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思ひ出アルバム

  • 卒業式が終わって・・・
    以前HPで行っていた「todya's photo」の写真や「御岳写真館」で使用していた写真を再び復活させるべく、「思ひ出アルバム」として随時更新していきたいと思います。また最近の写真でも「思ひ出」となるものについては、ここに納められていくことになるでしょう。

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2007年3月

2007.03.31

今年度を振り返ると・・・

と言っても、振り返りようがありません。長いようで短かった2007年度が終わります。

うーん、この1年間で自分は何を得たのだろうか・・・
1つだけ言えることは「働けることの喜び・幸せさ」と言うことを「失業者」になって初めて実感しましたねぇ。働いている時は、資格が給与に反映されていないだの、サービス残業が多いだの、やることが多すぎてその場から逃げ出してしまいたいだの、色々と思っていましたが、いざ自分が仕事を離れて求職活動をすることによって、「働けることの素晴らしさ」と言うのを強く実感しましたね。まぁ失業の形が「契約満了による退職」だったため、ある意味本意ではなかった部分がありながらも、続けていればなぁ・・・と思う部分も多々あり。

それに付随して、「障害者の壁」をこの1年間で痛いほどに痛感しました。
どんなことをやろうとしても「障害」を持っているがために阻まれてしまったり、障害を理由に断られてしまったり・・・もちろんすべてが「障害」を理由にしているものではなかったけど、経歴で落とされてしまったり、仕事とのミスマッチでダメになってしまったり・・・と、色々ありました。1度は就職が決まりかけたものの、ミスマッチで自分から辞退したことがあれば、「あなたは福祉に向いていない」と自己否定をされてしまったりと、本当に就職活動の困難さを身を持って実感しました。

正直なところ、1年間を棒に振ってしまったかな・・・と言う印象はあります。
しかし逆に1年間、仕事から離れてみて気がついたことや感じたことがあったのも事実です。「働けることのありがたさ」を実感したのも、1年間仕事をしなければ味わうことのできなかったことだと思います。

来週の月曜日からは、社会人5年目・・・失業期間を引けば4年目を迎えます。
正直なところ、20代で2回も転職するなんて考えていませんでした。さらに、今度の施設が3つ目の施設。
20代で3ヶ所の施設を経験するなんて、思いもしませんでした。多分20代でこれ以上の転職活動をすることはないと思いたいのですが・・・人生は何が起こるかわかりませんので、もしかしたら20代であと1回活動をするかもしれませんが・・・うーん、やっぱり20代での転職活動は、今回で終わりにしたいですね。
ただ、今の状態でいいとは思っていませんので、30代では絶対に1回は活動をするでしょう。とにかく今は、1つでも多くの「経験」を積み重ねていくだけです。そして積み重ねたものを持って、次の転職に活かすことが、自分には必要なのかもしれません。

また新しい年度が始まります。いろんな意味で、出会いのある1年になることを祈っています。

2007.03.30

「のほほん」も、あと少し。

本日、定期通院日。
稀にある「月3回」の通院日。基本は2週間に1回だから「月2回」がベースだが、今回は通院の週が「第5週」までかかったために、「月3回」の通院に。こう言うパターンは珍しいケース。でも次回から保険が変わるため、保険証が届くまでの期間を考えると、今回の「月3回」はありがたい状態。

で、診察はここのところは変化無し。薬も変化なし。
前回がパートでの勤務に関してGOサインが出たのに続いて、今回はその後の状況についての報告。若干納得できていない部分があるけど、頭で考えるより行動に移したほうがいいと思って・・・と言うと「それはいい考え方だ」と、一応は評価された形。これで、基本的にデイタイムの診察は終了、次回からは基本金曜の夕方、あるいは土曜日の形に。ただ金曜日は夜もやっているため、仕事上の都合を考えると「金曜夕方~夜」のパターンになるかな・・・もちろん先生が休診の場合は変則パターンも生じるかもしれないけどね。

通院終了後、途中の駅で「PASMO定期券」を購入。
4月からの通勤に備え、PASMO1枚だけで済む形にするため、窓口に行って購入。今までの磁気定期券なら窓口に行かなくても買えたけど、今回は「2系統」にわたるため、窓口で2系統分を一括購入。3か月分を購入したため、定期の金額は約6万5千円。それにチャージ5000円を加え、約7万円の定期券。2系統を分割して買っていたときはさほど額の大きさを気にしなかったけど、2系統をまとめて買うと改めて「金のかかる場所に勤めるなぁ・・・」としみじみ実感。既にSuica定期券は持っているものの、今回はJRを使わないため、Suicaは全く意味なし。無駄にチャージしているため、少しでもSuicaのチャージを減らすために、ファミマでお昼をSuicaで購入。でもレジの支払いを見ると「SuicaPASMO支払」と表示されており、SuicaもPASMOも両方使えることを知る。「なんだぁ・・・」と思いながら、帰宅。

帰宅して久々にコンビニ弁当を食べた後は、若干の休息。
その後、今週は昼間に透析を行っている母親の病院へ迎えに。夜間の透析の時は「這う這うの体」で帰ってくるのに、昼間の透析の場合はピンピンしっかりしている。やはり「仕事をして透析」と「仕事をしないで透析」ではこんなに体調の差があるんだぁ・・・と母親と共に実感。その後、母親を連れて市役所へ。昨日から配布が始まった「福祉タクシー券」を受け取りに。その後はバイパスを使って、ドコモショップに。やはり前回は「開通日」だったためか、今日はスムーズに流れており、やっと本来の「バイパス」の意味を成してきているなぁ・・・と実感。

ドコモショップでは、故障・・・と言うか、ちょっと文句を言いに。
ケータイをフルに充電しても、電池が1日も持たない状態。そんでもって、持ち込んだ今日もショップについた時点で電池はゼロ。電源すら入らない状態。ショップの方で確認をしてもらうが、本体・電池共に「正常」とのこと。ただ、買って1ヶ月も経たずにこの状況であるため、電池パックを交換して様子を見ることに。それでダメだったら、今度はケータイの方も・・・と言う形で落ち着く。

とまぁ、なんてのんびりズラズラ書いた内容でしょうか。
こんな「のほほん」と書けるのも、あと数日。4月からは新生活も始まり、blogの内容もだいぶ変化があるでしょう。
でもね・・・4月3日はメンテナンスで、いきなり書けない日があるのね・・・(>_<)

2007.03.29

4月から復職

4月からの復職が決まりました。福祉作業所の職員としてです。
ここでも何度か4月以降の動向について話してきましたが、今日すべてが話せることになりました。

当初「復職」を予定していたのは、以前勤務していた知的障害者のデイサービスセンターへの復職でした。
利用人員増員に伴い、新たに職員を増やすために「もし良かったら・・・」と言う形で声がかかっていました。当時はまだ他の選考も残っていたためすぐには返答ができなかったのですが、正規で応募したところが不採用になったため、話に乗ることにしました。

当初は何の問題もなく復職ができる予定でした。ところが、ここで「障害」の件が問題になったのです。
実は以前働いていた知障デイサービスセンターは身体障害者のデイサービスも併設している施設であり、自分が退職してからすぐに、身障デイの職員が業務中に発作で倒れると言うことがありました。自分は直接の上司に話をしていましたが、その人は発作の話をしていませんでした。

さらに自分の「障害」の件については、さらに上の上司にはハッキリとは伝えてなく、「なんとなく」伝えていた状態でした。
そのため、一度話し合いが持たれ、「発作を持っている以上は、利用者の安全に関わることにつながる」と言われ、話し合いの翌日に知障デイへの復帰がなくなってしまいました。ただ、今回の場合、相手側から最初の話を持ってきたと言う状況もあり、このままでは自分の立場が浮いたままになってしまうため、発作を持っていても支障のない場所・・・直接支援が少ない場所での勤務が提案され、それが今回の知障の福祉作業所でした。

そして今日、福祉作業所に見学に行ってきました。
一言で言えば「どこにでもある民営の作業所」と言う印象であり、大きなバックボーンを持ちながらも細々と運営されているな、と言う印象でした。もちろん「作業所」と聞いた段階である程度のことは予想できていましたが、質問をする中で、利用者の平均工賃が自分の想像よりもはるかに低い現状を知り、自分が持っている「色んな思い」と「働きたい」と言う思いが乖離している部分もあり、正直なところ自宅に帰ってきてから改めてこの話を受けてよかったのか・・・と考える部分もありました。

でも・・・まずは「動く」ことが大事であり、頭で考えるよりも行動することが大事と思い、自分の気持ちを整理しました。
正直なところ、今週中に4月以降のことが決まるとは思ってもいなかったので、ある意味急転直下の状況です。一応働く場所は違っても、同じ法人に復帰するので、形的には「再入社」と言う形になります。当初の自分の思い描いていた形とは異なる部分も多いのですが、Drの指示通りに動いてみることにします。そのうちどこかで「活路」が見出せるかもしれないので・・・

と言うわけで、すべてが決まりましたの今までの経緯についてオープンすることになりました。
4月から「2007年度」の業務報告が始まりますので、改めて「Mitakeの小箱」をよろしくお願いします

2007.03.28

女性専用車両

に初めて乗りました。もちろん、車掌さんの許可を得てです。

事の成り行きは今朝の電話から。
先週に人工血管移植手術を行って、1週間。しかし1週間が経過している時点でかなりの腫れが見られる。そして透析のDrから「状態を見てもらったほうがいい」とのことで、急遽透析終了後に新宿まで行くことに。

そのため、自分も通常の迎えではなく新宿まで行くことを想定した体制で準備。
前もって切符も購入しておき、何かあったときは「印籠」ならぬ「身体障害者手帳」で物事を切り抜けることに。

そして病院に到着。透析Drから既に連絡が入っていたためか、最初はスムーズに進行。
けど、本当の診察はその後だった。

と言うのも・・・この病院、シャント関係に関する外来は原則金曜日のみ。
じゃ他の日は・・・と言うと、他の日はオペ、つまり毎日シャントの手術を行っているのです。なのでオペの終わりの間にうまく時間が取れれば良いのですが、やはりそう物事はうまくいかず、検査が終わって診察を受けるまで、約2時間弱。それから再びエコーで状態を見たりするなどして、約1時間間。結果的には「来週明けにもう一度見させて」とのこと。どうやらシャント肢の腫れは先生の想定外の腫れだったらしく、当初の予定よりも数日早めて状態を見ることに。と同時に「血栓」ができていることも判明。幸い大きな血栓ではなく、溶けて流れる可能性も大きい内容だったため、血栓を溶かす薬を処方してもらうことに。

と言うわけで、当初は「すぐ終わるかなぁ・・・」と思っていたのが、気がついたら18時になっていました。
おまけにケータイの電池はなくなるし、今日は色々と予定が入っていたため、今日の通院は「予想外」のことであり、急いで帰ることにしました。

しかし・・・「帰る」と言っても、時刻はラッシュアワー。
当然腫れている腕をかばいながらの状態、なおかつ急いで帰らなければならない・・・そのためどの方法が一番負担なく急いで帰れるかを考えた結果、「女性専用車両」を利用することに。ラッシュ時でも女性専用車両なら若干の余裕はあり、腕も圧迫されずに済むかな・・・と考え、利用することに。

ただし、「女性専用車両」と言う名がついている以上、自分も同乗しなければなりません。
そこで出てくるのが、身体障害者手帳。車掌さんに手帳を提示し「介助乗車をしたいんですけど・・・」と断りを入れると「あ、どうぞ」と、あっけなく乗車許可。もちろん車内の奥の方まで行ってしまうと圧迫されてしまうので、極力圧迫の少ないドア側の位置・車両最後部を選択。途中警備員さんから「あの~」を声をかけられる場面もあったが、やはりそこは「印籠」をかざして「介助乗車です」と一言。「印籠」を見て、警備員さんも納得。

こうして、人生「初」の「女性専用車両」に乗って帰ってきました。
たしかに女性専用車両の方が普通の車両に比べて余裕(ギュウギュウのすし詰め状態にならない)があり、多少は負担が少なかったかな・・・と思います。とはいえ、こうやって女性専用車両に乗れるのは、「介助者」としてしか乗ることができません。普通に乗っていたら、怒られます・・・ってか、捕まるかも。
でも今日は胸を張って堂々と(と言うほどではないですが・・・)女性専用車両に乗って帰ってきました。

さて、明日も予定はそこそこ入っている状態。頑張らないと・・・自分。

2007.03.27

ポジティブ・シンキング

やはり予想通りの結果となりました。自分は採用されませんでした。
その代わりに、待遇は若干異なるが別の場所を打診されました。そのときはすぐ返答ができず、「考えさせてください」と言うのが精いっぱいでした。

正直なところ、ほぼ確約があったのにもかかわらずこうなったのは、やはり「障害」が理由です。
過去に実績があっても、障害が明らかなものになってしまった以上は、「安全の絶対確保」を理由にはねられてしまいました。もっと言えば、話し合いがもたれた時点で採用が厳しい状態にあることを感じていました。そして昨日の具体的な話し合いで、自分が希望する場所で勤務することは困難かも・・・と感じていました。

結果が何となくわかっていたけれど、やはり悔しいです。
代替案も時給が下がり、また場所も今までより遠い場所になることで、すぐに返答はできませんでした。そんな状態で午前中を過ごしました。もう頭の中が真っ白の状態でした。落ち込みました。

でも今回は切り替えが早くできました。
午後から母親と一緒に買物に出かけましたが、車を運転しながら今後のことを考えた時に、「新しい世界を見ることも必要かな」と感じるようになりました。今までの経験は授産施設とデイサービスの2つだけ。知っている世界で仕事をするのは容易いことかもしれないけど、一方で「その世界」だけしか見れないことになってしまうかな・・・と感じることも事実。だったら、この際新しい現場に立つことで、自分自身の「経験値」を上げると共に、もっと広い世界を見て感じ、挑戦していくことも必要かな・・・と思いました。

たしかに今までのような「のんびりした生活」からは離れることになりますが、決して通勤できない場所ではありませんし、通勤の足が極端に少ないわけでもありません。新しい世界を見るためにも、代替案を受け入れることを明日にでも連絡をしようと思います。

こんなに早く気持ちを入れ替えられるのは、初めてのことです。
どうしても「打算的」なことばっかり考えてしまい、自分にとって不都合な部分は真っ先にクローズしてしまっていた自分。でも今の自分はクローズしていたら何も始まらない状態。Drが言っていた「少しずつ階段を上がっていくのが一番いい方法。あなたにはそれだけの力があるのだから」と言うことを思い出し、今はとにかく、がむしゃらに色んなことを経験していくことが、この先の自分の人生を切り開く道の1つになるかもしれないと感じました。今までの「ネガティブ」な発想から「ポジティブ」な考えへの切り替えです。人生の経験上、無駄になることは何もないはずなので、ここは1つ、動いてみることにします。

まだ詳細は決まっていないので、すべてが決まったときに、すべての経緯をここで話します。
まだ、話として「クローズ」している部分もあるので・・・

2007.03.26

やはりダメなのか・・・

パートの仕事を受諾して1週間・・・今日は話し合いがもたれました。
当初はスムーズにいく予定でしたが、やはり「障害」のことがネックになり、今日の話し合いとなりました。

障害のこと、厳密に言えば「発作」のことが中心でした。
発症の経緯・発作形態・発作内容・現在の状態など、包み隠さずすべてを話しました。

もちろん隠しておけば言いと言う人もいるかもしれませんが、仕事が仕事だけに、重要なことは話します。
一般企業であった場合、特に障害のことを表立って話す必要はないかもしれませんが、自分が従事する「福祉」の仕事の多くは「直接処遇」の仕事、つまり直接的な介助や介護・支援を必要とする仕事であります。そのため、普通の企業よりもリスクマネージメントは厳しいものであります。もっと言えば、人の命・安全をあずかっている仕事であるため、たとえそれが「意図的」なものではなかったとしても、利用者の安全を脅かすことは許されないのです。

そのため、最初の「てんかんの疑い」の時は進退伺をした程です。
ただ、当時は「薬で抑えられれば問題ない」との判断で勤務ができ、1年の契約満了で退職となりました。しかしその後、その施設の他部門で職員が「発作」を起こして倒れると言うことがありました。自分の場合は直接の上司に事実を話していましたが、その人の場合は直接の上司に「発作」のことを言っていませんでした。

そのことを契機にして「職員の安全担保」が従事されることになり、今回の話し合いもその一環のように感じました。
で、今日の話し合いの結果から言うと、正直なところ「平行線」で終わりました。自分側の考える「リスクマネージメント」と雇用側の考える「リスクマネージメント」をどう一致させるか、と言うところがポイントでした。既に経験している仕事で自分では「大丈夫」と考えていても、雇用する側から見ると「1年間のブランク」から見たリスクを重視している感じでした。

「平行線」と言いましたが、もしかしたら平行線以下・・・話そのものが「なかったこと」にもなりそうです。
「考えさせてください」と言われましたが、そのニュアンスはどことなく否定的。もちろんこのことを隠して仕事をして、万一利用者の安全を脅かす状態になってしまったときはもっと重大なことになると考えているので話しているのですが、結局このことを話すことによって、どこに行っても自分は「ダメ」なのかなぁ・・・と痛烈に感じました。もしも自分がどこもダメであった場合、自分が福祉の道で生き残るためには「間接援助」の仕事になりますが、間接援助の仕事は少なく、また自分のような経験の浅い人間はなかなか採用されない現実があるのも事実。福祉の仕事は圧倒的に「直接援助」の仕事が多いのが実態です。

そうなった時、やはり自分は「障害」と言う厚い壁に阻まれてしまいます。
「障害を持っていても十分に仕事ができる」と言うことを証明したいのですが、今は「それ以前の問題」のぶつかっている状態です。やはり、障害を持っていると仕事はできないのでしょうか・・・

今はただただ、悔しい思いをするだけです。

2007.03.25

ラスト、1週間

いよいよ失業生活も今週で終わり・・・の予定。
4月からはパートながら仕事が始まる。で、明日はそのことについての確認が行われる。

でも、正直なところ「不安」があるのも事実。
なにより、当初の予定では明日の確認はなかった。しかし自分の障害を不安視してか、確認が行われることになった。

何が不安なのか・・・それは、本当に仕事に就けるのか、と言うこと。
まだここでは公にはしていないけど、4月からの仕事は既に経験をしたことのあるしごとであり、自分に障害があることがわかった時点でも、そのまま仕事を継続していた。もちろん診断直後だから発作も起きていたことはあった。それでも、仕事は最後まで続け、契約満了での退職となった。

だから、普通で考えれば実績が残っているのだから問題はない。
ただ、障害者自立支援法の関係で今まで勤務していたスタイルとは若干異なる部分がある。そこに対応できるか、と言うのが、今回の「確認」の主目的。

もちろんDrからはパートで働くことは良いことと評価を受けているし、Drからのゴーサインもある。
しかしながら雇用する側としては「仕事に耐えられるのか」がポイントであり、自分では「大丈夫」と考えている部分はある。

ただ、「仕事に耐えられるか」と「発作が起きないか」と言うことを聞かれたときは、難しい。
一昨日のblogにも書いたとおり、発作が100%でないとは断言することはできず、むしろ発作を起こす可能性はある。だけどその発作が直接業務に影響するかと聞かれたときは、それはわからない。ハッキリ言えば、その状況にならないと具体的には判断できないから。たしかに失業期間中は発作要因は基本的にはなかった。でも実習の内容によって「パニックのフラッシュバック」があったことも事実。薬で発作は改善の方向に向かっていることは事実だが、一方で未だに発作・フラッシュバックがあるのも事実。
このことをどう判断されるかが、自分にとっての懸念要因。

具体的な話は明日だけど、それが不安に感じているのは事実。
状況によっては方向が一転する可能性もある。ただ、事実なのは「Drから仕事はOKと言われている」ことだけ。
それを受け入れてくれるかが、明日の話で決まることになります。

2007.03.24

それじゃダメじゃん。

昨日の話題から。
実は今日も母親の通院予定があったのだが、結局病院に同行することはできませんでした。前日までは行く予定だったのですが、今朝起きてみたら既に時計は8時45分。予約時間は9時だったので「もう間に合わないや・・・」と諦めてしまいました。
しかし迎えに行くのには何とか間に合い、その後に続けて午前中に祖母の面会に行ってきたので、何とか最低限のことはしたかな・・・と言う状態です。ただ・・・次回の予約が2ヵ月後の8時。今度こそは・・・と思いながらも、不安です。

話題は変わって、今日のことに。
今日、3月24日は国道20号線・日野バイパスの開通です。これまで「甲州街道」と呼ばれてきた国道20号は「都道」となり、日野バイパスが国道となります。ただ「甲州街道」と言う俗称はそのまま残る、とのことです。
今回の開通により、八王子方面から中央道・国立府中ICに行く道は日野橋を渡り立川・国立市内を経由して中央道につながっていましたが、日野バイパスの開通によって立川を経由することなく、また国立市内もICに入る際に通るだけで、実質八王子と日野市内を通ることによって中央道につながることになりました。また従来の「甲州街道」は対面交通1車線でしたが、日野バイパスは複車線となり、渋滞解消につながることになります。

と、ここまでは「公」の発表。
何をかくそう、オイラ自身も「日野バイパス」のユーザーになるため、今回の開通は待ち遠しいものでした。
で、早速祖母の面会の帰りに日野バイパスを通ることに。

ところが・・・「混雑解消」のはずの日野バイパスが、大渋滞。
途中、バイパスから外れて薬局に寄ったのだが、「おっ、流れているな」と思い、またバイパスに戻ってしまったのが大失敗。流れていたのは「一過性」であり、結局渋滞のつながりっぱなし。もちろん開通式典などがあった都合なのかもしれないけど、それにしても尋常じゃない混雑。オイラのような「野次馬根性」の車が多かったせいもあるのかもしれないが、それ以上にまだ工事中の場所があり、そこがボトルネックとなり渋滞の一因に。

って言うかさぁ・・野次馬根性で通ろうとしたオイラもオイラだけど・・・
「全面開通」ってうたう以上は、全部完全に工事を終えて、スムーズに流れるようにしてから開通するのが筋じゃないの?結局「開通日ありき」で、工事が間に合わず見切り発車の状態で開通になってしまったから、こうなったんじゃないの?

まぁ初日だから取りあえず様子は見るけど・・・
これじゃ「バイパス」の意味がないじゃん。それじゃダメじゃん。明日以降、どうなるのかなぁ・・・便利にするために「バイパス」を作ったのに、渋滞になるようでは、使えませんね。

2007.03.23

今週のしわ寄せ?

月に必ず1度はある「眠たくてしょうがない症候群」、ズバリ今日でした。
2月は週に1回はあったものの、3月に入ってからは昨日までなし。色々と動きがあり、そのため「休む時間」が少なかったのかもしれません。特に今週は、色々とありましたから・・・

月曜日は非常勤職の受諾、
火曜日は母親の手術のために新宿まで、
水曜日は手術の出血が止まらずに朝一での病院行き、
木曜日は色々と所用で外出&有楽町まで足伸ばし。

うーん・・・肉体的には今までのダラダラ生活が身についている自分にとっては若干ハードだったかも。
でもそれ以上に「精神面」の疲労が大きいかも。もちろん寝つきはそれなりにできているはずなんだけど、やっぱり心のどこかで完全に休めない自分がいて、その「しわ寄せ」が今日にまとまって来た、って言う感じかな?

事実、普段なら絶対にいけるはずの「透析送迎」
ここ1週間は「安静に」との透析のDrの指示、そして1週間は夜間透析ではなく日中の通常透析に変更。このことは自分でもわかっており、大体透析が終わる時間も知っていた。しかし眠さの方が強く現れ、迎えに出るのがおっくうな状態。結局体の方が言うことを聞かず、そのまま休み休んだ1日となってしまいました。

4月に入ったら今のような生活はもうできませんので、今のうちに「溜まった膿」を出す、と言う意味ではいいのかもしれません。多分4月から働くようになればイヤでも途中で寝ると言うことはなくなると思いますし、夜の寝つきも今までに比べて早くなると思います。

でも、正直なところ、本当に「4月からの勤務」が現実のものになるのかなぁ・・・という不安をもっているのも事実。
詳細はまだ話せないのですが、やはり「自分の障害」を不安視するような意見があるとのこと。自分だって、「発作が絶対に起きないか?」と言われた時、100%起きないとは断言できない。逆を言えば、「100%発作を起こさなければ勤務可」と言う考えならば、自分はその保証ができない。でも、実績は残していることは事実。

その部分の話に関して、来週の月曜日に話に行くことになっているけど、もしかしたらその中で展開が変わってくる可能性もある。だから「4月から働く」と言っても、今の段階ではまだそれが「確定」したものではない。今までは「ほぼ確定」だったけど、ここ最近の動向を見ていると、それが保証されなくなってきているのかな・・・と不安になっている状態。何も引っかからなければいいのだが・・・

まだもう少しの間、「心労」との戦いは続きそうです。

2007.03.22

平日なのに・・・

東京都知事選の告示です。
現職の知事さんはどうやら立川に来ていたらしく、その証拠に立川駅前の伊勢丹には警察のパトカーやコーンを撤収している動きもあったみたいだけど、全然候補者には会いませんでしたね。有楽町に行っても。

あ、そうそう、有楽町と言えばこのblogではおなじみになった、心のオアシスです。
でも正直言って、今日はあんまりゆっくり見ることができませんでした。

その理由は・・・人混み。
今日は平日にもかかわらず、美術館の中は休日さながらの混雑ぶり。自分にとって美術館は「特別な場所」であり、ディズニーとかスキー場とかとは一線をかく場所。だから美術館に行く時はいつも一人。誰の邪魔もされず、心穏やかに感じるがままに心を動かされたい場所。
だから自分にとって美術館は、特別の場所なのです。

もちろん「特別な場所」であることには、理由があるのも当然です。
もう、このblogでは何度となく取り上げていますが、自分が「障害」を受け入れることを教えてくれた存在でもあり、自分にとって「相田みつを」は「心の拠り所」になっています。
だから時間があったり、自分が弱っていたり、心をきれいにしたいときに、この場所に行きます。

でも・・・人が大勢いる美術館では、到底自分の求める場所ではありません。
もちろん「美術館」であるために多くの人が訪れるのは当然のことです。ただ、自分はこの美術館で誰にも邪魔されることなく、ひとり静かに作品を見て、御託の入らない作品を見たいのです。あーだったこーだった、とかといった、余計な御託は、この美術館には必要ないと感じていますから。
だから、この美術館は人ごみのないときに来たい場所なのであります。

今はこの美術館には一人で行っています。
ですから、もし自分が自分以外の人と一緒に行った時、それはその人も「特別な存在」として自分の中に受け入れることになるでしょう。

2007.03.21

朝一対応→そのまま透析へ

昨晩は緊急時の対応も考慮して、眠剤を服用せずに就寝。
結果的に対応することはなかったけど、今朝は8時に起床。朝食をとった後、朝一で透析施設へ。

朝一で向かっている・・・と言うことは、結局昨晩は全く血が止まらなかったと言うことです。
通常、今日であれば「夜間」の透析日なのだが、血が止まっていない状態なので夕方に関係なく、朝向かうことに。で、事情を説明し、血管の経路図を渡して診てもらうことに。で、母親は自分に配慮して「(外に出ていて)いいよ」とのこと。一応、病院の中まで入っているので、残りの対応は先生がやってくれるだろう、ということで退出。

そして5分後・・・先生が自分のところに来て「止まったよ」とのこと。
どうやら出血している部分をピンポイントでしばらく圧迫したら、そのまま止まったとのこと。やっぱり出血には「ピンポイントで直接圧迫」に限ることを改めて実感。
そして再び病室の中へ。血で真っ赤になったガーゼからキレイなガーゼに変わり、取りあえず一安心。で、「今来ているから、そのまんま透析を行ってしまいましょう」とのこと。もちろん透析の準備はしていなかったため、自分だけ一旦自宅に帰り、飲み物と昼食を準備。衣服類は病院のロッカーにしまってあるとのことで、一旦自宅に引き返すことに。

そして飲み物の準備。透析時は「血圧が下がらないように」するために、玉露を含んだお茶を準備。
ただ、普段は冷凍して保管してあるため、ある程度お湯で融かしてから病院にもって行くことに。またお昼も「サンドイッチを買ってきて」とのことなので、途中のコンビニでサンドイッチを購入。そして再び、病院へ。

病院に入ったときは、既に透析は始まっており、何時に開始したかを確認。そして4時間後(透析終了時)に再び病院に来ることに。
その間は自分も「仮睡」の時間・・・ちょっと一息できる時間となり、少し体を休めることに。

そして4時間後・・・病院に再び行くと「もう更衣していますよ」とのこと。
更衣室前で待っていると、いつもはダルそうにしているのに、今日はピンピンとしている。どうやら、今日は全く血圧が下がらなかったとのこと。まぁそれはそれでいいことだけど。

そんな感じなので、今日はいつもとイレギュラーの透析に。
普段は夜間透析をしているのが、昼間に透析するだけでなんだか違う感じ。それも今日が「祝日」と言うこともあるのかもしれない。普段は透析を行っている以上祝日なんかは関係ないのだが、久しぶりに今日は夜ゆっくりしていられたために祝日らしさを感じられたのかもしれない。

で、明日は透析はないのだが、消毒だけしに行くことに。
でも明日は自分も用事があるので、多分母親だけで行くことになるだろう。もちろん自分の用事が早く終われば戻るが、明日は4月以降のことについて話すので、一応自分の方が優先。だから戻れない場合は・・・心のオアシスにでも行きましょう。

2007.03.20

想定の範囲内?

本日はゆっくりめの起床。
と言うのも、今日は気ィ抜けないことがあったから。それは・・・手術。

と言っても、自分ではありません。母親のです。
以前にもこのblogで書いているように、母親は人工透析を受けています。で、人工透析を受けるために「シャント」を作っています。この「シャント」とは、動脈と静脈を継ぎ合わせ、通常の血流量よりも多くの血流を作り出すことによって人工透析器に血液濾過をかけます。

で、母親のシャント手術は過去に2回。
1回は初めてシャントを作った97年の夏。もう1回は最初のシャントが閉塞した2002年の秋。いずれも通常のシャントを作ったもの。

あ、「シャントの閉塞」についても触れないと・・・
現在、人工透析を行っている多くの人は内シャント(ブラッドアクセスとも呼びます)を作っています。内シャントとは上肢内(場合によっては下肢もあり)にシャントを作るものです。「内シャント」と言っている以上、「外シャント」もあります。この場合は上肢外にシャントを形成するものです。で、シャントに外圧をかけたりシャントを痛める行為などをしない限り、シャントは半永久的に使えるものですが、シャントを痛めてしまったり傷つけてしまった場合、あるいはシャントが血栓などで詰まってしまった場合(このことを「閉塞」と言います)に、シャントを作り直さなければなりません。

今回の場合はシャントそのものが悪くなったのではなく、シャントそのものは正常なものの、静脈瘤が大きくなってしまい、穿刺(透析を行うために、針を差し血液を取る作業)が行いにくくなってしまったこと、そして「スチール症候群」と言う、シャント肢の末梢、すなわち手に血流が流れにくくなり毛細血管が発達し、色が赤青く変化してしまう症状になっていたため、専門の外来を受診した結果、今日の手術となったわけです。

で、今までなら「車で」と言う方法が取れたのですが、今回は「新宿」と言う大都会で手術を行うため、母親が車を拒否したために電車で病院まで行くことになりました。(もちろん車で行けないことはないのですが・・・車で行った方が「緊張して血圧が上がる」と言ったため、本人が安心して手術を受けられる環境を作ることにしたまでです。)
さらに今回の手術は「日帰り手術」。過去2回は入院しての手術でしたが、日帰り手術を受けるのは今回が初めて。そのため母親はともかく、自分も相当緊張していました。内心、「本当に日帰りでできるのか?」と心配していました。正直言って、母親の場合は「通常」が通用しない「特異体質」と考えていますので・・・

そして手術。
今回はシャントを作るのではなく「スチール症候群」の軽減と「穿刺が行いやすくする」の2つが目的です。
そのために採られた方法が「人工血管移植術」。当初は別のシャントを作らなければいけないなぁ・・・と思ってたので、それを避けられただけでも良かったのかな・・・と感じています。で、手術「そのもの」は1時間程度で終了。手術終了後にオペDrから手術の内容についての説明を受け、スチール症候群が改善しているのも確認。
ただ・・・やはり「特異体質」なのか、止血がなかなか終わらない状態。手術が終わり、止血までに2時間。で、2時間経過しても止まる気配なし。そのため新たな処置をして、すべてが完了。手術が始まったのが1時。そして終わったのが5時。もちろん、お昼は食べ損ねてしまいました。

でも、本当の戦いはここから。
5時という「ラッシュアワー」の時間帯に終わってしまったため、ラッシュに巻き込まれることに。正直一番避けたかったことが現実になってしまった。とにかく「術部を安静に」を第1に、確実に電車に座って帰宅。そして、タクシーで帰宅。無事帰宅・・・と思いきや、出血がややひどくなっている状態。
そしてblogを書いている今現在も・・・出血中。

ただこの出血、直接「術部」から出血しているものではなく、手術した周囲の皮膚組織から出血しているとのこと。
Dr曰く、「今までスチール症候群で毛細血管が発達したため、今回の手術でその毛細血管から出血しているのが、今の出血状態」とのこと。しばらく安静にしても止まる気配がないため、緊急でDrに電話。でも対応は「出血しても100cc程度だから、大丈夫。」とのこと

まぁ正直なところ、この辺はある意味「想定の範囲内」かな、と言う状態。
母親も「止血しているから眠れない」とのこと。つまり、今日は「自宅内宿直」の状態になりそうです。

2007.03.19

受諾

先週に「タイムリミット」ができたと書いて、ちょうど1週間になります。
で、返事は今週の金曜日の予定ですが、待ちきれずに3回も連絡を頂いていました。その間自分は、爆睡・・・(^_^;)

電話をもらったときはまだハッキリと決まっていなかったので「前向きに考えています。」とだけ話していました。
そのため、今日もう一方から連絡がなければ直接連絡をするつもりでした。
しかし夕方になりポストを見てみると、もう一方の方からの封書が。封書で連絡が来ている・・・と言うことは、結論から言うと「不採用」です。結局2006年度は全く就職に恵まれない年だったと言うことになります。

その一方で、今回の「不採用」により、自然と打診のあった非常勤職を受託することにしました。
まだ正式に連絡を入れてはいませんが、明日にも連絡をしたいと思います。これで、4月からの仕事は正式に決まりました。

ただ、「受諾」はするものの、正式な「決定」や契約はまだ行っていませんので、何の仕事なのかについては、やはりここで発言するのは差し控えたいと思います。すべてがオープンになったときに、このblogでも報告をしたいと思います。

この1年間は本当に「泥沼」にはまってしまった1年でした。
結局仕事を見つけることができず、また「障害」が壁になり採用されない現実もありました。そんな状態に対してDrからは「いきなり正職員ではなく、まずはパートからはじめてみよう」と言われ、結果的にDrの指示通りの結果になろうとしています。たしかに待遇では正職員よりもはるかに劣ってしまいますが「今は待遇のことは考えない」とやはりDrから釘をさされてしまいましたので、待遇の部分も目をつぶって、「今できること」をやって行きたいと思っています。こんな自分でも手を差し伸べてくれる人がいるので、今回はその手に甘えることにします。正直、コネっぽいようなことは好きではないので「自分の道は自分で開く」と考えていましたが、現時点を現実的に考えれば、自分では不本意かもしれないけど「自分を必要としてくれる人がいる」ことも事実としてあることを受け止めて、4月から新しいスタートを切り出したいと思います。

さぁ、今年度もあと2週間。4月スタートに向けて、着々と準備を始めたいと思います。

2007.03.18

何書くんだったっけ・・・あ、思い出した!

結局、思い出せずにパソコンに向かっています。
歳のせいか(?)、なんだか忘れっぽくなっています・・・

と、ちょうど今、書こうとしていたことを思い出しました。大したことではないのですが・・・(^_^;)

心療内科への通院をするようになって約2年半が経とうとしています。
その間、「服薬忘れ」や「過剰処方(日数的に)」などもあり、今ではほとんどの薬がストックしてある状態です。ですから1錠や2錠ぐらいなくしたり落としたりしても、全く平気な状態なわけです。

で、夕食後の薬を飲もうと、ワイパックスを1錠。しかし下に落としてしまったため、そのまま廃棄。
2回目でワイパックス・プリンペラン・パキシルをそれぞれ1錠ずつ出すことに。そしてそのまま服薬・・・をしようとした矢先のこと・・・ゴホッ!

何でしょう・・・「誤嚥」とまではいかないものの、咽てしまいました。粉薬はないのに・・・
そのため、口に含んでいた薬はすべてリバース。台所に吐き捨てる状態になってしまいました。

結局、3回目で飲むことができましたが・・・1回ぐらいのロスはしばしありますが、2回・3回のロスは初めてです。
前の職場にいたときも「ロス用」としてスペアを数回分持っていましたが、ロスすることはほとんどなし。自宅でもロスすことはあまりないのですが、今日は珍しく「ロス2回」となってしまいました。

まぁ簡単に「ロスした」と言っていますが、本当はちゃんと飲んでいるのがいいんですよね。
最近は薬剤師さんに言われ、「食事に関係ないから、4時間間隔で飲んでみてください」の言いつけを守っている状態。おかげで「飲み過ごし」はなくなりましたが、薬を結構な数(軽く1週間はOK)をストックしており、ちゃんと全部を飲んだとしても、薬は余っている状態。そのため「処方日の古い薬」から順次服薬している状態です。

とまぁ、こんなくだらないことを思い出せないなんて・・・相当「どうでもいいような内容」だったんでしょう、今にしてみれば・・・(笑)

2007.03.17

コワ~い兄ちゃん

って誰のことでしょう?
ハイ、その正体はオイラです。

今週もいつもどおり面会。ただ、面会に行ったところ「熱発」をしているとのことで、長居せずに帰宅。
さらに彼岸入りを前にしてか、道路は渋滞。そのため、うちの近くのスーパーで夕食の買物をしました。

で、「コワーい兄ちゃん」の顔が出たのは、買物を終えて帰るときのこと。
駐車場に向かうため、カートを押しながらエレベーターのところへ。すると子ども2人(多分兄弟)がエレベーターで遊んでいた。
オイラが使うので、近くに行けば降りるかなぁ・・・と思いきや、降りる気配ゼロ。ここで一発。

「エレベーターは、遊び道具じゃない!<`ヘ´>」

この時点で降りるか、遊ぶのをやめればよかったのに、エレベーターの中にいた兄貴は遊び続け、弟は少しビビッてか、エレベーターの中に飛び乗る。しかし、運が悪いことに遊び続けていたため、オイラがそのまま乗ることに。
そして、密室空間の中でさらに一発。

「乗るのか、乗らないのか、どっちだ!?(怒・`ω´・)」

子どもは「乗る。」と言って、そのまま。
そしてオイラは2階で降り、子どもたちはそのまんまさらに上階へ。

このとき、オイラの母親も一緒の状態。母親が一緒にいる中で見知らぬ子を叱るのは初めてのこと。その光景を見て、母親が一言。

「アンタ、顔は童顔だけど、ちょっとソッチ(-_-メ)入っていたよ。」

いやぁ・・・オイラの檄、結構効いていたみたいです。母親曰く、「男の子、アンタに言われて顔引きつっていたよ」とのこと。ちょっとどころか、かなりビビらせてしまったみたいです。でもオイラは、当然のことを言っただけに過ぎませんから・・・口調は別にして。

まぁ母親は素の自分を知っているのでコワくはなかったとのことでしたが、他人から見ればちょっとソッチ系の感じに見られるとのことでした。いやぁ、最近は自分の子を叱らない親が増えているから、オイラみたいな存在がいてもいいんでしょう。
でも知障授産にいたときに教示で叱った時も、利用者からしてみれば「ビビる存在」だったのかもしれませんね。

オイラも元々は「温和」な人間ですから。
あくまでも、ソッチ系を演出したのは「統制された情緒的関与」の一環ですから・・・(ちょっと意味が違うかな・・・笑)

2007.03.16

結論はGO!

本日、定期診察日。当然話題は「就職」のことです。

結果から言えば、GOサインです。
パートの打診について「それはとてもいいことだ」とのこと。自分でもなかなか返事の来ない現状に関して半分諦めが出ており、一方でやはり母親の言うとおり「不誠実」と感じ出しているのも否めない事実。面接をして半月、ハローワークからの紹介を含めたら既に1ヶ月を経過しており、たしかに対応が「後手」に回っているのは事実。きっと先方も「いい人材を採用したい」との思いから慎重になっているのかもしれないけど、採否通知の目安となる「7日から10日」を大きく過ぎており、何らかの連絡があってもおかしくない状態。

そんな気持ちもあってか、正直パートの打診に関しては、かなり前向きな方向に進んでいます。
既に履歴書の準備も完了しており、こっちは後は話をするのと出すだけです。

ただ、今ここで具体的な仕事の内容を話すのは、まだ差し控えたいと思います。
具体的なことに関しては、すべてが完了し、公式のものとなるまで、具体的内容は伏せたいと思います。

話を受けた当初は、戸惑いもありました。
ですが今は、その迷いも吹っ切れ、流れるがままにことを流していくだけです。昨日のblogにも書いたとおり、昨日の時点で連絡が来ていれば、今日は打診のあった施設に行こうかな・・・と思っていましたが、まだハッキリしていなかったので行動に移せませんでしたが、今日の診察で自分の方向性に関しても間違ってはいないことを確信したため、段階的にはかなり前進となりました。

実質的なタイムリミットは今週中でしたが、今日の診断でリミットも決まりました。
最終的なタイムリミットは、3月22日。この日までに変動がなかった場合、翌日に行動を起こします。もちろんこれよりも早く行動に移す可能性もあります。

と言うわけで、4月からのスタート切り出しに関しては、ほぼ決まった状態です。
後は「どこで働くか」を選択するのみです。もうこれ以上、新規の求職活動は行わないでしょう。

2007.03.15

くるっちゃったじゃん。

早く欲しい時に来ない「連絡」、結局今日も来ず。これで明日の日程はお流れです。

正直なところ、今日までにはすべての結果を出したかったのですが、頓挫となりました。
もちろん明日のDrの診察を踏まえることは言うまでもないことですが、自分の心の中では「どっちか」と言うことで腹は括られていました。
でも肝心の「どっち」の選択肢がそろっていない状態なので、行動に移せない状態です。

就職活動が「引く手数多」の状態であればすぐに切ることはできるのですが、現状は「買い手市場」であるため、こっちとしては待つ身のみです。母親曰く「いくらなんでも(時間がかかりすぎて)誠意がないんじゃない?」といわれていますが、それでも我慢の身です。

もちろん、こんなに引き伸ばされるのは「通常の自分」であれば既に切り捨てています。
しかし今は「通常の自分」ではないため、簡単に「切り捨てる」とはいえない状態です。また時期が時期だけに、4月スタートに向けて良い走り出しをしたいので、そのためにも慎重にならざるを得ません。

そして・・・多分一番の要因になっているのは「待遇」でしょう。
方や正社員で退職金あり、方やパートで退職金なし、当然月給にも差があるのは当然のことです。
普通の人も「どっちを選ぶ?」となれば、当然「正社員」の方を選択するでしょう。別に、ごくごく普通の判断です。
やっぱり「正社員」と「パート」では年収も雲泥の差が出てしまうため、「切りたくても切れない」事情なのです。

で、今日の時点でハッキリわかっていれば、相手方に連絡を入れることができるのですが、それができない状態。
まぁ明日も若干の余裕はあるものの、その時間にかけることは限りなく薄い。診察までに連絡があれば・・・と言う状況だから、まず明日が「急転直下」することはほぼ皆無に等しいでしょう。別にあったらあったで、連絡もできるので悪いことではないのですが・・・

連絡がないためか、あるいは明日が診察のためか、オナカはゴロゴロの反応中です・・・ハイ。

2007.03.14

時は着々と進行する。

うーん・・・まだ面接結果が着ません。今日で2週間です。
恐らく明日には来ると思いますが・・・基本的に「すぐ連絡が来ない」と言うことは「不採用」を意味しているのかもしれません。

月曜日に書いたように、求職活動の期限は着々と迫ってきています。
早ければ今週末の通院でDrとの診断・相談で決まります。ハローワーク・人材センター共に求人は上がってなく、このまま決まりそうな感じでもあります。

正直なところ、リミットがもう少し先にあれば活動もできるのですが、その辺は諸所の都合があるため仕方がないこと。ただ、もう一方の気持ちで「もう一度スタートを切りなおするの手段かもしれない」と思い始めている自分がいるのも確かです。

もし今の障害・病気が見つかっていなかったら、今頃はOT2年生の春休み中。
4月からは3年生になり、卒業まであと2年となる。しかし、障害・病気が見つかり、OTの道は閉ざされた。
でも逆の発想をすれば、「残り2年間」は自由に動いていいことにもなる。本来の予定ならOTの学校を卒業する30歳で新たな就職活動をするわけだから、実質的にはいずれ迎えようとする時代と同じことになる。だから余った「2年間」をどう過ごすかが、これからの自分をどう描いていくかのポイントになるだろう。

2年間の過ごし方で、自分の幅も広がる。
兎角、「ケアマネージャー」に関しては、前の職場からの証明を貰えば「5年間」に継げることができるし、「介護福祉士」への道も開けてくる。ただ、本人的には「介護福祉士」よりは「ケアマネージャー」の方を選びたい。特に「障害者ケアマネ」が取れれば一番といったところ。

だから4月からの「2年間」は、大事な2年になるはず。
そのためにも4月からキレイにスタートする必要があることは事実だし、うまくスタートを切ることが「失った2年間」を取り戻すきっかけになるのかもしれない。
そのためには、少しは甘えてもいいのかなぁ・・・

決断をする日は、刻々と近づいています。

2007.03.13

これは・・・何バトン?

今日のblogで何書こうかなぁ・・・と思っていたところ、マイミクさんから「ネタ提供」とのことなので、やらせていただきます。
で、これは「何バトン」なんだろうぉ・・・(^_^;)

■Q1.ハンドルネームの由来は?

以前「PANELS&HNバトン」でも書いたとおり。特になし。
気がついたら、このHNが定着していたんですよねぇ。
強いて言えば、アナグラムを短くしたら、こうなっちゃっただけ。


■Q2.何でも隠さず話すことのできる友達はいますか?

うーん・・・基本「秘密主義」なので、オブラートに包んでしまいまーす。
でも実際のところは「隠すようなこと」がないため、blogを通じて大っぴらにしちゃってるかも・・・


■Q3.2006年を振り返ると?

最悪の年でした。高校受験のときの「冷夏米騒動」ぐらいに最悪な年。
多分、今までの人生で「どん底」に落ちた1年だったかも。


■Q4.好きなブランドは?

ブランドに対する執着はないので、特に「これ」が好きと言うブランドはありません。


■Q5.好きな異性のタイプは?

一言で言うと、「輝いている」人かな?
何か物事に一生懸命取り組んでいる姿・・・やるべきところでちゃんとやっている人かな?
あと、自分以外の人のために尽くせる人もいいかな?


■Q6.今一番やりたいことは?

仕事です!(断言)


■Q7.一度はやってみたいこと。

結婚。
友人の結婚式に出て、いきなり「結婚願望」が出てしまいましたねぇ・・・男のくせに。


■Q8.あなたの一番大切なものは何?

今は・・・母親かな?
色々と苦労をかけちゃっているし、今の自分がいるのは、やっぱり「母親」のおかげかな?
(ぉ、かなり真面目に答えてしまった・・・)


■Q9.幸せだと思える時間は?

寝れているとき。
昼寝、サイコーです(^^♪


■Q10.貴方のストレス発散法

うーん・・・なんだろう?最近は発散できていないかも。
一番は「車の運転」かな?あとお酒。(でもホントはセーブしなきゃいけないんだけどね)


■Q11.捨てたいけど捨てられない物

写真のデータ。
圧縮して保存していますが、溢れるばっかりです(^^ゞ
個人的には「台本」を捨てたいのですが、母親がNGを出しているので、クローゼットの上にしまったままです。


■Q12.自分が作る最高の傑作だと自慢できる料理は?

味覚は人それぞれなので「最高傑作」はなぁ・・・。
でもチャーハンはパラパラに仕上げる自信ありです。あと、オムレツもそこそこ。


■Q13.あなたのこれだけは許せないという行為・行動は?

人の道に外れた行動をする人。


■Q14.寂しさの解消法は??

解消順序
1・パソコンでネットサーフィン→2・テレビ→3・寝る。


■Q15.このバトンを回してくれた人はどんな人?

大学時代の後輩です。(学祭の実行委員)
上との関係が冷え切っていても、下との関係はしっかりしていたかな?
あと、大学時代は「ご近所」だったので、よく「お迎え」&「お見送り」で送迎をしていました。
(なんか「使われている感」がにじみ出ている???笑)


■Q16.2007年の目標は?

仕事に就く。そして心身ともに「健康に過ごす」かな?
少なくとも、今の状態を悪化させないことが、第1かな。


■Q17.→よかったら自分で考えた問いを加えて次の人に回してください。

ピンポンダッシュをしたことがありますか?(笑)
ちなみに本人は・・・ありです。(おうちの人・・・「若気の至り」でゴメンなさい・・・笑)


■Q18.初恋はいつですか?

小学校6年~中学1年にかけての時。
生れて初めて「告白」と言うものをしました。
(実は初恋の相手、今は一応「芸能人」になっています・・・これ以上は、秘密)


■Q19.おもわずつっこんでしまった寝言は?

突っ込む前に、自分がダウンしているので、ないです。(^_^;)


■Q20.次に回す5人(一言付き)

例により「チェーンメール化」しちゃいますので、指定はしません。
マイミクの方でお時間がある方は、ご自由にどうぞ。(^^♪


で、本当にこれは「何バトン」になるのかなぁ・・・「年度末バトン」か「自己分析バトン」かな?
まぁ名前はどーでもいいや・・・いい今日の「ネタ」になりました(^^♪

2007.03.12

タイムリミット

うーん、事が事だけに、あんまり大きな声では言えませんが・・・求職活動にタイムリミットができました。
表向きは2週間だけど、いろんな事を勘案すると、実質的には今週がリミットです。

今日、ある場所から「職員にならないか」との打診がありました。
パート勤務ですが、話を聞く限りでは一応自分を必要としてくれているのかな・・・と感じました。

ただ、その一方で先日の面接の結果が出ておらず、すぐに即答はできませんでした。
また内心では年度末を迎え、新規補充の求人が出ることも期待している状態。できれば、正規職員として働きたいです。

でも、Drの言ったことも、まだ頭の中に残っています。

現実的に考えて、障害者をすぐに雇う企業は少ない。だからいきなり「正職員」を求めるのは無理がある。だから最初はパートやアルバイトなど、小さい段階からステップを踏んでいって、徐々に進めていくのが一番いい方法。だから今の時点で給料とか待遇を求めちゃダメ。それができないと、福祉の道でもできない。「急がば回れ」と言うように、少しずつ階段を上がっていくのが一番いい方法。あなたにはそれだけの力があるのだから。

Drの助言どおりに動くのであれば、この話には乗るべきだなぁ・・・と思っています。
だけどその一方で「可能性」を考える自分もいる。もちろん、何の根拠もない「可能性」だけど・・・

たしかに自分自身が「障害」を持っていることは事実である。
その事実を受け止めて求職活動をしなければならないけど、現実は「障害なんて・・・」と思いながらいつも玉砕している自分がいる。そう考えると、「現実的」な考えをするのであれば、やっぱり今回の話を受けるのが「現実的」なのかもしれない。ちょっとばかり、自分の気持ちを整理しなければいけない時間が必要なのはいうまでもないけど・・・。

正直なところ、自分の人生はだいぶ「遠回り」をしている人生だ。
大学に入ったものの、「福祉」の道を目指して専門学校に再入学。遅咲きの社会人デビューとなるも、燃え滾る気持ちを抑えきれずに新たな道へ。しかしその道の最中でものすごく大きな石につまづいてしまい、燃え滾る火が消えてしまった・・・いや、消されてしまった。
そして今、路頭に迷っている自分がいる。

ここまで「遠回り」をしているのだから、いっそのことトコトン「遠回り」するのも、自分の人生の選択肢の1つかな?
まだ結果が出ていないので、最終的にどうなるかはわかりませんが、いずれにしても「長く短い」2週間の幕開けとなります。

2007.03.11

やっぱり「使いすぎ」なの?

全然意識していませんでしたが、昨日・一昨日とタイトルがかぶっていましたね。
なので意味なく「接頭語」として「やっぱり」を今日も付けたいと思います。接頭語の「やっぱり」は何時まで続くのでしょうか・・・(^_^;)

そう、ケータイを乗り換えて、早1週間が経過。
ただ、使っていて思ったことは「電池がなくなるのが早いなぁ・・・」と言うこと。1週間で1日おきに充電して使っている状態。そして今も充電中。まだケータイからのblog投稿はしていないけど、そんなに新しいケータイを頻繁に使っているとは思っていない。今までのケータイの中で一番早く電池消耗する機種だなぁ・・・と感じた。

ところが、母のケータイはそうでもないらしい。
同じ「SH」でワンセグがついているタイプ。オイラのケータイに比べたら「ワンセグ」がついている分だけ、ワンセグを見れば消耗するはず。事実、実際にワンセグ放送を見たとのこと。ところが、ケータイの充電はまだ1回しかしていないとのこと。
そして母曰く・・・「アンタ、使っているんじゃないの?」の一言。

うーん・・・自分ではその認識はないんですけどねぇ・・・
この1週間を振り返ってみると、カメラ機能を使ってみたり、ケータイの音を確認してみたり、着うたをDLしてみたり・・・ケータイの開け閉めだけでも結構使っている。あ、あとIチャネルも見たりしているっけ。それに毎日3回のメッセージRと毎日1通のメルマガを受信しているなぁ・・・

こう考えてみると、意外に使っていることを実感。
自分では1回のスパンが短いから「大したことない」と思っていたけど、その短いスパンが何度も繰り返されていることを考えると・・・うーん、やっぱり「使いすぎ」だから電池消耗なのかな・・・
もっとも、仕事をしていれば「使いすぎか否か」と言うのは判明するものだと思っていますけど・・・

明日からまた求職活動開始。
明日は飯田橋の人材に行くか、ハローワークに行くか、どっちに行くか検討中です(^^ゞ

2007.03.10

やっぱり「テッパン」

やっぱり「これ」はテッパンです。
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以前紹介した「月餅」みたいなお菓子の件、これのことです。(これからは「桃山」と言っちゃいます)
桃山はオイラも好きなお菓子。そして硬さも今の祖母が食べるには程よい硬さであり、甘さも程よいものです。ですから先日の記事を照らし合わせると「桃山>甘納豆」と言う構図が成り立っているのでしょう。

さらに「テッパン」と核心付ける理由がもう1つ。
先週面会に行ったときに、既に伯父夫妻(この日はタメのいとこ♀も来ていた)が来ており、うちが後からの訪問。
広い食堂の方に降りてきているかなぁ・・・と思ったけど、その日は行事(ひな祭り)でセッティングがしてあるため、ベッドサイドでの面会をしていた。で、うちが持ってきたお菓子を出して祖母に「どれにする?」と見せると、何のためらいもなく「桃山」を手に。桃山以外に4つの同じ様な和菓子が並べてあったけど、他のものに目をくれることもなく迷わずに桃山を選んだ。その様子を見て「あぁ、ちゃんとわかっているんだなぁ・・・」と実感。これで「桃山なら何でも乗ってくる」と核心。

そして今日、広いところに降りるかを聞いて一度は「降りない」といったものの、桃山を見せて「食べる?」と聞くとウンとの返事。じゃ下に降りると聞くと、これまたウンとの返事。
間違えなく、桃山は「テッパン」。

母親曰く「なんか(物で)引いている感じでイヤだなぁ」と言うが、ある程度の「変化の刺激」を与えることは大事かなぁ・・と思っており、またベッドサイドではあまり摂水をしなくても、空間が変われば摂水も変わるかなぁ・・・と思っていた。事実、食堂に降りて来てコップにお茶をある程度注ぐと、自分からちゃんと摂水をしており、注いだ分はすべて飲み干した。これがベッドサイドだったら、多分こう言う反応はないだろうなぁ・・・と実感。今日の場合は特に「自分からコップに手をかけた」ことが一番の収穫であり、ベッドサイドで水のみに入れたお茶を勧めても飲まないのに、こういう時は自分から動き出すことを確認できただけでも、多少物で引いているものの、「摂水の手法」として確立できたことは、結果オーライなのかな・・・と実感。

でもやっぱり、桃山は「テッパン」であることを改めて実感した1日であります。

2007.03.09

やっぱり「追い込み型」?

面接から約10日。未だに結果は連絡がありません。きっとダメなのでしょう・・・

と言うわけで、久しぶりに「履歴書」の作成。
ここ最近は「ストック」をしておらず、必要な時に必要に迫られて書く、いわゆる「追い込み型」で作成していました。一応今回も気になる求人があるので「必要に迫られて」に近い方です。ただ、まだ具体的なアクションを起こしていない段階。なので、「応募するぞ!」という緊張感もゼロ。必至さがありません。

そういえば「夜」に履歴書を書くのは初めてかも。
再三夜に「書こう」と思っても「風呂上りで面倒」とかなんだかんだ理由付けをして行動に移していない自分。ただ今回は「気になるもの」があるために、半分いやが応にもやらなきゃいけない状況下を作っているので、湯上り後ある程度時間を経てから作成に入りました。

自分の場合、履歴書は「書き出しが命」と思っているので、最初の書き出し・・・つまり「名前」を書く段階で気持ちが乱れていたり、思い通りの字で書けなかったりすると必ず失敗するパターンを持っているので、書き出しが重要。
その書き出し・・・今回はうまくいきそうな感じで書き出しです。学歴もあんまり書きたくない内容も今は説明上書かざるを得ないので洗いざらい真実を書いて、学歴完了。そして職歴、最初はうまく書けたけど、途中で気が緩んだのか、ミス発生。だけどうまくごまかせそうかなぁ・・・とも思案。
でも結局はボツ。何をミスったかって、社会福祉の「社」の字を書こうとしたけど、書いている勢いは「福」の字。何とかなるかな・・・と思ったけど、結局それをごまかそうとする自分に嫌気が差し、履歴書ボツ。

この心理状態になってしまうと、もう書けません。
今日履歴書を書くのは終わり。また別の日に書くことにします。ただ「書き溜め」をしなくなった背景には、もしかして1月の実習のトラウマが若干残っているのかもしれません。正直、一過性のダメージだと思っているのですが、今の状況(うんともすんとも言わない状態)に不安を持ち、その不安がトラウマとなって何らかの「防衛機制」が働いているのかもしれません。それが「履歴書を書く」と言う行動、できなかったらノー天気になると言う思考をしているのかもしれません。

自分では本当に「一過性」だと思っていたけど・・・心のえぐられ方は重症みたいです、ハイ。

2007.03.08

今年は早めのご精算

採用通知が欲しいのですが、こちらの方が先に到着しました。
Dvc00002

去年は申告期限ギリギリで申告書を提出しましたが、今年は申告受付開始日に申告してきました。
もっとも、去年はデイサービスで働いていた期間しか収入はなく、100万円に遠く及びませんでした。なので源泉徴収された金額がそのまんま返還。もっと言ってしまえば、収入と控除額がトントンなくらいでしたから。
事実、医療費は丸々「控除対象」になりましたし・・・

ただここに書かれた期日はあくまでも「手続き開始日」であって、実際はどうなっているかわからない。
なので、ネットバンクで状況を調べると・・・あら、もう振り込まれているじゃない。

やっぱりこう言う物事は早めに行った方がよいのかもしれません。
あ、そうそう・・・原付の廃車届も3月中に出さないと・・・忘れてしまうと大変ですからね・・・
でもその前に「登録証書」を探し出さないと・・・(^^ゞ

2007.03.07

手取り、足取り・・・

母親がケータイの機種変をして一夜明け、手取り足取りの特訓です。
機種が違えど、同じ「SH903」シリーズなので、基本的な操作は同じ。違うのはサブディスプレイとワンセグが有るか無いか程度のことなので、一緒に自分も覚えながらの特訓です。

基本的に「温和」なMitakeではありますが、身内には厳しいことで有名です。(知るか・・・)
パソコンを買い換えた時や、新しいものを使う時など、身内に対する指導は「スパルタ」方式で行っています。

とはいえ、聞くほうも聞くほうなら、教える方も教える方です。
お互いに「マニュアル」を見ないで聞いたり教えたりするものですから、「どっちもどっち」と言う状態ではあります。もちろん自分がわからない時は「マニュアル」で確認して教えますが・・・

ただ、この「教え方」が非常に乱暴で・・・基本的に「1度しか言わない」方式です。
同じことを何度も聞くと「檄」が飛びます。母親曰く「怒られながらまた教わらないと・・・」とのことです。

いや、ここに「愛」がなければ厳しくは教えません。(臭ッ)
親子の間で深い「信頼関係」があるからこそ、スパルタ教育ができるのです。ただ反面、面倒と思うこともしばし・・・
いやいや、母親の「自立」のため(?)に、辛抱強く教えるのです。

なんだか臭い三文芝居のようですが、これが母親との「親子関係」なのです。
お互いに持ちつ持たれつの関係、片方が弱っている時は、片方が強くなって頑張っているんです。じゃなければ、こんなことはできません。一方父親に対してはほとんど檄は飛びません・・・ってか、諦めていますから・・・本当に「檄」が飛ぶ時は、怒髪点に達しているときですから・・・

こんな感じで、明日も明後日も、「SH講座」は続くのです・・・(^_^;)
あ、今月は色々とやろうかなぁ・・・教える分、大目に見てくれる代ねぇ・・・(笑)

2007.03.06

ちっちゃ

体調が悪い時は「寝る」に限るみたいです。
昨日の体調不良、一晩で解決です。まぁ昨日の場合は常薬+バファリンだったし、寝る前の服用も「胃を守る」ことから自主判断で胃薬も服用したから、それらがうまくいっての体調回復なんでしょう。食欲も戻りましたし。

そんなわけで、実は昨日は非常にある意味「危ない状態」だったのにもかかわらず、母親の迎えです。
(もちろん、迎えに行く直前まで体調の判断を考えていたのですが、多分大丈夫だろう・・・との判断で行っているので・・・)

そんな状況下での迎えで、母親の問いかけにはあまり反応しない状態。
もちろんそんなことを知ったら文句言われるのが見えているので、運転中は黙視。で、自宅に帰って打ち明ける状態。まぁ母親も母親で薄々様子がおかしいことは気づいていたみたいだけど・・・うーん、お互いに「化かしあい」をしていた状態かな?

で、昨日の車内で「明日(=今日)用事ある?」と聞かれ「何で?」と答えるオイラ。(体調の保証がないため・・・・)
どうやらドコモから電話があり、母親待望のワンセグケータイが入荷したとのこと。それを取りにいきたいとのこと。
そして今日、昨日がいつもよりかなり早く就寝したため、起床も早く久しぶりに8時前に起床。「対象は大丈夫」と伝えたうえで、今日取りに行くことに。

もちろん「自分の都合」もあった。そう、例の「microSD」の件。
本来なら昨日行く予定だったのだが、体調不良で外出することもままならい状態だったため、買うことができず。そして今日改めて買いに行く予定だったけど、母親の予定とも重なったので、ケータイをとりにいくのと一緒に「microSD」も購入することに。

そして購入。初見は・・・小ッ!
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「microSD」はここまで進化したんですねぇ・・・
指よりも小さいこのディスクで1GBも保存できるなんて・・・本当に技術は進化しています。「miniSD」でも小さいと思ったのに、「microSD」が出るなんて・・・一体「メディア」はどこまで進化するんでしょうかねぇ・・・

で、これが新しいケータイ最初の1枚。画質もこんなもんでしょう、ハイ。

2007.03.05

本日、KO。

今日は・・・書くことすらままならない状態なので、短めに。
と言うか・・・一言で言えば「体調不良」。

起床は九時半過ぎ。何となく頭部不調、それがやがて「頭痛」に変化。
お昼を食べた後も、やっぱりダメ。そのため、今日は終日布団の中で過ごす。

やがて吐気も感じ、夕食はほとんど手をつけないまま、残食。
一応熱を測ってみるものの、36度で熱発はなし。「まぁ熱がなければ大丈夫かな」との状態だが、今日は大事をとって早めに就寝予定・・・ってか、これ書いたら寝ます。

本日の体調・・・
熱発(-)、頭痛(+)、食欲(-)、その他・肩こり、眼性疲労???

本当に久しぶりの体調不良・・・これ以上悪化させないようにしないと・・・です。

2007.03.04

N→P→SO→P→D→SH

今度は「SH」に乗り換えです(^^♪
Dscn0050

本来なら今日は母親も「SH」に乗り換える予定だったけど、在庫切れのため予約だけ。
そう、オイラは別に「ワンセグ」はどっちでもいいかなぁ・・・ですが、母親は「ワンセグ」目当てなので、同じ「SH」でもオイラだけ乗り換えです。

正直どれにしようかなぁ・・・と迷っていたのですが、内心半分ぐらいは「SHかな」と考えていました。
そして今日、実機に触ってみてやっぱり「SH」となりました。

それにしても、これが「6代目」になるんですねぇ・・・
もちろん他の機種も考えましたし、703シリーズも考えました。でも最後は、やっぱり「カメラ」が決め手です。他のも同じくらいだったのですが、今までの遍歴を考え、「新しい機種を使ってみよう」と思い、SHとなりました。

で、セール中だったので「ドコモダケ」も一緒に・・・(^_^)

しかし・・・今度の外部メディアが「miniSD」ではなく「microSD」になっていたことに全く気づかず、そのまんま「miniSD」の1GBを購入。自宅に帰って「ダメじゃん」と気がつき、後の祭り。
と言うわけで、明日買ってきまーす。

別にアダプターがあるから普通のSDカードとして使えるけど・・・ちょっとショック・・・orz

2007.03.03

プッチンプリン?

既にマイミクさんでも話題になっていた「プッチンプリン」、見つけました。
D1000114

400ml、さすがにデカイとです。もちろん、プッチンはしました。プッチン前は、こんな状態。
(正確には「プッチンして、オン・ザ・お皿」の状態)
D1000115

既に横からハミ出しています・・・(^_^;)
で、プッチン後は、この状態。
D1000116

一応「プッチンプリン」の形にはなっていますが、「プルルン、プルルン♪」状態です。
以前話題に挙げた「クリームオンプリン」とは、迫力が違うとです、ハイ。

さすがに1人で完食・・・はムリです。
カラメルをもっと多く、そしてほろ苦くしないと完食は困難です。ただ単に「甘ったるい」だけです。

と言うわけで、現場よりお伝えしました。(^^ゞ

2007.03.02

減薬?代替?

本日、定期通院日。
今日は先生が1人だったのにもかかわらず、20分待ち。久しぶりに予約の時間を過ぎての診察でした。

で、診察の方は・・・至って変化なし。
ただ、薬で大きな変化があり。とりあえずは安定している状態を見て、ルボックスをなくすことに。パニックの最初の治療薬として使ってきたルボックスが、1年半をかけてなくなりました。もちろんパニックの症状が完全に消えたわけではないので、去年から使い始めたパキシルは継続ですが・・・

その代わり・・・トリプタノールが4錠に。
元々トリプタノールもSSRIができるまではパニックの治療薬として使われてきているし、今でも「3環系抗うつ剤」として残っているので、それに移行したかな・・・と言う感じ。元々トリプタノールを使うきっかけになったのが「不眠」であったため、本来の作用と「副作用」をうまく使っていこう、と言うのが先生の方針みたい。確か「古典的方法」って言っていたっけ。

たしかに「口渇」と言う副作用は結構強めに出てきているけど、その分「睡眠時の不安定感」と言うのは少なくなり、また寝つきに関しても多少は良くなってきたかな・・・と言う状態。
どうやら自分には「古典的方法」がマッチしたみたい。

でも今回の「ルボックス終了」は1つの節目かも。
今日からの服薬内容は毎食後に「パキシル・ワイパックス・プリンベラン」、寝る前に「パキシル・サイレース・マイスリー・トリプタノール」と「状態別」に別れた服薬内容。特に「トリプタノール」の効果がこれからのポイントになりそうな感じ。

結果的には飲む量は以前と変わっていませんが、一進一退の状態といえるのでしょうか。
ただ一番効果のある薬は「就職決定」なんだけどね・・・

2007.03.01

まだ、出ないぞ。

今日から3月・・・と言っても、なーんにも動いていません。
求人も相変わらず・・・といったところでしょうか。うーん、今日3月になったばっかりだしね。

思えば去年の今頃も「次の場所を・・・」と探していた時期。
だからハッキリ言えば転職活動を始めて1年が経ったと言うことかな・・・1年かぁ。
そんなはずじゃなかったんだけどな・・・

当初は半年ぐらいで終われば・・・と思っていた求職活動。
しかし現実は厳しく、自らの「現状」も足を引っ張った状態。「足が引っ張られる」ことは重々承知していたんだけどね。でも実際にそれを目の当たりにすると悔しい思いをすることもあった。そして変なプライドも持っていたし。

かといって、今はその「プライド」を捨てたかと言うと、決してそうではないし・・・
先生からは「もっと現実を見て」と言われているので、多少はプライドを削ってはいるものの、やっぱり「もしかして」と言う可能性にかけている自分がいるもの事実。実際、パートで応募したのはまだ1件だけだし。

そして3月・・・求人にも期待がかかるが、今のところ成果はゼロ。
無論、3月は今日始まったばっかりだからこれから出てくる方が多いと思うけど、先行き不透明感は否めない事実。

でもどっかで「合致点」を見つけないといけないかな・・・と思うのは事実。
変にこだわってもしょうがないし、尻込みばっかりしていても意味はない。もちろん一番いい形は、昨日の面接で「採用」となれば一番良い結果だけど・・・そればっかりに期待してもしょうがない。

いよいよと言うか、ついにと言うか・・・勝負の「3月」がやってきた感じですね。

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