「生活」を考えて。
今日は朝に別室でミーティング。オフレコの内容もあったため、別室でと言うことで。
で、これから囲うとする事もある種「オフレコ」的なものなので、詳しくは書かないけど・・・内容は、ケアカンファレンスをやろう、と言うもの。
「ケアカンファレンス」と言ってもピンとこないかもしれない。高齢者の分野で言えば「地域ケア会議」と言った方がなじみが深いだろう。一言で言えば、ある利用者のことに関して1つの施設だけで処遇や支援に関して相談・決定をするのではなく、利用者が関係する複数の施設・機関が集まって処遇・支援の相談を行って行こう、と言うのもが、ケア会議。で、わざわざ「ケア会議」と書くのが面倒なので、ノートには「ケアカンファ」と書いている。
ちなみに余談だが、自分のノートや記録には結構省略して書いているものが多い。例えば利用者のことを「C」(ケース=case)と表現したり、オリエンテーションのことを「OT」を書いたり、ワーカーさんのことを「CW・SW」(ケースワーカー・ソーシャルワーカー)などと書いたりしている。
さてそのケアカンファだが、内容に関しては守秘義務に関わってくるため詳しくはいえないが、これから新しい施設を利用するに当たっての問題共通認識を図りたい、と言うのが主目的。話を聞いていたときはあまり数多が回っていなかったし、あんまり自分が言っても・・・という感じだったのでその場では特に発言しなかったが、自宅に帰ってきて少し休んで、今ごとになってようやく頭の中がスパーク。で、思ったことは・・・ケアカンファ、意味のあるものになるのかな・・・ということ。
はっきり言ってしまえば今回のケアカンファ、別に大々的に行うような問題ではない。多問題ケースは幾つもあると思うけど、本来のケアカンファは「多問題ケース」に対してどうやって対処していくべきだろうか・・・ということに関して行われるのが筋かな・・・と思う。例えばこんな問題とか・・・でも今回問題としようとしているのは、「この支援、どーしましょうーか?」と言うことに関して。もっと言えば、ケアカンファを開くものなのか・・・と思う感じの内容。
いや、別にカンファを開くことに反対しているわけ出じゃないんですよ。問題共通をすることは大事なことだし、それによって生活スキルが上がるのであれば、必要なことだと思いますよ。もちろん共通認識ができれば一体的な支援を展開することができて、施設としては万々歳、統一性のある支援が展開できていいと思いますよ。
でもですね・・・ちっちゃい問題1つを解決するためにわざわざ関係者や当事者・親を巻き込んでカンファをするのはどうなのかなぁ・・・とちょっと思い始めました。ケアカンファをするのであれば、その目的は「目の前の問題に対処する」のではなく、長期的に見て利用者がどのような支援を展開することによって「その人らしい生活」を送ることができるのかを考えていくことが大事なんじゃないのかなぁ・・・と思うんです。もちろん今回取り上げる問題が長期的に見てそうなのであれば構わないのですが、自分が思うに、方法はまだ別にあるような気がしますし、あえてその問題を取り上げる必要はあるのかなぁ・・・とも感じています。我々は治療者じゃないし、やっていることは教育的要素を含んでいても教育者じゃない。自分たちは「支援者」なのだから、カンファを開く時も「支援者としての視点」が必要なのかな・・・と思う。「この問題を何とかしてやろう」と言うのではなく、「どういう風に支援していけば生活のしにくさを改善していくことができるのか」と言う視点の方が大切なのではないかなぁ・・・と、ふと夜になって思い始めたのです。
きっともう少し具体的に話せば自分の言いたいことがもっと明確にできると思うんですけど・・・ここで話せるのはこれ位なんです。これ以上話してしまうと「職務上知りえた内容」に抵触してしまうので、オブラートに包んで話せるのは、これぐらいなんです。もっと現場のことを伝えて、何を思って、何を感じているのかを話していきたいのですが・・・専門職と言うのは内容1つ1つに気を配っていかないとこう言うblogを成立させることはできないんですよねぇ・・・うーん、難しい。
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