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2005.08.27

コトバ★「支援その2」

今回のコトバは「支援」の第2弾。
前回は身の回りのことを題材に話しましたは、「個別支援計画」や「個別支援」で検索している人もいるので、今回は「利用者支援」のことについて話したいと思います。

「利用者支援」と大きなことをいっていますが、平たく言ってしまえば福祉の世界は「サービス業」であり、目には見えないものを商品として提供しているに過ぎません。ですから施設の場合は「介護」や「支援」を商品として提供しており、そのことを「対人サービス」と呼んでいるのです。今では民間企業も介護サービスに参入している時代であり、「介護」が商品として見なされている時代であります。

とはいえ、サービスだからと言って完全に「お客様」と考えてしまうのがいかがなものか・・・というのもあります。
たしかに高齢者の場合は「お客様」と言う考え方は間違っていないと思います。しかし私が働いているような「知的障害」の現場では、「お客様」と言う理念が100%合致しているか・・・と言ったら、少し疑問に思います。
ここで間違って欲しくないのは、「お客様じゃないから対等な関係じゃなくても構わない」と言うことではなく、「支援」と言うことを考えた時に「お客様の言うことだから・希望することだから・・・」との理由で何もかも要求にこたえる姿勢はいかがなものか、と言うことを言いたいのです。当然福祉の世界に従事する人たちは介護や支援と言う「サービス」を提供する見返りに報酬を得ているのですから、高齢者であろうと障害者であろうとも「お客様」と言う視点・考え方を忘れてはいけないことは当然のことです。しかし「お客様の視点」と「支援の提供」は、また別次元の話であると思うのです。

私の前の職場では「個別支援計画」と言う、いわばサービス提供内容のプランを立案していました。この計画は半年に1回、見直しと計画を行うものであり、見直しの際は計画した内容が達成できたかどうか、そのことに関しての所感をまとめ、その見直しを踏まえた上で次の計画を立案するというものであります。しかしこの計画は勝手に立案して、勝手に進められるものではなく、見直しした結果と立案した計画を利用者と保護者に説明をして、さらに新しい計画を実施する際は本人と保護者の同意を必要とするものであります。ですから双方から同意を得ることができなければ支援計画を実施することはできませんし、仮に計画をしても本人あるいは保護者から「不要」と言われてしまえば、その計画は基本的に実施できません。

ここで1つ・・・どうして「本人」だけじゃなくて「保護者」の同意が必要なのか?
もしこれが知的障害ではなく身体障害であれば・・・たぶん本人の同意だけで問題ないでしょう。便宜上家族の意向を聞き、それを踏まえた支援計画を立てることもあると思いますが、きっと必要以上に家族の同意は必要としないでしょう。ではなぜ知的障害の現場が「家族」ではなく「保護者」の同意なのか?
その根底にあるのは「理解力不足」が挙げられるのかもしれません。「事業者と対等な立場」とはいえ、やはり知的にハンディキャップを持っている以上、支援計画を立て、その内容を説明しても完全に理解しているとは言いがたい現状があるといえます。ですからどんなにわかりやすく説明をしても簡単に納得をしてしまうため、同じ内容を保護者に伝え、その同意を得ているのだと思います。極端な例を挙げれば、とんでもない支援計画を立てられてしまい、詐欺まがいの支援を受けないための「保護者の同意」なのかもしれません。

ただし、結局のところ本人や家族の同意が得られなくても、何とかしてその同意を取り付け、支援にこぎつけるのが「福祉」に携わるものの仕事。なぜなら、そこで立てた支援計画は「社会で生活していくためには、必要と考えられること」を盛り込んでおり、専門的見地から見て「自立のために必要」と判断するから計画をしているのである。だから双方が納得をして計画を実行することが、福祉における「対人サービス」であると考えられます。

それともう1つ。先述した「必要と判断したから、計画」につながるものとして、「お客様の要望だから何でも受け入れる」と言うのは、この世界では違うこと。例えば知的障害の利用者を例にしたとき、甘いものが大好きだから甘いものを食べるけど、それが原因で肥満になる。もしこれを放置すれば糖尿病などの重大な疾病を負う可能性がある。でもこのことを「お客様が望むことだから・・・」と言って支援をしない、と言うのはちょっと違う。「うまく調節が聞かないから、適切な支援を入れてコントロールし、疾病に陥るのを防ぐ」のが専門的な役割であり、その部分を必要と判断し実施するのが「対人サービス」なのであると思う。
もう1つ例を挙げれば、食事のときに「手で食べる」という行為。パンや寿司など「手で食べる」ことがおかしくないもの・・・なら別として、ご飯や主菜・副菜など通常は箸やスプーン・フォークなどの道具を使って食べることがノーマルであるものを「手で食べる」と言うのは、今後社会で円滑な生活を営んでいくためには支障があること。家でする分には文句は言われないかもしれないけど、もしこれがレストランや企業・会社などの「社会」で行ってしまったら、これは普通ではないこと。やはりできる限り「適切な状態」になるように支援することが必要、と判断すると思う。同様に、他者にケガを負わせてしまう行動を「障害者だから・・・」と見過ごしてしうことも、間違っている。そんなことは障害があろうがなかろうが、やってはいけないこと。それがあるのであれば、適切な形になるように支援することが必要である。

こういったことを考えれば、必ずしも「お客様」の視点で考えてしまうのは、ちょっと違うかな、と思います。
もちろん記述したとおり、「お客様に対する接し方」としてはキチンと礼を尽くした態度をとることは、言うまでもないことです。知的障害を持っている人であっても、いきなり初対面の人に馴れ馴れしい言葉遣いをするのは違いますし、自分より年上の人に「~ちゃん」「~くん」呼びをするのは、おかしいことです。私たちが友人関係を形成していく過程と同じように、利用者との関係もその過程が当てはまるものと思います。その中でお互いの関係が形成されることによって、多少砕けた接し方が可能になっていくのではないか、と思います。どんな支援者も、最初から砕けた接し方をする支援者はいません。ある程度の関係が築けてから、表情や様子を見ながら接しているのです。
今回は「お客様」と「利用者」の視点について述べてみました。

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