生涯設計
今日はのんびりとしていていました。色々思うところもあったので。
昨日の記事にコメントを下さった方もおり、ありがとうございます。
思うところ・・・もちろんそれは、就職です。もちろんこんな状態になるなんて、思ってもいませんでしたから。
すべてが狂いだしたのは、一昨年の4月・・・「てんかん」の診断されてからです。
逆にそれがわかったおかげで「パニック障害」という真の病気をつかめたのですが、逆に知らなかったら・・・と思う部分もあります。知ってしまったがために治療を続け、治療上の都合で日勤施設のみの選択になってしまっている現実。「夜勤がイヤだ」と言うのではなく「夜勤ができない」と言うこと・・・福祉従事者にとってはある意味「致命傷」なのかもしれません。
一昨日の面接の時に「仕事を辞めた理由」を聞かれ、「進学のため」と答えました。
自分の人生設計では今頃はまだOTの勉強をしていて、OTになるべく夢を追っていました。しかし思わぬところでつまづいてしまい、OTになりたくても勉強する上での「致命的」な事実がある以上、自分は医療分野に進むことはできないとわかってしまいました。
当然、貯金も失いました。「再スタート」するための地盤も脆弱なものになってしまいました。
もちろん仕事を辞めずにOTの勉強ができるものなら、そうしたかった。
だけどそれをするにはあまりにも時間が少なく、どっちつかずの状態になってしまう。だから自分でも苦渋の決断だった。利用者と離れるのも辛かったし、当時最後の1人の送迎をやったところで涙を流してしまった。「絶対に泣かない」と思っていたのに、利用者と別れるのが寂しくて感情がこみ上がってしまった。当時の自分は「仕事以上のもの」とかんじていた部分があったから「ビジネス」と割り切っていても、割り切れなかった自分がいたのだろう。
その証拠に、去年の3月、契約満了で職場を離れる時は完全に「ビジネス」として割り切れていた。もちろん、後ろ髪を引かれる思いがあったのは事実だけど・・・
今だから言えるけど、実は契約延長の打診がなかったわけではなかった。契約を延長してもよかった。
だけどあえて自分は契約を延長せずに終えた。もちろん安定した収入源の確保を求めたかったと言うのもあるけど、自分がそこで働く「道義的意味」がなくなってしまったことと、雰囲気上残るのもちょっと・・・と言うのがあった。それに去年診断された時点で「これから(の就職活動)は大変なものになるな」と自分自身でそのことを悟っており、「甘い道」を選ぶよりも「厳しい道」をあえて自分で選択した部分がある。やはり「自分の人生」を考えた時に、「20代後半」と言うのはとても大事な時期になるかなぁ・・・と思ったからであろう。
今の状況に「焦っていない」と言ったらウソになる。
だけど、やっぱり自分の人生なのだから、障害のことも含めて、逃げることなく真正面からぶつかって生きたい。それが、今の自分の思いかな。
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