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思ひ出アルバム

  • 卒業式が終わって・・・
    以前HPで行っていた「todya's photo」の写真や「御岳写真館」で使用していた写真を再び復活させるべく、「思ひ出アルバム」として随時更新していきたいと思います。また最近の写真でも「思ひ出」となるものについては、ここに納められていくことになるでしょう。

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2006年3月

2006.03.31

契約終了

今日を持って、産休代替職員としての勤務は終了。仕事は一区切りです。
転職も少し焦っていた部分があったけど、昨日の先生の助言を受けて「のんびり、気ままに」やっていきたいと思います。わかりやすく言えば、走っていた足を少しだけ緩めて、のんびり散歩する程度に。焦ってもしょうがないし、やっぱり「自分のやりたいこと」をしっかりと見つけてやるべきかな・・・と思っているから、それが見つかるまでは、のんびりと過ごしていこうかなぁ・・・と思う。

そう考えるきっかけになったのは、やっぱり自分は「障害者福祉」が好きだと言うこと・・・いや、知的障害者福祉が好きなのかもしれない。たしかに「知的障害」は他の障害に比べて目に見えないものであり、それを理解するのは難しいし、適切な支援を行っていけているかを点検することも難しい分野。医者やリハビリテーションであればある程度の「尺度」として明確な評価をすることはできるけど、こういった仕事って「~のように思われる」「~であったと感じる」などと、どうしても抽象的な表現に終始してしまうことが多い仕事であると思う。事実、そんな現状に少し嫌気がさして、目に見えない支援の効果を疑問視して「作業療法士」と言う選択をした部分もあったかもしれない。

しかし自分が障害・病気を持つことによって、また気持ちが生れた。
気持ちがどん底まで落ちて、普通だったらとてもじゃないけど仕事にならないような気分の中でも仕事に行っていたことはあった。と言うより、4月から6月にかけては本当に「必至」になって仕事に行っていたと思う。気持ちは仕事なんかやっていられない・・・と言うのがある一方で、利用者を目の前にすると嫌でも自分の気持ちを奮い立たせて元気に振舞っている自分がいた。そして利用者が帰って退勤すると、魂の抜けた状態で帰宅する自分の姿があった。だけどこのことがきっかけで学校を退学し、徐々に気持ちの余裕が出てくることによって、自分が今まで忘れていた「何か」を見つけ出せるようになってきた。

自分が忘れていたもの・・・それは「楽しさ」と言うこと。
楽しくなければ、仕事をしていてもつまらない。支援者が楽しくなければ、利用者はもっと楽しくない。だから利用者とともに楽しむことによって、自分も楽しくなれるのだ・・・と言うことを。そのことが集約されたのが、この記事。今日も利用者が来る前に色々と職員と話をした。その中で盛んに言われたことが「Mitakeさんが一緒でよかった。利用者を色々とよく見てくれたし、本当に助けられたよ。ありがとう。」との、感謝の言葉。自分は特に何も考えず、ごくごく普通に当たり前のようにやっていただけのこと。ただ1つだけ違うことを言えば「歳相応の対応」をしながらも、スキンシップなどを通じて「触れ合い」を大事にしたこと。知らない人が見たら「虐待???」と思われるようなことをしていたかもしれないけど、それは利用者が喜んでいる顔を見てやっているだけのこと。つまり利用者にとって「楽しいこと」であれば、「歳相応」とか言っている場合ではなく、そのことを共に「楽しむ」ことが大事なんだと思う。今まで自分がやっていなかったことを、心境の変化を境にしてやるようになった。それが結果として「忘れていたものを思い出すこと」になったのだと思う。もっとも、そんなことを言われなかったら自分は気がつかなかったし、全然意識をしなかったと思う。いつしか「楽しむこと」が自分の中で当たり前になっている部分があって、それを気づかせてくれたのが、周りの職員。そしてプールの時に言われた「Mitakeさんにまたこの世界に戻ってきて欲しいよ。」と言う言葉は、自分にとってものすごく心に響いた。私の前職である知的障害者授産施設では、その時の理事長に採用面接の際にこんなことを言われた。


キミは、利用者に親しまれそうな顔をしているね。


この理事長はその一言を言って、履歴書をパーァと一通り目を通して、面接終了。そして・・・採用。


その理事長の名は、前全日本手をつなぐ育成会会長・前東京都知的障害者育成会理事長であった故緒方直助氏。いわば緒方さんの「鶴の一声」で知的障害の世界に職業として足を踏み入れることになった。そして約3年間、自分は寄り道をすることなく「知的障害者福祉」の現場に携わってきた。そして緒方さんの言ったことは、決して間違ってはいなかった。「『やりたいこと』って・・・」で触れているように、少しは利用者の心を掴んだのかなぁ・・・と感じる部分があったけど、保護者の方からも自分が退職することに関して惜しむ声があったのも事実。今日の連絡帳には、そのことに触れてくださった保護者の方には自分なりの言葉で挨拶をさせてもらった。たった1年と言う短い期間ながら、利用者の心を捉え、保護者からそのような声をいただけたのは、福祉従事者としては光栄なこと。本当に嬉しいことである反面、申し訳ない気持ちがあるのも事実。

でも退職が決まって今日の退職の日まで色々とハローワークなどに行って必至こいていた自分を、この1週間で大きく気持ちを変化させた。知的障害者福祉以外にも高齢者分野や児童分野にも興味があり、機会があればやってみよう・・・と思っていたけど、この1週間を通じて、自分は確信した。
自分にとって福祉の仕事・・・とりわけ障害者福祉、特に知的障害者福祉の仕事は「天職」であると言うこと。

その気持ちを確認した今、次の仕事はある程度頭の中でプランニングをしています。もちろん人生何があるかわからないので急転直下する可能性もあると思いますが、今現在の自分気持ちは「また、障害者福祉に携わりたい」と言う気持ちです。自分自身が体験し、そして障害者を身内に抱える者として、そして経験として「障害者福祉」に携わった者として、この際できるところまで「障害者福祉」を追い求めて行きたい、と思っています。

とりあえずは、ちょっと体をゆっくりと休めることにします。さぁ、2006年度の業務報告は何時から始まるのでしょう。

2006.03.30

使うかわからないけど・・・

一応、今日市役所に行ってもらってきました。
D1000077

今日は定期通院日。前回の時に自立支援医療のことについて母親に話した時に難色を示したため、「じゃ、今度(の通院に)一緒に行って聞く?」と聞いており、自分はそのことをすっかり忘れていた。だから朝起きたら母親が居間にいて「あぁ、今日休みなんだぁ・・・」と普通に思っていたら、自分の病院に付き添うために休んでいたことがわかった。すっかり、自分はそんなことを忘れており「あぁ、そういえばそんな話をしたなぁ・・・」程度にしか感じていなかった。ただ一緒に来てもらえるのであれば・・・と言うことで、「パニック障害」の診断を受けたとき以来の同行受診。色々と話を聞くかなぁ・・・と思っていました。

ところが、いざ行ってみると全然話さない。
って言うか、むしろ先生と「同調」しているような感じ。就職活動のことや利用者支援のことなど、今現在思っている悩みなどを洗いざらい話していった。すると母が「もっと気楽に考えられればいいんですけどねぇ・・・」と一言。そして先生も「そうですね、真面目すぎちゃっているんですよねぇ。」とのこと。結局「自立支援医療」のことは全然触れず、逆に今回は先生が母親から自分のパーソナリティや家庭環境を聞き取ったりする状態に。何のために母親が一緒に行ったのか・・・ただし母親と一緒に受診したことによっていつもよりも診療時間が長かったことは確か。かなり心の中が揺る動いている状態であり、アンバランスな状態であることは事実であり、そのことが診療で露呈したような感じ。先生からも「あんまり深く考えなくていいんじゃないかなぁ。今まで1年間頑張ってきたんだし、てんかんと言われて色々と苦労した部分もあったと思うから、しばらくの間は休息期間としてゆっくり休んでいいと思うよ。ボランティアとやってみて、それで方向性を見つけていくのも1つの方法だと思うよ。」とのこと。「真面目すぎる」と言うのが良くも悪くも今の自分にとってはネックになっているけど、基本的に先生から助言を受けると、多少は「うーん、そうなのかぁ・・・」と受け入れられる気持ちにはなれる。でも完全にそれを受け入れたわけじゃなくて、たぶん「真面目」に就職活動はすると思う。ただし、先生の助言を参考に「活動のペースを落とす」と言うことは、すると思う。

そのため、もしかしたら次の就職先が決まるまではだいぶ時間がかかる可能性があるかもしれない。
そんなこともあって、病院が終わってから市役所に行くことに。元々市役所には母親が「福祉タクシー券」の受け取りの用事があっていくことになっていたけど、行ったついで・・・と言うことで、「自立支援医療申請書」をもらうことに。すぐに決まるのであればあまり考えなかったかもしれないけど、今回は「ゆっくり休みながら、気長に就職活動」のスタンスで行くため、無収入の状態では医療費がバカにならない状態になる。現在、1回の通院で約4000円かかっており、それが2週間に1回のペースで行っている。そのため、一月にかかる医療費は最低8000円。それが12ヶ月だから・・・約9万6000円、さらに「交通費」もかかるため、トータルしたら年間10万円の医療費になる。今回ですら医療費控除のための年末調整を行ったのだから、無収入の状態では打撃を受けることは必至。そのため、自立支援医療を使うか使わないかを別として、とりあえずは書類だけでももらっておいた方がいいかなぁ・・・と思い、窓口に行って書類をもらうことに。

ただ、窓口に行ったら普通に書類をくれなかった。
と言うより、窓口で「自立支援医療の申請書をいただきたいんですが・・・」と言ったら、すぐに「32条の切り替えですか?」と聞かれた。「自立支援医療」は「コトバ★障害者自立支援法その10」で取り上げたとおりに「更生医療」「育成医療」「精神通院医療」をあわせたものが、「自立支援医療」として枠組みがされた。しかし実際に東京都の場合には更生医療や育成医療に変わるものとして身体障害者医療費助成制度があるため、新規に「障害者自立支援法に基づく自立支援医療」を申請する人は、ほとんどいない。いるとすれば・・・自分のような心療内科に通院している人、つまり従来「精神32条」を受けるような人が新たに「自立支援医療」の申請に来るケースがほとんどと言うこと。結局「自立支援医療」=「精神32条の改正」と言っているようなもの。「なんだかなぁ・・・」と感じてしまったのは、事実。
さて、そんな思いもあってまずは説明・・・と言っても、このblogでイヤと言うほど「障害者自立支援法」を取り上げているから、知らないわけはないけど、とりあえずは話を聞くことに。そして「医療保険」の面について今後の状況(退職→国保加入予定)について話すと、パソコンで所得(所得税)を調べられた。最初は自分単独で調べられたけど、国保に加入することになると、父親の所得税も合算して計算されることになるため、父親の所得税額も調べられた。その結果、自分は「中間所得2」(2万円≦市町村民税<20万円)に該当することに。一応は、障害者自立支援医療の対象になることに。また上限設定が必要かどうかもあわせて確認されたが、1割負担になったときの医療費計算をしたら、中間所得2の重継(重度かつ継続)における負担限度額(10000円)に達しないこともわかったため、自立支援医療の申請書と自立支援医療に関する診断書をもらうことに。結局上限額に達しないのであれば「重度かつ継続」の診断書を書く必要もないため、書類は2種類になることに。

と言うわけで、この書類のお世話になるかどうかはまだわからないけど・・・とりあえずは「負担軽減」と言うことを考えたら、申請だけでもしておこうかなぁ・・・と考えている状態です。

2006.03.29

「バリアフリー」と「非バリアフリー」

今日はグループとしては最後の外出行事。最後に行ったのは・・・ボウリング。
いや、普段のレクリエーションでもボウリングをすることはあったけど、今回は「本当」のボウリング。前の職場では「余暇活動」としてボウリングの引率をしていたけど、その時は全員歩行できる人。そして知的レベルも中軽度の利用者。だからボウリングそのものはなりなっていた。しかし今回は以前いた職場のような状況とは環境が違う。だから果たして上手くいくのか・・・と言うのが懸念材料。

今を遡ること、1ヶ月前。グループ担当職員で「3月に外出をしたいよね」と言う話になり、とりあえず3月に外出行事を組むことは決定。しかし詳細は未定のまま、数週間が過ぎ、取りあえず練った案が「ボウリング」とのこと。以前ボウリング場に行ってやったことがあるとのことだったので「あ、そうなんですか。じゃ、それで行きましょう。」と言うことになり、ボウリング場を予約・・・のはずだった。ところが今まで使っていたボウリング場に下見に行ったところ、想像以上にバリア(段差)があることが判明。今回は車椅子の利用者もいるので、車椅子の利用者が入れなければ意味がない。そのことを聞いてとっさに思いついたのが、ラウンドワン。あそこだったらほとんどのお店はエレベーターがついているし、レーンとウェイティングゾーンがフラットであるため段差は全くない。しかし、施設から近いラウンドワンって・・・と言う状態。自分の家からは車で20分ぐらいしたところにラウンドワンがあるのだが、施設からは「???」と言う状態。そのため、ボウリング場探しからスタートすることに。色々とネットでボウリング場を探してみるが、なかなか見つからない。そして施設から比較的交通の難がない場所に実踏に行って確認もしてきた。ただ、春休み期間中に入ってしまうためか、予約でいっぱいの状態。あぁ、ダメなのか・・・と思い、「可能な限り行けるボウリング場を・・・」と思い、今まで施設が外出行事で一番遠くまで行ったことのある施設を基準に地図をプリントアウトし、施設から最遠距離を同心円状に囲み、園中にあるボウリング場をマーク。
すると・・・あ、なんとラウンドワンがヒットしたではないか!!!

下見をした翌日、下見をした場所は予約で無理だったがラウンドワンが行動範囲内にあることを報告。
それを元に、常勤の職員さんが休日を使って実踏。そして時間的にも問題なく、また車椅子利用者の面でも問題なく、そして予約も問題なかったため、ラウンドワンに行くことに決定!そう、ここが見事「ビンゴ」だったんですねぇ。

ボウリングのレーンとウェイティングがフラットになっているのは知っていたけど、今回行ったところは身障者用のトイレがかなりゆとりを持って作られていた。そのため大きい車椅子も問題なくスムーズに入ることができ、利用者のトイレへのトランスも施設と同じように行うことができた。そしてスペースが広いため、トイレ内で着替えをすることもできた。そういった意味では、色んな意味で「バリアフリー」が整っている施設だったなぁ・・・と改めて実感。

一方で、ボウリング終了後に行ったレストランでは、全然バリアフリーではない。
と言うより、スタートの時点でつまづいている状態。予約の人数を間違えているし、事前注文したのにもかかわらず、全然料理が出てこない。不手際が多すぎる・・・って感じ。去年の華屋与兵衛とは大違い。そして何より大変だったのが・・・トイレ。入り口は一応車椅子でも入れるようにスロープは作られているものの、身障者用トイレはなし。トイレの大便器のスペースが若干広め・・・だけれども、車椅子のままでは入ることができない。そのため、自分がとった手段は・・・利用者を抱えて、そのままトイレにイン。できる限りトイレに近いところまで車椅子できてもらい、そこから自分が利用者を抱えてトイレの中へ。もちろん、自分も体がデカいため、非常に入りにくいし、ドアにぶつかってしまう。利用者には「あぁ、ごめん・・・ぶつかっちゃって・・・大丈夫?」と聞きながらの状態。当然ラウンドワンのように1人で行うことはできず、2人で行う状態でした。(ぶっちゃけ話、車椅子の利用者は2人で行ったのですが、その利用者が同時にトイレを訴えたため、1人は車の中で外から見えないようにしての非常手段、そしてもう1人を自分が抱えあげて行ったのです・・・ハイ)

今日1日の外出で「バリアフリー」と「非バリアフリー」をまざまざと実感した日。
そういえば学生時代に「バリアフリーマップ」を作る時に、偶然車椅子を利用している人がいて、事情を説明して話しを聞かせてもらったことがあった。その時に印象に残っている言葉が「バリアフリーが、また新たなバリアを生む」ということ。(詳しくは「Web diary」過去ログで。)今回はまたちょっと違うけど、形だけ整えても中身がなっていなければ、結局それは「バリアフリー」ではない。外見上のバリアフリーはもうたくさん。やるんだったら、もっと徹底的にやって欲しい・・・と思った、今日の外出でした。

2006.03.28

とりあえず、形に残した

なんだかココログのメンテナンスで今回も更新が難しそう・・・な感じ。
もしかしたら・・・また更新できないのかも・・・(ー_ー)!!

まぁそんなことはお構いなし(?)に取りあえず打っていきましょう。
残すところ、今週のみ。あとは明日と金曜日に出勤したら、それでおしまい。ただ自分が辞めることに関しては、わずかながら「反応」があるのは事実。利用者から聞いた話では「Mitakeさんにもう少しいて欲しかった」との声も聞こえたし、今日直接あった保護者の方からは「えぇ?そうなの?ここがイヤになったの?(笑)でも一気にいなくなっちゃったら、誰が見てもらえるのかしら・・・」と、若干社交辞令が入りながらも、わずか1年ばかりの自分のことを「惜しい」と思ってもらえるのは、この仕事をしていて本当にありがたいことである。

またそれは一緒に働いてきた職員さんからも言われた。
自分と一緒に働いてきた職員さんも、この4月に異動。今の施設は基本を「グループ制」で行っているので、4月になると一気に2人もいなくなってしまう状態。この状態には正直悩んだけど、でも自分自身の道もあるから、本当に「断腸の思い」で結論を出した。一緒に仕事をしてきた職員さんには本当にお世話になったし、その職員さんが色々とフォローをしてもらえたから、何とか1年間持つことができた。本当に入職して早々に襲われた病気で、完全に自分は自信をなくしていたし、もう自分は仕事ができないと思っていた。途中少しは盛り返した時期はあったけど、それでも9月ごろには「もう限界かなぁ・・・」と感じることは何度もあった。でもそのたびに「とりあえずはあと3ヶ月頑張ってみよう」と自分を鼓舞しながら、何とか3月まで来ることができた。本当にこの1年間は「何とか乗り切った」と言う表現がピッタリだ。

でも一緒に仕事をした職員さんからは「Mitakeさんのおかげで色々とできたよ。利用者もよく見てもらったし、本当に助けてもらったよ」とのこと。自分は本当に何もしていない。ただ、そこに「利用者」がいたからやっていただけのこと。何にも助けてもらっていないし、逆に自分のほうが色々と励ましてもらってきた。もっと言えば、この職員さんがいたから3月まで仕事をやり遂げることができたのだと思う。

ただ、やっぱり自分はこの仕事に「就くべくして就いたんだなぁ」と感じることが。それが、今日のこと。
今日はプールに同行で、4月から異動になる、一緒に仕事をしてきた職員さんとの同行。利用者2名に対して職員2名、つまりマンツーマンで対応をしていた。自分も1年間生傷を作りながら接してきた利用者と「最後」のプールを楽しんだ。そしてプールから上がって着替えている時に、職員さんがふとこんなことを漏らした。

ホント、Mitakeさんにまたこの世界に戻ってきて欲しいよ。今までは「指導」と言う感じで「楽しむ」という感覚はなかった。でもMitakeさんの「楽しい」って言うのはすごく大事だと思うよ。今日のプールも利用者さんと楽しみながらやっていたし、利用者も楽しそうだった。施設の中でも利用者とハイテンションになって楽しんでいる姿ってすごくいいなぁ・・・って思った。今までそういう考えがなかったから、Mitakeさんは貴重な存在だと思うよ。だからまたここに戻ってきて欲しいよ。

いや、ここまで言われたのは初めてのこと。前の職場では叱咤激励・檄が飛んでばかりの仕事だった。主任さんからも色々と言われながら「叩き上げられてきた」状態だった。その中で自分が掴んだもの、それは「自分が楽しくなければ、利用者も楽しくない。楽しくなければ、仕事は続かない」と言うことだった。だから自分がこの施設に来て大切にしたいと思ったことは「楽しく過ごしたい」と言うことだった。施設種別はどうであれ、自分が楽しくなければ利用者だって楽しくないし、イヤになる。だからいくら成人施設といえども「遊び」は大切である。我々だって遊んでいるのだから、利用者だって遊んでいいはず。他の職員さんからは「歳相応のことをしてください」といわれることがあったけど、「歳相応」って一体なんなの?と思うこともあった。たしかに歳相応の対応は必要だけど、「歳相応」と「利用者の快」は別次元の問題。歳相応の対応じゃなくても、その対応が利用者にとって「快いもの」であれば、それはそれでいいのではないのかな・・・と感じている。もちろん作業的要素・訓練的要素は必要だけど、あくまで今の施設は「デイサービス」を提供する場であって、更生施設ではない。デイサービスで一番大事なことって言うのは、その日を楽しく過ごすことなんじゃないのかなぁ・・・と感じている。だから今までの自分の支援方法に賛否はあると思うけど、自分は決して間違った支援はしていないと感じている。

ちょっとうれしい言葉をもらえて、この仕事をやって来て良かったなぁ・・・と改めて実感。
そしてやっぱり自分が感じた事・・・それは「来るべくして、この仕事・この世界にやってきたんだ」ということ。つまり、自分にとって「福祉の仕事」は天職以外の何者でもないと言うことだと思う。もちろんこの1年間、心の底から「楽しい」とは思えない日もあった。気持ちが落ち込んでいても、無理やり自分の気持ちを奮い立たせて「楽しい」を演じていた自分もいた。だけど、今の自分は心の底からこの仕事を「楽しい」と感じることができる。この1年間は激動の1年だった。失ったものもあったけど、得るものもあった。そして、改めて自分の進むべき道を見つけることができた。そういった意味で、この1年間は本当に貴重な1年だった。

そして唯一自分が「形」として残したものが、これ。
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「スキルスクリーン」と言うビーズ細工。やり方を教わりながら、ビーズの順番のセッテングを行い、利用者にやってもらった。本格的に始めたのは去年の5月。利用者の共同合作で、3月にすべてのビーズを通し終えた。そして最後の仕上げは、自分がすべて行って、今日完成した。これだけが、唯一自分が「やった」と言える、作業活動。まさか1年間で終わるとは思っていなかったし、自分のいる間に完成形が見れるとは思っていなかった。だから完成した時は、ちょっと嬉しかったので、記念撮影をしました。

何か形に残して終わって生きたい・・・目に見える形では残したけど、あとは利用者の心の中に何かが残ったのか・・・それは、最後の日になってみないとわからないかも。
とりあえずは、明日はグループとしての最後の外出行事。みんなで思いっきり楽しみたいと思います。

2006.03.27

急ピッチの作業

今日は有休。久しぶりに「何にもない」有休でした。今までは大体「~に行くため」とか「通院のため」とか、何かしら都合があったけど、今日は完全に都合無しの状態。そのため起きた時間も11時半と、だいぶ遅め。まぁたまにはのんびりするのもいいでしょう。
ただし、夜にパニックになってしまったのは、ちょっと想定外だったけど・・・あぁ、心の弱さかな・・・((+_+))

だから今日は特にこれと言って書くことはないんです。
強いて言えば、就職活動の書類を作って郵便局から送った程度。基本的にある程度の道筋はできていた。履歴書もだいぶ書きなれたし、職務経歴書も志望する就職先にあわせて、内容を上手く改編したり・・・と、職務経歴書自体のベースは出来上がっているから、これに関しても特に問題なし。履歴書に書く「志望の動機」も最初は漠然としていたものを整理して文章化することによって、何とか志望動機も書き出すことができた。だからだいぶ「書類作成」と言う点では慣れてきた。

ただし、これ以外の書類を求められると、ちょっと大変。
特に大変なのは、小論文。たしかに専門学校時代にイヤと言うほど通信のレポートを書いているから、ある意味「書きなれている」ことは確かだけど、いざ目の前にして課題を突きつけられると「ほぇ?」と言う状態。言いたいことは頭の中で出来上がっているけど、いざそれを文章に起こすとなると、これがまた一苦労。さらに専門学校のときは先生に添削をしてもらえたけど、今となっては誰も添削してくれる人はいない。まさに、自分自身を信じるしかない状態。だから提示された「課題」に対して適切に答えられているか・・・と言う部分では、不安があるのは事実。

とはいえ、その課題を先送りすることもできないので・・・時間のある今日に、一気に作成。
本当は履歴書を作ってから書こうと思ったけど、履歴書を書いているうちに「志望動機」を考える上で「小論文」を先に作った方が志望動機を考える上ではやり易いのかな・・・と思い、履歴書をある程度書き終えた段階で、小論文に移行。最初は手書きで書こうかなぁ、と思ったけど・・・自分、字が汚いし、求人票には「パソコンを使って文書作成ができること」と言うのがあったので、ここはあえてパソコンで作ることに。パソコンで作れるメリットは、間違えた時に簡単に修正できる、と言うこと。それと文字数が合わなくなってきた時に微調整が簡単に可能、と言うこと。ちなみに専門学校時代の通信レポートもパソコンを使って作っていたため、その点に関して全く支障なし。支障があるのは、課題に対する文章の内容だけ・・・(>_<)

ただ、そのことに関して何時までも悩んでいても、しょうがない。
なので、できた時点で「よし、これで行こう!」とズバっと決断。そのまま職務経歴書と資格登録証を印刷して、すべての書類をそろえて、郵便局へ。あとは、結果待ち。

正直、今回応募した場所はかなり自分にとっては興味のある内容。できれば・・・そこに就職したいなぁ。
ちょっと自宅からは遠いけど、それでも「やりがい」と言う点ではありそうな仕事であり、自分の経験も少しは活かせそうな仕事。ここはぜひとも、合格したいなぁ・・・。

2006.03.26

「思い」=「仕事」ではない。

今日の起床、正午。普段なら11時にメール配信があるけど、今日は全く気づかず。
ふと枕もとの時計を見たら「11:45」の表示。「あれぇ?メール着信の音、鳴らなかったけどなぁ・・・」と思いながら、15分後に起床。そしてメールを見て、鳴らなかった理由が判明。昨日の面接の時に変に着信があるとマズイ・・・と思い、ドライブモード(今は「公共モード」と言うらしいけど・・・)にしており、ドライブモードを解除せずにそのままにしていたために、ケータイがならなかった。そのため着信そのものはあったけど、ドライブモードだったためケータイは反応無し。
そっか・・・そういえば、昨日ドライブモードにしたな・・・すっかり、忘れていたよ。

起きてドライブモードを解除し、下の居間へ。誰もいない。そういえば昨日の夜に母が「病院に行っているかもしれない。プルセニドを飲んでいるからわからないけど・・・」と言っていた。でも「いない」と言うことは、たぶん病院に行っているということだろう。さらに「今日はお昼をつけ(=食事介助)に行くつもり」と言っていたので、ちょうどお昼の時間だと思い、一応母にメール。すると30分後に電話があり「お昼食べてないから、なかなか帰りそびれて・・・迎えに来てくれない?」とのこと。自分もお昼を食べていなかったので、迎えに行くことに。
でも実はそれを期待して外でお昼・・・いや、くら寿司で食事することを目論んでいた部分もあったかもしれないが・・・(^^ゞ

ただ迎えに行くと結構色んなことを母なりにやったみたい。食事介助のほかにも、トイレ介助も挑戦してみたとのこと。一度「あなたもできるようになると、わざわざナースやワーカーを呼ぶ必要もなくて楽だね。」と話したことがあったけど、自分なりに実践してみたみたい。うん、自分自身も障害を持ちながらトライしようする心がけは、良いと思う。ただトランスはやったことがないので不安とのこと。なので、その場面だけは付き合うことに。元々体力に不安のある母であるため、ちょっとトランスにはなれていない部分があったけど、でも今まで自分が祖母をベッドから車椅子へ、車椅子からベッドへトランスしているのを見ているためか、自分が思っていたよりかはスムーズにできていた。一応自分も今の職場で初めて「介護業務」携わったため、今までは「知識として知っていたこと」を実践している今のほうが、「介護」と言う部分ではやり易い。対象が違っても、基本的な方法論は同じだから、それを元に祖母に対しても行うことができるし、母に助言することもできる。今日もトランスの考え方や方法についてアドバイス。まぁもちろんいきなり全部をするのは難しいと思うから不慣れがあるのは仕方ないし、母親自身も障害を持っているからあまり無理を強いることはできないけど、ただできる範囲でやろうとする行動力は、子どもとして、そして福祉に携わるものとして評価していきたい。

ところで祖母に会いに行くと、毎回のように「(俺の名前は)だれ?」と「(俺は)(の仕事を)やっているの?」を聞く。入院当初は自分の名前を言うことができずに「あぁ、もう終わりかな・・・」と思ったけど、摂食が摂れるようになってからはだいぶ回復。話もできるようになり、当初は表情もなかったものが、ここ最近はたまに微笑んだような表情を見せることもあった。ただ、自分が何の仕事をやっているかはわかっていない様子で、入院前は頻繁に「病院で仕事しているの?」と聞かれて「違うよ、介護のお仕事をしているよ」と話していたけど、入院後、会話ができるようになってからはオイラの仕事内容は二転三転する。最初は「パン屋」と何の脈略もない職業名が。ちなみに「パン屋」は兄貴の職業であり、うちの兄貴が祖母にとって最初の「初孫」であったため初孫の仕事はよく覚えているんじゃないのか・・・と言うのが母の推測。その後しばらく「パン屋」が続いた後は「歯医者」との答え。たしかに口腔衛生状態がかなりひどい時に自分が口腔清拭を行ったことがあり、その印象が強いためか、たぶん「歯医者」と言う答えになったのだろう。そしてその後は「耳鼻科」との答え。これに関してはどうして「耳鼻科」になったのか、全くわからない状態。そして今日の答えは「リハビリ」との答え。うーん、これはまんざら間違ってはいないのかも・・・仕事上では「機能訓練」で利用者と接することも会ったし、祖母と会ったときはADL向上のために簡単なリハビリテーションも行っていた。本当にやっていることは簡単、左右両方の手を片手ずつ上げてハイタッチを交互に10回ずつ、その後に足踏みを10回、最後にキックを交互に10回ずつ・・・とベッドサイドや車椅子の上で簡単なリハを行っていた。たぶん今はその印象が強いから「リハビリ」と言う答えになったのだろう。

ただ、元々自分が祖母に対してこういった働きかけを行おうと思ったのは、そういった取り組みが行われていないから。
ワーカーは「○○さんは、よく自分で動いていますよ」と言っているけど、ただ単に本人に任せるだけではやっぱり限界がある。かといって病棟にPTなりOTが来ている気配もない。と言うか、RHを施している気配すら感じられない。この状態が続けば廃用性症候群になることだって十分にある。いくらベッドから起きて車椅子に移乗していても、何もしなければ機能は低下する。それだけは防ぎたい・・・との思いから、せめて自分が面会に行った時だけでも簡単なRHを行いたい・・・と思って実践しているのが、ハイタッチ・足踏み・キックの3種類。専門家じゃないから専門的に行うことはできないけど、ただ「福祉従事者」としては、可能なことはやっぱりやっていきたいと言うのが思い。なので、面会に行った時はそれを実践している。

しかしその「思い」が必ずしも「仕事」に直結するものではない。
本来であればこういったことは病院でしっかりとやって欲しい。しかし現状としてはそこまで手が回っていないのが現実。このことは祖母が入院している病院だけではなく、すべての高齢者関係の病院・施設で存在している問題だと思う。自分としては「介護に追われている」と言う仕事はやりたくいないし、それだけじゃ「心の通い合い」が少ないと感じる。日々の業務が「介護中心」と言うのは、正直自分には考えられない・・・いや、仕事上選択枝にないもの。今の仕事もトイレ介助やオムツ交換、更衣介助や食事介助の介護的要素は含んでいるけど、それだけが仕事じゃない。作業支援や機能訓練、レクリエーションや散歩など介護だけが仕事じゃない。だから続けていられたんだと思う。もし介護だけに追われる仕事だったら、きっと1年間も長続きしなかっただろう。そこには「心の通い合い」があったからこそ、仕事が続けられたんだろう。

だから一概に「相談員の仕事」と言っても、結局利用者との「通い合い」がなかったら、自分はその仕事にやりがいを感じないかもしれない。たしかに相談員・ソーシャルワーカーとしての仕事はしたい。だけどその大前提にあるのは「利用者との関わり合い・心の通い合い」があるのだと思う。今まで約3年間働いてきた施設にはそれがあった。でも今自分が面接を受けている施設に関しては、それを見出せていない現実がある。そういった意味で「思っていること」が必ずしも「仕事」に直結する現実ではないことは事実だと思う。正直、3年前の自分だったらそんなのお構い無しにどんどんとやっていただろう。しかし3年間の経験を経て感じたこと、それは「利用者と関わり合いを求める仕事をしたい」ということ。相談員でも当事者と関わり合いのある仕事だったら、たぶんやりがいがあると思う。ただ事務的な仕事ばっかりだったら、自分はその仕事に「面白さ・楽しさ」を感じないだろう。もっと言ってしまえば、自分はネクタイ締めてスーツ着て行う仕事は向いていないだろう、と言うこと。TシャツにGパンの格好で利用者と同じ視線で行える仕事に、きっと楽しさを感じるのだろう。やっぱり、自分も楽しくなければ仕事は長続きしないだろう。そういった意味で、今回の求職活動はかなり慎重になっている。自分が納得してできる仕事でなければ、何時まで経っても求職活動は続けていると思う。

祖母へのRHの取り組みはもちろん「身内だから」と言うのもあるかもしれない。
でも本当は身内だけじゃなくて、全員にやって行きたいくらいの気持ちである。しかしその思いは必ずしも仕事としては直結しない部分もある。いかに自分の「理想」に近い、自分の考えに近い職場・仕事を見つけられるか・・・それができるまで、自分の求職活動は終わらないだろう。

2006.03.25

コトバ★「授産施設その3」

本日のコトバは「授産施設」の第3弾。昨日の「わからん施設」と言うのが、これだったのです。
取りあえず今日は面接に行きましたが、何ともいえない感じ。いや、別に良い・悪いということではないのですが・・・今まで一応は「施設」(ハード面)に恵まれていた部分があったので、今回の場所はちょっと「・・・」となる感じだったのです。(いや、一応設置している法人は有名な法人なんですけどね。)
で、どうして「・・・」となったかと言うと、その「秘密」が今日のコトバに隠されているのです。

授産施設には色々な種別があるということは「コトバ★授産施設」で触れましたが、今回は「知的障害」の分野に限って取り上げたいと思います。基本的に施設に関する定義は各々の法律(身体障害者福祉法・知的障害者福祉法など)によって決められていますが、その詳細については「規則」や「省令」などで決められています。そして知的障害者授産施設の詳細についても「知的障害者援護施設の設備及び運営に関する基準」(省令)で定められています。知的障害者授産施設では、この省令においては次のように定められています。

第四章 知的障害者授産施設
(種類)
第46条 知的障害者授産施設の種類は、次の各号に掲げるとおりとし、その定義は当該各号に定めるとおりとする。
1 知的障害者入所授産施設 知的障害者授産施設であって、第二号に規定する知的障害者通所授産施設及び第三号に規定する知的障害者小規模通所授産施設以外のもの
2 知的障害者通所授産施設 知的障害者授産施設のうち通所による入所者のみを対象とするものであって、第三号に規定する知的障害者小規模通所授産施設以外のもの
3 知的障害者小規模通所授産施設 知的障害者授産施設のうち通所による入所者のみを対象とするものであって、常時利用するものが20人未満であるもの

(規模)
第48条 知的障害者授産施設は、次の各号の区分に従い、それぞれ当該各号に規定する規模を有するものでなければならない。
一 知的障害者入所授産施設 30人以上の人員を入所させることができる規模
二 知的障害者通所授産施設 20人以上の人員を入所させることができる規模
三 知的障害者小規模通所授産施設 10人以上の人員を入所させることができる規模
2 知的障害者授産施設(知的障害者小規模通所授産施設を除く。)は、当該施設と一体的に管理運営を行う通所による入所者の支援を行う施設であって入所者が二十人未満のもの(以下この章において「分場」という。)を設置する場合は、5人以上の人員を入所させることができる規模を有するものとしなければならない。

つまり、利用者の人員や入所・通所によってその種別は違ってくるのです。さらにこの分類は単に人数や入所・通所だけにかかわるものではなく、種別によって「施設」として設けなければいけないものが異なってくるのです。言葉で書くと長ったらしくなるので、こう言うときは「表」にまとめます。

  知的障害者入所授産施設 知的障害者通所授産施設 知的障害者小規模通所授産施設
入所人員 30人以上 20人以上 10人以上20人未満
居室    
静養室  
食堂
浴室    
洗面所
便所
医務室  
作業室又は作業場
作業設備  
更衣室  
調理室  
相談室  
運動場  
会議室  
宿直室    
指導室    
事務室  

ちなみに「居室」と「静養室」の違いですが、居室の場合は「生活の場」としての意味であり、静養室の場合は「寝台又はこれに代わる設備」を備える部屋のことを指します。

さて、上記の表を見てもわかるとおり、同じ「知的障害者授産施設」でも、施設種別によって設備内容に大きな差があることがわかると思います。特に「知的障害者通所授産施設」と「知的障害者小規模授産施設」では設備基準に雲泥の差があることがわかると思います。さらにそれぞれの施設種別の基準においては、次のような「但し書き」があります。

ただし、他の社会福祉施設等の設備を利用することにより当該知的障害者入所授産施設(知的障害者通所授産施設・知的障害者小規模通所授産施設)の効果的な運営を期待することができる場合であって、入所者の支援に支障がないときは、次の各号に掲げる設備の一部を設けないことができる。

つまり100%これらの施設を用意しなければいけないのではなく、他の設備を使うことによって利用者支援に支障を来たさない場合は、その設備の設置を省略できる、と言うことを意味しています。だから・・・例えば「運動場」の場合、仮に運動場がなかったとしても施設の敷地を使って運動することができる場所を提供できるのであれば「運動場」として特に設置する必要はないと言うことを意味しています。
となると、施設によっては様々な都合によって「一部を設けない」と言うことができてしまうので、実際にはこの基準以下になることもあるのです。(もちろん、表向きには「これが代替のものです」と説明できるようにはなっていますが・・・)

さて、今日私が面接に行ったのは「知的障害者小規模授産施設」でした。ですので、前職の「知的障害者通所授産施設」に比べたら施設のハード面では大きな差があることがわかると思います。正直「入所者19人なら、いっそのこと20人にしちゃえばいいのに・・・」と思っていましたが、実は「19人」と「20人」の間には「施設設備基準」の点で大きく異なってしまうことがわかると思います。そのため、今までハード面で整った施設で働いていた自分にとっては「・・・」となってしまったのです。もちろん前職の「知的障害者通所授産施設」の時も関連法人事業で法外の「小規模作業所」を運営しており、そこに何度も足を運んでいたので、そのような施設がある実態は知っていましたが、いざ自分がその場に目の当たりになると「・・・」と言う状態でした。いや、別に働くことはできると思うのですが、「働きにくさ」と言う部分はあるかもしれません。もっとも、まだ採否すら決まっていない状態での話なので単なる「空論」に過ぎないのですが・・・

2006.03.24

わからん施設?

退職1週間前、今日利用者にはその報告をした。あわせて、職員の人事異動のことも。
ただ自分が思っていたよりも反応は過剰ではなく、むしろ「取り越し苦労」だった感じもある。ただ意外と本音をこぼさないタイプでもあるので、実は後々になって尾を引いていたりして・・・まぁいざと言う時はネットがあるから、そっちで対応をしましょう(^_^;)

で、今日は急遽午後休をもらい、飯田橋まで。昨日の段階でハローワークのHPに気になる求人があったので「仕事の方が支障なければ・・・」と思い、午前中だけ仕事をしてから行くことに。本来ならば今日は行く予定じゃなかったけど、以前の「求人票抹消」の件があるから「少しでも気になったら、即行動!」と考え、急ではあるけれど休みをもらい、行くことに。

ハローワークでの紹介は、一昨日してもらったばっかり。その求人に対しては2日間の間に紹介状発行枚数が10枚以上に。単純計算で、その求人に対して1日当たり5人が紹介を受けている状態。今の時点でその求人には65人程度紹介状を出しているということであり、求人締切が今月末であることを考えると・・・残りの1週間で紹介状を発行する枚数は試算で30枚。ハローワーク経由の紹介は、おおよそ100人。さらに福祉人材センターにも同じ求人が出ているから、さらに倍して200人。そしてハローワーク・人材センター以外経由で応募する人も考えると、最終的には250から300人程度に達する可能性あり。単純に、倍率250~300倍・・・うーん、難しい(*_*)

もちろんこれを待っているわけにはいかないので、行動できる部分に関しては、即行動。
この前の一件について話したら「そうだね。気になる求人があったら、すぐに動いた方がいいね」とのこと。ちなみに今日の相談員さんは結構色んな話を聞いてくれて、今の自分の現状のことについても色々とアドバイスをもらえたので、気分的には結構楽に相談することもできたし、色んな話をすることもできた。なので今日はどちらかと言うと「当たり」の日だったような気がする。

そしていざ、求人先にアポイントメント・・・ところが、その返事は「今日、来れる?」とのこと。
さすがにこの返事には相談員さんも驚いた様子で「ちょっと待ってください・・・」と保留する状態。もちろん自分もそんなことを言われるとは思ってもいなかったので、履歴書はおろか職務経歴書も準備できていない状態。さすがに「今日来て」といわれても無理としか言えない状態。どんなに頑張っても、最短で明日、余裕を持たせてくれるのであれば月曜日・・・という状態だった。すると先方の返事は「じゃ、明日来て欲しい」とのこと。どうやら新年度で採用をしたいらしく、かなり急いでいる様子。ただし、求人票には「急募」の文字は一切なし。さらに求人を受け付けたのは一昨日のこと。一昨日の時点でこの求人は上がっていなかった。つまりこの求人が正式に登録されたのは、昨日のこと。昨日の今日ですぐに来い・・・って、結構無茶な話。まぁそれでも求人先は自宅から近いから特に問題はないけど、それでもあまりにもあまりに・・・って感じの状態。

さらに今日は求人内容の具体的な確認も含めていったけど、結局あんまり成果はなし。
と言うより、求人票を見て余計に訳がわからなくなってしまった。「授産施設」なのに、4週7休制。なのに、利用者に関しては「土日休み」との案内。ってか、授産施設なら利用者がいなければ話にならないはず。利用者がいないのに、職員だけ出勤して授産活動・・・って、それって「授産施設」としての役割じゃないような気が・・・さらに利用者の来る時間は固定されているのに、勤務体系はシフト制。それも1カ月おきに。これも良くわからない。さらに年間休日日数が80日程度と、完全に「4週7休」ベースでの計算。夏季・冬期休暇はないの?って感じだし、有給休暇のことに関してんも一切触れずの状態。そして普通に考えれば基本給に対して変化があるはずの「調整手当」や「特殊業務手当」が固定されているのも、気になるところ。ますます求人票を見て「???」となった状態。
ただわざわざ遠くの施設まで通うのは体に負担だし、自分や経験した分野に飛び込むほうが、気分的には楽。待遇面に関してはまだまだ疑問はたくさんあるけど、とりあえずは応募することに。そして自宅に帰ってからは急ピッチの作業。履歴書用の写真が1枚しか残っていなかったため、急遽焼き増しのオーダー。さらに施設の場所の確認も行って、職務経歴書と履歴書を急いで作成。人間、追い込まれると何とかなるもので、必至こいて1時間半ですべての書類が完成。後は、とりあえず明日の面接を受けることに。待遇面に関しては、とりあえずは面接の結果次第で話を詰めていくことに。まだどうなるかわかっていない状況下で待遇面などの話をするのは、ちょっと先走りすぎ。とりあえずは、ある程度方向性が決まってから具体的な話をすることに。それから就職するかどうかを決めても遅くはない。やっぱり、今の自分の状況からは「妥協せずに、納得できる場所で仕事をしたい」と言うのが本音だから、その部分だけは慎重にやっていこう・・・というのが、今のスタンス。

まぁ何はともあれ、急転直下の状態。よく訳のわからない施設だけど、取りあえずは行って見ましょう。

2006.03.23

徐々に身体症状が・・・

ここ最近、身体症状が多く現れているのは、気のせいかな?
昨日・一昨日・一昨昨日と身体症状が現れているのが現状。昨日は特養の面接などから今後のことを考えるとかなりの緊張状態に陥っており、お風呂に入るのもかったるい状態。吐気も催しており、パニックとは違うけど、ちょっと身体的には厳しい状態。一昨日・一昨昨日に関しては完全なパニック症状が表出。こんなに身体症状が連発しているのは、今までになく稀なこと。ワイパックスが上がった時は比較的症状が抑えられてよかったかな・・・と思ったけど、今に関してはかなりボロボロの状態。ちょっと大丈夫かなぁ・・・と言う感じ。

そして今日・・・今日はパニックのような、パニックでないような・・・と言う感じ。
出勤時は極度の緊張感からか吐気・胸やけ感を感じる状態。パニックではないけど、精神的な部分から完全に現れている身体症状。そして帰宅時は、職場を出て直後に襲ってきた「パニック」。何だろう・・・別に仕事が苦になっているわけじゃないけど、でも何か「アクション」を起こした後にパニックを起こしているケースが多く感じる。

「行動」としての「アクション」もさることながら、「環境変化」としての「アクション」でも起きているような・・・
実は今週の月曜日に人事内示が出たのと同時に、自分に対しては「産休代替非常勤から常勤的非常勤への打診」があった。既に1月の段階で契約終了の告知があったけど、今回の打診はこれを根底から覆すもの。正直、この打診には悩んだ部分が合った。利用者の「激変緩和」と言う点を考えれば、自分が残ることはベターな選択なのかもしれない。また自分自身の「環境変化」と言う点でも落ち着かせることのできることであり、決してマイナスではない。しかしながら元々この職場を選んだのはOTの学校に通いながら学費などを工面することのできる職場として選んだ場所。そのため、雇用立場上は「パート職員」であり、経済的には安定しない。事実、前職(正規職員)の時に比べたら、収入は4割減。今は学校のことを考えなくていいから時間帯などは気にする必要はない。むしろ今度は再び「安定した収入」を目指していく必要がある。そのことを考えると、今の立場で仕事を続けていくことは今後のことを考えるとあまり望ましくはない。また今の職場で働く上での「前提」がなくなった以上、続ける意味もない。そして今の職場でいることは精神的には「仕事の内容がわかっている」と言う意味では安定するかもしれないけど、一方で「パニック障害」を隠し続け、それを引きずったまま仕事をしていかなければいけないことも事実。さらに、1月の契約終了予告を受けて、有給休暇も消化しているため、今更「続ける」と言っても、今年の残り有給日数は数日程度。そう考えたら「残るメリットは少ない」と考えたため、この打診を辞退することに。そしてこのことを、上司にも伝えた。

きっと朝の極度の緊張、そして帰りのパニックは、このことが要因になっているのかなぁ・・・と感じる。
結構今まで辛抱強く犯ってきた部分もあったけど、やっぱりいざとなると精神的なもろさ・弱さはものすごく露呈している。もちろんネットを見る限りでは「パニック障害は病気であり、気の弱さなどが原因ではない」と書かれてはいるものの、やっぱり自分は精神的に弱いのかなぁ・・・と感じる。それが、結果として「身体症状」として現れている。

さぁ、明日もまた少し気を張らなくちゃいけない場面がある。うーん、乗り越えられるかなぁ・・・

2006.03.22

しばらく乗らないうちに・・・

今日は特養の施設見学&書類提出のため、年休。
と言っても、約束の時間は朝の9時半。でも実際は施設まで行くバスの本数が少ないため、予定よりも30分以上早く行くことに。結局、普段の生活と全く変わらず。普段よりちょっとだけ起きるのが遅くて済む程度。

それにしても、今日の見学先は「鶴川」。
まだモノレールが開業する前までは別経路から路線バスに乗って鶴川まで行っていたけど、モノレールが開通したことにより、計算のできるダイヤが完成。モノレールから小田急線に乗り換えて、鶴川まで行く経路が完成しているため、路線バスを使うよりも確実に行くことができるように。そういえば鶴川に行くなんて、もう何年ぶりだろう・・・最後に行ったのは高校1年の時。と言うことは・・・12年ぶり。その間、だいぶ環境は変化しているなぁ・・・と実感。

まず1番の変化は、「多摩急行」なるものができたこと。
今までは新百合ヶ丘が発着だったのが、今日乗った電車は「多摩急行 千代田線直通 綾瀬行」の電車。正直「エッ?ここから千代田線に直通電車が走っているの?」と思ってしまった。大体ここ数十年は小田急線自体に乗ることがなかった。だからこの変化にはちょっと驚き。

さらに驚いたのは「快速急行」なる存在。
自分の知っている小田急線は「特急ロマンスカー→急行→準急→各駅停車」の4種類だった。それは今では「特急ロマンスカー→快速急行→多摩急行→急行→準急→区間準急→各駅停車」と種類が増えていること。さらに「快速急行」に関しては新百合ヶ丘を出ると下北沢までノンストップ。都内(一部、川崎市内)を走る電車でこれだけノンストップで運転する電車は、そう多くはない。今通勤で使っている西武線ですら、そんなに長い距離をノンストップで走ることはないだろう・・・この数十年で、小田急線はだいぶ様相が変わったしまったみたい。

「様相が変わった」といえば、成城学園の駅も変わっていた。
通過する電車から成城学園の駅を見たけど、今までは確か「地上駅」だったのが、今では地下駅になっていた。一瞬「あれ?成城学園って、こんな駅だったっけ?」と錯覚をしてしまった。しかしこれも時の流れ。自分が知らないうちに、着実に変化をしているんだなぁ・・・と実感。それに小田急線が複々線化になっていることも、今まではなかったこと。大体今までのパターンでは経堂あたりで電車が詰まることが多かったけど、もうデイタイムだったためか、全然詰まることなくスムーズに流れていった。

あぁ、しばらく乗らないうちに電車は着実に変化しているんだなぁ・・・
やっぱり一番驚いたのは、小田急多摩線に「急行」が走っていること。久しぶりに「この電車で大丈夫かなぁ・・・」とちょっと迷ってしまいました。ただ、無事に現地まで到着できたので、とりあえずは一安心。またどんどんと変化をしていくんだろうなぁ・・・

あ、地元ユーザーの京王線は、もうこれ以上変化はできないでしょう。だって・・・キャパに限界ありだし(^_^;)

2006.03.21

長すぎる、だよねぇ・・・

否応無しにも見てしまう、WBC。準決勝の韓国戦も見てしまったが、やっぱり今日も見てしまった。厳密には「見ながら、聞きながら」の状態。途中外出することがあったけど、その時も車の中でテレビをつけっぱなしにしながら運転。もちろんWBC。そして入院している祖母の病院でも、やっぱりWBC。
でも世界一になれて良かったね\(~o~)/

いやいや・・・そんなWBCにうつつを抜いている場合ではない。
明日は履歴書などを出しに行く日。一応「施設見学」を兼ねてのことだけど、職務経歴書や資格証明書は揃っているものの、履歴書だけがまだ書けていない状態。ただ・・・正直って、履歴書書くのって、一番イヤ。何がイヤかって・・・書くことが多いこと。

まず「学歴」に関して言えば、大学だけならそんなに苦労はしない。しかし自分の場合は「大学卒業」の後に「専門学校入学・卒業」がある。その「専門学校」を事細かに書くことが、面倒でしょうがない。大学ならば「○○大学××学部△△学科」程度で済むかもしれないけど、専門学校の場合は・・・自分の場合は「○○○○○○専門学校福祉教育課程社会福祉学科」(○の中は、ホントの学校名)を入学と卒業とで2回書かなくちゃいけない。これが長ったらしいから、書くので一苦労。

さらに「職歴」で言えば、今自分が勤務しているのは「社協」と呼ばれる場所。正式には「社会福祉協議会」と言う。これ、正確に全部書くのであれば「社会福祉法人○○市(区・町あるいは都道府県)社会福祉協議会」と書かなくてはいけない。さらに自分が所属している部署も書かなくちゃいけないけど、これがまた長い。全部で19文字。そして「産休代替職員」と身分も一応明記。となると・・・今の職場のことを書くだけで、ほとんど漢字で56文字を要する。ちなみに前の職場の場合は同じことを明記するのに35文字で済んだ。だから学歴・職歴を書くだけで一苦労。

もちろん、何事もなく書くことができれば問題ないのですが・・・そう簡単に行くはずはありません。
これだけ長く書かなくちゃいけないのですから、当然ながら「書き損じ」があるのは事実。最初の早い段階で書き損じをしてしまえば諦めがつくのですが、「もう少しで職歴が書き終わる」と言う段階で書き損じをしてしまうと・・・今までの苦労がすべて水の泡。パァです。書き損じをしてしまったら、もう最後。「あー!やってられねぇ・・・もう今日は書けねぇ・・・」となってしまうのです。案の定、昨日・一昨日と書き損じをやってしまい、書き損じをしてしまった時点でその日は履歴書作成はやめてしまいしました。

そして書類を持っていく前日である今日、今日だけはどんなことがあっても完成させなければいけません。
しかし・・・やっぱりやってしまいました、書き損じ。それも誤魔化しのきかない書き損じ。「あ゛ぁ~!やってらんねぇ~!」と、集中力プッツンの状態でしたが、だからと言って書かない・・・というわけには行かないので、夕飯を食べてお風呂に入った後、改めて履歴書作成。今度こそは書き損じのない様に・・・と何度もクールダウンしながら書いていきました。

そして書き始めて45分・・・ようやく、ミスすることもなく完成しました。これで、明日もって行くすべての書類か完成。
でもねぇ・・・そう簡単に就職は決まらないから、まだこれからも何度となく履歴書は書いていくんだろうなぁ・・・もちろん、応募する職種によって履歴書の内容や職務経歴書の内容も変えていかなくちゃいけないから・・・ふぅ、転職活動は大変です、ハイ・・・((+_+))

2006.03.20

恐れていた現実

正直、このことを書こうか、書くまいか悩んだけど・・・一応、当たり障りのない範囲で。

今日、法人人事関係の内示が出た。もちろん自分は非常勤の立場だから関係ないし、3月いっぱいで終了なので全く持って影響はない。ただ1つ言えば、短い期間ながら利用者との間に築くことのできた関係がなくなってしまうことを懸念していた。ただ、それは別に自分がいなくても他の職員との間で関係が成立しているから、そんなには気にしていなかった。「ある条件」の下では・・・

しかし今日、人事内示を聞いて、自分が恐れていたこと・・・というより、避けたいと思っていたことが現実となった。
今回の人事内示よって「ある条件」が崩れてしまった。つまり・・・短い間で関係を築くことのできた人間が2人、4月から一気にいなくなってしまうという現実がある。利用者との関係と「トイレ介助」を中心に、徐々に関係は築き上げられていった。そして最近になってようやく、本心や本音をこぼしてくれるようにもなった。色んな話をするようにもなった。利用者も、だいぶ慣れてきた部分があった。もっとも自分は「1年契約」の立場だからお別れが来ることは避けられない事実だけど、それでも「まだ他の職員がいるから、大丈夫だろう」と思っていた。しかし今回の人事内示で、その職員が異動することになった。もちろん男性職員は他にもいるから業務そのものに関しては影響はないと思うけど、自分が危惧するのは「精神的」な部分。1年間かけて築き上げてきた関係が「企業方針」によって崩されてしまう現実・・・ちょっと、辛いかなぁ・・・と感じる自分。

でもその一方で異動が決まった職員の人とこのことについて話してみたら「うーん、でもこう言うこともまた新たな刺激にもなると思うし、前向きに見て行ったほうがいいと思うよ。」とのこと。たしかに、悲観するばかりだけではなく「新しい世界」に出会うために、そして色んな経験をすることで「社会とはこう言うものなのだ」と言うことを理解していくには、慣れ親しんだ人間が2人いなくなってしまうことも、彼の生活・人生にとっては必要なことなのかもしれない。

人事関係のことで自分の身の回りも少しバタバタしていますが・・・できれば、こういうことは避けたかった。
しかし福祉施設といえども「一企業」である以上、人事異動があるのは当然のこと。だからこれは避けられない事実。あとは、この事実を何時切り出すか・・・だけだな。

お散歩しながら、色々と考えるMitakeであります。
D1000075

2006.03.19

今に始まった問題では・・・

たまたま色んなblogやHPをネットサーフィンしていたら「つながるテレビ@ヒューマン」のblogに出くわした。その中で「ともこ通信Vol.9 ~「苦情急増」編~」として身体障害者用の駐車場に関しての記事が書かれてあった。

自分は番組の内容を見ていないので、何ともいえないが、この件については自分のblogでも何度となく叫んできた。特に毎週土曜に書いている「コトバ」では第1回目の題材として「身障者ステッカー」として、いわゆる「車椅子マーク」について取り上げた。また法的効力を有するものとして「駐車禁止規制除外標章」についても触れました。ただし「当事者」(と言っても、私ではなく母親が当事者であり、私は「介護運転者」の立場ですが・・・)の立場から言わせてもらうと、身障者マークにしろ駐車禁止規制除外標章にしろ、その「恩恵」と言うのはほとんど受けていないのが実態です。いくら公安委員会から「駐車禁止規制除外標章」を交付されているからと言って、やたらどこにでもとめているわけではありません。ハッキリ言って、標章を持っているからと言って都会のど真ん中の幹線道路で標章を理由に駐車しようとは思いません・・・いや、逆に駐車できません。そんなことをしたら、余計に「円滑な交通」を妨げる原因になりますから・・・だれも見得を切って駐車禁止規制除外標章を使う人なんていません。実際問題、一般道路で「駐車禁止規制除外標章」を表示して駐車している車を皆さんは見たことがあるでしょうか?私、ありません。

またこのblogの中で

「良識にまかせておく時代は終わったんじゃないの」

とか

「日本でも規制を取り入れる必要はあると思うが、それだけでは駄目。やはりモラルの問題は大きい。規制と同時にモラルを向上させていく活動をしていかなければ意味が無い」

とかの意見が書かれていました。識者の方は駐車違反の取締りが民間委託になることを知った上で発言をしているのかはわかりませんが、現在警察が行っている取締りですらも「駐車禁止規制除外標章」の存在が現場の警察官ですら認識されていない現状がある中で、規制とか良識とか言っている状態ではないように感じるのは、私だけでしょうか?

結局、標章が使われる場所・・・と言ったら、身障者用の駐車場に止める時に標章をダッシュボード上に掲示するしかないのです。しかも私の母の場合は「内臓疾患」であるため、外見的には全く障害があるようには見えない状態。だからいくら標章を掲示しても身障者用の駐車場に止めようとすると警備員からはクレームを受けますし、一般の人からは「なんで???」といったような眼差しが向けられます。標章や身障者マークを見せても身障者用駐車場に誘導されないこともしばしばであり、まだまだ日本は「バリアフリー」「ノーマライゼーション」の考えとは縁どおり国なのかな・・・と感じることもあります。

もちろん、身障者ではなくとも「身障者用駐車場」が必要な人のケースもあります。
以前私と私の母(身体障害者)、そして祖母と一緒にデパートに出かけたことがあります。その時、駐車場は渋滞していて、なかなか車を駐車場に止めることはできませんでした。そしてようやくのこと、駐車。しかしデパートからは遠く離れており、母親とともに祖母にとっては駐車場からデパートまでは結構長い道のり。
それを見た現場の警備員さんからは「申し訳ございません。そのような事情があれば、次回から申し出ていただければ身障者用の駐車場をご案内しますから」との一言が。きっと警備員さんにとっては「障害を持つ母」よりも「高齢の祖母」の方に目が行って、そのような一言を言ったのだろう。だから一概に身障者用駐車場に「身障者以外は止めちゃいけない」とは言いません。ただ、身障者駐車場を設ける場所に関しては、しっかりと現場の係員が立って管理するなどの対応が必要だと思います。また仮に身障者ではなくとも、高齢者や知的障害など現状から判断して「身障者用駐車場利用が適当」と判断できるケースに関しては「許可証」みたいなものを用意して、「駐車確認を受けた車」であることを外にも見えるようにするのも、1つの方法ではないかと思います。

当事者の意見として、一石を投げさせていただきました。

2006.03.18

コトバ★「障害者自立支援法その12」

今回のコトバは1周空けての「障害者自立支援法」です。前回は番外編として自治体の説明会の様子をレポートしましたが、今回は再び法律の概要の説明に戻りたいと思います。
と言っても、概要の説明は今回が最後になりますが・・・(^_^;)

既にこれまで取り上げた段階で、主要な部分に関しての説明は終わっています。
残す説明は「補装具関係」と「障害児施設」に関してですが、実はこの部分はまだはっきりと方向性が決まっていないため、説明をしようにも上手くできない状態であります。ですので、申し訳ありませんがこの部分に関しては本当に「字面」だけを追って説明をすることにします。

まず補装具関係です。これまで身体障害者に対しては義肢・装具・車椅子などの、いわゆる「補装具給付」は更生相談所などでの判定を受けての現物給付とされてきました。しかし障害者自立支援法が施行されたあとは、平成18年10月より「現物支給」から「補装具費支給」となります。また補装具費支給に変わることにより、補装具に対しても使用者の1割負担(補装具の購入・修理にかかった費用の9割を公費助成)となります。さらに補装具給付に含まれないもので日常生活上の便宜を図るために都道府県・市町村単位で行われてきた「日常生活用具給付事業」は自立支援法施行後は「地域生活支援事業」による「日常生活用具給付」となります。ただ、現在のところ「補装具費」と「日常生活用具給付の負担額」が具体的な単価が示されていない状態です。(補装具費の支給は「障害福祉サービス」として行われます。どういったものかがわからなくなってしまった場合は、こちらこちらを参考にしてください。)
ちなみに現在補装具に関しては、駆け込みの申請が非常に多いとのことです。たしかに、4月になってしまうと新制度で行われることになるので、1割負担を避けるためにも今の段階で申請するのが普通の人の心理だと思います。事実、うちの施設でも保護者の方にそのことについての助言をしています。

もう1つの「障害児施設」ですが、障害児に関しては支援費制度化では居宅サービスに関しては支援費制度として運営されてきましたが、施設サービスに関しては支援費制度に移行した後も「措置制度」で行われてきました。しかし障害児施設に関しても障害者自立支援法施行に伴い、平成18年10月から契約方式となります。障害児に関しては申請は都道府県に行い、支給決定を受けて施設との契約となります。多くの都道府県の場合は児童相談所がその窓口になるものと思います。
利用者負担額ですが、こちらも1割負担となります。障害児施設の場合は「福祉型」の施設と「医療型」の施設の2つに分けられますが、基本的な考え方は障害者施設利用における負担と同様です。また医療型の施設の場合は福祉型の施設に医療面に関して「自立支援医療」の部分が加味される形になります。(ただ、単純に「自立支援医療」が組み込まれるのではなく、医療保険における保険給付と障害児施設医療費に関しては従来どおりで、それに「自立支援医療」の考え方が導入される、と言うことになります。)また食費などに関しては福祉型は実費負担、医療型は入院時食事療養費の標準負担額分の負担となります。
なお、障害児施設の体系見直しに関しては、障害者自立支援法施行後3年をメドに、再検討を行うことになっています。

と言うことで、「障害者自立支援法」が施行されるまで、あと2週間。支援費制度の時と同様に、まだ完全に足元が固まっていない状況下でのスタートとなりそうですが、いずれにしても2週間後には障害者福祉の流れはまた大きく変化をすることになります。その中でどうやって生活の質を落とさずにサービスを提供していくか、これが施設従事者に課せられた目の前にある「課題」となりそうです。

2006.03.17

「やりたいこと」って・・・

昨日も触れたけど、今後のこと。
「のんびり、焦らず」のスタンスでいるけど、気がつけば今の施設での勤務も残り2週間。さらに祝日や有給なども取得するため、3月は実質「週3日勤務」の状態となっている。徐々に身辺整理をする一方で、最後のグループ行事の準備やグループ年度まとめなどの業務にひっきりなしの状態でもある。

去年は退職前日に振り返りをしたけど、今回は何時振り返る時間が取れるかわからないので、振り返る意味も含めて、色々と思うところを。
去年までの自分と今年の自分、正直言って比較ができないほどの状況変化です。ですから一概に同じ尺度で自分自身を評価することはできません。この1年間、ずーと自分の足を引っ張り続けてきたのは「パニック障害」(一時は「てんかん」とも言われたけど・・・)であり、そのことで自分の生活が激変してしまったのは事実です。OTの学校に進学はしたものの、てんかんの診断・パニック障害で学業を続けることが困難な状況になり、8月いっぱいで退学。退学後しばらくして・・・というより、ようやく最近になって「楽」になってきましたが、一方で職場ではこの事実はほとんど知られていない状態。自分でもそんな状況になるとは思ってもいなかったので、自分自身のキャリアプランも大きく狂ってしまいました。そんな状況もあって、去年と今年を一概に比較することはできませんが、「仕事」と言う面では多少は比較できそうなので、その部分で比較をしようかなぁ・・・と思っています。

去年と今年、まず明らかに違うのは「立場」です。去年までは「常勤職員」としての立場だったけど、今年は「非常勤職員」としての立場。なのでやることや業務内容も常勤職員に比べたら格段に少なく、「責任」の部分でも少なかったです。特に利用者対応に関しては「いいよ、常勤でやるから」と言うことが多く、そういった部分では「立場」によって仕事の位置づけはだいぶ変わっているんだなぁ・・・と感じていました。

2つ目に違うこと、それは「障害の程度」。前の職場は中軽度の知的障害者、あるいは自閉傾向やダウン症、てんかんなどを併せもった知的障害者と接してきましたが、今回は重度の知的障害者、それもいわゆる「単純知障」ではなく、自閉症なりダウン症なりてんかんなり・・・何らかを併せもった知的障害者であり、また重複障害(身体障害と知的障害を併せもった重度障害)の利用者と接していました。当然手法も以前と異なり、入職当時は授産の意識が強く「高いレベル」を要求している自分がいましたが、今となっては「これくらいできれば、まぁいいだろう」と、利用者の状況に合わせた対応ができるようになっていました。またこれまで授産ではなかった「介護」の部分(更衣・食事・排泄)を始めて経験することになり、最初はトイレ介助やオムツ交換に戸惑いを感じながらも、今となっては「当たり前」のようにしている自分がいて、支援者としての「幅」は今回の職場で働いたことによって若干は広がったのかなぁ・・・と思っています。

さて、自己評価をする時に肝心な「何かを残せたのか?」と言うことですが・・・うーん、どうなんでしょ?
いくら知的障害者施設での経験があったといえども、今回は「ケアワーク」のウェイトが多く、ほぼゼロからのスタートでした。ただ、幸か不幸か自分が入職したのと同時に、定員増加となり、その結果養護学校を卒業して施設に入所した利用者と一緒に施設での生活を始めることができたのは、自分にとっても利用者にとっても「新鮮」なことだったかもしれません。と同時に、自分としては「入り易い」状態で入職できたのかなぁ・・・と思っています。事実、グループ単位で活動は動いているものの、実際には特定の利用者と時間を多く過ごすことがことがあり、半分「ケース担当」状態になっていた部分もありました。ただ「何か残せたのか?」と言うことに関して言及すると、これと言った成果は残せなかったかのように思います。やはり「非常勤」ではできることに限界がありますし、勤務時間も短いのでなかなか踏み込んだことができないのが現状でした。

ただ・・・「自己満足」の世界かもしれないけど、今年度入ってきた利用者の「心」を掴むことはできたのかなぁ・・・と感じたりしています。実のところ、今日は2日ぶりの出勤。自分が休んでいる間でも利用者は出席しており、当然出勤している職員で対応をします。そして今日2日ぶりに出勤して、利用者が来る準備をしていると、常勤の職員さんから「○○さん、Mitakeさんが来るのを楽しみにしているみたいだよ。昨日・一昨日と気にしていたから」とのこと。「あぁ、そうなんですかぁ・・・へぇ~」と答えると「きっと自分(利用者)の興味や関心のある話題について話せる人がいるから、安心できるんだと思うよ」との常勤の職員さんからの意見。たしかに、この利用者に対しては他の利用者に比べ接する時間は多く、話す時間も多かった。また「支援」としての関わりに関しても結構自由裁量的にやらせてもらえた部分もあった。そういった意味でこの利用者にとって自分がある種の「キーマン」的存在になっていた部分はあったかもしれない。
また自分のグループ担当ではないけど、やはり今年度から入所してきた女性の利用者に関しても、その利用者のハートを掴んでいたのかもしれない。以前にも書いたように、他の女性職員さんから「△△さん、MiatkeさんLOVEみたいだよ」とか「△△さんはMitakeさんのことを気に入っているみたいですね。ハートの捉え方が上手なんですね。」とかの声を聞く。自分では意識はしていないけど、ただ目的は1つ。「イヤにならないように、でも直していく時はその方向に導いていく」と言うことだけ。もちろんその中には「年齢」や「性別」もあると思うけど、たしかに何かその利用者に課題ができた時に、他の職員が言うときと自分が言うときでは反応が違うことがある。他の職員が言うとちょっと拒否的になることがあっても、自分が話すとそれを受け入れ、やっていこう・直していこう、とする姿勢が見られるのも確か。一言で言えば「自分が話すことでスムーズな受け入れができる」と言うことなんだと思う。実際の事例として、姿勢保持ができていない時に「あぁ、△△さん大変!妖怪大戦争になっている!じゃ、頭に吸盤をつけて・・・頭引っ張るよぉ!エイ!こっちこ~い、こっちこ~い!」と遊びながら、なるべく「やらされている」雰囲気ではないようにもって行くようにしていた。するとちゃんと姿勢が元に戻ることができた。
これが「スムーズな受け入れ」の1つなんだと思う。

こうやって考えると、少なからず全員ではないけれど一部の利用者には「Mitake」と言う存在は心に刻まれたのかなぁ・・・と思う。また、それによって施設に楽しく通所してもらえたのであれば、これは1つの「成果」なのかもしれない。そうやって考えていくと、知的障害の世界はやっぱり「面白い」と感じる。昨日ハローワークで高齢者関係施設の紹介状を出してもらったけど、やっぱり自分のやりたい世界って「高齢者」じゃなくて「障害者」なのかなぁ・・と感じる。もちろん他の分野にもどんどんと出て行きたい。高齢者分野も携わってみたい。
ただ・・・本当に自分にとって「やりたいこと」って、一体何なんだろう?前の職場でも一度悩んだことがあるけど、でもやっぱり自分の原点はどこなのか、と言われると「障害者福祉」であり、とりわけ「知的障害者福祉」は自分にとっての「福祉」のメジャーであることは言うまでもない事実。学生時代から知的障害の部分に関与して自分にとっては、知的障害はある意味ホームグラウンド。広く見つめれば、自分の親も障害者だから、「障害者福祉」に関わるべくして関わってきたようなもの。そう考えた時、自分が本当に「やりたいこと」と言うのは、今の道なのだろうか・・・と悩んでいる部分があるのが、今の本音。とりあえずは高齢者施設の求人に応募はするものの、まだ自分の「意思」としてははっきりしていない部分があるのは事実であり、悩んでいるのも事実であります。自分の中で「次の施設では、じっくり腰を据えて働きたい。だから、妥協しないで仕事を見つけたい」と考えているため、余計に「何がやりたいのか?」が見えない現状に焦りや苛立ちを感じているのだと思います。あ、あとそういった類の求人が出て来ないことに関しても、やっぱり焦りがあるのかもしれません。

「やりたいこと」を見つけるのは、まだまだ時間がかかりそうです。

2006.03.16

自分探しの旅

本日、定期通院日。今日は1日休を使っての通院。ところが、今日は思ったよりも時間がかかった。
待合室は人でごった返していて、座る場所もない状態。うーん・・・この病院に通院するようになって7ヶ月目になるけど、人が多いときと少ない時の差がものすごく激しい病院。ある日はほとんど人もいなく、すぐに診療に入れる日があれば、ある日は30分以上も待って診療に入ることもある。「人が多い時」と「人が少ない時」の差が、ものすごくある病院。まぁ診療項目や専門分野があるから、そういった差が出てくるのは仕方がないのかもしれないけど、とにかく今日は人が多かった。
でも思ったほど、待つことはなかったなぁ・・・むしろ薬局の方が時間がかかったかな?

さて、昨日も書いたように病院が終わった後、国分寺の駅ビルの中でお昼を食べてから、今日も飯田橋まで行ってきました。
特に目新しい求人はなかったものの、何となく興味を持てた求人に応募することにしました。で、書類を直接持ってきて欲しい、と言うことだったので、来週の水曜日に施設見学を兼ねて持っていくことになりました。これにより、水曜日は急遽年休を入れることに。(まぁ年休はまだ余っているから、使えるだけ使っちゃえばいいことだし・・・それに、年休が使えるのは事実上来週が最後だから・・・今月の最終週は仕事の予定がぎっしりで、そう簡単に休めない状態だし。)

ただねぇ・・・就職に関して悩んでいる部分があるのは、事実なんですよねぇ。
1年前の自分の状況とはかなり一変していることは、既に周知の事実。何にもなかったら今頃はまた「パートタイム」で仕事を探していたけど、状況が変わったために「フルタイム」でしっかりと収入の得られる仕事に就くことを考えるように。ただし、当然治療中だからあんまり無理できないのは確かな事。わかっていながらも先生に「やっぱり宿直とか夜勤は今は止めたほうがいいんですかねぇ・・・」と聞くと「うん、今は避けた方がいいね。でもいずれ大丈夫になるから」とのこと。この時点で入所系の施設での勤務はNG。これだけでだいぶ条件が絞られてしまう。さらに未知の分野に足を踏み入れるとなると「経験」の壁がここにも存在するから、なかなか思い通りの条件にあたることはない。

そうすると自分の中で、少しずつ「焦り」がでてくる。「何とかしないと・・・」と。
ただ、その一方で「今はこんな状態だから仕方ない。ゆっくり、焦らず見つければいいよ」と考える自分もいる。就職活動をしていた時にいつも直面していた問題の1つに「自分は一体何がやりたいのか?」と言う壁にぶち当たっている。結局縁あって、3年間は知的障害者福祉に携わった。その結果、多くのことを得ることができた。色んな考えも浮かんだし、そのことはblogで書き綴ったこともあった。仕事をしながらも自問自答する日々があった。そして今も、自分が何をやりたいのか、を悩んでいる自分がいる。

もちろんその中には「踏ん切りがつかない」と言うのはあると思う。
今まで何の問題もなかったのが、「パニック障害」と診断されて新しいことを行うのに「恐れている」自分がいるのも確かだし、「この際だから、新しい分野に取り組んでみたい」と思う自分がいるもの事実。他方で「障害者福祉の道を突き進んでいきたい」と考える自分もおり、焦点が絞れない自分がいる。
絞れない理由の中には「病気」以外に「理想と現実」のギャップに苦悩する自分がいるのかもしれない。

そういえば、この人も退職するみたいですね。この人のblogには、こんな風に書いてありましたね。

ライブドアに入社してからの3年半、
気がつくと毎日走り続けていて、
走っていることが当たり前になってしまい、
歩くことができなくなり、ブレーキをかけることを
忘れてしまっていたように思います。

色々考えた結果、少し充電をしたいという思うようになりました。
充電をしていく中で、ゆっくりと今後のことを考えていければとも考えています。

別にこの人のことに関してなんか言うつもりはありません。TBでは賛否両論の意見があり、TBスパムも入っているようですが、あくまでも「一労働者」としての結論を出しただけのことであって、その後の先行きのことに関しては外の人間がとやかく言う資格はありません。その人が、その人なりに考えて出した結論なんですから・・・

ただ・・・1つ言えることは「ライブドア」と言う組織を抜け出して、もう一度自分自身を見つめなおそうとしていること。
こういった部分では、自分も同じ状況なんだろうな・・・と感じています。自分の場合は「パニック障害が理由で学校を退学した」と言う荷物を背負いながら次の道を歩くのと同じように、この人も「粉飾決算の指示をした社長の秘書として働いたライブドアを退職した」と言う荷物を背負っていくのだと思います。いずれにしてもその荷物を「大きい荷物」として捉えるか、それとも「小さい荷物」として捉えるか、あるいは「荷物を捨てる」ことができるか、によって、また今後が変わっていくのだと思います。

私自身もこの人も、自分探しをしている状態なんだと思います。

2006.03.15

空振り・・・

今日は有給。ホントは取る予定じゃなかったけど、残り少ない「有給」をどうやって使うか・・・を考えた結果、「連休を作る」と言う結論になり、とりあえずは今日は有給をとることに。ちなみに「連休」と言っている以上は、明日も有給です(^_^;)

と言うわけで、有給だから何もしない・・・というわけではありません。今日は半日、外に出っ放しでした。
朝の9時ごろに起き、そのまま食事をして、まずは税務署へ。そう、あの「プッツン事件」以来に行くことに。結論から言うと、一応書き直された源泉徴収票をもらうことができ、その結果としてこっち(職場)の方から2700円の返還があるとのこと。で、普通ならこれで終わりだけど、今回は去年4月からの一件で医療費が高額になったため、医療費控除を行うことに。最初は「控除に引っかからないかなぁ・・・」と思っていた。去年の医療費は約7万円。目安となる「年間10万円以上」には3万円足りないが、これは普通に働いていたらの話。今は「パート」で働いているため、収入も以前より大幅に減少。そこで色々と試算をしてみると、控除の対象になることが判明。しかも自分の場合は入入から計算すると、年間医療費の上限額が約5万7000円であることも判明。十分に医療費控除の範囲内。
と言うわけで、昨日の夜に確定申告書を作成し、提出してきました。もちろん、最初からガタガタうるさいのを聞きたくないので、直接申告窓口に行きました。

税務署で確定申告をした後は、飯田橋まで。
飯田橋に行ったときは必ず「人材センター→ハローワーク」の順でまわることにしているけど、人材センターの求人ではなかなか自分の希望の求人が見つからないのが現状。そのため、やっぱり下のハローワークへ。いや、昨日の時点でハローワークのHPにいい求人が出ていたから、条件がよかったら紹介してもらおう・・・と思っていたので、人材センターで求人がなかったのを確認したら、すぐにハローワークへ直行。そして求人票を探すことに。

ところが・・・どんなに探しても、その求人票は出てこない。実のところ、先週の面接が終わるまではハローワークのHPは見ないようにしており、求人を見て「あぁ、こっちすればよかった・・・」などといった余計な雑念を入れないためにも、見ていなかったのです。しかし面接が終わり、あんまりいい手ごたえでないことを感じた自分は、即行で求人確認。すると、自分が「良いかも」と思える求人に出会えることに。ただし・・・仕事もあるので、そうかん単に行くことはできないし、色々と予定も決まっている。そのため、どんなに最短でも今日がハローワークにいける日だった。行ってすぐに見つかるかと思ったけど、全然見つからなかった。「条件の問題かなぁ・・・」と思い、検索条件を緩めてもヒットする気配なし。となる考えられるのはただ1つ・・・求人募集終了により、取り下げられた、と言うこと。45分ぐらいねばったけど、これと言った求人が見つけられなかった。帰り際に一応相談して見て、向こうの人が検索をかけてくれたけど、結局見つからず。向こうの人から「気になる求人があったら、求職番号を確認しておいてね。」の一言。
案の定、帰宅してHPで検索してみても・・・ヒットしませんでした・・・(T_T)

あぁ、今日のハローワークは完全に「空振り」でした。「空振り」と言うよりかは、「タッチアウト」と言った方がいいのかなぁ・・・昨日の夜の時点でHPで確認した時はあったのだから、もう1日早く行っていれば求人を紹介してもらえたのかもしれない。
まぁいいや。気になる求人票をピックアップしてネットで色々と調べてみたら、何となく「面白そう」と思えることがあったので、明日も飯田橋に行こうと思います。

2006.03.14

「訓練」と「指導」

昨日の記事で「デイサービスでは訓練する場所ではない」と言う旨の内容を書いたが、今日はそれにちょっと矛盾する内容。

何度か触れているかもしれないけど、今自分が勤務している施設は「複合施設」で、1つの建物(いわゆる「ハコモノ」)に様々な施設が入っている状態。ちなみに自分が勤務している建物は4階建てで、1階が知的障害者のデイサービス、2階が身体障害者のデイサービス、3階が高齢者のデイサービスと老人福祉センター、4階が会議室・・・と、建物の大部分が「デイサービスセンター」となっている。もちろんデイサービスだから給食を作る厨房もあるし、入浴施設もある。そしてリハビリテーションのための訓練室もある。

で、自分が在籍しているのは「知的障害者デイサービスセンター」の部門。ただし「知的障害者デイサービス」と言っても、すべてがすべて「知的障害」だけか、と言ったら、そうではない。知的障害以外にも身体障害を併せ持つ「重複障害」の利用者もいる。つまり「知的障害」のデイサービスだけではなく「身体障害」のデイサービスを受ける利用者もいる。

その利用者のうちの1人が、今月から「知的障害」だけではなく「身体障害」のデイサービスを利用することになった。先週は最初の利用・・・ということもあって保護者が立会いでのサービス提供だったけど、今回は保護者の立会いはなし。利用者だけ。そして身障デイの時間になり、身障担当の人が迎えに来た。そのとき、利用者はテレビ(ビデオ)を見ていたが、時間が来たので「じゃ、移動の時間だよ」と職員が声かけをしてテレビを切り、移動をさせた。そのときのこと・・・突然、利用者が暴れだし、デイに行くことを拒否した。別にいつもと変わらないのだが、テレビを消されたことが気に入らなかったのか、暴れていた。そしてそのうちに、利用者の裏拳が女性職員の顔面・・・いや、目にクリーンヒット。非常に危ない状態。「これはちょっとマズイ・・・」と思い、身障担当の人と一緒に、一時落ち着けるために更衣室へ移動。密室の空間に隔離して「○○さん、どうしたの?デイ、行きたくないの?」と聞くと「ウン」と頷く。たぶん拒否の要因は「テレビ」にあると思うけど、少し落ち着かなければこっちの言うことも耳に入らない状態。一応説得はする。そしてあわせて「行きたくないのはわかるけど、でもどんなことがあっても絶対に他人に痛いことをしちゃダメだ。」とたしなめると、自分のほうに襲い掛からんとばかりに暴れる状態。「ダメ、それは違う。それはやっちゃダメだ!」と話すが、完全に受け入れられない状態。もはやこの空間で落ち着くことは困難な状態。そこで身障の職員さんと相談して、とりあえずは身障デイの方に行って少し気持ちを落ち着けることに。

イヤイヤ、この利用者、一応「前科あり」の利用者で・・・そう、自分の拳を噛んだ利用者です。
うーん、たしかに重度の障害を持っているからすべてを聞き入れて・・・というのは難しい話だと思うし、キッチリ白黒をつけるのは困難なことだと思います。それができていれば、最初から施設に来る必要はないのですから。ただここに来ている以上は「デイサービス」としてのサービスを最低限提供するのが、自分たちの役割。しかしながら噛まれた時にも話しているように、「やっていいこと」と「やってはいけないこと」の線引きは、最低限しなければならない。とりわけ、コミュニケーションが困難な利用者であっても、その部分は重要である。どんなに重い障害があっても、やってはいけないこと・他者から見て明らかに違うと考えられることは、キッチリと線引きをして「ダメ!」と言うことを示さなければならない。このことは年齢とかは関係ない。できていなければ、正すところは正していかなくてはならない。まだ彼は若いのだから、今から修正をしていけば必ず「正しい方向」に結び付けられる利用者であることは間違えない。もちろんその過程には時間がかかるかもしれないけど、それでも「やってはいけないこと」は「指導」していかなくてはならない。「利用者である」とか「支援・援助」とかと言うのとは別次元の問題である。社会で生活をしていく以上、それが重要な問題になりうる事柄であれば、それは「支援」ではなく「指導」なのだと思う。

あ、そうそう・・・一度同じようなことを書きましたね。「支援と指導」と言うタイトルで。
今回は「訓練」と「指導」として、また改めて書かせてもらいました。

2006.03.13

施設の目的は?

今日は1日、室内での活動。午前中は機能訓練で、午後は4人だけのレク。
おまけに今日は1日オムツ交換、1人は大したことなかったけど、もう1人は午前・午後ともにKot連発。特に午後のKotでは衣服まで汚れてしまったため、オムツを交換したあとに衣服を交換させようと思い、とりあえずオムツ交換して更衣準備をして「いざ、更衣・・・」と思った瞬間、オムツの脇から新たなKotが・・・あぁ、できることなら見たくなかったけど・・・現認してしまった以上、放置できない。と言うわけで、オムツ交換から約10分、再びオムツ交換。そして更衣・・・普通なら10分程度で終えられるものが、今日は30分程度かかってしまった。おまけに体の緊張も強かったため、車椅子へのトランスも一苦労。トランスするには全然軽い子(お姫様抱っこを余裕でできる体重)なんだけど、体が緊張しているため上手く車椅子に乗せることができない状態。だからある程度緊張がほぐれた瞬間を見計らって、車椅子へ移乗・・・ふぅ、外は雪が降っていたみたいだったけど、こっちは汗ダクでした・・・(^_^;)

さて、業務終了後は職員会議。年度末のせいか、それとも今までサボっていたツケか、3月だけで職員会議のオンパレード。もちろん日々の連絡もあるけど、主とする内容は来年どのことについて。もちろん自分には関係ないことだけど、3月まではこの施設の職員だから、ちゃんと意見するところはもちろんする。そして今日は、会議議事録担当・・・議事録を作るのは、大変なんだよねぇ・・・前職のケース会議のケース担当並みに。

って言うか、今回のメインは「ケース検討」。長期欠席の続いている利用者の対応について。
正直ここに来て日も経っていないので何ともいえないのだが、周囲の職員の話を聞いている限りでは、長期欠席の件に関しては「毎度のこと」らしい。だったら・・・ということで、自分の意見としては「経過観察でいいんじゃないですか?」ということ。

ただ、自分がそれ以上に気にかかるのは「利用者」ではなく「親御さん」のこと。
今まではどうしても「授産施設」のときの考えが強かったからどうしても「~しなくちゃいけない」と言う気持ちのほうが強かった。作業・創作活動に関しても「~しなさい」という思いのほうが強かった。それは今まで授産施設にいて「福祉的就労」の考えが強かったからこそ、そう感じていたのだろう。しかし今自分が働いている現場は「デイサービス」。つまり「授産施設」とは違うから、考え方も根本的に変えなければならない。

デイサービスで必要な考え・・・それは「訓練をする」と言うよりも、「いかに楽しく過ごせるか」ということ。
もちろんやるべきところではやってもらわなきゃいけないかもしれないけど、それを「強制」してまでやることなのか・・・と言ったら、それは違うような気がする。授産施設であれば「(表向きには)一般就労に向けた訓練」が目的であり、更生施設であれば「生活技能の獲得」が目的だから、どちらかと言うと訓練的要素が強い。特に授産施設の場合には「工賃」が発生する以上、その人の持つ能力を最大限活かすようにしなければならない。そのために「個別支援計画」が立てられているのであり、場合によっては「生活リズムの構築」を目的に「毎日出席する」と言うことを目標に掲げるのも手段だと思う。どちらかと言うと「保護者の立場」よりも「利用者のための施設」と考えるべきなのかもしれない。

しかし「デイサービス」と言うことを考えれば、何も絶対に「来なきゃいけない」と言うことではない。
もちろん利用者が日中活動を楽しく過ごすというのも目的だけど、それ以上に「保護者のレスパイトを担う」と言うのも、デイサービスの目的なのかな・・・と思う。この考えは高齢者のデイサービスとも同じで、介護負担の軽減を目的にデイサービスが存在するのと同じように、知的の分野でも社会適応が難しい利用者に対して「日中活動の場」を提供することにより、利用者は利用者なりに楽しむ一方、保護者は束の間の「休息」を確保するのが、施設としてのスタンスではないのかな・・・と感じる。

似たようなことは以前「施設のあり方」として取り上げたことがあるけど、もちろん「デイサービス」だけにこだわる必要はない。余裕があればそれ以上のサービスを提供してもいいと思う。ただし、施設の「第一義的目的」ができてこその話であり、その部分が確立されていない以上は、結果として「中途半端」になってしまうのではないだろうか・・・と思う。もちろん利用者をサポートするのは当然のことだけど、それ以上に「家族のこと」をケアしていくのも、デイサービスとしての役割なのではないだろうか・・・と感じる。この部分は「授産施設」と「デイサービス」とで決定的に違う部分なのかな・・・と思う。

2年前の文章と比較すると・・・僅かばかりながら、福祉従事者としての「成長」はあるのかなぁ・・・?

2006.03.12

整理をしないと・・・

最近、土曜日の就寝時間がだいぶ遅くなってきている。
今までは遅くても0時半ごろには寝ていたけど、ここ最近は1時、1時半、2時、3時・・・と段々と遅くなっている。もちろん起きていることに辛さはないものの、眠たさはある。だけど何となく「寝ようかなぁ・・・」と言う気分にはならない。その状態がずるずると引きずってしまうために、遅くなっているのかもしれない。あるいは普段の日ですら寝る時間が0時になっているなど、睡眠剤を飲みながらもダラダラと起きている時間が長くなってきているのも事実。
うーん、この辺はそろそろ生活リズムを正すためにも、見直していかなくちゃいけないのかなぁ・・・

とはいえ、4月以降のことが全く決まっていない状態の中、「ゆっくり、焦らず・・・」と思う気持ちと「4月からちゃんと仕事をしなきゃ・・」と感じている自分がいるのも事実。さらに4月以降、自分がどの分野(高齢者・身体障害・知的障害・精神障害・児童・などなど)に従事するかも決まっていない状態。転職の時期も悪く、ちょうど平成18年度は高齢者・障害者ともに制度が大きく変わる年度。高齢者の分野では「地域包括支援センター」が始まる時期で、介護保険制度の改革時期であり、障害者の分野では「障害者自立支援法」が段階的にスタートする時期。4月以降自分がどの分野に従事するかはっきりわかっていれば、今から色々と準備することができるけど、決まっていない段階では、手を付けられない・・・というのが現状。

そのため、買物に出かけて本屋に立ち寄っても、何の専門書籍も買えない状態。
分野が決まらないと、必要な本が買えない。去年の12月に商品券5万円が当たった時も「本屋で使えるから、専門書籍も遠慮なく買える」と感じていたけど、この時点でほぼ今の施設での勤務が年度いっぱいで終了することはほぼ確定だった。だからいくら5万円があったとしても、4月以降の方向性によっては買った本が「無駄」になってしまう可能性もある。そのため、結局商品券で買えた専門書は数冊程度。本格的に購入するのは、4月以降の転職先が決まってからのことになるだろう。

ただし・・・本を買っても、買った本を置く場所がない・・・というのも実情。
大学を卒業して専門学校に進学した際に本棚を購入し、大学のときに買った書籍で専門学校でも活用できそうな書籍に関しては残して、他の書籍類は処分。で、専門学校でも新たに教科書が増えていくため、そのたびに「教科書の保管場所」が必要になっていくため、自然と本棚には教科書で溢れかえっていく。さらに当時は社会福祉士取得のための通信課程もあわせて受講していたため、その教科書や書類類も保管していかなければ場ならない。もちろんこれだけではなく、現場実習の資料や専門学校で使用したレジュメ・プリント類なども徐々に増えて行き、そして「社会福祉士受験」のための参考書も購入したため、始めのうちはガラガラだった本棚も専門学校を卒業する頃には8割方占拠するように。さらに専門学校卒業後も知的障害者授産施設で勤務していたため、障害者関係・・・とりわけ知的障害に関する書籍も数多く購入。ケース会議の資料として使ったり、問題行動への対応策の参考にするために使ったり・・・と、徐々に書籍類が占拠。そして気がついたら、本棚に入りきらなくなってしまった。
その結果、去年の4月に「一斉整理」として、必要のない本に関しては処分、書類類に関しては「シュレッダー処理」をして少しだけ本棚のスペースを空けることに。しかし今後書籍が増えることを考えると・・・あぁ、また書籍の保管場所を考えてないといけないのかぁ・・・おまけにここ最近はCDも衝動買いの状態だから、CDの保管も考えなければいけない・・・

あぁ、今自分の部屋は「保管場所」がなくて四苦八苦の状態。
転職活動も大事だけど、「書籍保管」のことも考えなくちゃいけないなぁ・・・大学時代までなら教科書は簡単に処分できたけど、今となってはすべてが自分にとっては必須の「専門書」であるから、そう簡単に処分することはできない。となると、保管するための本棚のスペースを用意するしかない。場合によっては部屋の模様替えなどもして、新たに本棚を購入する必要も出てくるだろう・・・

いずれにしても、今後出費がかさむことは必至。
うーん、早く収入を得られるように4月からの仕事先を探さないとなぁ・・・(ー'`ー;)う~ん・・・・

2006.03.11

コトバ★「福祉施設その3」

今日のコトバは「福祉施設」の第3弾。と言っても、実は「第2弾」はやっていないのです。
と言うのは、以前2日連続で「コトバ」として福祉施設を取り上げているので、そのときは「福祉施設(続き)」として書いていました。ですから「第2弾」ではないものの、「福祉施設」として取り上げるのは3回目なので、今回は「第3弾」と言うことにします。

さて、前回「福祉施設」として取り上げた時は石川県のグループホーム内での虐待致死事件について取り上げました。そのときは、福祉施設に勤務している人の待遇に絡めて話しましたが、その「待遇」の問題が今回、実態として明らかになりました。

NEWS@nifty「介護労働者の離職率21%、3年未満が8割も」(読売新聞)

 介護労働者の年間離職率が21%に上り、全産業の平均(16%)に比べて高いことが、厚生労働省の関連団体「介護労働安定センター」の調査で、9日わかった。
 同省は、入浴の介助や夜間勤務など、肉体的負担が大きいことが主な理由と見ている。
 調査は、2003年12月から1年間、介護労働者約1万5000人について、事業所を対象に実施。施設などで正社員として働く介護労働者の16・8%、非正社員だと23%が離職したことが分かった。離職率は、他業種と比べると、飲食店・宿泊業(33・3%)よりは低いが、たとえ正社員でも、非正社員を含む建設業全体(13・9%)などに比べて高かった。
 このほか、離職者の勤続年数は、1年未満が46・5%、1~2年未満が21・7%、2~3年未満が12・8%で、約8割が3年未満で離職している実態も判明した。
 調査結果を受け、厚労省は来年度、介護労働者の雇用管理改善に乗り出す方針を決めた。具体的には、医師による健康相談や、雇用管理改善費用の助成などを行う予定。

3年・・・ここが1つのポイントになっているみたいです。ちなみに自分の場合は通所施設で、介護業務は今の職場になってやっているので、恐らくこの調査範囲には含まれていないと思いますが、結果的にはこの統計に自分も「合致」しているのではないか、と思います。前の職場が1年11ヶ月、そして今の職場が契約終了で1年と言う短い期間で退職しており、自分も「約8割が3年未満で離職」に含まれているといえるでしょう。まぁ自分の場合は一応それなりの理由があってことだったのですが、病気のこともあり結果的にはその理由が空虚なものになってしまいましたが・・・

しかしながら、やはり「待遇」の面に関しては、見直していただきたい・・・と思いますね。
厚生労働省は「肉体的負担」を大きな理由に挙げています。たしかに介護業務をするに当たって「肉体的負担」は否定できません。まだ若いうちであり、なおかつ介護する相手が軽い方であれば「負担」と言ってもそれほど苦労はしませんが、自分より重い方を介助する場合、特にトランス(移乗)の際の負担は非常に大きいものと思います。事実、自分より軽い利用者あっても辛いことは多いです。70キロ近い利用者を1人でトランスするのは、非常に骨の折れる作業です。いくらボディメカニクスを用いたとしても、それには限界があります。

これだけの肉体労働をしながらも、待遇は決していいものではありません。具体的な数字は出せませんが、少なくとも、いわゆる日本人の「平均年収」には遠く及ばないのではないか、と思います。ちなみに、現在の自分の平均月収(知障デイサービス、パート、介護など)は週35時間労働で手取り約14万円。前職の平均月収(知障授産施設、正規、生活支援など)は週40時間労働+時間外2.5時間で手取り収入約18万円。安いです。きっと同世代の人に比べたらだいぶ年収は低いと思います。

まぁ「給料が安い」と言うのは承知のうえで今の仕事をやっているので、多少は割り切ってしまっている部分もありますが。やはり「生活基盤」となる収入源がしっかりせず、一方で仕事の内容はハード・・・と言った「割に合わない部分」があるのも事実です。もう少し、福祉施設で働いている人の労働待遇をあげて欲しい・・・と感じています。

2006.03.10

安いと見るか、高いと見るか・・・

まず最初に、昨日の記事について・・・あれは、もちろん細工させていただきました。
だってねぇ・・・こんな状態だったし。
D1000073

この画像を添付してモブログから「今日は休みだったから、早くから書き込みの準備をしたいたのに・・・また、これですか。 もう、準備は万端なんですけどね。」と言う記事を投稿したけど、受け付けられることなく反映されず。で、今日ココログにログインして、日付を直して投稿しました。ですので、昨日の時点で記事は完成していましたが、ココログにログインできなかったため、昨日のうちに反映することができなかったのです。
ちなみに「障害情報報告ブログ」なんて作ってあるけど・・・とっととちゃんと正常化させなさい。オイラを含め、お金を払っている人もいるんだぞぉ(*`д´)

さて、今日は有給の中途半端な時間を使って、いつもより早く帰宅。と言うのも、昨日注文した商品が今日届くことになっているので、それを取りに行くために早帰りをしたのです。って言うか、早帰りをしないと間に合わない・・・というのが本音。営業時間が17時までだから、普通に仕事をして帰ると17時を越えてしまう。なので、いつもより1時間早く仕事を切り上げることにより、17時に間に合うことに。

さて、実際にどのようなものを買ったか・・・というと、以下のものを買いました。
D1000074

基本的に、同じ種類の物を2つずつ買いました。
何故「2つずつ」なのか・・・もちろんそれは、自分たちが「試す」ためです。基本的に自分たちが知らずにあげるのは変な話。実際に自分たちで味を確認して、それから使うのが普通かなぁ・・・と自分の中で思っており、その考え方に母親も同調しているので、2つずつ買いました。実際に自分たちでも食べてみたいと、感覚的に「これは問題なく摂食できるな」と言うことが理解できないからです。トロミアップも同じことであり、実際に自分で体験してみないと「この(トロミ)状態では、誤嚥の可能性があるなぁ・・・」と言うことがわからないので、どの程度の柔らかさ・硬さが摂食可能な範囲なのかを、味を含めて知る意味で、実際に自分たちが食べることにより「あ、これなら大丈夫」ということを把握してから出したいため、あえて「2つずつ」買っています。
あ、写真右上の「中濃ソース」は、嚥下用の食品ではありません。こっちは母親用の食品で「減塩ソース」です。普通のスーパーにも減塩ソースは売っているのですが、ちょっと高め。でもここで買えば市価の半額以下で買えるので、今回一緒に注文しただけのことです。

さて、これだけ買ってのお値段ですが・・・全部で、約1500円。さて、これを「高い」と見るか、あるいは「安い」と見るかは、皆さんの判断にお任せします。

2006.03.09

レッツ、トライ!

今日は最初の「転職活動」のため、仕事は有給。で、活動の成果は・・・あまり触れないで・・・((+_+))

さて、今日は自由な時間がいっぱい。なので、色々と買物をしてきました。
途中のホームセンターで買物をして帰るときにカートをちょっとだけエレベーターに「ガン!」とぶつけてしまって、そのせいかエレベーターを壊してしまう・・・ということもありましたが・・・(^_^;)
(いや、そんな簡単に壊れるようなエレベーターじゃ困るだろう・・・それに、外ドアにぶつかったのに、どうして内ドアが逝っちゃうの???できることなら、その状況を撮りたかったけど・・・さすがに当事者なので、逃げるように退散してきました・・・汗)

ただ、今日の買物のメインは、祖母関係。
以前祖母にアイソを飲ませたときに1本丸々、簡単に飲んでしまったため「じゃ、今度他の味の飲み物を持ってくるよ。」と言ったので、その買出しに。もちろんアイソとかはなかなか普通のスーパーや薬局では売っていない。介護用品を専門に取り扱っているところでも、そう多くはない。なので・・・こう言うときは、直接買いつけ。実は自宅から車で行ける範囲のところに、病院などで取り扱うような食材を卸している会社があり、そこに行って直接アイソを買うことに。どーしてこう言う場所を知っているのか・・・それは母親が「腎不全」であることも関係しており、以前までは「たん白を抑える」と言うことで、ご飯も「ピーエルシー」と言う特別なご飯を使っていたけど、ここ最近は「そんなに必要以上に食べ物に気を使わなくてもいいですよ。普通のものを食べてもいいですよ。塩分やカリウム、リンなどの方に気をつけてね」とのことで、最近はあんまり利用していなかったのです。ただ今回のことがあり、再び嚥下食も豊富に揃っているこの会社に行って買い付けることでわざわざ色んなところを走り回る必要もないので、ここで買うことに。
ただ、以前とシステムが変わってしまったみたいで、物流は別の場所に移ってしまったみたいで、その日に買うことはできない状態。ただ明日になれば取り寄せられる、と言うことなので、明日は少し早めに仕事を切り上げて、商品を取りにいくことに。

ところで、今日は嚥下関係の食品を買ったためか、サンプルも嚥下関係のものをもらった。その中にあったのが、通称「トロミアップ」と呼んでいる、液体増粘剤。「トロメイク」とか「トロミクリア」などと色んな名前があるけど、基本的には役割は同じ。お茶や汁物に直接溶かすことで、液体にトロミがついて誤嚥を防ぐ働きがある。
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で、今日もらったのが、「トロミクリア」という商品。「トロメイク」は施設でも祖母の病院でも使っているからなじみがあるけど、この商品は初めてかな?

と言うことで、サンプルがあるなら・・・ということで、今日は「実験教室」です。(ちょっと言葉が悪いですが・・・)
今回用意したのは、普通の水(ミネラルウォーター)、午後の紅茶、そして無糖コーヒーです。で、さっきも言ったように使い方は簡単。そのまま液体に粉末をいれ、溶かすだけです。水分の量に応じてトロミアップの量を調整することによって、比較的液体に近い形のトロミからゼリー状に近いトロミまで、自在に調節することができます。そして、作った結果が、これ。
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まずは水と午後の紅茶。グラスに作ったから、見え易いですね。
一見すると何もしていないかのように見えますが、両方ともトロミはついています。水はやや柔らかめに、紅茶が普通のトロミ加減です。

そしてもう1つのコーヒーは、こんな感じです。
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これはかなり固め、ゼリーに近い形ですね。弾力があるのが、見てわかると思います。

さて、気になるお味・・・なのですが、これは皆さんで機会があったら、体験して見てください。
実はトロミアップを使ったものを口にするのは、今回が初めてだったのですが、介助している自分ですら「こんな風にされちゃ、美味しくないだろうなぁ・・・」と思っていたので、大体想像はできていました。そして実際に今日食して見て・・・うーん、やっぱり想像通りでした。決して「美味しい」といえるものではありません。
ただ「水分補給」と言う意味では、嚥下困難な人にとっては欠かすことのできないものなのです。

と言うわけで、今日は介護食について触れてみました。

2006.03.08

お散歩日和♪

今日はホントにいい天気。なので、お散歩に行ってきました。
本来なら機能訓練を行うのですが、こんな天気のいい日に施設の中にこもって訓練なんてもったいない・・・と言うことを他の職員さんから言われ「それもそうだなぁ・・・」と思い、係長と相談。そして即決、「じゃ、そうしよう!」と言うことになり、機能訓練をせずに散歩に行くことに。

うん、正直今日みたいな日ってかなり「貴重」なんだよねぇ・・・
利用者の中には「動ける利用者」と「動けない利用者」の2つに別れており、動ける利用者の場合は多少寒くても体を動かすことができるから散歩なども多少の配慮で何とかなるもの。しかし動けない利用者の場合・・・つまり「車椅子」の利用者の場合、車椅子に乗っていることだけで移動に制限が出てしまう。さらに完全に自操できない利用者の場合は「座っているだけ」の状態であり、普段自分たちが「寒くない」と感じるような場面でも体を動かしていないため「寒い」と感じる事だってある。だから冬場の散歩、特に車椅子の利用者の散歩は動ける利用者以上に気を使う必要がある。

そんな中での、今日の春めいた天気。今日逃したら、また当分「散歩日和」から遠ざかってしまう。
なので予定を変更して、散歩に行くことに。おかげで散歩に行った利用者の表情はみんな穏やか。ポカポカで帰ってきました。
梅の花も、キレイに咲いているようです。
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ついでですが・・・池のそばには、こんな看板が立っていました・・・
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なるほど・・・家で飼えなくなった金魚や亀をこの池に「放流」されることを恐れているのね・・・でも「メダカを食べてしまうため」とは、実に具体的な表現で・・・(^^ゞ

2006.03.07

とうとう、挑戦ですか・・・

書く予定はなかったけど、「あれ、まぁ・・・そうなの?」と言うのがあったので、今日はオマケで。

最近「御岳の山別館 王者列伝」がお留守気味になっているけど、書き溜めてしまうと更新が大変で・・・以前のようにコンスタントに更新できないのが、現状・・・色んな団体を確認しているけど、限界があるのが実情・・・今もこうやって書いているうちに「あ、更新し忘れた・・・」と思い出したものもあり。とりあえず、これを書いたら再更新しよう・・・

それよりも、ついに実現しますか・・・このカード。

新日本3月シリーズ「Circuit 2006 Takeoff」
3月19日(日)両国国技館 IWGPヘビー級選手権試合
<チャンピオン>ブロッグ・レスナーvs<チャレンジャー>曙

うーん、これはボブ・サップが挑戦していきなりIWGPを獲ったときと同じパターンになりそうな予感。
もし同じことが起これば・・・うーん、新日、太刀打ちできる奴はいるのか?たしかに曙がプロレスに転向してかあは、確実に実績は残している。その点を踏まえれば、現状IWGPに挑戦できるのは「曙」とするのが、妥当な選だろう。

さぁ、レスナーにしても曙にしても、どっちがIWGPを所持しても新日本は、これから苦境を強いられそうですねぇ・・・

時間がないよぉ・・・

昨日の「火山大噴火」によって、昨日の予定は大幅にパァ。
昨日は帰宅して、確定申告して、履歴書書いて、職務経歴書を書く予定だった。ところが税務署で火山が大噴火してしまったために、「こんな状況で書いても、いい職務経歴書や志望動機は冷静に書くことができない」と思い、昨日は完全に諦めモード。昨日は何もしませんでした。

当然、そのツケは今日に回ってきます。しかも、明日は職員会議でフレックス出勤。よって仕事が終わってからの時間が取れない状態。「こりゃ、ヤバイ・・・」と思い、帰宅して休む間もなく、すぐに職務経歴書作成を開始。何しろ今回は今までの分野と違う分野にチャレンジしようとしているため、最初に使った職務経歴書がそのまま使える状態ではない。もちろんベースとしては以前作った職務経歴書になるけど、でも形式としてはそのまま使える状態ではない。そのため、再編集して作り直すことに。途中、夕食とお風呂に入って、作成再開。

そしてようやく、完成しました。
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ハイ、出来立てホヤホヤです。複合機なので、ついでに社会福祉士登録証のコピーもとっちゃいました。今回の募集条件は「社会福祉士必須」の場所で、初めて社会福祉士が就職活動に役に立つ場。
あ、そういえば今の勤務先でも社会福祉士の資格は役に立っているかぁ・・・資格持っているおかげで時給が100円upしているから、今も「使える資格」になっていることは確かだね。

さぁ、これで職務経歴書は完成。あとは履歴書に志望動機やその他の事項を色々と書いて、面接に挑むのみ。
あ、あとA4の入る封筒を買ってこないと・・・封筒がもう1枚ある、と思ってみたら・・・日焼けしていたし・・・(^^ゞ

2006.03.06

本日は午後休。先日行った「しごとセンター」に再来。もちろんハローワークに行く前に人材センターの情報やハローワークの新着求人をチェックしてから、改めて紹介依頼。今日は先方の人もいたけど、電話越しで話を聞いていると何となく「無理なのかなぁ・・・」と感じてしまい、電話が終わった後に思わず「やっぱり、(自分の経歴から考えて)厳しいのでしょうか・・・?」と聞いてしまった。向こうの人は「イヤイヤ、高齢者に携わったことがないって言うから、大丈夫かなぁ・・・と思っての確認。」とのこと。
うーん、あんまり現状は逆風気味だけど、頑張ってみますか・・・

さて、それよりも今日書きたいのは「税務署」のこと。
実はこの前の「自立支援法」の説明会の時に市民税課に立ち寄っていた。と言うのは、昨年末に年末調整のために、前の勤務先から届いた源泉徴収票を添付して提出し、年末調整が終わっていたのだが、それから数ヶ月経ってまた前の勤務先から源泉徴収票が送られてきた。すると、新しい源泉徴収票では前に発行された源泉徴収票と金額が異なっていることが判明。それも、支払いが少なくなっていた。と言うことは、当然医療費控除や来年度分の税金にも影響が出るかも・・・と思い、市民税課へ。実はその前に税務署に行ったのだが「土曜休庁」だっため、市民税課で事情を話し、確認すると「申告の必要がありますね」とのこと。市役所で申告書をもらったけど、面倒だったので自分で「前の勤務先」と「今の勤務先」からもらった収入を手元にある源泉徴収票を元に再計算して、ネットで一応の「申告書」を作成することに。そして今日、時間ができたので帰宅後、書類を持って税務署へ。

ただ、やっぱりイマイチ判らない部分もあったので最初に「確定申告の相談はどこで?」と尋ねて、案内された場所へ。そしてその場で、今までの経緯を説明。
ちなみに、今までの「経緯」とは・・・昨年年末に職場での「年末調整」があり、その中で「前職で給与があるものは、源泉徴収票を添付して提出のこと」とあったため、退職時にもらった源泉徴収票を添付して提出することに。そして去年の年末調整は「現在の給与+前の職場での源泉徴収票の実績」を合算して計算された結果で若干所得税が戻ってきた。これで終わり・・・と思いきや、その数ヵ月後に新たな「源泉徴収票」が前の職場から送られてきて、その内容を確認すると「支払金額」のみが少なく、あとの金額(社会保険料・源泉徴収税額)は変わりなし。「これ、だめじゃん・・・」と思い、確定申告の時期に合わせて確認に行こう・・・というのが、これまでの「経緯」なのです。

その経緯を話すと「じゃ、訂正申告と言う形で、作ってください。あと、医療費控除も一緒に。あとで「訂正申告」の版を押しますので。」と言うことで、申告書を再作成することに。
そしていざ自分の順番が来て、事情を話すと「じゃ、医療費控除の申告書を作ってください。」とのこと。ところがいざ作ってみると、エラーメッセージが出てできない。そのことを話すと「あ、じゃ済みませんが、確定申告の申告書の方からもう一度作っていただきませんか・・・」とのこと。「何だよ・・・」と思いながらも、一度作っているため、作成そのものは問題なくできた。そして、あとは医療費控除の内訳をもう一度書き直して、源泉徴収票を添付して終わりだ・・・と思い、もう一度確認。すると、ここで思わぬ答えが。


うーん、これじゃ、ダメだね。


ダ、ダメ???散々色々確認しながらやってきたのに、ダメなの???
で、事情を話すと「そうなんだ・・・でも、これじゃわからないから・・・」とのこと。イヤ、何がわからないのよ・・・単純に支払われた金額だけが異なって、あとの金額は同じだってことだけじゃない。つまり「収入金額」が変わることだけじゃん。それがどうして「わからない」なの?間違ってきたんだから、それを正しに来たんじゃん。なのに「ダメ」って、どういうこと?「エッ?どうしてですか?」と食らえつくが、話は全然埒が明かない。「収入が変わると、源泉徴収額も変わるでしょ・・・」なんていっているけど、これは既に「確定」してしまったために改めて「修正」をするために来ているのに、どうして「変わる」ってことになるの?変わるなら、ここで修正申告して変わるんでしょ・・・と思った。さらには「これは訂正申告ではない。確定申告だから。確定申告と年末調整は違うから」とのこと。イヤイヤ・・・ちょっと待ってよ、「確定申告」と「年末調整」は違う???だって、年末調整の結果を元に給料支払者からそれぞれの市に収入が報告されて、それに基づいて翌年度以降の税金が決まるんでしょ?それが「サラリーマン」であり、自営業者や年金収入者の場合はそれがないから「確定申告」をするんでしょ?つまり「会社がやるか、個人でやるか」の違いだけでしょ?結果的には同じになるでしょ?なのに、どーして「違う」って言っちゃうの?
挙句の果てには「まぁ文章を作成して提出するって言う方法もありますがねぇ・・・」と、何とも強気な態度。「これで出してもいいですけど、これだけじゃわからないので給与支払事業者に確認などの調査をしなきゃいけないから・・・」など、煮え切らない返事ばかり。俺のイライラは、頂点に。そして「じゃ、私はどうすればいいんですか?」と聞くと「もう一度、源泉徴収票を取り直してください。で、正しい金額に直して・・・


・・・今までの過程は一体なんだったの?
散々色々と聞いて作って、あと一歩のところで完成だ、と言うところなのに、最後の最後でちゃぶ台をひっくり返された状態。「だったら、最初からその説明をしろよ!」と、かなりハラワタが煮えくり返っている状態。ブチギレ、一歩手前、火山爆発寸前の状態。

そのあともグダグダ色々言っている状態で面倒になった自分は「わかった、取ってくればいいんでしょ。」と投げやりに言い放って、税務署を後に。
その後、帰りの車の中で怒りが大爆発したのは、言うまでもありません・・・

本当に、やっていられません、税務署の頭カチカチの職員相手には・・・ってか、みんなわかってないじゃん。
ちゃんとわかっている奴を置いて置けよ、コラ、テメェ・・・凸(-"- )

2006.03.05

スコブル、好調?

何故だかわからないけど、昨日は久しぶりに2時ごろまでダラダラと起きてしまった。そのため、今日の起床は正午。久しぶりにお昼まで寝ていた。
で、起きて15分ぐらいして、ケータイが。母からの電話。「大丈夫そうだったら、出てきてくれない?」とのこと。

実は今日は母親1人で祖母の病院に行く予定だった。ただ、祖母の病院に行く前に車椅子の座布団を用意してから行くはずだった。ところが車椅子に使える座布団が見つからず、近辺を色々と探し回ってみたものの、結局見つけることができず、自分のところにヘルプコール。お昼を食べて、母親を迎えに行くことに。そして迎えに行って母親から「どこに行っても見つからないのよねぇ・・・あと、どこなかな?」と聞かれたので「じゃ、ルームズは?」と一言。「あ、ルームズね。そこがあった!」と、すぐに次の目的地が決定。
結局、座布団を買って一緒に行くことになりました。実を言うと、祖母の病院に行くのは3日連続。昨日は「自立支援法」の説明会が思ったよりも早く終わったため、そのまま母親と一緒に病院へ。そして一昨日は自分が求職を出そうとしている施設の場所を確認しに行くついでに、祖母の病院に1人で立ち寄ることに。

はっきり言って、昨日・一昨日は「ボケェ~」としている状態で、波の低い状態だった。コミュニケーションもあんまりかみ合わず、何となくどっか「抜けている」状態だった。ところが今日は、昨日・一昨日とは一転、だいぶ調子が良かった。最初のうちはあんまり気乗りしていない部分があったけど、久しぶりに車椅子での散歩を提案して、車椅子に半介助で乗せて自走してもらっているうちに、徐々にながら体が動くように。まぁある程度のところまで行くと疲れてしまったみたいで、適当なところで自走を切り上げて、そのまま自分が車椅子を押してロビーへ。そしてロビーについて自分が開口一番「水、飲む?」と聞くと「ウン」とコックリ。もちろん嚥下困難で普通の水やお茶は飲めないので、水分補給ゼリー(通称「アイソ」と呼んでいます。「アイソトニック」からの略称です。いろんな呼び方があります。)を使って、水分補給。以前自分が飲ませたときは1本150mlあるものを半分しか飲めなかったものが、今日は1本すべてを飲みきってしまった。内心「たぶん全部は飲めないだろうなぁ・・・」と思っていたので、全部飲んだことにちょっと驚き。「オォ、全部飲んじゃった」と思いながらも、1本摂取できるようになったことについてはADL向上の様子がここにもあるのかなぁ・・・と実感。

ただし、口腔清拭に関しては、やっぱり不十分な状態。一昨日行った時に口腔清拭のことについて聞いたところ「自分でやっていますよ」とのこと。たぶん自分ではやっているのだろうけど、でも完全にはできていない状態。さらにそのあとのチェックもできていないため、歯垢がビッシリとついてしまっているのだろう。今回も口を確認したら、やっぱり歯垢が溜まってきている状態。そのため病室に戻った後に、口腔清拭を実施。案の定、何度も水を交換して清拭をしました。ただ、今回口腔清拭をやって実感したのは「見えない部分の汚れ」が結構目立つこと。歯の内側が結構汚れており、それを除去するのに結構苦労しました。到底一回の作業だけでは終えられそうではないので、何度か継続して口腔清拭を個人的に行っていこうかなぁ・・・と思います。
あ、前にも言いましたが、本来ではあればこれは「病院」の仕事ですよ。何も自分がそこまでやる必要はないのですが・・・職業柄、やらずにいられないんですよねぇ・・・ハイ。

何はともあれ、まだまだの部分はあるものの、昨日に比べたら波は好調ライン。コミュニケーションも成り立っていてスコブル順調・・・と思いきや、夜になって母親のケータイに親戚から電話があり「座布団のこと、覚えていない」とのこと。挙句の果てに「今日は誰も来ていない」だって。あらら・・・やっぱ、そんなものなのね。まぁもう歳だから仕方ないか・・・それに、この前の要介護度の再判定で「要介護1」から「要介護5」にいきなり跳ね上がっているしね。まぁこっちも割り切っているから、全然気にしていないけどね・・・(^_^;)

2006.03.04

コトバ★「障害者自立支援法その11」

これまで10回にわたって「コトバ」で取り上げてきた「障害者自立支援法」。今日は第11回目です。
まだ説明をしていない部分もあるのですが、今回はちょっと説明の方をお休みして、別の方向から行きたいと思います。

障害者自立支援法が成立したのは去年の11月のこと。本来であればもっと早く成立し、そして今頃は障害者自立支援法で制度が運営されるはずでした。しかし例の「郵政解散」によって障害者自立支援法も廃案となり、先の特別国会にて障害者自立支援法が可決・成立した背景があります。そのため障害者自立支援法に関して当事者が置き去りになったままの状態が続いており、昨年末に厚生労働省が全国社会福祉協議会と共同で障害者自立支援法のパンフレットを作成し、各自治体に配布するようになりました。

それを受けて、各自治体でも「障害者自立支援法」の説明会が行われています。そして施行1ヶ月前になった今日、ようやく私の住む自治体でも障害者自立支援法の説明会が行われました。私が勤務している自治体では既に2月に実施されていましたが、時間的な都合でそっちの説明会には参加できませんでした。なので今回は自分の住んでいる自治体の説明会に参加することにしました。もちろん、福祉従事者としてだけではなく「障害者を身内にもつ者」としても参加してきました。今回は、その説明会のことについて書きたいと思います。

と言っても・・・結論から言ってしまえば、冒頭の挨拶から市の説明は「降参」状態でした。
いきなり「ようやく最近になって自治体の方に情報が降りてきて、私たちもどうしていいことやら・・・」と、いきなり白旗を振っている状態。正直今回の説明会に参加して、思いっきり会場内を荒らしてやろう、と思ったのですが、いきなりの白旗に、こっちもやる気が失せてしまいました・・・まぁ説明の内容に関しては今までこのblogで取り上げてきたことをそっくりそのまま説明しただけのことです。別に新しいことについて触れられることもありませんでした。で、質疑の時もほとんど会場からは手が上がらない状態。ある程度空気が温まったら質問しようかなぁ・・・と思っていたのですが、その気配が感じられなかったので、仕方なく温まらないまま質問をすることにしました。
以下、自分と役所の答えです。


Mitake:自立支援医療制度に関してだが、この制度は国制度である。これ以外に現在、東京都独自で行っているマル障(東京都身体障害者医療費助成制度)やマル都(東京都難病医療費等助成制度)があると思うが、今回の自立支援医療が実施されても、マル障やマル都の方が優先されると考えてよいのか?
回答(市):そのように考えてもらって構わない。

Mitake:利用手続きの際の「介護等給付」に関して、障害程度区分を「区分1」から「区分6」に認定するとあるが、この認定と利用者負担に関しては何か関係はあるのか?
回答(市):利用者負担には影響はない。ただし、サービス利用をする際に一定の基準・尺度として障害程度区分が用いられる可能性はある。

Mitake:現在施設サービスとして位置づけられている「福祉工場」は労働基準法が適用されるが、今回の制度移行に伴い、労働基準法などとの関係を踏まえ、どのように扱われるのか?
回答(市):労働基準法による「最低賃金の保障」などご指摘の通りだが、新制度では「就労移行支援」に組み込まれるものと考えている。

Mitake:「自立支援給付」(介護給付・訓練等給付・自立支援医療・補装具)に関しては国制度において実施されるが「地域生活支援事業」に関しては市町村の裁量で行われる事になっている。現在市には知的障害者デイサービス・身体障害者デイサービスなどの事業があるが、今後このような事業やガイドヘルプなどの支援に関して、現在の時点で市は「地域生活支援事業」に関してどのような計画を持っているのか?
回答(市):デイサービスに関して、新制度で制度化されているのは児童のみであり、身体・知的は含まれていないのは確かである。そのため身体・知的のデイサービスに関しては「地域活動支援センター」の形で提供する予定である。またサービスの給付水準に関しても新制度に移行後も従来と同水準でのサービス提供を予定されている。ただし「地域生活支援事業」の財源は「一般財源」から賄われることになるため、国から支給される補助金の額によっては規模の縮小も否定できない。ただ、現在の時点では同水準を維持する方向で考えている。


うーん、とりあえず今回質問したのは4つ。うち、直接関わってくるのは最初の質問だけ。あとは「潰し」みたいなもの。って言うか、ぶっちゃけ説明会に来ていた人のうち、ほとんどの人は「わからない」と言うのが感想だと思う。今回は「あんたも当事者なんだから・・・」と母親を同席させての参加だったが、本人に「内容、わかった?」と聞くと「全然!(わからない)」との答え。そりゃそうだ、現場の人間も混乱しているのだから、当事者はもっとわからないだろう。事実、周りからは「何を質問していいのかわからない」と言う声もあった。つまり「わからないところがわからない」と言う状態であり、結果として「わからないから質問できない」と言う状態だったのが、今回の説明会。予定では「訓練等給付の『一定期間』って、どれくらいの期間?」とか「法外施設はどのように扱われるの?」とか「訓練等給付の個別支援計画や評価はどこが担当するの?」とか・・・などなど、突っこんでみたいことは色々あった。ただ自分だけが質問しては周りで質問したい人の支障になりかねないかな・・・と思い、ある程度のところで切り上げてしまったけど、一番核心を突く質問は「なぜ施行1ヶ月前と言う差し迫った時期に、今頃こんな説明会を開くのか?」と言うのをぶつけたかった。しかし冒頭の挨拶で「白旗宣言」をされてしまったため、結局この質問をぶつけても返ってくる答えは大体想定できる。なので、結局この部分は質問をしなかった。そして・・・周囲からは大した質問もなく、そのまま終了。自分が働いている自治体の説明会では結構荒れたみたいだったけど、うちの自治体はほとんど荒れなかった。うーん、こんなことなら、もっと荒らして帰って来ればよかったかなぁ・・・と思っている自分もいたりして・・・(^^ゞ
今回は「障害者自立支援法」の番外編でした。

2006.03.03

重たいなぁ・・・深いなぁ・・・

今日は有給取得。当初の予定では午後休にする予定だったけど、1日休を取る予定だった職員の人が午後休にしたため「なら俺は・・・」と言う形で、自分が1日休を取ることに。結果的にこの「1日休」を取ったの、正解だったかも。

と言うのも、そろそろ次の場所を探さないと・・・と思っており、1年ぶりに飯田橋のしごとセンター行ってきました。
でも当時の状況と今の状況は、完全に一変。当時は作業療法の学校に通学できることを前提にした求職活動を行っていたけど、この1年間で自分の状態は激変。パニック障害と診断され、学校を退学。そのため今まで前提条件だった「学校優先」がなくなることに。

で、具体的に何が変わるのか・・・って言うと・・・
今までは「パート」として求職登録をしていたけど、今度はパートでいる必要はない。また次が3つ目の職場探しと言うわけで、今回はしっかりと腰を据えて仕事をしていきたい・・・という気持ちがあるため、フルタイムでの仕事を探すことに。よって登録種別も「パート」から「一般」に切り替えてもらうことに。でも以前の「パート」で登録した時の求職カードがなくなってしまったため、事情を話してもう1度作ってもらうことに。去年ハローワークに行った時に「利用しなくても、1年間は求職票は保管してありますから、また何かあったら来てくださいね」と言われていたので、求人票検索をしている間に自分の求職票を探して求職カードを作ってもらうことに。

そして求人票とにらめっこをすること、約20分・・・その中から4つの求人票を選択。
しかし・・・問題はここから先。どの求人に申し込みをするのか・・・もっとも、今の時点で一番懸念していることは「体調」の問題。フルタイムで仕事をする、と言っても、以前のように「何でもOK」と言う状態ではない。服薬もしているから宿直や夜勤などの不規則な時間帯になる仕事は基本的に困難。交代制勤務程度なら何とかなるが、それでも通所施設や相談系の仕事がこれから目指すべき方向になる。その結果見つかったのが、4件の求人。すべて「高齢者関係」の仕事で、自分にとっては未知の領域。「未知の領域に足を踏み入れること」への不安と、自分の体調への不安、さらには体調のことが求職活動にどの程度影響を与えてしまうのか・・・などなど、色んな不安を抱えながら、求職申し込みをする前にハローワークの人とじっくりと相談。その結果、「何とか頑張ってみよう」と言うことで、1件の求人票に求職申し込みをすることに。ところが、求職申し込みをしたものの、先方の担当者が今日は不在。なので日を改めて・・・ということになり、来週の月曜日にもう一度ハローワークに行くことに。ハローワークの人から「Mitakeさんから直接電話をかけてもいいみたいだけど、どうします?」と聞かれたけど、できればセッティングをして欲しい・・・と思ったので「じゃ、月曜日の午後にまた来ます」といい、とりあえずは先延ばしに。

うーん、こういう展開になるとは思っていませんでした。きっと午後休で行ったらこう言う答えは出せなかったでしょう。たまたま昨日診察で午後休を取ったからもう半日残っており、今日1日休を使ったことにより上手に残った「半日休」を活用できることに。結果的に、今日は1日休んで正解だった。

と言うわけで、午前中に活動を終えたため、午後は久しぶりに「心のオアシス」へ。5ヶ月ぶりに、行くことに。
今は「めぐりあいの世界」と題した企画展をやっていたけど、今回はとっても内容が重く、そして深く感じる作品が多かった。色々と紹介したいけど・・・今日は結構時間を割いてしまったので、割愛します。でも「原点」って言う詩は、本当に奥深いなぁ・・・なんだか「禅問答」のような感じだったなぁ。


(おまけ)
美術館の帰り道、有楽町から電車に乗っても良かったけど気分的に「歩こうかなぁ・・・」と思い、歩いて東京駅までいきました。
その途中にビル発見。思わず「あ、丸ビルだ!」と思い、ケータイで1枚カシャ。
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あぁ、こんな近くにあったんだなぁ・・・と思ったが、よくよく考えてみると「丸ビル」って東京駅の目の前にあるはず。で、自分がいる地点は、まだ東京駅の「前」ではなく東京駅近くの「ガード下」。ってことは・・・これは、丸ビルではない。

ハイ、本当の丸ビルは、こっちです(^^ゞ
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イヤァ・・・ホントにオッチョコチョイ野郎です・・・(^_^;)

2006.03.02

スコブル穏やか&疲労困憊?

本日、定期通院日。前回同様、今日も「午後休」で病院へ。

今日はちょっと待ったけど、正直なところ「スコブル穏やか」な状態です。ちょうど先月から「ワイパックス」という抗不安剤の量が若干upになったのですが、その効果なのか「パニック症状」が自分でもわかるくらいに安定している状態です。たまたま一昨日の夕食中にパニック発作がありましたが、それを除いては発作はなし。薬をちょっと変えるだけでこんなにも気分的にも楽になるなんて・・・恐るべし、お薬の力。

ただし・・・どんな薬にも副作用はあるもので、当然この薬にも副作用が。
その1つに「眠気」があり、基本的に安定剤には「眠気を催す」作用を多く含んでいるものが多い。事実、今の仕事についてからは仕事が終わって帰る電車の中ではほとんど爆睡状態。だからケータイのアラームをセットしておかないと「乗り過ごし」をしかねない状態なので、ウカツに普段と違う電車に乗れない状態。電車に乗っている時間は前の職場で通勤していた時とそんなに変わらないんだけど、なぜか今の職場の場合は必ずと言っていいほど、帰るときの電車の中では爆睡状態。

で、今日は通院だったので電車の中で寝ることはなかったけど、その代わりに自宅で爆睡。
診察が終わって帰宅し、ちょっとパソコンをいじっていると徐々に眠気が・・・そのうち睡魔に耐えられなくなりパソコンを落として、ベッドへ。すると程なくして母親が帰ってきたみたいで、自分の部屋へ様子を見に。「大丈夫?」との声かけに「うん、ちょっと眠いから休んでいる」と答え、そのまま・・・(-_-)zzz

いや、最近の自分は本当に一度寝てしまったら最後・・・というくらいに眠気をきることが大変な状態。
まぁ外に外出していれば多少の緊張感があるから大丈夫だけど、自宅の中では緊張感ゼロ。そのため、一度眠りについてしまったらちょっとやそっとでは起きない。だから結局起きたのは、夕飯ができて母親が直接起こしに来るまで目覚めなかった。きっと何度か呼んではいるものの、2階と1階だから呼ばれていることに気がつかなかったのだろう。だからわざわざ部屋まで来て起こしにきたのだろう。

ただ、最近は眠剤を飲んでもすぐに寝るケースは少なく、なんとなく・・・って感じでここ最近は12時就寝、6時半起床がパターン化。だから今日自宅で寝てしまったのも、この影響なのかなぁ・・・

ま、もちろん仕事でも色々とストレスは抱えていますが・・・えぇ。(謎)

2006.03.01

処理、早すぎ?

今日から3月。でも・・・メッチャ寒い。
去年の年末に髪を切って以来「帽子」が必需品になっているけど、髪が伸びてきているのにもかかわらず、未だに帽子が手放せない状態。「頭が寒い」と言うよりは「耳が寒い」といったところ。そんでもって今日は職員会議で勤務延長45分。よって退社は17時15分。もちろん、外は寒い・・・

で、本当は昨日職員会議をやる予定だったのだが、色々と都合があって今日に延期。
内容はと言うと、来年度のことについて。と言っても、来年度はもう自分はいない。だから正直関係ない、と言ってしまえばそれまでなのだが、3月いっぱいまでは自分も職員であるから、その部分は「仕事」としてやらなきゃいけない。

でもねぇ・・・話を聞いていると、残り1ヶ月でやることってメチャクチャたくさんあるみたい。
本来であれば常勤がやるべき仕事ばっかりだけど、前の職場の考え方が残ってしまっているのか「甘い!」と話を聞いていて思う場面も多々あり。(と言っても、やっぱり自分からあーだ、こーだって言いにくいものです。もちろん自分の「意見」としては、ちゃんと言っていますよ。)そんな中で自分に関係してきそうなことが「個別支援計画」のこと。以前にもちょっとだけ触れたことがあるけど、現在の法律(知的障害者福祉法及び関係法令)では「知的障害者デイサービス」には個別支援計画の策定義務はないので別に取り上げなくてもいいのだが、施設として運営している以上はやはり「個別支援計画」は必要。で、一応は施設として個別支援計画は立案したものの、結果としてそれが家庭に行くことはなかった。本来であれば家庭に個別支援計画を渡して、それに同意をもらった上で支援が開始されるのが通常。しかしながら、結局個別支援計画を立てながらもその過程を経ることなく今年度が終わってしまった。正直「それはまずいだろう・・・」と思いながらも、逼迫した現状を見ているとあまりいえるような状態ではなかった。ここは、この施設の大きな「課題」として残っている部分だろう。

さて、その「課題」に取り組むわけだが、最初の話では来月の頭までに今年度の個別支援計画の評価・まとめを行って家庭に提供しよう・・・という話になっていた。ところが、自分が担当しているグループに関しては、3月中にメドを立てなければいけない状態となってしまった。
その理由が・・・自分の退職。

スミマセン・・・正直そんなに自分の存在が「重要」とは感じていなかったのですが、今の施設では「グループ担当制」を採っており、1グループを複数の職員(常勤・非常勤)で担当していく形をとっている。で個別支援計画もグループごとに立案などを行っており、もちろんその過程には自分も携わっている。ただ常勤の職員から「Mitakeさんが3月いっぱいまでだと・・・うちのグループは3月中にまとめなくちゃいけないってことだよね?」とのこと。
エッ・・・自分、そんなに荷物背負っていたんですか・・・って感じ。もちろん産休代替職員であり臨時職員である自分を「対等」に考えてくださっているのは、本当にありがたいことなのですが、そこに自分が必要とは、ちょっと考えていませんでした。正直、今の自分は「4月からどうしようかなぁ・・・」と考えているのが精一杯の状態。だから今の職場のことなんか全然考えていませんでした。単に「あぁ、あと1ヶ月で終わりなんだなぁ・・・」とちょっぴり感慨にふけっていたくらいでした。

となると・・・もしかして、自分はちょっとヤバいことをやってしまったかも・・・
「身の回りの整理をしないと・・・」と思い、昨日から職場の身辺整理を開始。その一環として、利用者の個人情報の破棄を行っていた。個人情報の破棄・・・そう、それは「シュレッダー処理」のこと。前の施設を退職したときも膨大の利用者個人情報を持ち帰っての処理を行い、あまりの量の多さに電動のシュレッダーまで購入して個人情報処理を行っていた。そして今回も比較的多めの「個人情報」を握ったままの状態になっていた。なので、昨日からシュレッダー処理を行っていた・・・のだが、当然その情報の中には「個別支援計画」や「月間まとめ」も含まれており、今日の職員会議の流れを見ると「もしかして・・・シュレッダーかけるの、早すぎたのか???」とちょっと焦り気味。既に細かく細断されてしまっており、今から復旧することは不可能。もし必要になったら・・・どうしましょ・・・?


ウン、そのときは「あれ・・・まちがってシュレッダーしちゃったかも・・・」と言って、コピーさせてもらいましょ(^^ゞ
ドンマイ、ドンマイ・・・(^^♪

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