「兄貴」の目線
最近改めて自分の携わっている業務が「介護だな」とつくづく実感する日々。
いや、やっていることは「生活支援」で、その点では授産施設のときも同じだった。だけど今の場合は授産施設の時にはほとんどなかった「排泄介助」「食事介助」「衣服着脱」の、いわば介護の3大援助を行っている状態。よくよく考えれば「デイサービス」って、高齢者分野で直訳をすれば「通所介護」なのだから、結局知的障害の分野のデイサービスも「介護」になるのかな?
もちろん、全員が全員介護を必要としているわけではなく、授産に適応するのが困難であり、かといって更生に行くほどのレベルではない・・・という人・・・悪い言葉を使えば「どっちつかずの、ハザマにいる人」が利用しているのが「デイサービス」なのかなぁ・・・と。(デイサービスの意味については「コトバ★デイサービス」で取り上げているので、そちらの方を参考にしてください。)
だけど利用者の面々を見て、改めて思ったことが。
自分が学生のとき、知的障害者の入所更生施設へ実習に行った時は、接する利用者のほとんどは自分よりも年齢の高い人ばかりだった。むしろ、一番年齢の低い人が自分と同じぐらいの人であり、「目上の方」を支援している状態だった。当時自分が現場実習に行っていた時は22~23歳。一方で施設の平均年齢は40代オーバー。利用者から「お兄さん」と言われて若干戸惑いながらも「○○さんはできるから、やってみましょう。」と声かけをした実習の日々。
しかし今、ふと自分の周りの利用者を見てみると、かなり自分の歳よりも下の利用者が多い。
授産の時は自分とタメの利用者が5人もおり、なおかつ、半分以上が自分よりも年下だった。
そして今の施設では、自分より年上の利用者は片手で数える程度。しかし自分が担当するグループではほとんどが19・20といった年齢。対して自分の年齢は・・・27歳。
現場実習のときに利用者との年齢や利用者への呼び方に戸惑っていた時期から、数年経っている。でも、その「たった数年」だけで、自分の置かれている立場は全然異なってしまった。同い年の利用者ならともかくとして、養護学校を卒業してきたばかりの利用者から見たら、正直自分は「兄貴」のような存在。「体を使ってコミュニケーションを取っている」と書いたこともあったけど、よくよく考えれば兄弟ほど離れた年齢の利用者を相手にしているわけであり、ともすれば利用者にとっては「お兄ちゃんと遊んでいる」と言う感覚もあるのかなぁ・・・とふと感じてしまう。
今までは「支援者の目線」とか「同世代の目線」と言うことを考えることがあったけど、「兄貴の目線」と言うのは改めて感じた。彼らにとって見れば「職員」であることは変わらないけど、ただ年齢的に言えばお父さんでもお母さんでもない。かといって「学校の先生」でもない。となると・・・彼らにとって見れば「お兄さん・お姉さん」と言う感覚の方が強くなるのかなぁ・・・とふと思ってしまう。トイレの見守りのとき、利用者がトイレで遊んでいたのを見て「トイレは遊ぶところじゃない!ちゃんとしなさい」とビシッと言って、手洗いの声かけをした後、服の乱れが気になって服装を直した自分。そのちょっと前は、利用者とプロレスごっこをして遊んでいた。プロレスごっこをしているときの利用者の表情は「ニヤァ~」と嬉しそうに笑っている。思わずこっちも、笑顔で返す。でもトイレの場面になると厳しく接する自分の存在・・・そんな自分を見ていて、思わず「俺はこの子(=利用者)の兄貴みたいだなぁ・・・」と感じてしまった。そして自分が接している利用者を見渡してみれば、みんな19・20の利用者ばっかりだった。
彼らと7・8歳も離れている自分。自分の年齢を実感すると共に、「自分って彼らにとってはどんな存在として映っているんだろうなぁ・・・」としみじみ感じた1日でした。
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