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思ひ出アルバム

  • 卒業式が終わって・・・
    以前HPで行っていた「todya's photo」の写真や「御岳写真館」で使用していた写真を再び復活させるべく、「思ひ出アルバム」として随時更新していきたいと思います。また最近の写真でも「思ひ出」となるものについては、ここに納められていくことになるでしょう。

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2007年1月

2007.01.31

ポカポカなの?

今日こそは行って来ました、人材センター。
久しぶりの人材センターだったのでなんかやり方も違っていましたし、求職の有効期限が2ヶ月から3ヶ月になって、活動をする上ではわざわざ2ヶ月経ったら更新に行っていたのが1ヶ月伸びたことで、だいぶ負担も軽減です。でも検索機の使い方とか、紹介状の出し方とか色んなところでちょっとずつ変わっていたので、使い方に戸惑ったのは事実。でも紹介状を出してもらった時に色々と説明を受けたし、自宅でも人材センターにある求人票と全く同じものを閲覧できることを知って、次回から人材センターで紹介状を出してもらう時は楽だな、と感じました。

で、人材センターまで行けば、お決まりのコースです。
その前に、飯田橋でちょっと遅い昼食。久しぶりにお好み焼き(正式には、モダン焼)を食べて「なんかお店の雰囲気が変わったなぁ・・・」と感じつつも、黙々と食す。で、意図しないところでふとコップを持ち上げたら、お水を入れる店員さんとバッチリあってしまい、そのままおかわり。別に水をおかわりするつもりはなかったけど・・・(^_^)

腹ごなしをした後は、有楽町線で直通。
ただ、有楽町に着いたときは既に3時前だったので、「このまま(美術館に)寄って行くと遅くなるかも・・・」と思い、紹介状に書いてあった応募先に電話。すると履歴書を送ってくださいとのことだったので、そのまま要件だけ伝えて終了。心のオアシスにいってきました。

今年最初の美術館。去年は年末ということもあり、会員向けプレゼントはミニカレンダー。
で、年明け最初の会員向けプレゼントは「ミニ書き写し」と言うもの。

Dscn0045中を見ると「ひとりでもいい」と「めぐりあい」の作品が薄く印刷されており、それをなぞる、と言うものらしい。
そういえば最近は脳の活性化に「書き写し」が流行っていることを思い出し、「あぁ、それか」と納得しました。

で、写真にも書いてあるけど今回の企画展は「詩のひ・み・つ」との事で、展示作品はいつもに比べて少ないなぁ・・・と感じる一方で、テーマどおりに「詩」がいくつも並んでいました。解説を見ながら「あぁ、そうなのかぁ!」と納得することばっかり。作品も好きだけど、作品になっていない「詩」にも今回は見とれてしまいました。そしてもちろん、今回も企画展ブック(いわば、展示物の作品集)を買いました。これで自宅にある企画展ブックの数は8冊目。きっとどんどん増えていくのでしょうね。

美術館を出たのは4時前。
風も出てきて、ちょっと涼しいと言うか、肌寒かったです。今日は「ポカポカの陽気」と天気予報では言っていたけど、ポカポカの時間はまだちょっと短いみたいです。

2007.01.30

やり直してないじゃん・・・

昨日のblogで「明日からやり直しです」と言いましたが・・・ちっとも「やり直し」てないです。

元はと言えば、「気合が空回り」したこと。
いつもなら9時、9時半頃に起きるのが、今日は8時。「せっかく目覚めたのだから・・・」と思い、朝食を食べて薬を飲んで、一休み。今日の予定は午前中はのんびり過ごして、12時前に昼食をとって、12時過ぎに出かけよう・・・と考えていました。
しかし「一休み」が最後まで尾を引いてしまいました。

時刻は9時、出発までにはだいぶ早いため、いつものようにオケ観賞。と、しばらくしているうちに睡魔に襲われ始め・・・
時間を見たら、12時過ぎ・・・ウギャ!

8時の起床、台無しです。
もっとも、前夜は寝つきが悪くなかなか寝れない状態。許容範囲内の「寝付けない状態」でもあったのだが、それでも普段より睡眠時間は少なめ。それが影響してか、頭の中では「12時」と認識していながらも、なかなか起きれない。もちろん、眠気が覚めなくてなかなか起きれない状態。そしてようやく起きたのは、12時半。

予定が狂うと気持ちまで萎えてしまうオイラ。
昼食は薬を飲むため食べたものの、完全に午後の予定はオジャンになってしまいました。ハローワークの方も求人がなかったし。
あぁ、つくづく「ダメ人間」と思うオイラ・・・やっぱり「リハビリ」は必要か???

いやいや・・・それは自分の「精神力」の問題で、病気が理由ではない。単なる「堕落」だ!
明日こそは断言しておきましょう。午後に人材センターに行って、心のオアシスに行くことを。

よって、明日は例の場所に入ることをここに「宣言」します。
ウン、これくらいやっておけば明日は何とか行動に移せるかな???(笑)

2007.01.29

事はそんなにうまくいかない。

この前の面接、前向きな手応えといったものの、やはり結果はダメでした。
うーん、わかってはいるのですが、そう簡単には事は進みませんね。ただ、一方で、その次の日に書いた「2つの気持ち」があったのも事実です。

正直な気持ち、「リハ助手」と言われた時は「介護経験としては・・・」と思ってしまったのが本心にあります。
Drから「何にも考えちゃダメ」と言われても、やっぱり「将来につながるもの」として今後につなげたいので、リハ助手としては「介護経験」と言う意味では弱いなぁ・・・と言う打算がありました。また「リハ助手」として入った時に、また「作業療法士の道に進みたい」と言う無茶な夢をぶり返したくなかった、と言う思いもあります。その理由は「幸福論」で書いたとおりですが・・・

ただ「採用できない」と言われながらも「リハビリテーションとして週何回と決めて、Drから診断書をもらえればまた話すこともできる」と言われたのも事実。でもやっぱり同じ理由から、この方針はなしかなぁ・・・と思っています。「待遇とか考えちゃダメ」と言われても、何もかも考えずに・・・とは、いくら言われても底まではなかなか妥協はできていません。だから「身分」についての妥協(正社員かパートか)はしましたが、待遇面では「半妥協」の形で、こういった形での妥協はちょっとしたくありません。まぁこの話、Drが聞いたら「それでもいいんじゃない?」と言うかもしれませんが、自分としては「それならばもう少し先の可能性を考えたい」と言う部分があります。

その証拠に、面接を受けてから結果が出るまでの間に気になる求人が出たの事実。
内心「受けたいなぁ・・・」と思う反面、「仕事が決まったら受けられないなぁ・・・」と思った部分もあったので、今回結果が出たことでその部分を気にすることなく、応募することができます。

もちろんこれから応募する求人、どんな求人もそう簡単に物事はうまくいくとは思っていません。
むしろ「あたって砕けろ」の精神であり、ダメモトでの挑戦です。でも自分は不器用なので、そういうことしかできないんです。(それが「難治」の理由でもあるのですが・・・)

1つ結果が出たことで、また明日からやり直しです。

2007.01.28

気ィ入れて!

日曜日、珍しく9時半に起きました。と言っても、パンと薬を飲んだ後はまた寝てしまいましたが・・・
いや、「寝る」のは訳あってですよ、午後への「充電」のために。

「充電」と言うのは、出かけるため。で、どこに出かけたかと言うと、ダイヤモンドシティ
前回行ったときは本当に大混雑でしたが、オープンしてしばらく経っているので、駐車場の方も落ち着いていました。ただオープン時はワンサカいた警備員が今日はゼロ。たしかに落ち着いているとはいえ、休日の時ぐらいは大目に配置してくれてもいいんじゃない、って感じでした。

今回は「初モノ見学」ではなく、連れて行く立場。
珍しく兄が休日に公休が重なったため、兄がかねてから「行きたい」と言っていたミューに行くことに。自分も兄が行きたいといっていることを知っていたため、その希望をかねえるために「充電」をしていきました。

と言うより、そんなに「充電」してまで行くべきところなのか?正直自分にとっては、そんな感じです。
兄貴にしてみれば「車に乗っているだけ」なので何の苦労もありませんが、運転をする身になると、これが別なんです。ダイヤモンドシティに行くための道は複数あるものの、当然一番短い距離で行こうとするのが、ドライバーの本心。ただ、その「一番短い距離」と言うのが、片側一車線の道路。つまり、迂回路が一切ない道路をひたすら走るだけ。逆を言えば、詰まったらハイそれまでよ、の状態。またミューの駐車場内も詰まったらハイそれまで、であり、この辺に「ストレス」を感じるんですよね。基本、渋滞大っ嫌い人間ですから。

で、ミューに行くとなれば「詰まること」は覚悟の上で行かなければならないため、「充電」が必要なわけなのです。
「充電」と言うよりは「気を入れて」と言った方が正しいかもしれません。まぁ実際には想像通りの感じだったので、思ったよりもストレスを感じることはなかったけど、やっぱりミューに行くには「気」を入れないと無理そうな感じ。多分「自分の利益」がないから、そう感じるのでしょうね。何か他にモチベーションになるものがあれば、また気の入れ方も変わってくると思いますが・・・

それにしてもミュー、相変わらずの人手です。休みの日に時間を潰すには、いい場所かもしれませんね。
(あと、デイサービスで行くのもいいかも・・・って、その前に自分の身を固めないと・・・)

2007.01.27

「見守る」時間

今日は普段よりも遅めに祖母のところへ面会。
と言っても、今日は直接面会することはなかった。と言うのも、今日は1月生れの利用者の誕生日会だったから。

母親は早く行きたかったみたいだけど、自分は「始まる直前に行けばいいんじゃない」と言ったため遅く行くことに。そして特養に到着すると、既に利用者は全員降りていた。その中に、出口から遠いところに祖母の姿が。正直、早く行ってたら帰りにくくなってしまう、と思い、遅めに出てきてよかったと思う。ただ話すことができないのはちょっとかな・・・と思った。

ただ、今までの面会はいつも「関わり」を持っていたので、「普段の姿」を見る意味で「関わらない面会」もありかな・・・と思い、今日は遠巻きに見守り。(本音を言えば「脱出癖」を恐れた自分がいたのも事実。以前療養病棟に入院している時、風船バレーボール大会中に面会に行ったらコートから出て行きそうになったことがあったので、今回も強引に出たいと言い出しちゃうかなぁ・・・と考えた部分があったため、あえて関わらなかった、と言うのもあるけど。)
祖母の様子を見ていると全然周囲を気にすることなく・・・と言うよりも、無反応と言った方が正しかったかも。周りの様子を見ようとしないから、当然うちが面会に来ていることも理解していない。仮に周りを見渡していたとしても、祖母の目では自分たちを把握することは難しいかな・・・と思った。

で、誕生日会が始まり、1月生れの利用者を紹介。
最初こそは周りに合わせて拍手はしたものの、その後は一切動きなし。周りが歌を歌い始めても歌う気配すらない。というより、やっぱり「無関心」なのかもしれない。

そうやって会が終わるまで様子を見ていたけど、とりあえず「食事」に関しては「自分でやる」ことはしていることを把握。多分うちが来ていることを知っていたら行動も変わっていたかもしれないけど、1人しかいないときはそれなりに行動していることは把握できた。いなきゃいないで、自分でやっているみたいだし。

普通「面会」って言ったら何らかの「関わり」を持つことを意味するけれど、今回のように「藤巻で様子見」をするのも面会の1つの方法だと思う。それは「拒否」をしているのではなく「意図的な非関わり」をすることで、普段の生活に近い形の「祖母の姿」を見ることができるので、面白いといったら言葉に御幣があるけど、興味深い部分だった。

何でも「関わればいい」って言うものじゃない。今日みたいに「見守る時間」も大事なのかな・・・と感じた1日でした。

2007.01.26

幸福論

今日の内容、一部の方には不快にさせるかもしれませんので、あらかじめお断りをしておきます。

「幸せ」ってなんでしょう?昨日はそんなことがあった夜です。
もしかしたら引き金は昨日の母の発言だったのかもしれませんが、昨夜はひどく不安になり、寂しくなり、大号泣をしてしまいました。それが「幸せ」のこと。

「てんかん」と「パニック障害」、どっちが良かったんだろう・・・こんなことで大号泣です。
要は結局、自分自身がまだ「障害」に対しての受け入れ・・・すなわち「受容」ができていないことなのかもしれません。母親がパソコンで調べ物をしていて、自分に「今までなら調べてくれたのに・・・」と言ったのに対して「もう慣れているでしょ」と返答。そのやり取りの中で「てんかん」と「パニック障害」が出てきたのです。

既にこのblogでも触れているかもしれませんが、今の先生に引っ張り合わせたのは、母親。
母親の「うちの子はてんかんじゃない。波が出ていないんだから」の強い考えからてんかんを専門的に扱う先生の下にたどり着かせるため、「てんかんなんだ」と受け入れ落ち込んでいる自分を尻目に、ひたすらネットで検索。そして意外にもそんなに遠くないところに「てんかん」を見てくれる個人クリニックがあり、初診の病院で「てんかん」と診断した先生に紹介状を書いてもらい、受診することに。(小さい病院じゃなく大病院、と言うことであれば初めから初めから「国立精神・神経センター」に行けばいいだけのことだったけど・・・)

その先生の診察を受けた結果が、「パニック障害」とのこと。以来、ご存知のように治療を続けているわけであります。
話は元に戻って、なんで「てんかん」と「パニック障害」を比較するようになったのか?その根本には「就職活動」があると思います。

これは「雇用上」の話ですが、「てんかん」と診断されるか、「パニック障害」と診断されるかで状況は大きく変わるのです。もし「てんかん」と診断された場合は、雇用保険の基本給付日数は300日となり、通常の90日の約3倍強になります。これは「てんかん」や「うつ」と診断された場合は「就職困難者」と見なされ、給付日数が手厚くなるのです。また「てんかん」と診断された時に「精神保健福祉手帳」を申請し、交付を受けると雇用上の「障害者」と認められ、障害者の法定雇用率に参入されることになっています。

ただし、日常生活面で考えると、やっぱり「てんかん」であることの過ごしにくさと言うのはあります。
まず、基本的に・・・と言うか、車の運転は禁止になります。一定年数以上発作がない状態が続き、医師のOKが出ないと車の運転はできません。また飲酒も治療上の影響を与えるので制限されることになります。ただ、パニック障害の場合は運転の制限はありませんし、飲酒もそんなに厳しくは制限されません。

正直自分にとっては「車」と「お酒」は欠かすことのできない・・・と言ったら言いすぎですが、少なくとも「車」は自分の「足」になっているので欠かすことのできない存在です。ですから、てんかんと診断された時に真っ先に目の前が真っ暗になったのは「車が運転できない」と言うことでした。もちろん、「福祉人」としての自分も終わった・・・と頭をよぎったこともありますが・・・

こう言うことを考えたら、単に「病名」だけで比較するのは不純ではありますが、「てんかん」よりは「パニック障害」と診断された方が、生活上の制限は少なくて過ぎます。しかし、パニック障害である自分は就職面においても何の進捗もなく、また雇用制度面でもなんの恩恵(と言い方は語弊があるかもしれませんが・・・)も受けれずのままにここまで来てしまっています。
そんな状態に嫌気が差して「てんかんとパニック障害、どっちの診察の方がじぶんには良かったのかなぁ・・・」という下らない幸福論を考えてしまうのです。

昨日は泣き明かしたため冷静な考えはなかったですが、ハッキリ言ってしまえば病気云々ではなく、自分がどのようにして「生きる道」を開いていくかなのかもしれません。たしかに「パニック障害」と言う診断が下ったことで、自分は「作業療法士」になるための決定的な致命傷を持ってしまったことは事実であり、これからの生活も恐らく「パニック要因」を避けながらの生活を送っていくことになるでしょう。どんなに「作業療法士になりたい」と思っても、「致命傷」を持っている以上、実現はできないのです。であれば、いかに自分の思いを代償して別の道につなげていけるかが大切なのであり、病気を起因にした考え方ではなく「生活スタイル」を起因にした考え方をすることが大事なのかもしれません。

自分にとっての「幸福論」、まだ先は見えていませんが、少なくとも昨日よりは考えが落ち着いているみたいです。

2007.01.25

冬季うつ?

母親に言われたことです。きっかけは、今日の夕飯。
夕飯・・・と言っても、今日の夜は外食。サンマルクからハガキが来ていたのでそれを食べに行きました。しかし今日の自分、パンをやたら食べること・・・その個数、10個は行ったかも・・・その状態を見て、帰ってきてから母親から「冬季性うつなんじゃない?この前テレビで見たけど、今のアンタの状態にそっくりだし、今日もパンをたくさん食べていたから」とのこと。母親自身もネットで調べたみたいで、自分でもちょっと調べてみることに。(半ば母親から「調べてみなさい」と言われて調べた部分もあるけど・・・)

で、調べてみると「冬だけこんな症状が出たら要注意」と言うのがあった。それが、次の7つ。
 ・以前ならやれた仕事をうまく処理できない
 ・考えたり、集中する力が明らかに落ちる
 ・しょっちゅう悲しく、泣けてきてしまう
 ・自己否定的になる
 ・普段より睡眠時間が数時間長くなったり、朝起きられなくなる
 ・一日中、横になって過ごしたい
 ・炭水化物に偏る食事をコントロールできない、体重が増える

うーん、当てはまると言っちゃ当てはまるけど、別に冬に限定したものじゃないし・・・と感じる。
じゃ普通の「うつ」と冬季「うつ」は何が違うのか・・・と言うと、こう言うことらしい。

  うつ病 冬季うつ
なりやすいタイプ まじめで頼りがいがある、責任感が強い、完璧主義、周囲の人にどう思われているか気にしやすい 欧米では女性、日本では男性に多い。近親者にうつ病歴のある人がいるなど
原因(きっかけ) 家族やペットの死、親しい人との別れ、失恋、受験の失敗、昇進、転職、転居、結婚、離婚、妊娠・出産、失業、事件・災害の心理的ショックなど より高緯度の土地への転居、北向きなど光が入りにくい部屋への転居、生活リズムの乱れ、過度のダイエットによる食事の偏りなど
時期 とくになし 症状が出る時期は個人差があるが、その人の周期はだいたい毎年同じ。夏の終わりから春先までという人もいれば、真冬だけという人もいる。夏は躁状態となり、食欲、睡眠欲が減り、社交的になる人が多い。
症状 心の症状:憂うつになり人生に希望がなくなる、仕事を含め生活全般に対して無気力になる、些細なことから不安に陥りやすい、自分に自信がなくなる、判断力が低下するなど
体の症状:不眠、動悸、頭痛、肩こり、疲れやすい、食欲不振、性欲低下など
炭水化物を多く含んだパンやご飯、甘いものなどを好む。睡眠時間が長くなる、性欲低下、人付き合いがおっくうになる、集中力低下、好奇心全般の低下など

正直な話、どっちに当てはまると言えば、どっちに当てはまっているんです。
例えば「なりやすいタイプ」で言えばうつ病・冬季うつ共に合致している部分はあるし、症状も両方あると言えば、あると言える。ただ、たしかに「嗜好の変化」は若干あり、最近は甘いものを好むようにもなってきているのは事実。以前は「チョコレート」と聞いただけで拒絶していたのが、最近は「チョコレートパフェ」でも気にすることなく食べるようになっている。おまけに、今の食習慣はほとんど炭水化物中心。そう考えると、まんざら「冬季うつじゃない」とも言いがたいことも確か。

でもね・・・基本オイラは「うつ」持ちなのかもしれないので、冬季だろうが夏季だろうが関係ないのかもしれないけど・・・
一応母親には「気になるならまた今度一緒に病院に行って先生に聞いてみて」と話しましたが、どうなんでしょう?自分からはあんまり聞く気にならないので、母親に聞いてもらって先生に診断してもらった方がいいと思っているので・・・

ただ、たしかに「好奇心全般の低下」はあるんだよねぇ・・・うん。


参照;healthクリック「冬だけ甘いものが欲しくなる-ひょっとして「冬季うつ」?

2007.01.24

2つの気持ち

昨日のblogでも「採用されたい気持ちと、採用されたくない気持ち」に触れました。
依然として、心境は同じです。

就寝前のトリプタノールが増量になったためか、睡眠時の緊張はだいぶ落ち着いてきました。ただ、入眠できないのは相変わらずです。仕方がない部分もあるので・・・

「採用されたい気持ち」と言うのは、まさに目の前の問題・・・特に「仕事をしたい」と「収入を得たい」の2つの気持ちがあるから一刻も早く「採用されたい」と言う気持ちがあるのだと思います。
反面「採用されたいくない」と言うのは「まだ他に自分にマッチするのがあるのではないか」と言う未知数の「可能性」にかけたい気持ちがあるのかもしれません。特に先生の指導で「待遇面とか考えちゃダメ」と言われても、内心どこかで「少しでも高待遇の場所を・・・」と思っている気持ちがあるのかもしれません。

ただ、昨日の場所のように「障害は関係ない」と見てくれるところが少ないのも事実。
そう思うとどこかで自分なりの「合致点」を見つけないといけないのかなぁ・・・と感じているのも事実であり、それが「採用されたい」「採用されたくない」という2つの気持ちを抱いているのかもしれません。

あぁ、あと「先を、先を」と急いでいる自分がいるのも確か。
先生からは「目の前のことを」と言われているのに、いつの間にか「その先のこと」を考えている自分。
28だから人生設計を考えるのはまだ「早い」のかもしれないけど、だからこそ早めに自分の人生設計をしたいと考えている部分があるのかもしれない。昨日の面接でも「もう28なんで・・・」と言ったら「まだ若いじゃん」と言われてしまい、自分の考える「28歳」と社会的評価の「28歳」にギャップがあるのかもしれない。自分の場合は、もうすぐ三十路じゃん・・・と思ってしまう部分があり、いい加減安定させないと・・・と思っている気持ちがすごく強い。でも社会的に見たら「まだそんなに考えなくていいんじゃないの?」と評価している部分があるのかもしれない。

特に自分の場合はどうしても「社会福祉士」という看板を背負いたい気持ちが強いのかもしれない。
これからの経験に関しても「社会福祉士と言う看板」を光らせることのできる仕事をしたいと言う思いがある。この気持ちを先生は「向上心が強い」と評価する一方「現実を見ないと・・・」との指導もされている。

たしかに自分の場合「現実」に対しての認識が甘い部分があるのかもしれない。
または、その現実から逃れようとしていたり、無理を承知で強行突破しようとしている部分があるのかもしれない。

正直、昨日の面接結果は気になります。なるべく早く結果が欲しいです。

2007.01.23

前向きな手応え

予定通り、面接に行ってきました。今回は、老健のデイケア職、パートです。

一言で言うと、何となく「前向き」な面接でした。
今までは結構「障害」のことについて聞かれ、その結果不採用だったりすることが結構あったけど、今日の場所では障害のことを把握した上で、障害のことに関しては一切触れずに終わった。面接したのは、リハビリテーション課の課長。現役の、作業療法士・・・まさに、自分が目指していたところ。

障害のことは働く上で関係ない」といったのは、課長の方。
結果的に診断がついただけのことであって、それに関してどうだ・・・ってことは一切ない。自分が作業療法士だからそういう考えなのかもしれないけど・・・」と言ってくださったので、逆にホッとしたためか、今までの心境や障害を受けたときの気持ちを吐露もしてしまった。ただ、本当に前向きに見てくださっている方で安心し、やっぱり「作業療法士の考えは影響を与えるな」と実感。作業療法士になりたいと思ったのも結局作業療法士の方の話を聞いてなろうと思ったし、今日みたいに考えてくれる人がいると、やっぱり「作業療法士」に憧れる。
ただ、正直自分は「作業療法士」の道には戻れないだろう。

面接の中で「今回介護職としての募集だけど、これとは別にリハ助手としての(採用されることに関して)考えはある?」と聞かれ、病院の先生から「何でもいいからやって見なさい」との言葉を借りて「ハイ、リハビリは興味のある分野でしたので」と答えた。無論、作業療法士を目指したのだから興味がないわけではない。ただ「ここでの経験でまた作業療法士になる考えとかは?」と言う質問に関しては答えに詰まってしまった。できることなら作業療法士になりたい、でもなる過程において「致命的な欠陥」(人体解剖が受け入れられない)がある以上、自分はその道に戻れないと思っている。

だけど、自分は「作業療法士になることはできない」と思いつつも「福祉分野からのアプローチ」と言う、新たな考え方を持つようになったため、仮に「リハ助手」として採用されたとき、「福祉の分野から考えたリハビリテーション」を提言なり、意見することはできるだろう。これは「作業療法士」の道が閉ざされたからこそ、そう考えられるのだろう。

面接後に施設案内をされて、キャブの操作方法を見て、面接は終了。
「自宅と携帯、どっちがいいですか?」と聞かれたので、今回の面接は今までの面接に比べたら「前向き」な方向なのかなぁ・・・と感じた。ただその一方で「採用されたい」と言う気持ちと「まだ採用されたくない」という、2つの気持ちが存在していることも事実。ちょっと、複雑な心境です。

2007.01.22

志望動機・・・

面接の日前日になりました。で、とりあえず「志望動機」を形式的ながら用意しました。

とはいえ、「志望動機」のぶっちゃけた理由は「医師に言われるがまま」なんだよね。
だからと言ってそれをそのまんま書くわけにも行かないし・・・で、落ち着いたのは「自分ができる部分に挑戦してみたい」という無難な理由。職務経歴書にはもっとカッコいいことを書いてあるけど、結局今の自分にとっては「体裁」だけを整えたみたいなもので、それといった理由は本当に思いつきません。「行動」だけが先に進んでいるので・・・

もちろん「やりたいこと」であれば色々と志望理由も出てくるかもしれないけど、「できること」にチャレンジするとなると、なかなか志望動機が出てこない。仮に、それが「障害者分野」であればまだ出てくるかもしれないけど、今回は「高齢者分野」、それもきっとその分野(本人は拒絶しているのに・・・)に挑むことが多くなってくると、そのたびに「志望動機」を考えるわけで、一苦労するわけです・・・

ただ、本人的に本人の都合で理由をつけるのであれば「心・体・頭のリハビリテーションにふさわしい場所」と言うべきなのかもしれない。

「心」のリハビリテーション
 →障害で傷ついた自分の心を対象者を通じて「セルフケア」をしていき、「自分らしさ」を取り戻す。
「体」のリハビリテーション
 →社会復帰が遅れる中で鈍った体を通常の生活に戻すことによって、健康な体を取り戻す。
「頭」のリハビリテーション
 →錆付いた考え方がついてしまった頭を、新たな分野にチャレンジすることによってリフレッシュさせ、「気づき」を取り戻す。

うーん、ホント、俺の都合だけの理由。全く、利用者を無視した内容。
実際にこれを発言するかは別にして、でも少なからず「自分自身のため」にも仕事をすると言うのはあるだろうと思うし、まずは自分の健康を取り戻すことが、志望理由の本音なのかもしれない。

まぁどうなるかは、明日次第です。

2007.01.21

「納豆」はわるくないのに・・・

Yahooニュース「あるある大事典 「納豆ダイエット」はねつ造 関西テレビ」

 関西テレビ(大阪市北区)は20日、今月7日にフジテレビ系で全国放送したテレビ番組「発掘!あるある大事典2」で、事実とは異なる内容が含まれていたと発表した。「納豆を食べるとダイエットができる」との内容だったが、研究者のコメントや被験者の検査データをねつ造していた。同テレビは社内に調査委員会を設け、原因の究明を行うとともに過去の放送分についても検証を行い、番組を継続するかどうかを含めて検討する。また、21日午後9時から放送予定だった同番組は、テーマは納豆ではないが放送を休止し、後ろの番組の「スタメン」を1時間前倒しし、冒頭で一連の経緯を説明する。
 同テレビによると、(1)被験者がやせたことを示すのに別人の写真を使用(2)米の大学教授の発言の日本語訳の一部をねつ造(3)被験者の一部の中性脂肪値が正常値になったとしたが、測定せず(4)納豆を朝2パックまとめて食べた場合と、朝晩1パックずつ食べた場合の比較で、被験者の血中イソフラボン濃度の結果をねつ造(5)被験者の血中のDHEA(ホルモンの一種)量検査のデータをねつ造、また、許可を得ずグラフを引用--していたことが分かった。
 千草宗一郎社長は「報道機関でもある放送局として、視聴者の信頼を裏切ることになった。誠に申し訳ない」と謝罪した。(毎日新聞)

言うまでもありませんが、絶対にやってはいけないことをやってしまったんですよね。
ただねぇ・・・別に「納豆が悪い」ことじゃないですからね。昨日地元のスーパーに行ったら納豆のコーナーは完売で空っぽの状態。それが1日経ってこの報道。今日は別にスーパーに行ったのですが・・・山積です。しかも、控えの商品も待っている状態。「お蔭様で・・・」というか、今日のうちの夕食は手巻き寿司。問題なく、ひき割り納豆を買うことができました。

昨日まで大人気だった納豆。それが、手のひらを返したように山積に。
うーん・・・たしかに「ダイエット効果」はなかったかもしれませんが、「納豆」そのものは非常にいい健康食品ですし、毎日食べて毒になるようなものじゃないのですから、「問題」は問題として別に扱って、「健康のため」にも、納豆をこれからも食べて行きましょ。大体、すぐに「ダイエット」と言って飛びついてしまう私たちも、納豆を作ってくれている方々を圧迫させていたのは事実なんですから。「ダイエット」に効果がなくても、「健康」として、今までも変わらず納豆を食べて行きましょ。納豆は悪者じゃないのですからね。

2007.01.20

初雪

今シーズン最初の初雪です。祖母の特養にて。

もちろん積もるほど降ることはなかったものの、特養はやや「山の中」に位置するため、一時的に結構降りだしていた。初めのうちはかすかに「チリ」が落ちているなぁ・・・程度だったけど、次第に映画のワンシーンのような降り方をしだした。もちろん「積もる」と言う心配はしなかったし、大丈夫だろう・・・と思ったけど、帰りにオートバックスに寄って「保険」の意味でタイヤチェーンを購入。去年車を買い替えたため、タイヤの扁平率が変わり今までのチェーンをつけることができなくなってしまったため。まぁ、多分使わずに終わりそうな気もするけど・・・

さて、話は特養の方に戻して・・・
先週とは打って変わり、ベッドサイドで座位をしている状態。「ヨウ!」と手を挙げると、ちゃんと返してくれる。今日は反応がいい。また、伯父夫妻とも一緒になり、今日は一挙に押し寄せた感じ。(もっとも、うちも伯父夫妻も「明日が雪の可能性」と言うことを考えて今日行ったのだが・・・)

ちょうど行った時間は「おやつ」の時間で、おやつを食べている途中。
特に話はないけれど、表情を見て「あぁ、今日はいい感じだな」と捉える。おやつを渡すとスーッと食べ、お茶を渡すとスーッと飲む。依然として嚥下に難はあるものの、今ではトロミを使わなくても大丈夫な状態。
(でもぶっちゃけここだけの話・・・こんなに早く特養に入所できるとは思っていなかったため、自宅にはトロミアップ1ケース(30本)とアイソ20本近くが「在庫」状態。こんなに残ってどうしましょ・・・って状態。もうちょっと病院に入院していて使うかなぁ・・・と思ったのに。)

おやつを終えると、一応会話。
最近は「話したいこと」がすぐに出ないためか、だんまりが続く。だけど手挙げ運動(右手と左手・左手と右手を合わせる鏡面運動)に関しては、何気なく働きかけをすると行う状態。一応、「習慣」としては染み付いているみたい。ただ母が「手を持ってくる位置を変えてみたら?」と言い、手の位置を変えると反応をしたため、自分がわざと両手を交差させて手を挙げると、祖母の顔が「オマエ、なんてことをするんだい!!!」と言わんばかりの表情。狐につままれたと言う表現がぴったりのような顔をしていたので、思わず笑ってしまった。

その仕返しのためか、オイラが話しかけているのに、伯母が横から話しかけると「これ幸い」と思ってか、オイラと話さずに伯母の方へ。ハッキリ言ってしまえば「オマエと話すと頭使って疲れるから、伯母にチェンジ」と言う状態だろう。福祉に携わっている人間がこんなことを言うのは怒られるかもしれないが、変なところだけは知恵を使っている状態。

そんな感じで、今日は比較的働きかけの多い状態で面会終了。
まぁ表情が良くなっていたから良かったかな、と言うのが正直なところ。もう会話に関してはあんまり成立する余地がないから、スキンシップが中心の状態になっているのが、今の現状。事実、ベビークリームの塗り斑をオイラが「佐伯チズ」方式で直してもいるし、それに対して「気持ちいい」と一応は言ってくれているので、これからはそういう形での働きかけが多くなるのかなぁ・・・と感じている。

まぁ、オイラのように(?)「大病」をしなければ、いいですけどね。

2007.01.19

行動はしたけれど・・・

本日、定期通院日。母親同伴の通院。話題は「就職」について。

症状的には安定しているものの、「就職」の話については、依然として進展のない状態。
で、今回は母親も交えての通院となったわけだけど、やっぱり最初の話題になったのは「福祉に向いていない」発言のこと。これに関して先生は「うーん、そんなことはないと思いますよ。あなた、優しい人だし。福祉の線で求職していくことは良いと思いますよ」とのこと。ただ、待遇面については「求めちゃダメ」とのこと。

現実的に考えて、障害者をすぐに雇う企業は少ない。だからいきなり「正職員」を求めるのは無理がある。だから最初はパートやアルバイトなど、小さい段階からステップを踏んでいって、徐々に進めていくのが一番いい方法。だから今の時点で給料とか待遇を求めちゃダメ。それができないと、福祉の道でもできない。「急がば回れ」と言うように、少しずつ階段を上がっていくのが一番いい方法。あなたにはそれだけの力があるのだから。

とのこと。就職の話は今回が3回目だったけど、今日はちょっと強く先生が出てきたかなぁ・・・って感じ。
「お給料も求めちゃいけないのかぁ・・・」と思うと、妙に楽な気がした。どうしても「働かざるもの、食うべからず」の考えの下、家にもお金を入れなくちゃ・・・との思いからどうしても給料のことを考えてしまっていたけど、母親が一緒の中で「お給料も求めちゃダメ」っていわれたら、何となく楽になった気分でした。

診察終了後はすごくもやもやしていたけど、帰りの電車の中で「何も求めないのかぁ・・・」と考えていると、なんだか闇がスーッと晴れだした感じでした。「何も求めない。ただ、働くこと、これ1つ」と思った瞬間、何かが吹っ切れた気がしました。

夕方、母親を病院に送った後、そのままハローワークへ。
色んな求人を見た中で、パートの介護職の求人を見つけ、紹介してもらうことに。吹っ切れるとまた行動も早いみたいです。

ただ・・・紹介をしてもらったのはいいんだけど、「志望動機」をどうしよう・・・と一案。
面接は来週の火曜日。それまでに志望動機を形式だけでもいいから考えないと・・・と思うMitakeであります。

2007.01.18

精神不安定

昨日発言した「絶対に負けない」発言。でも・・・やっぱり弱気です。
入眠も不安定な異常帯となってしまい、今日の午後からはさらに症状が悪くなってきました。

たぶん、自分にまた「迷い」が出てきてしまっているのかもしれません。
表向き「絶対にギャフンといわせてやる!」と反発してみた一方で、求人を見て「できそう」と言う自信がちょっと喪失している部分もあります。そのことがフラストレーションとなり、自傷や精神不安定の状態に陥っているのかもしれません。

それともう1つ、明日が通院で、親も同伴することも多少影響しているのかもしれません。
先生のほうも1度親を交えた診断をする機会があって良いと考えているのか、「親御さんが来れる日」と言うのを指定していました。もっとも、去年最後の診察の時に先生の話を聞いて、「一度母親も一緒のほうがいいのかなぁ・・・」と感じた部分があって、前回の診察の時に一緒に行ってもらえるか聞いてみたが「仕事が忙しい」と言う理由で、前回は1人で受診。そのことを先生に言ったら「じゃ、今度はお母さんと一緒に来られる方がいいね」とのこと。

そういう理由で明日は「親と同伴」の診察に。
一度は「反骨心」を見せたものの、実際の問題となると正直今は「仕事が怖い」と言う気持ちがあるのかも。もっと言えばすべてのこと、あらゆることに対して「弱気」になっている自分がいるのも事実で、久しぶりに自殺願望もちょっとだけ抱いてしまった。もちろん、結局「死ぬこと」もビビッているからそんなことはできるわけもなく、今の現実から消えることもできない。だからその「捌け口」が「自傷」と言う形で自分を噛んで見たり、殴れるところを殴ってみたり・・・と不十分な発散になってしまう。
そして、気がつけば仮睡・・・そんな自分に何時しか疲れて寝てしまったのだろう・・・

多分今日も、入眠は悪いでしょう。
そう、「悪い」と思うから入眠できないのであって、思考を変えようと思うと逆に目がさえてしまう・・・そんな悪循環にまたはまっていくのでしょう・・・人生、なかなか順調には行かないものです。でもそれが「人間」なのかな?

2007.01.17

絶対に負けない

昨日は実習でした。結論から言うと、不採用です。

「利用者との様子を見て欲しい」と言うことで、終日利用者と関わることはほとんどなく・・・と言うか、自閉傾向の強い利用者だったため、関わることが難しかった。途中、利用者から他害を受けそうになるし、今までの実習とはちょっと違った実習になりました。

で、実習が終わった後に副施設長・施設長の順に面接。
そして施設長との面接の中でこの施設に対して感じたこと、思ったことを「自分の言葉」で話したつもりだった。しかし施設長からは完全に自分の行っていることを斬られてしまった。

冒頭、施設長から「キミは頭のいい人なんだね」と切り出されてから「確かに君の言っていることは間違っていないし、正論である。ただ、君の言っている言葉は「教科書の内容」を上手に切り取って、それをうまく当てはめて話しているだけのことであって、君の経験や体験がその言葉の中には入っていない」と言われた。

続けて「福祉の世界で起きていることは「現実の世界」で起きていることであって、若干のスキルは必要かもしれないけど、その現実に対処していかなければならない。だから君のように頭の中で考えてしまっていては結局「矛盾の結論」に突き当たってしまい、対処できない・気づきのない状態になってしまう」と言われた。
そしてトドメの一言として「君は福祉の世界に向いていないのかもしれない」と。

正直なところ、施設長の言っていることに対しては全く全く反論はできませんでした。
施設長は「これからの餞の意味として」と前置きをして話す、と言っているけど、施設長に言われたことは完全に図星のことであり、その1つが「この場所はあわない」と思った一件につながっていくのかもしれません。結論として「この施設のレベルは非常に高いと思っている。だから君を一度呼んでみたけど、今日の話を聞く限りでは、この施設での君の成長は期待できない」と言うことだった。

今まで忌憚な意見を言ってくれる人が少なかったのかもしれないけど、言われたことに妙に納得した部分がありました。
しかしそれ以上に「福祉に向いていない」と言う発言に対しては、強い反骨心を抱いたのは事実です。本音を言えば、この施設に採用されたいと思う半面で、まだ他の施設を見てみたい、と思っていた部分がありました。そういう意味で、これからの就職活動を進めていく上では貴重な実習を送ったと思っています。だけど「福祉に向いていない」と言われたことに関しては、その場では何にも反論はできませんでしたが、基本負けず嫌いの性格なのか「絶対に福祉の世界で一旗挙げてやるぞ」と言う、強い気持ちが芽生えたことも事実です。

向いているか向いていないか、それは自分でもわからない。でも「信念」としては持っていたい。
それをたった3年の経験で「向いていない」と言われる筋合いはないし、あくまでも「この施設」には向いていないと言うことであって、他の施設や分野では可能性はわからないと思っている。それに、たった一人の発言だけで自分の人生を左右されたくはないし、俺は俺の「信念」を持ってやっていくだけであり、今の時点では福祉の道から逸れることはありません。

長いトンネルが続いていますが、絶対にこの発言には、負けませんから・・・俺。
いつか「ギャフン!」と言わせてやる決心をもった1日でした。
(でも昨日の夜は、その発言が悪夢のように取りついて寝ることができなかったんですけどね・・・)

2007.01.15

明日は、実習

先日の面接を受けて、明日は実習です。
一応内容は聞いているのものの、やっぱり緊張しますね。どんな利用者がいるのか楽しみな反面、不安もいっぱいです。今回に関して言えば「期待<不安」の状態かもしれません。

内容は1日公園清掃に出る、と言うことで、作業そのものは大丈夫だと思っています。
ただ「利用者との関係」と言う部分に関しては、やはり「不安」があり、やっぱり「ブランク」が結構精神的にも影響しているのかなぁ・・・と感じてます。

ホント、なんでしょう・・・言葉に言い表せない今の状態。
その影響で、やっぱりオナカにも着ています・・・症状が。

と言うことで・・・今日は早めに休みます。久しぶりに、朝起きるので。
あと・・・明日はメンテナンスなので、blogはおやすみです。詳細や感じたことは、水曜日になりまーす。

2007.01.14

気力、なし?

相変わらず、犯人はわからずじまいです・・・

で、午後から祖母の特養へ。
ここ最近は車が少ないせいか、それとも休日のためか、非常に特養までスムーズに行けている。
普段なら車で1時間ぐらいかかるのが、今日は40分。お正月のときはもっと早く30分で行けた。さすがにお正月のようにはならないけど、それでもいつもに比べたらはるかにスムーズ。だから予定時間よりも早く到着しました。

入り口で手の消毒(一応、ノロ対策らしい・・・)をしてから、居室へ。
居室へ行くと、布団に包まっている祖母。どうやらうちが来たことは理解したみたいだけど、起きようとしない。いつもなら起きるのだが、今日はその気配を見せない。で、母親が色々聞くと「これから裸にさせられるから、温まっているんだ」とのこと。どうやら「入浴」があるみたいで、それまでの間は寒いから、布団に入って寝ているとのことらしい。

だけどねぇ・・・面会に行って起きない、って言うのは風邪引いた時以外はなく、初めての行動。
そんなに寒さを感じるほどではないし、熱も感じられなかったが本人が「寒い」と言うのだから、しょうがない。
一向に起きようとしない。

そんな中、立て続けに伯父夫妻も面会。ちょうどうちが到着して20分ぐらいのこと。
祖父が着ても起きる気配はないし、動こうとする様子もない。正直、最初に来たうちらでは埒が明かない状態。
そんな時は・・・ハイ、タッチ!

と言うわけで、今日は史上最短の面会時間、30分もいませんでした。
どうも祖母の様子を見ていると、段々と「楽な方、楽な方」に行こうとしているのかなぁ・・・と言う感じです。
療養病棟に入院していた時は生活場面でのADL維持・向上のための取り組みをやっていたけど、最近ではそれすらも満足にできない状態。うーん、うちらが取り組んでいないから・・・というのもあるけど、本人の主体性が失われつつある状態にあるのも事実かも。本人が動こうとしない以上、無理やり起こしてやらせることは「主体性」と言うことの意に反しているし、かといってそれを見過ごしているのもどうなのかなぁ・・・と感じる現実。うーん、難しいです。

この状態、もう少し暖かくなるまで様子見の状態が続きそうです。
まぁ一番手っ取り早いのは「えさで釣る」なのですが・・・ノロを警戒している以上、今はあまりできませんし・・・

2007.01.13

災い続き

この車、本当に災い続きです。

Dscn0029この前は半分「自損」でもあったのでしょうがない部分があったのですが、今回は自分ではないでしょう。
身に覚えもありません。
最後に運転したのは昨日の夜の母親の迎えのとき。
たしかに夜間にこの傷が発見できるか・・・といえば発見できないので果たして昨日の夜から今日にかけて付けられたものかはわかりませんが、自分ではないだろう・・・と確信しています。

なぜなら発見現場はこんな状態。(場所がわかってしまうのでぼかしてありますが、青い車が自車)


Dscn0028


この状態で、自分の車を傷つけることは不可能だし、万一自分が擦ったのであればわかるはず。
なにしろ、上の塗装はおろか、下の地金まで見えている状態だから、相当圧がかかっているはず。
昨日以外では、水曜日の夜と火曜日にハローワークに行く際に運転。
ただし、火曜日の時点では傷の確認はできていないため、火曜日についた可能性は低い。
よって、可能性としてはやっぱりこの駐車上内で起こされた可能性は非常に高い。

ただ、傷を見ると不可解な点もいくつか・・・傷を拡大すると・・・
Dscn0031駐車場の位置から考えると、不自然な入射角。
傷の向き(塗装の剥がれ方)は左から右に向けての方向。素直に考えると隣の黒い車が非常に怪しく思えるのだが、相手側の車に傷は1つもなく、また害車車両の塗料片も付着していない状態。
そのため隣の黒の車がぶつけた可能性はゼロ。じゃ今空車になっている反対側の車がやったのか・・・といえば、現状に車がないため判別はできないが、後退駐車するために誤って擦った・・・と考えるなら「右から左」へ通常なら傷がつくはず。しかし、入射角は反対であり、これを推測するのも非常に可能性は低い。

じゃ誰がやったのか・・・と考えると・・・外部犯?
当然これだけの傷なのだから、自分で擦ればわかるはず。そんなに音痴じゃありません、オイラは。
ただ、傷口に残された証拠は「黄色い粉」状の物体。これだけが唯一の手がかり。

それにしても・・・この車になってから、何か災難続きです、マジで。

2007.01.12

1年のブランク

昨日の面接を受け、今日はのんびり。
ハローワークも人材センターも、特に進展なし。と言うより、無用な「手出し」をしていない状態。

先週、通院日で「やりたいこと」と「できること」について考えたけど、今の自分はその間で悩んでいる状態。実際、昨日の面接の中で「正社員登用」について聞いたけど、本心を言えば「正社員」で働ける場所で働いていきたい。身分を安定させて。それと、資格も活かしたい・・・「社会福祉士」として。

それを考えるとやっぱり「相談職」になるんだけど、今の自分にとって「相談職」は「できること」なのか、あるいは「やりたいこと」なのか、と言う部分を考えてしまうと、どちらかと言うと「やりたいこと」に入ってしまうだろう。当然相談員としての経験はないわけだから、「新たな分野」に挑戦するのは、先生の言う「やりたいこと」に入ってしまうのかもしれない。

じゃ「できること」と言ったら、やっぱり障害者分野での仕事。
でも今となっては職を離れてあと数ヶ月で1年が経とうとしている。実のところ、当初は「問題ないだろう」と思っていたが、いざ実際に実習が設定させることになってそれに挑む、と言うことになると、ちょっと尻込みをしている自分がいる。どうやら「ブランク」が自分の自身を少し削いでしまっているみたいな感じになりつつある状態。

「この場所はあわない」と感じたのは、離職して6ヶ月の時。
やっぱり「下準備」と言うことでバイトで見ていたけど、そのときは「自分には物足りない」「自己実現の可能性が低い」「社会福祉士を生かせない」など、負の要因ばっかりに目が行ってしまって、自分の思い描いている部分にたどり着けなかった経緯がある。それは自分にとって「ハードルが低い」と感じつつ「モチベーションが維持できない」と感じたところがあった。つまり、そのときはかなりの「気力」を持って臨んでいた。

でも今、今度の実習に行くのは正直「怖い」と言うのが率直な気持ちです。
「知的障害者」と言うことをわかっていながら、その世界に3年いたにもかかわらず、仕事にビビッている自分がいるのが本音です。きっと離職してすぐに仕事をしていれば、そんな気持ちにはならなかったと思います。だけど今は「長期ブランク」がこんな形で自分の不安に拍車をかけている状態です。

なのに、目ざすハードルは高くしたい自分・・・自分のことなのに、自分がわからなくなってきています。

2007.01.11

結論は、また次回

今年最初の面接、「できること」と言うことで、知障授産の支援補助員の面接に行ってきました。非常勤で。

結論から言うと、先送りになった感じ。
きっと当初は面接だけで決めようと思っていたみたいだけど、やはり「障害」のことがネックになってか、1日だけ実習が設けられることに。ただ今回の面接は試験的な「実習」と言うよりも「マッチング」を見るための実習のような感じ。

どうしても避けては通れない「障害」の壁。
で、面接を兼ねて見学もさせてもらったけど、「授産施設」と言うよりは「デイサービス」に近い雰囲気かな・・・と感じた部分があった。事実、施設側も「完全な授産施設とは言いにくい」と言うニュアンスで答えており、もちろん授産活動をしていることはしているけど、一般的(?)に描くような「授産施設・作業所」とは違った感じのある施設。さらに複合施設であるため、余計に雰囲気が違って見えたのかもしれない。

面接をするうちに知的障害者福祉の考えなども話した。
すると施設側から「今の(授産施設の)方で採用枠が1つあるけど、他に3月から法人で受託する作業所があって、そこも募集している」とのこと。そして「(授産か作業所か)場所はどう?」と聞かれたので「どちらでも大丈夫です」と返答。すると「1回、体験してみますか?」とのことで、実習が決定。

今日の面接で残された結論は・・・
 ・不採用
 ・授産施設の非常勤として採用
 ・3月から作業所の非常勤として採用

の3つの選択肢が残された形。
今すぐ結論を出す、のではなく、来週の実習を経て、また相談しましょ・・・とのこと。

正直な感想、去年実習で行った授産施設にしても、今日の授産施設にしても自分が思っている「授産施設」とは違っているなぁ・・・と言うのが、率直なところです。別に「否定的見解」と言うことではなく、「あぁ、こう言うタイプもあるのかぁ・・・」といったような、いわば「授産の裾野」が広がった感じです。もちろん「授産施設」と名乗っている以上、バリバリに授産活動をしている部分もあれば、デイのようにゆったりとした感じで行っている部分もあって、「授産施設」を知る意味では、面接の成果はあったと思います。ただ、それと「実際に働く」と言うのはまた別問題なので、その部分については実際に実習を体験してから、感想でも書きたいと思います。

とりあえず、結論はまた次回、と言う形です。

2007.01.10

ピーゴロロ

100%、神経が影響しているのでしょう。
お腹、キュルルのピーゴロロです。

いや、もうわかっているんです、原因は。
もちろん、明日のことが影響しているんでしょう・・・確実に。わかっていながら、症状が出るんです。

大事なときの前にお腹が悪くなる、と言うのは生まれつきのことですから・・・
小学生の時、あまりの神経の細さに母親が取った行動は「劇団に入れる」と言うこと。少しでも大勢の人の前に立って、緊張をしない、神経が太くなれば・・・と思って入れたとか。でも実際には大舞台の前に体調を崩して、何度も稽古場からタクシー帰りをしたことが何度やら・・・(当時は「バブル」だったから、テレビ業界なんか簡単にタクシー券を出してくれるんですよね・・・12歳の子どもに。)

あれから数十年経ち・・・今は再び、神経の細い状態に。
おまけに「隠れ疾患」も見つかって、病院通いの状態。こんな状態に母親曰く「また、劇団に入る?」とのこと。
いや、今の頭のままで中学生に戻れたら・・・考えますね。(つまり、さらさら戻る気はないってこと。)

症状は昼間を過ぎてから。
自分でも「あぁ、きたな・・・」とわかるため、トイレもガマンできるだけガマンする。
じゃないと、トイレ癖がついてしまい、行きたくなくても何でもトイレに駆け込んでしまうため「限界・・・」と思ったときに排泄するようにしている。昼間はそんなに頻繁にはなかったものの、やっぱりお腹が「痛い」(って言うか、チクチクする状態)のはあったから、「落ち着かない時は、寝る」と決めて布団をかけて寝ることに。でもお腹が気になるから、当然寝ることはそう簡単にはできません。

そして夜・・・頻度は増し、1時間に1回のペースに。
blogを書いている今は一応落ち着いているから、このまま薬を飲まずに対処できそうな方針。2・3時間前は「薬が必要かなぁ・・・」と思ったけど、何とか持ち直しているからお薬には頼らずに済みそう。

ともかくは、明日を乗り切るのみです・・・

2007.01.09

更新申請

自立支援医療の更新を申請してきました。(もちろん、必要なところは「ボカシ」です。)

D1000112自立支援医療って・・・って方は、コチラへ。

正直、なんか変な気分です。
まるで、自分が障害者になった気分・・・事実、そうなんだけど。
去年から始まった「自立支援医療」、去年は「新規」であったため、手続きをするのに何のためらいもなかったけど、「更新」となる今回は、なんかすごく不思議な感じでした。「福祉のこと」を勉強した人間が「福祉」のお世話になっていると言う現実が、ものすごく違和感を感じる状態でした。もっと言えば、自立支援法の説明会の時には散々文句を言ったのに、申請の時はおとなしく粛々とやっているこの感じ・・・なんか微妙。
もっとも、今は仕事をしていないから「福祉の人間」とはいえないけど、制度や問題点を知りながら、悪法とわかっていながら普通に使っている自分が、変な人間に感じました。

いや、変な人間、と言ったら語弊があるかもしれませんが、何となく面持ちは違うのです。きっと先生に色んなことを言われて、それが自分の中で消化しきることができない状態だから、余計にそう感じているのかもしれません。あと、申請をするにあたっての「スティグマ」をちょっと感じているのかもしれません。でもぶっちゃけ、今の自分にとっては自立支援医療は必要なものですから。現に去年の医療費、途中から自立支援医療を使ったものの、総額は約9万円。もちろん今年の確定申告&医療費控除の対象です。単純に、1年間ずーと自立支援医療を使ったとしても、診察+お薬+交通費で、約7万円。「1割負担」でも、年間7万円の医療費ですから、今後の就職状況によっては、当然「医療費控除」が続くこともあるでしょう。

申請をした後は、今年最初のハローワークへ。
通勤手当が不足しながらも現状を考えて応募することに。早速、明後日が面接となりました。
求職活動も、いよいよ再開です。

2007.01.08

一時的に、復旧?

先週からのパソコンダウン状態、とりあえず回復したみたいです。
と言っても、自分がやったのは「応急策」であり、対処療法的なものなのでいつまで続くかわかりませんが・・・

とはいえ、怪しいファイルの削除やソフトの削除、セキュリティレベルの変更などをしたら、動作も安定しました。
どうやら一番の問題はソフトの競合が原因で起きていたみたいです。

ただ、きっとこれを元に戻したらまた発症するでしょう。
あくまで推測だけど、根本原因は「マザーボード」かな、と思える部分があり、パソコンが修理から帰ってきた後から症状がごく稀に見られるようになり、それが特定の時間帯と曜日、そして頻繁に・・・と変わってきていることから修理の不具合とソフトの競合でおかしくなったかな・・・と推測。でも「絶対にこれだ!」と言えるような根本症状や異常個所が見つかっていないので、絶対に修理がおかしい、とは言いがたい状態。

事実、自分でも色々と柵を練ったら、ダウンしなくなったし、復旧もした。
で、今のところは安定して動いているから問題ない。となると、「修理不良説」も確実なものとはいえない。
だって自分で治しちゃったんだし・・・決定打がないのが、今回の難点。

でもネットへ正常に繋げることになったことで、生活も安定しました。
正直「ネット中毒」と言うくらい、今の生活にはネットは不可欠なもの。こうやってblogを書くのもネットに繋げないと書くことができないし、求職活動もできない状態。しかも今のパソコンには膨大なデータが入っているため、「ネット」と言うたった1つの原因のためにすべてのことができなくなってしまう、との状況にも陥ってしまう。そのためには、今や自分の生活にとっては「パソコン」は欠かすことのできない「生活の一部」になっています。

まぁ最悪の時は、サブPCを立ち上げると言う方法もあるのですが・・・
如何せん「サブPC」なので使いにくく、仕事のハンドヘルド用として考えていたので、このような使い方は想定外。
できることなら、サブは使わずに行きたいものです。

あぁ、とりあえずお金ためて、またいいPCでも探さないとダメかな???

2007.01.07

カミングアウト

Yahooニュース「EXILEのMATSUが自身の病気告白」(日刊スポーツ)

 ダンス&ボーカルユニットEXILEのパフォーマー、MATSU(31)が国の難病(特定疾患)に指定されているベーチェット病であることが6日、分かった。昨年の活動を追ったフジテレビ系ドキュメンタリー番組「EXILE~6年目の真実~」で明かした。
 MATSUは高校時代に口内炎ができるなど、初期症状が出始めたという。昨年9月、新ボーカルを選ぶ最終オーディションのリハーサルで病状が悪化。左目がほとんど見えない状態で、時折休みながらダンスリハーサルに臨んでいた。体調を崩すと3日ほど寝込んでしまうこともあるという。最悪の場合失明に至る可能性もあり、症状を抑える薬を使用するなど治療を続けている。
 MATSUはこの日、携帯サイトのEXILEモバイルで「こういった難病を背負い、闘って生きていくとは思っていなかったのですが、今はすべてを受け入れて、これから先の人生を全力で生きていく」とコメント。また「今回病気のことをお話させていただいたのは、同じでなくても病気と闘っている人に勇気や希望を持って頑張ってほしいという願いからです」とつづっている。
 番組では踊りたい思いとメンバーに迷惑を掛けられない心境を吐露し、リーダーHIRO(37)には「EXILEが自分の支えになっている」と踊り続ける意思を伝え、メンバーも見守っている。今年は新ボーカルTAKAHIRO(22)が加わり「第2章」の大規模ツアーが予定されている。MATSUが元気で踊る姿が、ファンや病気と闘う人たちに勇気を与え続ける。

自分も含めて、最近色んな方法を使って、自分自身のことを自分の言葉で伝える人が多くなってきた、と思う。
ハッキリ言って自分の病気(パニック障害)なんか、ベーチェット病に比べれば大したことがないかもしれない。でも、人それぞれが現在でも過去でも、「自分のこと」を「自分の言葉」で訴える人が多くなってきたと思う。正直、自分もてんかんと診断された時、何時この事実を伝えようか・・・と悩んだ。結果的に診断が下って1週間後にカミングアウト、その4ヵ月後に真の病気(パニック障害)であることを自分のblogで明かした。

きっと今の「時代」がカミングアウトしやすい風潮になっているのかもしれない。
ベーチェット病の予後は、命を落とさないまでも決していいものではない。ベーチェット病に限らず、自分の「パニック障害」の予後すら「難治」と言われているのだからわからない。だけど、それでも言えるのは「自分は戦うんだ」と言う姿勢を見せるのとともに「素の自分」をさらけ出すことによって自分自身を鼓舞しているのかもしれない。

病気の軽重を比べてしまうのは良くないことだけど、どんな気持ちで受け止めているのかは、本人しかわからない。
でもその受け止めた思いを支えていくことは、本人を理解した人であればできるはずである。正直、今自分は色んなことで困難な壁にぶち当たっているけど、こうやって自分のことをさらけ出してくれる人がいることに、共感を感じる。
「頑張れ」なんて言葉は要らない。ただひたすらに、理解者がそばにいればいいのだから・・・

2007.01.06

あまり気乗りしないけど・・・

正直なところ、今日は書くのやめようかなぁ・・・と思いましたが、とりあえず書くことにします。

なんだか、気分がダウンしている状態です。今日は1日中寝っぱなし。
おまけに、右手には自傷痕がクッキリ。

なんなんだろう・・・PCの不調がそのまま自分の不調につながっている???
ここ最近、夜になるとネットにつなげなくなるパソコンの状態にイラついている自分。お金があれば、今すぐぶっ壊したいくらい。
でもね・・・お金はないからガマンしているの、修理に出すのもちょっと検討中・・・

かと思えば、今は全然問題なくスムーズに動いている状態。
「どこまで俺をバカにしているんだぁ!」って感じ。

そんなこんなで、なんだか今日はフラストレーションが溜まっていく一方です。
薬も飲んだけど、今日は夕食しか食べなかったし、朝・昼の薬は胃が空っぽの状態で飲んでいるし。
薬剤師さんからは「食事に影響のない薬」って言われているから大丈夫だと思っているけど・・・ねぇ。

昨日の診断、結構ダメージ大きいのかなぁ・・・
ハローワークのページ見て、福祉人材センターのページ見て落ち込んでいる自分・・・

天気も悪く、オイラの心も荒れ模様。
いつになったらピーカンのお天気になるのでしょうか・・・

2007.01.05

「やりたいこと」と「できること」

本日、定期通院日。そして今年最初の診察。
先生も今日から診察のため混んでいるかなぁ・・・と思ったけど、予想外に空いており、予約時間きっちりに診察開始。そしていつもよりも早く終了。
診察後、薬局で薬をもらいに行くが、普段服用している「ワイパックス」のシートの在庫がなく、メーカーからも入りにくいとのこと。で、包含用のワイパックスで処方してもらうことに。

で、診察の方は・・・進展なし。
ただ、やっぱり言われたのが「考え方を変えてみよう」とのこと。この2週間、自分なりに色々と考えたけど、そういうことじゃなくて「やりたいこと」ではなく「できること」をやっていこう、とのこと。それも「頭で考える」よりも「実際に行動で」とのこと。

先生から「できること」と言われた時、正直言葉に詰まってしまった。
できること・・・自分ができることってなんだろう?率直に言えば、その「できること」がわからない状態。だから「できることって何なのかわからない」と素直に返答。すると「頭で考えるんじゃなくて、実際に行動を起こしてみること」と言われた。

でも正直なところ、今までの就職活動は「できると思うこと」の仕事で求職活動をしてきた。
ただ、その方法では結果が出なかった。だから先生は「その方法」ではなく「別の方法」でやってみようとのことだった。その手段として、アルバイトも含めて、とのことだった。

たしかに今までの就職活動は「できること」ではなく、少し脱線して「やりたいこと」まで足を踏み入れていたかもしれない。
だけど求職活動の根本にあるのは「できること」を中心に活動しており、その中で「福祉の仕事」は外すことのできない部分である。はっきり言って、「福祉に携わること」は絶対に譲れない部分であり、自分から「福祉」を取ってしまったら、何のために今まで苦労して勉強し、資格を取って、そして普通の人には味わうことのできない経験・体験をしているのかがわからなくなってしまう。今の自分の「障害を持っている」(本当はそういう自覚はしたくないのだが・・・)自分に対しても、「障害を体験した・体験している」からこそ「福祉の仕事」から離れられないのであり、特に障害者の分野からは自分は切っても切り離せないと思っている。さらに、今まで自分がやってきたのは障害者分野の仕事。だから「障害者」に関係する仕事なら自分は「できる」と思っている。その線で就職活動をしてきた。

そういった中で「できることをやっていこう」と言われた時、今まで自分がやってきたことが間違っているのかなぁ・・・と今日は自問自答している。自分の中では「できる」と思ってやっていた就職活動、でも1年間やってその「成果」が出なかった。そうしたら、じゃ自分は何を変えて活動をしていけばいいんだろうか・・・正直、わからない。

「やりたいこと」と「できること」の違いはわかっている。
でも、今までの就職活動も「できること」をメインにやってきた。それを否定されてしまったら、この先自分はどうして行けばいいんだろうか・・・また、出口の見えないトンネルに入ってしまいました・・

2007.01.04

寝正月

世間的には仕事始め。しかし未だにプゥのオイラに、仕事始めはきません。
一体、何時まで職探しに奔走すればよいのでしょうか?

そういえば昨日書いた「水曜日の怪」、なぜか今も発症中。不安定な状況下での書き込みです。
スパイウエアをすべて駆除したものの、直る気配なし。となると・・・やっぱりウイルスなのでしょうか?
とはいえ、ウイルス検索をするとなると時間がかかるので、今日はしません。サッ、サッと書き込んじゃいます。(笑)

正月3が日は辛うじて体を動かしたものの、今日は完全に「寝正月」の状態。
昨日のハードウェアのチェックで疲弊したのか、今日は朝になっても眠く、薬を飲んだ後はそのまま仮睡。で、また薬を飲む時間になって起きて、やっぱり仮睡。結局、1日の大半を寝て過ごしました。

なんなんでしょう・・・別に薬は残っていないと思うのですが、寝ちゃうんですよね。
で、普段は飲んでも何ともない薬が、たまに眠くなる。たしかに薬の注意書きに副作用として「眠気が出る」と書いてあるけど、必ず眠くなるわけではない。むしろ、てんかんと診断されてリボトリールを服用していた時の方が昼間も眠かった。今の薬のほうが、全然眠たくならない。と言うことは・・・気を抜いている時は「副作用」が起きるというのか???

兎にも角にも、2週間のうち1回は必ずある「1日中眠い」と言う症状。
そんな状況を母親に見られて、母親から見放された感じもあります。ちょっと・・・辛いかな?
まぁたしかに「起きよう」と言う努力をしていない自分もいけないのですが・・・だって、起きていても面白いことや楽しいことは何にもないのですから・・・
最近はテレビにも飽きてきて、パソコンにも飽きてきて、何もかにも飽きが来ている状態・・・って、これもヤバイ状態?

一言で言えば「物事に興味を失っている」状態。
そういえばたしかに、何となく人生すべてに「諦め」を感じている感も否めない事実。なんだろう・・・疲れちゃった、って感じかな、あらゆることすべてに。

明日は通院日。きっとメチャクチャ混んでいると思うけど・・・じっくりと話してきますか・・・ハイ。

2007.01.03

やっぱり、おかしい。

正月3日目・・・というか、「水曜日の謎」に完全にやられている状態です。
ん?どこから打っているかって?サブPCです、サブPC。
サブPCを立ち上げざるを得ない状態になっているんです。

先週・先々週とケータイからの更新。その原因がまだ突き止められていないのです・・・
なぜか「水曜日の夜」になると発症する、謎の「stopエラー」、一説にはビデオデバイスが影響しているとのことで、その対処をしたものの、依然として回復する見込みなし。正直、お手上げの状態。

でも、発症する状況下を分析すると・・・
 ・水曜の夜、深夜時間帯に発生する。
 ・他の曜日には発症しない。
 ・インターネットに接続したときに、必ず発症する。

という状況下で見ると・・・ウイルスまたはスパイウエア関係が関わってるものと推測。
ただ、以前フルスキャンで検索したときはウイルスの発見にはつながなかった。なので、ウイルス説は薄い。
したがって「有力説」になつのは「スパイウエア」説。

なぜなら一度スパイウエアを大量に検出したのにもかかわらず、間違ったボタンを押してしまったみたいで、スパイウエアが野放し状態になっている可能性あり。(ただ、スパイウエアの知識が薄いのが弱点だが・・・)

というわけで、メインPCは現在スパイウエア検索中。
なにしろ、これが終わらないと今日は絶対にメインPCが使える気配がないので、そうせざるを得ない状態なのです。そして、今日みたいにサブPCを出動させないためにも、今のうちに「芽」をつんでおく必要があるのです。まだまだメインPCには活躍してもらわなくては困りますし、今ここで新しいPCを買う余裕もありませんから・・・

というわけで、謎の「水曜ストップ現象」の解明は続きます・・・ふぅ。

2007.01.02

眠ーれ、眠~れ。

新年2日目は、親戚へのあいさつ回り&一族で祖母の特養へ。
一族群れを成していくことはまずないため、みんなが集まれる食堂につれてきたときはお口ポッカリ。普段ですら誰が誰だかわかっていない状況下で、今日はもっと混乱させる状況にしてしまったかも・・・
でも、一応「知っている人」が来ていることはわかっているみたい。

それと、誰が来たかによって祖母が対応を変えていることも判明。
オイラが行った時だけ、どうやら「甘えている」らしい。いつもオイラが行くと色々と少し介助をしたり、ベッドに戻る時に少しトランスして動かしたりしているけど、他の親族が来たときはせっせと自分で動いてやっているらしい。そのことを聞いて正直「ナヌ・・・いただけないなぁ・・・」と思いながらも、まぁしょうがないか・・・と思うことも事実。
名前と顔が一致しているかは沙汰かじゃないけど、「この人はどういうことをやってくれる」と言う存在は理解しているみたいだから、まぁOKとするか・・・

と、ベッドに寝かせた時に気づいた「禁」の文字。そう、離床禁だったらしく、それを見ずに連れ出してしまった。
まぁワーカーさんが何も言わなかったらいいのかもしれないけど・・・(^_^;)
でもさすがにどんな日でも祖母が離床して話をしたりコミュニケーションをすることができるのは1時間が限度らしい。今日も途中で疲れてきたのか、突然車椅子を動かして自分の部屋に帰るといい、部屋に戻ってベッドに戻して、冷たいふくろはぎを温めていると、段々と目が閉じて行って・・・(-_-)zzz。
「ハイ、落ちた」と見計らって帰る親族。まぁすぐに寝れてしまうと言うことは、相当疲れていたんでしょう。

お正月のせいか、今日は車が少なく、普段は1時間かかる道が今日は30分で帰ることができた。
すると自分も一休みする時間があるため、一休み。正直、ちょっと疲れているなぁ・・・と言う感覚があり、今年初の「ぐっすり仮睡」となりました。

と言うわけで、仮睡をしてしまったオイラ、今夜はちゃんと寝れるのでしょうか?
ここ最近はそこそこいい入眠をしているのですが・・・今夜は引っかかるかなぁ・・・
まさに「今夜が、山だ・・・・ホンヤが、ヤマだ」かな?(謎)

2007.01.01

謹賀新年

新年、あけましておめでとうございます。今年も「Mitakeの小箱」をよろしくお願いします。
新春1発目は、ニュースから。

nikkansports.com 「紅白“乳出し”苦情殺到/紅白」

 NHK史上初のヌードに紅白が揺れた。第57回NHK紅白歌合戦が12月31日、東京・渋谷のNHKホールで行われた。DJ OZMAの歌唱場面にトップレスの女性ダンサーが複数登場。実は裸を描いたボディースーツを着た演出だったが、同局には「ふざけすぎ」などの苦情が252件寄せられ、急きょ放送中にアナウンサーが謝罪して対応した。歌合戦は白組の勝利で通算29勝28敗と白星が先行した。
 客席も画面を通しても目を疑った。女性ダンサーがトップレスで踊っている。「脱ぐしかねえ。ガチンコでチ○コ」などと宣言して注目されたOZMAのステージだった。「アゲ♂アゲ♂EVERY☆騎士」の間奏で円筒の布に隠れた後、瞬間移動したOZMAはブリーフ1枚の半裸状態で宙を舞った。見事に成功させたが、視聴者が驚いたのはバックダンサーの姿だった。
 男女51人のダンサーが下腹部をキノコ1本だけで隠す演出だった。ヌードに見えたのはボディースーツに精密に裸を描いた偽物だったが、同局には「子供の見ている時間にふさわしくない」などの苦情が、番組終了までに252件寄せられた。
 生放送中に総合司会の三宅アナウンサーが「実はダンサーはボディースーツを着用していて裸ではありません。誤解を招いて申し訳ありません」と謝罪した。偽物とはいえ同局史上初めてヌードを放送の事態に同局広報は放送中の取材には「演出の一部として認めた」と説明。しかし、番組終了後に「裸と見間違えかねない姿になることは演出側は知りませんでした。最終のカメラチェック(前日)とは衣装が違う。今回の紅白のテーマにふさわしくないと考えてます」と、見解を一転させた。同局幹部によると、リハーサルでは女性ダンサーはビキニ姿だった。
 出演後、苦情が寄せられたことにOZMAは「リアルに作りすぎたかなあ」とポツリ。それでも「見てくれなきゃ意味がない。だから(今回の)演出を考えました」と説明。紅白のために一肌脱いだが、肝心のNHKはアーティストを守るコメントがなかった。

正直、色々とテレビをザッピングしていたので、偶然紅白に合わせたときにOZMAがやっていて、自分も目を疑いました。「へぇ、HNK・・・全裸公認かぁ・・・」と。すると母親が「あれ、着ているんじゃない?そう見えたよ。」とのこと。で、年明けのCOUNT DOWN TVを見て、精巧なボディースーツと確認できた。
いや、たしかにあれは一瞬見ただけでは「全裸」に見えます。リアルすぎます。

とも言え、はじめはNHKの演出の寛大さがここまで来たか・・・と思いましたが、よくよく話を聞いてみると、ちょっと違うみたいですねぇ・・・まぁほんのちょっとしたお遊びにそんなに目くじらを立てるほうも立てる方かと・・・そんなに気に食わないのであれば、テレビを見ないと言う「無言の抗議」に出ればいいのに・・・と思うのは自分だけでしょうか?十数年前のバブル期は、深夜時間帯でオッパイポロリが平然かつ公然と行われてきたことを思えば、「景気づけに」としては、まはそれくらいのハメはずしも「許容範囲」としていいんじゃないの・・・と考える自分は甘いのでしょうか?

まぁ、別に紅白には元々興味はありませんけどね・・・オイラ。
それより、須藤元気が大晦日に突如現役引退を発表したことのほうが、興味あり&オドロキですがね。

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