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思ひ出アルバム

  • 卒業式が終わって・・・
    以前HPで行っていた「todya's photo」の写真や「御岳写真館」で使用していた写真を再び復活させるべく、「思ひ出アルバム」として随時更新していきたいと思います。また最近の写真でも「思ひ出」となるものについては、ここに納められていくことになるでしょう。

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2006年11月

2006.11.30

生涯設計

今日はのんびりとしていていました。色々思うところもあったので。

昨日の記事にコメントを下さった方もおり、ありがとうございます。
思うところ・・・もちろんそれは、就職です。もちろんこんな状態になるなんて、思ってもいませんでしたから。

すべてが狂いだしたのは、一昨年の4月・・・「てんかん」の診断されてからです。
逆にそれがわかったおかげで「パニック障害」という真の病気をつかめたのですが、逆に知らなかったら・・・と思う部分もあります。知ってしまったがために治療を続け、治療上の都合で日勤施設のみの選択になってしまっている現実。「夜勤がイヤだ」と言うのではなく「夜勤ができない」と言うこと・・・福祉従事者にとってはある意味「致命傷」なのかもしれません。

一昨日の面接の時に「仕事を辞めた理由」を聞かれ、「進学のため」と答えました。
自分の人生設計では今頃はまだOTの勉強をしていて、OTになるべく夢を追っていました。しかし思わぬところでつまづいてしまい、OTになりたくても勉強する上での「致命的」な事実がある以上、自分は医療分野に進むことはできないとわかってしまいました。
当然、貯金も失いました。「再スタート」するための地盤も脆弱なものになってしまいました。

もちろん仕事を辞めずにOTの勉強ができるものなら、そうしたかった。
だけどそれをするにはあまりにも時間が少なく、どっちつかずの状態になってしまう。だから自分でも苦渋の決断だった。利用者と離れるのも辛かったし、当時最後の1人の送迎をやったところで涙を流してしまった。「絶対に泣かない」と思っていたのに、利用者と別れるのが寂しくて感情がこみ上がってしまった。当時の自分は「仕事以上のもの」とかんじていた部分があったから「ビジネス」と割り切っていても、割り切れなかった自分がいたのだろう。
その証拠に、去年の3月、契約満了で職場を離れる時は完全に「ビジネス」として割り切れていた。もちろん、後ろ髪を引かれる思いがあったのは事実だけど・・・

今だから言えるけど、実は契約延長の打診がなかったわけではなかった。契約を延長してもよかった。
だけどあえて自分は契約を延長せずに終えた。もちろん安定した収入源の確保を求めたかったと言うのもあるけど、自分がそこで働く「道義的意味」がなくなってしまったことと、雰囲気上残るのもちょっと・・・と言うのがあった。それに去年診断された時点で「これから(の就職活動)は大変なものになるな」と自分自身でそのことを悟っており、「甘い道」を選ぶよりも「厳しい道」をあえて自分で選択した部分がある。やはり「自分の人生」を考えた時に、「20代後半」と言うのはとても大事な時期になるかなぁ・・・と思ったからであろう。

今の状況に「焦っていない」と言ったらウソになる。
だけど、やっぱり自分の人生なのだから、障害のことも含めて、逃げることなく真正面からぶつかって生きたい。それが、今の自分の思いかな。

2006.11.29

ボタンの掛け違え

面接2日目・・・結果は、不採用でした。その日のうちに連絡がありました。
初めての障害児施設で、障害児に挑戦するのも始めて・・・いや、児童が始めての状態。とはいえ「障害の分野でやってきたんだから・・・」と思って挑んだものの、結果的には「ミスマッチ」と言う形になりました。

求人の内容は「指導員」、ただ「体力を要する」とのこと。まぁ多少のことなら大丈夫・・・と思っていた。
しかし面接でよくよく話を聞いてみると「指導員」と言うよりは「指導者」を募集している感じ。と言うのも「体力を要する」と言うのはもちろんのこと、それプラス「技術的な指導」も必要との事。体力だけなら何とかなるものの、そこに「運動の技術的要素」となると、これは「教員」の領域。いや、「指導」と言うよりも「教育」の延長線上に位置していると感じた。

成人期と違って児童期の場合は「指導」的な要素が強いのは事実。ただしあくまで基本は「支援」。
今日の施設はその部分でミスマッチがあったこと、それと代表の方が「これだけの資格をお持ちなのに、こんな施設ではもったいない」とのこと。そう、今日行った施設はNPOであり、待遇面に不十分な部分があるのも事実。
面接が終わった段階で「あぁ、だめだったな。」とすぐに悟る。

そして3時間後に電話で不採用の連絡。
「考え方とかはとても共感できるけど、体力面の部分がネック」とのこと。自分では「体力面」と言うよりも「運動技術指導能力」が足りないと判断。先方の人も「できるだけいい仕事を探して欲しいから、早く連絡をした」とのこと。

あわせて、相談員の時の面接の結果も自宅に届いており、不採用。これで残すは、昨日の施設のみ。
ホント、なんか自分の求職活動って「ボタンの掛け違え」ばっかりをしているような状態。今日の面接でもさっき触れたように「こんな(待遇の不十分な)場所よりも、もっといい施設があると思うけど・・・」と言われたけど、結局自分に合うような施設が見つからないから、待遇が若干不十分でも手を挙げてみよう、と思っている状態。

結局今の自分の状態って、難しい状態なのかも。
変に経験もあるし、資格も持っている。年齢もそこそこの歳だし、それなりの待遇も必要なのは事実。でも自分が目指す・目的とするような施設がないのが現状。あっても資格要件や経験不足ではねられたり、同姓介助のため不可だったり、最悪なのは「障害」を理由に阻まれてしまうこと。今の自分の就職活動は八方塞で、袋小路に迷い込んだネズミの状態。トンネルに入ったまま、出口が見つからない状態になっている。

これもやっぱり「タイミング」の問題なのかもしれない。
自分でも何とかしたいけど、結局何もできずの状態で何にも状況は変わらない。でも、これが現実。

明日で11月は終わり。年内の就職は・・・困難かも・・・ウーン。

2006.11.28

1人職場

面接1日目、何とも言いがたい手応え・・・って、手応えがないのと同じか???

正直、何を信じていけばいいのかわかりません。「ここになるかな・・・」と思った施設からはダメだったし、気合を入れた場所はダメだったし・・・もうどんなことにも「わからない」状態。今日なんか「形だけですから・・・」といいながら一般教養の筆記試験があったし。もちろん、計算関係はわかりません・・・数学は高2で終わってますから・・・

ともあれ1日目の面接は終わりましたが、ここの場合は「1人職場」になるとのこと。
正直「1人職場」と言うのは不安であるのが本音。特に未知の領域で「1人職場」となると、いざとなったときに誰にスーパーバイズを受ければいいのかわからないし、すべての責任は自分の肩に乗りかかることになる。カタチ上の上司がいたとしても、専門職としての上司は不在となる。そんな現場に足を踏み入れることは、躊躇する要因である。

ただ、「1人職場」は決してデメリットだけではない。
誰からの干渉も基本的には受けないから、自由に取り組むこともできるし、自分のペースで行える。良くも悪くも「自由」にやっていける場所であり、新たに開拓することも可能。「やりがいがある」といえば、やりがいのある職場になるだろう。

とはいえ・・・今の自分に「1人職場」はどうなのか・・・と言うのは、考え物です。
もちろん障害のこともオープンにした上でのことですが、正直面接をしていて「パニック障害」と言うものがあんまり理解されていないな・・・という感触を受けたのも事実。そう、どんな職種で面接をしても感じることだけど「パニック障害」の「パニック」の意味が理解されていないことが強く感じる。単に「パニック=テンぱる」としか理解されていないようであり、「パニック=意識消失」などの身体的症状と結びつかれていないと感じる部分がある。決して「パニック障害」=「テンぱり障害」ではないんだけど・・・

まぁ「テンぱらないか?」といわれれば絶対に「テンぱらない」とはいえない。
事実、そういったストレスが原因で本来の疾患上の意味での「パニック」は起こらない、とは断言もできない。
となったとき、さて1人職場は・・・と考えてしまう。この辺、待遇だけじゃ割り切れない部分なんだよなぁ・・・

さぁ、明日は2日目。なるべく気負わず・・・でも頑張ってきますか・・・

2006.11.27

痛ーいときは・・・

寝るに限ります・・・
明日から2連続の面接が気になってか、またしてもお腹がキュルルーです。
先日の「お薬登場」に続き、かなりきています。

で、今は小康状態のため特に手を打たなくてもいいのですが、昼間が辛かったぁ・・・
自分でもわかっているけど、一度トイレに行きだすとそれがくせになり、それが連続してキュルルーになる。
そして繰り返していくうちに、水便になり、お尻の拭きすぎで「出血」になる。

そう、だから「くせ」にならないようになるべく「行く回数」を減らそう・・・と努力をしているのですが、逆にガマンしているのも体のためにはよくないので、少し安定した状態になってから行くように摂生。
それでも・・・回数は減りません。

それでも落ち着かない時は・・・寝るだけです。
もう、いつもやっていることをそのままやるだけです。音楽を聴いて、心を落ち着かせると共にお腹も一緒に・・・
そして気がつけば・・・寝れています。起きた時には、お腹の不快感ゼロです。

ってな訳で、明日から2連続面接。体が耐えられるか、ちょっとばかり不安です・・・

2006.11.26

いいなぁ・・

珍しく、今日は兄が休み。
あんまり家庭のことについては触れていないが、兄は自分と同じ(?)サービス業に従事しており、製パン作業を行っている。一応、某沿線にある某製パンチェーン店で。そのため休日が休みになることはほとんどなく、ほとんど平日が休みになっている。なので、休日に休みが当たるのは珍しいこと。

と言うわけで、今日は兄も一緒に出かけることに。
最初母親から「ダイヤモンドシティに」と言う話だったが、昨日の王様のブランチで姫様来店が流れてしまっているため、混雑は必死。まぁ年内は混雑から免れない・・・と言うことで、近場のショッピングセンターへ。

ただねぇ・・・これ、いっつも思うことなんだけど・・・兄貴がうらやましい。
運転するのは俺。兄貴は後席に座っているだけ。で、これから出発・・・と言うのに、もう寝ている。
まだ買物もしていないのに、座席に座るとすぐ寝れる兄貴に、羨ましさを覚える。

そう、眠りに関しては、周りに対して「羨ましさ」を感じて仕方がない。
何にも考えていないダメ親父も、布団に入ると簡単にイビキをかき始める・・・「よくすぐ寝れるなぁ・・・」と思う。
母親は自分と同じ「マイスリー」(睡眠導入剤)が処方されているとの事だが、母親曰く「よく効く」とのこと・・・羨ましい。
自分の場合、マイスリー・アモバン・ハルシオンと、明確な効果がでるものがなかった。結局今はマイスリーとサイレース、古典的作用としてトリプタノールを併用しての処方。だけど・・・入眠はすぐできないんだよねぇ・・・昔は「熟眠障害」の方が強かったけど、今は「入眠障害」の方が強い。色々と音楽を流すなどトライはしているものの、「鉄板」と言うべき方策が見つかってないのが現状。まぁ仕事もしていないし、日中活動量が少ないのも原因の1つだと思うから、入眠に関しては半分諦めている部分も。

その一方で母親曰く「途中で目覚めた時、アンタは大イビキをかいていて、羨ましい」とのこと。
うーん、言うなれば「隣の芝は青い」といったところなのかなぁ?

2006.11.25

コトバ★「児童福祉司その3」

今回のコトバは「児童福祉司」の第3弾です。
はじめに断っておきますが、今現在私は「無職」の身であり、児童福祉分野の経験がありませんし、私自身も児童福祉司ではありません。その部分を頭に入れてお読みください。

もっとも、何故故こんなに「児童福祉司」に関心があるのか、正直私が知りたいくらいです。たしかに2回ほど児童福祉司について触れてきました。1回目は児童福祉司の仕事について簡単に、2回目は「児童福祉司と財源」について触れてきました。しかし検索ワードを見ると「児童福祉司」でサーチする人が後を断たない状態です。既に児童福祉司のことは自分の中では終わった存在でいたのですが、先日の事件のこともありますし、改めて「児童福祉司」についておさらいをしながら、「児童福祉司が出来ること」について考察していきたいと思います。

まず基本的なこととして、「児童福祉司」とは児童相談所に配属された児童専門のソーシャルワーカーのことを指します。同義・対義的なものとして福祉事務所に配置される「社会福祉主事」のうち「査察指導員」が生活保護専門のソーシャルワーカー、「身体障害者福祉司」「知的障害者福祉司」がそれぞれ身体障害者・知的障害者に対する専門のソーシャルワーカーであります。ですから極端な話をすれば、児童福祉司として児童相談所で勤務していた人が人事異動で他の部署に異動となったとき、その人は児童福祉司ではなくなるのです。児童福祉司は「職種名」ではなく「職権名」と考える方がよいかもしれません。ただし、児童福祉司になるにはそれなりの資格も必要となっています。このことについては第2弾で触れていますので、参考にしてください。

さて児童福祉司について「職種名ではなく職権名」と書きましたが、本来は「職種」です。
しかし実際のところ、職権として動く部分が許されている部分もあるので、実体的には「職権名」であると思います。例えば虐待をされている恐れのある家庭がある場合、児童福祉司の職権(実際には児童相談所所長の命令)で児童を保護するために家庭に立ち入る権限を有しています。児童福祉司だけでは困難な場合は警察の協力を得て行うことができることも法律上明言されています。

こうした「強権的」な側面を持つ一方で、「保護的」な側面を持つのも児童福祉司です。
例えば18歳未満の児童が療育手帳の申請を行った場合は、その申請に対して審査・調査を行い交付することも児童福祉司の仕事であります。また発育の状態を見るために家庭訪問をし、子育てについての悩みや相談を受けることも児童福祉司の仕事であります。さらに一時保護した児童を児童養護施設に連れて行ったり、児童養護施設での生活状況を把握しに行くことも児童福祉司の仕事であります。当然、今回事件になった「母子生活支援施設」に行って生活の状況などを把握し、必要に応じて適切な処置(母子分離、施設入所など)を執ることも児童福祉司の役割であります。

ただ「職権」といえど、実際のところは「児童相談所長」の指示・決定の元に行われるのが実際であると思います。
職権を発動すると言うことは、相当緊急性の高い問題を抱えている時に行われるものであり、今回の事件の舞台となった「母子生活支援施設」でも、職員から情報を得ていれば職権を発動すべきものであり、危険なケース・・・特に潜在化しつつあるケースに関してはじっくりと状況を把握しすぐに対応をできるようにしておくのが児童相談所・児童福祉司の役目であると思います。ただ・・・実際のところ、東京などの大都市圏では1人の児童福祉司が抱える相談事例は150件以上とも言われており、慢性的な児童福祉司不足の解消と増員が叫ばれている状態は、依然として変わらないものと思います。

2006.11.24

お薬の出番ですぅ~!

本日、定期通院日。
珍しく今回は特記するようなこともなく、パニックもほとんどなかった回。そのため今日の診察は早めに終了。
とはいえ・・・昨日が祝日で休みだったためか、ちょっと混雑しており、予約の時間より20分ぐらい遅れての診察。
会計も含めたら、約40分ぐらい。で、病院の下で薬を貰って約1時間・・・祝日の次の日だから、こんなものかな?

ところで「パニック」は多少はあったものの、特別書くようなほどではなかった程度のもの。
ただパニックの代わりに「過敏性腸」が反応しているみたいです。原因は当然・・・就職関係。

ホント、メンタル弱いです。(だから通院している・・・って、これも矛盾)
一昨日に求人先から面接の日程について伝えられた頃から、おなかの方は反応開始。早速、ピーゴロロ。
そして昨日も頻便でお尻のアナが痛い・・・いや、出血している状態。お風呂に入ると・・・これまたシミる。
で、今日も病院に到着して一発・・・キュルルー、ピーゴロロ。完全に水分も一緒に出ています。

さらに拍車をかけるように、ハローワークから連絡があり、別の求人に関しても面接の日程が決定。
そして夕方・・・やっぱりピーゴロロ。母親の通院介助から帰ってきた後も・・・ピーゴロロ。

2日連続のピーゴロロ・・・もう理由や原因はわかっているからどうしよもないんですけどね。
しかしあまりの状態を見かねた母が薬を出してくれた。

そう、ウサギのフン・・・

もとい・・・元祖正露丸。
糖衣になっていない、正露丸丸出しの正露丸。よく小さい頃はこの臭さと苦さにお世話になりました。
ここしばらくはお腹を悪くすると糖衣に頼っていたのですが、今回は久しぶりに「元祖」が登場。そう、ウサギのフンみたいな丸っこい形の。元祖にお世話になるのは、もう数十年ぶりのような気がします。

でも・・・たぶん気分的なものだと思いますが、こっちの方が効く感覚がするんですよねぇ、不思議に。
きっと「臭い」と「苦さ」が、その効果を増幅させているんで床ねぇ・・・たぶん。

まぁいずれにしても「ピーゴロロ」の期間は当分続くでしょうね、ハァ。

2006.11.23

いい人?おせっかいな人?

今日はイレギュラーに、祖母の面会。
だけど枕元を見ると「禁」の文字が・・・どうやら、また熱発をしたらしい。微熱だから問題ないけど、念のため「離床禁」にさせてもらっているとの事。一度大きな熱発があって以来、あんまり体調を崩すことはなかったけど、ここ最近はなんだかんだちょっと体調を整っていないことが多い。そのため、ADL向上のための働きかけも躊躇せざるを得ない状態。まぁ高齢者だから「用心」に越したことはないんですけど・・・どうなっちゃっているんでしょうかねぇ。

そういえば今日は客人が。
と言っても顔を知っている人ではなく、隣の部屋に入所している人の家族が、うちの部屋に。
どうやらうちも週に1回ぐらいで来ている様子を見てか、挨拶に来た模様。でその人、週に2回は通ってきているとのこと。(場所を行ってしまうと特定されかねないので・・・北多摩地区から)
ほぼ全介助の状態で、「やってもらうのが申し訳ない」との事で昼食の介助などをしに来ているらしい。と思えば他の利用者の人にも積極的に話しかけをしているみたい。聞くところによると、入所して1年だとの事。さらにその人曰く「最近、ここにも新しい人が入ってくるようになった」との事。

うーん、たしかに事実そうかも。
祖母の特養は建物的にも古いため、古い基準で設置された特養。そのため、部屋もすべて4人と多床室。
で祖母以外の利用者の入所年月日を見ると、ほとんどの人が「1年以内」に入所している。祖母も入所して半年が経とうとしている。
まぁ入所できる理由はやっぱり「都会から離れている」が一番大きい要因かな?車なしで面会に行くのは大変な場所だし。

ただ、この客人、よく喋ることしゃべること。
なんだか1年でこの特養の「主」みたいな感じ。まぁいろんな人に話しかけてくれることは、決してマイナスではないだろう。なかなか職員では補いきれない部分をサポートをしているといえば、それに越したことはないだろう。ただし「いきすぎ」も注意が必要な状態。あくまでも(特に自分の場合は)家族は家族であって、職員ではない。別に家族が看ちゃいけないというわけじゃないが、入所した以上はある程度は施設側の職員に任せてしまうことも必要だと思う。

以前、特養に入所する前の病院に入院していた頃、最初のうちは自分たちも色々と関与をしていたけど、かえってそれが祖母のADL低下につながっているのではないか・・・と気づき始めたこともあり、ある程度のADLの回復が見られたときからは祖母には「できることは、自分でやる」と言う形で動いてもらった。ただ、病院側に完全に任せていられない部分もあり、病院に入院している時は母親に「トイレ介助」だけはやり方を教え身につけてもらい、そのサポートをしてもらった。完全に病院を当てにできなくなってしまったことがあったから。

ただ、特養に入所してからは母親に「トイレ介助」に入ってもらうことは止めるようになった。
「介助が仕事」なのだから、その部分まで足を踏み入れる必要はない、との考えで、ケアに関しては完全に施設側に任せることにした。それをしなかったら、何のために特養に入所させたのかわからないから。

別に「週2回来る必要がない」と言うことを言っているわけじゃないし、好きでやっているのであれば構わないが・・・
ただ、あんまりやってしまうと「依存関係」が生じてしまう可能性もあり、「来てやってもらえる」と頼られても困る。まぁ毛頭そんなことを考えている施設があれば、その施設のレベルは「低い」と思う、いろんな意味で。

やるのはいいけど、やりすぎもどうかな、と思う、今日この頃。あぁ、明日は通院日だ。

2006.11.22

空振り→振り逃げ→ヒット?

再びハローワークへ。今週2回目。
先日の「電話にでんわ」がメインの内容。ただ、それとは別にまた気になる求人が見つかったことも事実なので、色々と気になる点はあるものの、とりあえず求人票を出すことに。
結局、今日は2枚持って窓口へ。

まず1件目、「電話にでんわ」の方。
今日は電話がつながったものの、担当者不在。それまでハローワークで待つのも嫌だから「また(ハローワークに)来て(紹介)ですか?」と聞くと「いや、金曜日に応募できるかの確認をこっちでするから、その結果を電話で連絡してあげる」との事で、とりあえず確認は明後日に。やっぱり今日も「空振り」に。

そしてもう1件・・・あまり積極的ではなかったものの、状況を確認するだけなら・・・と思い、照会。
まぁ昨日出た求人であるため、応募者はゼロ。まぁこれも機械だし・・・と思い、この求人に関しても確認してもらうことに。しかし、ここでも担当者が不在。「また空振りかな・・・」と思ったら、別の人で求人の件についてわかる人がいるとの事。そこで色々と事情を話す。電話口の応対を見ていて「あぁ、ダメなのかなぁ・・・」と不安がよぎるものの、面接をしてくれるとの事。ただ、担当者不在のため後日連絡するとの事。最初のが「空振り」とするのであれば、こっちは「振り逃げ」とでも言うべきなのか?

と言うわけで、あっけなくハローワーク終了。ただ1件でも面接が決まったため、履歴書の作成に入る。
2枚ミスった後、2枚完成。時間があれば3枚目も作ろうと思ったけど、夕飯の準備もあったため2枚でストップ。
そして「今日も連絡がないや・・・」と思ってはねトビをを見ていたら、ケータイが。
そう、「振り逃げ」をした先方からの電話。面接日が決まった。

もしかしたら今日かかってくるかなぁ・・・と思いつつも、連絡は明日以降だろう・・・と思っていた自分。
思わぬ連絡に「ヒット」と言うべきなのでしょうか。
あ、ちなみに面接が設定されれば「ヒット」であり、最終的には「ホームイン」が内定ですので・・・(^_^;)

2006.11.21

モチベーションの維持

ダラダラの生活、すべてこれに尽きるでしょうね。

と言うのも、昨日から母親が3日間の休暇。そのため母親の手伝いをしたり、色んなところ行ったりもしている。
で、今日は祖母が特養で使う室内履きを買いに行くことに。先日祖母に面会に行った時に普通の介護靴ではなく室内履きを履いており、それを履いている感覚を聞くと「風のように軽いよ」とのこと。
そりゃそうだ、布1枚の室内履きなのだから・・・

まぁ本来であればある程度の重さを持った靴を履いてもらっている方が筋力維持の点でも望ましいのだが、一度「美味しい」方を味わってしまうと、そこから抜け出すのはなかなか難しい。たしかに室内履きのほうが軽いしゴムだから履きやすい。その利点はあるが、一方でADLの低下につながるのも紙一重であるのも事実。
とはいえ、今現在ニーズがあることは事実だし、あって邪魔になるものでもないので買いに行くことに。

決済はハウスカードで、買ってすぐにATMで入金処理。
そして帰宅するが・・・最初のうちは起きているように何とか耐えるものの・・・やっぱり寝たい、の気持ちが強くなり、仮睡・・・
母親から「そんな生活じゃ、普段(今までの生活、仕事を始めたときの生活)に戻るのは大変だよ。」と一言。自分は「病院の時はちゃんと起きているし、面接の時も動いているから大丈夫」と言うが、まんざら母親の行っていることが間違っていないのも事実。

ただ、何もすることがなく「起きている」と言うのは、正直辛い。
もちろんハローワークに行けばいいのだが、別に毎日通っても結局駐車代・交通費がかかるだけでムダ。だから事前に自宅で求人検索をして、気になる求人があれば行く方が効率的であり経済的でもあるから、そのようにしているだけ。それに福祉人材センターの求人も目新しいもの・自分が希望するような求人が出ていないのが実情であるため、そっちにも行っていない。たぶん、明日はハローワークに行くと思うけど・・・

何か「目的」があればそれに向けて1日の行動が決まるのだが、目的がないとダラダラしてしまう。
そう、いかに自分のモチベーションを維持するかが、ポイントなんであろう。ただ、今の自分にとって「これ」と言ったモチベーションがないのが事実。強いて言えば「就職活動」なんだろうけど、その求人も見つからないから、結局モチベーションが経たれてしまっている状態。もちろん最大のモチベーションになるのは「仕事」であることには変わりないけど、そこまでの過程が長く、また息切れもしているから、結局「ウさ晴らし」的に寝てしまうのだろう。別に仮睡しようがしまいが、夜の寝つきに変化はないし。変化があるのであれば、一日中体を動かしていること・・・つまり、仕事。仕事に入らない限りは、生活に変化はないだろう。でもこのblogでも何度も言っている様に、次の仕事は「しっかりと腰を据えた仕事」にしたいと考えているため、自分自身が設定しているハードルは、正直高い。病院の先生は「もっと低く」って感じで話しているけど、どうしてもそこだけは譲れていない状態。もう28歳、いい加減ブゥたれている状態では困る。だから、しっかりとしたことをしたいし、成果も見出せるようにしていきたい。そのためには、極力妥協は避けていきたい。

うーん、自分の職探しは、難しいです、ハイ。

2006.11.20

そりゃ、でんわ

久しぶりにハローワークへ。
まだ紹介中の求人の結果は出ていないものの、かといって動かないわけにも行かない。と言うことで、行くこと。

もちろん気になった求人はあったから出かけたけど、その求人は既に内容を知っているもの。
と言うのも、この求人、以前4月の段階で確認している求人だったけど「待遇面」が満足なものではなかったため紹介を受けることをせずにそのままスルーしてきた。だから今回の求人も「また出たか」と言う感じ。ただ自分の状況は4月に比べたら「待遇」なんて言っていられない状態であるため、とりあえずは求人票を出すことに。

で、いつものように障害者の窓口へ。
もちろん今回の求人のことも含めてだが、今までの気にしていた職歴のことについても相談。一応何となく方向性も見えたので、とりあえずは「正社員」にこだわって求職活動をしていくことに。

そして求人内容について確認した上で応募してみる旨を伝え、先方に電話することに。
ところが、電話はつながらず窓口の人も「転送電話になるけど、つながらない」とのこと。で、よーく求人票を見てみると・・・「休日」が「日月他」となっていることに。
そう、今日電話かけても、施設は休みであるため、出る訳がない。

そのことを聞いて「じゃ、また明日か明後日に来ます」と言って帰ることに。
そりゃ休日の日に電話しても、出るわけないや。ただ連絡がつながらなくてちょっと安心した部分も。と言うのは・・・「採否決定」のところに「即決」とあるから。

たしかに今現在が完全フリーの状態であれば「即決」でもかまわない。
けど待遇面で退職金なし、ボーナス2ヶ月、通勤手当なしの決して高待遇ではないところに決まってしまった後に、以前紹介されたところから採用の話が来たら、ちょっと困る状態。だからある意味「電話がつながらない」と言うのは、よかったことなのかもしれない。

まぁその分、まだ明日以降に公開される求人の中に気になる求人とかも出てくるかもしれませんから、今日見つけた求人だけにこだわらずに、他の分野にも視野を向けていきましょ。

2006.11.19

珍しいことも・・・

昨日書いた「ダイヤモンドシティ・ミュー」の影響でしょうか???まぁそんなことは絶対ないと思いますが・・・
珍しく「あの店」の駐車場が空いていましたねぇ。

うーん、何か半分「クレーマー」と化している「イトーヨーカ堂」への駐車場批難。
あまりのことに、本部へ直接クレームのメールを入れたところ、こんな返事が返ってきたこともありました。

Mitake 様

拝啓 秋冷の候、Mitake様におかれましては益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。日頃、イトーヨーカドーをご利用頂き心より御礼申し上げます。

 早速ではございますが、10月1日付けのメールにて弊社八王子店、東大和店の身障者用駐車場のことでご指
摘を頂戴致しました。ご迷惑をお掛け致しまして誠に申し訳ございません。

 Mitake様のご指摘を受けまして、今後、店舗で実施している警備員の駐車場内巡回を更に強化し、一般車両が身障者用駐車スペースに停めないよう喚起致して参ります。

 また駐車場内混雑時、店内放送にて「身障者専用駐車スペースへの一般車両の駐車の自粛」の声掛けを行い、健常者のお客様へのご理解とご協力のお願いを継続して実施致して参りますとともに、身障者用駐車場に一般車両駐車禁止の表示を取り付けて参ります。

 また、同時に両店舗警備員に対しても、店責任者より身障者車両への気遣い、配慮など指導教育を再度実施して参る所存でございます。即効の策ではございませんが、継続して実施して参りたいと思いますので、何卒、ご了承下さいますようお願い申し上げます。

 末筆ではございますが、Mitake様のご健康とご発展をお祈り申し上げます。

                                               敬具
       株式会社 イトーヨーカ堂 お客様相談室  (担当者名)

クレームに対しての「無難」な返答ですね。実際にやっている、とは思えませんが・・・
今日も祖母の特養帰りに夕飯を買いに寄ることに。当然雨だから立体駐車場も混んでいるし、ましてや身障者用スペースは空いていないだろうなぁ・・・と思っていました。
ところが今日は珍しく、ちゃんと身障者用スペースが空いていたのです。もちろん、標章を出して駐車。

駐車場の問題・・・ダイヤモンドシティ・ミューでも同様のことが言えるのですが、結局のところ最後は「ドライバーのモラル」に関わることなんですよね。あと、警備員の配置の問題とか・・・

そのことですばらしい評価をしたのが、昨日のダイヤモンドシティ・ミュー。でもここだけじゃありません。
聖蹟桜ヶ丘の京王駐車場も、休日は身障者スペースのフロアには必ず警備員を配置して、身障者やそれに準じる人(高齢者)の車以外は身障者駐車場から排除している取り組みもあります。すると自然と「市民性」と言うのも現れてくるものであり、多摩市の人は路駐はあってもこの駐車場の場合は平日でも身障者用に止めている人は少ないですね。

逆に八王子市の人は・・・節操がない?
車も本来駐車スペースじゃないところに平然と駐車しており、完全に「良心の呵責」と言う言葉は微塵も感じられない状態。あと、東村山もそうでした・・・車を運転中に急に飛び出してきた自転車。慌ててブレーキを踏みクラクションを鳴らすと、手を挙げて挨拶、そして何事もなかったかのように去っていく・・・このときは「なんじゃ、オマエ!」と思うと当時に、あきれてしまいましたね。

まぁもちろん「すべての人」が当てはまるものではないので、その辺は注意書きをしなければなりませんが、ただこういった「些細な場面」でのドライバーのモラル意識や市民性と言うのは、ちょっとうかがえるかな、と言う気がします。

2006.11.18

コトバ★「駐車禁止規制除外標章」&「身障者ステッカー」その3

本日のコトバ、今回は「ダブルワード」です。「駐車禁止規制除外標章」&「身障者ステッカー」、ともに第3弾です。
今までこの種の「コトバ」の時はあんまりよくない事例ばっかりでしたが、今日は非常に素晴らしい事例ができたので、報告をしたいと思い、ダブルワードとなりました。

本日、日産の村山工場跡地に、あるショッピングモールがグランドオープンしました。その名は「ダイヤモンドシティ・ミュー」。既に昨日・一昨日とプレオープンしていたみたいなので、うちは一歩「出遅れ」の形です。ダイヤモンドシティの他にも三越・ジャスコが合わさってのオープンであり、むしろうちの目的は「ジャスコ」の方でした。

ただ、当然今日がグランドオープンと言うこともあり、渋滞・身障者スペース不可は覚悟の上で行きました。
一応、フロントガラスには身障者ステッカーと駐車禁止除外標章を同時に掲示しましたが、今までの経験上、このステッカーを見て配慮することはないだろうなぁ・・・と思っていました。

ところが、こんな渋滞にもかかわらず、満車にもかかわらず係員はちゃんと「これ」を見ていました。
「ブルーゾーンご利用ですか?」と聞かれて一瞬「???」となり「あぁ、はい。ちょっと障害があるので・・・」と言うとすぐさまその場所へ案内。「うさぎのマーク(=ワーナーマイカルシネマズ)の下にスペースがありますので、そちらへ入れてくださいとのこと。

思いもよらぬ計らいに驚くと同時に「ここはできる」と思いました・・・が、その後に失望がありました。
案内された駐車スペースは「満車」であり、結局どうすることもできなかったのです。外観だけで3台は身障者とは思えない車、そしてうちの車は入り口で立ち往生の状態。近くを通った係員に「スミマセーン!誘導の方にここを指示されたんですけど、満車なんですが・・・」と言っても「今すべて満車で・・・ちょっとお待ちください・・・」と言って去ってしまう状態。あぁ、やっぱりここも変わらないんだなぁ・・・と諦めていました。

しかし、今回はこの後があり。
10分ぐらいして、最初に案内した人が車のところまで駆け寄ってきて、一言。

すみませんでした。申し訳ないのですが、代わりのスペースが別のところにありますのでご案内します。
私が走りますので、その後を来てください。

オォ!なんと言う対応!しかも「走って」だって。
で、結局誘導されたのはセンターの建物から北側へ約500メーター先の身障者駐車場。この間、誘導員の人はマンツーで走って誘導。

いや、お見事です。グランドオープンにもかかわらず嫌な顔を1つせずに案内し、代替の駐車場もキチンと用意して案内する素晴らしさ、本当に敬服いたします。標章に気がついただけでも素晴らしいですが、案内まで最後まで責任を持って行うとは・・・当たり前のことですが、ここまでキチンとした対応に思わず「コーヒー1杯おごりたいね」と母親の弁。ホント、当たり前のことをやっているのですが、それが素晴らしく思えた対応ぶりでした。

中のお店はともかくとして、駐車場誘導に関しては大変好感の持てた対応例でした。スバラシイ。
(今もデイの職員だったら、ここ行きたいなぁ・・・と提案したいくらいの場所です、ハイ。)

2006.11.17

痛み?痺れ?痒み?

何なんでこざいましょう、この感覚。
なーんか左足太ももの上皮部分が違和感を覚えているんです。でも、原因は不明だし、「どんな感覚」といわれてもなんとも形容のし難い感覚。

異変を感じたのは午後。毎週金曜のことだから、いつもどおりラジオを聴いていたらそのまま(-_-)zzz
で、気がつくと腹ばいのまま寝ておりお昼ぐらいに若干目が覚めるものの、しっかりと起きたのは1時前。
時間的にも「お昼」だったため、久しぶりに冷凍のチャーハンを炒めて食べることに。

そして昼食後はやっぱり何もすることがないため、ベッドで体を温める状態。
そう、そのときに足に違和感を感じた。なんと言うか・・・痛いのかと言ったらそういうわけでもなく、かといって痺れているのか、そうでもない。じゃ痒いのかと言うと、それもまた違う。足を見ても、毛穴にバイ菌が入っている様子もない・・・

正直、原因不明。
一瞬「ヤケド?」とも思ったが、ヤケドになるような要因になるものはないし、お昼を作ったときもコンロから相当離れているから、その可能性もなし。じゃ一体・・・と言う感じ。

お風呂に入っても別にしみることなく、擦っても痛くもない。
一体何故か・・・と思って、母親に見てもらうと・・・「赤くなってるじゃん」とのこと。

改めてよくよく見てみると・・・あぁ、たしかにそう言われればそうなってるかも。
母親曰く「私も一度なったことがあるけど、次の日には治っちゃったよ」とのこと。お昼頃に見たときは全然わからなかったけど、夜になって見ると違和感を覚えている部分の毛穴の部分が赤くなっている。昼間は全然気づかなかった。

「たぶん腹ばいになっていたからじゃないの?」と母親の弁。
たしかに、普段あんまり腹ばいのまま寝ることがあっても、そのまま寝付いてしまうことはない。それがたまたま、今日は赤くなってしまった・・・医学・介護的に言えば「発赤」になってしまった、と言うことだろう。

うーん、でも気になるのは事実・・・明日までのガマンかな?

2006.11.16

感触がつかめない

本日、面接でした。感触・・・うーん、つかめません。
ハローワークの人のアドバイスを元に「押して押して」の姿勢でやってみましたが・・・どう評価されたのかわかりません。自分でも一生懸命になるあまりに何を言っているのかわからなくなってしまったぐらいでしたから。

面接は3人。相談部門の責任者、相談室の主任、そして事務長でした。
事務長は表情を変えずにずーとしており、主任の人は笑顔で好感的に、そして責任者の人は時折受け答えに納得しながらも、時には渋い顔をしたりなど・・・結局のところ、どうだったのかわかりません。

今回の面接は本当に「藁をも掴む」思いの面接です。
未経験の領域であり、求人事項は「相談業務経験」「精神保健福祉士」と条件がそろっていない中での面接。
本当に「僅かの扉」をこじ開けて面接に至った状態であり、面接をパスするには相当な努力が必要な状態。その中でも「やっていきたい」「挑戦してみたい」をどうアピールするかがポイントでした。

もちろん、自分の持てる力を最大限出しました。
面接ではいつも持てる力を最大限出しており、今日はそれ以上に出してみました。でもそれはあくまで「個人的主観」であって、他者からどう評価されているのかはわかりません。

ただ、思考は「ネガティブ」になっているのが実際。
面接が終わって結果について「郵送でご連絡します」といわれた時点で、「あぁ、ダメなのかなぁ・・・」と感じてしまう現実。
事実、この前の社協の面接でも住所を確認された時点で「アウトだな」と思い、案の定アウト。先日の実習選考でも「結果は郵送で・・・」と事で、自分の希望する形での採用はアウト。結局「郵送」と言う言葉を聞いてしまうと、その時点で「ダメだな」と思ってしまう自分がいるのは事実です。仮に採用してもらえるなら、明日にでも電話がかかってくれば・・・と思いたいですが・・・現実はそうもいかないでしょう。

さぁ、また仕事探しです・・・トンネル、まだまだ先は長そうです。

2006.11.15

くさびは打てたはずなのに・・・

Yahooニュース「大仙の男児殺害:進藤容疑者、睡眠薬投与も図る--04年、支援施設で/秋田」

 大仙市の保育園児、Aちゃん(4)が殺害された事件で、殺人容疑で逮捕された母で無職のB容疑者(31)が秋田市の母子生活支援施設に入っていた04年7月、Aちゃんをたたいたり、睡眠薬を飲ませようとするなど、身体的虐待を繰り返していたことが分かった。同施設から報告を受けた県中央児童相談所は「命にかかわる重大な事案に発展する恐れがある」と判断、Aちゃんを潟上市のB容疑者の実家に預けて母子を引き離す措置を取った。B容疑者が以前から日常的に虐待をしていた実態が浮かび上がった。
 県などによると、B容疑者は04年5月初め、「秋田市で就職先が見つかり、生活拠点がほしい」としてAちゃんを連れ同施設に入所。しかしB容疑者はAちゃんをたたいたり、部屋のベランダに放置するなど虐待行為を繰り返すようになった。7月には自身が服用していた睡眠薬をAちゃんに飲ませようとして、職員に制止された。
 B容疑者は同月21日、県秋田福祉事務所(現・県中央福祉事務所)に「精神的に不安定な状態で、虐待しそう」と自ら電話で相談。同事務所は23日に同相談所に虐待の事実を通告した。事態を重く見た同相談所は同日中にAちゃんを実家に預け、母子を引き離した。しかしB容疑者も実家に戻ることを希望したため、「両親らがいる実家なら安全は確保される」と判断。B容疑者は翌24日、実家に戻った。
 その後、相談員の家庭訪問などで虐待行為は確認できなかったため、県は「虐待の問題は解消された」と判断。昨年6月24日に潟上市福祉事務所に「継続的な保護が必要な親子」として経過観察を引き継いだ。その後も虐待の兆候は見られず、昨年12月に2人が大仙市に移住したことから、今年1月に大仙市福祉事務所に活動を移管した。
 大仙市によると、10月までにB容疑者から7回程度、面談などで相談を受けたが、子育ての悩みなどに関する内容はなかった。Aちゃんが通っていた保育園からも、虐待をうかがわせる連絡はなかったという(毎日新聞)

「くさび」は一応は打ったみたいですが、まだまだ打つことはできたと思います。
特に今回のケースは「母子分離」が絶対に必要なケースだったはずなのに、翌日には「両親がいる実家」という理由だけの担保で母子分離をしなかったことは、あまりにも児相・福祉事務所の判断が甘かったかを結果的に裏付けるものになってしまいました。もっと言えば母子生活支援施設の段階で日常的な虐待が判明している時点で施設から児相に通告すべきものだったのではないか、そうすれば「児童の福祉」を守ることができたのではないか、と感じます。

救える命をこうやってダメにしてしまうあり方に、残念さを感じます。これも1つのケースとして、教訓にして欲しいものです。

2006.11.14

久々に、不調?

やっぱり今日も出不精。
でも昨日と違うのは、ちょっと調子がいまひとつ、ってところかな?

何しろ、今日は「何故だか、眠い」の一言に尽きる。
朝食食べて薬を飲んで、ハローワークの求人検索をしてないのを確認すると、横になっておネム。
お昼ぐらいに目が覚めるけど、何となく頭はボーとした感じで、ただ「薬飲まなきゃ・・・」の思いだけで起きて昼食。そして薬を飲んで、何だか眠くて再びおネム。

その間、このパソコンを買って始めてのデフラグ作業をするが、その作業に立ち会っていられずにおネムになってしまうため、デフラグの途中にもかかわらずパソコンはスタンバイ状態に。気がついては起動させなおすけど、やっぱりおネムに襲われてしまい、やっぱりパソコンはスタンバイ状態。

そして気がついたら5時。
「眠いけど、このままはよくないなぁ・・・」と居場所を帰ることに。その間、パソコンはスタンバイ状態。

そして現在、未だにデフラグ実行中。
っていうか、PC立ち上げて半日以上経っているのに、未だにデフラグ作業を終わらせていない俺って一体・・・
しかも今頃になって夕食後の薬を飲んでいないのに気づき、慌てて服薬。さらには「朝と昼はちゃんと飲んだかなぁ・・・」と、たぶん飲んでいるはずであるのにもかかわらず不安になっている自分。

トコトン今日はこんな感じ・・・久しぶりに「不調」って言うやつですか?
別に生活様式は普段と変わっていないけど・・・うーん、この先に思うことがあるからそれが身体反応に現れているだけなのかな?体はウソつかないタイプなので・・・

まぁ不調な日は不調な日なりに過ごしましょう・・・って、もう夜じゃん(>_<)

2006.11.13

出不精

なんか前にもこんなタイトルで書いた覚えが・・・さすがに1100本以上書いていると、自然と同じタイトルになることもあるでしょう。

相変わらずの「寒い寒い」で、朝ごはんを食べた後はすぐに布団の中へ。
必死に体をさすって温めるくらい。別に風邪をひいているわけではないが、兎角朝が寒い。きっと仕事をしていれば違うんだろうけどね・・・(>_<)

でもって最近は「今日はこれをやろう」とか「~に行こうかなぁ・・・」と思っても「いいや、明日で・・・」と言うのが続いている。そう、出不精の状態。今日も廃棄パソコンの事務手続きが終わって、後は郵便局に持ち込むだけで済むのに、パソコンを梱包するためのガムテープがないだけで「いいや」と思ってしまい、そのガムテープを買いに行くのも「明日でいいや」と、物事をトコトン先送りにしている状態。

ホント、人生の中でこんなに時間をもてあましている期間はないのだから、せっせと行動をすればいいのに・・・と自分でもつくづく思ってしまいます。でも結局のところ、何かをきっかけに外に出る機会がないから最終的に「出不精」につながってしまっているんでしょうね。

その「でるきっかけ」と言うのが、大体ハローワーク。
今日も求人のことで相談に行けばよかったものを、今週の面接にかけているため結局行かずじまい。
もちろんその面接がうまくいけば問題ないのだが、絶対の保証はない。(いや、ホントは強気で行きたいけど・・・)
いわば今の自分の「外出動機」は「ハローワーク」につながっており、ハローワークに自分の気になる求人が出ない限りは、外に出ることはないのかなぁ・・・と、ふと思ってしまう。もちろん毎日求人検索を自宅で行った上でハローワークに行っているので、決して「無計画」ではないのだが、午前中の時点で「求人ゼロ」が確定してしまうと、この時点で今日は終わり・・・となってしまう。うん、これはヒジョーにいかん。ダメである。

と言うわけで、明日は何が何でも廃棄パソコンを郵便局に持ち込んで、処理を済ませましょう・・・
となればいいのですが・・・(^_^;)

2006.11.12

何にしましょう・・・

いや、タイトルにそんな深い意味はありません。
ただ、今日のblogを書こうと書き込み画面にしてから、約5分・・・ぼーっと考えていました。

世間的には、そのことを「ネタがない」と言うのかもしれませんが、Mitakeの小箱の場合は「ネタがない」こと自体が「ネタ」と化していますので・・・って言うか、書ける内容はあるんですけどね。

まぁ「書く内容」と言っても、現在プゥの身である自分にとっては「そのひ暮らし」のネタですが。
今日も漫然と生活を・・・と言うわけには行かないんですねぇ、土日の場合は。(あ、昨日は漫然と過ごしていたかぁ・・・)
週末は、祖母の面会です。

先週はパソコン入れ変えの件と熱発があって早々に切り上げた面会。
今日はもう熱はなかったのですが、念のため安静・・・と言うわけで、「離床禁」のマークがされていました。ただ本人的にはずーと寝ているのも疲れるようで、ベッドサイドで端座位になっていろいろと話をしました。
まぁ話と言っても内容は何時も同じこと。「話」が目的ではなく、家族・親族がそばにいるだけで目的は達成しているので、それはそれで良いと思っているのですが・・・

ただ、加齢に伴う身体の衰えと認知レベルは下がっていることはじじつでありまして・・・
祖母の場合は右麻痺が残っている状態であり、その状態を少しでも維持させようと思い簡単な体操をしたりするのですが、病院に入院しているときは多少できたものの、特養に入所してからはその回数も減ってしまい、さらに疥癬感染・熱発などで体が動かせない状態になっていたときもあったので、6月の入所当時に比べると麻痺のレベルは進行しているように感じました。何よりも、自分でベッドサイドを支えていないと端座位の姿勢を保持することが難しくなっているみたいですし・・・

さらに認知のレベルに関しても、完全にアウトの状態。
恐らく見当識は半分以上を失っており、誕生日関係は完全にアウト。で、オイラの「愛称」はわかっていてもちゃんとした「名前」とは結びついていない状態。無論、孫の人数もいまや覚えていない。まぁ子どもの誕生日はおろか、自分の誕生日も忘れてしまっているので、それはそれで無理のない話しだけど・・・

その割には、ユーモアセンスは残っているみたい。
祖母が元気な時、誕生日になると毎年お小遣いを貰っていた。で、母親が「誕生日だからお金あげないの?」と問いかけると、パジャマ姿の祖母は、自分の体を触って一言・・・あたしゃのフトコロ、空っぽだ。

こう言う言い方は難だけど、ボケている割にはセンスは残っているじゃん。
その後も冷たい祖母の手を温めるためにスキンシップを取りながら「婆ちゃんの手は細いね。どういう手だろう?」と問いかけた。期待した答えは「白魚の手」だったが、それは出てこなかった。しかし今度は自分の手を差し出して「この手はどんな手だろう?」と問いかけると、母親が祖母の耳元で「ブリの手」と言うと微笑を見せるなど、ちょっとしたジョークなどは理解しているみたいだった。でもこれができるのは親族だけであって、きっと施設の人の場合はできないだろうなぁ・・・と感じている。やっぱり、まだまだ施設に心を許していない部分があるのだと思う。
祖母が施設に順応するのは、まだまだ当分先なのかも知れない・・・

祖母と接する時は「孫」でありながら「福祉人」としても接している自分。
この先、自分はどんな道を歩むのでしょうか・・・まだ、路頭に迷っている最中であります。

2006.11.11

コトバ★「相田みつをその3」

今日のコトバは「相田みつを」の第3弾です。
これまでは自分の気になった作品について取り上げてきましたが、今日は作品云々ではなく私自身の「相田みつを考」をして見たいと思います。

その前に「相田みつを」の生い立ちについて少しだけ。
相田みつをは1924年(大正13年)に栃木県足利市に生まれ、1937年(昭和12年)旧制中学に入学、1942年(昭和17年)に卒業後、歌人・山下陸奥に師事を受けながら曹洞宗高福寺の禅僧・武井哲応老師と出会い、在家のまま師事し、仏法を学びました。また翌年には書家・岩沢渓石に師事しました。その後戦争経験で2人の兄を失い、1951年(昭和26年)に関東短期大学夜間部国文科に入学、1953年に卒業しました。
書家として第1回の個展を開いたのは1954年(昭和29年)で、地元足利市で開催しました。以後「自分の言葉・自分の書」のよる展覧会を17回開催しました。一方で1955年(昭和30年)には「ろうけつ染め」の技術を学び、暖簾や風呂敷などを製作し、また足利や宇都宮の老舗店の包装紙や栞(しおり)のデイザンなども手がけました。
初めて書籍を出したのは1984年(昭和59年)の「にんげんだもの」で、その後皆さんもご存知の通りミリオンセラーとなりその名が知れることになります。その間3冊の書籍を出版しましたが、1991年(平成3年)に足利市内の病院で脳内出血により永眠、67年の短い生涯を閉じることになりました。

上記のように、私たちが知る相田みつをの作品は「にんげんだもの」や「一生感動一生青春」、「ただいるだけで」などの名作を残していますが、これらの作品は相田みつを自身の宗教観を背景にした、自身の人生の中で中期から晩年にかけての作品であるかのように思えます。と言うのは、現在開催されている「開館10周年記念特別企画展」をご覧になっていただければ一目瞭然かと思いますが、これまで私たちが知っている作品の多くは1960年代から70年代にかけての作品が多く、晩年となる1980年代の作風にはこれまでの作風を集約した、物事の「本質」を見抜いた作品が多くあるように感じます。そのためいわゆる初期・・・1950年代の作品はあまり多く見ることはありませんでした。しかし今回の展示展ではその「1950年代」の作品が多く展示されています。その作風を見ると「柔らかさ」と言うよりかは「荒々しさ」と言うものを感じさせる作風が多く、相田みつをの特徴的な「丸みのある文字」ではなく「激しさのある文字」で書かれているものが多く見られます。

しかし「荒々しさ」「激しさ」を感じるのは、「書の基本」があったからなのかもしれません。
今回の展示展では「般若心経」を下書きなしで書かれた作品もあり、決して毛筆の基本を忘れてはいないと言うことがわかります。逆を言えば「書の基本」があるからこそ、私たちが普段馴染みのある「にんげんだもの」や「ただいるだけで」などの作品につながっているのかと思います。

さて、上記の生い立ちの中で「ちょっと矛盾」かな、と思うところがあります。
と言うのは、ろうけつ染めの技術を学んだのは1955年とありますが、第1回の個展(1954年)の看板は・・・ろうけつ染めで作られた看板なのです。と言うことは、以前からろうけつ染めに関心があって改めて技術を修得するようになったのか、それとも第三者にろうけつ染めで看板を作ってもらったのか・・・初めてろうけつ染めをする人にしては大変よくできた作品であり、ある程度の経験がないと「ろうけつ染め」の看板を作るのは難しいのではないかと思います。そんなことを考えて作品を見てみると、ちょっと面白いところがあります。

とはいえ、まだまだ自分も「相田みつを」に出会ったばかりの人間です。今後も美術館に足を運んで、相田みつをを色々と考えてみたいと思います。

2006.11.10

決めるのは、自分。

本日、定期通院日。今回はパニック・フラッシュバックがあったためか、通院までの期間が長く感じました。
その割には予約時間をちょっと遅れて行ったりなど、心と体が噛み合っていないのが現実です。

で、話も中心は「パニック・フラッシュバック」について。
後々になって先生がもしかして話を勘違いしているのかなぁ・・・と思う部分もあったのですが、求職活動の進捗状況について話すと「今はなかなかすぐに常勤で、と言うところも少ないから、非常勤でも入ってみるのも良いと思いますよ」との事。ただ・・・やっぱり若干「広場恐怖」があるのも事実。だからすぐに「ハイ、そうですね。」ともいえない現状。もちろん自分でもなかなか常勤は出ない、と言うことは頭ではわかっているけど、でも当初からの考えがあるから、それは貫きたいなぁ・・・と言う思いがあるのです。
ま、この件については来週にでもハローワークに行って話してきたいと思います。

診察後は、直で有楽町へ。
「何時から後期展かなぁ・・・」と思って行ってみると、再来週からとのこと。となると・・・再来週も有楽町ですね(^^♪
内容は前回行った時と同じだったけど、やっぱり同じ詩の前で足を止めたり、色々と作品を体で体感してみたり・・・など、やっぱり自分にとって「相田みつを」は心のオアシスなんだなぁ・・・と、行くたびにつくづく感じます。たぶん、毎日通っても飽きないでしょう。(でも通うのに交通費がかかるけどね・・・)

じっくり見てきた後は、そのまま帰宅。
帰宅後はやっぱり疲れていたのか・・・そのままスヤスヤ。で、夕飯前になって兄貴に起こされて下の居間に行こうと思ったとき、ケータイが。見覚えのない番号だけど、どこから発信しているかは見当がついたため出ることに。すると、先日応募した先からの電話で、面接を設定するとの事。内心「やっぱりダメかなぁ・・・」と思っていたところに電話が来て、ちょっと嬉しい限りです。正直資格も経験もない場所だったので書類選考で蹴られるかなぁ・・・と思っていましたが、書類はOKだったみたいです。と言うことで、あとは面接をパスするだけ。でも何時もここでやっぱり蹴られちゃうからなぁ・・・

いや、自分の道は自分で作る。他人の作った道を歩くのではなく、自分で道を切り開くもの。
まだまだ困難はたくさんあると思いますが、自分で自分の道を決めていきたいと思います。そう、今度は「強気」で。

2006.11.09

1人で悩んでもしょうがないけど・・・

今日はとんでもない状態でした。起床が10時。これはまぁまぁとする。
だけどとんでもないのはその後。10時に朝食を食べて求人検索をして、再び(-_-)zzz
そして気がついたら・・・14時。

自分でもビックリです。
どんな状態では、遅くても13時前には目覚めるものが、今日は14時。自分でも何が合ったのか・・・と思ってしまい、急いでお昼を食べて、薬を飲みました。

うーん、昨日もちょこっと書いたけど、その影響なのかな?
正直なところ、今日求人が上がっていればハローワークに行って相談しようかな、と思ったのですが、求人がなかったのと再び起きた時間が14時だったので、結局行かなかったのです。

で「影響」って言うのは、言うまでもなく「就職」のことです。
先日実習選考を行った施設から書面で連絡があり、「常勤としては採用できないが、非常勤としてなら・・・」と言うことで連絡があった。結局のところ、人件費などの都合で「常勤職員」としての枠が取れないため「非常勤」と言う話なのであろう。さぁ問題は、この「話」にのるかどうか。

この話に「一長一短」があるのは、もちろんのことです。
メリットとしては、とりあえず「就職できる」ことであり、多少ばかりの「収入」を得ることができることです。
でもデメリットとしては「身分不安定」であり、非常勤である以上、再び安定した場所を見つけなければならず、その労力を考えるとかなり辛い状態であることがいえます。また「28歳」と言う年齢からも、「次の場所は長く勤め上げたい」と言う気持ちが強いため、「非常勤」よりも「常勤・正規・正社員」の身分を欲しい、と言う気持ちがあります。

今の生活を抜け出すためには、非常勤でも働く方がいいのかもしれません。
ただ長期的スパンで見たとき、ここで働いた時の「次」を考えた時、思い描くような「次」がイメージできないのです。

だから結局「1人で悩んでも結論がでない」状態なのです。もちろん、1つ求人に応募したと言うのもあるのですが・・・
そう、良くも悪くも自分の「真面目すぎる性格」が、アンバランスな精神状態を生んでいるのかもしれません。もちろん、広場恐怖的なものもないとはいえないかも・・・ウン。

明日は通院日。先生と話して、ちょっと心を洗ってきたいと思います。

2006.11.08

寒いぃ・・・

今日は・・・寒い。マジで寒い。
今シーズン初、布団から出るのが辛かった・・・と言っても、起きている時間は同じなのだが・・・

そのため、今日は1日布団の中にこもりっぱなし。
午後に履歴書用の写真と一昨日紹介してもらった求人への履歴書郵送以外は、引きこもり生活。
ましてや朝なんて・・・寒くて寒くて行動できなかったぐらい・・・

で、お日様が出てきた午後にようやく活動をするも、求人はでてないし寒さは相変わらず。
だからヒーリングミュージックを聴いて、心を癒す生活・・・

気がつけばお日様は沈んでおり、夕飯の準備。
水曜日だから、今日はカレーの日。カレーを作る。(何故カレーの日なのかは・・・謎)

結局、久しぶりに「ダラダラ」の生活でした・・・いや、「だらだら」と言うよりかは「冬眠」といった感じかも。
でもちょっと、今現在色々と「お悩み中」のMitakeなのでもあります、ハイ。

2006.11.07

押して、押して

昨日はハローワークに行き、先週の面接などの一連のことについて報告。
今回は障害のことを「クローズ」に、面接時にオープンの形で実施。ハローワークの人から「面接が終わったら内容を連絡して欲しい」との事で、昨日が一番早く行けた日なので、昨日報告へ。

報告では事前に予定されていなかった実習選考が行われたことや、施設長との話の中で「意識消失・失神がネックになる」ことを報告。「意識消失・失神」に関しては、どんなにその現場を回避したとしても絶対に起きないとは限らないため、「絶対に失神しない」とはいえない状態。事実、フラッシュバックで危険な状態があったことも事実だし、それだけは「絶対」の保証はない。そういった話になったことも報告。

そして自分の所感で「難しそう・・・」と話し、結果を待つことに。(たぶん、ダメだと思うけど・・・)
あわせて、改めて求人を紹介してもらった。ただ、今回は自分の立場的に難しいかなぁ・・・と思う求人。資格もそろっていないし、経験もそろっていない。ただ、ハローワークの人曰く「難しくはないと思うけど・・・」とのこと。

自分が「障害者窓口」に通うになって半年、この間に紹介を受けた求人は20社以上。
しかし、未だに就職には結びついていない。ただ、職員の人とは顔が知れるようになり、求職活動も窓口ではスムーズに行くようになっていた。そして今回の求人を紹介してもらうに際して、職員の人からこんなことを言われた。

Mitakeさんは窓口で話していると、あたりのいい感じの人だからそんなに難しくはないと思うけど、それがなかなか就職に結びついていないですよね。もっと自分を強く売り込んで行ったらいいと思うけど・・・その辺、ちょっと弱そうに感じるかな。もっと自信を持って、押していってもいいと思うけどね。

うーん、ズバリ言い当てられているような気がする。
どうしても「尻込み」をしてしまう部分があるのは事実であり、「自分を売り込む」と言うことはどちらかといえば「苦手」な方。今回の求人の紹介も「Mitakeさんのせっかくいい部分を見てもらうために、クローズで行って面接でうまく話してみるのがいいかもしれない」と言うことで、今回の求人もクローズでスタートすることに。紹介の段階で門前払いを食らうことはなったため、とりあえずは応募することができたけど、問題はこの先でどうやって「セルフアピール」をしていくか、と言うこと。

そのために今日1日は履歴書と職務経歴書の内容を見直し、意欲を少しでも相手方に伝わるような内容に若干修正。と言っても「自分は仕事をしたいんですぅ!」と言うことを強くアピールしただけのことなんだけど・・・この思いが伝わるかな・・・と言うのは、常に持つ心配。

と言うわけで、明日郵送で履歴書を送ります。いい返事があるのよいのですが・・・

2006.11.06

「おこぼれ」の正体

昨日のblogで書いた「おこぼれ」の正体は・・・これ。
D1000111

そう、「おこぼれ」はコンポだったのです。
以前からコンポは持っていたのですが、かれこれ数十年使用していたもの。さらに修理記録では、10年前に修理した形跡があった。そして最近、どうも不調気味だった・・・いつか変えたいなぁ・・・と、思っていたら、思わぬところで「おこぼれ」となったのです。

もちろん購入は「ポイント」で。本当はポイントプラス1万円ぐらいで買えるかなぁ・・・と思ったのですが、自分が希望した「音のいいコンポ」と言うことで、これを勧められてしまい、さらに実際にその音のよさを実感してしまったため、思わず「これ」と言ってしまった。結局、予算を1万オーバーした2万円の支払いで購入。

でもやっぱり音は大事です。特に「心の癒し」を必要とするオイラにとっては・・・
おかげで、お昼寝もスヤスヤです・・・(^_^;)

2006.11.05

入れ替え、ほぼ完了

休日にもかかわらず、珍しく8時半頃に起きました。とはいえ、尿意を催してですが・・・(^_^;)
でも結局朝食を食べて、9時ごろに再び入眠。そのまま11時半頃に母親に起こされました。

以前このblogでも語ったと思いますが、毎週土曜日は祖母が入所している特養へ面会に行く日だったのですが、しばらくの間、平日・土曜と特養前の道路の下水工事をする関係で、土曜に行っても駐車場に入れない状態になってしまっていたので、昨日は面会に行きませんでした。その代わりに、休日に面会に行くことにしていました。

で、時間的にもそろそろ・・・と言う時間だったため、外で食事をしてから面会に行くことに。
目が覚めてから車を運転して、途中ジョナサンに寄って昼食。オーダーをして待っていると、イレギュラーな時間に携帯が鳴り出した。なんだろう・・・と思って携帯を見ると、ヨド○シからだった。
そう、パソコンが入荷したのです。

詳しい経緯を話すと、自分が現在のパソコンを導入するに当たって、以前使っていたノートPCを兄貴に譲り渡すことに。ところが先週、そのノートPCがスパークしてしまい、完全につかえない状態。液晶のディスプレイは不調だは、起動するたびにスキャンディスクやら・・・末期的症状。ノートPCは廃棄することになりました。

ですが・・・ある意味「パソコンジャンキー」となってしまった兄にとっては、パソコンがないのは不自由な生活。
オイラからパソコンがなくなったら生活上重大な影響を受けるが、正直兄貴の場合はパソコンがなくてもそんな不自由はしない。だって、ゲームやネットをするだけなのだから・・・ただ、兄貴自身も「PCは欲しい」と思っているのは事実。

そこで出た案が、母親のPCを兄貴に払い下げして、新たに母親が新しいPC(地デジ付き)を買うという計画。
当然、この計画を実行するには自分しかいません。まぁ発案したのは母親なので、自分に打撃はそんなにはないのですが・・・ただ、面倒と言う程度ぐらいしか。

で、この3日間価格調査をして最も安く、ポイント還元率がよかったのが、ヨ○バシだったのです。
ただそれを見たのは昨日。で昨日の段階で「買う」といったのだが・・・既に在庫切れ。今度の入荷が6日との事だったが、既に兄貴に払い下げしてしまった以上、母親も「必要」であることは事実。と言うことで、前払いで注文することに。
ところが明日入荷の予定のPCが今日入荷した、との事で、事は急展開をすることになったのです。

早々に食事を終え、そのまま祖母の特養へ。ただ、今回は熱発しているとの事で、点滴はしていなかったものの、だるそうなようであり、面会もあんまりコミュニケーションが成り立たない状態だったため、面会も今回は早々に切り上げ。さらにその足で今日の夕飯&明日の夕飯の買物をした後に、PCを受け取りに行くことに。

そして自宅に到着。ただ、全体の梱包量が「32キロ」もあり、いつもは2階の部屋に持って行ってから梱包を解いていたものを、今回は2階の部屋に持っていく前に、梱包解除。1つずつ分離してもっていくことにしました。
とはいえ・・・今回買ったのは「本体・ディスプレイ一体型」であるため、単体でも23キロ。落とさないように慎重に階段を登り、設置となりました。

で、現在は7・8割方終わっている段階です。
残りはデータの移行と「テレビOFF」の解明だけです。本当はこの間にも長ーい作業(兄の部屋への移設作業、無線LANの導入、メモリ増設などなど)があったのですが、いちいち説明しているとキリがないので、今の段階で「7・8割終了」とだけ言っておきます。あ、ソフトの導入も、必要だったっけ・・・

そうそう、もちろん「おこぼれ」もいただきましたので・・・その辺は、また明日。

2006.11.04

コトバ★「現場実習」

先週は久しぶりに友人たちと会う予定があったので、コトバはお休みにしました。
今回はやることがあるといえばあるのですが・・・コトバを行いたいと思います。今日のコトバは「現場実習」です。

なぜここにきて「現場実習」を取り上げようと思ったのか?
やはり、その要因として大きいのは、先日3日間に渡った実習選考があると思います。正直「今更・・・」と思った部分もありましたが、いざ経験をしてみると大変新鮮味のあるもので、忘れかけていたものを呼び起こすような、そんな経験をしました。そのため、改めてここで「現場実習」の意義を取り上げなおしたいと思います。

HP「御岳の山」には学生時代に経験した現場実習についてまとめてあります。
そもそも福祉系での「現場実習」は当然ながら資格取得を念頭においた実習のことであり、私の場合は「社会福祉主事任用資格」取得のための実習と「社会福祉士受験資格」取得のための実習が大きな実習でありました。現在社会福祉主事任用資格取得のために必要な実習時間は180時間(約1ヶ月)以上の実習時間を、また社会福祉士一般養成施設における受験資格取得のために必要な実習時間は90時間(約2週間)以上の実習時間が必要になります。ちなみに私の場合は任意実習も行いましたので、専門学校時代の実習時間は342時間であります。

ただ、現場実習ではいろんな意味での「限界」があるのは事実です。
例えば「社会福祉士受験資格」を取得するための実習なのに、実態として「特別養護老人ホーム」での介護的要素を担った実習であったりすることも多く、必ずしも「本来の目的」に即した実習が行われているのか、といわれれば難しい部分があるのは事実であり、その点は多くの学生の人が感じる部分でもあると思います。

ではその中でどのようにして「実習の意義」を見出していくのか。
結局のところ、現場実習で何が必要なのかといえば、現場実習に当たっての「心構え」が非常に重要である、と言うのが、今現在の私が思える解釈の1つであります。つまり、最初から「拒否的」な姿勢で行った実習に関しては、何にも実習の「意義」は見つからず、見出すことも困難であると言うことだと思います。たとえ、実習の内容が「介護的要素」の実習であっても、そこで「もし自分が「社会福祉士」であったとしたら、何を考えるか」といった目的意識がなければ、同じ「介護的要素」の実習であっても得るものは異なってくると思います。

事実、私が行った実習先の1つには、比較的重度の「知的障害者更生施設」があり、そこでは入浴介助や排泄介助など、介護的な要素も含まれていました。しかしその部分だけを着目してしまうと「社会福祉士とは・・・?」と言う問題にぶつかると思います。これは特養でも同様のことであり、介護面だけに着目した実習では、結果として「社会福祉士の実習じゃない」と言う結論になってしまうと思います。

つまり「社会福祉士の実習ではない」と言う結論になってしまった場合、それは実習者の「目的意識」が薄い、のだと思います。特養にしても、更生施設にしても、「介護」と言うのは全体の生活の中の「一部分」であり、それがすべてではありません。社会福祉士の実習は「ソーシャルワーク」の実習であり、「ケアワーク」の実習ではありません。では「ソーシャルワーク」とは一体何なのか?
これに対しての「目的」や「目標」を見出すのが、現場実習なのです。

「ソーシャルワークとは何なのか?」、ソーシャルワークは目に見えないものであることは先日の統一研修の報告でも書いたように、現場実習では「目に見えるもの」を得るのではなく、「目に見えないもの」をいかに実体化させていくことであると思います。実体化させた結果が、現場実習の意義なのではないか、と考えています。
私が3日間経験した「実習選考」では、改めて自分の「不勉強さ」を痛感したことが、自分にとっての収穫でした。

これから現場実習に行く皆さん、何を考え、何を思うのか。目的意識を持って臨んで欲しいと思います。
無論、今回は「現場実習」について書きましたが、教員免許取得のための「介護等体験」の体験(実習)も同じことです。

2006.11.03

なんとなく、疲労

タイトルそのままです。本当に、何となく疲労です。
昨日はblogを書いてから1時間後には就寝、そして今日は9時半に一度起きて軽食・服薬をするものの、再び2度寝。母親に起こされて昼食を食べ、その後は我が家のパソコン入れ替えのために色んなところを下見。と同時に、母親から「重い」と言われていたパソコンのメモリ増設を行う。

で、時間のあるときはホームページで求人を探したり・・・と、いつもの生活(?)に戻りました。
ただ今週は緊張感が続く状態だったためか、1日寝ても疲れている状態です。「寝疲れ」ともいえるかもしれませんが、それでも何となく疲れている感は残っている状態です。

でもまだ明日もやることたくさん。
明日はいよいよ「パソコンの入れ替え」で、それに伴っていろんな事をやらなくくちゃいけないのは事実。それを想像すると「ハァ」と言うのは、正直なところかな。

とはいえ、もう既に今日から準備が始まっており、これから入れ替えに向けて色んな準備を着々と行っている状態です。

と言うわけで、疲れているから今日もこれで終わり!

2006.11.02

意義ある3日間

実習最終日。長いようであっという間の3日間の実習が終わりました。
最終日は「木工」に参加。と同時に施設長直々の実習でした。初日が現場職員、2日目が採用担当者、そして今日が施設長と、すべてのセクションからの意見集約となっていました。

木工に関しては、正直以前の授産施設で「安全性を担保できる人」が中心に組まれており、事前の説明で「この中(施設)で最も障害の程度が重い人で、全員自閉傾向のある人」との説明。よくよく考えれば自閉傾向のある人との支援に関わったことはあるけど、「自閉傾向」の利用者だけで固められた集団に関わるのは初めてのこと。で、今日は自閉傾向のある人とほぼマンツーに関わったので、正直どこまでのキャパシティがあるのかがわからず、手探りの状態での実習でした。そして思ったことは・・・「また1から勉強しなおさないと」と言うこと。

正直な話、実習をする前までは約3年間の経験で「実習」は何とかなるものだと思っていた。
初日はある意味自分の得意分野でもあった「ダウン症」の利用者とのかかわりだったため問題はなかったけど、2日目はやや自閉傾向のある人、そして最終日は完全な「自閉傾向」のある人と、日を追うごとに障害の程度が重い利用者との関わりとなり、さらに今まで本腰を入れて接触をすることの少なかった「自閉傾向」の利用者と関わることによって、いかに自分がまだまだ勉強不足であるかを痛烈に感じました。

もっと言えば、頭の中では「自閉症とは~と言うものである」ことを理解していても、いざそれが実践となると「理解」と「行動」が伴わない状態であり、その部分のジレンマに悩まされた、と言うのが今日の実習だったと思います。

いずれにしても最初は「書いていなかったじゃん」と思ってはじめた実習、気がつけば「自分の勉強」になっていました。
「即戦力を求める」ための実習と言われましたが、正直なところ、今回の実習では逆に自分自身に対しての「自信」を失うような実習でした。それは自分が「即戦力か?」といわれた時に、対応の如何に苦慮していた自分にとっては自信を持って「即戦力です」と言うことのできない・・・いや、言える保証のない自分に出会ったことが大きな理由です。もちろん昨日のパニックが尾を引いている状態であることも、それに拍車をかけている要因なのかもしれませんが・・・

また自分のことに関して「嘘はつきたくない」「隠し事はなしにしたい」との思いから、施設長に対して自分自身の状況・体調・発作の状態、発作が起きる可能性に関してはありのままに話しました。当然そのことを話せば、細葉状のネックになるのは「発作」であることは言うまでもなく、自分の中でも施設長と話していて「あぁ、この部分は大きなネックになるなぁ・・・」と実感しました。

とりあえずは実習は終わり、後は結果を待つだけです。感触としては、難しいかなぁ・・・との感じなので、また求職活動のやり直しです。ただ、今回の実習ではいろんな意味で「気づき」のあった実習だったので、決して実習に費やした3日間は、今後の求職活動の中においてプラスになるものであると感じました。それを実感できただけでも、今回の実習選考は自分にとって大変意義深いものになったと思います。

今週はギッシリ詰まった週なので、今日は早めに休みたいと思います。

2006.11.01

精神的に、最悪な誕生日

本日、実習2日目。と同時に、とうとう「20代後半」になる28歳ととなってしまいました。
しかし28回目の誕生日は、精神的に「最悪」な誕生日となってしまいました。

今日取り組んだのは「園芸」。土作から芽の植え替えなどを半日。
午後は「趣味の時間」と言うことで、太鼓に参加。どうやら施設祭で太鼓を披露するみたいだけど・・・お手本がない、と言う状況。さらに一緒にやった職員の人も「わからない」と言う始末。実習している自分の身としては「なんじゃ、そりゃ・・・」と言う感想。ただ、正直な話、見本と言う「型」にはめて利用者に取り組んでもらうのは、ちょっと厳しい状態。もちろんできる人もいるけど、できない人もいる。そしてできない人の表情をみると・・・なんだか冴えない。うーん、正直これじゃ「趣味」と言うよりも「押し付け」みたいな感覚。はじめは自分も勝手がわからなかったので様子を見ていたけど、休憩を機に自分なりの支援を展開。内容は簡単・・・「自由にやっていいよ」だけ。

「のだめカンタービレ」の世界じゃないけど、休憩の時に流した「盆踊り」の曲に合わせて「自由に、好きに叩いてごらん」と言うと、非常にのびのびと叩いている。型にはめて練習していた時とは、表情も様子も一変。「自由にやっていいよ」と言う発想、たぶん知的のデイサービスを経験していなかったら、一生懸命型にはめてできるようにさせていたと思う。ここで1つの経験が活きた。その後の練習でも、間違っても修正することなく、自由に叩きたいように、その中である程度の規則性を持たせて練習。「こうだよ、こうだよ」と言っていくよりも、うまくできたところを「よーし、できた、グー!」と支援している方が、よっぽど利用者にとっては「つまらない時間」を過ごさないで良いと実感。

そんなわけで、いきなり訳のわからない場所に放り込まれてしまっての実習でしたが、それが「最悪」ではないのす。
「最悪」だったのは利用者の注意場面でのこと。

正直この言葉については変な解釈がされる恐れがあるため使いたくないのですが、あえて「真面目」な話として用います。
注意内容は・・・マスターベーション。午後の休憩が終わる前に利用者の確認をしようと思い、更衣室の中を確認へ。すると・・・今日自分が実習で担当したグループの利用者が上半身裸、下はズボンを下ろしてパンツから陰茎をだし、マスターベーションをしていた。以前、授産施設でマスターベーションについて「トイレの個室でやれと言う支援は間違えだ、外でさせるものではない。」との指導を受けていたため、ここでも同様に利用者に対して「触らない、ちゃんとズボンをはいて下さい。」とやや強めに教示。すぐにやめる気配もなかったため、半ば強引に起立をさせ、見守り介助でズボンを履かせ、シャツを着せて更衣室を後に。

正直言って「マスターベーション」の教示はごく当たり前のことで、よくある場面だと思う。
しかし何が最悪かって・・・マスターベーションの仕方だった。自分の中ではありえないくらいに海綿体を出しており、それが自分にとってあまりにも衝撃的過ぎた。そのため、早くこの場面を脱したい、回避したいと思い、教示も早く終わらせてしまった。正直言って、これは自分にとっての大きな「パニック要素」の1つになるものであり、その場では当然パニックになっていたが、特に事なきを得た。

だが、自分のパニックではこれでは終わらない。このことが「フラッシュバック」するのだ。
そのフラッシュバックしたのが、母親の透析帰りの車を運転中のこと。運転する前、母親の病院の前で「実習所感」をまとめていた時に、たまたま出来事としてその事例が頭をよぎってしまった。正直、自分の記憶からは消したい部分。しかし今日の今日の出来事だから、そう簡単に消えるものではない。そしてそのフラッシュバックがピークになったのが、運転中のこと。運転中にさすがにピークになったのは初めてのことで、もちろん思考は別のところにさせて緊張感を持たせ、運転は事なきを得ましたが、車を駐車場に入れた後は完全な虚脱感。しばらく車から降りることができず、また降りても自宅まで戻るのに気を張った状態での戻り。そして自宅に帰ると・・・臥位状態。結局このまま、1時間程度動くことができませんでした。

こうして何とか今、今日の記事を書いていますが・・・やっぱりこのことを書くと「フラッシュバック」がありますね。
でも自分はあえて書きます。自分自身が「こう言うことが苦手なんだ」と言うのを自己覚知させるためと、「電車に乗れない」だけがパニック障害の症状ではない、と言うことを知ってもらうためにも、自分は書きます。

ホントに、何もいいことのない28回目のBirthdayです・・・(>_<)

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