前日
いよいよ祖母の特養入所の前日となった。
日の巡り会わせと言うのか、今日は「介護病棟」内での風船バレーボール大会だった。楽しんでいる利用者がいる中で、やはり祖母は「集団」を好まないためか、あまり積極的ではなかった。途中、何度か出て行こうとする場面もあったけど、周囲の状況を鑑みた時にそれを認めてしまうとちょっと・・・と言う気持ちがあったため、心苦しく思いながらも車椅子の後ろに入って、移動を拘束してしまった。普通の状態であれば自由に行動しようが構わないけど、今日は祖母だけではなくすべての病棟から集まっているわけなので、ここは堪えて・・・との思いから、動きを制御してしまった。
本当は孫としても、専門職としても「個」を重視したい自分にとっては苦渋の選択だったが・・・
その後、リハ担当の職員さんから「お時間がありますか?」と尋ねられた。
明日以降に向けての話、と言うことだった。要点は2つで、1つは車椅子、もう1つは食事についてだった。車椅子の件に関しては新たに本人用に合わせた車椅子を作成している、と言うことで話はすんなり終わった。ただ、もう1つの「食事」の面についてはなんともいえない状態だった。大体、次の特養でどのような形で食事が提供されるのか、どのようなケアを行っていくのかがわからない状態なので、安易な答えはできなかった。だからこっち(病院)での状況を探るように、こっちからも色々聞いてみた。ちょうどOT・PT・STの三者がいたので話し易い状況であり、嚥下レベルについても話をした。その上で「本人にとって使い易い自助具を使って食事するのがベストだけど、現状では食器類の用意に関しての指示がないので、少し様子を見たい」と返事をした。
とにかく、食形態とケアプランが見えてこないとなんとも話しようのない部分であるため、そう答えるのが精いっぱいだった。
ただリハ職員の話では「入院時に比べADLは格段に上がっている」との評価だった。また嚥下に関しても「改善に向かっている」との評価だった。事実、車椅子の移乗は見守りで自立しているし、今日試しに「衣服脱ぎ」をやってもらったところ、一部介助することで問題なく脱ぐことができた。正直、ここまでADLが高まっているとは思ってもいなかったので、やった瞬間は「あ、できた。」と単純に思ってしまった。
こういった場面を見ていると「特養入所」と言う判断はいささか早かったのかな・・・と感じる。
以前「生涯発達」でも触れたように、人間はどんなに老いても、どんな障害を持っても「常に発達は続ける」と言う考えを持っている。いわば「可変する可能性」を持っていると言うことである。その観点から見ると、祖母の状態は入院時に比べADLは向上しているし、嚥下レベルも以前に比べ回復しており、今もなお回復しているとの判断が出ている。その点を考えた時、自分が常に主張している「個の対応」如何によって、この「生涯発達」は広まる可能性を持っており、その時点で「特養入所」と言う決断は、果たして正しかったのか・・・と考えてしまう。
当然、現在の家庭内の介護状況を考えては在宅での生活は困難であり、介護力の低下は否めない事実である。その点から考えれば特養入所は致し方ない事実なのかもしれないけど、もっと他の可能性があることも今日面会に行って実感をした。
「孫として」では「孫の立場」と「専門職の立場」でのジレンマについて語った。本音を言えば、孫としても専門職としても「特養入所」は個人的には好きではありません。と言うのは、「御岳の山」を更新していた専門学校生のときに書いた「裏実習ノート」で、特養でのヘルパー実習において、このような記述をしているからです。
介護実習のページも書いたけど、1番驚いた・・・と言うよりショックを受けたのは、やはり介護そのもののあり方でした。今までの学校での勉強では、利用者が主体となった介護をすべき、食事や入浴も日常的レクリエーションであって、常に楽しく、あらゆる部面において「生活の快」(活き活きした生活)であるべきであると考えていました。しかし実際は、その考えと大きくかけ離れたものでした。1日目・2日目の日課表を見てもらえばわかるように、利用者の方に対する介護の内容は「食事介助」「入浴介助」「排泄介助(おむつ交換)」の3つがほとんどで、先に挙げた「レクリエーション」の考えは全くありません。たしかに対象としている利用者の方のほとんどは、ほぼ寝たきり状態の方で、常に介助が必要、すべてのことに介助が必要な方がほとんどなので、むしろそんな事を考えてやる方が難しいのかもしれませんが・・・ただ、食事介助に関しては、かなり考えさせられるものがありました。
皆さんも、当事者となって考えてみて下さい。「食事」は、私達が生きて行く上で欠かす事のできない日常生活上の行為です。ですが、やはり食事は楽しくとりたいものです。つまらない食卓と明るく楽しい食卓、どちらが食欲が出ますでしょうか?当然、明るく楽しい食卓でしょう。そしてしっかりと味わって、触感を感じて食べる食事は遥かに美味しいはずです。
ところが、現場ではそのようなものは微塵もありません。ほぼすべてに全介助が必要な人は、ご飯はお粥、おかずは細かく刻まれているか、ほぼペースト状になっているもの、そして水分が上手に補給できない人はゼリー上の水分を補給するために口の中に半ば注入するように飲みこませる・・・あなたはこのような食事に「耐える」ことができますか?もしあなたの両親や身内が、このような食事をさせられていたら、あなたは耐えられますか?私は、耐えられません・・・この実習をして、両親を特養に入れたくなくなりました。
この現状を見て、自分は「高齢者の分野では仕事はできない」と感じました。
とにかく、第一印象があまりにも良くなかったのです。だから「特養入所」は正直避けたい気持ちでしたが、現状を見れば現実を無視することはできず、現実を見た結果の「特養入所」だと考えています。
ですから、今後特養に望むことであれば、質の高い、個を尊重したケアをして欲しいと言うことです。
たしかに日々の仕事に忙殺されている現実は福祉専門職としては重々承知しています。でも一番大事なのは「余裕」なのでないか、と考えています。前職のデイサービスでも「日々の業務」に忙殺される日々で、ケアに関して見直すと言う機会は皆無でした。常に「このケアで本当に良いのか」と言うことを、利用者の視点・・・いや、もし身内だったら・・・の視点で考えてもらいと言うと言うのが本音です。「余裕」と言うのは利用者にとっても職員にとっても必要なことであり、「心の余裕」があるだけで、ケアの質は大きく変わると思っています。デイで働いた1年間、自分は常に「利用者の主体性」と「余裕」を持てる支援を志してきました。果たしてそれが着実に行われていたのかは自分では判断できませんが、余裕なくして利用者の「より良い支援」はできないのではないか、と考えています。
そんなことを考えながら、「自分はどんな仕事をしたいのか?」を改めて自問自答している日々であります。
明日は、いよいよ特養へ入所です。
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