やっぱり俺には無理なのかも・・・
今日は夕方に祖母の病院に行ってきました。もちろん、食事を見るためです。
前回行った時は既に食事も終わっており、食事の状況を見ることはできなかったのですが、今回はしっかりと見ることができました。
前回行った時にナースの人がいたのでどんな食事をしているのかを聞いてみたが、いまいちハッキリしなかった。「刻み食って聞いたんですけど、どの程度の刻みなんですか?」と聞くと「細かく」と・・・いや、「刻み食」だから細かいのはわかってるって・・・なので「うーん、粗みじん程度ぐらいですか?」と聞くと手で「こんな感じで」と表現・・・って、ドラえもんの手の形にして、その間にできた隙間で大きさを表現しているだけのこと。ハッキリ言ってさっぱりわからない。で思わず「流動食?」と聞くと「ハイ」との返事。
なら初めから「流動食」と言えよ、って感じ・・・
で、実際に食事時間に行って見ましたが・・・流動食と言う名のミキサー食でした。(ちなみにどんな食事なのか・・・というのを知るには、養護学校のホームページの給食紹介を例にした方がわかりやすいと思うので、そちらを参考にしてください。今回は「東京都立大泉養護学校」の給食例を参考にしました。ちなみに私たちが普通に食べている食事や病院・施設で食事に関して問題のない人の場合はいわゆる「普通食」(常食)であり、嚥下に問題がある人の場合「中期食」や「後期食」(刻み食・粗みじん食)となります。そして「初期食」に当たるのがミキサー食となります。さらに嚥下が困難な場合は、ミキサー食よりももっと食べ易い形・・・「流動食」となります。)
食事を見たときは正直「ウワァ・・・ここまで落ちちゃったのかぁ・・・」と驚いてしまいしました。でもそれが現状なんです。さらに驚いたことに、今日の昼食の食事量は5分の1。ほとんど食べていない状態で・・・結構ヤバイ状態な感じでした。
そして何と・・・病院の方で食事介助をするのかと思えば、ワーカーの人が「せっかくご家族の方が見えられたから、ご家族の方に食べさせてもらいますか?」と祖母に聞く。ってか・・・今の婆ちゃん、意思疎通混濁状態。そんな状態で答えられるわけではない。
と言うわけで・・・仕事でもないのに、婆ちゃんの食事介助を実施。まぁもっとも「食介するかもな・・・」と思いながら事前に手をアルコール消毒して病室に入っているから、気持ち的には最初から食介前提で行っていたことも事実だったけどね。
それにしても婆ちゃんの食べるミキサー食、久しぶりに見る食事。専門学校のヘルパー実習で行った特養の食事介助以来のミキサー食。ハッキリ言って「旨くないだろうなぁ・・・」と思いながら食介。ミキサー食だから当然原形もわからず、周りの患者の食事を見てもイマイチわからない。だから思わずつっけんどん気味に職員の人に「これ、何ですか?」と聞いてしまった。それくらい、何の食事なのかがわからないくらいにペースト状にされてしまっているため、本当に「口から食事を摂る」と言うことを目的にしているぐらいにしか思えない内容だった。ご飯も「全粥」言うよりも「でんぷんのり」みたいな状態。ご飯の粒すら見えない状態なのだから・・・きっと美味しくないだろうなぁ・・・と思いながら食事をつけていた。
しかし・・・自分が婆ちゃんに食事介助をして改めて思ったこと。
俺は絶対に高齢者施設での介護職、特に病院・入所施設での介護関係の仕事は出来ないだろうなぁ・・・と言うこと。
一度「御岳の山」の「現場実習」のページでも書いたかもしれないけど、高齢者に対しての食事介助がどうしても自分には受け入れられなかった。そして今日も婆ちゃんに食事介助をしたけど、やっぱり自分はそれを受け入れられなかった。いや、食事介助をすることを拒否しているわけではないし、排泄介助などを嫌がっているわけでもない。食事介助にしろ排泄介助・オムツ交換にしろ、そんなことは今の施設でもやっている。だからできないわけではない。その技術はあるし、方法も知っている。
ただ・・・自分が受け入れられないのは「時間に追われながら介助をしている」と言う雰囲気。それがどうしても自分の中では納得できない。もちろんマンパワーの問題もあるし、スケジュール・運営の問題があるのも十分にわかっている。でも、何となく感じる「バタバタ感」の中での食事介助・・・これが、自分には受け入れられない。自分が婆ちゃんに食事をつけているとき、職員が食介をしている患者さんは20分足らずで終わってしまった。対してうちの婆ちゃんは、時間をかけながら食事をさせていた。嚥下の問題もあるけど、自分の中では「食事を苦痛なものにしたくない。食事は楽しむものだ。」という「アクティビティ」の概念を持っているからである。そう考えると、ただ単に闇雲にどんどん食事介助をしていくのではなく、ある程度「間」を取りながら食事をしていくのが、本来あるべき「食」と言うものではないのかな・・・と思っている。会話をしながら食事をすれば、ご飯も美味しく感じるし、はかどる・・・というのがあるのと同じように、食事介助だってそれは当然あるはず。だからどうしても自分には、どんどん周りが食事が終わって片付けられている光景・雰囲気が我慢できないのである。その食事に、余韻はないのか?
今の施設でも当然食事には「時間」と言うものがある。ただ、その人の能力や摂食状態に応じて食事介助は行っているし、時間がかかっても自分で食事ができる人、最低限の介助で食事ができる人はそのペースで食事を行ってもらっている。そして食事介助をする時は、その人の様子を見ながら食事をつけている。だから今の施設では何とか自分は「食事介助」と言う業務を行うことができるのだと思う。でももし、時間に追われながらせかせかと食事介助を行う施設であったら、きっと自分は耐えられないだろう。
今の施設の労働契約は来年の3月まで。従って4月以降はまた新しい職場を探さなければならない。
当初は「高齢者施設も検討のうちに・・・」と思っていたが、今日の一件でやっぱり自分は高齢者施設は不向きな人間である、と実感した。いや、たぶんデイサービスなどの通所型の施設なら大丈夫だと思うけど、入所型の施設だときっと自分はアウトだろう。もちろんその部分は施設によって違ってくるものだと思うけど、やっぱり立て続けにネガティブなイメージを植えつけられてしまうと、そこから脱却するのはかなり難しいことである。そう考えると、自分に高齢者施設は無理なのかもしれない・・・と改めて実感させられてしまった、今日の面会でした。
あぁ、来年の4月以降はどうしましょ・・・お金もしっかり稼がないといけないし・・・(-_-;)
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