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思ひ出アルバム

  • 卒業式が終わって・・・
    以前HPで行っていた「todya's photo」の写真や「御岳写真館」で使用していた写真を再び復活させるべく、「思ひ出アルバム」として随時更新していきたいと思います。また最近の写真でも「思ひ出」となるものについては、ここに納められていくことになるでしょう。

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2006年4月

2006.04.30

これも、見つからない理由?

Yahooニュース「派遣労働者、平均年収は291万円…厚労省調査」

 厚生労働省が実施した派遣労働者に関するアンケート調査で、派遣労働者の賃金が平均月額20万6000円だったことが分かった。
 賞与・一時金の支給も約4割にとどまっている。同省がまとめた2005年の事業所規模5人以上の平均給与総額は月額33万4910円で、派遣労働者の賃金水準の低さが浮き彫りになった。
 調査は、厚生労働相の諮問機関「労働政策審議会」の部会に資料として提出された。全国の派遣元事業所5000か所から派遣された労働者1万5000人を対象に昨年10~11月に実施し、2908人から回答を得た。
 それによると、平均年収は291万7000円で、給与形態も時間給制が半数を占め、月給制は35%にとどまった。諸手当については、賞与・一時金の支給がある人が39・3%だった。通勤手当を支給されている人も69・8%にとどまり、支給されている場合でも、実費相当分が支給されているものは62・3%にとどまった。(読売新聞)

Yahooニュース「非正社員 賃金、正社員の6割」

 厚生労働省は二十三日、平成十七年の賃金構造基本統計調査の結果を発表した。今回の調査でフルタイムで働く非正社員と正社員の賃金を初めて比較し、非正社員の平均月額賃金は正社員の約60%と低水準にとどまっていることが判明した。同省ではフリーターの増加や高年齢化で今後、正社員と非正社員の賃金格差がさらに広がる恐れがあるとみている。
 調査によると、正社員(平均四〇・四歳、勤続一二・九年)の平均賃金が月額三十一万八千五百円だったのに対し、契約や派遣、嘱託などの非正社員(同四二・九歳、五・七年、短時間パートは除く)は十九万千四百円だった。とくに女性より格差が大きい男性をみると、非正社員の賃金は二十代前半で正社員の86%の水準となっているのに対し、四十代前半で60%、四十代後半では56%にとどまるなど、年齢が上がるほど賃金格差が大きくなっていた。
 厚労省は調査結果について「正社員は勤続年数が長ければ長いほど昇進して賃金が上がる傾向がある。若者層ではフリーターなどが多く、将来の格差拡大に注意が必要」と警戒している。
 この調査は昨年六月分の単月の平均賃金(正社員は残業代、ボーナスを除く所定内賃金)について、全国の従業員十人以上の約六万一千事業所を対象に実施した。(産経新聞) - 3月24日

これが、今の現実なんですよねぇ。
今は正規職員を目指して仕事を探しているけど、はっきり言って「自分の携わりたい分野」の求人が出ていないのが現状。たしかに非常勤・パートならいくらでもある。しかし非常勤・パートはいわゆる「非正社員」であり、上記のニュースが物語るように、「正社員」と「非正社員」の賃金格差は歴然。「正社員」と「非正社員」の両方の立場を経験している人間としては、やっぱり「非正社員の待遇の低さ」と言うのは、見にしみて感じました。なので今度は「正社員」として雇ってもらえるところに行きたい、と考えているんです。もちろん「正社員」と「希望する分野」にこだわるのは、自分が何をやりたいのかがわかってきた、何を追及していきたいのかがわかってきた、自分が好きな仕事は何なのかを確信を持ってわかったからこそ、「正社員」と言う立場を選んでいるのだと思う。

しかし・・・この世界の待遇は、正社員でも厳しい部分がある。
結構このblogでも取りあえげているけど、今の時点で自分が考えているのは、正規職員として勤務していた時よりは給料を落としたくない、と言うこと。なのでその条件も少し求めている部分がある。ただですら「薄給」の福祉業界であるのにもかかわらず、経験を持ちながら「待遇が落ちる」と言うのは、福祉従事者以前に「労働者」として主張したい部分。やっぱり、待遇はかなり重要・・・と感じているのは事実。

でも現実は、すべてがつりあった職場を見つけるのは至難の業。
なので、多少は目をつぶっても「やりたい」と思える仕事で「それなりの待遇のある職場」であれば、行こうと考えています。今自分自身が考えている職場は、完全に障害者分野1本です。

2006.04.29

コトバ★「障害者自立支援法その13」

頭、いてぇ・・・ってか、昨日の時点で痛かったし・・・飲みすぎだ・・・(^_^;)

いえいえ、これは予定通りに行います。今回のコトバは久しぶりに「障害者自立支援法」をやりたいと思います。
気がつけば、今回で第13回目なんですね。と言っても、別に新しいことをするつもりはありません。と言うのも、今回の内容は「コトバ★障害者自立支援法その10」を踏襲した内容ですから・・・

先日の「ついに、申請。」でも触れたように、今後の収入見通しがつかないため、自立支援医療の申請に踏み切りました。「申請して決定するまで、1ヶ月くらいかかるんだろうなぁ・・・」と思っていたら、すぐに「受給者証」が発行されました。ちょっと、意外・・・
で、これが受給者証です。↓
D1000089_1

と言っても、これは「仮」の受給者証です。本物の受給者証は、2ヶ月以上先になるとのこと。その理由に「東京都のほうでも、以前からの方に対しての受給者に対して発行が追いついていない状態なので・・・」とのこと。

「以前からの方に対しての受給者」・・・これは何をさしているのか?
以前からの受給者とは「通院医療費公費負担制度」で医療を受けていた人のことです。もちろん「通院医療費公費負担制度」はコトバでも取り上げましたが、いわゆる「精神32条」と言われていたもので、精神科や心療内科に通院する際、病名や収入に関係なく「0.5割負担」で医療を受けることができたのです。しかし障害者自立支援法の制定にともない、この「精神32条」は廃止され「自立支援医療」に移行することになったのです。

ただ、自立支援医療の有効期限は1年間に対し、精神32条の有効期限は2年です。つまり今まで精神32条で受給していた人は2年間の有効期限があったものが、自立支援医療に変わることによってその期間が1年短くなることになります。となると、当然「既得権」が侵されることになってしまうので、東京都の場合は3月いっぱいまでに「更新手続き」をすれば、既に取得している有効期限まで有効となる受給者証を発行する、と言うことになっており、当然今まで精神32条で医療を受けていた人はその手続きをすることになります。その量がハンパではないらしく、新規で申請した自分の場合は「2ヶ月以上」となってしまうみたいです。

ちなみに自分の場合は「重度かつ継続」には当たらないと思っていたのですが、市役所の職員の人が「一応、該当で出しますね」とのこと。そのため上限金額「10000円」と設定。ちなみに「重度かつ継続」の範囲についておさらいすると・・・

「重度かつ継続」の範囲
○ 疾病、症状等から対象となる者
 更生・育成    腎臓機能・小腸機能・免疫機能障害
 精神
  (1)統合失調症・躁うつ病・うつ病・てんかん・認知症等の脳機能障害、薬物関連障害(依存症等)
  (2)3年以上の精神医療の経験を有する医師により、以下の病状を示す精神障害のため計画的・集中的な通院医療(状態の維持、悪化予防のための医療を含む。)を継続的に要すると診断された者として、認定を受けた者
 ・情動及び行動の障害
 ・不安及び不穏状態

○ 疾病等に関わらず、高額な費用負担が継続することから対象となる者
   医療保険の多数該当の者

で、自分の場合は「恐怖症性不安障害」で「重度かつ継続」の範囲には普通は入らないはずだし、重度かつ継続の意見書もないからたぶん却下されると思うけど・・・でももしOKなら、それは「不安及び不隠状態」として取られることになるんだろうなぁ・・・あぁ、たしかに事実、診断書の「病状・状態像等」の部分には「不安及び不隠状態」にチェックが入っており、その中で「不安・恐怖感」にチェックが入っている。さらに「その他」にもチェックが入っており、「これ(不安・恐怖感)が強いと意識消失」となっており、いわゆる「重度かつ継続」の要件としては当てはまることになる。
でも・・・実際問題として、1ヶ月に1万円以上の医療費を払うことはまずないと思うから、別に「非該当」でも構わないんだけどね・・・

ということで、今日は「自立支援医療」の現在の状況について話しました。

2006.04.28

あぁ、1ヶ月・・・

今日は夜に「ご予定」があるため、早めの投稿。

って言うかぁ・・・とうとう4月中に就職することができませんでした。
前回は「あれよ、あれよ・・・」と言う間に、失業認定を受けるまでもなく就職先が決まってしまい、そのままなだれ込むように仕事へ。だからほとんどタイムラグのない状態で「もう少しゆっくりしてから仕事をしようと思ったのに・・・」との思惑がずれてしまった。

そして今回・・・正直失業認定を受けるかどうかを迷ったのですが、「妥協しない活動」を考えた時に、自分が要求する内容はこの分野では結構高いほう。そう考えるといつまでも決まらない、と言うことは十分にあるわけで、失業認定を受けることになりました。

でも実際には失業認定を受ける前から求職活動はしていた。だから実質的には、今月で求職活動は2ヶ月目に突入する。しかしながら、今回の「失業認定」で活動の範囲としてカウントされるのは、雇用保険の手続きをした日から、失業認定日の前日までの活動。ちなみに初回の失業認定日は5月8日の月曜日。つまり5月7日の日曜日までの間に原則2回以上の活動・・・だけど、今回に限っては「期間が短い」の理由から1回以上の活動実績があれば認定がパスされることになっている。「資格決定」の時にも話したように、「説明会受講」も活動実績の1つになるが、自分の場合は今日の時点でこれだけ活動をしている。
Img020

「もう、十分だろう・・・」と言うくらいの活動実績。
さらに今日は1ヶ所面接に行ってきており、さらに来週の月曜日(5月1日)にも面接を受ける予定。ハッキリ言って、これらの活動実績を次回・次々回の失業認定の時にキープしておきたいくらい。(そういう制度ってあるのかなぁ・・・笑)

ただ、いずれにしても「プゥ」の状態が、とうとう1ヶ月になってしまいました。
周りからは「焦るな」といわれていますが、やっぱり「真面目すぎる」のか、何か目的をもって仕事をしていないと、気分的に落ち着かないんですよねぇ・・・ハイ。

あー、誰か雇ってくれないかなぁ・・・(^_^;)

2006.04.27

ついに、申請。

本日、定期通院日。そして、診断書も貰いました。
D1000088

使うかどうするか悩んだ「自立支援医療」、結局申請することにしました。書類をもらった時はどっちにしようか悩みましたが、結局今の現状を考えると安定した収入が確保される見通しが立っておらず、求職活動も困難な状態。就職して社会保険に入って・・・なんてことを待っていられる状況ではないかな・・・と実感したため、申請に踏み切りました。

で、ここには出していませんが昨日出した診断書も一緒に書いてもらいました。ただ、2枚の診断書を見て「わかったこと」もありました。
まず第1が正式な病名。今までは「パニック障害」と言っていたけど、今日の診断書を見て、初めて自分が何の疾患であるのかを把握。病名は「恐怖症性不安障害」、狭義の「パニック障害」には属さないけど、広い意味での「パニック障害」であることは事実。ICDカテゴリーで見ると「不安障害」の中で特に独立した不安障害としてあげられていたのがわかった。だから最初は「パニックだから、F41かな?」と思ったけど、より症状が特定されているため、F40の分類に入った。

2つ目にわかったことは「推定発症時期」。初めて発作を起こしたのは小学校3年生のとき。西暦に直すと、1987年。そして2001年に2度目の発作。パニック障害の場合は「パニック発作が繰り返し引き起こされる」とあったから2度目であった「2001年」が「発症」になるのかな・・・と思ったら、最初の発作を「推定発症時期」となっていた。と言うことは・・・既に9歳の時点で「不安障害」であった、と言うことになる。まぁたしかに自分が小学生の時は精神衛生に関しての見識は今ほど進んでいなかったからわからなかったのも仕方ないし、発作を起こしたのが「児童期」だったため他の疾患の可能性(はっきり言えば、てんかん)を考えるのが第1であった。だから「推定発症時期」も「結果的に小学校3年生の頃」と言うことであろう。

そしてもう1つ。これはハローワークの方の診断書だけど、「日常生活能力の程度」で、自分が想定していたのと違ったこと。ハローワークの診断書にある「日常生活能力の程度」は5段階に分かれており、次のようになっている。

(1)社会生活は普通にできる。
(2)家庭内での日常生活は普通にできるが、社会生活上困難がある。
(3)家庭内での単純な日常生活はできるが、時に応じて援助や保護が必要である。
(4)身のまわりのことは辛うじてできるが、適当な援助や保護が必要である。
(5)身のまわりのことは全くできない。

自分の中では(1)だろうと思っていたけど、先生の判断は(2)・・・うーん、俺、社会生活上困難があるのかぁ・・・
まぁ確かに「夜勤・宿直不可」がある時点で「社会生活上の困難」にはなるのかなぁ・・・そう考えれば、仕方ないのかな。

ただ・・・それにしても、ハローワークの診断書の方は「ズバリ言い当てている」というのか「そんなになのかなぁ・・」と思うことが結構あり。例えば「労働習慣」については「まじめな性格で、労働習慣は確立している」と書いてあるけど、参考意見として「性格的にまじめすぎる。責任感も強い。そのために本人が自分の中でストレスをためてしまいやすい」との意見も・・・そんなに「まじめすぎる」のかなぁ・・・俺。適度に力を抜いているつもりなんだけど、もっともっと力を抜いていい、ってことなのか?

ま、今回の病気に関して公文書として「診断」を貰うのは初めてだったので、とりあえずは自分が今どんな状態なのかは客観的資料として把握することができました。この資料を見て自分を援助するなら、きっとこう言うでしょうね・・・


うん、もっと気楽に、あまり真剣にならずにのんびりいきましょうね


「被援助者の自分」に対して「援助者の自分」がこう言うなんて・・・皮肉な話です、ハイ。

あ、そうだ・・・今日から薬が変わったんだ・・・全部で5種類。飲む時間によって飲む薬が違う・・・
ウ゛ッ・・・間違えそうだ・・・(^_^;)

2006.04.26

なんとなく、わかってはいるけれど・・・

ここ最近、ちょっと調子悪いです。仕事をしていないのにもかかわらず、発作らしい症状が目立っています。

発作のスイッチが入り始めたのは、日曜日から。
起床時の目覚めの感覚が、悪い。って言うか、良い目覚め方をしていない。
と言うのは、自分でもよくわからないけど「意識消失を伴う発作」を起こした印象だけが強く残ったまま起床したこと。ただ「自分でもよくわからない」と言うのは、「夢の中で発作を起こして、そのことを引きずって目覚めた」からその印象が強く残っているのか、あるいは「睡眠中に本当に発作を引き起こして、その感覚が残ったまま起床した」から印象が強く残ったのかが、わからない状態。もっとも寝ている時点で「意識」はなくなっているわけだけど、それでも「意識消失を伴う発作」と言う感覚だけは残っている。以前にも「仕事中にてんかん発作を引き起こした夢」
を見たことがあるけど、そのときは自分の中でも明らかに「夢」と自覚していたため「夢の中での出来事」として処理することができた。しかし今回は「夢なのか、現実なのかわからない」と言う状態のため、自分の中でどう処理をして良いのかわからない状態。「嫌な夢」を見ることはあっても、「夢なのか現実なのか」がわからない状況になることは、初めてのこと。もしかしたらこれも一種の「発作」なのかもしれないけど、自分では上手く説明がつけられない状態。

また月曜日には雇用保険の受給者説明会に行ってきたけど、その説明会の最中にも何となく頭の中から血の気が引く感覚があり、ボーッとするような状態にあった。別に動いていないし、座位の状体だったのにもかかわらず、やっぱり変な感覚に襲われていた。

で昨日は「発作」こそはなかったものの、ハローワークの「はしご」と言うか「たらいまわし」といった状態。
今現在、活動の拠点は飯田橋にある「東京しごとセンター」の中にあるハローワークU-30(概ね30歳以下の人を対象にした、ハローワーク)で行っていたが、そこで職業相談の中で「障害(パニック障害)のことをオープンにして活動をしていく方針を持っているのであれば、管轄のハローワークの障害者窓口で相談をしてみるほうが、円滑に進むかもしれない」との助言を受け、地元管轄のハローワークの障害者窓口へ。そこで経緯を話すと「医師の診断書を出して欲しい」と、所定の様式を渡され、取りあえずその文書を書いてもらわないことには話は進まない状態になってしまったので、明日が定期通院日だけど前日の今日に病院に行き、書類を預けることに。

でも移動中に「発作らしい症状」が現れていたのは事実。
今日も運転中はそんなに影響はなかったけど、いざ歩き出すと「地に足が着かない感覚」にあり、フワフワとしている状態。さらに母親の通院介助のための迎えから帰ってくると、ここ最近は自宅に入るや否や、すぐに居間に横になってしまう。つまり「立っているのが辛い、座っているのも辛いから、横になってしまったほうが楽」と言う状態であり、軽いパニック状態になっている。どういう状態かと言うと、頭の中から血の気が引けていく感覚に襲われている状態。この傾向、今週になって顕著に現れている状態。

ただこうなっている原因、自分でも何となく理解はしているんです。
きっと引き金になっているのは「対人関係」の部分。今週・来週と立て続けに面接を設定。さらに飲み会もあり。その中で自分が恐れていることといえば「自分の体調」についてと「学校」、さらに「就職状況」のこと。自分自身の中で障害のことは受け入れつつある状態にありながら、このことを事実を知らない、自分のことを知っている人は当然この部分の話題に触れてくる可能性がある。そのことが自分の中で気になり「予期不安」となって現れ、結果として「パニック発作」のような症状を呈しているんじゃないのかな・・・と自分の中では分析をしている。

原因・要因がわかっているから、対応策はそんなに難しいことじゃない。
だけどどうしても「予期不安」の部分については心の整理がついていないことも事実なのかもしれない。その証拠に、今年の2月には抗不安剤が変わって、少し強めの抗不安剤になった。導入直後は落ち着くけど、やっぱり「耐性」がついてしまうのか、完全に予期不安が消失したわけではない。さらに「緊張」も、発作に拍車をかけているんだと思う。もう1つあげるのであれば、就職活動が上手く行っていない現状に「不安と焦り」を感じている部分もある。いくら失業手当が出るとはいえ、やっぱり「収入源の不足」は切実な問題。就職活動をしているから「ニート」ではないけど、いつニートに転落してもおかしくはない状態。

うーん、もちろん就職活動が難航するであろうと言うことは、去年の「てんかんの疑い」診断が出た時、そして「パニック障害」診断が出た時に、ある程度は覚悟をしていた。ハローワークの障害者窓口で相談をした時も「現状は厳しい」と言うことを言われた。その部分は重々承知していた。既にその「障害の壁」も目の当たりにしているから「就職活動が厳しい状態になる」ことは覚悟はしている。だから焦らずに行こうとは思っている。でもやっぱり、内心は焦っている部分があるのも事実。その部分をどうやって自分の中で整理をしていくかが、これから自分が克服していかなければならない「第2の壁」なんだと思う。「第1の壁」である「障害の受容」はクリアした。しかし「クリアした」と言っても、まだその状況は「壁の上に上った段階」に過ぎない。今度はその壁から飛び降りて、次の壁を乗り越えなければいけない。そういった意味では、まだ自分自身は「現実」を直視せずに、逃げている状態なのかもしれない。

原因・要因はわかっている。でも、どうすれば良いのか・・・
今の自分は、そこでつまづいているんでしょう。きっと「つまづき」さえ無くなってしまえば、後は楽だと思うから、当面は「辛抱」が続きそうです・・・

2006.04.25

ただいま、メンテナンス中→復旧

ハイ、ただいま復旧しました。
ここだけ読むと「何のことだ?」と思う人もいると思いますので、事情を少し説明することに。

昨日の記事をアップ後、「ブログパーツ」となるものを導入しようと思い、記事をアップ後にブログパーツの説明どおりに手順を進めたのです。そしていざ内容を反映させるために、更新したところ・・・


ブログのスタイルが総崩れしてしまったのです!


これは一大事・・・と言うことで、必至の復旧作業。


色んなところをいじってみましたが、復旧する兆しなし。
「ココログオリジナル」にしてみても、回復の兆し無し。
別のテンプレートに切り替えても、元通りに戻らない。


どうして・・・
なんで・・・
一体、俺がナニ悪いことをしたっていうのさぁ!!!

俺は・・・少しでも見栄えが良くなるように、ちょっといじっただけなのに・・・_| ̄|○涙


そして復旧作業を続けること、気がついたら、午前2時30分
予定では0時に寝るつもりで、今日は午前から出かける予定だったのに・・・これ以上の復旧作業は明日の行動に影響が出る可能性があったため、復旧できないまま、就寝・・・(-_-)zzz

そして朝・・・9時過ぎに起きるが、予定があるため当然、復旧作業をせずに外出。
午後も色々と施設訪問に行ったため、結局帰宅は18時30分過ぎ。そしてようやく、復旧作業開始。色々と試行錯誤しながら、ようやく復旧が完了しました。約1日ぶりに元の姿に。

いや、厳密にはちょっと配置が変わっていたりするんだけど、今の時点では下手にデザインを動かしてしまうと、再びスタイル全体を崩してしまいそうな恐れがあるので、今は止めておきます。

そして昨日書いた「サイドバーをちょっといじってみました」発言も、一本線で消させていただきました。
だって、実際にまたそれをやったら、崩れる可能性大だし、ほとんどいじってないので・・・

と言うことで、今日書こうと思ったネタは明日へ先送りでーす(^_^;)

2006.04.24

資格決定。

先週の「雇用保険」の申請手続きから、1週間。
土曜日に取り上げた「コトバ★雇用保険」でも述べたように、昨日で待機が終了。そして今日、雇用保険説明会に行ってきました。そして、気になる「離職理由」ですが・・・次の通りでした。(って、これってメチャクチャ「個人情報」だよね・・・

D1000087

えーと、先日の「コトバ★雇用保険」から引用すると・・・

・下記に該当しない理由での解雇(理由11)
・天災などの理由により事業の継続が不可能となったことによる解雇(理由12)
・契約期間満了による退職、定年、移籍出向(理由20)
・事業主からの働きかけによる正当な理由のある自己都合退職(理由31)
・事業所移転等に伴う正当な理由のある自己都合退職(理由32)
・理由31、理由32以外の正当な理由のある自己都合退職(理由33)
・正当な理由のない自己都合退職(理由40)
・被保険者(離職者)の責めに帰すべき重大な理由による解雇(理由50)
このうち、下2つの「理由40」と「理由50」に該当する場合は、「給付制限」が発生します。

と言うこと。で、自分の場合の「離職理由」を見ると「20」との表記。つまり今日から支給開始です。正直「下手したら40になるのかなぁ・・・」と不安でしたが、一応は理由のある退職でしたし、元々期限の定めのある契約だったので、とりあえずは「契約期間満了による退職」として扱われたみたいです。そして気になる支給額は、見ての通り。正直「離職時賃金日額」はもっと高くなるかなぁ・・・と思っていましたが、思ったよりも低い金額。そのため基本手当日額も約7割の支給。まぁ自分の中でも「大体1日4000円ぐらいかなぁ・・・」と思っていたけど、気持ち多かったので「ラッキー♪」と言ったところでしょうか。

さらに次回の失業認定日までに必要な「求職活動回数」は原則として「2回」のところを、今回は失業認定まで期間が短いため「1回」でOKとのこと。そして今日の「説明会」も求職活動としてカウントされることから、今日の時点で「失業」の認定条件はクリア。でも実際には今日の説明会を含めて、3回も求職活動を行っているんだよね。おまけに明日も飯田橋の方に行こうと思っているから、失業認定までの間には4・5回の求職活動になるだろうなぁ・・・と想定。これだけ頑張っているんだから、頑張っている人には「特例」として、もう少し給付日数を増やして欲しいなぁ・・・と言うのが本音。でもまぁ、給付制限にかかることなくすぐにもらえるので、よしとしましょう。

あ、同じ「社会保障」の問題として、サイドバーをちょっといじってみました。
やっぱり税金の問題を「身近な問題」として捉えるためには、こういった趣旨に賛同することも大事かなぁ・・・と思って、つけることにしました。皆さんも、お試しあれ。
(ただし・・・このblog、記事数が尋常じゃなく多く、今日の時点で記事数は「902本」。そのため、反映されるまでには少々時間がかかると思いますので・・・その辺は、あしからず。)
←これ、訂正します。詳しくは、この記事を参照してください。

2006.04.23

アポなし

昨日はいつもの祖母のところへの面会日。ただし、昨日だけはちょっと事情が違った。
と言うのは、先日書いた祖母に関してのケースカンファレンスで「要介護度が5から1になった」と言う話を受けて「どういうことなんだ?」という状況になり、自分も加わって病院のMSWの話を聞くことになっていたのです。基本的に祖母のことは同居していない自分が立ち入る部分じゃないですし、母親から耳にタコができるほど「アンタは孫の立場なんだからね」と言われているので入れないのですが、こういった「問題」が出てくると、以前の老健見学の時のように自分が出る出番になるのです。でも大体、話す内容は何となくわかっているんです・・・だって、分野は違えど「社会福祉士」ですから基本的なことは理解しているし、専門外とはいえ「どの施設が適切か」と言うのもおおよそは見当がつきます。

そして昨日のMSWとの面談、MSW対伯父・伯母・母親、そして私。
結論から言えば、今回も自分が口を出すまでもありませんでした。そして、予想通りの内容でした。ただ「要介護度が5から1になった」のカラクリについては判明。どうやら去年の12月に再判定を行った際に「要介護1」から「要介護5」と変更になったときに、変更になった介護保険証を病院に出したものの、その情報が医事課でストップされた状態になっていたため、「要介護度が1から5に変わった」と言うことが病棟の方に伝わっていなかったために「要介護度が5から1になった」と言うヘンテコな状態になってしまったようです。ですから別に再判定を受けていた事実もありませんでしたし、要介護度が変わっていたわけでもありませんでした。そのカラクリがわかってしまえば、もう自分の出番はなし。結局昨日のMSWとの面接は「要介護度の変更」についての問いただしが自分の役目だと思っていたので、その原因がハッキリしてしまえば、もう自分は口出しする必要はありません。なので、昨日の面接では一言も喋りませんでした。だって・・・もし自分がMSWだったら、まるっきり同じことを話しているんですから。

さて「自分の予想通り」と思った内容、それは「次の場所へ」と言うことでした。
先日のケースカンファレンスではそのことが話題となり、その中で「要介護度が1」と言う話になったので「要介護度1じゃないだろう」と思い、昨日の面接になったわけです。しかしそのカラクリが解ければ、次の段階に進めます。次の段階・・・それは「特養探し」です。ケースカンファレンスの中で「嚥下に障害があるものの、医療的ニーズを要する状態ではない」と言うことになり、もっと祖母に適した場所に移動してみては・・・と言うことになったみたいです。しかし「じゃ退院して自宅復帰へ・・・」とは行かないのが現実。伯父さんは一昨年に脳出血で倒れ、身障6級。伯母さんは伯父さんのお手伝いをしながら祖母の介護をするのは困難。第一、自宅で嚥下対応食を準備することが難しく、在宅サービスの利用には拒否的。そして根本的に、介護力不足があるため在宅での介護は「困難」と考えている。この考えは自分だけではなく母親、伯父・伯母、そして病院のDrも「在宅介護は困難」の見解で一致している。となれば、残された道は「施設介護」しかない。

「施設介護」となると「特養」(指定介護老人福祉施設)、「老健」(介護老人保健施設)、「療養病棟」(指定介護療養型医療施設)の3つから選ばなくてはならないが、現在入院しているのが「療養病棟」であるため、この選択肢はありえない。そして「老健」の場合、一時的には入所できたとしても、老健は「通過施設」と考えられているため、どんなに長くても半年の入所が限度。となると、半年毎に次の老健を探さなければならず、その負担を考えると「老健」と言う選択肢は現実的ではない。なので残された選択肢は「特養」しかない。事実、医療的ケアを必要としない祖母にとっては「療養病棟」「老健」よりは「特養」の方が適していると考えている。MSWも「特養が適切ではないか・・・」との意見。よって今後の方針として「交通の便がある、特養入所」を目指すことに。

ただし・・・特養の現状として「待機待ち」が非常に多い状態。待機1年・2年は当たり前の世界。
さらに祖母の場合、再判定では「要介護5」だったけど、その期限が6月で切れるため再び「見直し」が行われる。もし見直しが行われた場合、恐らく現在の祖母の状態を勘案すれば「要介護3ないし4」になると考えられる。なので、なるべく要介護度が高いうちに入所できれば・・・と言う考えがある。そのため、方針が決まった以上は「早め、早め」の対応が必要。
と言うわけで、昨日と今日の2日間で、アポなしで2つの特養に行ってきちゃいました(^^♪

いや、福祉従事者として「アポなし」と言うのは、掟破りであることは十分に承知しています。
でも逆に「福祉従事者」だから「アポなしでも対応しないと・・・」と言う考えがあったのも事実。なので「アポなし無礼承知」の上で、あえて特養に突撃。手段としては「パンフレットと申込書をいただきたい」と言う名目の元、「事前連絡無しで本当に恐縮ですが、もし支障のほうがなければ(施設の)中の方を見せていただいてもよろしいでしょうか?無理でしたら結構ですので・・・」のスタンスで特養へ突撃。昨日の施設は初めに「パンフレットと申込書をいただけますか?」のスタンスで始まり、そのあとに「無理ならいいのですが、中の方を見せていただいてもよろしいですか?」と聞くと、あっさりOK。「まぁ、やってみるもんだ・・・」と思う反面「対応して当然」という福祉従事者としての考えがあったのも当然。

そして今日の施設、見学・相談は平日のみ・・・と事前情報で得ていたが、「お断り承知で・・・」を覚悟の上で、いざ突撃。で行ってみると、やっぱり生活相談員の人はいなかった・・・が、職員らしい人が出てきたので「済みませんが、生活相談員の方は今日いらっしゃいますでしょうか?」と切り出す。で要件を聞かれると母親が「実は私の母が・・・」と言うことで、事情説明。すると「あ、じゃ少々お待ちください。」と待つこと数分、たぶん介護主任らしき人が対応して、何も言っていないのに施設内に通されることに。そしてパンフレット・申込書を貰うのと同時に、やっぱり何も言わなかったのに、施設案内をしてくれた。「さすがに日曜は無理だろう・・・」と思いながらも行ってしまう自分も自分だけど、日曜日にもかかわらず対応をしてくださった施設にも、その器の大きさを実感。でもその一方で「対応して当然」と考えていたのも、やっぱり事実。

いや、さすがに自分ひとりではここまでの行動はしませんよ。同業者として。
ただ「祖母のこと」であることと「母親が一緒」であることが、土日でも行動させる要因になっているのは事実ですね。土日の突撃に関してさすがに母親も「いいよ、そこまでしなくても・・・」と躊躇するくらい。特に今日なんかはすぐに職員の人が出てこずに「いいよ、帰ろうよ」と言っているのを無視して、しばらく待機。すると出てきたので事情を説明すると中に通され、待っている間に母から「アンタ、よくやるねぇ・・・」と言われるほど。いや、福祉従事者で内情を理解しているからこそできることであり、なおかつ「身内の問題」として捉えており緊急度がやや高めであるからこそ、母親が一緒の場であれば「アポなし」で行動ができること。だからあくまで原則は「アポ取ってから」と言うのは、十分に承知していますよ。だから今週行こうとしている施設に関しては母親に「アポ、取っておいてね」と言ったし。(いや、自分がアポを取ってもいいけど「私の母が」と言うことでアポを取った方が「私の祖母が」と言うよりは強みがあるから、あえて母親にアポだけは取ってもらうようにしているんですよ。面倒から母親にやってもらっている訳ではありませんからね。)

一応、これからは「アポあり」で行く予定です。入所検討する施設もいくつかピックアップしていますから。
ただし・・・やっぱり、時と場合によっては「アポなし突撃」もありますので・・・施設関係者の方、ご了解を・・・(^_^;)

2006.04.22

コトバ★「雇用保険」

先日の「出尽くした発言」の通り、「コトバ」のネタには苦慮しています。一応来週のネタはある程度上がっているのですが、今日のネタが・・・と言うことで、前倒しの状態ですがこれを取り上げましょう。今回は「雇用保険」です。
ちなみに、今回が記念すべき「900本目」の記事です。

社会福祉士受験の際は「社会保障論」の範囲として含まれる「雇用保険」の内容。その時は結構勉強していましたが、今となってはだいぶ錆付いています。しかしいざ自分の目の前の問題となると目の色が変わるもので・・・ちゃんと、勉強している最中です。(^_^;)

一般的に「雇用保険」と言うと「失業中に手当を貰う」と言う考えが多いと思います。まさに雇用保険の目的はそこにありますから、その考え方も間違っていません。ただ「雇用保険」には一般的に言う「失業等手当」の他に「雇用3事業」と呼ばれるものもあり、それらを含めて「雇用保険」と言われるのです。(雇用3事業に関しては、ここでは触れません・・・そこまで掘り下げていませんので・・・汗)

さて自分も含めて一番身近に関係してくるのが「失業中に手当を貰う」ことであると思います。このことを法的には「失業給付」といいます。失業給付を受給するためには当然「失業の状態」でなければならないのですが、ここで言う「失業」と言うのは、単に仕事をしていないということだけではありません。雇用保険における「失業の状態」とは、以下の3つすべてに該当することを言います。

1.積極的に就職しようとする意思がある。
2.身体的・環境的にもすぐに就職できる状態にあること。
3.求職の申し込みをし、積極的な就職活動を行っているにもかかわらず仕事が決まっていないこと。

以上の3つの要件を満たさないと「失業の状態」とは言いません。ですから「今すぐに仕事をしない」とか「病気で仕事ができない」と言う状態の時は「失業」とは見なされません。(ただし「失業の状態」ではなくても「病気で仕事ができない」などのように、特別の事情がある場合にはその事情が考慮されることがありますので、特別の事情があるときには管轄のハローワークに相談してください。)

「失業の状態」である場合には、失業給付を受けることができます。給付される金額(これを「基本手当」と言います)は年齢や離職6ヶ月前の収入などによって異なってきますが、給付される日数は決まっています。まず定年退職をした人や自分の意思で離職した人の場合には、年齢に関係なく以下の日数が給付されます。

雇用保険加入年数 1年未満 1年以上5年未満 5年以上10年未満 10年以上20年未満 20年以上
年齢問わず 90日 120日 150日

しかし「倒産」や「解雇」など自らの意思に関係なく、再就職の準備をする時間的余裕なく離職を余儀なくされた場合には、離職した年齢と雇用保険の加入年数によって、給付日数が異なります。

  1年未満 1年以上5年未満 5年以上10年未満 10年以上20年未満 20年以上
30歳未満 90日 90日 120日 180日
30歳以上
35歳未満
180日 210日 240日
35歳以上
45歳未満
240日 270日
45歳以上
60歳未満
180日 240日 270日 330日
60歳以上
65歳未満
150日 180日 210日 240日

なお理由の如何に関係なく、障害者等の就職困難者が離職をした場合は年齢と加入年数によって下記の日数となります。

  1年未満 1年以上
45歳未満 150日 300日
45歳以上65歳未満 360日

これが「基本手当」を受給できる「所定給付日数」といいます。
しかし離職してすぐにこれが貰えるか・・・と言うと、「離職の理由」によって給付されるか否かが決まります。

基本手当を受給するための「離職理由」として、雇用保険上では下記のような分類をしています。

・下記に該当しない理由での解雇(理由11)
・天災などの理由により事業の継続が不可能となったことによる解雇(理由12)
・契約期間満了による退職、定年、移籍出向(理由20)
・事業主からの働きかけによる正当な理由のある自己都合退職(理由31)
・事業所移転等に伴う正当な理由のある自己都合退職(理由32)
・理由31、理由32以外の正当な理由のある自己都合退職(理由33)
・正当な理由のない自己都合退職(理由40)
・被保険者(離職者)の責めに帰すべき重大な理由による解雇(理由50)

このうち、下2つの「理由40」と「理由50」に該当する場合は、「給付制限」が発生します。具体例を、自分が受給資格が決定した「4月17日」を例に挙げたいと思います。

4月17日に「受給資格決定」がされると、その日から7日間経過するまで給付がされません。これを「待機期間」と言い、すべての離職理由に対して「待機」が満了したことによって支給が開始されます。この「待機期間中」に失業状態の否かを確認・給付額などの決定がされます。よって待機が満了すると、上記の表に基づいて基本手当が支給されます。4月17日に受給資格が決定となった場合の待機満了日は4月23日、つまり明日になりますので、明日を過ぎると明後日(4月24日)から基本手当が支給されます。

しかし離職理由が「理由40」「理由50」に当たる場合・・・つまり「正当な理由のない自己都合退職」と、いわゆる「懲戒解雇」の場合は、待機期間満了後、さらに3ヶ月間の「給付制限」がかけられ、給付制限期間中は基本手当が支給されません。よって4月23日の待機満了後も、4月24日からの3ヶ月間(7月23日まで)は基本手当が支給されず、7月23日の時点で「失業の状態」が継続されているときに、給付制限が終了する翌日(7月24日)から基本手当が支給されることになります。

さて、自分の「離職理由」が判明するのが、来週の月曜日。
待機期間終了後に雇用保険受給説明会があり、その場で「離職理由」が判明することになります。前回の離職の時は給付を受けることなく、雇用保険の手続きをするまでもなく仕事が決まったので何にもしませんでしたが、もし申請していれば「理由40」で、3ヶ月の給付制限がついたことでしょう。しかし今回の離職は「契約満了」による離職。だからたぶん「理由20」になると思うし、給付制限無しでもらえる、と思っているけど・・・まぁ、細かいことは、来週早々にでもここで取り上げることにしましょう。

2006.04.21

体調管理を、しっかりと。

テレビ見ていて、ビックリましたねぇ。

スポニチSponichi Annex「脈に異常で球審が突然倒れ、入院」

 セ・リーグの渡真利克則審判員(43)が21日、球審を務めた巨人―阪神1回戦(東京ドーム)の四回に脈に異常を感じ、突然倒れた。意識はあったが、東京都内の病院に救急車で運ばれ、そのまま入院した。セによると原因は、この日の心電図などを含めた検査結果で後日、判明するという。
 同審判員は井川が先頭の小坂に5球目を投げる直前に捕手の矢野に覆いかぶさるように倒れた。自力で起き上がったが、矢野に抱えられ、立つのがやっとの様子だった。
 試合は首位を快走する巨人と昨季優勝した阪神の今季初対決。三塁塁審の井野審判員が急きょ球審に回り、控えの有里隅審判員が三塁に入って、9分の中断後に再開された。

Yahooニュース「<プロ野球>巨人・阪神戦で球審が倒れ、一時試合中断」

 21日行われた巨人・阪神戦(東京ドーム)で、渡真利克則球審(43)が四回裏、巨人・小坂の打席で突然、前に崩れるように倒れた。試合は9分間中断。同球審はそのまま退き、三塁の井野修塁審が球審に回り、控えの有隅昭二審判が三塁に入った。渡真利球審は都内の病院へ搬送され、そのまま検査入院。直前に不整脈の自覚症状があったという。意識ははっきりしているという。(毎日新聞)

いや、あの倒れ方を見た時は間違えなく「あ、これヤバイな・・・」と感じました。
倒れ方がやや不自然だったし、完全に「抜けていく」ような状態での倒れ方だったし、ニュースなどの情報を得るまでは間違えなく「脳卒中かな?」と思いました。ただここに来て「不整脈」という情報も出てきており、どうやら「持病」が試合中に発症してしまったみたいですね。

ちなみにこれらの記事と共に渡真利審判の情報が「Wikipedia」に出ており、今回が初めてではないみたいですね。

・2003年9月2日 広島vs阪神戦、試合途中に倒れ、途中交替。(球審として)
・2005年5月に病気を理由に長期欠場
・2006年4月21日 巨人vs阪神戦、試合途中に倒れ、途中交替。(球審として)

ふと見てみると、「阪神戦」で倒れている、ってことは・・・阪神戦が心労になっている???
まぁこれは冗談として、審判も「プロ」ですから、体調管理はしっかりされてくださいね。そして1日も早い回復をお祈りしています。しっかりと治してから、グラウンドに立ってくださいね。

2006.04.20

まだ、入っていないかぁ

机の引き出しを整理していたら、こんなものを発見。
D1000086

あ、これは「確定申告」をした時の明細書。確定申告では色々とすったもんだがあったけど、とりあえずは無事に終えた。そして先月の末に還付金の通知書が来ていて、そのまま机の中に入れっぱなしになっていたんだぁ・・・

で、よーく見てみると、今日が手続き開始日じゃん!
と言うわけで、インターネットバンキングで口座を確認。しかし・・・入金されている様子は、なし。
先月分の給与は振り込まれていたけど、税金の還付金は振り込まれていなかった・・・ちょっと楽しみにしていたのに。

ただ、よくよく見ると、通知書の下にも、そして通知書の裏にもこんなことが書いてあった。

実際にあなたの口座に入金されるのは、手続き開始年月日から金融機関の休日を除き4・5日程度要しますのであらかじめご承知ください。

なーんだ・・・結局手続きの開始日だけで、実際にいつ入るかはわからないのね・・・
ただいづれにしても、今後まだ職が決まるまでには時間がかかりそうだから、今後受給するであろう「失業給付」も貴重な「財源」になるから、些細なお金でも今は大切なのよね・・・

ってか、また今日も「画像」に逃げちゃったよ・・・(^_^;)

2006.04.19

ちょっと、なぁ・・・

ここ最近は何となく「画像」で逃げている自分・・・イカン、イカン。(^_^;)

さて、昨日のことを受けて、今日は平日にもかかわらず祖母の病院に行ってきました。
元々行くつもりはなかったのですが、ハローワークのHPで気になる求人があったものの「HP非公開求人」であったため、その情報を取りに行くついでに、病院まで行ってきました。別に今は暇だから平日に行っても良いのですが、行ってばかりいると「いつでも来る」と思われてしまうし、「生活のリズム作り」を考えた時に頻繁に行くのはかえって逆効果のかな・・・と感じ、行くのは差し控えています。しかし今日は今までの伏線もあり、また自分自身が外に出たと言うのもあったので、行ってきました。

そして当然、昨日読んだマニュアルに従って、今の祖母の状況を自分自身で確認してきました。
特に知りたかったのは、普段の生活。病院に移って早5ヶ月。その中で日常はどんな生活をしているのかを把握したかったのです。で病室に行ってみると・・・あれ、いない?と言うことは、食堂かな・・・と思い、面会票をナースステーションに置いて食堂に行こうとした途端、目の前に祖母の姿が。「オォ!」と思い挨拶をすると誰が来たかはすぐにわかった様子。ただ、その時はちょうど食堂で調理活動を行っていたみたいで、食堂から抜け出そうとしていた様子。基本的に食堂にいることを好まない祖母にとっては、まぁ想定内の行動であり、そのことはワーカーも承知している様子。なので「今食堂で、おやつ作ったんでしょ?食べないの?」と聞くと首を横に振って拒否。大体答えは予想できたけど、ちょうどワーカーさんもいたので普段の生活について色々と確認。食事のこと、普段の行動のこと、ADLのこと、精神状態など・・・普段は母親と一緒に行っているからあんまり聞くことはしないけど、今日は1人だったためかかなり積極的にどんどん聞いてしまった。
そして自分のほうからも「あんまり集団活動は好まないかもしれないし、乳製品も苦手だと思う。環境(=場所)が変われば、ちょっとは変化するかもしれない」と話し、おやつを病室の方まで持っていってもらうことに。その頃祖母は・・・自力で病室に戻ってもらうことに。ただ初めて平日の日中に1人で面会に行ってわかったことは、やっぱり「平日」は「誰も来ない」と言うことを理解しているのか、結構自力で戻ろうとする姿勢が見られた。もっとも、自分が面会行く日は「入浴」があるため、面会に行った時は既に疲れきってしまっているというのもあるかもしれないが、それでも「行動的」な部分は見ることができた。

その後病室に戻り、自分が面会に行った時に行っている運動をしたあとに「これ(おやつ)、食べる?」と聞くと、一応は頷いて食べる様子を示した。中身はフルーチェだから甘いと思うけど、ちょっと口には合わない様子。ただ、それでも介助をすれば口をあけるし、最初のうちは自分でトッピングのフルーツ(いちご・バナナ)にフルーチェを和える仕草も見せたので、全く関心がないわけではなかったらしい。ただ自分が介助したためか、少しは食べた。そういった部分を見ると、やっぱり祖母の場合は「環境要因」が大きいのかなぁ・・・と実感。

おやつ介助をした後は検査があったため、その検査の時間に合わせて帰ることに。
その時もナースと一緒に検査室付近まで行って帰ることにしたが、やっぱりADLの確認に終始。特に自分が立ち入れない領域(入浴・排泄)に関してのADL確認はナース相手だったため、やや念入りに確認。結局1時間程度いたけど、自分がナースやワーカーから状況を聞く限りでは、今の祖母の状態は「要介護度3か4」程度かな、と実感。「要介護度5」ではないけど「要介護度1」でもない、と言うのが本音。入浴するのに介助つきの独歩なのに「要介護度1」と言うのはありえないと思うし、結構移動ができるのに「要介護度5」と考えるのも、不自然な状態。色々な状況を勘案すれば、今の祖母の状態は「要介護度3or4」程度と見るのが妥当な線かな・・・と言うのが感想。
余談だけど、こんなことをしつこく聞いてしまったためか、検査に向かうエレベータの中でナースから「介護の勉強とかしているんですか?」と聞かれたため、思わず「社会福祉士です」と言ってしまった。母からは「アンタは孫としての立場だからね」と言われていながら、思わず「社会福祉士」と言ってしまった自分。やっぱり、ここは「孫」よりも「専門職」としてのアイデンティティの方が強く出てしまったのでしょうね。(でも「勉強しているんですか?」って聞かれたって事は、まだ学生に見えるってことかな・・・笑)

面会終了後は、ハローワークで得た情報を元に、事業所の下見へ。
ところが・・・行ってみるとそこは何となく覚えのある場所・・・実はその事業所の隣には、祖母にゆかりのある人が住んでいる場所であった。ここには何度か祖母を連れてきたこともある場所。さすがにそれを知ってしまっては、何となくそこで働く・・・と言うのは、ちょっと気持ち的に「・・・ウ、ウン・・・」と言う状態。待遇面でもちょっと・・・と言う部分もあったため、結局この求人は「空振り」ということに。ただ、こうやって事前に調べられたのは良かったかも。普段は飯田橋まで行って、気になった求人があったら紹介状を出してもらって・・・と言う手順だが、今日は先に地元の職安で情報を手に入れてから行ったため、「ニアミス」を防ぐことができた。もし飯田橋に行ってから行動をしていたら、間違えなくニアミス。職安は、状況に応じて上手に使いましょう・・・と言うのが、今日の教訓。(^^♪

2006.04.18

太刀打ちするためには、知識も必要

と言うことで、DLして印刷しました。
D1000084

今更ながら・・・と言う気もしますが、介護保険における「要介護認定」の際のマニュアルです。
基本調査67項目に関しての目的や内容、評価基準などを記したマニュアルです。普通ならまだ就職先が決まっていないのでこんなことをわざわざ調べる必要はないのですが、プライベートの方で必要になりつつある状態にあります。

と言うのは・・・本当に身内事の内容ですが、既にここでも何度も取り上げている通り、祖母は入院中です。
厳密に言えば「入院中」ではなく「入所中」と言った方が正しいのかもしれません。介護療養型医療施設にいるのですから。で、先日祖母の件で話があったらしく、その話の内容がうちに伝わってきました。ここで長々と書くのは大変なので割愛しますが、メチャクチャ気にかかったのは、「要介護度が5から1になった」とのこと。それも「親族がいないときに判定を受けた」とのこと。5から1になったのもおかしいけど、要介護認定を身内抜きで勝手に行うのも、はっきり言って問題だろう・・・と思い、いよいよ自分の出番らしい。と言っても、一応母からは「アンタは孫の立場でね」とのこと。もちろんそれはわかっているけど・・・やっぱりここは「社会福祉士」としては動くべきところでしょう。

しかしながら、自分がいた現場は「障害者福祉」の現場であって、高齢者福祉とはほぼ無縁。なので介護保険についても概況はわかっているもの、突っ込まれると脆い部分があるのも事実。なので手始めに始めたのが、自分なりに祖母を評価すること。それが「要介護認定」であり、要介護認定に必要な項目とその評価基準を記したマニュアルが必要であるため、WAM-NETのページから必要な文書をダウンロード。そして、印刷。
ざっとこれだけで、60枚程度です。

しかし印刷したのはこれだけではなく・・・こっちの方も印刷しちゃいました。
D1000085

以前「コトバ★障害者自立支援法その8」でも取り上げた、106項目の内容とその評価基準も出しちゃいました。これは以前からDLしたもので、職場の方で「自立支援法に移行するとどうなるのか、利用者をこれに当てはめよう」と言う話になっていたので、どのような内容であるのかを知っておくためにもDLしておいたのです。もっとも、この106項目の基準になっているのは介護保険で用いられている一次判定の項目に障害特有の項目を含めたものであるため、これがわかっていれば介護保険のほうも苦労はしません。ただ、やっぱり「高齢者」と「障害者」は違うので、その違いや着眼点を把握するためにも、今回はあえてDLに踏み切りました。

とはいえ、自分の祖母をこうやって客観的に判定するのは、やっぱり苦労します。
ただ「ジェネリックソーシャルワーカー」を目指す自分としては、あらゆる分野にも対応できなくてはいけないと思っているので、就職が決まるまでの間は介護保険関係の研究をすることになるでしょう。

あ、でも「コトバ」として扱えるほどにはならないと思いますが・・・(^_^;)

2006.04.17

また・・・

ココログにログインできない・・・ ものすごく、苛立ちモード(-_-#)

もちろん、これは後書き準備。ログインできないんじゃ、話になりません。モブログでも反映されない状態。
ホント、ふざけています・・・( ̄。 ̄メ)凸"
ただし、この文章がアップされていると言うことは、一応は「ログインできた&最初のモブログは反映された」と言うことになるのですしょう・・・って、反映されてない!!!(で、今確認したらようやく反映されていたけど)

で、今日のメイン話題は、こちら↓
D1000083

今日、ようやく「雇用保険」の申請に行ってきました。
今までは求職活動の拠点は飯田橋だったけど、雇用保険関係については地元の管轄ハローワークでないとできないため、今日は地元のハローワークへ。ただ色々と準備を済ませた上で行ったため、雇用保険の失業認定に関しては特に支障なくスムーズに完了。

しかし時間がかかったのは、その後。
離職票を提出したあとに「職業相談」を受けなければならず、それに時間がかかった。元々飯田橋の方で既に求職登録をしてあったため、ここで改めて求職申し込みをする必要はなかったから、その分は手間が省けたけど、失業認定後はかなり時間を要した。大体、3・40分程度。ハローワークに到着したのは10時前で、すべてが終わったのが、11時過ぎ。ある程度は時間がかかることは予想していたけど、やっぱり「待たされる」ことに関しては、ちょっと苦痛。それに比べて飯田橋の方が、やっぱり待たずに色々とできるから、使い勝手と言う点ではやっぱり飯田橋のほうがいい。もちろんわざわざ飯田橋まで行くのに時間もかかるし交通費もかかるから決して負担がないわけじゃないけど、でも飯田橋に行けばハローワークもあるし福祉人材センターもある。福祉関係の就職を考えている自分にとっては、やっぱり飯田橋の方が使い勝手がいい。
と言うことで、一応地元管轄のハローワークで手続きはするものの、活動ベースは今後も飯田橋になるでしょう。

そして早速、来週には雇用保険の説明会。さらにその2週間後には、最初の失業認定審査。
まぁできることなら、給付を受けずに就職を決めたいものです。そうすれば雇用保険がそのまま次のところで継続できるし・・・でも貰って就職が決まれば「再就職手当」とかもらえるみたいだから、それもアリかな?

まぁ金額は少ないけど、とりあえずは「食いっぱぐれ」だけは、何とか避けられそうです・・・
それよりも、ニフティ、この現状、何とかしなさい!!!(─── 。─── x)

2006.04.16

実は出尽くした「コトバ」?

昨日の記事のアップ時間・・・23時56分。ホント、あと4分で次の日・・・と言う状態です。
毎週土曜日にはできる限り努力をしてやろうとしている「コトバ」。しかし本音を言えば、結構出尽くした感・・・があるのも事実です。今日はちょっとだけ、データ公開。

Word「コトバ」の第1回でも前置きしたとおりに、元々この「コトバ」を始めるきっかけになったのは、自分のページへのアクセスするためにやってきた「検索ワード」を中心に行ってきました。それがいつの間にか「検索ワード」に関係なく行われてきている現状もありました。しかし「コトバ」の題材に行き詰った時は、やはり「検索ワード」を頼りにするのですが、ここ最近はこれがアテにならない状況。

それを現したのが、左の「アクセス解析」によって明らかになった、検索ワード。左の検索ワード分析は、このblogにアクセス解析をつけてから今日現在までの「検索ワード」の分析結果。と言っても、アクセス解析をつけてから既に1年以上経っているため、実質的には残っているデータは半年程度のデータだけです。しかしここ半年だけを見たとしても、このblogにアクセスするためにヒットさせるサーチワードは、非常に分裂化している傾向があります。ちなみに現在更新を停止している「御岳の山」の方で見てみると、ほとんどが「御岳」でヒット。そのあとに「御岳の山」で、この2つのワードだけで半数を占める状態。それに対してこのblogの場合は、完全に「このワード」と言った決定的な検索ワードがないのが実情。トップワードでも全体の2%にも満たないし、似たような言葉を合わせてみたとしても、かろうじて3%を超える状態。

その割には、検索ワード数は非常に多い。
累計で15000ワード以上でこのページにヒットしている反面、トップヒットワードが170個程度。ものすごく、分裂しています。最近更新がお留守になっている「御岳の山別館 王者列伝」の場合は「プロレスのタイトル」を中心に取り扱っているため、選手名のヒットによってバラけてしまうことは仕方がないことだけど、このページでこんなに分裂するとは、最初は思ってもいませんでした。あくまでも「福祉」「社会福祉士」を中心にした「仕事ネタ」をベースにやっていたため、検索もそれが中心になると思っていたのですが、フタを開けてみると非常に多くの検索ワードでヒットしていることがわかりました。

そして・・・検索ワードの上位にあるワードについては、もう既に「コトバ」として取り上げているのです。
ですから、これらのワードを再び「コトバ」として取り上げるためには、相当な下調べを要することになるので、1週間ですぐに書くことができるのか・・・といわれたら「???」と言うのが、本音なのです。

まさに「自転車操業」状態と化している「コトバ」。
でも、これにめげずに続けていくつもりですよぉ・・・ネタと体力が続く限りは・・・(^^ゞ

2006.04.15

コトバ★「社会福祉士その5」

今回のコトバは「社会福祉士」の第5弾。前回は社会福祉士の合格発表翌日に「社会福祉士批判」をしましたが、今回は「社会福祉士への道Q&A」として、ここ最近多く見られる「どうすれば社会福祉士になれるの?」と言う疑問について少しFAQの形でまとめたいと思います。ですので、今回の「コトバ」は今まではちょっと違った傾向になると思います。

元々このblogを始める前からHPを作成しており、同時にBBSも併設していました。そしてメルアドも公開していたため、HPに情報を流すと同時にBBSへの質問書き込みや直接のメール相談など、様々な形でのご相談に応じてきました。また私が社会福祉士になってからは「welfare-net21」というグループに属しインターネットを介した相談援助にも参加してきました。その中から比較的よく目にする内容について、まとめたいと思います。


Q.どうすれば社会福祉士の資格を取得できるの?
A.「コトバ★社会福祉士その3」でも触れていますが、簡単に言ってしまえば「社会福祉士受験資格が取得できる大学を卒業して、社会福祉氏国家試験に合格する」ことによって取得できます。詳しくは、「コトバ★社会福祉士その3」を見てください。なお、「コトバ★社会福祉士その3」でも用いた表をそのままここでも使いたいと思います。なお、表は「大学を卒業していること」を前提に作ってありますので、間違えないようにしてください。(ですので、既に大学を卒業している場合は、この表にご自身の学歴を当てはめて読み解いてください。)

学校の種別 学歴 必要な実務経験年数 社会福祉士
受験資格取得
福祉系大学など 大学卒業 なし
3年制短期大学・専門学校など卒業 実務経験1年以上
2年制短期大学・専門学校など卒業 実務経験2年以上
一般大学など 大学卒業 なし 社会福祉士一般養成施設にて、修了・卒業
3年制短期大学・専門学校など卒業 実務経験1年以上
2年制短期大学・専門学校など卒業 実務経験2年以上
その他(高卒など) 実務経験4年以上

この表の見方は、一番左が学校の種別(福祉系大学か、一般大学か)を、次の欄が学歴を、さらにその隣が社会福祉士受験資格取得に必要な実務経験の年数などを、左から右へ時系列に見ていくようになっています。

Q.「実務経験」って、どんな仕事をさすのですか?
A.ここで言う「実務経験」とは、福祉施設での支援業務が実務経験と見なされます。具体的には厚生労働省社会局長、厚生労働省児童家庭局長通知により定められた「指定施設における業務の範囲等及び介護福祉士試験の受験資格の認定に係る介護等の業務の範囲等について(昭和63年2月12日付社庶第29号)」に定められた施設において、その施設において該当する職種に従事した場合に「実務経験」として認められます。

例えば知的障害者施設に勤務している場合、実務経験の根拠となる法律は「知的障害者福祉法」です。知的障害者福祉法では以下の施設において、それぞれの職種に関して「実務経験」と認めています。

知的障害者更生相談所 知的障害者福祉司
心理判定員
職能判定員
ケースワーカー
知的障害者デイサービスセンター 指導員・生活指導員(生活支援員)
相談援助業務を行っている専任の職員
知的障害者更生施設 生活支援員・生活指導員
知的障害者授産施設
知的障害者通勤寮
知的障害者福祉ホーム 管理人

ただし、生活支援員・生活指導員の職種であっても、実際の業務内容が「介護」であれば、それは実務経験として認められません。同様に高齢者関係の施設でデイサービスに勤務していても、その勤務内容が「介護」をメインとするないようである場合には、社会福祉士の実務経験としては見なされません。詳しくは「社会福祉振興・試験センター」のHPを参考にしてください。具体的な施設及び職種が書かれています。

Q.働きながら「社会福祉士受験資格」を取得することはできるの?
A.できます。社会福祉士受験資格を取得するためには、基本的には社会福祉士受験資格を取得できる学校(社会福祉士受験に必要な「指定科目」の履修ができる学校)を卒業することですが、それができなかった人のために「社会福祉士一般養成施設」があります。これは福祉系大学等(社会福祉士受験資格を取得できる大学)を卒業しなかった人が「社会福祉士」の受験資格を取得するために設置されたもので、通学制と通信制の2種類があります。ですので、通学することが困難な場合は通信制で取得することも可能です。ただし通信制の場合は面接授業(スクーリング)が行われます。期間や時期は学校によって異なりますが、大体1週間程度を2回行われるのが多いようですので、仕事をされている方はその期間は仕事を休むことが必要になるかもしれません。また実務経験がない場合には「現場実習」があります。これも学校によって異なりますが、90時間以上(約2週間)の実習が必要ですので、実務経験がない場合にはさらに2週間程度仕事を休むことも必要になるかと思います。
社会福祉士一般養成施設の一覧も「実務経験の内容」同様に「社会福祉振興・試験センター」のHPに記載されていますので、参考にしてください。

Q.「介護福祉士」で実務経験があるけど、社会福祉士受験の際に考慮されますか?
A.残念ながら考慮されません。また先ほどのFAQにも書いたように「介護」を主にした実務経験は社会福祉士受験資格上では「実務経験」として見なされません。また受験に関しても基本的な受験科目が異なっているので、受験免除などの措置もありません。

ただし「精神保健福祉士」の場合は、受験申し込みの際に「精神保健福祉士」を取得している旨を伝え、試験科目の一部免除を申請すれば、共通科目(社会福祉原論・社会保障論・公的扶助論・地域福祉論・心理学・社会学・法学・医学一般)の受験が免除されます。また精神保健福祉士としての実務経験は「地域保健法」「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律」に規定されている施設において勤務すれば、実務経験として見なされます。

2006.04.14

新たな、一歩へ

昨日の記事でも少しだけ触れましたが、今日で「あの日」から1年が経ちます。
今でも思い出したくない、あの忌まわしい出来事から、1年が経とうとしています。

去年の今日、公の場では17年ぶりに引き起こしてしまった、失神。自宅では何度か失神をしているが、自宅以外の場所で失神をしたのは、まさに17年ぶりのことだった。17年前は小学生だったから「ケロォ」としていたけど、福祉に従事する立場になっての「失神」は、ものすごく大きなダメージを与えた。そして何より、その失神の状況が「てんかん発作」を疑うに足りる状況であったため、精神的に大きなショックを受けた。発作後の1週間・・・いや、学校を辞めるまでの間は本当に「生きた心地」がしなかった。発作後1週間は、正直精神的には死に近い状態だった。

しかし母の説得もあり別の病院で診察を受けた結果が、今の診断である「パニック障害」であった。
「パニック障害」と言われた時は、すぐには受容できなかった。たしかにてんかん波は見られなかったけど、発作形態はてんかんと同じ。そのギャップに最初は苦しんだ。しかし先生と話していくうちに「受け止めてもらえている」と言う感覚が徐々にわき、何時しか自分の気持ちの中からは「自分はてんかんではない」と言う気持ちに変わることができた。それまでは「自分はてんかんなんだ・・・」と思い込み続けていた部分があったが、先生の診察を受けることによって、徐々にその気持ちは変化していった。

その変化を記したが、いわば「闘病記」に似た、自らのケース記録。
D1000082

発作を起こした翌日から、一昨日までの記録が、ここにすべてある。
新しい病院になってからは「手書き」から「エクセル作成」の記録に変化しているが、1年間でかなりの量になった。現在記録をつけているファイルの容量は、今の時点で418キロバイト。単独のファイルでここまで容量が大きくなっているファイルは、ほとんどない。1年間でフロッピー1枚の約半分弱を占めるくらいの量になった。言い換えれば、それだけ毎日の状況を書き続けてきた。そしてこの記録は、治療が終わるまで書き続けることになるだろう。

ただ、この記録があるおかげで、診察がスムーズになっている部分がある。それが結果として「受け止められている」という気持ちになれるのだろう。そして今、自分は自分自身のおかれている現実に対して逃げることなく、直視している。今日も採用面接に行ってきたけど、自分の状況を包み隠すことなく、すべてを話した。自分がそれだけの覚悟ができているからこそ、就職に不利になるかもしれないことをあえて言うようになった。この1年間で失ったものは当然あった。しかし、それとひきかえに「大切なもの」を見つけることができた。今日も寝る前に1日の記録を書くけど、その記録が「新たな一歩」になると思っている。

2006.04.13

オイラは対象外?

今日は定期通院日。仕事を退職してからの、最初の通院日。保険証も「社会保険」から「国民保健」に再び戻っての医療受診。その結果、窓口での会計も若干変化。少しだけ、安くなったみたい・・・と言っても、10円20円の単位だけど・・・(^^ゞ

でも仕事から離れて少しのんびりする時間が増えたためか、今回は発作らしい発作はない。
思えば去年の明日、再び公の場で大きな発作を起こしてしまった。小学校の時は何も知識のない状態だったから言われるがままの状態だったけど、今回は完全に知識を持った上での発作。それ故、発作の状況を確認した時はものすごくショックでした。完全に自分自身でも確信に近い形で悟っており、翌日に病院で「てんかんの疑い」と言われた時は、「もしかして・・・」と覚悟していても現実を突きつけられたときは本当に辛かったです。そしてその後、セカンドオピニオンの形で行った今の病院で「てんかん発作」ではなく「パニック発作」と診断され、現在に至っているわけであります。この1年、本当に波のある1年でした。特に病気を告知された去年の4月の記事を見ると、心の変化が激しかったなぁ・・・と言うことを自分でも見ることができます。しかし今はまた気持ちを新たにして、進んでいこうかなぁ・・・と思っています。先生からも「この間の時に比べて、だいぶ表情が良くなってきているね」と言う言葉もありましたし。
(時間があったら、明日このことはまた書こうと思います)

さて、今日は通院のこと・・・ではなくて、処方箋のこと。この4月からなんか法律が色々と変わったみたいで、処方箋にこんなことが書かれるようになったみたいです。
D1000080

これは母親の処方箋を拝借しましたが、「後発医薬品への変更可」と言う文章が書かれる様になったみたいです。そう、今テレビで盛んに行っている「ジェネリック医薬品」への変更のことであり、患者が希望すればジェネリック医薬品に変更ができるとのことです。まぁもっとも母親の場合は医療費助成を受けているので、先発医療品だろうがジェネリック医療品だろうが関係ありませんけどね・・・

では私の場合はどうなのかな・・・と思ったら、処方箋には書いてありませんでした。特に先生にも言わなかったのですが、「書かれていない」と言うことは「ジェネリック変更不可」ということなんでしょうか。ちなみに現在処方されている薬について「患者さんのくすり箱」と言うサイトでジェネリック医薬品の検索をしてみたところ、自分の場合はこんな感じでした。

自分が処方されている薬
★ワイパックス
★ルボックス
★サイレース(日数不足になりそうなときは、ユーロジン)

検索結果
☆ワイパックス(先発品、薬価13.3円)
 →ユーパン、アズロゲン、ロコスゲン(すべてジェネリック、薬価はすべて6.4円)

☆ルボックス(先発品、薬価50.1円)
 →デプロメール(先発品、薬価50.1円)・・・ジェネリック医薬品は存在せず。

☆サイレース(先発品、薬価26.4円)
 →フルニトラゼパム「アメル」、ビビットエース(両方ともジェネリック、薬価はアメルが8.0円、ビビットエースが7.3円)
  ロヒプノール(先発品、薬価25.5円)

☆ユーロジン(先発品、薬価18.8円)
 →エスタゾラム「アメル」(ジェネリック、薬価17.5円)

と、こんな感じでした。こうやって調べてみると、精神系の薬でも結構ジェネリックはあるんですね。ただルボックスだけはありませんでした。確かにルボックスは抗うつ剤の中でも「第3世代」と言われるごく最近開発された薬の1つであるため、ジェネリックが存在しない。だから結局「全部ジェネリックがない」から「後発医薬品への変更可」にならなかったのかなぁ・・・と勝手に考えてます。まぁ「成分が同じ」と言っても、気分的に薬に頼っているような状態では、中身は同じでも気持ちに微妙な変化が起きてしまってはあまり意味がないかなぁ・・・と思っているので、自分の場合はジェネリックにせず、そのままでいきたいと思っています。


(余談)
夕飯の買い物に行ったときのこと。懐かしかったので、写真を1枚パチリ。
D1000081

ビックリマンチョコかぁ・・・昔、シールをたくさん集めたっけ・・・
でも自分が小学生だった時の値段は、1個30円だったような気が・・・でも今は80円もするんだ・・・
これも時代の流れなのかなぁ・・・うーん。

2006.04.12

こう言うところが、好感もてるかも・・・

ご紹介ページの中に入れている「眞鍋かをりのココだけの話」、注釈にも書いているように、別にファンではありません。
ただ・・・この記事の「こんな姿」を大っぴらにしているのを見ると、なんだか共感できる部分があるんですよねぇ。

そう、一度このblogでも眞鍋さんのblogの内容を取り上げた時に、こんなことを書いたんですよね。

眞鍋さんのblogが「被トラックバック数世界一」や「ブログ女王」と呼ばれる背景には、眞鍋さん自身が持っている「ブログへのポリシー」がハッキリしているからこそ、人気があると思うのです。眞鍋さんの書く記事は、普通の人が書けば単なる「日々の出来事」であるけど、それが芸能人でありながら等身大の「20代の女性」を素直に表現しているからこそ、多くの人に共感されるのではないか。そしてその背景には、「100%に近く正直でありたい」と言う眞鍋さんの考えが読み手に伝わっているからこそ、眞鍋さんの言う「私のような「意見」のないブログがこのような評価を受けていてもいいものか」に反して評価を受けているのだと思います。 もっとも、眞鍋さんは「意見のないブログ」と語っていますが、十分に意見はあると思います。「個人主義」と言っているように、内容も個人主義ですし。それが認められれば、「個人主義」も1つの「意見」になっているのですから・・・(2005.3.26、「コトバ★blog」より)

そう、「等身大の自分」って言うのが、多くの読者から受けている理由の1つなんですよね。
だから今回の記事で出した写真も、私たちが勝手に想像(あるいは妄想?)している「芸能人像」と言うものを覆すような姿(チューハイ片手に、パソコンを目の前にblogを更新している姿)をフツーに自分のblogで公開しているところに、「芸能人臭くない、芸能人らしさ」と言うものを感じ、それに共感してトラックバックが増えたり、多くの人がお気に入りに入れたり、そしてblog本が売れたりする・・・と言う循環になるのだと思うんですよね。眞鍋さんも自分のblogで言っているように「他のメディアと違って何の演出も受けないこのツールの中では、100%に近く正直でありたい」と言うのを、今回の記事が物語っていると思います。こう言う姿って、普通芸能人であればあまり見せようとしない姿。ましてや女性タレントであれば尚更のこと。それを何のためらいもなく(と言ったら失礼かな???)こうやって見せる姿に、ファンが増えていくんでしょうね。気がつけば自分もblog上では好感の持てるblogの1つであって、普段テレビで見せている姿とはまた違った一面を見ることができて、とても楽しみにしていることは事実です。あるタレントの場合は「自分の宣伝」のためにblogを使っている人もいますが、眞鍋さんの場合は完全にそういった損得勘定抜きで「普段のこと」をそのまま、ありのままに伝えている姿に、同世代の異性だけではなく同姓からも支持されるのだと思います。

と、ちょっと眞鍋さんのことをよく書きすぎちゃったかな?(笑)
いずれにしても、眞鍋さんのblogは毎日書くことを意識している自分にとっても注目しているブロガーの一人であることは、間違えありません。

2006.04.11

覚悟していた「現実」の壁

ウカツにも・・・昨日の記事が「888本目」。なのに・・・フツーに書いてしまったぁ・・・( ̄□ ̄;)!!

まぁそんなのはどうでもいいとして・・・(笑)
今日は雨の中、飯田橋まで行ってきました。気になる求人もあったので。ついでに、相談も兼ねて。

と言うのは、先週の木曜日に紹介してもらった施設から「折り返し、お電話をしますので・・・」と言うことで、HWの人から「携帯、伝えていい?」と言うことで、先方に携帯の番号を伝えた。しかしその後、うんともすんとも言ってこない。うーん、これはこっちから連絡を入れるべきなのか・・・と迷ったため、求人検索&求人紹介のついでに、そのことも相談。そしたら「連絡して構わないよ。積極的と捉えられると思うし。」と言うことで、早速午後に電話。
しかし、この電話が「現実」と言うものを知らしめる結果になった。

時間を見計らって、先方施設に電話。そして要件を伝える。すると相手の反応がおかしい。何にも言わない。
イヤ、電話くれるって言ったのにくれないから電話しているのに・・・と思いながらも、事情を丁寧に説明すると「たぶん職員の行き違いだと思いますので、特にこちらからはありません。」とのこと。正直「なんだよぉ・・・」って感じ。しかし問題なのは、このあと。

電話のついでなのか、求人を見た経緯や今の仕事について聞かれた。そして退職した経緯も伝えた。
当然契約満了だけでは説明がつかないので、最初の仕事から説明をすることに。となると、当然作業療法士のことやパニック障害のことも伝えないと、ちゃんとした説明にはならないので、すべてを包み隠すことなく説明する。すると、先方の方から出てきた一言が、これ。


うーん、厳しいですねぇ。一応、書類を送ってみてください。


この言葉を聞いて(本当はもっとやり取りがあったけど・・・)、この施設に求人を申し込むのは辞めました。
明らかに口調は「採用できない」と言う雰囲気が丸わかりの状態。こんな状況下で書類を出しても、落とされるのは目に見えている。と言うより・・・対応した先方の相手は、その施設の施設長。さらにその施設、精神障害関係の施設。正直、施設長からこのように言われてしまっては、ここでは自分は仕事ができません。理解なくして、その職場では仕事なんぞはできません。だから、この施設には求人を申し込みません。また飯田橋に行く機会があれば、HWに紹介状を返却して、事情を話したいと思います。

とはいえ、こういった現実があると言うのは、十分に予想はしていました。
最初の「てんかんの疑い」と言う診断が下ったときは「俺、もう終わりだ・・・」と思いました。入職してまだ1週間しか経ってないし、この事実がわかった以上は、今の仕事を続けるのは困難だ・・・と思い、すぐに上司に報告をしました。しかし上司からの言葉は、予想に反した言葉でした。

「薬を飲めば大丈夫でしょ。仕事も続けられるでしょ。何か難しい部分があったら、遠慮なく言ってよ。」

ちょっと意外な言葉に「あれぇ?」と思う反面、色々と条件をつけながら仕事をしようとしている自分に対して理解をしてもらえることに関して、とても嬉しく思いました。もちろん知的障害の施設なので、てんかんがどういったものなのかは知っており、その上で仕事をさせてもらえることに「理解してもらえることの大切さ」を身にしみて感じました。ですので診断が「てんかん」から「パニック障害」に変わった時も、なかなか自分から言い出しにくかったですが、いざ覚悟を決めて言ってしまえば「あんまり無理をしないでね。」と、やっぱり心配をしてもらった。本当に上司に恵まれたんだなぁ・・・と実感した瞬間でした。でもだからと言って仕事が甘かったか・・・と言うとそうではなく、普通の職員と一緒であり、同じようにやって行きました。自分も「特に・・・」というのはそれほどなかったので、仕事場では普通にやってきました。ですから「仕事のしやすい環境」と言うことであれば、このまま契約を継続していくのが良かったのかもしれません。

しかし自分はあえて厳しい道を選択しました。もちろん収入面の問題もありますが、なにより「気持ちを切り替えたい」と言うのと「自分がやるべきこと・やりたいこと」を再発見できたのが、一番の理由です。ですから「てんかんの疑い」「パニック障害」と診断された時も、今働いているうちはいいけど、次の就職先を探す時は大きなネックになるぞ・・・と言うのは十分に覚悟していました。だから最初のうちは「隠そうかなぁ・・・」と思いましたが、隠しても結局は自分にウソをついていることになり、たぶんそれに自分自身が耐えられないと思ったので、すべてを洗いざらいに公表して、その上で雇ってくれるところを探そう、と言う考えになったので、今は学校を辞めたこと・パニック障害であること・通院治療中であることは包み隠すことなく面接の時に言うことにしています。

ただ、一発目が精神系の施設から言われるとは思ってもいませんでした。
もちろん「パニック障害」が求職活動をする上で壁になることは覚悟をしていましたが、早速現実の壁にぶち当たった感じです。
やっぱり今回の活動は、長期戦になりそうです・・・

2006.04.10

こんなのもできたんだぁ・・・

と言うことで、今日はこれを書いていました。

D1000079専門学校に在籍していた当時は福祉人材センターのお世話になっており、最初の施設も福祉人材センターでの求人を見つけて就職をした。その時は単に「休職登録」をしただけで、自分で求人を見つけ、それに応募するために紹介状を出してもらう・・・と言う方法だけだった。
しかしその後、福祉人材センターがセントラルプラザ(東京都社会福祉協議会が入っているビル)から、東京しごとセンターに移動したことを機に、福祉人材センターだけではなく併設されているハローワークも利用することに。今までは飯田橋になる「福祉人材センター」に登録しながら、福祉求人重点地域でもあった「ハローワーク池袋に登録し、さらには渋谷にある「ヤングハローワーク」にも登録していた。つまり仕事を探すためにわざわざ3ヵ所も登録をしており、そのたびに飯田橋⇔池袋⇔渋谷の往復を繰り返していた。しかしここ数年で若年者の雇用環境を整える一環で「ジョブカフェ」事業が行われるようになり、その拠点として飯田橋の東京しごとセンターに若年者向けのコーナー「ヤングコーナー」が設置されているため、福祉関係に絞った求人に関しては「福祉人材センター」を利用しながら、その他の部分や面接調整をしてもらいたい時は「ハローワーク飯田橋U-30」に行って調整をしてもらうこともしばしば。そういった意味で、今は「ワンストップ」で一応のサービスを受けられるから、求職活動の拠点としては非常に使い易いのは事実。

ただし、少し息詰まっていることは事実。非常勤・パートの時はすんなり決まったけど、正社員・常勤となるとなかなか決まらない。今の時点で、何の変動もなし。人材センターに行っても希望する求人はないし、ハローワークもそんなにたくさん出てくるわけではない。そういった意味で「閉塞感」があるのは事実。(こういったところをもう少し「気楽に」考えることができればいいんだけどねぇ・・・)

ただ、今回久しぶりに福祉人材センターで求職登録をしたら「福祉キャリアバンク」なるものができていた。
自分が学生で福祉人材センターで求職活動を行っている時はなかった制度だけど、今の自分にとってはこういったものも利用することは必要な手段であることは間違えない。以前と違う点は「実務経験がある」と言うことと「資格を有している」と言う点。学生時代は実務経験もなく、資格も「見込み」の状態だった。しかし現時点では両方ともクリアになっている。だからこそ、こういったものは活用しなければいけない。もちろんどうしても「体調面」「通院時間の確保」は常に問題になる部分だけど、あくまでその部分を受け入れてもらえるところで仕事をすることが大前提であることは間違えない。そして、自分が「楽しく」仕事をできる場を見つけることも重要。そういった意味で、今回のこのシートが採用者に目に留まることを「少しだけ」祈りつつも、明日出しに行くことに。そう、明日は気になる求人もあるから、それも確認するために。

でもねぇ・・・明日、雨らしいねぇ・・・憂鬱。(-_-;)

2006.04.09

今回は長期戦かも・・・

前職を退職してからと言うもの、のんびり気ままな生活を送っています。
もちろん「だらけた生活」にならないように気をつけているのですが・・・どうもここ週末は学生時代、とりわけ「大学生」の時の生活に戻りつつある状態であり、非常にヤバイ状態です。もちろん、就職活動を続けているのは当然のことですが・・・

ただ如何せん、ネタがない。だから今まで書いた記事を見ると、面白いことが・・・
専門学校を卒業したあとの4月、当然「無職」の状態だったわけですが、ちょうど今日、就職先が決まっていたんですね。「無職」から9日目に、就職先が決定。非常に「短期」で終わった無職生活でした。(と言っても、実際に働き始めたのは5月からでしたが・・・詳しいことは、こちら。)

しかし今回は、ちょっと勝手が違うのは事実。
色々と悩み、迷いながらの就職活動を続けているけど、前と違うことは「明確な希望」を持って活動をしていること。学生のときは「なんとなく、とりあえず就職先があれば・・・」と言う感じだったが、今回は違う。希望する分野も絞ってあるし、やりたい職種も絞っている。そして当然だけど、待遇面でもある程度は要求していきたいと考えている部分もある。さらには、その先のビジョンも少し見据えながらの活動になっている。

となると、今回に関していえば「短期戦」ではなく「長期戦」になることは覚悟しないといけない。
その証拠に、時間があれば履歴書を書き溜めるようにもなっているし、今日も買い物に行ったときに「あ、履歴書買っておこう・・・」と、履歴書を15枚も買っている。既に活動を始めてから、30枚の履歴書を購入。そして3分の1は使用。もちろん提出した履歴書もあれば、書き損じてシュレッダー行きの履歴書もある。もちろん、面接に落ちてシュレッダーにかけた履歴書や職務経歴書もある。基本的に「文書の使いまわし」はしないため、当然「ダメ」だった書類は、すべてシュレッダー。一部の書類(社会福祉士登録証明のコピー)は経費節減(?)のためにそのまま使っているけど、その他の書類は「縁起が悪い」と感じているため、すべて抹消処分。当然「不採用通知」や「求人票」もシュレッダー。たぶん「決まったことは、いつまでも引きずらない」と言う気持ちが「即シュレッダー」と言う行動に表れているのだろう。

ただし3年前に比べて条件を狭めている分だけ、求職活動が難航しているのは事実。
出てくる求人票のほとんどは「介護職」ばっかりで、ほとんどが高齢者関係。たぶん、その分野の仕事ができないわけではないと思うけど、「できる・できない」と「魅力」は違う。知障デイでは「生活支援」と言う名の下で介護行為も行ってきたのだが、そこでの仕事は「介護」が中心ではなく「生活支援」が中心だった。さらに「これから目指すべき方向性」を考えることのできた部分もあったので、そういった点では「魅力」はあった。だからこれからも「魅力の見出せる仕事」につきたいと考えている部分があり、そう考えると自分の中では「高齢者・介護」は今の自分にとって「魅力が見出せる」とは言い難い部分がある。もちろん障害の分野だけではなく他分野の仕事をしてみたいと言う気持ちがあることは事実。しかしこれらの出来事を考えると、今の時点ではやっぱり「障害者」の分野の仕事をもっと掘り下げていきたい、と言う気持ちがあるのは事実。そして何より、この1年間で自分がその立場になりうると言うことを実感したのが、一番の大きな決定打になっている部分がある。現実として「治療」を継続している立場でもあるし、そういった部分からも、やっぱり自分はこの分野に従事していきたいと考えている部分がある。

はっきり言って、今自分が求めている内容はかなりハードルが高いと自覚している。
でもそれでも今までの失敗を繰り返さないためにも、今回は妥協せずに納得いくまで、求職活動は続けていきたい。自分の中で「20代での転職は、今回が最後」と決めている部分もあるので、長く仕事をすることも念頭に入れながら求職活動をしている。だからこそ、今回は慎重であるため「長期戦」と捉えている部分がある。
もちろん、自分の体のことが一番大事だから、その部分の折り合いをつけることも大切なこと。「自分の体に無理なく、なおかつ納得できる仕事を見つける」ことが、今回の求職活動のテーマかな?

早くここで「就職が決まりました」と言いたいけど、いつの日になることやら・・・

2006.04.08

コトバ★「SNS」

本日のコトバは「SNS」です。さて、SNSって言われて、皆さんわかりますでしょうか?

いきなり福祉とは全く関係のないこの言葉、仕事をしていないとこういった話題にも事欠くようになるのです。もっとも、「コトバ」を始めて2年が過ぎ、毎週コンスタントに様々な言葉を題材にしてきているのでだいぶ出尽くしている感もあり、またこのblogへヒットする検索ワードも非常に多岐に渡ってきているため、なかなか「これ」といった言葉が見つけにくいのが現状です。

そんな中で今回取り上げた「SNS」、一度取り上げてみたいな・・・と思ったものなので、この際に取り上げたいと思います。

えー、まだ「SNS」が何か悩んでいる方もいますでしょうか?ブロガーの方ならもうわかりきっていると思いますが、それを省略してしまうと今回のこの話題自体が意味をなくしてしまうので、一応簡単に説明します。「SNS」とは「Social Networking Service」(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の略で、しばしば「知り合い系サイト」と表現されることもあります。私がSNSの存在を知ったのは、今から2年前のことになります。当時は「出会い系サイト」が色々と問題になる中で「知り合い系サイト」と言う言葉が出てきました。それが「SNS」のことであり、友達同士が集まって「友達の友達」と言う新たな関係を作っていったり、コミュニティ(サークルのようなもの)を通じて共通の話題や趣味に会った人に出会うなど、まさに「社会的な関係形成提供サービス」と、堅苦しく言えばそういうことになるでしょう。ですから「出会い系サイト」と「知り合い系サイト」の決定的な違いは「面識のある人が少なくとも1人は介在してる」と言うことになるでしょう。

SNSには大きく分けて「公開型」と「非公開型」の2種類があります。
前者の代表格としては「Cafesta(カフェスタ)」や「フレパ」(Livedoor IDの取得が必要)があり、後者には「GREE(グリー)」や「キヌガサ」などがあります。

そして数あるSNSの中で最も有名なのが「mixi」です。今年の3月現在でmixiの利用者数は約300万人を超えており、単純計算で国民の3人に1人がmixiをやっていることになります。ですから・・・こういったこと(「余談」の部分)も、当然起きるわけであります・・・(^_^;)

さて、何で今更SNS、とりわけmixiのことを今回取り上げたのか?
もちろん「ネタ切れ」もありますが、もう1つの理由に先日の京王線衝突事故があります。私がこの事故のことを知ったのはmixiからでしたが、mixiの京王線関係のコミュニティでは事故が発生した1時間後にトピックス(記事)が立ち上がっていました。報道も遅れ、状況がいまひとつつかめない中で役立ったのが、実はSNSであった可能性もあります。事故当時、運行状況を確認しようと京王線のホームページや携帯サイトにアクセスをしてみたものの、ほぼパンク状態でなかなかつながらない状態。しかしそんな中でもSNSを活用して情報を得た人もいるみたいです。事実、その時のトピックスには事故発生当初はほぼ分単位で情報が流れ、事故発生後の深夜2時ごろになっても5分ないし10分単位で情報が流れていました。そしてその流れは始発まで続き、事故が収束してようやく書き込みも落ち着いてきた・・・と言う状態でした。

一見「ネット上のコンテンツ」と見なされそうなSNSですが、非常時や災害時など、SNSが持っている規模によってSNSが持つ「可能性」は非常に大きいものであることを、今回の件で実感しました。今回の場合は情報が得られない中で「mixi」に参加している人が情報を手に入れることができた部分も少なからずあったわけであり、SNSの使い方によっては、非常に有益なものであると実感しています。

まぁ恐らくこのblogを呼んでいる方の多くは、やはりmixiに参加されている方が多いと思いますが・・・(^^ゞ

2006.04.07

一期一会

やっぱり仕事をしていないと、ネタが尽きる・・・(^^ゞ
と言うわけで、「トラックバック野郎」より、「あなたに出会えてよかった!」から。

自分の場合は、「出会い」に関して言えば「一期一会」と言う言葉に象徴されると思います。
この「福祉」の世界に足を踏み入れることになったのも、「出会い」がなければ別の方向に進んでいたかもしれません。そういった意味で、27年間の人生の中で一番のターニングポイントは「大学」にあるでしょう。

このblogではあまり多くを語っていませんでしたが、元々福祉を志すきっかけになったのは、母の病気。
母が病気になる前に布石は色々とあるのですが、決定的になったのは母の病気が悪化し「身体障害者」となったこと。その頃はちょうど大学に入学して間もない頃のことだったので「大学辞めて、働こうかなぁ・・・」と思ったくらいでした。当時自分はマスコミュニケーションに関心を持っており、将来はその方向で考えていましたが、このことがきっかけで専攻は方向転換、社会福祉を学ぶことにしました。
と言っても、元々社会福祉を学ぶつもりなんて全くありませんでしたし、「社会学を勉強したい」という気持ちのほうが強かったため、大学は社会学が学べるところ・・・で選んでいました。しかしたまたま大学で「社会福祉」を専門に研究する教授がいたため、2年生以降はその先生のゼミに所属し、勉強をしました。(と言っても、大した勉強はしていませんでしたし、本当に「表向き」だけの勉強ですが・・・)

しかしこの教授に出会ったことによって、自分の人生は「福祉」へと傾いていったのです。
私が大学2年の頃に「養護学校の運動会を見に来ないか?」と誘われ、そのゼミでは自分だけが見学に行くことに。他に上級生もいたけど、ホント数人程度で見学に行くことに。しかし運動会の様子を見て、率直に自分が思ったこと・・・それは「普通の(障害のない)子どもたちと、そんなに変わらないじゃん」と言うこと。もちろん「知的障害」があるのだから多少の障害を持っていることぐらいはわかるけど、でも普通学級にいても決しておかしくもないかな・・・とも感じた。ここから福祉に対する思いは強くなっていき、卒業論文ではこのことがきっかけで「障害児教育」をテーマにした論文を書くことに。と同時に、福祉の世界への憧れも強くなることに。

卒業論文を書いていた当時は、既に大手家電量販店への就職の内定が決まっていた。そのため4年の大学生活は「卒業論文」と「卒業アルバム編集の手伝い」と「学園祭実行委員会OBとしての助っ人」の3本柱だった。だから学校に行ってもやることはなく、大体は卒業アルバム編集室で卒論を書いていたり、学園祭のことで後輩から相談を受けていたり・・・などとのびのび生活を送っていた。しかし卒業論文が完成に近づくにつれ、思いも変化。最初は「数年たったら、福祉の世界に行けばいいや」と思っていたのが、「今すぐにでも福祉の世界に行きたい」という思いに変化。しかし自分には経験も資格もない・・・が、ここでターニングポイントになるのが、やはり卒論の指導教授であるこの先生。自分がこの先生の研究室によく足を運ぶようになってから「社会福祉士」と言う言葉を聞くようになっていた。当時は自分には全く関係のないもの・・・と思って聞き流していたが、「福祉の世界に行きたい」と思ったときに、途端に思い出したのがこの「社会福祉士」。そのことを思い出しネットで社会福祉士のことを色々と調べ、「経験のない自分にとっては、まずはこの資格をとることが先決かな?」と感じ、教授に相談。教授も「いいんじゃないの」との言葉を受け、また就職課でも「中途半端な気持ちで就職するなら、止めたほうがいい」との助言を受けて、入社1ヶ月前に内定を辞退し、その1ヶ月の間に「社会福祉士」の取得できる学校を探し、入学。
まさに大学時代の教授(今となっては恩師ですが・・・)との出会いが、自分の人生のターニングポイントです。

それから専門学校以後のことは「御岳の山」ならびに「Web diary」、そしてこのblogの内容に集約されるわけです。専門学校での出会い、知的障害者授産施設での出会い、そして3月まで勤めた知的障害者デイサービスセンターでの出会い・・・すべての人が自分を「福祉」へ導く「道しるべ」となったのです。特に専門学校を卒業して現場に出てからは、現場でであった上司や先輩職員、そして利用者との出会いは、自分を更なる福祉、「障害者福祉」へ導くものになりました。
以下、その語録を・・・


●専門学校を卒業し、まだ就職先が決まっていなかったときのこと。面接の際に、前全日本手をつなぐ育成会会長・前東京都知的障害者育成会理事長であった故緒方直助氏が自分に言った一言。

キミは、利用者に親しまれそうな顔をしているね。


この一言でこの施設に採用。以後、約2年に渡り知的障害者授産施設の職員となる。


●このときの「採用面接」での裏話。
自分が採用された経緯について、歓迎会の席で、施設長から一言。

「理事長が『あいつ(自分のこと)だ』の一声で決めたのよ」


いわば「鶴の一声」で決まった状態。しかしその背景には、こんなことを退職前に主任さんから聞くことに。

採用面接の時は理事長の他に施設長と主任さんが同席して面接を受けたのだが、全員の面接が終了後に理事長が「(誰を採用するか)○を書け」と施設長と主任さんに言ったとのこと。で実際に○をつけたのを見ると、理事長と主任さんは自分を選び、施設長は別の人を選んでいたとのこと。 しかし・・・理事長は施設長の人選を無視。で、自分が採用されたとのことだった。 (実は施設長が別の人を選んだ背景には深い事情があり、理事長もその事情を知っていたら施設長が選んだ人を採用していたとのこと。主任さんはその事情を知っていたが、その上で自分を選んだとのこと。まぁあまり詳しく話してしまうとちょっと・・・と言う感じなので、この程度で。)
(※2005.2.23、「微妙な心境」より)


●系列施設の職員の方から言われた一言。

「(利用者が)Mitakeさんに会いたくなる気持ち、わかるよ」

自分は普段の業務前に「送迎業務」を行っている。その送迎途中で、いつも系列の作業所を利用する利用者が道の途中で送迎車を「待ち伏せ」している。その利用者の職員さんの話では、毎朝自分に挨拶することが彼にとっての「日課」になっているみたいで、会うことが出来なかったりすると、ものすごく残念がるとのこと。
そして昨日は総会。当然この利用者も来ている。だからもちろん挨拶も忘れずに行う。

そういうことがあるため、この職員さんと話をすると、いつもこの利用者の話題になる。それでさっきの「わかるよ」の発言につながる。その職員さん曰く、自分に会うとなんか「ほっ」とする、らしい。
(※2004.5.23、「嬉しいような、そうでないような」より)


●知的障害者デイサービスセンターに勤務し、利用者保護者との面談での、保護者からの一言。

今まで(養護学校に在籍していた時代)はちょっとしたことがあると、地面に腰を落として泣いていた。学校の送り迎えの時も落ち着かないで、いつも苦労していた。今回も施設に入所してすぐが落ち着かず、やっぱり私が送り迎えをしなくちゃいけないのかなぁ・・・と悩んでいた。 でも今は落ち着いていて、送迎でも添乗員の方がうまく対応をしてくれているので、とても安心している。それとあわせて、今までの「苦労」から開放されることが何よりも嬉しいことです。
(※2005.6.14、「『より良く』いきること」より)


●デイを退職前に、同じく異動になった職員の人から言われた言葉。

ホント、Mitakeさんにまたこの世界に戻ってきて欲しいよ。今までは「指導」と言う感じで「楽しむ」という感覚はなかった。でもMitakeさんの「楽しい」って言うのはすごく大事だと思うよ。今日のプールも利用者さんと楽しみながらやっていたし、利用者も楽しそうだった。施設の中でも利用者とハイテンションになって楽しんでいる姿ってすごくいいなぁ・・・って思った。今までそういう考えがなかったから、Mitakeさんは貴重な存在だと思うよ。だからまたここに戻ってきて欲しいよ。
(※2006.3.28、「とりあえず、形に残した」より)


今までの仕事の中で、これだけいろんなことがあったんです。
だから「誰に会わなければ・・・」ではなく、すべての人に会ったからこそ、今の自分がいるのであり、今自分が「やりたいこと」「目指すべき道」と言うのが見えてきているのだと思います。そういった意味で、自分にとっての「出会い」は「一期一会」と言う言葉に象徴されるのです。


あーあ、今日は「ネタ逃げ」しちゃったよ・・・(^_^;)

2006.04.06

さすが、無敵の京王線・・・

Yahooニュース「京王線踏切で衝突、先頭車両が脱線…乗用車の女性死亡」

 5日午後9時30分ごろ、東京都世田谷区松原1の京王線代田橋―明大前駅間の代田橋6号踏切で、新宿発京王八王子行き下り普通電車(8両編成)と乗用車が衝突した。
 乗用車は大破し、運転していた若い女性は病院に運ばれたが、死亡した。
 電車は先頭車両が脱線し、乗客の男性3人と女性1人が、腕や首の痛みなどを訴え、救急車で病院に搬送された。京王電鉄は京王線の一部で運行を見合わせ、バスによる代行輸送を行った。
 警視庁北沢署などによると、乗用車は遮断機が下りかかっている時に踏切内に進入し、電車の先頭車両に衝突したとみられる。その後、約10メートル引きずられ、車の前部を上に向けた状態で、車両と電柱の間に挟まれた。乗用車内に女性が閉じ込められ、約2時間後に病院に運ばれた。練馬ナンバーのレンタカーだった。
 国土交通省航空・鉄道事故調査委員会は6日午前、調査官2人を現場に派遣し、原因を調べる予定。
 一方、京王線新宿駅は、家路を急ぐ会社員らでごったがえし、電車に乗れない人たちが駅員に説明を求めたり、携帯電話で連絡したりする姿が見られた。
 京王電鉄は、バスによる代行輸送のほか、タクシーを利用した乗客に後日、代金を返還する措置をとり、バス停やタクシー乗り場には長蛇の列ができた。午後10時すぎから3時間以上、タクシー待ちの列に並んでいた調布市の男性会社員(59)は「タクシーがなかなか来ない。いつになったら家に帰れるのか」とうんざりした様子で話していた。(読売新聞)

Yahooニュース「京王線踏切事故 終電まで運休 車の運転手は21歳女性」

 東京都世田谷区松原1の京王線代田橋-明大前間の代田橋6号踏切(警報機、遮断機付き)で5日夜、普通電車(8両編成)が乗用車に衝突した事故で、死亡した車の運転手は、スタイリスト、Aさん(21)と判明した。
 同線は新宿-調布間で上下124本が終電まで運休し、約6万5000人に影響が出た。代行バスやJR、小田急、地下鉄などで振り替え輸送を行った。復旧作業は徹夜で行われ、6日は始発上り電車1本が運休した以外は通常通り運行を再開した。
 一方、国土交通省の航空・鉄道事故調査委員会は6日、調査官2人を現地に派遣した。(毎日新聞)

どうやら色々と情報を集めると、閉まりかけた遮断機に車が突っ込んで行った結果、電車と衝突した、と言う見方のほうが強いかな?もし踏切内で閉じ込めを食らったとしても、現場の状況を見る限りでは強引に外に出ようとすれば、ケガはしたかもしれないけど命だけは助かっていたと思う。ただ今回はお亡くなりになられたとのことで、状況から察するに電車が車に対して運転席側に向かって側面衝突した結果、車は大破したのだろう。いずれにしても、亡くなられた方にはご冥福を・・・

それよりも、京王線でこんなに大きな事故が起きたのは、自分が生れてからの記憶にはない。
事故調査委員会が派遣されるくらいだから相当大きな事故だったにもかかわらず、事故の影響を残したのは昨日だけ。今日は始発が1本運休になった以外は、通常通りの運転・・・さすが、恐るべし京王線。私は京王線ユーザーで、今日も飯田橋の方に出かける予定があったので、昨日の時点でこのニュースを知った時は「明日はJRかな・・・」と思っていたけど、結局京王線を使うことに。しかし・・・事故現場付近を通過する時は、何事もなかったかのように普通に通過。ちょうど事故路線と反対側の座席に座っていたため事故現場を確認することはできなかったし、帰りは有楽町まで足を伸ばしたため中央線で帰宅。事故現場自体を直接通ることはなかったけど、でもあれだけの事故を徹夜で復旧させて、応急処置的ながら架線を修復するとは・・・さすが、京王線。さらにタクシーで帰った客に対してはその費用の支弁をする心意気。対応の部分でも、なかなかの対応っぷり。(でも実際には、ここで支弁した費用も含めて、運休になった分や事故によって修復することになったものすべて諸々を遺族に「損害賠償」として請求することになると思うけどね・・・)

今回の事故でも「無敵の京王線」を遺憾なく発揮した感じ。
「雪でも止まらない京王線」と言われており、京王線沿線の学校では雪が降っても「休校」や「休講」になることはまずない。だって、多少の雪が降った程度ではビクともしない「雪に強い」京王線なんだから。そして今回の即時対応・・・まさに「向かうところ敵無し」といった状態。本当に「無敵の京王線」になる日は近い。
でもここまで来ると、どこにウィークポイントがあるのか、ちょっと探ってみたくなるのも事実だけどね・・・

2006.04.05

「福祉系ブロガー」として

今回のことは以前「コトバ★福祉施設(続き)」でも取り上げた内容だったのですが、もう一度取り上げたいと思います。
もう一度書こうと思ったきっかけは、わん公さんのblog「わん公のつぶやき」の記事である「障害者福祉に携わる職員として・・・」の内容に関してからです。内容は「どこまで書いていいのか」と言うものでした。

さて、今日は私の今後のブログの方向性について、思い悩んでいる事を綴ってみたいと思います。 それは、随分前から悩んでいた事なのですが、
 「今、私が携わっている仕事について、どの様にブログで取り上げるか」です。

 今年の社会福祉士国家試験を受けた方は、私も含め嫌というほど目にしたかと思いますが、去年の4月から「個人情報保護法」という法律が施行されています。これは、国民の個人情報を守る為に制定されたもので、障害者の施設やGHに入居されている利用者さんも、決して例外ではありません。
 施設で生活している利用者さんは「そこに住んでいる」という事自体が既に個人情報になるという意識が、皆さんにはありますか!?病院と違い、施設は生活の場なのです。住所と施設名、部屋番号を書いて葉書を出せば、その郵便物は利用者さんに届くようになっています。住民票を移すからですね。
 こういう捉え方をすると、私がここで、利用者さんが特定できるようなブログの取り上げ方をするのは、この法律の観点や、社会福祉士及び介護福祉士法に明記されている「秘密保持の原則」からも、逸脱しかねない訳です。
 今まで私は、実習に関するネタは「裏実習日誌」として取り上げてきた経緯があります。しかしそれは、私がその実習先に滞在するのが一時的なことや、個人を特定しにくいよう、配慮してきたという努力をすくなからずしていました。しかし、継続的に利用者さんと関わっていく職員という立場では、それにも限界がある気がするんですよね(^^;
 福祉関係のブログを見ていると「○○施設のブログ」と明記されているものはともかく、「そこまで書いていいの!?」と思わせる、結構踏み込んだ記事にぶち当たる事もあります。まぁ、私自身も、気付いていないだけで、結構今までの記事でやってしまっているのかも知れませんが・・・
(「障害者福祉に携わる職員として・・・」より引用)

正直なところ、私自身も昨年度の「業務報告」に関してはかなり書きにくい、と感じる部分がありました。その原因は、やはりわん公さんも指摘された「個人情報保護法」との兼ね合いです。今までは明確な法律はなく、それぞれの職域における関係法規や倫理綱領(私の場合で言えば「社会福祉士及び介護福祉士法」や「ソーシャルワーカーの倫理綱領」がそれに当たりますが・・・)によって定められていましたが、この法律によって職域など関係なく、すべての国民に対して「保護の対象」としたものができたことによって「どこまで書いていいのか?」と言うことを今まで以上に考えなくてはならなかったのです。

ですので、ウカツに写真などを使うことができなかったのも現実です。前の授産施設にいたときは結構バンバン写真を撮って、委託業務の報告の際に使用する画像とあわせてこのblogでも使っていましたが、この法律が施行されてからは「利用者が特定されるような状況下の写真」は使うことができなくなってしまいました。利用者が映っているのはもってのほか、写真を撮る場所に関しても「不特定多数」の人が見ればどこの施設で働いているかわかるような写真は撮ることができませんでした。ですから「これをblogの題材にしたいなぁ・・・」と思った写真も、泣く泣く諦める場面は何度もありました。七夕の時の写真、クリスマスの時の写真など、「業務」として携わったことを写真と一緒に紹介したい場面は多々あったのですが、やはり法律を前に躊躇することは多かったです。ですから、結果的に昨年度の業務報告で使用した写真は、ほとんどが「当たり障りのない場所」での写真を使う結果になりました。

ただ、これはあくまで私自身のスタンスですが、何でもかんでも「個人情報保護」を盾にされてしまうと、「伝える側」としては何も伝えることができなくなってしまいます。ですから「どこまでを伝えて、どこからをセーブする」と言うのを、自分自身の中で「ガイドライン」を設けて記述することにしています。

そのガイドラインを、私は「カテゴリーわけについて」と言う中で短文ながら明記しています。私の場合は、一応このように明記しています。

★記事の内容に関して
私は「社会福祉士」という身分を持った上で業務を行っています。社会福祉士には「社会福祉士及び介護福祉士法」により、守秘義務が課せられています。
社会福祉士及び介護福祉士法第46条(秘密保持義務)
社会福祉士又は介護福祉士は、正当な理由がなく、その業務に関して知り得た人の秘密を漏らしてはならない。
社会福祉士又は介護福祉士でなくなつた後においても、同様とする。

また私が所属する「日本社会福祉士会」においても倫理綱領が定められており、その中で利用者の秘密保持に関しての規定が定められております。ですので、記事の内容に関しても細心の注意を払って記述をしております。しかしこのblogを設置した最大の目的は「社会福祉士とはどんな仕事をしているのか」と言うことを、「社会福祉士」という立場にいる者として多くの人やこれから福祉の世界を目指す人・社会福祉士を目指す人に伝えていきたいとの思いから、法及び倫理綱領に抵触しない範囲で自らの体験や出来事を伝えています。

また私自身が初めて「障害を持つ」と言うことの難しさや辛さを体験した経験から、そのような人に対しても力を与えられるようなことができれば・・・と思い、毎日継続して、些細なことでも皆さんにお伝えすることができれば・・・と思って書いています。そのため、記述する内容によっては一部脚色をして伝える可能性があることも、あわせてご承知いただきたいと思います。

以前に書いた「コトバ★福祉施設(続き)」でも同じことを述べていますが、あくまで私がこのblogを続ける趣旨は「社会福祉士とは何ぞや?」と言うことを、社会福祉士が働く職場の一端を例に紹介していければ・・・と思って続けています。ですので、自分が「社会福祉士」を名乗る以上、このblogは続けていくつもりです。そして記事を書くスタンスについても、関係法令や倫理綱領を遵守した上で、できる限りのことを伝えていきたいと考えています。

2006.04.04

単なる「こじつけ」では?

Yahooニュース「<新入社員>06年度は「ブログ型」と命名」

 社会経済生産性本部は06年度の新入社員のタイプを「ブログ型」と命名したと発表した。ブログとはインターネット上の日記で、誰でも気軽に自己表現し、読んだ人と交流できることから利用者が増えている。生産性本部は新入社員の「表面は従順だが、さまざまな思いを内に秘め、時にネット上で大胆に自己主張する」という特徴がブログに通じるとしている。
 企業や大学の採用、就職担当者ら約40人から新入社員の特徴を聞いたところ、「厳しい就職戦線に勝ち抜いてきただけに、上司や先輩のあしらい方にたけているが、目立たず無関心に見える」「さびしがり屋で、自分を認めてもらいたい強い欲求を持つ」「認められると思いがけない力を発揮する一方、本人の気分や他人の評価ひとつですぐなえてしまう」などの意見が出た。
 「温かいまなざしと共感が、育成のカギ」とする声もあった。(毎日新聞)

ブログ型、ですかぁ・・・それってちょっと「こじつけ」じゃないですか?
ちなみに「社会経済生産性本部」がここ最近過去につけた新入社員のタイプは、以下のとおり。

平成18年「ブログ型」
 表面は従順だが、様々な思いを内に秘め、時にインターネット上の日記を通じ大胆に自己主張する。繊細な感受性とブログ的なネットワーク力に優れるが、パソコンに語るだけに止まる傾向もある。

平成17年「発光ダイオード型」
 電流を通すと、きれいに光るが、決して熱くはならない。(=ちゃんと指導すると、いい仕事をするが、冷めている)

平成16年「ネットオークション型」
 ネット上で取引が始まり、良いものには人気が殺到しささっと売れる一方で、PR不足による売れ残りも多数。一方で、ブランド名やアピールに釣られて高値で落札したものの、入手後にアテが外れることもある。

平成15年「カメラ付ケータイ型」
 その場で瞬時に情報を取り込み発信するセンスや処理能力を持ち、機能も豊富だが、経験や知識がなかなか蓄積されない。また、中高年者にとって使いこなしきれない側面もある。

「社会経済生産性本部」ホームページ、平成18年3月28日報道発表資料より。)

ちなみに自分が大学を卒業した平成13年の新入社員(実際には入社しなかったけどね・・・)に対しては「キシリトールガム型」と命名されており、その内容について「種類は豊富、価格も手ごろ。清潔なイメージで虫歯(不祥事)予防に効果がありそうで、味に大差はない」というもの。また自分が社会人となった年が、平成15年の「カメラ付ケータイ型」。でも正直なところ、これって全部時代を表す言葉に「最近の若者の特徴」を当てはめて発表しているだけに過ぎないように感じるのは、気のせいであろうか?ハッキリ言って、自分の場合はもしかしたら今回の「ブログ型」にも当てはまるかもしれないし「発行ダイオード型」にも当てはまるかもしれないし、「カメラ付ケータイ型」にも当てはまるかもしれない。結局のところ、何となく「無難」なところをその時代の風潮にあわせて発表しているだけに過ぎないんじゃないの・・・と思うのは、私だけでしょうか?

2006.04.03

「変わるもの」と「変わらないもの」

さぁ、新年度!
と言っても、自分は「プゥ」ですが・・・(^^ゞ

新年度最初は、やっぱり転職活動。気になった求人があったので、今日はハローワークではなく福祉人材センターに行って、紹介状をもらってきた。と、ここまでは気持ちは入っていたのだが・・・用意する書類の内容が不確実だったため、直接求人先に訪ねて質問をしたところ・・・何となく職員の対応がイマイチ。なんていうかなぁ・・・所属している機関に「胡坐」をして仕事しているんじゃないの・・・と思うような印象を受けてしまった。その時点で一気にトーンダウン。「なんかこんな施設で働いてもなぁ・・・」って言う感じに。「第一印象は大事」って言うけど、まさにその言葉がピッタリ。第一印象で、だいぶこの施設の印象が悪くなってしまいました。まだ時間はあるものの、もしかしたら紹介状を人材センターに返却するかもしれません。それくらいの気持ちです。

さて、話は元に戻って、今日は1日中外に出ていました。どこに行くにも、混むこと混むこと。
そりゃそうだ、今年の年度初めは「土曜日」だったから、実質今日が年度初め。入学式や入社式、大学では履修ガイダンスなど、様々なことが行われている。午前中の人材センターに行く時も入社式を終えた人の列がぞろぞろといたし、学生も多かった。そんな中、午前中に卒業した専門学校、午後に卒業した大学にそれぞれ行ってきた。目的は「卒業証明書」の発行のため。前者の施設募集で必要な書類の中に「最終学歴の卒業証明書・成績証明書」と言う項目があったので、どっちの書類でも大丈夫なように両方の証明書を取り寄せておくことに。奇遇にも専門学校は高田馬場だから飯田橋から東西線で1本、大学は地元だから車で数分・・・といともたやすく行ってきました。

しかし自分が卒業した学校を見て思うこと・・・あぁ、だいぶ変わってきているなぁ・・・と言うこと。
専門学校は自分がいたときは事務受付と就職センターが一緒になっていた。しかし今日3年ぶりに行ってみると、事務だけの窓口になっており、入り口はスッきりとしていた。さらに玄関はカラフルに塗装され、事務受付前もかなり広くなっていた。事務室の奥にある教員室もパーテーションで区切られて、自分が在籍していた当初の「敷居の低さ」はなくなっちゃったのかな・・・と感じることもあった。自分が卒業した専門学校の好きなところは、必要以上に教員や職員と学生との間に垣根がなく「アットホーム」な雰囲気がものすごく好きだった。だから楽しく2年間の学生生活を送ることもできた。でも久しぶりに行った学校は、なんかだいぶ雰囲気が変わっちゃったかな・・・って感じ。

そしてそれは大学も同じ。大学にも3年ぶりに行った。
まず目の前に入ってきた光景は、重機の山。色々と改築・増設をしているみたいで、キャンパスのどっかで工事を行っている状態。で、今まで学生の窓口であった学生課や教務課はすべて1階にあったものが、今は改装された建物の2階に大きなスペースを陣取って作られている。そしてものすごくシステマチックに動いている印象を受けた。たまたま履修ガイダンスの日と重なっていたためにそう感じたのかもしれないけど、自分が学業の場から離れて数年たっただけで、こんなに変わってしまうのかなぁ・・・と実感した。

それは専門学校に行く途中の「通学路」でも同じ。学生時代にはお腹のお世話になっていたホカ弁屋がなくなっていたり、今まで空きフロアーだったビルの中に「TSUTAYA」が入っていたり・・・と、ちょっと雰囲気が変わった部分があったのは事実。でも変わっていないものもあった。その中の1つが、これ。

D1000078

この景色、変わってないなぁ・・・
どんどんと公園が少なくなっていく中で、この公園はまだあった。子どもが遊んでいる姿を見て、ちょっと「ほのぼの」とした。きっと「桜」がそれをまた演出しているんだろうなぁ・・・

変わっていくものはあるけれど、変わらない風景もある。また数年後に行った時も、この公園は残っていて欲しいなぁ・・・

2006.04.02

毎日の生活=リハビリテーション

昨日はダラダラと夜を過ごしてしまい、就寝は3時。その割には起床は11時半。
まぁこの時間を「早い」と見るか「遅い」と見るかは人それぞれだと思うけど、ただこんな生活を続けていてはいけないなぁ・・・と感じているの事実。
いや、毎日こんな生活をするつもりはありませんので・・・心がけだけは「規則正しく」を考えているので・・・(^^ゞ

ただ、きっと何も考えていなかったら11時半には起きなかっただろう。
元々昨日の時点で「明日は病院に行こう」と考えていたので、結果的にその意識が働いて起きたのだと思う。そしてお昼を食べて、祖母の病院へ。
で、行ってみると・・・不在。「食堂かなぁ・・・」と思っている見ると、これまた不在。「ん?何かあるのか?」と思い母がナースに聞くと「お風呂に入っています」とのこと。あれ・・・普通なら土曜日が入浴の日だったと思うのに、どうして日曜日に入浴をしているのだろう・・・とちょっと疑問符。まぁ別に色々と都合があったのかもしれないし、昨日がちょうど「年度初め」と言うのもあったからかもしれない。どっちにしても、ちゃんとやってもらえているのであれば、それはそれで別に構わないこと。お風呂から出てくるまで、病室で色々と準備をすることに。そしてしばらくするとワーカーの人が「お風呂から出て、食堂にいますよ」との案内が。食堂に行くと、祖母が車椅子に座っていた。(でも正直、髪の毛が少し濡れていたから、もう少し乾かしてからにして欲しいなぁ・・・と思ったのは事実。)正直今日お風呂に入っているとは思っていなかったから、ちょっと当初の計画が崩れちゃったのは事実。お風呂に入ることは結構体力がいることであり、お風呂に入ったことがわかった以上は、あまり無理はできない。だから今日は何にもやらないつもり・・・だった。ところが、病室に戻って色々と話をしてみると、「やる」とのこと。そしてその様子を見ていて思ったこと・・・思ったよりも、食いついているな、ということ。

何をやったのか?それは「塗り絵」。
昨日買物に行ったときに本屋で「脳を鍛える」と題して脳活性化のための本のコーナーが作られていた。その中に「大人の塗り絵」と言うものがあって、下絵が書いてありそれに色をつけていく・・・と言う、非常に簡単なものであった。これを見た瞬間「もしかして、使えるかな?」とすぐに思い、母と内容を相談して、1冊の下絵を購入。そして自宅の複合機でコピー&拡大をして、病院に持って行くことに。今回のお題は「チューリップ」。
お風呂に入っている時に「見本絵がなかったなぁ・・・」と思い、スペアの下絵を使って即興で色付けをして、祖母に色付けした絵を見せると「チューリップ」とちゃんと答えた。そのあとに色付けをしていない、下絵だけの絵を見せるとそれもしっかりと「チューリップ」と答えた。で「お風呂に入った」と言うことだったのでやらないつもりだったが念のために「やってみる?」と聞くと「うん」との答え。ならば・・・と思い、無理のない範囲でやってみることに。すると、お風呂に入った後にもかかわらず、熱心に取り組んでいる様子があった、また下絵の線もしっかり確認できているみたいで、線に沿って縁の部分を丁寧に塗っていた。「あまり興味を示さないかなぁ・・・」と思ったけど、想像以上に関心を持ってもらえたみたいで、「今はこれしかないけど、家にはまだたくさんあるから、あればやる?」と聞くと「うん」とのこと。自分が思っていたよりも塗り絵の反応が良くて、思わぬ収穫だった。

別に脳を活性化させるために塗り絵をやろうと思ったわけじゃない。「アクティビティ」の考えがすべてにある。
「アクティビティ」の基本概念は「日常のレクリエーション」と「非日常のレクリエーション」であり、前者が食事や入浴などを、後者が一般的に言う「レクリエーション」や「創作活動」のことを指す。今回の場合は「中間的な立場」からのアプローチを行った。以前にも触れたように、自分が祖母の病院に行くと必ずベッドサイドでのリハビリを行う。もちろん自分はリハビリの専門家ではないから専門的なことはできないけど、日常生活の中でできるリハビリテーションはたくさんある。手を上げたり足踏みをしたりなど、普通に体を動かすこと自体が「リハビリテーション」につながる、と考えている。だから自分は面会に行くと必ず「ハイタッチ・足踏み・キック」をやっている。で、今回の塗り絵も、全く同じ発想から。どうしてこう思うようになったのか・・・と言う詳細はこっちに書いてあるので割愛するが、毎回面会に行って同じことをしてもマンネリになってしまう・・・と感じていたのは事実。で、誰も面会に来ない日は退屈な日々を送っているのかなぁ・・・と感じている部分もある。そういった意味で「1人でも取り組めるもの」として、日常の生活に刺激を与えるものとして選んだのが、この塗り絵。結果的に今回「塗り絵」に取り組んでもらえることで「毎日の生活の変化」を与えることができたのと同時に、塗り絵の本来の趣旨である「脳の活性化」にもつながるし、自分で塗る色を選んで若干麻痺の残る利き手を使って色鉛筆を握ることによって、「塗り絵」という行為そのものがリハビリになっている部分もある。つまり「創作活動」と言う「非日常のレクリエーション」を取り入れながらも「毎日の生活の中でのリハビリテーション」という「日常のレクリエーション」の要素も含まれているため、「中間的なリハビリテーション」であると考えている。

一時期RHの専門家としてOTになろうと思った時期もあった。
ただ、OTになろうと思う以前からも「毎日の生活の中でのことすべてが、リハビリテーションになる」と言う考え方は常に持っていたので、この発想はRH専門家としての考えではなく「福祉従事者」としての考えである。特別な機械を使わず、いかに身の回りのもので身体機能を維持・向上させるかが本筋ではないか、と考えている。そういった意味で「塗り絵」は特別な道具は必要としないし、特別の場所に行ってやる必要もない。すぐにでき、どこでもできるもの。そういった意味では「毎日の生活」の一部として取り入れることはできると思う。

別に特別にRHのメニューを組んでくれ、とは言わないけど、でも毎日のちょっとした働きかけで「関係形成」を含めたRHはできるはず。それも、別に専門家でなくてもできるRHはたくさんあるはず。もしかしたら病院にとっては自分は「うっとうしい存在」と思われているかもしれないけど、もしそう思うのであれば、もっと色々と取り組んで欲しい・・・と言うのが本音。毎日の生活をいかに充実して生活していくことが腿節であるかと言うことを重視したいから行っているだけのことであり、現状ではそれができていないと思うから、自分がやっているだけのことである。

2006.04.01

コトバ★「社会福祉士その4」

今日から新年度です。新年度の最初が「コトバ」とは・・・ちと大変。
でもそんなことは言っていられません。と言うことで、新年度最初のコトバは「社会福祉士」の第4弾です。

昨日、社会福祉士・介護福祉士・精神保健福祉士の合格発表がありました。今年の合格者数は1万2222人、合格率は28.0%、合格基準点は80点と言うものでした。元来、社会福祉士の合格基準は「全体の60%移乗の正答率」とされており、これを得点化すると90点、今回の80点が言うことは、全体のうち約54%に答えることができれば合格、と言うことがいえます。

さて、社会福祉士の受験者数は毎年増加傾向にあります。

開催回数

受験者数(人)

合格者数(人) 合格率(%)
第1回 1033 180 17.4
第2回 1617 378 23.4
第3回 2565 528 20.6
第4回 3309 874 26.4
第5回 3886 924 23.8
第6回 4698 1049 22.3
第7回 5887 1560 26.5
第8回 7633 2291 30.0
第9回 9649 2832 29.4
第10回 12535 3460 27.6
第11回 16206 4774 29.5
第12回 19812 5749 29.0
第13回 22962 6074 26.5
第14回 28329 8343 29.5
第15回 33452 10501 31.4
第16回 37657 10733 28.5
第17回 41044 12241 29.8
第18回 43701 12222 28.0
合計 295975 84713 26.6

上の表を見てもわかるとおり、合格基準と正解が公表されるようになった第15回の試験(この試験に私も受験し、合格しました。)から受験者数が3万人を超え、それに比例するように合格者数も1万人の大台に乗りました。以下、受験者数と合格者数の推移をグラフ化して見ました。
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このグラフを見ると、回を重ねるにつれて「受験者数」と「合格者数」の差が広がっていることがわかります。
何故こんなことを言うのか・・・今回は完全に「自己批判」になりますが、合格基準が「全体の60%の正解率」と言いながら今回は約54%で合格できた・・・この傾向が明確になったのは、私が受験した第15回の試験からになります。第15回の試験では初めて「合格基準」と「正解率」が公表されましたが、その結果「出題ミス」が後に関係者の指摘で発覚し、追加合格者を出すと言う、受験者にとっては後味の悪い受験回となりました。それ以降、これまで試験センターが掲げてきた「60%の正解率」、つまり合格点が「90点」を超えたことは1度もありません。注釈として「問題の難易度に応じて」とありますが、それでも90点を超えたこともなければ、90点ピッタリになったこともありません。

ただし、表の「合格率」に注目してもらえればわかるように、受験者数は毎年増加しているのにもかかわらず、合格率の変動はほとんどありません。突出していると言えば、「出題ミス」が発覚した第15回の試験の時に唯一合格率が30%を超えていることです。それ以外は、ほぼ30%以下で推移しています。
このことから、一部の関係者の間では「合格率を30%に抑制しているのではないか」と言う声が聞かれます。

別に合格率を抑制するのは構わないと思います。ただし、「言っていることとやっていることが違う」と言うのは、やや問題があるかと思います。「60%の正解率」としているのであれば、キッチリ60%にあわせるべきであると思いますし、逆に30%台に抑えたいのであれば「成績の上位30%程度」と、定義をしなおす必要があるのではないか・・・と思います。

社会福祉士を持ちながらこのような批判をするのは足元をすくわれることになるかもしれませんが、ただ数字としてこのような傾向が現れているのは事実であります。「信頼される社会福祉士」「技量のある社会福祉士」になるためにも、この部分の基準はしっかりさせていくべきなのかな・・・と思い、今回はあえて社会福祉士による「社会福祉士批判」をさせていただきました。

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