「主観的存在」と「客観的存在」
何だかテスト勉強に追われて、すっかり「壊れ気味」のMitakeであります。
そのためか、タイトルも何だか試験問題をやっているかのような錯覚にあります・・・(汗)
別に試験のことをここに書こうとしているわけでありません。
今の自分を見つめたら、こんな状態なのかな・・・ということを書くだけのことです。
ここ2日ほど連続してネガティブな内容になっていますが、一応自分の中で「客観視」している部分はあるんです。
例えば「受容できていない」と言うのも「てんかんその2」の時に書いた「失意」の文章でも書いてあるように「個人としての自分」は受け入れていないのに、社会福祉士・福祉専門職としては「理解をしている」状態。言うなれば、「個人」が「主観」であり、「社会福祉士・専門職」が「客観」である。どちらも「Mitake」であることには変わりないのだが、ちょっとした心の変化で、自分の気持ちはどちらにも傾いてしまう。
いや、傾くどころか、一番厄介なのは「両方が存在している」と言うことなのかもしれない。
「専門職だからこそ知りすぎてしまっている」部分があるのは事実だし、だからと言ってそのことを100%説明できるのか、といわれたら口を噤んでしまう部分がある。でもごくごく「一般的」な人に比べたら、障害については理解していることは事実である。
だから「腑抜けた自分」を「あぁ、俺今悪い状態なのかも・・・」と感じてしまう。でもだからと言って何か対策を打つのかといったら、結局何もしない。流れるがままに、なすがままの状態で過ごしてしまう。でもその状態で最終的に崩れてしまうことがないから、「両方の存在」が厄介でもあり、バランスをとっている状態なのかもしれない。
とはいえ・・・自宅に戻れば、やっぱりいつも凹んでいます。
勉強の出来の悪さ、勉強が進まない現実、今の自分の状態を「主観的」に満足していない自分、心が潤っていない・満たされていない自分・・・
でも仕事や学校に行けば、それらの「意識」はすべて「意識化」に押し込んでしまう。特に仕事の場合は、「プロ」として仕事をしているのだから、私情は関係のないこと。だから「安定剤」を飲みに行く時に、人目を気にしつつもコソコソ・・・と水のみ場に行き、ササッと飲んで戻ってくる。正直なところ、他の人に見られたくない部分。
表向きには笑顔だけど、でも本当は笑っていない。今の自分は、作った笑顔。
昔のような、心の底から何にも何にも考えず、がむしゃらに「笑える」自分になりたい。
ここに、主観的存在としての自分と、客観的存在としての自分がいる。
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