入所
昨日書いたとおり、今日、祖母の特養入所日となりました。
ただ、その前に先日の件で再び杏林大まで行くことになっていたので、先に杏林大で済ませてから、久しぶりに高速に乗って現地まで。久しぶりの高速・・・たった2区間だったけど1年半ぶりの高速はちょっとヒヤヒヤしながらの運転でした。受傷後初の高速走行でもあり、ドキドキしながらも無事に走り終えることができました。
そんでもって、途中でお昼を食べてからまず病院へ。退院の準備をすることに。
既にある程度の物は持ち帰っていたので、病室から持っていくものは非常に少ない。病室で着替えて介護タクシーを待っている間、代わる代わるワーカーなりセラピストが来てお別れの挨拶をしていった。そして迎えが来て、下のロビーまで関係したDr、Nr、OT、PT、ST、MSWなどなどが見送りに来て、介護病棟を退院。
それから病院を出発して40分後、入所する特養へ到着。
雨が降っていたため、介護タクシーは建物の中へ、自分の車は直接駐車場まで乗って行き、施設の方へ挨拶へ。ただ伯父夫妻が「忘れ物をした」とのことで、本人だけ到着の形。「あれぇ~」と思いながらも、とりあえずは本人は居室に移動。居室に移動して着替えた服のまま、そのままベッドへ。ただ、朝からずーと起きっぱなしのせいだったためか、あるいは緊張していたためなのか、ベッドに入るとそのまま寝てしまった。
その間、自分は伯父夫妻が到着するまで下のロビーで待機。
するとようやく到着して、車のトランクから荷物を降ろすことに。荷物を降ろし、居室に運び込むと色々とバタバタし始めている状態。まぁ入所当日なのだからバタバタと慌しくなるのは当然であり、色々と状況確認に来るのも当然であるが・・・当の本人は疲れからか「ポカーン」となっている状態。
そして持ち物の確認やケアの確認をするが、「寝巻」に関して「希望があれば、対応する」とのことで、普通の服装で寝ているらしい。特養自体が「ここは生活の場」と言いながら「起巻寝巻」の状態は納得が行かず、この部分だけは周囲の有無を言わさず「いや、それ(寝巻)はちゃんとやってください。本人にも起きて着替える、寝る時に着替えると言う生活習慣、生活リズムとして刺激を与えるためにも、それはやってください」とやや強めに言ってしまった。施設の方は「わかりました」と答えたが、母親は自分の言動に呆気に取られている様子だった。だって「生活の場」と言っている以上は、朝起きて着替える、寝る時にまた着替える、と言う習慣は当然のことであると思っているので、ごくごく当たり前のことを主張しただけのことだけど・・・
そして一通り済ませて、本契約へ。
「客観的に見ること」でも指摘したように、やっぱり要介護判定は「要介護度3」に下がっていた。だから入所できて良かったタイミングでもあった。ただ介護保険証が更新されたのは良いものの、今度の祖母の住所は「自宅」ではなく「施設」になるため、関係する保険証類はすべて「施設の住所」に直さなければいけない。だから今日の時点での保険証類の預けはなし。で、契約も祖母の住所は特養の住所で書き、身元引受人の住所が、元の祖母の住所となった。で、書いた書類にハンコを押していくのが、俺の仕事。伯母さんが書いて伯父さんが押せばよいのだが、伯父さんは半身麻痺のため上手く押すことができない。そのため、ハンコはすべて自分の作業。特養での契約は契約書の他に重要事項説明書、契約書(別紙)の他に、預け入れ同意書など様々な書類にハンコを押していく。正直自分は契約書や重要事項説明書は目を通していないが、伯父夫妻は目を通しているから問答無用にハンコを押した。ただその他の書類に関しては内容を確認した上で、ハンコを押していった。道義上、ハンコを押した自分の責任もあるから・・・
そんなわけで、1日がかりで特養入所の手続が完了。今日を持って、完全に祖母は「施設入所者」となりました。
昨日も書いたように、ひと段落して安心した反面、「こうなっちゃったなぁ・・・」という、複雑な思いが入り混じっています。特に気がかりなのは、祖母が特養での生活に馴染んでいけるかどうか。「特養」はいわば「終の棲家」であり、恐らくこの施設で人生の最期を終えることになるのだろう。そう考えた時に、自分の福祉観である「より良く生きる」をいかに保証できるのか、が孫として、そして専門職として考える部分の1つです。
ただ、祖母の件についてはこれでまずは決着をしたので、ゆっくりとその後の様子を見ていくことにします。
ハッキリ言っておきますが、同業者であるが故、自分は「物言う家族」であります。
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