「引き出し」を増やしていくには・・・
今週の勤務、2日間のみ。超、ラクな勤務・・・まぁその分遊んでいるしね・・・(^^ゞ
唐突だけど、以前「社会経験」と言うことでホテルにフルコースのランチを食べに行った話をした。
まぁこのときは単なる「予算消化」のために行ったけど、現実として障害が重くなるにつれて、「社会との関わり」と言う部分で制限を受けることが多い。また制限とまでは言わなくても、普通の人であれば当たり前にできることが、できないことだってある。それは単に知的な側面や身体的な側面だけではなく、精神的な側面、いわば「心」の部分に関わってくることもある。
で、正反対のことを言うと、逆に障害の程度が「微妙」な位置にいる人・・・つまり重度ではないが、軽度でもない。ただこれと言って日常生活に何か問題が生じているわけではない人・・・というのもある。そういった人こそ「心」の部分で難しい場面が多い。こんな言い方をしてしまうと差別をしているかのようになってしまうが、変に自分の状態を理解しているために、例えば「やりたいこと」があっても躊躇してしまう部分が生まれることがある。それは日常生活の部分から社会生活、果ては恋愛まで広範囲にわたる。
こういった、いわゆる「自己実現」の問題に直面した時、支援者はどうあるべきなのだろうか?
以前勤めていた施設で「何か新しいことを提供してみては」と言う意見が出た。それは例年バスハイクを行っていた際に、必ずと言っていいほどTDRが行き先として話題にあがっていたからだ。当時その施設に就職したときは今までの行事でどんなところに行っていたのかを完全には把握していなかったが、どうしても利用者にとっては「ディズニー」の楽しかった印象が他のどんな行事よりも強く残っているみたいで、利用者に「行事でどこに行きたい?」と聞くと、必ずと言っていいほど「ディズニー!」と言う意見が出ていた。利用者にとっては楽しいかもしれないけど、職員サイドから見れば「マンネリ」状態である。
結局どうして「ディズニー」になってしまうのか・・・それは彼らの「経験の引き出し」が少ないからなのかもしれない。
彼らにとって「余暇を過ごす」といえば・・・ほとんど自分自身で「余暇」をクリエイティブすることが難しい現状。そんな中で施設内で行う行事や日々のレクリエーションの中で余暇を経験している状態である。つまり彼らが「実際の生活」において役に立つことのできる「経験」が少ないために、同じ引き出しから同じものしか出せない現状を作り上げてしまっているのであろう。だから支援者としては少しでもいいから多くの「引き出し」を作っていけるような支援をしていかなければならないのだろう。
ただ、こういった方法で引き出しを作れるのは、言語的コミュニケーションが取れたり、障害の程度が比較的重くない利用者に限られてしまう。問題なのは、言語的コミュニケーションが困難であったり、障害の程度が重かったり、重複障害を持っている場合。彼らに対して「経験値を上げる」には、どのようにしていけばよいのか?多少強引でも、半ば引っ張り出すようにして色んなことを経験していくことが、果たして望ましいことなのだろうか?
今自分が可能な限り行っている「経験の支援」は、金銭管理程度しかできていない。
でも本当はもっと別の部分でも支援をしていかなくちゃいけないのかなぁ・・・と感じる部分がある。と言っても、残された期間はあと1ヶ月。もちろん4月からの自分自身のことも考えていかなくちゃいけないから、人様のことよりも自分のことを何とかしなければいけないのだが・・・本当は。
なんか漠然とした内容でスミマセン・・・ちょっと今日の仕事で色々と感じたことがあったので、走り書きしてみました。
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