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思ひ出アルバム

  • 卒業式が終わって・・・
    以前HPで行っていた「todya's photo」の写真や「御岳写真館」で使用していた写真を再び復活させるべく、「思ひ出アルバム」として随時更新していきたいと思います。また最近の写真でも「思ひ出」となるものについては、ここに納められていくことになるでしょう。

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2005年11月

2005.11.30

いつまで、黙っていられるのか・・・

今日は1日「昼食外出」のため、ほぼフリー活動。お昼前には施設を出て、レストランへ。
予定ではゆっくりと食べてゆっくりと帰ってくる・・・つもりだったのだが、ハッキリ言って、秒殺。まぁ事前にわかっている分だけオーダーを出しておいて、今日はまだ決めていない数名の利用者の分だけを店内や施設(事前にレストランから借りてきたので)で決めて当日オーダーをかけたので、出てくるのが早かったとは言えば早かったし、準備が整っていたから結果的に「秒殺」となったのかもしれないけど・・・でも、もともと食事に関して「秒殺」の人が多いグループだから、仕方がないのかな?
それにしても、今回のレストラン、本当に対応が良くて感謝・感謝です。こっちの理由でお寿司を「サビ抜き」と言い忘れてしまったため、ほぼ完成していた料理をわざわざもう一度サビ抜きのお寿司に切り替えてくれるところは・・・本当に恐縮であり、ありがたい配慮です。こう言う対応をしてくださるお店には、感謝です。
ありがとうございます、華屋与兵衛さん・・・いや、華屋与兵衛様。

まぁ楽しく穏やかに過ごせたのですが、突然利用者からこんなことを聞かれた。
「Mitakeさん、いつから学校いくの?」

この話題、この利用者とトイレ介助をする時に良く聞かれる質問。7月までは何とか気持ちを持ちこたえて学校に行っており、そのことも利用者に話していた。「学校の授業が大変でヒィヒィ言ってるよ・・・」と和ませながらの対応をしていたが、パニック障害と診断され、そして退学を決めてから自分の気持ちが完全に切れてしまって以降、自分からはなるべく学校の話題には触れないようにしていました。ただ利用者は自分が「学校に行っている」ものとして思っているため、やはり自分の学校のことについてに話題は言ってしまいます。だから退学をしたときは一度話を止めるために「今は体調が悪くて、学校を休んでいるんだよ。お医者さんが行ってもいいよ、って行ったら、行くよ」とはぐらかしている状態。しかし今日はその辺の事情を全く知らない職員がいる中でそのような話になってしまったため、正直自分でもどう対応していかなければいけないのかがわからなくなってしまった。利用者には「行っていない」ことを認めつつも、上司以外の職員には学校に言っていない現状を話していないため、話のつじつまが合わなくなってしまっている。結局その場は職員の方に合わせて、何となくはぐらかしながらの話になった。
でもたぶん、利用者としては混乱していることは確か。散々「休んでいるんだよ」と言いながら、その場を取り繕うために「・・・はぁ、行っています・・・」といった事態に、何が正しいのかわからなくしてしまったのではないか・・・と後悔をする自分。

その後レストランの駐車場でその職員に「実は体調を崩していて、休んでいるんです」と、決して利用者の行っていたことが間違っているいないこと・話の筋として間違っていないことをフォローする意味で話をしたけど、何の病気で休んでいるのかまでは触れていない。この前の「偏見」で書いたように、自分の心のどこかで「自分を受け入れていない自分」がいるために、本当の、核心の部分には自分自身でも触れられないでいるのだろう。

でも正直、きっとこの利用者、他の職員の前でも同じような質問をすることはあるだろう。
かといって利用者に「それはみんなの前で聞かないで」と言うのもどうなのかなぁ・・・と感じている部分がある。しかし制限をしなければ、その都度職員に弁解をしなければならない状況にあり、徐々につじつまが合わなくなってくる状況に陥ってくる。今、「退学」という糸が少しずつ解れかかってきている状況。その「解れた糸」を取り繕うために演じている自分。そう、今の自分は「演じている自分」であり、素の自分は家の中と、このblogにしかいないのかもしれない。職場にいる自分は完全に「昼間は働いて、夜は遅くまで学校で勉強をしている学生」を演じている状態にある。でも本当の姿は「パニック障害を抱え、今後の方向性について悩んでいる若年者」であり、正直新しいことに足を踏み出すことにすらも若干躊躇している状態。「たった一歩」の「一歩」が出ない状態。でも思いだけはたくさんもっている・・・正直、この「本当・真実の気持ち」を吐露し、それを受け止めてくれる存在がないことに、結果として「演じる自分」を作り上げているのかもしれない。帰りの電車で寝てしまうのも、演じていることに疲れている証拠なのかもしれない。

一体今の現状、そしてこれからの自分について、いつまでこのまま黙ってまま過ごす事が出来るのだろうか?
いずれは、話さなければならない日が来るのかもしれない・・・

2005.11.29

何でかなぁ・・・?

ぶっちゃけ昨日の投稿、かなり焦っていました。
と言うのは・・・ネットがつながらない状況が続いたため。

この話、別に昨日に始まった話ではなく、日曜日からのこと。
もっと言えば、その予兆はもっと前にもあったのかも。この前の13日の記事、なかなかココログ画面にログインできない状況が続き、ログインして記事を打ったとしても、その投稿をした後に「ただいま混みあっています。」の表示。そればっかり繰り返されるから、何度も投稿処理をしてしまった結果・・・毎日ご覧になっている方は知っている通り、この記事が4本も連続して投稿されてしまったと言う状況に。

で、今週の日曜日、すなわち一昨日は「ハマりもの」について書こうと思い、さらには「画像つき」でやろうと思ったけど、これがなかなか上手く行かない状態・・・ネットには正常につながらないし、投稿画面にログインすらできない状態。そのときは緊急一時的に「モブログ」で対応して、その日のうちに何とか修正をしたけど・・・その後こんなお知らせが。

2005.11.28

2005年11月27日(日) 22:05 - 28日 00:55の約3時間、ココログの管理画面へログインしづらい状態が発生しておりました

2005年11月27日(日) 22:05 - 11月28日(月)00:55の間、ココログの管理画面へログインしづらい状態が発生しておりました。

◇日時:2005年11月27日(日)22:05 - 11月28日(月)00:55

◇ご利用いただけなかったサービス:
 ・ココログの管理画面へログイン・書き込みなどの各操作

◇原因:システムトラブルのため。

現在は復旧しております。
ご利用のお客様には、ご迷惑をおかけいたしましたことを深くお詫び申し上げます。

そうなのか・・・システムトラブルだったのか・・・ということで、とりあえずは納得。
が、昨日のことに関しては全く触れられていない・・・ということは、昨日はこっちの原因?

実は昨日の投稿、本当なら23:00から23:30までに投稿を終えるはずだったのですが、やっぱりネットが不調。ネット関係の装置の電源を入れなおして再起動をさせてみたり、ルーターのファームウェアを更新してみたり、iPodを外してみたり・・・と何度もやり直して、やっとの投稿・・・と思いきや、やっぱり「ただいま混みあっています。」の表示。既にその時間、23時59分。あと1分しかない・・・そして、タイムアップ。とうとう時刻は0:00をまわってしまった・・・ここに連続投稿の記録、ついに途切れる・・・

と思ったものの、正直「今日書いた記事が今日反映されないのは納得いかん!」との思いから、何とか修正を行うことに。何が何でも、今日の日付に直す必要がある。だって、今日書いた記事なのだから。でも・・・ネットが不調。そして色々とやっていくうちに、再び最初の管理画面に。すると・・・あれ?記事が反映されている。それも、2本も、同じ内容の記事が・・・blogを確認すると・・・やっぱり、2本。今度は余計な記事を削除する作業に・・・しかしここでも・・・ただいま混みあっています。」の表示。

あー!もってやってられねぇ!!!(-_-メ)

とうとうプッツン。このとき、時刻は0時30分。眠剤を飲んで、1時間以上が経過。
眠気も限界、早く寝たい中で、なかなか動かないこの現状にとうとう嫌気がさしてしまい、すべて強制終了。電源OFFにして、即就寝。(眠りのモーツァルトを聞きながら・・・笑)

とはいえ、やっぱり心配。
と言うわけで仕事の休憩中にケータイからちゃんと正常に反映されているか確認をしてみると・・・おぉ、大丈夫でした。ちゃんと記事も1つだけで、重複投稿は処理されていました。

そういうわけではありませんが、今日は早めの投稿。
でもすべての原因は、「ココログフリー」を公開したことにあるんじゃないの・・・って感じ。いろんな人に使って欲しいと言う企業戦略の考えはわかるけど・・・その前に、今お金を払って利用してるユーザーのこともちゃんと考えてくれ、って感じ。せっかくお金を払って使っているのに、レスポンス最悪の環境で使うのは・・・ハッキリ行って「金、返せ!」と言う状態です。「ココログスタッフからのお知らせルーム」にもTBを打ちましたが、大半のTBは「何やねん、その話」と言う趣旨ものもが圧倒的に多いです。いや、もしかしたら全部「ふざけんなぁー!」的なTBかも。
(こういう今日の自分の記事も「ふざけんなぁー!」的な気持ちが入っていますが・・・)

2005.11.28

これが現実。

久しぶりに、月曜日のスポーツ。
ここのところ月曜日は機能訓練に入っていることが多かったけど、今日は人数の関係からスポーツに。「たるんだお腹」をへっこますには、うってつけ。ってか・・・自分の都合で仕事を選んではいけませんね・・・
ただ、周りの職員にとっては今の「スポーツ」はかなりハードらしい。たしかに今やっているのは「フットサル」。やっている事はカッコいいけど、実際はフットサルのフの字にすらなっていない状態。単なる「ボール越しのおしくらまんじゅう」状態。利用者がやっている、と言うよりも、職員の力で半ば強引に動かしている状態。そりゃ、職員はへとへとになります・・・とは言え、前の仕事に比べれば、こんなものは大したことじゃない。この時期落葉をかき集めていたり、真夏の暑い日に公園清掃に行ったり長袖を着てトラックを運転して古紙回収をやっていたときのことを思えば・・・全然、大したことじゃありません。
ただし・・・食生活は悪くなりました。だってコンビニ弁当だし・・・(^_^;)

それはさておき、こんな記事が。

Yahooニュース「有給休暇の取得率、46・6%で過去最低」

 労働者の年次有給休暇の平均取得率が2005年は前年比0・8ポイント減の46・6%で、過去最低だったことが28日、厚生労働省が発表した就労条件総合調査で明らかになった。
 厚労省は、景気の回復に加え、「周囲に迷惑がかかる」などとして長期休暇を取りづらい企業内の風土が原因と分析している。
 調査は全国の5300企業を対象に実施した。労働者の有給休暇の平均取得日数も8・4日と、前年より0・1日減った。(読売新聞)

普通の職場で有給の取得率が低いんだから、福祉や医療の現場はもっとシビアですよ。
前の職場を例に挙げれば、利用者に対しての職員の割合は国基準ギリギリで行っている状態。だから1人ぐらい休むのであればそれほどの影響はないかもしれないけど、2人以上休まれてしまった日には、たまったものじゃない。汗だくとまでは言わないけど、現場を動かすと言う面においてはカナリ厳しい。だからちゃんと事前に「年休シフト」を出した上で、特に問題なければ休む・・・という状態だった。
こんな状況だから、退職時に無駄にしてしまった年休は約20日。ホントは「すべて使って辞めてしまえ」と思ったのだが、現場の状況を考えるととてもじゃないけどそんなことはできません。だって利用者の生活の一部を担っている場所なんですから・・・

そして「生活の場」と言えば、今働いているデイサービスでもそれは同じ。
むしろ今の職場の方がかなりシビアかも。今の職場も、利用者に対して基準ギリギリで職員配置をしている状態。その中で介護業務が入るわけだから、今のほうが「1人休む」だけでも結構大きい状態。2人休んだ日には、ほんとにたまったものじゃありません・・・というくらいの状態。まぁそれは単に自分の経験や技量が少ないだけのことであって、他の職員からしてみれば大したことじゃないのかもしれませんが・・・でもやっぱりそう簡単に「休みます」とは言いにくい状態。だから今の自分の場合、「休む」時は通院か、自分自身があっぷあっぷで溺れそうなとき。今現在残っている年休は8日と5時間。5時間は通院のときの時間休として消化できるとして・・・自分の中では「今の職場は契約が切れる3月まで」と半分決めている部分があるので、残りの4ヶ月でどうやって8日の有給を消化するか・・・個人的な考えでは、誰かが企画してくれたら2月にスキー休暇でも作ろうかなぁ・・・と画策中。

でもね・・・そんなに世の中、甘くないんですよね・・・
きっと今回も有給を「捨てる」ことになっちゃうんだろうなぁ・・・(涙)

2005.11.27

今、ハマっているもの。

今、こんなものにハマっています。それは・・・モーツァルト。
P1000390

何でも「長いものには巻かれろ」的な考えで、「脳に良い」と評判になっただけで、怒涛の如く買っている状態。
始めこそは「クラシックなんて」とちょっと敬遠していた自分。いや、気にはなっていたけど、なかなか「クラシック」のコーナーまで足を運ぼうと思う気にもなれず、また池袋に行ったときに一度気は湧いたものの、結局は行かずじまい。
でも「心の癒し」を求めるようになると、一気に買ってしまうのが自分。まさしく「衝動買い」の状態。車を買ったときも、何となく似たような状況で「買いた~い」の状態になっていたかもしれない自分。自分の場合は、思い込んでしまったら行動にうつさないと気が収まらないタイプのようで、先週は3枚組のアルバムと「元気・やる気アップ」するアルバムの2つを購入。そして今日は「ドライブ」に適した楽曲を集めたアルバムと「癒しのモーツァルト」と題した「モーツァルト療法」と言うタイトルのアルバムを2枚買いました。今の自分には全て必要な要素。
で、上の写真は「元気・やる気アップ」のモーツァルトと「モーツァルト療法」のモーツァルトのアルバム。

で、聴いてみる・・・確かに「穏やか」な気分になるのは事実。
何となくリラックスしてくるんですよねぇ、不思議なことに。アルバム3枚組のほうには「おやすみモーツァルト」と題したアルバムもあり、たしかに聞いていると何となく「心地よい」気分にいざなわれるのも事実。やっぱりテレビで行っていることはダテじゃない。だから既にiPodにも落としてあります。でもあまり活用されていないのが現状???(汗)

当分自分の生活からは「モーツァルト」は必需品になることでしょう。
だって、今も聴きながら書いているだし・・・(^^;)

もとい・・・「書いている」ではなく、「打っていた」と言った方が正しい。
なぜなら・・・今さっきまでココログのページにログインできなかった状態。よって「このままでは連続投稿記録が・・・」の危機に瀕してしたため、何とかその状況を避けるべく「モブログ投稿」を敢行。なのでごくごく短い時間ですが・・・一瞬見れた人は、画像の入っていない、文章の短い今日の記事を読んだことになるでしょう。あ、あと文章も少し変わっているし・・・
だからそのときの記事を読んだ人、ものすごく「レア」な人ですよ。(^^ゞ

2005.11.26

コトバ★「支援その4」

今日のコトバは「支援」の第4弾。コトバで取り上げるのは4回目、その他のときを含めると、数え切れないほど「支援」のことに関しては触れてきていると思います。(「支援」に関する内容の場合は「福祉」のカテゴリーで書いていますので、その中からピックアップしてもらえれば・・・と思います。)

これまで「コトバ」として触れてきた「支援」としては
 第1弾・・・身近な生活の中でふと感じた「支援とは?」について
 第2弾・・・福祉サービスとしての支援の考え方について
 第3弾・・・利用者にとって「より良く生きる」ための「支援」について
それぞれ書いてきました。そして今回のテーマは「生活と支援」です。

「生活と支援」・・・ある意味、「支援する」ことの原点に立ち返るないようですが、今回は別に自分の働いている現場だけに言えることではなく、社会福祉全体として「支援」と言うものを考えていく上で当然であり重要なことなのかなぁ・・・と感じることです。と言うのは、プライベートで今、こう言うことが起きています。

現在、私の祖母が入院生活を送っています。入院主訴は「摂食困難」であり、動きが著しく低下してしまったため、家庭内介護ではどうにもならない状態に陥ってしまい、医療受診をして入院をさせてもらっている状態です。その後「2週間前後が退院の見込み」と言うことでしたが、既に3週間を経過し、もうすぐ1ヶ月になろうとしています。一応一通りの検査をしたのですが、Drの診断は「異常なし」、いつでも退院していいとのことでした。
しかしながら、高齢者が専門ではない自分から見ても、現状のままで退院して家庭ですごすことはあまりにも無謀なことであり、到底家庭復帰などは考えられる状態ではないことは明らかでした。その理由が「嚥下困難」であることと「ADLの著しい低下」、そして「認知症の進行」の3点でした。ADLの低下に関して独歩困難であり、独歩ができないのに家庭での生活が営めるわけはなく、嚥下困難に陥ってしまった祖母の食事を準備する環境など、あらゆる面での「祖母を受け入れることの出来だけの環境」が整っていない以上、家庭復帰は無理と私は判断しました。しかし病院からしてみれば「できれは早く出て行って欲しい・・・」みたいな状態らしい。にもかかわらず、リハビリを担当しているPT・OTや医療相談室のワーカーからは「自宅で介護するのは、相当困難だと思いますよ」との助言。結局「どーすればいいの?」と言う状態になり、今日は主に介護を担っている伯母さんと伯父さん、そして私の母と私が老健に行ってきました。正直「なんでいきなり老健なん?」と思った部分もあったのですが、とりあえず行ってきました。(ちなみに伯母さんは祖母と「嫁と姑」の関係、直接の血縁はありません。)

で、行った結果は・・・祖母に関することに関しては何の収穫もありませんでした。
「老健に行った」のは、単なる「老健内の見学」であり、具体的なことや状況などは老健はおろか、その方向性すら伯父さん・伯母さんの間でも固まっていない状態でした。いわば「病院から出て欲しい」とのことにオロオロしてしまって、当座どうやってこの状況を切り抜けるか・・・ということを考えるので精いっぱいの状態に思えました。

たしかに伯父さん・伯母さんの気持ちはわかります。できることなら、自分が色々言いたいのですが母から「ストップ」がかかっているので何も言えない状態で歯がゆい限りです。「何で言えないの?」と思わず母に問いただしたりもしていますし、とうとう思わず「(祖母は)あなたの母親でしょ?」と言ってしまったくらいです。ちょっと母親にもプレッシャーと言うか、ジレンマに追い込んでしまったのかなぁ・・・とちょっと反省をしています。

このケースとは全く別問題ですが、今働いている職場でも、利用者の支援の方向性について検討を要するケースがあります。そのケースは来週ケース会議が開かれる予定ですが、雰囲気的には私の祖母のケースと何となく共通点があります。どんな共通点かと言うと、「長期的視点の欠如」と言う問題です。

今回の問題、自分が考えるに「今目先のことしか見えていなくて、これから先どうして行くのか?」が全く考えられていない状態に思えました。たしかに「目先の問題を解決する」ことは必要なことですし、その問題が解決されなければその先には進めません。しかしそれと同時に、その問題を解決すればまた新たな問題が出てくるのも事実です。つまり問題が出るたびに「目先のこと」ばかりに視線が行ってしまっては、結局のところ「この人(利用者)はどこに向かっていくのか」がわからなくなってしまうのではないか、と考えます。その意味で、支援をするに当たっては「長期的目標⇔中期的目標⇔短期的目標」のそれぞれの段階を踏んだ「目標設定」が必要なのではないか、と考えます。これが「長期的視点」と言うものであり、私的に言うのであれば「ライフプランの設計」を支援することの必要性を強く感じています。

例を挙げた祖母、私の祖母は現在82歳です。いわば、人間の平均寿命に十分に近づいている年齢であり、悪い言い方をしてしまえば、いつ逝っても不思議ではない年齢になっているわけです。余談ですが、私の曽祖母(ひいばぁちゃん)は92歳で他界しました。このことを考えると、曽祖母が亡くなった年まで、あと10年となります。

仮にあと10年を「祖母の生活する期間」と考えた時、この「10年」をいかに祖母らしく生活をしていくかを考えていくことが「ライフプラン設計」の基本にあります。「ライフステージ」や「ライフコース」、「ライフサイクル」と言う言葉がありますが、私の場合はあえて「ライフプラン」と言う言葉を使います。

何故「ライフプラン」なのか?
それぞれの言葉を意味を簡略に説明すると

・ライフステージ:個人の一生の発達過程に見られる諸段階
・ライフコース:社会的存在としての個人の生涯にわたる加齢過程
・ライフサイクル:生命体の一生に見られる規則的な変化のパターン
(以上、有斐閣 現代社会福祉辞典より引用。)

つまり私が考えている「いかにその人らしく生きていくか」と言う考えに基づいた場合、これらの言葉には当てはめにくいと考えており、これらの考え方よりも「いかにその人らしく生きていくかの『設計図』を作ること」の方が本来の「支援」としての考え方にふさわしいのではないか、と考え、あえて「ライフプラン」と言う言葉を作ってみました。このことを祖母に当てはめた場合、仮にあと10年生きることができたと考えた場合、現状の祖母のADLや介護をするための家庭環境の状況などを考慮した場合、最終的には最期を「在宅」で迎えるか、あるいは「施設」で迎えるか・・・という、シリアスな部分まで考えていかなければならないと思います。もちろん目先の問題を解決することが重要であることは言うまでもなく、その問題が解決しなければ先には進めません。先に進むためには目の前にある問題を解決しつつも、中・長期的視点でどのような道を歩んでいくのかを考えていく必要があると思います。その「モデルケース」を作っていくことが、「生活における支援」の1つではないのかな、と考えています。

個人的に考えるに、ライフプランを立てる際は「長期目標→中期目標→短期目標」の順に考えていくことが必要なのかなぁ・・・と考えています。長期目標で「大まかな将来像」を捉えた上で、中期目標として「将来像に近づくために必要とされる目標」を設定し、短期目標において「中期目標に達するために解決すべき問題」と考えていくと、ライフプランの立案が比較的容易ではないかと思います。もちろんライフプランは一度作成したらその通りに進む必要はなく、状況が変化した場合はすぐにプランの見直し・修正をしていけばよいことであります。重要なのは「主軸となる方向性」、すなわち「最終的に、どのような『像』を描いているのか」を見出していけばよいのではないかと考えています。回り道をすることがあっても、結果として目指している方向性に進んでいれば良いのであり、逆に目指している方向性に限界が見えてきてしまった場合は、もう一度ライフプランを立て直せばよいことなのです。人間の体には骨格(骨)があって筋肉・脂肪がついているように、支援も支援の軸となる「骨」がなければ、肉付けすることができません。今祖母に必要なこと、それは「今後祖母をどのような方向性で残りの人生を歩んでもらうか」、その主軸を考えることでしょう。
この考え方、高齢者分野に限らず、すべての分野に当てはまることであると考えています。

2005.11.25

ネタ振りした以上は、やらないと・・・

昨日の「明日特別書くことがなかったら~」と触れましたが・・・やっぱり「振り逃げ」は良くないですよね。
と言うわけで、一応簡単にネタだしをします。その前に、今日は書ける内容がいくつかあるので・・・

まずは仕事の方から。
この前の噛みついた利用者と久しぶりの再会。噛み付いた翌日は体調不良が原因で欠席し、23・24と自分は休み。で、久しぶりに今日また会うことに。普段は寝たまま来ることが多いのに、今日はお目目パッチリ、の状態。こっちから機嫌よく「オゥ!おはよう!」と声をかけてあげると、体がだるそうにしながらも、手を上げて挨拶。一応「和解」は成立っぽく見えた・・・のですが、どうやら様子がおかしいらしい。またしても「体が熱い」とのこと。念のため検温をすると、若干熱が・・・そのため正確に水銀の体温計(うちの施設では「実測」と言っているけど。)で測ってみると・・・完全に熱発ライン。微熱どころの状態ではなかった。すぐに家庭に連絡を取り、早退することに。その間、施設にいた時間は僅か30分あまり。一応「早退」扱いになるんだけど、実際は欠席と同じ。
ただ・・・このケース、デイサービスの計算上では送迎をした上で施設に来た時点でその日は「利用した」ものと見なされるため、たとえ30分であろうと、今日の利用実績はカウント。もちろん1日分の利用料をもらうわけではありませんが、30分であろうとも「サービスを提供した」と見なさして、サービス提供実績として記録が残ることに。まぁ既に月末だし、ほとんどの利用者は「負担限度額」に達しているため、この利用者も今日の利用料が徴収されることはないけど・・・「たった30分でも利用カウントされちゃうんだ・・・」と思った出来事でした。

それともう1つ・・・発作、連発です。
一昨日軽~く発作があったけど、今日も仕事が終わってから帰る途中に、軽~く発作みたいな状態に。歩いているんだけど、何となく「フワフワ」した感覚に襲われて、足が地についていないような状態。なんていうんだろう・・・「プカプカ」した状態?そんな感じで頭の中も何となく「スー」としている感じだった。ただ意識はしっかりしており、ふらついてはいなかっただろうと自覚はしている。とはいえ、こんな感覚に見舞われるのは初めてのこと。さらに間隔をあけず連発して同じような症状が出ていることも、若干気にかかること。これが「パニック発作」なのかどうかの鑑別は先生にしてもらわないとわからないけど・・・ただ両方に共通して言えることは、発作前には若干「ストレス」に感じる状況があったこと。「ストレス」と「発作」の因果関係、あるんでしょうか?今度通院したときに先生に聞いてみましょう。

と言うわけで、ようやく昨日のネタのタネ明かし。
D1000046 D1000045

ネタの内容はこれでした。
仕事先の最寄り駅には、もうクリスマスカラー一色の飾り付けがされているんですねぇ。
そっか・・・もう、時期はクリスマスかぁ・・・切ないなぁ・・・クリスマスはいつも一人ぼっちで。
何だかこう言うイルミネーションを見ていると、ちょっと空しくなってきちゃうんだよねぇ・・・
まさしく、一人ぼっちの寂しがりや・・・の状態。 ・゚゚・(*>_<*)・゚゚・。 エ~ン

2005.11.24

ネタなしで~す!

ハッキリ言います・・・


今日、ネタないよぉ!!!

ハイ、ほんとにネタがないです。と言うのも、今日は有給。
本来なら明日有給を取って3連休・・・としたかったのですが、他の職員との都合もあってどうしても取ることできなかったため、仕方なく昨日との連結で「2連休」となったわけで・・・ただ、逆にそれが良かったのか、昨日の発作で「発作明け出勤」をしないで済んだと思えば、良かったのかもしれません。
その証拠に、昨日の就寝が0時で、起床が12時。今日も起きたのは正午・・・ってか、12時間睡眠じゃん!

本当は「やろうかなぁ・・・」と思ったことは色々あったわけですよ。
車の洗車に、ばぁちゃんの面会、あるいは心のオアシスに行こうかなどなど・・・色々考えていたわけです。でも起きた時間が正午じゃねぇ・・・何にも出来やしません・・・(ー_ー)!!

まぁ午後からは動くこともできたので、銀行に行ってお金を下ろして、郵便局へ積みなおしぐらいはしてきました。
もちろん、減量のために車は使わずに、自転車で・・・(って、今まで車を使っていた時点で間違っているけどね・・・いや、もちろん母親の都合で使っているときもあるので、その部分は誤解しないでいただきたいのですが・・・)

結局1日、まったりとすごしてしまいました。
で、ネタがないからなんかの画像を引っ張り出そうかなぁ・・・と思っているのですが・・・気が変わったので、明日にしましょう。
あ、じゃ前フリ画像だけ。明日特別書くことがなかったら、この画像をもう少し出しましょ。
(スミマセンねぇ・・・オバちゃん、この画像に紛れ込んじゃって・・・汗)
D1000044

2005.11.23

ヤバイです、マジでヤバイです。

夜に久しぶりにパニック発作。パニックの回避行動はあったけど、「発作かなぁ・・・」と思うような症状は、約1ヶ月ぶり。昨日薬剤師の人から「だいぶ薬(ルボックス)効いているみたいで・・・」って話をしていた矢先に、パニック発作様の症状を呈してしまった。バイタルがいつもより若干低かったから、もしかしたら起立性低血圧なのかもしれないけど・・・うーん、どっちなのかが微妙です。

で、微妙で済まないのが・・・体重。
今朝(と言っても、起きたのは正午だけど・・・)母親から「体重計がおかしいんだよねぇ・・・で、電池入れ替えたら直ったよ」とのこと。そういえば最近体重増加の傾向を自認している自分。それでも「まだこれくらいなら・・・」と思っていたが、その話を聞いてちょっと焦る。で、体重計に乗ってみると恐ろしい結果に・・・

体重・・・86.1Kg  体脂肪率・・・30.6%

ゲ!そんなに増えちゃっているのか・・・?
今年1月の健康診断では朝食こそ欠食しているものの、それでも80キロ台をきっていた。それが、年末に来てこの体重。10月の健康診断でも体重は81キロだったのに・・・この勢いで行くと・・・今年だけで約7キロの増加・・・?それは、ヒジョ~にまずい。

恐らく体重増加の原因は・・・これ、プリン
いくらCMに洗脳されてしまったからと言って、それをほぼ毎日のように食べていれば・・・そりゃ、太るわなぁ・・・おまけに内臓脂肪レベルもまた増加してしまっているし・・・

もちろん仕事による運動量が減ったのも、体重が減りにくくなった理由の1つでもあることは否めない事実だけど・・・まずは食生活の改善が第1課題。そして不足している運動量を増加させるのも、必要なこと。この数字を目の当たりにしてしまっては、さすがに運動をせざるを得ない状態でしょう。
と言うわけで、これからは当分の間は「一駅前の下車」から徐々に運動増加を開始することに。体が慣れてきたら、2駅ぐらいに。そして休日にはウォーキングを実施・・・とにかく、意識的に体を動かす環境を作っていかなければ・・・

とはいえ、仕事が終わった後はヘトヘトの状態。
果たしてこの「心がけ」がいつから始まるか・・・そして、いつまで続くことやら・・・(汗)

2005.11.22

「自分自身」に対しての「偏見」

今日は定期通院日・・・とその前に、病院に行く前のグチを。

午後は利用者と一緒に散歩。で、片麻痺のある利用者と一緒に歩いたのですが、今日はその利用者の足が速いこと速いこと・・・後ろの集団とぶっちぎりの状態。一応後ろの集団にあわせるためにちょこっと寄り道をして見たり、日向ぼっこをしてケータイの着メロを聞かせて反応を伺ってみたり・・・などと色々な働きかけをしました。で、たしか散歩に出発する前に「散歩した人から、どんどん車に乗って行きましょう」と言う取り決めをしておいたので、ある程度歩いたこともあり、車に早めに戻ることに。

ところがその後の集団が戻ってきて、他の職員が自分に言ったこと。
「なんでこんなに早く乗っちゃうのよ。寒いわけじゃないし、もっと歩けばいいじゃない!」

あのぉ・・・取り決めは・・・って感じ。それにさぁ・・・いくら「速い」とはいえ、あまり動かせすぎちゃうのもどうなのかなぁ・・・と判断を決めかねていた部分があったから、とりあえずの判断でこう言う行動をとったのに・・・何故か、文句を言われてしまった。

もっと言えば・・・職員配置のこと。男性利用者と女性利用者一緒に行ったけど、その場にいた男性職員は自分ひとり。と言うことは、何かあれば自分が対応する可能性だって十分にあるし、そういう対応が必要になりそうな利用者が一緒にいたもの事実。しかしその集団とは離れてしまったため、もしも何かあったときのために、すぐに動ける体制をとっておいたつもりだったのに、逆に文句を言われてしまった。
ご存知の通り、一番「新人」の職員。そして他の職員は口の立つ職員。自分、言い返すことはできずただただ「ハァ~((+_+))」と言う感じ。色々自分なりに考えて行動したつもりなのに・・・で、いざとなったら「それは常勤さんで・・・」って、そりゃ、ちょっとおかしいでしょ。なんか納得行かない気分。俺的には利用者の心をゲットしながら散歩をしていたんだけどなぁ・・・
ちょっと腹が立ったけど、オトナなので気持ちを抑えて・・・ここで発散。(爆)

さて話は通院の方に移って・・・話の中心は「嫌な夢」が主題でした。
先生からも「ずいぶんリアルな夢だね」と言われつつも、現実に感じたことだったので、思いのたけを言いました。今日はほとんど待つこともなく、すぐに診療。今日の診療時間は約15分。きっと先生にとっては大したことではないのかもしれないけど、それを受け止めて自分の言いたいこと・思いをすべて聞いて汲み取ってくれるので、そういった意味では今の先生は信頼のできる先生でもあり、何でも話せるDrでもあります。

ただ1点。「パニック障害」のことに関しては、自分自身でも消化不良の状態。
先生からは「別に怠惰で学校を辞めたわけじゃないんだから、遠慮なく話してもいいと思うよ。」との助言が。その助言を受けるに当たっては、色々と経緯があるわけで・・・

元々今の職場を選んだのは「OTの学校に通学するのに支障のない範囲で可能な仕事」として勤務条件が一致した施設であったために選んだ職場。いわば「OTの学校に通うため」に選んだ職場であり、すべての前提条件と「学校」があった。しかし今はその前提条件である「学校」の存在がなくなっている。役職のある上司だけには既に自分の障害のことと学校に行っていないことは8月の下旬の段階で話をしてあるのだが、実は「退学をした」と言う事実については話をしていない。あくまでも「休んでいる」と言う名目の元に話を進めている状態。ただ今の職場の契約期間が来年の3月までなので、契約満了と共に退職するつもりではある。そのときに「退学する方向で考えている」と上司には話すつもりでいる。

しかしこのこと、他の職員には伝えていない。と言うより、話していない。むしろ、話せない。
だから今も上司以外の職員は自分がまだ学校に行っているものと思っているし、障害を持っていることも知らない。さらに、同じフロア内の別部署の職員も自分が学校に通っていることを知っているため、尚更言いにくい現状があるのも事実。こんな現状があるから、「3月までの辛抱だ」と自分に言い聞かせながら仕事をしている状態。

でもこのことを話せない一番の理由は「自分自身」にあるのだと思う。
自分自身に対しての「偏見」があって、それが壁となって切り出せないのだと思う。「自分がパニック障害であるということ」と「学校に行かなくなってしまった」と言うことが他の職員に知れてしまうことで、自分自身が偏見の目・・・と言うより、なんか違う見方をされてしまうのではないか、と言う不安をもっているのかもしれない。だから職場で「学校っていつまで?」と振られても「えーと・・・覚えてないっす」と、話をうやむやにしてしまおうとしている部分があるのかもしれない。つまり、もし自分が逆の立場・・・障害を持っていて、それが理由で学校などを辞めてしまったことを知ってしまったら、もしかしたら自分はその人を「色眼鏡」で見てしまうのではないか・・・そのことが自分にそっくり当てはまり、自分も現状がわかってしまうことに対して「色眼鏡」で見られてしまうのではないか・・・という不安をもっているのだと思う。これが「自分への偏見」なんだと思う。そしてそのことを3月まで・・・いや、今の職場を離れるまで耐えることができるのだろうか、どこかでボロが出てしまうのではないだろうか・・・と思いっきりガードを固めている自分がいるために、結果的に「話せない」「話さないまま、終わってしまいたい」と言う気持ちがあるのかもしれない。

たしかに「てんかんの疑い→パニック障害」と言う診断が出て、「障害を持つと言うことの辛さ」は身をもって実感した。また精神科・心療内科に行くことへの偏見も仕事の中で解消はできた。しかし、それがいざ自分のことになると・・・未だに社会に根強く残っているだろうと思い込んでいる「偏見」を気にして、すべてをオープンにできない自分がいる。頭の中ではわかっているけど、それと心と体・気持ちがついていっていないことへのラビリンス。そんな思いがあって苦しんでいることも事実です。このことは職員に限らず、利用者に対しても同じことで、利用者に「Mitakeは今日は病院に行くんです」と話すと「どこか悪いの?」と聞いてきてくれる。たしかに悪いところがあるから病院に行く。でも・・・それを説明することは彼らに対してはあまりにも難しすぎることであり、逆にそれを理解してもらうことももっと困難なことである。ただですら社会でも理解されにくいものを、彼らが理解するのはあまりにも難儀なことである。だから彼らから「Mitakeさんのブログ教えて」と言われて教えたところで、この内容を理解してもらえる可能性は皆無である。そして逆に、ここに書いた内容を読んだ保護者はどんな反応をするのだろうか?
やっぱりそこにも「偏見の目」を気にする自分がいるのである。

ただし・・・これはあくまで自分の「福祉観」としての考えだけど・・・
「偏見」があってこそ、それが解消されて「理解」につながるものであるのだろうなぁ・・・と言う考えを持っているのは事実。例えば今まで知的障害者と接したことのない人が何度か知的障害者と接することによって、「知的障害」と言うものを理解してくれることがあるのは事実であり、その理解の過程には少なからずとも「偏見の目」が先行している可能性があるのも事実である。つまり「自分が思い描いていた像=偏見」が実際に接することによって「真実の像=理解」につながっていくのだと思う。だから横暴な言い方をしてしまえば、偏見なくして理解はない、ともいえるかもしれない。

福祉専門職としての「Mitake」と個人としての「Mitake」。発作以降、複雑な心境が混ざりあっている状態です。

2005.11.21

引いてもダメなら、押してみな。

入職2日目以来、大きな他害は受けていなかったのですが・・・今日は久しぶりに受けました。
う~ん、「受けた」と言うよりも「やらせた」と言った方が適切なのかな?

昼食が終わってのこと。昼食終了後は後番の職員と交代して利用者の歯磨きをしている。
もちろん利用者の中には歯磨きを拒否する利用者もいるわけで・・・それでも口腔衛生を考えれば必要なことなので、嫌がってやらせていただきます・・・ってか、嫌がっている理由は「痛い」から。それも「虫歯」で。そのことは既に知っており、保護者も知っていること。だからその利用者の歯磨きでは吸血鬼の如く出血が起きる。一度不安に思い保護者の方に確認を取ったが「血を出して欲しいので、やってください。」とのこと。
いや、やるのは構わないけど・・・でも利用者が嫌がっているからなかなかそう完全にはやりにくいのが現状。

とはいえ、いつもは嫌がる利用者を何とか説得して、とりあえずは歯磨き完了。ただ・・・痛がっていたの事実。
もちろん歯磨きをする利用者はこの利用者だけじゃないから、次から次へと1人でどんどん行っていく。そして一通り自分が受け持つべき利用者の歯磨きが完了。午後の外出に向けて準備を始めていた。

と同時に、利用者に「着替え」の促しをする。利用者によっては個別対応として様々なことをすることがあるが、着替えの必要な利用者に対しては着替えを実施している。で、声かけをしたのだが・・・どうやら元気がない様子。ナースの人もいて一生懸命モチベーションを上げようと声かけをしていた。そして自分も一緒に「頑張るぞぉ!」と利用者の手を持ち上げたとき・・・利用者が自分の手(と言うか拳)を口元に持っていく。
自分の中では大体その後の展開が想像できたのだが・・・ガブッ!

ハイ、オイラの手を噛みました。
入職以来、久しぶりに大きな他害です。とはいえ、半年もすれば多少は慣れはあるもの。最初は「それはやめよう。痛いことをするのはだめだよね。」となだめる様に声かけをする。しかし一向に興奮は治まる様子なし。そこで次にとった手段は・・・題して「逆教示」。「押してもだめなら引いてみな」ならぬ「引いてもダメなら、押してみな」と、普段とは逆の行動をとりました。

「そんなに噛みたいなら、噛んでみな。ほら、噛んでごらん!」

今度は逆に自分の拳を噛ませました。噛まれている手を解こうと無理に引き寄せてしまうと自分がケガをしてしまうので、逆に自分の拳を利用者の口の中に押し込みました。それに負けじと・・・と思ったのか、利用者も思いっきり噛んできます。ここまでくれば、どっちが先に音を上げるかの我慢比べ・・・と行きたかったのですが、その後の予定もあったので、ある程度のところで終わらせて、別の職員に引継ぎ。
ただ・・・ある種「我慢比べ」をやっていたので、自分の手には利用者の歯形がクッキリ。おまけに・・・血もベッタリ。近くにナースもいたので、一応流水で洗い流して消毒の応急処置。とはいえ、水で洗った後は血が出てくる気配は全くなし。と言うことは・・・この血、利用者の血。そう、さっきの「歯磨き拒否」の利用者が自分の拳を噛んでいたのです。血も、きっと歯磨きで出血した血が完全に止まっていなかったため、あるいは止まりかけていたところに自分の拳を思いっきり噛んだため再び出血して、その血が自分の手に歯形と共についたのでしょう・・・もちろん、本音を言えばメチャクチャ痛かったですよ。でもここで「痛い」と言ってしまったら意味がないので・・・耐えました、噛まれる痛さに。

ただ、この対応が良かったのかどうか・・・は難しいところ。
なんでもOK・・・というのであれば、逆に自分がその利用者の手を思いっきり噛んで「噛まれると痛いんだぞ!」と言うことを教えたいのですが・・・さすがにそれは福祉従事者としての倫理と手法としては不適切であることは十分承知しているので、そんなことはしませんでしたよ。ただ、やっぱり「やってはいけない」と言うことを教えるためには、ただ単に「ダメ」ではなく、身をもって教える必要もあるのかなぁ・・・とも感じています。以前書いた「コトバ★支援その2」で述べているように、「利用者(=お客様)だから何でも受け入れる」と言うのは間違っており、今回は前例を見ているために、若干「荒療法」でしたが、無理やり利用者の口に拳を押し込んでみました。「噛み付いても意味がないんだ」と言うことを教えるため、そして自分自身がケガをしないようにするためにも、今回の手法をとらざるを得なかった・・・と自分では考えています。
この辺の考え方は人によって賛否両論あると思いますが・・・本当に、支援をするということは難しいものです。

2005.11.20

こんなものがあるんだぁ・・・

今日は午後はずーと買い物に出っぱなし。と言うより、母親の「お歳暮」に付き合わされた、と言った方が適切かな?
とはいえ、外出先での気分変調は相変わらずで・・・今日も気分変調が起きちゃったしねぇ。

そんな中、自分自身の買い物目的もあった。暖かい服が欲しいし、来年の手帳とカレンダーも欲しい。
と言うことで、それについては実行。で、服はおなじみのユニ○ロで買って、カレンダーは京王△ートマン(今流行の京王グループ???)で購入。途中、CDショップで導かれるように「モーツァルト」のCDも購入。そして今は、そのモーツァルトを聞きながら今日のblog作成中・・・何となく気分がリラックスして書けているような気分・・・気のせいかな?

ただ手帳に関してはなかなか好みの手帳を見つけることができず、次回に断念。で、精算に行こうとしたとき・・・こんな手帳を発見してしまいました。思わず購入。

P1000384こんな手帳があるんですねぇ・・・始めて見ました。
その名も「ブログ手帳 種(ねた)」
毎日書いているブロガーとしては、どんなものなのかが気になってしまい、思わず買ってしまいました。
って言うより、どんな中身なの・・・?、と言うほうに気になりました。
(気になる中身は、画像で載せますので。)

それにしても、タイトルがすごいですよね。
ブロガーのための戦略的リフィル」とは・・・戦略的ですかぁ・・・
果たしてこの「Mitakeの小箱」には戦略的な内容になっているんですかねぇ・・・(^_^;)

まぁ小さな声で言うのであれば・・・
・社会福祉士を知って欲しい。
・自分の仕事を知って欲しい。
・自分の現状を知って欲しい。
・自分の病気を社会に認知して欲しい。

などなど・・・って、結局「自己中blog」って感じみたい。
ちっとも、自分のblogは戦略的ではありませんが・・・(^^ゞ

でも中身を見ると、結構普通の手帳。ブロガーに限らず、普通に十分使えます。あえて違うところを見るのであれば、「ブログ関係」にまつわる欄があるくらい。新しいブログを発見したとか、自分のブログ分析とか・・・そういうことを書く欄がある程度かな?

ただ、ごくごくフツーに見える手帳でも、こうやって「ちょっとした工夫」を入れるだけで、売れ行きはものすごいものなのでしょうね。去年自分がやっていた「毎日貯金」のカレンダーも、ごくごく普通のカレンダーに貯金箱をつけただけで、メディアにも取り上げられるほどの注目商品になった記憶が。そして今年もやっぱり、そのカレンダー、売っていました。それも「元祖」と銘打って。さらにノーマルバージョンのほかに「カウントダウンバージョン」「シャッフルバージョン」など、色々と戦略を考えて出してきているなぁ・・・と思います。

本当にカレンダー・手帳業界はちょっとした工夫で売れ行きがものすごく変わってくるんでしょうねぇ・・・
そんな戦略に引っかかってしまったのが、ここにいるコイツなわけで・・・(^_^メ)

ちなみに、中身の紹介はこんな感じでしたよ。
P1000387 P1000386

2005.11.19

出ちゃったよ、また。

書くつもりはなかったけど・・・あんなの見ちゃったら、ちょっと書きたくなっちゃうよな。
ちなみに今日の「コトバ★生涯発達」、書き始めたのは午前中で、途中昼食や祖母への面会、そして帰ってきてから再び書き始め、途中夕食をはさんでようやく書き終えたもの。いつもだったら午後から徐々に始めるんだけど・・・何しろ今日はK-1GPの日。それも、いつも以上に面白そうな内容だったため「今回は絶対に見逃せない!」と思って、必至になって書いたくらいなのですから・・・
そしたら、こんな結末。こりゃ、やっぱり書くしかないっしょ。

K-1GP2005決勝戦、K-1ルール3分3R、延長2R
○セーム・シュルト(1R0:48、KO、左ヒザ蹴り)×クラウベ・フェイトーザ
※セーム・シュルトがK-1GP2005チャンピオンに。

いや、倒し方、ハンパじゃなかった。と言うより、極真、またもKのリングにやられたか・・・という感じ。
もちろん他の試合も面白かったけど、最期の決勝戦がすべてを吹き飛ばしちゃった・・・って感じ。あのKOのされ方・・・フィリオの時と全く同じパターン

2000.4.23、大阪ドーム、K-1THE MILLENIUM K-1ルール3分5R
○ジェロム・レ・バンナ(1R2:02、KO、左ストレート)×フランシスコ・フィオリオ

ダウンの仕方、ロープに首吊り状態で失神。
シュルトのヒザが顔面を捉え、そのまま崩れるようにロープの間にKOされていくクラウベ。
まさしく、K-1 MILLENIUMの時のフィリオがバンナに1発を食らって、目を見開いたまま瞳孔開きっぱななしの状態でロープの間にKOされていくのと同じ。極真にとっては、まさしく「デジャブ」状態。

たしかにリザーブファイトで決勝まで上がってきたクラウベは「実力」と言えば実力だけど・・・
やっぱりのリングには魔物が存在しているみたいで・・・極真にとっては「鬼門」のリング。
武蔵のKOも完全なKOだったけど、それ以上に文句の言いようのないKOが最後にありましたね。いやぁ・・・恐ろしや、K-1の世界。

コトバ★「生涯発達」

昨日の「生涯発達」の記事から引き続いて、今日のコトバは「生涯発達」です。
とはいえ自分のベースにあるのは社会福祉であり、心理学ではないので自分が話すには難しい部分がありますが、自分なりに書いてみたいと思います。「学問的見地からの生涯発達論」と「自分が考える生涯発達論」の2点から考察したいと思います。

★学問的見地から見る「生涯発達論」
昨日の記事でも最後に少し触れたように、「生涯発達論」の考えは元々心理学、とりわけ臨床心理学の分野から生まれた理論です。その理論の内容は「人は生まれてから死ぬまで、生涯を通じて発達していく存在である」と言うことです。心理学においては代表的な「発達理論」としてピアジェの発達段階(発達が進む順序は一定であると言う考え)、フロイトの発達段階(性を基本に置いた「自我」の発達の考え)などがありますが、この「生涯発達」の理論はエリクソンの発達段階がその考えの基本に置かれています。

エリクソンの発達段階は「人間のライフサイクルを視点においた考え」であることが特徴にあります。そもそもの考え方の視点はフロイト心理学でよく言われる「精神分析」の立場からではありますが、エリクソンの場合は心理・社会・環境の側面を重視した上で発達段階を8つに分類し、それぞれの段階において遭遇する「危機」に対してどのように解決をしていくのかが発達過程における重要なポイントであるとしています。この「8つの発達段階」の呼び方には文献によって様々な解釈や呼び方がありますが、全体としては以下のように分類・呼称されています。

※エリクソンの発達段階

それぞれの発達段階
 (概ね相当する年齢)
その発達段階における危機(プラスの力⇔マイナスの力)
  (プラスの力として危機を脱した時に得る活力)
(1)乳児期(口唇・感覚期)
 →概ね0~1歳
基本的信頼⇔基本的不信
 →希望
(2)幼児期初期(筋肉・肛門期)
 →概ね1~3歳
自立性⇔羞恥・疑惑
 →意志
(3)遊戯期(運動・性器期)
 →概ね3~6歳
自主性⇔罪悪感
 →目的
(4)学童期(潜在期)
 →概ね7~11歳
勤勉性⇔劣等感
 →有能
(5)青年期(思春期)
 →概ね12~20歳
アイデンティティ(同一性)⇔アイデンティティ拡散(同一性拡散)
 →忠誠
(6)成人前期(若い成人期)
 →概ね20~30歳
親密⇔孤独
 →愛
(7)成人期
 →概ね30~65歳
世代性(生殖性)⇔停滞
 →世話
(8)老年期(成熟期)
 →概ね65歳~
(自我)統合⇔絶望
 →知恵

エリクソンによれば、この考え方は内面からの欲求と外部からの要請に間に生まれる葛藤を認識しジレンマに陥るが、そのような危機を克服・解決することによって自我の強さとも言える「人格的活力)が体得され次の段階に進んでいく、と考えられています。例えば(1)の乳児期の場合はプラスの力として「信頼」が、マイナスの力として「不信」が危機として挙げられています。この場合、周りから自分が持つ欲求に対してすぐに満たされないことに対しての不満から「不信」を抱きながらも、「親やその周囲、あるい身の回りにいる人に甘えても(=信じる)大丈夫である」という「信頼」の力が上回ると、その結果として「希望」という活力を得ることができる、と言う考えとなります。

エリクソンの発達段階が「生涯発達論」と重要な関係にあるのは、「プラスの力」と「マイナスの力」が拮抗する関係が一段階のみで終了するものではなく、生涯にわたって続くものと考えている点にあります。特に社会の中でもよく言われる「アイデンティティの欠如」と言うのはまさにこのエリクソンの発達段階において検証できるものであります。エリクソンの発達段階において「アイデンティティ」は(5)の青年期に分類されています。しかしアイデンティティの問題は何も青年期だけに起きる問題ではなく、学童期、あるいは成年前記以降にも現れる問題(=危機)でもあります。


★自分が考える「生涯発達論」
これを踏まえた上で、自分自身が考える「生涯発達論」について考察していきたいと思います。
「生涯発達」の根本的な考え方・視点でもありますが、先の学問的生涯発達論でも考察したように、人は生まれながらに発達する能力を持っており、その能力はその人が最期を迎えるまで持つものと考えています。故に、「発達」と言う考えは赤ちゃん・乳幼児・児童などの学齢世代のみに当てはまるものではなく、障害者や高齢者、そしてもちろん健康な我々自身も日々「発達」をしているわけです。

昨日の業務の事例では、添乗員の人から「利用者さんの顔を見ていると、毎日表情が違っている」との声を聞きました。それを聞いて「あぁ、ちゃんとよく見ているなぁ・・・」と感じていました。比較的障害の程度が軽い障害者(身体・知的・精神を含めて)の場合は言語によるコミュニケーションが可能であり、快・不快のアピールなども言語を通じて行うことができます。しかし障害の程度が重度である場合、とりわけ言語によるコミュニケーションが成り立たない場合は、何を持って「快・不快」を判断するか・・・という問題になります。そこで出てくるのが、私は「観察」だと考えています。「観察なくして、支援はありえない」と自分は思っており、利用者の毎日の日々の表情や行動・態度などから今がどんな状態なのかを観察し、そして「推測」をして支援をしなければならないと思っています。まだ現場に立って数ヶ月の添乗員の方が「表情の違い」に察しているのは、まさにこれから利用者との関係を形成していくための第1歩であると思います。(観察などのことについては、また日を改めて取り上げたいと思います。)

また病院内でのもう1つの事例でも同じように「観察」と「推測」が必要なのです。特に「観察」と言うのは、ただ単に「見ている」のではなく「診る・観る・看る」が必要だと思います。だから単に目をつぶったからと言って「寝たんだ」で終わってしまっては、本当の「観察」にはなっていないのです。自分が祖母の手を握っていたとき、祖母は目をつぶって寝ているかのようにしていましたが、何気なく「今、落ち着いている?」と働きかけをすると、しっかりと自分の手を握り返してきてくれたのです。一見わかっていない様に見えても、実はしっかりと脳はそれなりながら働いているわけで、手の掌握があったのもまさにそれだと思っています。また他の患者さんに生涯発達のことを話したときも、「目には見えないけど、毎日の行動が少しずつ変化を起こしているんですよ」と話してきました。

障害者であろうと、高齢者であろうと、人は日々進化し、発達するのです。
どんなに重度の障害を持ったとしても、働きかけを怠ってはならないのです。それはまさしく「生涯発達」の視点であり、すぐには現れないかもしれないけど、長期的スパンで見れば確実に変化を起こすのです。「生涯発達」と言うのは「今その場」を見るのではなく、長期的な視点で見ることが重要なのです。今はできなくても、もしかしたら将来的にはできるように変化するかもしれない・・・それが「生涯発達」の視点なのだと思っています。どんなに高齢になっても「もうわかっていないから」「反応がないから」で終わってしまっては、本当にそこで終わってしまうのです。反応がなくても、常に働きかけを行うこと、その働きかけが本人にとっては「刺激」となり、微小ながら変化を呈することだって十分にあるわけです。ですから「もう(動かない状態が)長いから、無理かも・・・」と言っている方に「そうですね」と言うのは間違えであり、常に「プラスの力」に働きかけていくことが必要なのです。それは障害を受容するな、と言うことではなく、障害を受容しながらも、障害だからと言って留めることをせずに、いかにその障害を克服し、そしてその障害を代替する能力を身につけ、その人らしく生きていく支援を行っていくか・・・これが「生涯発達」の保障であると思っています。支援を行うには、常に「生涯発達」の視点を持った支援・援助が必要なのです。人間は可変する能力を持った生き物なのですから・・・


参考文献
ミネルヴァ書房「よくわかる臨床心理学」
中央法規出版「「新版 社会福祉士養成講座10 心理学」

2005.11.18

生涯発達

再び昨日の記事から・・・
プリン指数70%・・・見事にビンゴ。でもこれを機に、しばらくは「断絶」をしようかと検討中。
そして情報共有・・・自分の知らないところで利用者の体調不良の話が進む。ちょうどその時自分はトイレ介助中。よってトイレの中にいたため話の内容は全くわからない。で、ふとトイレから戻ってくると、留守番組(自分を含む)だけが残っていた。そんな中、突然聞かされた「○○さんが熱発で、対応がねぇ・・・」との話。どうやらそのことをどのように対応したのかが連絡がしっかりと行き届かない状況になっていたらしい。それを対応しなければならない俺って正直「・。・!」と言う状態。仕方がないので安楽の体位を取らせることで対応。だって、それしかしようがないし・・・そんでもって、お出かけ組みが帰ってきてから「Mitakeさんがトイレ(介助を全員)やるんだからさぁ・・・」って言われて・・・これから始めよう、と思ったときに言われた言葉に正直「;ー_ー#)ムカッ」と思ってしまった。
ねぇ・・・どこまで対応して、どう対処していけばいいのかしっかりと伝達をしていってよ・・・って感じ。

そんなこともありつつ、午後はお外へお出かけ。
自分とは4回り以上も年上(下手したら「祖父と孫」の関係に見られるかも・・・)の「新人」送迎添乗員の人と一緒に行動。その人から色んなことを聞かれる。利用者が不安定になったときの対応や障害特性、基本的な支援のあり方・スタンスなど・・・まだまだ現場歴3年目の自分が語れるようなことではないのですが、相手はまったくと言っていいほどの初めての経験であるとの事。だから一応自分が話せることに関しては話したけど・・・なんか自分よりも遥かに年上の人に対して教えていることに関して何となく「違和感」を感じていたのも事実。「あれ・・・俺ってこんなに偉いコト言える立場だっけ・・・」って感じで。

そして仕事が終了してからは、自宅で早めの夕食を摂って、祖母の入院している病院へ。
どうやらいつも行っている叔母が体調不良でここ数日面会に行っていない、ということ。と言うことは、ここ数日は外部との接触も少ない可能性が高い・・・と考えると、やっぱり「刺激としての働きかけ」の必要性を感じる自分としては、ちょっと黙っていられない。と言うことで、面会に行くことに。面会終了時間ギリギリに病院に行き、祖母のベッドサイドへ。バイタルはいまひとつかなぁ・・・と思いながら「誰だかわかる?」と聞くと、今日はすんなり自分の名前を言った。ちなみに前回行った時は、自分の兄貴の名前を言ったため「やっぱりきているか・・・」と感じたが、今日は割としっかりしていた。目もつぶっていたから「仮睡or睡眠に入っちゃったかなぁ・・・」と思ったけど、問いかけをすると目を開けて自分のほうをちゃんと見ていた。発語も体力的な問題や嚥下障害などからいまひとつの部分が多かったけど、今日は割としっかり自分から話そうとする意識が見えた。こっちの問いかけに対しても、それなりに正しい返答もしていた。もちろん「???」と思うような発言もあったけど、それは「歳の問題」もあるから仕方がない。とはいえ・・・やっぱり働きかけに疲れたのか、しばらくするとスヤスヤモードに入ってしまった・・・あぁ、もうこれで終わりかな・・・という感じだったが、その後にちょっと意外な展開に。
ちょうど自分が病室に行った時は点滴をしていたのだが、自分が面会中にナースが来て点滴を外していった。そのため両手ともフリーに動かせる状態に。そこで両手をそれぞれ握り合わせて色々と問いかけをすると・・・何としっかり握り返してきた。目をつぶって若干いびきらしい(それとも喘鳴かな?)音を立てていたが、それでもこっちの働きかけに対してはしっかりと反応を示していた。ちょっと自分でも意外な展開に思わず「おぉ、わかっていたんだねぇ」と言ってしまった。(もしかしたら「偶然」だったのかもしれないけど・・・)

また帰り際に対面のベッドに入院している患者さんから話しかけられ、色々と話もしてきた。
その中で「私はもう十数年以上も手足が不自由で・・・」と言う話になったので「いや、まだ諦めることはないですよ。今の医学は進歩していますし、生涯発達と言って、日々変化は起きているんですよ」と話をした。もちろんその話をする前提として「自分は福祉施設で働いていて、障害者と接しているんですけど・・・」と言う前振りをした上での話だけど。

そう、添乗員さんへの話、祖母の反応の話、そして最後の「まだ諦めることはないですよ」の話・・・すべてに共通することは「生涯発達」と言うこと。不勉強な人間なのであまり詳しく話せないけど、今までは「ある程度のところまでいったら、人間はそれ以上向上(高進・発達)することはない」と考えられていた。しかしここ最近の考え方(と言うより自分自身の考え方でもあるのだが・・・)では「人は生まれながらにして発達する力を持っており、その力は永遠に続くものである」と言う見方が出てきている。これが「生涯発達」の基本的な視点。
だけどこれを話すとキリがなくなりそうなので・・・自分の考える「生涯発達論」は明日の「コトバ」に回しましょう。

2005.11.17

情報共有

まずは昨日の「プリン指数」から。60%と言ったけど・・・やっぱり買ってしまいました。
そして明日のプリン指数は・・・70%。高くなってるじゃん!!!(ー_ー)!!

それはさておき、今の職場についてからはあまり「仕事の愚痴」っぽい内容は避けてきました。
まぁ例の「個人情報保護法」と言うのもあって、なかなか仕事のことに関しても書きにくい部分があるのですが・・・あくまでも自分がここで「業務報告」と題して書いているのは、少しでも「福祉の仕事を知って欲しい」「社会福祉士が働いている職場の一例」として多くの人に知ってもらえれば・・・の気持ちで書いています。
ただ、今回はちょっとだけ仕事のことで「愚痴」っぽく、言わせていただきます。

利用者の送り出しが終わり、ケース記録(利用者の施設内での様子)を書いているときのこと。
ある職員が「こんな問題あったんだね。(そのこと)大丈夫なのかな?」と言っていた。で、そのケース記録を読んでみると、普段は穏やかな利用者が落ち着かない状況になったと、言う内容だった。自分もそのケースをななめ読みして「へぇ、そんなことあったんだぁ・・・知らなかった」と言う感じ。落ち着かなくなってしまった原因については何となく周りから色々と聞いていて知っていたけど、そのことが原因で落ち着かなくなってしまったと言うことは初耳だった。

と言うより、ここの職場に来て感じていることは「情報の共有化」と言う部分が疎か、と言うもの。
前の職場では仕事が終わった後には1日の業務報告・利用者の状況変化・伝達・報告・申し送りなどを細かに行っていた。ちょっとした変化や状況があれば、報告して日誌に記録として残すことを職員の持ち回りで行っていた。最初のうちは自分は「送迎担当」だったためあまり持ち回りの進行をすることはなかったけど、2年目に入ってからは何度か自分が持ち回りで進行をすることがあった。だから利用者の支援の方向性や対応方法についての共有化がしっかりとされていた。

ところが今の施設では、それがない。利用者を送り出した後に休憩をして、その後に翌日の業務確認をして、ハイ終了。そのままケース記録を書いて終わり・・・というものだった。だからあまり日々の利用者の変化について申し送りをしたり対応検討をすることはなかった。だから当然「落ち着かなくなった」と言う出来事があった事実をすべての職員が共有かできていたわけではなかった。あくまでも「記録」として残っているだけであって、「職員が事実としてあったことを把握する」までには至っていなかった。また、正直なところ、ケース記録に関しても「ちょっとずさんじゃないの・・・」と感じることもある。半日の出来事をたった2・3行で終わらせてしまうなんて・・・もし同じ内容を一言一句自分が書いたら、きっと1行で書き終わってしまうような書き方・・・さらに「個別支援計画」が完全に完成していないから、利用者ごとに「何を目的に記録し、それに対しての評価を行っていけばよいのか」がハッキリしていない現状があるため、記録をしようにも「出来事のみの記録」に止まっているのが実情です。(だから自分の場合は気になることがあれば、ちゃんと考察も入れて記録を行っているわけですが・・・他の職員は「考察」や「推測」がないんですよね・・・「○○をした」「××だった」とか・・・)

と言うより、今は11月。それも後半。本来であれば新年度(4月、遅くても5月)のうちに個別支援計画は立てるものです。それが立っていない時点で「ォィォィ(・¥・)」と言う感じなのですが・・・とは言え、デイサービスの場合は個別支援計画の策定義務が課されていないため、法的には別に個別支援計画が立っていなくても問題はない。しかし施設運営上のことを考えれば個別支援計画は必要であり、また支援をするに当たって「どの方向に向かっていくべきなのか」と言う、支援を行う「方向性」については設定をすべきである。この部分は高齢者の分野で採用されているケアマネジメント・ケアプランと同様の考え方である。「方向性」なくして、利用者の「より良い生活への支援」は生まれない、と思う。このことは常勤・非常勤の職員関係なく考えていかなければならないことである。でも何となく今の施設には「臨職だし・・・」と言う雰囲気が無きにしも非ず、と言う感じ。また自分が転職をして「正規職員→臨時職員」と言う身分変化が起きたからかもしれないけど、支援の方法やその内容に対しての「やりやすさ」と言う部分で、やりにくくなっている気分がする。前の職場の時は結構支援の方法やあり方に関して任されている部分があり、「この方法はどうなんだ?」と言ったことに関してケース会議にかけて他の職員から意見をもらって、今後の支援方針や方法を検討していた。しかし今はその「ケース会議」すら行われていない。強いて言えば、今度ケース会議が行われるみたいだけど・・・俺から言わせてもらえれば「ケース会議」ではなく「地域ケア会議」みたいなものであり、本来ケース会議は施設内で行われるものではないか・・・という考えが前職の影響で色濃く自分に残ってしまっている。

いずれにしても、「情報の共有化」と言う点は、今の施設は前の施設に比べて欠如していることは確か。
もっと利用者個々の状況変化などに関する「申し送り」をしっかりやってもいいんじゃないのかなぁ・・・と感じた、今日の業務です。

2005.11.16

減らない「もう1つ」の理由

以前「減らない理由」と題して最近なかなか体重が落ちないことを嘆く記事を書いた。
しかし・・・減らない理由は、もう1つありました。「理由」と言うよりも「原因」かも・・・。

その「原因」は・・・プリン。
今まで仕事の内容が変わったことだけに集中放火しているかのごとく言っていたけど、よくよく考えてみるとここ最近の「昼食」に変化が。それは「デザート」がついたこと。デザートを食べるようになったのは、学校を退学してからのこと。それ以来「食事に少しだけお金がかけられる・・・」と思うようになると、ちょっとだけ「1品」増やして、ささやかな贅沢をしていた。

で、デザートの内容と言えば・・・自分自身「口内炎」ができやすい体質(=疲れ易い?疲労感?)であるため、フレッシュではないものの果物ゼリーを食べるようにしていた。しかしここ数日、あるCMをきっかけにその嗜好が変化してしまった。

♪クリームかけに来ましたぁ~

そう、このCMにやられてしましたました・・・始めのうちは気にも留めていなかったのですが、段々とCMを見ているうちに、そのCMに洗脳されてしまい・・・そしてお昼になると必ずと言っていいほど、これを買ってしまうのです。
事実、食べると美味しいし、食べごたえもズッシリとあって、仕事をするためのエネルギー源としては最高の食べ物。一度口にして以来、その味に完全にハマってしまい、今や抜け出せなくなってしまっている状態。

でもねぇ・・・このプリンを毎食食っていれば・・・そりゃ、減るはずの体重も減るわけがない。
自分の場合高校の時以来ジュース系の甘い飲み物はめったに飲まなくなった。例外を言えば、大量の汗をかいたときにポカリやアクエリアスで水分補給をする程度。それ以外はどんなときでも「お茶」を飲んでいる。高校の時はウーロン茶を、そして今はカテキン式を愛用。食事のときは必ずお茶。喉が渇いたときも、お茶。ここ10年以上、自販機でジュースを買った記憶がないくらい、水分としての糖質摂取はしていなかった。
とはいえ、その代償としてこのプリンを食べ続けていれば・・・ただですら栄養バランスが整っているとは言い難いコンビに弁当の上に、甘~いプリンじゃ・・・そりゃ、痩せるわけない。

それに今日気づいた自分。だからコンビニに行っても「今日はプリンを買わないぞ!」と思っていくのですが・・・
人間、商品を目の前にすると弱いもので・・・負けてしまいました・・・(^_^;)
よし、明日こそは買わないように・・・と誓うのですが・・・きっと買ってしまう可能性の方が高いでしょう。明日のプリン指数、60%・・・かな?(^^ゞ

2005.11.15

久しぶりに、嫌な夢

久しぶりに・・・というか、初めて印象深い夢を見ました。それも、悪夢。

パニック発作で治療中の俺。最初の頃は「てんかんの疑い」と言われ落ち込んでいたが、今は少なくとも「仕事中」は元通りのテンションで過ごせている。ただし仕事を離れて一人になると、孤独と言うか・・・テンションは下がり気味。

そんな自分が見た、昨日の夢。
何気なく仕事をしている俺。利用者ともそれなりに関わりながら色々とやっていたが、ふと席を立って動いた瞬間、発作が起きた。失神発作・・・それもかなり大きめの。自分がパニック発作であることを知らない職員は大慌てで自分のところに来た模様で、さかんに自分の様子を伺っている。そしてパニック発作であることを知っている上司はすぐにナースを呼んで、自分の状態やバイタルを測定。そして発作明けでは「大事をとって」と言うことで、業務から外れて別室へ。ナースは自分がパニック発作であることを知らないため、自分が発作を起こした状況を聞いたうえで、自分がパニック障害であることを告白。そして発作形態を聞くと、頭部から倒れ、痙攣・硬直・眼球上向・・・という典型的な「てんかん発作」のパターン。一応念のためナース経由で自分の通院している病院に電話をしてもらい、指示を仰ぐと「すぐに来て」とのこと。そのため、仕事を早退してすぐにかかりつけの病院へ。普段は予約制だけど、今回ばかりは予約関係なしでそのまま受診、そしてそのまま脳波検査。するとその結果を見て先生が一言。「うーん、てんかんの疑いがあるかもな・・・
てんかんではないだろう、と告げられた先生から再び突きつけられた「てんかん」宣告に、大きなショックを受ける俺。

あくまでも上記のことは、夢の話。すべて、夢の中での出来事。現実の話ではありません。
ただこんなに強烈な印象深い夢を見たのは始めて・・・というくらいの内容で、ものすごくそのときに見た夢の内容を鮮明に覚えている状態。もちろん朝起きて「あぁ、夢の出来事だったんだ・・・」と理解はできたけど、そんな夢を見た後の仕事は、さすがに怖い。今日も仕事中、一瞬この夢のことが頭の中をよぎる場面も。「正夢になるんではないか」と言う不安も。
ただ・・・当然ながら、そんなことは全然ありませんでした。ってか、今日はパニックすら起きませんでした。

とはいえ、こんな夢を見るなんて本当にイヤです。
発作を経験した時も「忌まわしい出来事」として記憶されているけど、今回見たこの夢も結局「忌まわしい夢」であり、自分にとっては見たくない夢ですね。段々段々と積み重なれていく「忌まわしい」こと。一体どこまでこの呪縛は続くのでしょうか・・・これも1つの「予期不安」なのかもしれません。

2005.11.14

まだまだ、未熟・・・

今日のことを書く前に・・・何だか「グチャグチャ」状態でした。
昨日の記事を投稿しようと何度か「保存」を押してしまったためか、同じ記事・同じ内容・同じ文章が4つも立て続けに並んでしまい「なんじゃ、こりゃ!」と言う状態で、削除を実施。ところがココログのレスポンスが遅いこと、遅いこと・・・挙句の果てに「エラーが発生しました」とか「大変混雑しています」とかの表示・・・「ふざけるなぁ!」と思いながらも、寝る前までには何とか記事の表示を正常に戻したからひと安心・・・

と思いきや、念のためケータイバージョン「ココモブ」で確認してみると・・・ありゃ、直ってない・・・同じ記事が4連続になっている・・・もちろん仕事中のためネットに継ぐ環境はないし、修正も不可。そのため今自宅に帰ってきて管理画面を確認してみると・・・正常に戻っていないことが判明。
で、先ほどようやく元通りの表示に戻しました・・・いきなり見た人は「何、これ?」と思ったかもしれませんが、なかなかレスポンスがよくなかったために、こう言うことになってしまったのです。さらに先週末はカテゴリーの整理も実施。今まで大量にあった「業務報告」のカテゴリーを年度別に分けたため、過去の記事も年度ごとに再びカテゴリー修正を行うことに。ちなみに昨日までの段階で記事数が734本・・・ということは、734本すべての記事のカテゴリー修正を行ったわけで・・・まぁ大変な労力を要したわけですが、これで多少は見易く(?)なったのかなぁ・・・?

さて話を本題に戻して、今日のことで。
月曜日の機能訓練に入る回数は、もうどれくらいでしょう?少なくともここ2ヶ月の月曜日の機能訓練には入っていることは間違えない。だって、月曜のスポーツだったら室内ランニングをするけど、その記憶が全くない。さらにスポーツの方は10月から新しいプログラムになっているけど、新しくなってからのプログラムにも参加していない状態。だから間違えなくここ2ヶ月の月曜日は機能訓練に入っている。そして今日も、機能訓練。

そんな中、今日は比較的自分との「相性」があまり良くない利用者を担当することに。
いや、利用者を嫌っているとかと言うことではなく、自分がその利用者を訓練へ持って行く方法が下手なため、訓練に対して拒否的になってしまう利用者であるというだけのこと。案の定今日も、何となく「ぽや~ん」とした感じで、あんまり積極的に取り組んでくれなさそうだなぁ・・・と感じてしまった。大体そんな感じのときは訓練に対して拒否的になることが多く、引っかいてきたり、時には噛み付こうとするときもある。だから今日も「きっとそんな感じで、傷の1つや2つを作るんだろうなぁ・・・」と覚悟して望もうとしていた。
ただ、今日は何となく自分の「第六感」が働いたのか、かなりダルそうな雰囲気。「嫌々」と言う覇気も感じない。訓練に消極的なときは、その雰囲気すら感じるものだけど、今日はそれすら感じなかった。「単純に眠いだけで、いつもと同じなのかなぁ・・・」と思いつつ、「○○さん、じゃ、やろうかぁ」と声かけをして、一応様子を見るためにおでこに手を当ててみると・・・ん?ちょっと熱い?もしかして、熱発(=発熱のこと)なのか?もう少し確認するため首筋の後ろを触ってみるが、やはり熱く感じる。うーん、この状態で訓練に入ってよいものなのだろうか・・・慣れている職員の人に指示を仰ぐと「検温をして見てもらったら?」とのこと。すぐに看護師さんを呼んで、検温をしてもらうことに。すると・・・やっぱり「微熱」だったことが判明。かったるさはその部分から来ているのかなぁ・・・と推測。

ところが「微熱」を確認したため、そのことをご家庭に連絡をしてみると、普段から平熱は高いとのこと。だから今回計った「微熱」は、利用者にとってはさほど大きな熱ではなかったこともわかった。一応今日は大事を取って訓練らしい訓練をは行わず、ゆったりのんびりとしてペースで過ごした。いつもは車椅子から降りて訓練を行うが、それも今回は行わず、周りの訓練の様子を見ている程度にした。すると・・・何となく気分が盛り上がってきたのか、少しずつながら動くようになり、また気持ちも「訓練モード」に入ってきていた。そんなこともあって「じゃ、滑車やってみる?」と滑車での懸垂訓練を進めると、乗り気で行った。さらにサッカーもどきも自ら積極的にやりだし、昼食もしっかり完食をしていた。正直なところ「何だよ、大丈夫じゃねーかよ・・・」と言う気持ち。
ただご家庭からも「昨日は普段よりも早く寝たから、疲れているのかも・・・」とのことで、結果的には昼食後早退と言う形に。午後は散歩を予定していたけど、あんまり寒いところに行くよりも、そして施設で留守番をしているよりも自宅でゆっくりと過ごしている方が本人にとっても「楽」だと思うので、とりあえずは今回はこの対応を取った。

とはいえ、始めに「体調悪いのかなぁ・・・」と思ってとった行動が、結果的にはそんなに重いものではなく、むしろ気持ちだけの問題だったことを見抜けなかった自分に、まだまだ未熟さを感じており、正直なところ「全然わかってないじゃん・・・」とちょっと落ち込み気味です。職員からは「今回のことは1つの事例として残るから、今後の対応の方法としてわかっただけでも良かったと思うよ」とフォローをしてもらえたけど・・・やっぱり訓練が終わった後に、その利用者の行動が普段の行動と同じだった姿を見ると・・・そういた気持ちを見極めたり盛り上げたりする力のなさを強く痛感します。この利用者の場合は、以前にも同様のことがあって、そのときは自分が「てんかんの疑い」と診断されたときでもあったので「もしかして・・・」と言う第六感が働いたのだが、その時も帰宅した後は家庭では至って普通だったとのこと。そして今日もきっと「至って普通」との連絡が明日来るのだろうなぁ・・・と思っています。

この世界にいればいるほど、支援することの難しさをことごとく痛感している毎日であり、昨日のことでも母親と介護について少し熱くなって話してしまうこともあって・・・どんな支援が望ましいのか、どのような方法が適切なのか、自分でもわからなくなってきている部分があるのが本音です。結構ここで色んなことを書いているけど、まだまだ自分は「福祉従事者」として未熟な部分が多すぎると言うことを突きつけられているような1日でした。

2005.11.13

やっぱり俺には無理なのかも・・・

今日は夕方に祖母の病院に行ってきました。もちろん、食事を見るためです。
前回行った時は既に食事も終わっており、食事の状況を見ることはできなかったのですが、今回はしっかりと見ることができました。

前回行った時にナースの人がいたのでどんな食事をしているのかを聞いてみたが、いまいちハッキリしなかった。「刻み食って聞いたんですけど、どの程度の刻みなんですか?」と聞くと「細かく」と・・・いや、「刻み食」だから細かいのはわかってるって・・・なので「うーん、粗みじん程度ぐらいですか?」と聞くと手で「こんな感じで」と表現・・・って、ドラえもんの手の形にして、その間にできた隙間で大きさを表現しているだけのこと。ハッキリ言ってさっぱりわからない。で思わず「流動食?」と聞くと「ハイ」との返事。
なら初めから「流動食」と言えよ、って感じ・・・

で、実際に食事時間に行って見ましたが・・・流動食と言う名のミキサー食でした。(ちなみにどんな食事なのか・・・というのを知るには、養護学校のホームページの給食紹介を例にした方がわかりやすいと思うので、そちらを参考にしてください。今回は「東京都立大泉養護学校」の給食例を参考にしました。ちなみに私たちが普通に食べている食事や病院・施設で食事に関して問題のない人の場合はいわゆる「普通食」(常食)であり、嚥下に問題がある人の場合「中期食」や「後期食」(刻み食・粗みじん食)となります。そして「初期食」に当たるのがミキサー食となります。さらに嚥下が困難な場合は、ミキサー食よりももっと食べ易い形・・・「流動食」となります。)
食事を見たときは正直「ウワァ・・・ここまで落ちちゃったのかぁ・・・」と驚いてしまいしました。でもそれが現状なんです。さらに驚いたことに、今日の昼食の食事量は5分の1。ほとんど食べていない状態で・・・結構ヤバイ状態な感じでした。

そして何と・・・病院の方で食事介助をするのかと思えば、ワーカーの人が「せっかくご家族の方が見えられたから、ご家族の方に食べさせてもらいますか?」と祖母に聞く。ってか・・・今の婆ちゃん、意思疎通混濁状態。そんな状態で答えられるわけではない。
と言うわけで・・・仕事でもないのに、婆ちゃんの食事介助を実施。まぁもっとも「食介するかもな・・・」と思いながら事前に手をアルコール消毒して病室に入っているから、気持ち的には最初から食介前提で行っていたことも事実だったけどね。
それにしても婆ちゃんの食べるミキサー食、久しぶりに見る食事。専門学校のヘルパー実習で行った特養の食事介助以来のミキサー食。ハッキリ言って「旨くないだろうなぁ・・・」と思いながら食介。ミキサー食だから当然原形もわからず、周りの患者の食事を見てもイマイチわからない。だから思わずつっけんどん気味に職員の人に「これ、何ですか?」と聞いてしまった。それくらい、何の食事なのかがわからないくらいにペースト状にされてしまっているため、本当に「口から食事を摂る」と言うことを目的にしているぐらいにしか思えない内容だった。ご飯も「全粥」言うよりも「でんぷんのり」みたいな状態。ご飯の粒すら見えない状態なのだから・・・きっと美味しくないだろうなぁ・・・と思いながら食事をつけていた。

しかし・・・自分が婆ちゃんに食事介助をして改めて思ったこと。
俺は絶対に高齢者施設での介護職、特に病院・入所施設での介護関係の仕事は出来ないだろうなぁ・・・と言うこと。
一度「御岳の山」の「現場実習」のページでも書いたかもしれないけど、高齢者に対しての食事介助がどうしても自分には受け入れられなかった。そして今日も婆ちゃんに食事介助をしたけど、やっぱり自分はそれを受け入れられなかった。いや、食事介助をすることを拒否しているわけではないし、排泄介助などを嫌がっているわけでもない。食事介助にしろ排泄介助・オムツ交換にしろ、そんなことは今の施設でもやっている。だからできないわけではない。その技術はあるし、方法も知っている。

ただ・・・自分が受け入れられないのは「時間に追われながら介助をしている」と言う雰囲気。それがどうしても自分の中では納得できない。もちろんマンパワーの問題もあるし、スケジュール・運営の問題があるのも十分にわかっている。でも、何となく感じる「バタバタ感」の中での食事介助・・・これが、自分には受け入れられない。自分が婆ちゃんに食事をつけているとき、職員が食介をしている患者さんは20分足らずで終わってしまった。対してうちの婆ちゃんは、時間をかけながら食事をさせていた。嚥下の問題もあるけど、自分の中では「食事を苦痛なものにしたくない。食事は楽しむものだ。」という「アクティビティ」の概念を持っているからである。そう考えると、ただ単に闇雲にどんどん食事介助をしていくのではなく、ある程度「間」を取りながら食事をしていくのが、本来あるべき「食」と言うものではないのかな・・・と思っている。会話をしながら食事をすれば、ご飯も美味しく感じるし、はかどる・・・というのがあるのと同じように、食事介助だってそれは当然あるはず。だからどうしても自分には、どんどん周りが食事が終わって片付けられている光景・雰囲気が我慢できないのである。その食事に、余韻はないのか?

今の施設でも当然食事には「時間」と言うものがある。ただ、その人の能力や摂食状態に応じて食事介助は行っているし、時間がかかっても自分で食事ができる人、最低限の介助で食事ができる人はそのペースで食事を行ってもらっている。そして食事介助をする時は、その人の様子を見ながら食事をつけている。だから今の施設では何とか自分は「食事介助」と言う業務を行うことができるのだと思う。でももし、時間に追われながらせかせかと食事介助を行う施設であったら、きっと自分は耐えられないだろう。

今の施設の労働契約は来年の3月まで。従って4月以降はまた新しい職場を探さなければならない。
当初は「高齢者施設も検討のうちに・・・」と思っていたが、今日の一件でやっぱり自分は高齢者施設は不向きな人間である、と実感した。いや、たぶんデイサービスなどの通所型の施設なら大丈夫だと思うけど、入所型の施設だときっと自分はアウトだろう。もちろんその部分は施設によって違ってくるものだと思うけど、やっぱり立て続けにネガティブなイメージを植えつけられてしまうと、そこから脱却するのはかなり難しいことである。そう考えると、自分に高齢者施設は無理なのかもしれない・・・と改めて実感させられてしまった、今日の面会でした。

あぁ、来年の4月以降はどうしましょ・・・お金もしっかり稼がないといけないし・・・(-_-;)

2005.11.12

コトバ★「障害者その2」

今日のコトバは「障害者」の第2弾。
何故に突然「障害者」をテーマに挙げようと思ったのか・・・きっかけは、この前の「結構な負担なんだけど・・・」でついたコメントが発端でした。

元々この記事を書いたきっかけは「医療費の負担がキツイ」と言う趣旨から「32条医療を申請するば軽減できるけど、申請はしていない。その理由は障害者自立支援法の制定と32条を利用することに対しての周囲の抵抗感」がある、と言う旨のことを書いたのです。それに対して色々とコメント(と言うより、自分の友達からのコメントだったのですが・・・ゴメン、ぶっちゃけちゃった。)があったので、そのことも含めて今回は「コトバ」に取り上げようと思ったのです。

さて、コメントがついた大元の部分は「車の運転」と言うこと。要は「精神障害者が車を運転しちゃいけないのか?」と思われるような発言をしてしまったことがそもそもの始まりでした。決して意図としては「障害者だから車を運転するなと言っているわけではない」であり、別にその障害の種類が身体障害だろうが知的障害だろうが精神障害だろうが、その能力を有しているのであれば別に運転することは構わないと思っているのです。
ただその一方で、現実問題として障害者が車の運転をしていて重大な事故を起こすと、このニュースのようにすぐに「障害を持っている」ことを前面に強調するかのように報道している現実があります。つい先日も精神科に通っている人が重大な交通事故を起こし、その際に取材しているカメラに向かって容疑者がピースサインを出していた映像を見てニュースのコメンテーターが「こう言う人に免許を与えていいのか?」的な発言をしており、今もなお障害者が車を運転すること・・・とりわけ精神・メンタル面に障害を持つ人が車を運転することに対しての偏見・差別が強く残っていることが事実として存在しているわけです。うちの母も直接は言いませんでしたが自分が32条の申請を考えていた時に「それはやめて」と言っていました。母の中では「制度を利用してまで通院している人間が車を運転するのは、ちょっと・・・」と言う気持ちがあったのでしょう。やはりこれも一種の偏見です。

こう言うことがあって既出の記事を書いたのですが、ちょっとその内容に誤解を生じさせてしまったみたいです。その点に関しては、完全に私自身の責任です。申し訳ございません。

さて、この記事のコメントの中で自分はこんなレスをつけました。

「異常」と「障害」は違うぜ?

「異常」って言うと、「壊れている」みたいな印象を持つけど、何かもっと根深い感じがするなぁ。

「異常」って言葉は使いたくないし、本来なら「障害」と言う言葉も使いたくない。印象を和らげるために「障がい」「しょうがい」ってひらがなで書くこともあるけど、結局「害(=悪いもの)を持っている人」と言う印象が残ってしまう。この辺の言葉の使いまわし方は、現場にいても悩むところなのです、本当は。
だから自分の場合は「障害を持っている人」と書くようにしているのですが・・・あまり変わりはないですね。

ただ一つ言えること。
「障害」というのは「生活のしにくさが存在している状態」であり、その部分では「異常」と言うのとは違う気がする。そこは、ちょっとポイントだと思う。
あ、あと「障害者だから車を運転しちゃ行けない」ってことを言っているわけじゃないよ。ハッキリ言って、俺から車を奪ったら何も残らないし・・・マジで。

このときは率直に思ったことを書いてしまいました。障害者は「異常」ではないと言うことを言いたかったのです。
「障害者の定義」については前回の「コトバ★障害者」で既に触れていますので定義については割愛させていただきますが、福祉従事者となってから使い始めた用語辞典「現代社会福祉辞典」によると、障害者の意味として「障害はその人の人格に関わる問題ではなく、その人が抱えている問題の一側面に過ぎないこと」と書かれています。」だから自分もコメントにかいたように「障害者」と言う言葉を使うのは正直本望ではなく、できる限り「障害を持つ人」と表現するようにしています。同様にこの辞書にも「障害のある人」「障がい者」「障碍者」「チャレンジド」などと紹介されています。

一方「異常」と言う言葉に関しては「正常の範囲から逸脱した事象」のことを指すとしており、「異常=特殊」であり、また「異常=病理」とも同義であるともしています。恐らく今回誤解を招いてしまったのは、自分の書いたことが「精神障害を病理存在として読み取らせてしまった」ことにあるのだと思います。

ただ「率直に思ったことを書いた」とあるように、「障害」と「異常」は違います。
異常の説明の中にも出てきたように、異常とは「正しくないものが、異常」と言うことであって、障害は異常ではありません。障害はその人の生活過程の中で偶発的あるいは経過的によって生じてしまった「問題・課題」であると思うのです。ですから前回の「コトバ★医行為」のなかで「日常生活援助」と言う言葉を用いており、障害者福祉に従事する者にとっては、障害を持つ人に対して、いかに「より良い生活を提供できるか」が最大目標なのかもしれません。もちろん「より良く生きる」と言うことは障害者福祉に限らず高齢者福祉・児童福祉など様々な福祉分野においても同様のことが言えるのは当然のことです。我々福祉従事者は指導者でもなければ教育者でもなく、生活にニーズ(必要性)を持つ人に対しての支援を行う、支援者でなければならないのです。もし対象者が生活ニーズの表出をすることが困難な場合、あるいは困難と思われる場合は、専門的見地からの検討をして、どのようにすればその人によってよりよい生活を営むことができるのかを考えていくのが、福祉従事者にかされた「使命」なのかもしれません。

今日はちょっと、大きく物事を言ってしまいました・・・同じ福祉従事者の方、どうもスミマセン・・・(^_^;)


引用・参考文献  有斐閣 現代社会福祉辞典

2005.11.11

減らない理由

ここ最近、体重の減少に悩んでいる俺。
そろそろ減るのが厳しくなっている時期なのかなぁ・・・と感じる一方、仕事の内容から見ればそれなりに体を動かしているはず。なのに体重が減少・・・どころか増加しつつある自分の体。食事も多少は気を使いつつも、そんなにドカ食いはしていない。間食も避けてきているのに・・・なぜ?

でも今日の仕事で、その理由が何となくわかった。理由は「外出」しないこと。
入職した時の自分は、結構利用者と一緒に散歩に行くことが多かった。それも都立公園の中を利用者一緒にたくさん歩いたりすることが結構あった。時には、走ることもあった。

ところが最近の俺は・・・入職した時ほど、体を動かしていない事実がある。
「スポーツ」か「機能訓練」のどちらに入るか、と言うば機能訓練のほうに入る機会のほうが多くなっているし、利用者と一緒に散歩で歩く回数も減っていた。最近は、早退する利用者と一緒に施設に残り、利用者の希望する・・・というよりも好きなこと、パソコンを一緒にやっていた。ブログの話をしたり、他愛もない話をしたり・・・と、室内で「まったり・のんびり」の生活が多かった。スポーツのほうにも入ることが少なくなり、室内ランニングの機会もめっきり減ってしまった。正直、ここ最近スポーツプログラムで走っている覚えがない。

そして今日、久しぶりに利用者と一緒に都立公園に散歩に行った。それも、よく動く利用者。
歩いていると思ったら走ってみたり、職員(ってか、自分)の様子を伺っては走り出して追いかけてくるのを期待して至りとか・・・自分も久しぶりによく動く利用者と一緒に散歩をして「おぉ、今日は久しぶりに走っているなぁ・・・」と実感。
ん?久しぶりに走っている・・・?そういえば、俺、こう言う形で利用者と一緒に散歩する機会は少なかったなぁ・・・

そう、ここ最近の俺の仕事といえば、トイレ介助がメインで、よく動く人と散歩に行く回数もめっきり減っていた。
仮に散歩に行ったとしても車椅子の利用者の介助をしたり、歩くのが遅い利用者と一緒にゆっくり行ったり・・・と、体の活動量的には入職のときに比べたら格段に減っていた。そう、自分が体重減少しなくなってきた理由は「仕事の内容が変わった」ことにあった。

とはいえ「減量したいので、動く仕事をさせてください・・・」なんて、そんなのはいえない。
だってやっていることはあくまで「仕事」としてやっているわけであって、自分の個人的希望でやるものではないから・・・となると、休日は必至に自宅でウォーキング???

ウ~ン・・・正直、週末にそんな体力は有り余っていないからなぁ・・・((+_+))

2005.11.10

公私混同状態・・・

仕事がある日のMitakeの1日。
AM 6:30  眠い目をこすりながらも何とか起床。そのままトイレ・髭剃り。
AM 6:40  朝食。ドリップコーヒーをすすりながら、昨日の余ったカレーを食べる。
AM 6:55  歯磨きなど、出勤の準備。
AM 7:20  自宅を出発

AM 8:25  出勤
AM 8:30  勤務開始、ミーティング、プログラム準備など
AM 9:30  利用者来所、ここから本格的な業務が始まる
         連絡帳の確認、トイレ介助などなど・・・スポーツがあるときは、更衣介助も。
AM10:15  デイサービススタート
AM10:30  午前デイプログラム開始
AM11:10  昼食準備
AM11:30  今日は遅番のため、ここで休憩
PM 0:15  午後業務開始。食事介助の引継ぎ、口腔清拭、トイレ介助などなど・・・もろもろ。
PM 1:00  昼食の下膳
PM 1:30  午後デイプログラム開始
PM 2:45  午後デイデイサービス終了、水分補給・帰宅の準備などなど・・・
PM 3:45  デイサービス終了、利用者見送り。そして休憩。
PM 4:00  翌日の業務確認、ケース記録記入
PM 4:30  勤務終了

PM 5:40  帰宅

と、こんな感じで一連の流れが進むのですが・・・今日はこの後に延長戦。
PM 5:45  祖母の入院している病院へ向かう。
PM 6:30  病院へ到着。親戚も来ており、祖母の状態について確認。既に一度病院には見舞いに行っているが、
         バイタル状態がやや低下しているように思えるため、かなり念入りの声かけをする。
PM 7:00  面会終了、帰路へ。
PM 7:50  帰宅。

どーしてわざわざ疲れている体に鞭打って病院に行ったのかと言うと・・・
最近祖母の体調が思わしくなかったらしく、念のため通院してみたが特に異常はなし。ただ「食事が摂れない」と言う主訴があったため、一応入院をすることに。ところが昨日になって親戚から「刻み食でトロミアップを使った」との情報があったため「一体どんな状態なのか?」と言うことが気にかかったため、病院に行くことにした。で、できれば食事をしているところを見たかったのだが、既に食事は終わってしまっていたため、結局食事の状況を書くj人することはできなかった。ただ正直食事が「刻み食」になっているとは思ってもいなかったことであり、さらに「トロミアップ」(実は商品名だけど、この世界ではこのように呼んでいます)を使って食事をしたということを聞いたため、ちょっと今までの状態ではないな・・・と察知。で、今日の面会となった訳です。

ちなみに「トロミアップ」とは何か、と言うと・・・
嚥下障害(食物や水分の飲み込みが困難な人)に対して、主に水分に対して粉末を混ぜることによって水分にとろみをつけるものです。粉末の量を調節することによってトロミ具合も調節することができ、多く入れれば「トロミ」と言うよりも「ゲル状」にもなります。で、福祉業界では味噌汁やお茶などの水分ものにトロミをつけて食事を取るように準備することを「トロミアップ」と呼んで、「トロミアップ準備して」とか「○○さんはトロミアップで」などと言ったりしているのです。
ちなみにトロミアップを入れた食材の味がどのようなものなのか知りたい方は、介護用品売り場でトロミアップを買って試して見てください。自分は食べたことはありませんが、この世界にいれば大体味は想像がつくので、試そうとは思いません。よくヘルパー研修や介護福祉士の養成施設では実際にトロミアップを経験することが多いみたいですが・・・興味のある方は、是非一度トロミアップを経験してみてください・・・(^_^;)

さて、今や仕事でも介護的要素を含んだ仕事をしており、トイレ介助はもちろんのこと、刻み食・トロミアップを使う利用者の食事介助もしており、ますます「介護職」の強くなる福祉従事者。また普段の生活でも母親の透析の迎えに行くなど仕事以外の部分でも介助をしている状態。そしてここに来て祖母の容態を確認するために定期的に病院に行って状態を確認したり、会話をしてみたり・・・と介護的なことをしている自分。本当に自分の日常がすべて「福祉・介護」で動き回っている状態であり、ある意味福祉の「公私混同」も甚だしい状体になりつつあります。
まぁ自分が好きで選んだ仕事とはいえ、自分でも「よくやっているよなぁ・・・」とつくづく実感しています。

2005.11.09

ナメてかかると、ケガするよ?

nikkansports.com「曙、屈辱マッチメークにマジ怒り」

 曙(36)が元横綱の肩書を捨て「ケンカ屋チャド」になる。03年から2連敗中の大みそかのK-1 Dynamite!!(12月31日、大阪ドーム)で、タレントのボビー・オロゴン(32=ナイジェリア)と対戦することが8日、決定した。元横綱対素人の屈辱のマッチメークで、万が一負ければ、格闘家人生に大きな傷が付く。曙は元横綱ではなく、ハワイ時代の旧名チャドとしてケンカマッチを仕掛ける。
 唇が震えた。会見中の曙は終始、みけんにしわを寄せ、白い歯を一切見せなかった。大みそかのDynamite!!で、ボビーとの一騎打ちが決まった。「リングに上がるからには、相手をプロとして見ている。余計なことは気にしないでやる」。言葉とは裏腹に、表情には怒りがあふれた。
 元横綱対素人。会見からして対照的だった。
 ボビー「コンディション? これから練習に入ろっかなあ。でも最近、辛い物を食べるとお尻が痛い。必殺技? 腕ひしぎ逆万字(十字)」。

 芸風通り、ぼけまくるボビーの横で、曙は屈辱感にさいなまれていた。
 曙「Dynamite!!は格闘家としての原点の大会。まだ白星がないので、今年はいい勝ち方ができるようにしたい」。

 写真撮影では、つかみかからんばかりの表情で、ボビーをにらみつけた。
 リスクある相手だ。一昨年のサップ戦、昨年のホイス・グレイシー戦とは訳が違う。負ければ、格闘家人生が終わる。曙は「元横綱を置いて、試合に臨む。ケンカファイトをする」と表情を引き締めた。元横綱曙太郎ではなく、旧名ローウェン・チャド・ジョージ・ハヘオに戻る。やんちゃだったハワイ時代の「ケンカ屋チャド」として、素人ボビーを完膚無きまでにたたきのめすつもりだ。
 試合形式は5分3回の総合ルールになる。2年前のサップ戦は瞬間視聴率43%で、史上初めて紅白歌合戦を超えた。K-1の谷川貞治イベントプロデューサーは「サップ戦以上の視聴率が出れば。子供からお年寄りまでに知られている2人ですから」と期待を寄せる。がけっぷちの元横綱の復活か、それとも素人に屈して格闘家引退か。大みそかの話題を、またも曙が独占する。

このニュースを知ったのは、昨日。既に昨日書こうと思っていた話題は決まっていたから、この内容はスルーしていた。
正直この一報を見たときは「イヤ、それはいくらなんでもムチャだろう・・・」と思った。しかし今日のはねトビを見て、見方が変わった。ボビーがゲストとして出た時、虻ちゃんが結構な力でボビーのボディにパンチを数発。テレビで見る限りでは、ちょうどレバーあたりに当たっているような感じ。でもそのパンチを受けてもビクともしない。逆に虻ちゃんを簡単にスリーパーで落としてしまった。罰ゲームで足ツボマッサージを受けていたときも、仮にも素人と言えども十数人掛りで押さえつけているのに、それを跳ね返してしまう力。この姿を見て、「あ、これはちょっと違うな」と実感した。

ハッキリ言ってはねトビを見るまでは「今回はさすがに準備期間も少ないし、曙相手じゃウェイト差で無理だろう・・・」と思っていた。しかしはねトビを見てすぐに感じた・・・ボビー、去年のDynamiteが終わっても練習は続けているだろう・・・と。ボビーのコメントの中で、「練習はこれから始める」とか「すごくカンチョウしています」とか「(自信は)ないですね。曙選手はおなかが緩いということなので、上に乗られなければ何とかなるかなと思う。ゆですぎ逆バンジーでいこうかな」なんて言っているけど、今日のあの身の動きを見れば、間違えなくボビーは練習している。それも前回のDynamiteに比べ、恐らく「極め技」を習得していると思う。だから去年のアビティ戦は決してフロックではなかっただろう。もっと練習を積んでいれば、アビディ戦はギロチンで勝っていただろう。ただ、もし練習していることが真実であれば、ボビーの実力は去年以上に遥かに上回っている。
そう考えたら・・・曙、ナメてかかったら大ケガすることは間違えなし。「素人」と思って戦ったら、負ける可能性大だよ。

今年の大晦日、また一気に楽しみが増えました。ボビーがどんな動きをするのか、注目です。
(番外編として「レイザーラモンHG vs ボビー・オロゴン」っているの見たいかも・・・笑)

2005.11.08

結構な負担なんだけど・・・

本日、定期通院日。当初は時間休なしでいける予定だったが、昨日になって直前の予定変更。そのため結局時間休を使って病院に行くことに。
ちなみに普通なら「30分」の時間休で済むところを、今日は「45分」で取得。その理由も・・・昨日の記事を。

ところで「パニック障害」の診断が新たな病院に通院して治療を始めてからもうすぐ3ヶ月が経とうとしています。
それ以前の病院(てんかんの疑い)のときもそうだったけど、定期通院が始まった4月から含めると、自分の通院ペースは2週間に1回ペースで通院を行っている。前の病院でも今の病院でもそうだけど、大体内容は受診までの生活状況の報告や何か特別なことがあったかどうか、調子などはわるくないか・・・などなど、もろもろのことを話をして、処方する薬を確認して、治療終了・・・というのがパターン。大体1回の診察時間は15分程度。もちろん初診時診察は30分ぐらいかかったけど、最近は10分から15分がほとんど。特に何もなければ10分ぐらいで終わるし、何かあれば15分ぐらいかかる。今日は色々とあったから、15分ぐらいかかった。

こんな感じで診察は終わるのだが・・・実は大きな問題・・・というか、ちょっと負担に感じるものが。
それは「診察費」。厳密に言えば「医療費」なのだが、この医療費、結構バカにならないもので・・・

例えば今日の場合、診察が15分で薬の処方箋あり。それで費用が1550円。
さらにその後薬局で薬を処方。3種類の薬を処方されて、その費用が2530円。合計して4080円。

大体1回通院すると、約4000円程度の出費となり、これが週2回ベース・・・つまり1ヶ月に2回行く計算だと、1ヶ月あたりの医療費は約8000円。これは結構なウエイトである。ちなみに、今日現在、医療にかかった費用(電車などの交通費を含める)の今年の総合計は56830円。さすがに年末の医療費返還までには行かないけど、こんなに医療費がかかるのは例を見ない。今までは年に1度風邪を引いて病院にかかるか、手の皮が「脱皮」(って言うか、診断としては「湿疹」なんだけど・・・)して皮膚科に1ヶ月に1回、約1000円程度かかるくらいだったものが、いまや1回病院にいったら4000円・・・これは、結構大きい。

で、もちろん医療費軽減措置があることは、自分だって「福祉従事者」だから当然知っていますよ。
3ヶ月経過しているし、標榜しているかが「精神科・心療内科」だから精神32条の適用を受けることが可能であることも十分にわかっていますよ。ただ障害者自立支援法が制定されたことにより、精神32条には実質的にはこれからは「廃止」の方向に向かっていくことは事実。さらに自立支援法で新たに制定される「自立支援医療」になった場合は、今まで精神32条の適用になっていた人の多くがこの枠から外れる可能性が高く、決して自分も例外ではない。「てんかん」であればその可能性は残っていたかもしれないけど、「パニック障害」であればまず「自立支援医療」からは外されるだろう。そういう先行きが見えているなかで、わざわざ32条医療を申請するのは意味があるのかな・・・と思って、申請していない部分があるのは事実。
さらに32条の利用に関して母親が強い抵抗感を持っているのも事実。理由は「精神32条で治療受けているのに、車を運転している、って・・・どう説明がつくの?」と言うこと。うん、母親の言いたいことはなんとなくわかっている。あえて母親はオブラートに包んで言っているのだろうけど、ダイレクトに言ってしまえば、精神32条を申請することによって自らを「精神障害者」であることを認めてしまうことに対するスティグマ感・そしてそんな奴が「車の運転を平然と行う」という行為に関して、どうやって社会に説明をしていくのか・・・ということを言いたいのだろう。母親の言っていることも「もっとも」なんだろうけど、でも結局これって「偏見」だよね。どっかのニュースで誰かさんが言っていたけど「精神に何らかの異常を持つ人が車を運転するなんて・・・」と言う発言、これって「偏見」だよね。そしたら俺、車運転しちゃいけないってことになっちゃうじゃん。DrからはOKが出ているのに?

ちょっと話は外れてしまいましたが・・・
どっちにしても、精神科・心療内科に通院することは、結構お金がかかることなんです。だから少しでも負担を減らしたいから、個人的には32条の申請をしてもいいかなぁ・・・と思っている部分があるのですが、親の希望と今後の障害者施策の流れを見極めていくと、そう簡単に32条申請をするのはどうなのかなぁ・・・と思っているのが本音であります。

障害者自立支援法の可決・成立は、こういったところにも影響を与えているんですよ、国会のセンセイ!

2005.11.07

予定が狂う・・・(+o+)

週明けから、だいぶ疲れているみたいです・・・
ここ最近体重計に乗ってみると「ウワァ、増えてきている・・・(ー_ー)!!」とにわかに焦っている俺。そのため通勤では「エスカレーター」を使わずに階段を使うようにしているのですが・・・今日の帰り、何のためらいもなくエスカレーターのほうに足が向いていました・・・あぁ、これはいきなり「疲れ」の現われなんだろうなぁ・・・
とはいえ、ここ最近の月曜日の業務を見ると、機能訓練ばっかりなんだよね。でもって、午後は早退する利用者さんとパソコンをやりながらお留守番。そんなにハードな動きをしているわけじゃないんだけどね・・・それに今日はKotヒットもなかったし・・・まさか機能訓練のときの移乗のためのトランスやオムツ交換のためのトランスだけでこんなに疲れるのか?別にそんな重たい利用者をトランスしているつもりはないんだけどなぁ・・・腰に来るようなトランスの方法もしているわけじゃないし・・・なんでだろう?

で、なんでだろう・・・というか「なんでぇ~?」といえば、またしてもプールの予定変更。
プールがある日は食事などの休憩を取らずにぶっ通しで従事。その代わり休憩を取らなかった分は早く帰ることができる。そういう日を見計らって、自分の場合は「定期通院」の都合を入れたりしていた。で、前回も事前にプールに行くということがわかっていたから、それに合わせて通院予約を入れていたのだが、急遽キャンセル。そのため普通どおりに仕事していたら病院に間に合わないため、時間休を取って病院へ行くことに。

そして今回はまだプールのシフトが決まっていないときだったため、先に次の通院予定の方が決まってしまっていたため、仕方なく時間休を入れることに。ところがその後の話し合いで、ちょうど病院に行く日にプールに行くことになったため、時間休は取り下げ。「ラッキー!」と思った・・・のですが、今回もキャンセルに。行く予定の利用者の保護者から「今回は(プールは)なしで・・・」との連絡があり、1人行かない状態に。すると必然的に・・・自分が行く必要もなくなる。よって・・・再び時間休を取らざるを得ない状態に。

さらに・・・今月早々、「電車乗り過ごし事件」により遅刻分の時間休が発生。
つまり時間休的には「中途半端な時間給」が出来上がってしまっている状態であり、電車で1時間かけて通勤している自分にとっては「中途半端で使いにくい」時間休だけが残ってしまっている状態。時間休はまた取らなくちゃいけないは、中途半端な時間休は残っているは・・・と、有給の予定大狂いの状態。だからこの際、中途半端な時間休をキレイサッパリにするために、なんと「45分休」という荒業を敢行することに。
だって仕方ないじゃん・・・本来は「30分単位」で取りたいのに、どう頑張っても「15分」が残っちゃうんだもん・・・( ´-ω-)σ イジイジ

まぁ定期の期限ももうすぐだし、この時間を使って定期券を買うなどして時間を潰すことにしましょう。
でも、それでも時間は余っているんだよね・・・ちょうど「15分」程度が・・・...( - -)

2005.11.06

学生生活バトン

今日は本当に何にもなし。珍しく昨日・今日と居眠りもありませんでした。
でも夕方になったり、やることがなくなると何となくテンションが下がってくる状態。だんだん「ふにゃ~」「やる気しな~い」モードに入っているわけであり・・・そこが今の悩み?

で、今日は本当に書くネタもないので、こう言うときはネタで潰す。
以前HNバトンでまわした「のざ」さんからバトンが回ってきたので・・・やりますか。
でも思い出すのがちょっと面倒だけどなぁ・・・まぁMitakeの生体観察として。(謎)


【質問1】
小・中・高の中で1番、思い出深い時期は?

うーん、中学校かな?
あ、あと大学卒業後の専門学校時代も思い出深いね。


【質問2】
1番お世話になった先生は、いつの時の先生?

特にお世話になった先生と言うのはいませんが・・・
中学時代は、中学3年の頃には自分のことを知らない先生は誰もいない、と言うほど「先生の中」では有名でした。
あ、別に悪いことをしていたわけじゃないですよ。 良い意味で、目立っていた生徒・・・ということで。(^^ゞ
専門の時は・・・本当に2年間、担任の先生にはお世話になりました、マジで。


【質問3】
得意だった科目は?  
苦手な科目は?

得意科目・・・中学の時の技術・家庭、公民
苦手科目・・・理数系全般、体育

だから文系人間です。
でも大学時代の職業適性テストの時は、職業適性としては「文系」にありながら興味志向としては「理系」に現れていたなぁ。
どっちにしても、今は数字を見るのがキライです・・・お給料のとき以外は・・・(~_~メ)


【質問5】
思い出に残った学校行事を3つあげてください。

・小学校の時の卒業式&中学校の入学式
詳しいことはホントごくごく親しい人しかお話しませんが、とある事情により小学校の時は卒業式1週間前、学校を休みました。休んで何をしていたかと言うと・・・東京からはるか離れた広島で「小学6年生」としては普通しないようなことをしていました。そして小学校の卒業式前夜(厳密には当日の深夜)に帰京し、ぶっつけ本番で卒業式に出席。その後卒業式の余韻に浸ることもなく、そのまますぐに広島にとんぼ返り。やっぱりこの年齢ではめったに経験できないことをするために、広島へ。
で、当初の予定では中学校の卒業式には出席をする予定だった・・・のですが、色々な「オトナの事情」が重なり合って、中学校の卒業式には出席できなかったのです。

・小学校の時の運動会
当時小学校6年の運動会といえば「組体操」が主流ですが、ちょっと担任が「風変わり」な先生で、運動会の出し物として「表現」を入れたんですよねぇ。で、その中に「逆立ち」と言うのがあったのですが・・・太っている自分にとっては逆立ちをするのは至難の業。絶対にできない・・・と思っていたのですが、その風変わりな熱血先生の指導で一応は「逆立ち」の形になりつつある状態・・・までには至ったのです。ただ完成か・・・といわれればできたりできなかった・・・と言う状態で、本番まで不安を抱えていたのですが・・・いざ本番になると、何と一発で足がきれいに上がって逆立ちが完成。思わずそのまま「できた!」と叫んだ覚えがあります。

・中学の時の校外学習
自分の話ではないのですが・・・当時の友人が、鎌倉の大仏の中に入って「○○参上」と落書きをしたことが話題に・・・(^_^;)


【質問6】
学生時代は、クラスではどんなキャラでしたか?

いつのことを書けばいいのでしょう・・・
小学校→おとなしい、目立たないキャラ。
中学校→兄貴と比較されてか、活発で先生の中では知らない人のいないくらい目立っている、一方でチヤホヤされていた存在。(キャラじゃないな・・・?)
高校→おとなしい、寡黙キャラ。交友関係は「狭く、浅く」の状態。
大学→メダパニ、存在そのものが理解不能。
専門学校→物言う、話してみるとざっくばらんなキャラ。(よくわからない???)


【質問7】
学生時代の友達からの呼び名は?

苗字です。たまに名前で「~ちゃん」づけして呼ぶ人もいました。


【質問8】
好きな給食のメニューは?

あんまり覚えていないなぁ・・・揚げパン?


【質問9】
学生時代に出会った友人は、あなたにとってどんな存在ですか?

正直言って、小・中・高の友人とはもう親交はありません。だからあんまり「存在」っているのはないですね。
ただ大学と専門学校に関しては「腐れ縁」のような存在であり、少しぐらいのバカならできるくらいの、大切な存在ですね。きっとこれからも続いていくことでしょうね。


【質問10】
次にバトンを渡す5人

うーん、バトンを渡す・・・だから俺は、知り合いが少ないだって・・・(-_-)/~~~~
なので、自分でストップ!! ( ツ °°)ツ
やりたい方、どうぞご自由に使ってやってください。

ってか、このまま続けると「チェーンメール状態」になっているしね・・・(^^ゞ

2005.11.05

コトバ★「医行為」

今日のコトバは「医行為」。本日は非常に長文です。覚悟してください。

既に報道されていますが、まずはこのニュース。

Yahooニュース「<入園拒否提訴>病気を理由は違法 東京地裁に園児と両親」

 たんの吸引措置が必要であることを理由に保育園への入園を拒否されたのは違法として、東京都H市のAちゃん(5)と両親が2日、市に300万円の損害賠償と入園を認めるよう求めて東京地裁に提訴した。
 訴えによると、Aちゃんは「喉頭(こうとう)軟化症」という病気のため、空気を気管に通す「カニューレ」という器具をのどに装着しており、1~3時間ごとに、たんを吸引する必要がある。両親が今年1月、市内の公立と私立の保育園に入園を申し込んだところ、市福祉事務所は▽保育園では適切な対応ができない▽カニューレが脱落する恐れがある――として不承諾とした。
 原告側は「吸引は本人や常駐の看護師で対応できる。カニューレが脱落する恐れもない」と主張している。(毎日新聞)

まずは「医行為とは何か?」と言うことになると思います。
「医行為」とは医師法の解釈によると「医師の医学的判断及び技術をもってするのでなければ人体に危害を及ぼし、又は危害を及ぼすおそれのある行為」とされています。つまり医師のする行為はすべて「医行為」=「医業」であり、医師でなければ医行為をすることはできません。そのため、「医師の指示の下に」と言う文言において、医行為が保健師・看護師・助産師などに認められているわけです。

では具体的な「医行為」とは何か・・・となると、実はその部分ははっきりと明確化されていないのです。
ですから介護現場、とりわけ入所施設の場合は「どこまでが日常生活援助の範囲であり、どこまでが医行為なのか?」と言う判断に悩まされるわけです。今回の訴訟はまさにそれを提示したものであり、「たんの吸引」という行為が女の子にとって「生活援助行為」に当たるのか、それとも「医行為」に当たるのかと言うのが今回の争点ではないか、と思います。

先日、医行為などに関して、次のような通知が出されました。


平成17年7月26日 医政発第0726005号
医師法第17条、歯科医師法第17条及び保健師助産師看護師法第31条の解釈について(通知)

 医師、歯科医師、看護師等の免許を有さない者による医業(歯科医業を含む。以下同じ。)は、医師法第17条、歯科医師法第17条及び保健師助産師看護師法第31条その他の関係法規によって禁止されている。ここにいう「医業」とは、当該行為を行うに当たり、医師の医学的判断及び技術をもってするのでなければ人体に危害を及ぼし、又は危害を及ぼすおそれのある行為(医行為)を、反復継続する意思をもって行うことであると解している。 
 ある行為が医行為であるか否かについては、個々の行為の態様に応じ個別具体的に判断する必要がある。しかし、近年の疾病構造の変化、国民の間の医療に関する知識の向上、医学・医療機器の進歩、医療・介護サービスの提供の在り方の変化などを背景に、高齢者介護や障害者介護の現場等において、医師、看護師等の免許を有さない者が業として行うことを禁止されている「医行為」の範囲が不必要に拡大解釈されているとの声も聞かれるところである。
 このため、医療機関以外の高齢者介護・障害者介護の現場等において判断に疑義が生じることの多い行為であって原則として医行為ではないと考えられるものを別紙の通り列挙したので、医師、看護師等の医療に関する免許を有しない者が行うことが適切か否か判断する際の参考とされたい。
 なお、当然のこととして、これらの行為についても、高齢者介護や障害者介護の現場等において安全に行われるべきものであることを申し添える。


(別紙)

1 水銀体温計・電子体温計により腋下で体温を計測すること、及び耳式電子体温計により外耳道で体温を測定すること
2 自動血圧測定器により血圧を測定すること
3 新生児以外の者であって入院治療の必要がないものに対して、動脈血酸素飽和度を測定するため、パルスオキシメータを装着すること 
4 軽微な切り傷、擦り傷、やけど等について、専門的な判断や技術を必要としない処置をすること(汚物で汚れたガーゼの交換を含む。)
5 患者の状態が以下の3条件を満たしていることを医師、歯科医師又は看護職員が確認し、これらの免許を有しない者による医薬品の使用の介助ができることを本人又は家族に伝えている場合に、事前の本人又は家族の具体的な依頼に基づき、医師の処方を受け、あらかじめ薬袋等により患者ごとに区分し授与された医薬品について、医師又は歯科医師の処方及び薬剤師の服薬指導の上、看護職員の保健指導・助言を遵守した医薬品の使用を介助すること。具体的には、皮膚への軟膏の塗布(祷瘡の処置を除く。)、皮膚への湿布の貼付、点眼薬の点眼、一包化された内用薬の内服(舌下錠の使用も含む)、肛門からの坐薬挿入又は鼻腔粘膜への薬剤噴霧を介助すること。
 (1)患者が入院・入所して治療する必要がなく容態が安定していること
 (2)副作用の危険性や投薬量の調整等のため、医師又は看護職員による連続的な容態の経過観察が必要である場合ではないこと
 (3)内用薬については誤嚥の可能性、坐薬については肛門からの出血の可能性など、当該医薬品の使用の方法そのものについて専門的な配慮が必要な場合ではないこと 

注1 以下に掲げる行為も、原則として、医師法第17条、歯科医師法第17条及び保健師助産師看護師法第31条の規制の対象とする必要がないものであると考えられる。
 (1)爪そのものに異常がなく、爪の周囲の皮膚にも化膿や炎症がなく、かつ、糖尿病等の疾患に伴う専門的な管理が必要でない場合に、その爪を爪切りで切ること及び爪ヤスリでやすりがけすること
 (2)重度の歯周病等がない場合の日常的な口腔内の刷掃・清拭において、歯ブラシや綿棒又は巻き綿子などを用いて、歯、口腔粘膜、舌に付着している汚れを取り除き、清潔にすること
 (3)耳垢を除去すること(耳垢塞栓の除去を除く)
 (4)ストマ装具のパウチにたまった排泄物を捨てること。(肌に接着したパウチの取り替えを除く。)
 (5)自己導尿を補助するため、カテーテルの準備、体位の保持などを行うこと
 (6)市販のディスポーザブルグリセリン浣腸器(※)を用いて浣腸すること
  ※挿入部の長さが5から6センチメートル程度以内、グリセリン濃度50%、成人用の場合で40グラム程度以下、6歳から12歳未満の小児用の場合で20グラム程度以下、1歳から6歳未満の幼児用の場合で10グラム程度以下の容量のもの

注2 上記1から5まで及び注1に掲げる行為は、原則として医行為又は医師法第17条、歯科医師法第17条及び保健師助産師看護師法第31条の規制の対象とする必要があるものでないと考えられるものであるが、病状が不安定であること等により専門的な管理が必要な場合には、医行為であるとされる場合もあり得る。このため、介護サービス事業者等はサービス担当者会議の開催時等に、必要に応じて、医師、歯科医師又は看護職員に対して、そうした専門的な管理が必要な状態であるかどうか確認することが考えられる。さらに、病状の急変が生じた場合その他必要な場合は、医師、歯科医師又は看護職員に連絡を行う等の必要な措置を速やかに講じる必要がある。
 また、上記1から3までに掲げる行為によって測定された数値を基に投薬の要否など医学的な判断を行うことは医行為であり、事前に示された数値の範囲外の異常値が測定された場合には医師、歯科医師又は看護職員に報告するべきものである。

注3 上記1から5まで及び注1に掲げる行為は原則として医行為又は医師法第17条、歯科医師法第17条及び保健師助産師看譲師法第31条の規制の対象とする必要があるものではないと考えられるものであるが、業として行う場合には実施者に対して一定の研修や訓練が行われることが望ましいことは当然であり、介護サービス等の場で就労する者の研修の必要性を否定するものではない。また、介護サービスの事業者等は、事業遂行上、安全にこれらの行為が行われるよう監督することが求められる。

注4 今回の整理はあくまでも医師法、歯科医師法、保健師助産師看護師法等の解釈に関するものであり、事故が起きた場合の刑法、民法等の法律の規定による刑事上・民事上の責任は別途判断されるべきものである。

注5 上記1から5まで及び注1に掲げる行為について、看護職員による実施計画が立てられている場合は、具体的な手技や方法をその計画に基づいて行うとともに、その結果について報告、相談することにより密接な連携を隣るべきである。上記5に掲げる医薬品の使用の介助が福祉施設等において行われる場合には、看護職員によって実施されることが望ましく、また、その配置がある場合には、その指導の下で実施されるべきである。

注6 上記4は、切り傷、擦り傷、やけど等に対する応急手当を行うことを否定するものではない。


一応ポイントとなるべき点については太字で示しました。つまり原則として、上記に示した行為は原則として「医行為ではない」と言う判断になり、逆に上記に示されていない行為は「医行為」として捉えるべきだと考えられます。これをまとめると
 1.一般的な体温計による検温行為
 2.自動血圧測定器による血圧測定
 3.パルスオキシメータ(血液中の酸素濃度を測る機械)の装着
 4.簡単な医療処置(消毒・絆創膏・ガーゼの交換、日常的な服薬管理など)
 5.爪きり
 6.口腔清拭(歯磨き)
 7.耳そうじ(耳垢取り)
 8.ストマ内の汚物処理
 9.留置カテーテルを利用している人に対しての排尿補助(見守り)
 10.市販の浣腸器を使って浣腸すること
が「医行為に当たらない」と言う解釈になりますね。

まぁ文章を読んでいると色々と逃げ道も作っていますが・・・(そんなことを言ったら怒られてしまいますが・・・)
さお本題に戻って、今回提訴された「保育園の入園拒否」のネックになった問題は「たんの吸引行為」です。上記の通達から見ると、「吸引行為」は上記に記載されていないため、解釈上は「医行為」に当たると判断されます。しかし実際の介護現場では吸引を必要とする・あるいは吸引の必要性を感じる場面が多々あります。今自分が勤務しているデイサービスでもたんの吸引をしてあげたいと思う利用者がおり、家庭からも要望が出たことがありますが、施設側の対応としては「医療行為に当たるのでできない」「緊急時のみ、看護師が対応する」と言うことで了承を得ています。うちの施設ではそれで了承を得られたのですから良かったのですが、今回はそういうわけにはいかず、なおかつ常時吸引が必要と言う点が違います。

「常時吸引が必要」と言う点では福祉施設に限らず、在宅患者や養護学校でも「吸引」についてネックとなっています。
それにあわせて「吸引」について、次のような通達を出しています。


○盲・聾・養護学校におけるたんの吸引等の取扱いについて(協力依頼)
(平成16年10月20日、医政発第1020008号)

 近年の医学・医療技術の進歩やノーマライゼーションの理念の普及などを背景に、盲学校、聾学校及び養護学校(以下「盲・聾・養護学校」という。)においては、たんの吸引、経管栄養、導尿(以下「たんの吸引等」という。)の必要性が高い幼児、児童及び生徒(以下「児童生徒等」という。)の割合が高まりつつある。このため、文部科学省では、関係道府県衛生主管部局及び教育委員会の協力を得て、平成10年度から平成14年度までの「特殊教育における福祉・医療等との連携に関する実践研究」及び平成15年度からの「養護学校における医療的ケアに関するモデル事業」(以下「モデル事業等」という。)により、盲・聾・養護学校における医療のニーズの高い児童生徒等に対する教育・医療提供体制の在り方の研究を行ってきた。
 「在宅及び養護学校における日常的な医療の医学的・法律学的整理に関する研究(平成16年度厚生労働科学研究費補助事業)」(座長:樋口範雄東京大学教授、主任研究者:島崎謙治社会保障・人口問題研究所副所長)は、モデル事業等の成果を踏まえ、医師又は看護職員の資格を有しない教員が、看護師との連携・協力の下に盲・聾・養護学校における医療のニーズの高い児童生徒等に対するたんの吸引等を行うことについて医学的・法律学的な観点から検討を行い、このほど別添1のとおり報告書をとりまとめた。
 報告書では、盲・聾・養護学校へ看護師が常駐し、教員等関係者の協力が図られたモデル事業等において、医療安全面・教育面の成果や保護者の心理的・物理的負担の軽減効果が観察されたこと、必要な医行為のすべてを担当できるだけの看護師の配置を短期間に行うことには困難が予想されることから、看護師を中心としながら教員が看護師と連携・協力して実施するモデル事業等の方式を盲・聾・養護学校全体に許容することは、看護師の適正な配置など医療安全の確保が確実になるような一定の要件の下では、やむを得ないものと整理されている。
 盲・聾・養護学校における医療のニーズの高い児童生徒等の教育を受ける権利や安全かつ適切な医療・看護を受ける権利を保障する体制整備を図る措置を講じていくことは重要であり、また、たんの吸引等については、その危険性を考慮すれば、医師又は看護職員が行うことが原則であるが、上記整理を踏まえると、教員によるたんの吸引等を盲・聾・養護学校全体に許容することは、下記の条件の下では、やむを得ないものと考える
 貴職におかれては、報告書の趣旨を御了知の上、貴管内の市町村(特別区を含む。)、関係機関、関係団体等に周知するとともに、教育委員会との連携を図り盲・聾・養護学校においてたんの吸引等が安全に行われるため、適正な看護師の配置及び医学的な管理などの体制整備についてご協力願いたい。
また、上記報告書では、文部科学省及び当省が密接に連携し、盲・聾・養護学校における看護師の適正配置など体制整備の状況を継続的に点検し、それらの水準の維持・向上のための方策を探るべきとも言及されているところであり、ご留意の上、併せてご協力願いたい。
 なお、当職から文部科学省初等中等教育局長に対し、別添2のとおり協力を要請したので、申し添える。

医師又は看護職員の資格を有しない教員によるたんの吸引等の実施を許容するための条件
Ⅰ たんの吸引、経管栄養及び導尿の標準的手順と、教員が行うことが許容される行為の標準的な範囲
 たんの吸引、経管栄養及び導尿について、文部科学省のモデル事業等における実績と現在の医学的知見を踏まえると、看護師が当該盲・聾・養護学校に配置されていることを前提に、所要の研修を受けた教員が行うことが許容される行為の標準的な範囲は、それぞれ以下の通りである。しかし、いずれの行為にあっても、その処置を行うことが適切かどうかを医療関係者が判断し、なおかつ、具体的手順については最新の医学的知見と、当該児童生徒等の個別的状況を踏まえた医療関係者の指導・指示に従うことが必要であり、緊急時を除いては、教員が行う行為の範囲は医師の指示の範囲を超えてはならない
(中略)

Ⅱ 非医療関係者の教員が医行為を実施する上で必要であると考えられる条件
1 保護者及び主治医の同意
① 保護者が、当該児童生徒等に対するたんの吸引等の実施について学校に依頼し、学校の組織的対応を理解の上、教員が当該行為を行うことについて書面により同意していること
② 主治医が、学校の組織的対応を理解の上、教員が当該行為を行うことについて書面により同意していること
(中略)


(別添1)
盲・聾・養護学校におけるたんの吸引等の医学的・法律学的整理に関する取りまとめ

1 報告書の目的
○ 「在宅及び養護学校における日常的な医療の医学的・法律学的整理に関する研究」は、行政的課題となっている①ALS以外の在宅患者に対するたんの吸引行為と、②盲・聾・養護学校における医療のニーズの高い幼児、児童及び生徒(以下「児童生徒等」という。)に対するたんの吸引、経管栄養及び導尿(以下「たんの吸引等」という。)に焦点を当て、それらの医学的・法律学的整理を行うことを目的としている。
○ ②の盲・聾・養護学校におけるたんの吸引等の問題については、すでに文部科学省により平成10年度から平成14年度にかけて実施された「特殊教育における福祉・医療等との連携に関する実践研究」及び平成15年度から実施されている「養護学校における医療的ケアに関するモデル事業」(以下「モデル事業等」という。)において実践的な研究がなされてきたところであるが、たんの吸引等の取扱いをどうするかの結論が求められている状況にあり、①の在宅患者に対するたんの吸引の問題に先んじて整理することとした。
○ モデル事業等の現状及びそれに対する評価を踏まえ、盲・聾・養護学校における医療のニーズの高い児童生徒等に対するたんの吸引等を教員が実施することについて、医学的・法律学的な問題の整理を行い、結論をとりまとめた。
○ この報告は、モデル事業等の成果を基に、盲・聾・養護学校におけるたんの吸引等について、教員が行うことが許容される範囲・条件等について検討を行ったものであり、たんの吸引等以外の行為や、盲・聾・養護学校以外での医行為についての検討を行ったものではない。
○ ALS以外の在宅患者に対するたんの吸引行為に関する医学的・法律学的整理は、この報告の後、あらためて検討する。


2 盲・聾・養護学校における日常的な医療の提供を巡る現在の状況
(1) 現行の法規制
○ 医師法第17条は、「医師でなければ、医業をなしてはならない」と規定している。行政解釈上、「医業」とは、医師の医学的判断及び技術をもってするのでなければ人体に危害を及ぼし、又は危害を及ぼすおそれのある行為(医行為)を、反復継続する意思をもって行うことと解釈されている。
○ また、保健師助産師看護師法上、看護師が行う医行為は診療の補助行為に位置付けられるものと解釈されており、その他の医療関係の資格を有する者が行う医行為も、同様の位置付けを与えられている。
○ したがって、医療関係の資格を保有しない者が医行為を業として行うことは一般的に禁止されている。

(2) ALS分科会報告書を踏まえた行政的対応
○ 在宅で療養しているALS患者のたんの吸引については、当該行為が患者の身体に及ぼす危険性にかんがみ、原則として、医師又は看護職員が行うべきものとされてきた。しかし、在宅のALS患者にとっては、頻繁にたんの吸引が必要であることから、家族が24時間体制で介護を行っているなど、患者・家族の負担が非常に大きくなっており、その負担の軽減を図ることが求められていた
○ 平成15年6月、「看護師等によるALS患者の在宅療養支援に関する分科会」は、報告書をとりまとめた。この報告書では、在宅で療養しているALS患者に対するたんの吸引行為について、基本的には医師又は看護職員が行うことを原則としつつも、3年後に、見直しの要否について確認することを前提に、医師の関与やたんの吸引を行う者に対する訓練、患者の同意など一定の要件を満たしていれば、家族以外の者が実施することもやむを得ないものとされた。なお、家族以外の者が実施するたんの吸引は、当面やむを得ない措置として実施するものであって、ホームヘルパー業務として位置付けられるものではないとされている。その後、行政の実務においても、同旨の医政局長通知(平成15年7月17日医政発第0717001号)が発出された。
○ これは、ALS患者の在宅療養という限定された状況において、一定の厳格な条件を満たしていれば、たんの吸引という医行為を家族以外の者が実施しても、医師法第17条との関係では違法性が阻却されるものとして取り扱ったものである。

(3) モデル事業等の現状及び評価
○ 近年の医学・医療技術の進歩やノーマライゼーションの理念の普及などを背景に、盲・聾・養護学校におけるたんの吸引等の必要性が高い児童生徒等の割合が増加しつつある。このため、盲・聾・養護学校において、障害のある子どもの教育を受ける権利や、その前提として安全かつ適切な医療・看護を受ける権利を保障する体制を整備する必要性が高まってきている。しかし、たんの吸引等は現状では医師若しくは看護職員又は保護者が行うとされており、これらの児童生徒等が医療関係者の配置されていない盲・聾・養護学校に通学するためには保護者の付き添いが必要となる。保護者の負担の軽減という観点からも、盲・聾・養護学校における体制整備の必要性が指摘されている。
○ このような事情から、文部科学省では、厚生労働省と各県教育委員会の協力を得て、平成10年度からモデル事業等を実施し、盲・聾・養護学校における医療のニーズの高い児童生徒等に対する教育・医療提供体制の在り方を探ってきた。
○ モデル事業等では、非医療関係者が医行為を実施する場合の危険性やこれらの行為が必要となる頻度を踏まえ、「咽頭より手前の吸引」、「咳や嘔吐、喘鳴等の問題のない児童生徒で、留置されている管からの注入による経管栄養(ただし、経管の先端位置の聴診器による判断は除く)」及び「自己導尿の補助」の3つの行為に限定し、どのような医療体制の下で、どのような手続きを踏んで、どこまでの行為を教員が行うことが適当か、また、看護師と教員の連携の在り方、医療・福祉の関係機関と連携した望ましい医療体制の在り方等について研究を行った。
○ 医療安全面については、医療事故の発生の報告はなく、看護師と教員の連携の中で円滑にたんの吸引等が実施できた。また、医療安全面の体制の充実という観点では、①県レベルでの実施体制の整備を図ったことにより地域の医療機関からの協力が得られた、②看護師が学校に常駐しているため、教員が児童生徒等に対する医療上の配慮や健康状態について相談することや、たんの吸引等に関する知識、手技についての研修を受けることが容易になり、教員が安心してたんの吸引等に従事できた、③健康管理、健康指導が充実するとともに、これに携わる教員の資質の向上、予見・注意義務の徹底による教員の危機管理意識の高揚を図ることができた、④緊急時の医療機関との連絡体制が整備された、等の効果が観察された。
○ 教育面では、医療が安全に提供されたことにより、授業の継続性の確保、訪問教育から通学への移行、登校日数の増加、親から離れて教育を受けることによる本人の自立性の向上、教育の基盤である児童生徒等と教員との信頼関係の向上、健康管理の充実、生活リズムの確立等の効果が観察された。
○ 保護者が安心して児童生徒を学校に通わせることができるようになり、また、たんの吸引等が必要になったときに備えて学校待機をする必要がなくなるなど、保護者の心理的・物理的負担の軽減効果も観察された。
○ したがって、医療関係者の間の指示系統が不明確であるなどいくつかの課題も指摘されているものの、モデル事業等の下では、関係者の協力により3つの行為は概ね安全に行い得ることが実証され、教育上の成果が上がったと評価することができる。


3 盲・聾・養護学校における医療の実施の要件及び法律的整理
 医療に必要な知識・技能を有していない者が医行為を行うことは本質的に危険な行為であるため、医療に関する資格を有していない者が医行為を業として行うことは法律により禁止されている。一方、医療のニーズが高い児童生徒等を受け入れている盲・聾・養護学校においては、教育と医療が合わせて提供される必要がある。このため、盲・聾・養護学校に通う医療のニーズが高い児童生徒等の数が増加する中で、これらの児童生徒等の教育を受ける権利を保障するためには、看護師の適正な配置を進める必要がある。しかし、必要な医行為のすべてを担当できるだけの看護師の配置を短期間のうちに行うことには困難があることも予想される。
 したがって、看護師を中心としながら看護師と教員とが連携・協力して実施するモデル事業等の成果を踏まえ、こうした方式を盲・聾・養護学校全体に許容することは、医療安全の確保が確実になるような一定の条件の下では、やむを得ない。
 なお、盲・聾・養護学校における看護師及び教員による医行為は、適切な医学的管理を前提に、学校長の統括の下、組織的に実施される必要がある。万一事故が発生したときの第一義的な責任は学校にあると考えられるが、具体的な責任の所在は事故の形態や過失の程度によって変わり得る。

(1) モデル事業等において教員に認められていた行為を盲・聾・養護学校全体に許容する場合の要件(中略)
(ア) 教員が行うことが許容される行為の範囲
 ・医行為は医療関係者が行うのが原則であり、教員は医療の専門家としての訓練を受けていない。このため、モデル事業等では、教員が行える行為は、他の行為に比べ、医療関係者との協力の下では相対的に危険性の程度が低く、また、日常的に行われる頻度が高いと考えられた範囲(①咽頭より手前のたんの吸引、②咳や嘔吐、喘鳴等の問題のない児童生徒で留置されている管からの注入による経管栄養、③自己導尿の補助)に限定されている。
 ・たんの吸引、経管栄養、自己導尿の補助という3つの行為は、モデル事業等における要件の下では、概ね安全に実施されているものと認められる。ただし、その前提として、3つの行為の内容について一定の共通理解が存在することが不可欠であると考えられるため、これら3つの行為の標準的手順と、医療関係者との連携を含む一定の条件の下で教員が行うことが許容される行為の標準的な範囲を別紙1に示す。
 ・(以下中略)

(イ) 非医療関係者である教員がたんの吸引等を実施する上で必要であると考えられる条件
 ・非医療関係者である教員がたんの吸引等を実施する上で、本来、教員は医行為を行う職種としての専門的訓練を受けていないことから慎重な対応が求められ、その実施においても、危険をできるだけ減少させるため具体的方策を立てるとともに、責任の所在を明確にする必要がある。
 ・したがって、盲・聾・養護学校においてたんの吸引等を安全かつ適切に実施するためには、非医療関係者である教員がたんの吸引等を行うことに鑑み、教員の希望等を踏まえるなど十分な理解を得た上で、必要な研修を行い、上記の標準的な手順を参考に、医師の承認の下、保護者及び学校長の了解した範囲の行為のみを実施することが必要である。また、医療関係者間の指示系統の明確化を含め適正な医学的管理の確保のための条件を整える必要がある。
 ・特に看護師の配置は重要な要素であり、児童生徒等が学校に滞在している間、重度障害児の看護に経験を有する看護師が適正に配置されるとともに、医療機器の整備を含め学校内の医療安全体制に関与する仕組みとする必要がある。
 ・また、養護学校においては、校内感染の予防に注意する必要があり、看護師等医療関係者による適切な感染管理が行われることが不可欠である。
 ・上記の課題を踏まえ、非医療関係者である教員が医行為を実施する上で必要であると考えられる条件は、別紙2の通りである。

(2) 法律的整理
(ア) 実質的違法性阻却
 ・すでに述べたとおり、医師法第17条は、医師以外の者が医行為を反復継続する意思をもって行うことを禁止している。教員によるたんの吸引等の行為も、その本来の業務であるか否かを問わず、反復継続している以上医業に該当し、形式的には医師法第17条違反の構成要件に該当する部分がある。
 ・しかし、構成要件に該当していたとしても、当該行為の目的が正当であり手段が相当であることなどの条件を満たしていれば、違法性が阻却されることがあり得ることは、学説・判例が認めるところである
 ・前出のALS分科会報告書は、医療の資格を持たないホームヘルパー等がたんの吸引を行えば形式的には医師法第17条違反の構成要件に該当するが、当該行為が在宅のALS患者とその家族の負担を軽減するという目的のため、医師の関与や患者の同意、たんの吸引を行う者に対する訓練などALS分科会報告書によって明示された条件を満たして行われているのであれば、実質的に違法性が阻却されるという考え方に基づいているものと考えられる
 ・医師法第17条の究極の目的は国民の健康な生活の確保であり、この趣旨を没却するような解釈は許されない。しかし、現在の盲・聾・養護学校をとりまく状況を前提とすると、盲・聾・養護学校の児童生徒等に適切な医療を提供しつつ教育を受けさせるためには、この報告が検討の対象としている盲・聾・養護学校におけるたんの吸引等の行為についてもALS分科会報告書と同様の違法性阻却の考え方を当てはめることは法律的には許容されるのではないかと考えられる。

(イ) 判例の示す違法性阻却の5条件
 ・刑罰法規一般について、判例が実質的違法性阻却事由としてほぼ共通に挙げる条件は、①目的の正当性(単に行為者の心情・動機を問題にするのではなく、実際に行われる行為が客観的な価値を担っていること)、②手段の相当性(具体的な事情をもとに、「どの程度の行為まで許容されるか」を検討した結果として、手段が相当であること)、③法益衡量(特定の行為による法益侵害と、その行為を行うことにより達成されることとなる法益とを比較した結果、相対的に後者の法益の方が重要であること)、④法益侵害の相対的軽微性(当該行為による法益侵害が相対的に軽微であること)、⑤必要性・緊急性(法益侵害の程度に応じた必要性・緊急性が存在すること)である。今回の問題についても、実質的違法性阻却を説明する上では、これらの実務上の5つの要件該当性を確認することが適当である。
 ・以下で、上の5つの条件について、たんの吸引等を医療関係者でない教員が行うことと医師法第17条との関係についてみる。
 ・目的の正当性についてみると、盲・聾・養護学校において教員がたんの吸引等を限定された範囲で行うのは、児童生徒等が盲・聾・養護学校において教育を受けることができるようにするためであり、憲法第26条の教育を受ける権利の実質的な保障のための措置であること、また、保護者の負担の軽減のためでもあることから、単に関係者の一方的な善意のみではない客観的な価値を担っているということができる。
 ・手段の相当性についてみると、教員が行うたんの吸引等は、別紙1に掲げる範囲で、医療関係者の関与など別紙2の条件を守って行われる場合には、医療の安全が十分に確保され、手段として相当であるということができる。
 ・法益衡量についてみると、医療のニーズの高い児童生徒等が盲・聾・養護学校において医療の安全を確保した上で教育を受けることができるようになるという利益と、医療関係者ではない一般の教員が一定の限定された範囲の医行為を行った場合の法益侵害とを比較すると、上記の手段の相当性、下記の法益侵害の相対的軽微性と合わせて考えれば、前者の利益の方が後者の法益侵害よりも大きいのではないかと考えられる。
 ・法益侵害の相対的軽微性についてみると、今回の措置は、盲・聾・養護学校という限定された場で、児童生徒等が必要とする医療のうち必要な条件を整えれば医療に関する資格を有していない教員であっても安全に実施できると考えられるものだけを、看護師の常駐の下で、児童生徒等及び保護者の信頼を得た特定の教員が必要な研修を受けた上で行うものである。したがって、無資格医業を助長するものではなく、公衆衛生上の危険は相対的に小さいと考えることができる。
 ・必要性・緊急性についてみると、盲・聾・養護学校の現在の職員配置を前提とすれば、児童生徒等に対し教育を提供していく上で、教員がたんの吸引等を行う必要性があり、かつ、それらの行為を緊急に実施することが不可欠である。
 ・したがって、判例から抽出された上記の5つの条件に照らしてみても、教員によるたんの吸引等は、医師法第17条との関係では違法性が阻却されるものと考えられる。

(以下、省略)

この文章の要点となるべき箇所も太字で示しました。つまり今回の裁判で争点になろうと思われるのは、太字で示した部分・・・つまり、「医行為をできない人(ここでは「保育士」)がたんの吸引行為をすることによって発生する違法性阻却の有無」「万一事故が発生した場合の責任の所在」「憲法第25条・第26条、児童福祉法第1条・第2条の保障」なのかなぁ・・・と勝手に解釈しています。
ちなみに最後に挙げた憲法第25条・第26条、児童福祉法第1条・第2条は、次のように書かれています。

日本国憲法
第25条(国民の生存権、国の保障義務)
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
② 国は、すべての生活部面において社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

第26条(教育を受ける権利、受けさせる権利)
すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
② すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。 

児童福祉法
第1条(児童福祉の理念)
すべて国民は、児童が心身ともに健やかに生まれ、且つ、育成されるよう努めなければならない。
② すべて児童は、ひとしくその生活を保障され、愛護されなければならない。 

第2条(児童育成の責任)
国及び地方公共団体は、児童の保護者とともに、児童を心身ともに健やかに育成する責任を負う。

今回の通知はあくまで「義務教育」に限って出されたものですが、今回取り上げなかったALS患者に対しても似たような解釈の通知が出されています。今回の入園拒否をめぐる訴訟もこの件と決して無関係ではないと思います。個人的な見解では、訴訟そのものは負けても、「行政の不作為」と言う点では認められるのではないのかな・・・と思っています。

非常に長い今日のコトバ、ここまでご覧頂きありがとうございました。ふぅ、疲れた・・・(^^ゞ

2005.11.04

「兄貴」の目線

最近改めて自分の携わっている業務が「介護だな」とつくづく実感する日々。
いや、やっていることは「生活支援」で、その点では授産施設のときも同じだった。だけど今の場合は授産施設の時にはほとんどなかった「排泄介助」「食事介助」「衣服着脱」の、いわば介護の3大援助を行っている状態。よくよく考えれば「デイサービス」って、高齢者分野で直訳をすれば「通所介護」なのだから、結局知的障害の分野のデイサービスも「介護」になるのかな?
もちろん、全員が全員介護を必要としているわけではなく、授産に適応するのが困難であり、かといって更生に行くほどのレベルではない・・・という人・・・悪い言葉を使えば「どっちつかずの、ハザマにいる人」が利用しているのが「デイサービス」なのかなぁ・・・と。(デイサービスの意味については「コトバ★デイサービス」で取り上げているので、そちらの方を参考にしてください。)

だけど利用者の面々を見て、改めて思ったことが。
自分が学生のとき、知的障害者の入所更生施設へ実習に行った時は、接する利用者のほとんどは自分よりも年齢の高い人ばかりだった。むしろ、一番年齢の低い人が自分と同じぐらいの人であり、「目上の方」を支援している状態だった。当時自分が現場実習に行っていた時は22~23歳。一方で施設の平均年齢は40代オーバー。利用者から「お兄さん」と言われて若干戸惑いながらも「○○さんはできるから、やってみましょう。」と声かけをした実習の日々。

しかし今、ふと自分の周りの利用者を見てみると、かなり自分の歳よりも下の利用者が多い。
授産の時は自分とタメの利用者が5人もおり、なおかつ、半分以上が自分よりも年下だった。
そして今の施設では、自分より年上の利用者は片手で数える程度。しかし自分が担当するグループではほとんどが19・20といった年齢。対して自分の年齢は・・・27歳。

現場実習のときに利用者との年齢や利用者への呼び方に戸惑っていた時期から、数年経っている。でも、その「たった数年」だけで、自分の置かれている立場は全然異なってしまった。同い年の利用者ならともかくとして、養護学校を卒業してきたばかりの利用者から見たら、正直自分は「兄貴」のような存在。「体を使ってコミュニケーションを取っている」と書いたこともあったけど、よくよく考えれば兄弟ほど離れた年齢の利用者を相手にしているわけであり、ともすれば利用者にとっては「お兄ちゃんと遊んでいる」と言う感覚もあるのかなぁ・・・とふと感じてしまう。

今までは「支援者の目線」とか「同世代の目線」と言うことを考えることがあったけど、「兄貴の目線」と言うのは改めて感じた。彼らにとって見れば「職員」であることは変わらないけど、ただ年齢的に言えばお父さんでもお母さんでもない。かといって「学校の先生」でもない。となると・・・彼らにとって見れば「お兄さん・お姉さん」と言う感覚の方が強くなるのかなぁ・・・とふと思ってしまう。トイレの見守りのとき、利用者がトイレで遊んでいたのを見て「トイレは遊ぶところじゃない!ちゃんとしなさい」とビシッと言って、手洗いの声かけをした後、服の乱れが気になって服装を直した自分。そのちょっと前は、利用者とプロレスごっこをして遊んでいた。プロレスごっこをしているときの利用者の表情は「ニヤァ~」と嬉しそうに笑っている。思わずこっちも、笑顔で返す。でもトイレの場面になると厳しく接する自分の存在・・・そんな自分を見ていて、思わず「俺はこの子(=利用者)の兄貴みたいだなぁ・・・」と感じてしまった。そして自分が接している利用者を見渡してみれば、みんな19・20の利用者ばっかりだった。

彼らと7・8歳も離れている自分。自分の年齢を実感すると共に、「自分って彼らにとってはどんな存在として映っているんだろうなぁ・・・」としみじみ感じた1日でした。

2005.11.03

マグレではないです、フゥ~!

久しぶりにこんな方向からも「責めて」・・・いや、「攻めて」行ってもいいでしょう・・・

★ハッスルマニア2005 メインハッスル時間無制限1本勝負
○HG&“キャプテン・ハッスル”小川直也”&“ハッスルあちち”大谷晋二郎
 (13:00、掟破りの逆M字固め)
×インリン様&“モンスターK”川田利明&アン・ジョー司令長官

そしてハッスル恒例、高田総統劇場から(抜粋)

総統「おい、そこで腰を振ってるおかま!」

HG「セイセイセイ!、おかまじゃありませんよ、どっからどう見てもハードゲイです!今夜はゴリゴリの男子二人に助けられて、ハッスル軍が見事勝利、フゥー!」

総統「おい、デビュー戦にしてはなかなかいい動きをするじゃないか。私の想像以上の出来だ。褒めてやる」

HG「高田総統こそ、そんなところに突っ立ってないで、早くパンツ一丁で上がって来てください。私はあなたのパンツ一丁の姿を想像しただけで、夜もよくよく寝られませんよ。夢精、フゥー!」

総統「相変わらず下ネタばかりだな。今日はちびっ子もたくさん来てるんだぞ!場所をわきまえろ!」

HG「そっちこそ、私の実力がこんなもんだと思われたら困ります。×××に例えるなら、前戯フゥー!」(一部、自主規制)

総統「ますます面白いヤツだな。いまキミはにわか人気が凄いらしいな。そんな事でプロレス活動に専念できるのか?舐めた真似すると、その腰を振れないようにしてやるぞ!」

HG「セイセイセイ!私から腰をとったら何が残るんですか。いま舐めるとおっしゃいましたね?どうぞ、舐めてください!ここへ来て舐めてくれるんだったら、そのサングラスが曇るくらい腰を振りますよ!」

総統「おい、俺、ちょっと今日は負けてるぞ・・・」

HG絶好調・・・(^^ゞ
それはさておき、実際の試合を見ているわけではないので何とも言えませんが、一応「ハッスル」はエンタメプロレス。だから和泉元彌が勝ったのも「デキレース」であり、フツーにやれば絶対に負けるのは当然のこと。勝てたのは、エンタメプロレスである「ハッスル」だからこそ「勝たせてもらえた」以外の何者でもない。元々健想は新日本出身。バリバリのレスラーだったんだから、普通にやれば負けるわけがない。フツーのプロレスで見れば、お話になりません。ですから自分はあんまりハッスルは見ませんし、どちらかと言うと否定派・・・でも、ハッスルの存在自体は否定していません。そういうプロレスがあってもいいと思っています。逆にそういったプロレスでプロレスファン層が広がっていくのであれば、それはそれでいいと思います。(あ、あくまでもこれが「プロレスのメインストリーミング」と想われてしまうのは困りますが・・・)

だからHGが勝ったもの「エンタメプロレス」であったからこそ勝てたのでしょう。
ただし、元々もっているHGのプロレスに対するポテンシャルに関しては評価しています。ワイドショーやニュースでやっていた「レイザーラモンHG公開練習」を見ても、バックドロップへの移行の早さ、身の動き、決して新人レスラーに引けを取らない動きであることはわかります。さすが昔学生プロレスをやっていただけあって、動きに関しては全く問題なし。十分にプロレスラーとしての素質はあります。だからたとえ「ハッスル」だったということを考えても、今回の勝利は決してマグレではないと思いますよ。まぁもっとも相手が「インリン」ですから、ある意味勝って当たり前なんですけどね・・・

今日は久しぶりにプロレス談義をしてみました。

2005.11.02

とうとう、支障が・・・

やっちゃいました・・・2度目の、駅、スルー(-_-)zzz
しかも今回は朝・・・ということは出勤中の出来事です。気がついたら降りる駅をとっくに過ぎており・・・それも3駅。前回は帰宅時だったし1駅だったということでそんなに焦らなかったのですが、今回はさすがに焦りました。おまけに、始業まであと10分・・・「こりゃまずい!!!」と慌てて職場に電話。
スミマセン・・・電車、乗り過ごしちゃって・・・10分ほど遅刻します・・・(^^ゞ」と。

しかしまだ天は見放していなかったのか、すぐに電車が到着。それも急行。
おかげで本来降りる駅まで5分で戻ることができた。5分・・・猛ダッシュすれば、何とか間に合うかも・・・

普段は歩いて10分程度の道。でも今日は、走る・走る・・・
遅れた分を取り戻すべく、わき見もせずに走って、走って、走って・・・
巨体を揺らしながら、信号待ちでは肩で息を吸いながら、再び、走る、走る・・・

そして・・・到着。しかし・・・2分、遅刻・・・
たとえ2分であろうとも、遅刻は遅刻。有給休暇が発生していたため、遅刻した分は有給休暇から差し引き。
ちなみに今の勤務先の場合は15分単位で休暇が取れるシステム、よって、15分の有給休暇。

ハッキリ言って、不本意です。こんな形で有給を消化されてしまうとは・・・
とはいえ、電車の中での居眠りは今に始まったことではなく、服薬を始めてからは居眠りする状況が本当に多くなりました。出勤の時も、帰宅の時も・・・まぁ帰宅の時は乗り過ごしたとしても問題はないのだけど、さすがに出勤の時は乗り過ごすわけには行かない。だから緊張感を持って乗っていたのですが・・・今回ばかりは、本当に落ちていました・・・自分でもビックリ。いつもは「ウトウト」程度なのに、今回は完全に陥っていたみたい。そして目が覚めたら見たことのない光景・・・駅名を見てビックリ。自分が降りる駅からだいぶ離れてしまった駅。それも運が悪いことに、急行電車に乗っていたために、乗り過ごした駅は3駅。思わず愕然・・・としました。

いや、でもとうとう日常生活までに影響が出始めたのは、ちょっと問題です。
薬がupしてから居眠りが多くなったと書いたけど、ここまで影響が出ているとは思ってもいませんでした。立っているのは辛いけど、座ってしまうと乗り過ごしてしまう可能性が出てきてしまった・・・うーん、これからの通勤、結構自分にとっては「試練」になりそうです。
おかげで、利用者の前でこそはテンションを上げて笑い話にしていました・・・精神的には大凹みです..._| ̄|○...

2005.11.01

誕生日

今日からココログのディスクが大増強したらしい。
何しろ今自分が使っているのは「プラス」だから、容量は5GBまで増えたとの事。その結果、現在のディスク使用量は1%にも満たない状態に・・・以前は20%を越えていたのに・・・大増量、恐るべし・・・(^_^;)

今日から・・・といえば、全くもって私事ですが・・・本日、27回目の誕生日を迎えました。
27歳になったからと言って、別に何かが変わったわけではありませんし、いつもどおりの何の代わり映えもない生活です。むしろ、今年は最悪・・・って感じです。細木数子的には「大殺界」らしいですが。でも本当に今年は踏んだり蹴ったり・・・の状態。今も気持ちは(-_-)zzzです。

希望を持ってスタートしたはずの4月。しかしそこに待っていたのは、夢を実現するためにはあまりにも致命的過ぎる自分の体。病院に行き、検査を受け、そして転院し、ようやく今までの自分の症状が何だったのかがはっきりしたのが8月。一時はすべてに希望を失い、自暴自棄になり、絶望の淵に立たされ、生きる意味や気力さえ失ったときもあった。なんで自分だけいつもこんな目に遭わなくちゃいけないんだ、どうして自分は一生懸命努力して、真剣に、真面目に、正しく生きているのに、こんな目に遭わなくちゃいけないんだ・・・消えてしまいたい、と思ったことも何度もありました。

そんな時に救いになったのが、相田みつをの詩です。何気なく見た詩が自分の心の中をすーっ、と流れたのです。
それからと言うもの、自分が自分に疲れたとき、心の力を失いかけたときに、自分は相田みつをの作品を見に行くことにしました。自然と相田みつをの作品を見ていると、自分自身の心の中をすべて見透かされているような、そんな気分になるのです。自分が相田みつをの作品を見に行く時、それは自分自身の「心の洗濯」をしに行っている日なのかもしれません。だから相田みつをの作品を見るときは、誰にも邪魔されないようにするために、一人で見に行っています。むしろ1人でしか見にいけない、自分のことをわかってくれる、理解してくれる、共感してくれる、一緒にそばにいて手を握っていてくれる人がいない限り、相田みつをの作品はひとりでしか見れないと思います。
相田みつをの作品の前に立つと、今の自分のすべてを受け入れてくれている気がするのです。

そして誕生日の今日、美術館からお祝いレターが届いていました。
img012

この詩の解説には

「正」とは自分が人間としての原点を守ることです。
「そんとく」や「勝ち負け」、お金の「有る無し」などという比べることをやめた自分―
それが本来の自分です。

正直、まだこの詩を自分自身の中では完全に理解はできていません。
でも少なくても、自分はまだ「本来の自分」にはなっていないのでしょう。損得勘定や人生での勝ち負けにこだわっていたり考えていたりする自分がいるのも事実。今の自分の状況を完全に受け入れられていない自分がいるのも事実。どこかで自分の病気のことを負い目に感じている自分がいるのも事実。だから正々堂々と人前で「自分は病気の治療に立ち向かっています」言えない自分がいる。

でも少しずつながら、ヨチヨチ歩きながら前に出ようとしている自分がいるのも事実です。
既に気づいている方もいるかもしれませんが、先日「プロフィール」のページを更新しました。blog上では記事として何度かカミングアウトをしていますが、今回プロフィールとして自分が「パニック障害」であることをハッキリと打ち明けました。「自分のこと」として、ネットのMitakeの姿として、そして現実の自分のことを知っている人に対しいてのMitakeの姿として、本来の自分を受け入れてもらえるようにするために・・・いや、受け入れられるように自分自身が努力するために、プロフィールのページを更新しました。自分が一体どんな状態なのかは「プロフィール」のほか、カテゴリの「メンタルヘルス」や「心と体」でも見ることができるので、それを読んで「これがMitakeの本当の姿なんだ」と思っていただければ・・・と思っています。このblogに書いていること、ほとんどここでの内容は「素の姿」のMitakeであります。

誕生日に際し、メッセージを送ってくださった方、ありがとうございます。この場を借りて、お礼申し上げます。

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