわけじゃないし、ここは学校ではない。あくまでもここは「作業所」であって、基本的は「対等な立場」であることは言うまでもない。そこの修正ができていない時点で、旧態依然の体制であることは言うまでもない状態。自分が直接言うことがなくても、そこらへんで「~先生」と言う声も聞こえるし、自分にとっては「違和感」以外の何者でもない。もちろん「自分の支援観」について、歳の近い人と色々話したけど、やっぱり思っていることは大体似ている状態。正職の人の話も聞いたけど、その考え方にはある程度参考になるな、少しは同意できるなと感じる部分があるので、恐らく「今の現状」に満足していることはないと考えている。

もちろん利用者との関係はまだまだこれから構築していかなければならないけど、自分がどんな場所で腹多幸としても、自分の「基本スタンス」は変えるつもりはありません。歳の近い人からは「社会福祉士とって、すごいですねぇ・・・」と言われたけど、「社会福祉士」をとったのは、あくまで福祉の現場で働くために取った「武器」に過ぎず、自分が持っている「社会福祉士」を生かすも殺すも自分次第。正直、今の状態ではまだ「社会福祉士としてのアイデンティティ」はまだ発揮できていない状態だけど、いずれは「社会福祉士」を専門職として活かせる職に就きたいと考えているのは事実。もちろん、このまま一生福作で働くことは毛頭考えていないことだし、いつかは動くつもり。もちろんそれが1年後か2年後か、はたまたもっと先になるのかはまだわからないけど、今の時点での目標は「正職員」になること。もちろんそれは「ゴール」ではなく「スタート」であることは変わらないけど、やはり自分としては「社会福祉士」を発揮できる仕事に就きたいと考えているのは事実。

そのためには、もしかしたらこの先衝突することも出てくるかもしれませんが、あくまで「自分なりに考えたこと」はその信念を貫いて行きたいと考えています。

2007.04.02

復帰初日

ようやく・・・と言うか、とうとうと言うか・・・1年ぶりの現場復帰です。

初日から雨に見舞われ、あわや遅刻かも・・・と焦りながらもギリギリセーフ。
これでも余裕を見て出てきたつもりでしたが、やっぱりバスの時刻は計算できません。なので、明日はもう1本早く乗ろうと思っています。もっとも、今日は勝手がわからないため昼食をコンビニで買って行ったので、その分だけ遅くなったといった方が正しいでしょう。案の定、その日に昼食が注文できることも知って、明日からお弁当を注文。コンビニで買うよりも安く上がるので、そっちの方が「経済的」です。しかもコンビニによらないで済むので、その分バスも早く乗れますし。

このblogでも触れているように、3度目の勤務先は「福祉作業所」。
もちろん授産施設での経験があるから、ある程度の流れはわかっているけど、やはりここは初心に帰り、そして「郷に入っては郷に従え」の精神で、1つずつ聞きながら作業・・・と言うよりは検品を行っていました。強いて「聞かなかったこと」と言えば、男性トイレのある場所を聞かずに、女性トイレに間違って入ってしまった程度ですが・・・(^^ゞ

ただ、今回の施設は「休憩時間」の取り方が変則的。
45分休憩だけど、基本、昼食時の休憩はなし。利用者と一緒に昼食を食べて、一緒に過ごす形。
その代わり、午前ないし午後にまとめて「45分」の休憩を一括して取る形に。今日の場合、自分は「10:00~10:45」が休憩時間だったので、この時間にまとめて取りました。

で、初日の感想ですが・・・思ったよりも「入り」がうまくいったかな、といった感じです。
どうしても「最初の日」であるために利用者さんもちょっと身構えるかな・・・と思ったのですが、結構利用者さんの入りもスムーズで、初日から利用者さんと色々話したりもしました。利用者さんの作業チェックも滞ることなくすることができ、初日としては「及第点」かな、といったところです。
でもやっぱり内心は「デイサービスに復帰したかったなぁ」と言う気持ちがあるのも事実。ただ、月日が経てばここでの仕事も慣れてきて、「デイ復帰願望」もなくなってくるのかな・・・と思います。

早起きはちと辛いですが、まずは「1年間」、やってみたいと思います。


(おまけ)
「休憩時間が変則的」と書いたように、正直いきなり休憩・・・となっても戸惑っているオイラ。
そのため、施設の周りを散策してきました。デイの時に買物で行ったスーパーも、散策範囲でした。
そして散策の記念に、サクラを1枚。自分の人生もこれから「サクラ色」になることを願いつつ・・・
Dvc00004

2007.04.01

不安な気持ち

明日から仕事です。でも、不安いっぱいです・・・もちろん、「病的」な不安ではありません。

不安と言うか、緊張と言うか・・・一度ミスマッチを経験しているからかもしれません。
でも「頭で考えるより、とにかく行動あるのみ」の心構えで明日から仕事をしていこうと思っています。

こんな不安になる気持ちは、「現場をわかっている」からこそ不安になっているのだと思います。
まだ現場のことを知らない、まっさらな状態だったなら「あるがまま」を受け入れることができるのだと思いますが、一番最初のスタートの現場が厳しいところだったからこそ、「物足りなさ」と言う不安をもっているのかもしれません。

事実、先日見学に行った際に色々と質問をしましたが、答えを聞いて「福作だからか、遅れているなぁ・・・」と思った事実もありますし、まだまだ整っていない、これから自立支援法に向けての方向性が見えていないなぁ・・・と言う部分もあります。病院のDrからも言われているとおり、自分は上昇志向の高い人間。だから「さらに、上へ」を目指したい部分があるのが事実。だから正直なところ、デイサービスに復帰できれば、1年間休職して感じたことを遠慮なく言うことができるかなぁ・・・と思っていた部分がありました。

でも、自分の復帰先はデイではなく福作。
デイにはデイの考え方があったように、福作には福作なりの考え方があるのも事実。休職中には小規模作業所・授産施設の実習をして「授産・作業所」にはいろんな考え方があるものだと言うことを実感しました。だからそのベースを元に、明日から仕事をするわけですが・・・1年ぶりの復帰、やっぱり不安イッパイです。

まぁ、今の自分に何か一言言うのであれば、「気負うな、受身であれ」と言うことでしょうか。
そう、初めて就職した授産施設のときの気持ちで挑んでみな、と言うことです。まだ右も左もわからなかった授産時代。主任に色々と怒鳴られて経験をしたり、感じたりした部分もありました。だから明日からの仕事も「キャリアのない」状態で挑めばいいのかもしれません。その上で、気になったりわからないことがあったら遠慮なくその思いをぶつけていけばいいのかもしれません。

多分今夜は神経が高ぶって眠れないでしょう・・・まぁ、それくらいの緊張感を持ったほうがいいのかもしれません。
いよいよ明日から、「業務報告(2007年度)」が始まります。

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