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思ひ出アルバム

  • 卒業式が終わって・・・
    以前HPで行っていた「todya's photo」の写真や「御岳写真館」で使用していた写真を再び復活させるべく、「思ひ出アルバム」として随時更新していきたいと思います。また最近の写真でも「思ひ出」となるものについては、ここに納められていくことになるでしょう。

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2005年7月

2005.07.31

腑抜け状態。

今日で7月も終わり。いよいよ明日から8月です。
学校の方も、夏休みになり、明日から当分の間は仕事オンリーの生活です。とはいえ、再試レポートもあるので、決して学校のことを完全に忘れるわけにはいかない状態ですが・・・

ただ昨日・今日と、完全に「腑抜け状態」の自分。「今からレポートの準備をしないと・・・」と思いながら、その気力がわいて来ない、のが実情。頭もボーとした状態がいつまでも続いている感じ。体も力が入っていない感じ。

なんだろう・・・何か「支え」をなくしちゃった感じ、かな?
昨日もちょこっと母親と話したけど、「やりがい」を失ってしまっている状態なのかな?このことは母親が指摘したことだけど、転職する前、正規職員として働いていた時は多少大変なことがあっても「支援」というやりがいがあったから乗り越えていたのかもしれない。それは「利用者のこと」を考えることが自分にとっての仕事であり、そのことに誇りを持っていたから、少々辛い状態でもやっていけたのかもしれない。でも今はそういうものがなくなっている状態。非常勤のパートで働いており、なおかつハードな学校生活。おまけに学校に入ってすぐに、自分も想像をしなかった出来事が起きてしまい、そのことが原因で色んな歯車がくるってしまった。そして、学校が休みに入ったことで、色んなモチベーションが一気に低下してしまっている状態になっているのかもしれない。

このモチベーション、休み中に何とかなればいいのだが、正直自分でも今の状態を「学校に入学する前のモチベーション」の状態に戻すことは、ちょっと厳しいかな、と思っている感じ。退職前の活き活きとした自分と、今の自分では雲泥の差がある。明らかに退職前の自分は「自分らしさ」があって、今の自分はその部分が影を潜めている。表面上は利用者と楽しく生活を送っているように見えても、実際には「取り繕っている自分」であって、福祉従事者としては「不満足」な自分だと思う。

そう思ったときに、改めて自分をもう一回見つめなおしてみる。
自分の選んだこの道は、果たして今の自分にとって「進むべき道」なのだろうか。
考える時に、今まではあまり考えずに「自分の思ったこと」だけで進むことができたけど、今は「心と体」のことを考えて見つめなおすことが必要。それを考えた時に、今自分がやっていることは、自分にとって過重な負担になっていないのか、そのことによって「自分らしさ」を失っていないのであろうか、そのことが自分を「潰す」ことになっていないか・・・
「やりたいこと」と「現状の自分」は、今は同列に考えることは出来ない。

色んなことを考えている自分。
でもまだ完全な決断には至っていない状態です。ただ1つ言えること、今この時期に、もう一度自分の進むべき道を見直すことが必要なのかもしれません。

2005.07.30

「八王子スーパー強盗殺人事件」から10年。

本来なら今日は「コトバ」の日ですが・・・今日は別の内容にします。
あの事件が発生してから、今日で10年になります。時効成立まで、あと5年です。

Yahooニュース「<八王子強殺>未解決のまま10年 寄せられた情報650件」

 東京都八王子市のスーパーで95年、高校生ら女性3人が射殺された強盗殺人事件は、未解決のまま30日で10年を迎えた。警視庁八王子署捜査本部には延べ約9万8000人の捜査員が投入されたが、犯人特定には結びついていない。公訴時効まで5年。「犯人は絶対捕まると信じているから生きてゆけるんです」と遺族は話す。当時の同級生らは「10年は区切りでも節目でもない。一人でも多くの人に銃の恐ろしさを伝えていきたい」と銃器根絶を訴え続けている。
 事件は95年7月30日午後9時15分ごろ、閉店したばかりの「スーパーナンペイ大和田店」で起きた。外階段から2階事務所に侵入した何者かが、パート店員(当時47歳)、アルバイトの私立高2年(同17歳)、都立高2年(同16歳)の頭を拳銃で撃って殺害した。金庫をこじ開けようとした跡があったが、売上金など約500万円はそのまま残されていた。
 捜査本部は29人態勢で捜査を続けている。調べでは、使われた拳銃は38口径回転式。事件前後に近くで不審な白い乗用車が目撃されている。10年間で約650件の情報が寄せられたが、解決には結びついていない。
 高校の同級生や教諭は事件後、「銃器根絶を考える会」をつくり、文化祭やホームページなどで、同じような事件が二度と起きないよう訴えてきた。メンバーの後藤恵美さん(26)は「(彼女は)明るくてまぶしい、ひまわりのようなイメージ」と今も思い出す。会社員になって5年目。「(彼女だったら)いい保育士になっていただろう」と保育士を夢見ていた彼女を思う。
 在校生は、3年生でさえ当時は小学2年生。文化祭で銃器犯罪の根絶を訴える同会の展示でも、事件を報じる新聞記事の掲示が不可欠になった。一方で最近、これまで参加したことのない同級生が手伝ってくれるようになった。「子供を持って事件への見方が変わったという同級生もいる。自分たちの思いを多くの人に伝えていきたい」と後藤さんは話す。
 被害者の母(55)は「気持ちは10年前と変わらない。気持ちを言葉にしようと思っても、見合う言葉が見つからない。犯人は絶対捕まる。解決すると信じているから生きてゆけるんです」と話す。
 スーパーは7年前に閉店し、今は駐車場になっている。30日午前、現場で八王子防犯協会主催の献花式があり、地元住民ら約200人が出席。捜査本部員全員も参列し花を手向けた。午後には、町田市の桜美林学園で礼拝が行われる。(毎日新聞)

※今回、記事の内容を一部改編しています。犯罪被害者のプライバシー保護のため、このblog上においては被害者の方のお名前及び関係者の方のお名前を伏せさせていただきました。(元記事には実名で書かれていますが、今回の記事には実名は直接関係ないと考え、このblogでは伏せています。)

まだblogを初めていないとき、日記を書いていたときに一度この事件を取り上げたことがある。それは自分にとっても身近なことに思えたからであり、事件の進展がなかったために、事件を風化させないためにも、あえて自分のHPで取り上げた覚えがある。そして今回も、事件発生から丸10年を迎えたこともあり、改めて事件の風化を防ぐために、このblogで取り上げることにした。

自分にとって身近なこと・・・それは事件の発生現場が自分もよく知っている場所であり、そしてこの事件の被害者と私のいとこが同じ学校の同級生であったことが、自分にとっても他人事に思えないものにしている。もっと言えば、私といとこは同い年。つまり、事件の被害者と自分は同じ学年であり、自分と同世代の子が、自分の知っている場所で事件に巻き込まれたことが当時の自分たちにとってはとても衝撃的なことだった。

今日の午前のニュース、この事件のことを伝える内容が多かったです。
いかにこの事件が凶悪なものであり、社会的な関心の大きい事件であったことを物語る証拠です。

正直、自分には何も出来ませんが、せめてこうやって紹介することで「事件の風化」を避けることができるのかもしれません。
自分自身もこのニュースを見て「時効まで、あと5年しかないんだ・・・」と思いました。
あと5年経ったら、事件は時効を迎えてしまいます。時効を迎える前に、犯人の検挙を願わずにいられません。

関連リンク;「大和田町スーパー事務所内拳銃使用強盗殺人事件」(警視庁)

2005.07.29

とりあえず、一区切り

どうも昨日の状況をまだ引きずっているみたいで・・・
正直、仕事が成り立っていないかな・・・という感覚に襲われています。利用者さんの介助をしていて、「大丈夫」とわかっている部分があっても、感覚的には「ヤバいかなぁ・・・」と感じるときがあるし、利用者さんに対しての心の余裕がかなりなくなってきているかな・・・と思うときもある。事実、自分自身で「疲れ果てているなぁ・・・」と感じている部分は否定できないし、「ボーッ」としていることもしばしば。
何となく「取り繕っている」という感じ。仕事もそんな感じ。

勉強も、なんか「今日はテスト」なのに、気力が出てこない。
今まで成績云々で勉強しない、なんてことはなかったのに、今回は全然気力が湧いてこない。むしろ「拒絶」している感じがある。なんだろう・・・気持ち悪くなっているか・・・気分が悪くなってしまう状態。だからあまり無理してやることはしませんでした。

もちろん今週1週間のことがだいぶ影響していることは否めない事実ですが、決してそれだけじゃないだろうなぁ・・・と思っています。
結局この前の通院によって再び「自分は一体、なんなんだ?」という状態に逆戻りしてしまった部分があるかもしれません。「てんかんの疑いがある」と言われながら、「てんかんの可能性が低い」と言われる自分の発作。てんかんならてんかんで受け入れるけど、てんかんじゃなければ自分の発作は何の病気なのか?その部分がグレーになってしまうため、自分は今後どうしていけばいいのか・・・を考えることができない。今日で授業は一区切りとなり、9月まで夏休みになるけど、その間に自分の身の振り方を考えたい、と思っている。なにより、後期の授業にかなりの不安を持っている。自分が発作要因となりうる「解剖学」の実習授業が始まるからであり、ものすごい恐怖に襲われている部分がある。「恐怖」と言うよりは「不安」と言った方がまだ適切かもしれないけど、自分にとっては「発作の脅威」となりうるものである。ここで「てんかん」との因果関係がはっきりしていれば、少しは道筋が立てられる気がする。でも「てんかん」じゃなければ、自分の発作はどう説明されるのか・・・説明が出来ないのが、自分にとって一番のフラストレーションになってしまっている。

そんな感じで、結局それらは「ストレス」となって、自分に跳ね返ってくる。
それ以外にも色んなストレスが今の自分にはある状態で、そのストレス状態が「適切な状態」であるのかがわからない。

うーん・・・何だかとりとめもない話であり、まとまりのない話をしてしまいました。
とりあえず、今思ったことをそのまま口に出してみただけのことです。来月中旬に脳波検査をするので、それまではとりあえずの「辛抱」です。脳波検査が終われば、きっと自分の進路に進展があるはずなので。
どちらに転ぶかわからないけど、今の自分にとって「適切」な道が見つけられれば・・・と考えています。

まずは、今日で学校の授業が一区切り。追試のレポートがあるから、心から休まることはありませんが・・・
ただ、少し学校との距離がおける時間でもあり、少しこの間に「自分」と「学校」の関係を見つめなおしてみたいと思います。そしてその結論がどうであれ、それが今の自分にとっての「必要なこと」と考えることにします。

2005.07.28

揺れ動く心

再び、今日もテストです。結果は・・・あまり触れないでください・・・って感じです。

正直、かなり今自分の心は揺れ動いている状態ですね。
自分に対してもっと厳しくしていかなければいけないのか、それとも自分を休めるべきなのか。

「自分に対して厳しく」と考えてしまうと、自分をもっと追い込むことになる。
でもそれは今の自分にとって良いことなのか・・・と考えてしまう。「楽な方に逃げるのは簡単だけど、厳しい方に進むのは大変なこと」を信念に進んできた自分。だから楽な方に行くことをせず、目の前の壁を乗り越えようと必至に努力してきた。でも正直、今回ばかりはちょっと高そうな壁。
そこで出てくる自分の心・・・「楽な方に逃げてしまうのか?」の心の声。

「自分を休める」と考えてしまうと、今までの選択はなんだったのか・・・となってしまうと感じる自分がいる。
OTになるために常勤職員の立場を離れ、パート職員として学校を両立できる立場になった。職場にも理解を得て学校に通っている。でもここで「自分を休める」という行動に出ると、仕事か学校かのどちらかをセーブすることになる。もし仕事をセーブすることになれば、経済面で打撃になる。学校をセーブすることになれば、仕事をしていた前提が欠けてしまう。
ただその一方で、自分が今の状況になることは予想していなかったこと。今の自分の状態を考えれば、本当であれば今すぐにでも休むべきなのかもしれない。きっと専門職の立場であれば、今の自分には休養を進めるであろう。でもそこで「休む」を選択してしまうと、すべての前提が崩れてしまう気がする。さらに、そのままずるずると堕ちていってしまうのではないか・・・と危惧する自分の心がある。

自分で記録をつけて、その記録を読み返してみれば、決して今の自分は今までの自分とは違うと感じていることは事実です。
そのきっかけを作ってしまった出来事は、あの出来事ですが、そこから派生していろんな問題が出てきてしまっているのんだろうなぁ・・・と自分で感じています。だから去年の自分であれば、少々厳しい状態も何とか乗り越えることが出来たかもしれないけど、今の自分はちょっと大変かな・・・と感じているのは事実です。どういう方向に進んでいくのか、どのように進めばいいのかは、来月中旬の心療内科受診で、先生と相談したいと思います。記録上は自分を極力客観しているつもりだけど、最終的に自分自分を客観的に見てくれるのは、先生だから。先生にすべてを相談してみようかな・・・と思っています。それで、先生の助言する方に進んでみようと考えています。
「医師からの助言」と言うことであれば、一応はどんなことにも説明をつけることが出来るので。

残すところ、学校は(とりあえず)あと1日。明日も・・・テスト。
あぁ、きっとこういうのが今の自分にとっては「悪い影響」になっているんだろうなぁ・・・。

2005.07.27

現場に立って、わかること。

今日の朝はちょっとヤバかった。
職員同士の会話が耳に入ってくる。その内容が・・・ちょっと自分にとってはヤバイ内容。今まで職場でそんな状況になることはなかったけど、今日は発作が起きそうな状況が発生していました。ただその一方で「ここで(発作を)起こすわけにはいかない・・・」という心理が働いて、体が上下運動している状態。傍から見れば普通に体を動かしているように見せかけていたけど、実際には半分無意識の状態で、その反面「発作が起きないように」の意識を持った上での上下運動。結局発作が起きることはなかったけど、正直ちょっとヤバかったです。
でもこんな状況が発生してしまうと、改めて自分のダメダメさを痛感してしまい、それと同時に「やっぱりOTの仕事は実際には自分に向いていないのかな・・・いや、現場に立つのは無理なのかな・・・」と感じてしまいました。きっとテストの成績が思わしくない部分も影響しているのかもしれませんが・・・。

もちろん疲労が蓄積されて、いつまで経っても疲労解消されない現実はあります。
そんな中でも、学校では普通どおりに「体育実技」が行われます。(ってか、仕事でレクやって、それで結構テンション上げたから、その分の疲労がかなり授業に影響を与えていることも否めませんが・・・)
で、今日は「盲人卓球」。でもきっとメインにしたかったことは「盲の人の誘導」だったと思う。2人1組になって、1人はアイマスク、もう1人は誘導する役割になって、「見えない人の体験」と「その人を誘導する体験」をやってみようというもの。実際に現場でやっているので、今回の内容はかなり役立っています。

むしろ、こういう体験(盲体験やインスタントシニア)は、学生のうちにやってしまうよりも、実際に現場に立ってからやって見る方が意義深いと思います。学生のときは盲体験をしても「本当の障害体験にはならない。なぜなら、アイマスクを取ってしまえば晴眼者になれるから。盲の人は、そういう状態ではないのだから」と言うことを言われたことがあった。確かにオムツ体験も、インスタントシニアも、その状況から離れてしまえば健康な人になれるのだから、真の意味での「理解」につなげていくのは難しい部分がある。

ただ、実際にその現場に立ってから体験するのは、とても意義深い、と感じます。
実際に今の施設では視覚障害を持つ利用者がおり、自分もその利用者を誘導することがあります。事実、今日も誘導をしていましたから・・・自分の上腕二頭筋の部分で腕を組んで誘導して、手を洗い、椅子に座ってもらい・・・
でもこの段階での知識は「接し方」として知っている頭の中だけの知識。「実際にどんな感じなんだろう・・・」という部分は全くなしの状態です。
それが今日、実際に盲体験をすることによって、少しだけ視覚障害の利用者の立場が見えた気がします。
やっぱり、怖いです。誘導する人がいたとしても、アイマスクをしたまま階段の上り下りをして、道を歩くということは・・・。でも視覚障害を持つ人は、この状況が一生続くわけであり、そのことを考えると誘導1つ1つの行動をなおざりにすることが、視覚障害を持つ人にとっては「恐怖・不安」に変わっていることを感じました。
つまり、いかに視覚からの情報によって私たちは認識をし、行動にいたっているかを。視覚からの情報が内と言うことは、どういうことなのかと言うことを「体験」として学んだ気がします。

この前の「コトバ」でも「障害の受容」として取り上げましたし、「てんかん」でも「障害を体験する」ことについて述べてきました。今日の授業で改めて実感したこと、それは「体験して初めてわかること」がたくさんあるということ、それも「知った上で」の体験の方が、はるかに「わかること」が多いことを。

正直疲労困憊の状態ですが、いい勉強をさせてもらいました。
さぁ、明日は生物学のテスト。きっとまた凹むんだろうなぁ・・・俺。

2005.07.26

・・・なんじゃ、そりゃ。

台風7号が猛威を振るう。
でも仕事と学校に台風は関係なし。いつもどおり、出勤です。(でも利用者の休みが多かったかな?)

そして仕事が終われば、学校へ。
とはいえ、やっぱり台風。気分的には「別にどーでもいいや」と言う感じで、正直学校に行く気はしなかったのだが、一応はやっぱり行くべきだろう・・・と思い、学校へ向かうことに。ただやっぱり「夕方から夜にかけて上陸」とわかっていながら、その中をズブ濡れになって行く気にはなれない。そこでケータイで学校近くのコインパーキングの状況を確認すると、空車とのこと。
よし、ならば・・・と思い、一度帰宅し、車に乗って学校へ行くことに。

自宅から学校まで、歩けば40分、自転車なら20分、そして車なら10分もかからず行ける。
時間的にも問題なしの状況。車を学校近くのコインパーキングに入れて、さぁいざ学校へ。


が・・・


学校の前に行ってみると・・・




鍵かかっていて、職員も誰もいないじゃん!



あのぉ~、当然ながら勝手に「休校」と判断し帰ってきました。
でもさぁ、せめて張り紙の1つぐらいして行きなさいよ、って感じ。全く朝から誰も来ていなかった訳じゃないでしょ?
学校といえども、そこで働いている人がいる以上は「企業」でしょ?企業が台風ごときで仕事が休みになるなんて・・・おかしいでしょ?
福祉の世界でもそんなことがないのに、ちょっと変でしょ、それ・・・

って、貴重な時間を奪われたことに愚痴っているMitakeであります。
うーん、何となく心が不安定な感じ。仕事でも、学校でも・・・


(追記:7/27)
実は休校の情報は連絡網で流れていたみたいでした。
ただ「流れた人」と「流れなかった人」がいたみたいで、自分は後者のほう。で、よくよく連絡網を見てみると・・・
ォィ、オイラの電話番号、違うじゃん・・・(汗)

ってか流れていないのは自分だけじゃなかったみたいなので、連絡網は意味ないです。
連絡網よりも、裏情報ルート(つまり知っている人同士つながり)の方が正確に伝わりそうな感じです。

というより、そっちの方も機能していないしさ・・・なんなのさ、これって・・・(笑)

2005.07.25

勝負あり・・・

「天王山」と意気込んで挑んだテスト・・・
「透かし」を食らい、惨敗です・・・

あぁ、リベンジの意味をこめて頑張ったのに・・・
何だか、猫騙しを打たれた気分です。先生の言っていることは正論だけど・・・でもぉ・・・ねぇ。
なんか納得をしなければいけないような、でも納得できないような・・・

テストの問題、難易度に差がありすぎ。
ってか、テストじゃない。なんか「狙い撃ち」で当たれば合格、外せば不合格のテストだ、あれは。

事前に問題を公表したテストも、模範解答のように「サラッ」となんて書けるわけがない。
線形代数なんかやったことないし、現象学だって「先生」の中で理解されているだけであって、学生は「???」の状態だよ。

今日の時点で、1科目追試が決定。人生初の追試。
イヤ、もしかしたらもう1科目も追試になるのかも・・・

今すっごくやる気ゼロです。
このままドロップアウトしてもいいかなぁ・・・くらいの勢いです。
いや、本当に体調が悪かったらそうなってしまうかも・・・すごく心の中はアンバランスな状態。
今自分に圧し掛かっている負荷は、今の自分にはちょっと重過ぎる負荷かも・・・
あと、リボトリールがなくなってから・・・寝付けなくなってきた。いや、元々リボトリールの副作用で「眠気」に強く襲われていたけど、リボトリール中止になってから入眠出来なくなってきた。
不安もあるし、肉体的な疲労がないと言うのもあるけど・・・ただ精神的にはかなり参っているけどね。

はぁ、このままMitakeはどうなってしまうのでしょうか・・・
そういえばテストで「自我の成立とその危機について述べよ」ってあったっけ・・・まさに今は、自我の危機。
そしてこのまま行ったら・・・崩壊???

イヤ、そこまでは言いすぎですが・・・
ただどっちにしても、今日のテストはダメージ大です。なんだか、テストを受けるたびに「自分の無能さ」を突きつけられる気がします・・・結構頑張っているはずなのに・・・まだ「努力が足りない」ということなのだろか?
もっと努力、かぁ・・・辛いなぁ。

2005.07.24

天王山

天王山-てんのうざん
1 京都府南部、乙訓(おとくに)郡大山崎町にある山。海抜270メートル。淀川に臨み、対岸の男山とともに京都に通ずる道の狭隘(きようあい)部をなす。

2 〔1582年の山崎の戦いで、1を先に占領した豊臣秀吉軍が明智光秀軍を撃破したことから〕勝負を決する大事な場面や時。勝負の分岐点。 (大辞林より)

ハイ・・・まさに今週は「天王山」そのものです。
明日は作業療法概論・作業科学基礎のテスト。
木曜日は生物学のテスト。
そして金曜日は英語のテストで、一区切り。

D1000014

何しろ、本当に必至な状態です。ここ最近の休日は家に引きこもってテスト勉強・・・
社会福祉士のときも「これでもか」と言うくらいに勉強していたけど、今回はそれ以上のハードさ。やっぱり畑違いの分野から進むと、大変なことを身にしみて感じます。
特に「線形代数」なんか・・・微分積分もわからないし、そもそも「代数って???」と言う次元。こんな奴が「既約表現について、固有値・固有ベクトル・対角化の用語を用いて、具体的に述べなさい」なんていう問題を解いているのだから・・・数式なんかわかりませ~ん。
(というより、言いたいことはなんとなくわかるけど、それを文章として立ち上げるのに苦労している状態。同様に現象学も「言いたいことはわかるけど・・・」の状態。でもちゃんと丁寧に説明しようとすると、とてもじゃないけどA41枚では説明が出来ない状態。)

一応「作業科学基礎」は持ち込み可&試験問題が事前に発表されているから、それに対する答えを用意すれば良いだけの話なのだが・・・試験はA4・1枚が2問出される想定。そのため用意する答えもA4・1枚にまとめようとしたのだが・・・1枚じゃ収まらなかった・・・これでも結構必要最低限に抑えたんだけど・・・(いや、必要最低限に抑えた部分が大事だったりするのかも・・・汗)

あ~っ、とにかく今は「クライシス」の状態です・・・(*_*)

2005.07.23

コトバ★「障害の受容」

今日のコトバは「障害の受容」。
今日のことも踏まえての、内容にしていこうと思います。

「大辞泉」によると、受容の意味は「受け入れて、とりこむこと」と書いてあります。
つまり「障害の受容」とは「自らが負った障害を、受け入れ、とりこむこと」と言えるでしょう。もっと専門的に言えば「自分自身の身体障害を、日常生活との関連で現実的かつ客観的に心の中に受け止め、それが本来の自分の姿であるという事実を、抵抗なく受け入れること」といえます。

しかし人間、そんな簡単に障害を受容できるものではありません。
一般的に「障害を受容する過程」には「退行→和解→適応→障害の統合」を踏むと考えられています。
このことを詳しく話すために、自分を例に挙げて説明してみましょう。

自分は今まで何の不自由もなく生活し、そして自らが福祉専門職として、支援者として仕事をしてきました。
ところが、ある日突然、発作が「再発」し、病院に行き診察を受けた結果、「てんかんの可能性」の診断を受けました。てんかんがどのようなものか理解している自分にとっては、てんかんは「脳の障害」であることを理解しました。
この瞬間から「障害の受容」の過程が始まるのです。

「てんかん」と言う障害を告げられた時、自分は深く落ち込み、そして泣きじゃくりました。
この部分が「退行」にあたるわけで、障害を告知された時に告知されたことへのショックや混乱、そして深い悲しみや怒りが存在します。「どうして自分だけこんな目に遭うのか」と言うのはまさに「怒り」の部分であり、「目の前が真っ暗になった」と言う表現は、活きることすべてに対して絶望の状態に陥っているわけです。
そしてこの状態は次第に「抑うつ」の状態へ移行するわけです。まさに今の自分は、この段階かもしれません。

抑うつな状態が続いている中においても、自分はいつもと変わらずに仕事や学校に行っています。
完全に絶望しているわけではないんですね。「退行」の段階でありながら一方で「福祉専門職」として「なってしまったものは仕方ない。戻るものではないのだから・・・」と割り切って生活を送る自分もいます。もっと言えば「自分より障害の重い人はたくさんおり、その人たちに比べたら自分の障害は軽いものだ」と考えるようになります。それは「Mitake個人」としてでもあり、重度障害者と接している「福祉援助者」としてでもあります。
この部分が「和解」であり、「障害のある自己を、自己の存在として認めていく」ことを意味します。と同時に、「適応」の段階も踏んでいます。「適応」とは「障害の受容に積極的になる」ことを意味しており、この2つを分析すると「Mitake個人」としては「和解」の段階(なってしまったものは仕方がない、と言う考え)であり、「福祉援助者」としては「適応」の段階(重度障害者と接している・自分より障害の重い人がいるから自分は大したことはない、と言う考え)にいると考えられます。
そしてまだ自分はこの段階にはいませんが、「障害の統合」とは「障害がその人格に統合され、不幸を過去のものと考える」ことを意味します。ただ、自分自身はまだ「過去のもの」とは思えていませんので、この部分の経験はありません。

一般的に障害の受容はこのような過程を踏むのですが、既に気づいている方もいると思いますが、「このような過程を踏む」と言いつつも、実際はそのようになっていない現状があります。端緒な例が「抑うつ状態でありながら、自分の障害は軽いものだと考えている」、この部分は「退行状態」でありながら「適応状態」でもあります。つまり、障害の受容の過程はあくまで「一般論」を語ったものに過ぎず、実際にはその受容の過程や段階に個人差が生じるのです。自分みたいに知識のある人間が障害を受け止めるのと、何も知らない人が障害を受け止めるのでは全く違いますし、受けた障害の内容・・・身体障害なのか、精神障害なのかによっても、その受容は異なってきます。
受容が異なる背景・・・そこには常に「心」が存在しており、気持ち1つで障害の受容は異なってくるのです。

と、ここまでは自分事例を挙げた「机上の学問」の話をしましたが、実際に「障害の受容」を語るときに、やはり実際に障害を負った人が語るのと負ったことのない人が語るのでは、その説得力に雲泥の差があります。と同時に、その「言葉の重さ」も全く違います。

このことを説明するのに、「相田みつを」を用いたいと思います。「コトバ★てんかん」でも「障害の受容」について少しだけ書いたけど、「受容するってどういうことなのか」と言うことを教えてくれたのが、相田みつをの「体験して」と言う詩


体験してはじめて身につくんだなあ


先日行ってきた企画展ではこの詩が「忍」と「泣」の間に挟まれて展示されていました。
そしてこの「体験して」には、次のような解説が付けられていました。

やけどについて辞書で引くと~(やけどの意味が書いてあるので、ここでは中略)~これは「やけど」というものを、知識として頭で理解するやり方です。もう1つのわかり方があります。 うっかりして、焼けたアイロンに手を触れてしまいました。その瞬間、「アチィ!」(中略) 頭でわかることとは根本的に違います。どっちのわかり方が本当でしょう? (相田みつを美術館企画展ブック「一生勉強一生青春」より)

コトバ★てんかん」で書いた「今まで散々『障害の受容』と言うことを言ってきた自分が、いざ自分のことになると受容できていなかった現実。いかに自分が絵空事のように『受容』と言う言葉を使ってきたかと言うことを思い知らされました。」と言う文章、まさに「頭でわかることとの根本的な違い」の1つです。自分が障害の当事者になるまでは「知識として頭で理解する」ものであったけど、「てんかん」というアイロンに触れて初めて変わった「障害を持つということ」の意味、そしてその受容の困難さ。初めて「相田みつを」の作品に触れたこの詩は、自分にとって「合言葉」のような存在であり、忘れることの出来ない詩であります。
と同時に、「障害を受容するとはどういう意味なのか」を端的に教えてくれた詩でもあります。

そして今日、定期診察のための通院と、新たな心療内科へ行ってきました。
定期診察ではうっかり「車を運転したこと」を話してしまい、怒られてしまいました(当然のことですが・・・)。てんかんの場合は原則として一定期間発作が認められない限り自動車の運転は認められないのですから。しかしその後に行った心療内科で、新たな展開がありました。
それは「てんかんの可能性は低い」ということ。

心療内科でありながら、その病院は「てんかん」の診断に力を入れている病院。
診察したDrもてんかん学会の認定医で、てんかん医療に関しての経歴が長いDr。そのDrからこれまでの症状を説明し、その状態についてまとめた文書、そして紹介状を見ての判断は・・・「てんかんである可能性は低いと考える」とのこと。当然問診だけでは判断できないため、来月中旬に脳波検査をしてからの診断になるけど、今回新たな病院を受診・・・セカンドオピニオン(本当は前の心療内科での受診に疑問を持っていたから病院を変えた、と言った方が正しいけどね)を受けた結果が、今回の「てんかん否定診断」。昨日まで服用していた抗てんかん薬(リボトリール)も今日から服用中止に。
正直、「てんかん」ではないと言うことに関しては喜んで良いのだろうし、お酒や車も問題なくなるのだから自分にとっては「良い診断」なんだろう。でもその一方で「発作」として現れた症状は一体どのように説明をするのか?学校でやったクレペリン検査の結果を見て「真面目な性格なんですね」と言われたけど、単に神経だけの問題なのであろうか?結局「神経論・精神論」に戻ってしまうのだろうか?

何が知りたいのか・・・一番自分が知りたいのは、どうして発作が起きるのか?
そして正式な診断名は何なのか?これは病気なのか?治療可能なのか?完治するのか?
発作は起こさずに済むのか?
てんかんではないといわれた結果、「???」が増えたのも事実。正直聞いてみたかったけど、あくまで今日はインテークの段階。なので脳波検査後に、もっと先生に突っ込んで相談したり聞いてみたいと思います。

ただ・・・仮に「てんかんではない」と診断されても、「てんかんとの生活」のカテゴリーは残します。
「てんかん」として治療を受けてきたことは事実だし、きっと心療内科に通院することは今後もしばらく続くと思うので、カテゴリー名を変えるときは、その時にしたいと思います。
とりあえずは、今日の現状報告です。


参考文献
新版社会福祉士養成講座10「心理学」(中央法規)

2005.07.22

「主観的存在」と「客観的存在」

何だかテスト勉強に追われて、すっかり「壊れ気味」のMitakeであります。
そのためか、タイトルも何だか試験問題をやっているかのような錯覚にあります・・・(汗)

別に試験のことをここに書こうとしているわけでありません。
今の自分を見つめたら、こんな状態なのかな・・・ということを書くだけのことです。

ここ2日ほど連続してネガティブな内容になっていますが、一応自分の中で「客観視」している部分はあるんです。
例えば「受容できていない」と言うのも「てんかんその2」の時に書いた「失意」の文章でも書いてあるように「個人としての自分」は受け入れていないのに、社会福祉士・福祉専門職としては「理解をしている」状態。言うなれば、「個人」が「主観」であり、「社会福祉士・専門職」が「客観」である。どちらも「Mitake」であることには変わりないのだが、ちょっとした心の変化で、自分の気持ちはどちらにも傾いてしまう。

いや、傾くどころか、一番厄介なのは「両方が存在している」と言うことなのかもしれない。
「専門職だからこそ知りすぎてしまっている」部分があるのは事実だし、だからと言ってそのことを100%説明できるのか、といわれたら口を噤んでしまう部分がある。でもごくごく「一般的」な人に比べたら、障害については理解していることは事実である。
だから「腑抜けた自分」を「あぁ、俺今悪い状態なのかも・・・」と感じてしまう。でもだからと言って何か対策を打つのかといったら、結局何もしない。流れるがままに、なすがままの状態で過ごしてしまう。でもその状態で最終的に崩れてしまうことがないから、「両方の存在」が厄介でもあり、バランスをとっている状態なのかもしれない。

とはいえ・・・自宅に戻れば、やっぱりいつも凹んでいます。
勉強の出来の悪さ、勉強が進まない現実、今の自分の状態を「主観的」に満足していない自分、心が潤っていない・満たされていない自分・・・
でも仕事や学校に行けば、それらの「意識」はすべて「意識化」に押し込んでしまう。特に仕事の場合は、「プロ」として仕事をしているのだから、私情は関係のないこと。だから「安定剤」を飲みに行く時に、人目を気にしつつもコソコソ・・・と水のみ場に行き、ササッと飲んで戻ってくる。正直なところ、他の人に見られたくない部分。

表向きには笑顔だけど、でも本当は笑っていない。今の自分は、作った笑顔。
昔のような、心の底から何にも何にも考えず、がむしゃらに「笑える」自分になりたい。

ここに、主観的存在としての自分と、客観的存在としての自分がいる。

2005.07.21

すみません・・・

何とかして「明るい」内容を書こうと思っているのですが・・・どうもそんな心境とは程遠い感じです。

自分自身のこと、親に対してのこと、支援者としてのこと・・・
なんだか、色々と考え、ちょっと思い悩んでしまっています。

「誰かに打ち明ければ・・・」と言う次元の問題ではなく、結局のところ自分自身で消化しなければならないこと。
でもそれって、裏を返せば「消化してもらえる存在がいない」ということでもあるのかな?

これって・・・「孤独」ってことなのかな?

でも裏を返せば、自分も同じことをしていたのかもしれない。
当時はまだ知識もなく、福祉のことを知らなかったし勉強もしていなかったからわからないけど、母親が障害者になった時に、自分は母親のことについて色々と手続きをしたり、話を聞いている「つもり」だった。
だけど、今日色んなことを話したら、何だか面倒くさがられちゃった感じがあった。

きっと母親自身はそんなことを思ってもいないのだろうけど、何となく自分にとっては「空虚」に感じた。
「~つもり」と書いたのは、結局自分がやっていたことは心から母親を受け止めていたのではなく、表面的に受け止めていただけだったのかもしれない。

そのことを、障害を負った(可能性のある)自分は、初めて実感し、感じているのかもしれない。
そもそも「可能性のある」と言っている時点で、まだ自分が自分自身を受容できていないのかもしれない。
てんかんに対して、うつに対して、そして自分自身の存在に対して・・・

「受容」に関しては、近いうちに「コトバ」として取り上げるつもりです。
だけど今の自分は「受容」以前に、自分の存在そのものを「否認」しているのかもしれない。
「否認」しているから「孤独」と感じているのかもしれない。

表面上は、仕事でも学校でもちゃんと取り繕っています。
でも実際は、にっちもさっちもいかない状態、と言うのが今の本心です。

2005.07.20

何なんだろう・・・

今日は自分でも「何なんだろう・・・」と感じることばかり。

まずは朝。職場に着いて自販機で缶コーヒーを購入。その後出勤簿にハンコを押して、缶を振ってフタをあける。
で、その合間に月間の予定表をデスクの引き出しから出す。で、コーヒーを飲もうと思い、缶を振る。
・・・オイ、缶のフタ、開いてるぞ?デスク上には・・・コーヒー散乱。別に声を上げることもなく、何事もなかったかのように机の上をタオルで拭いて済ませる。
でも何でだろう・・・缶を開けて、1分も経たないうちに、開けたことをすっかり忘れていたし・・・

職員とのコミュニケーションでも同じ。なんとなく「チグハグ」している感じ。
別に何かあったというわけじゃないけど、でも何となくかみ合っていないような、波長が合っていないような・・・
そのためか、午後のプログラムが終わってから「ボーッ」とすることが多かった。特に利用者の送迎見送りのときなんか、「あっ、俺、今魂抜けている状態かも・・・」と客観視している自分がいた。実態としては「ボーとしている」けど、その姿をもう1人の自分が見つめている感じ。心の中で「俺今、ボーとしているなぁ・・・」と感じている状態。

ホント、何なんでしょう?
単にテストが間際に迫っているからだけのことなのかな?
単に疲労が蓄積されているからだけのことなのかな?
単に「夜は体育の授業だ・・・」と憂うつに感じている自分がいるだけのことなのかな?
単に・・・何でもないことなのかな?

ただ一つ言えること。
何時まで経っても、心の奥底から、心底「疲れが取れた」と言う感じがありません。
常に、慢性疲労状態です。こうやって「心の声」を出すことも必要なのだと思うけど、そんなことしていないで休むことも必要であろう。

前にも書いたけど、投げ出せるものであれば、すべてを投げ出したい心境。
そうすれば、どんなに楽になるのであろう。でも一度「楽」を味わってしまったら、その先にあるのは「堕落」かもしれない。
今の自分には「楽な道に逃げる→堕落への階段」としか感じられない。だから疲れていても、自分の様子がおかしいと感じていても、ちょっと無理をしてみているのかもしれない。
でもこれは、本当は避けるべきことなんだろう、「心の健康」を考えれば・・・

とにかく、今週はあと2日。それが終われば、定期通院の日&新たな病院へ行く日。
その時に、何か進展があるかも知れなから、とりあえずは踏ん張ってみましょう・・・どんなに疲れていても。

2005.07.19

ベストバウト

今日は完全に「プロレス談義」です。

NOAH、東京ドーム大会「DESTINY 2005」時間無制限1本勝負
○小橋建太(23:38、剛腕ラリアット→体固め)×佐々木健介

「言葉の要らない試合」と言うのは、まさにこのこと。
リアルタイムでは見ていないので、さっきビデオで録画したのを確認しながらの観戦(?)

でもね・・・やっぱ、あの2人、すごいよ。高山も言ってたけど「これで帰ろっか?」と言わしめるほどの内容。
本当にお腹イッパイの試合内容でした。

「プロレス最強」、そのことをこの試合は証明しています。
お互いに変な駆け引きはせず、真正面から逃げることなく、ぶつかっている姿。
一体、2人合わせて何発の「逆水平」が互いの胸に刻み込まれたのだろうか?軽く見積もって、100は確実。
それでも、お互いに引くことなく、逆水平にこだわり、ラリアットにこだわった。

もちろん大技もあった。ハーフネルソン・ノーザンライト・スリーパースープレックス・ドラゴンスープレックス・・・
でも大技も、2人とも真正面から受けきっていた。そして最後は、ラリアット。

まさに「これぞプロレス」と言う試合。
だから「小橋建太サイコー」なのだ。そして今回は「健介サイコー」でもある。
どうかこの2人、タッグを組まないかなぁ・・・最強タッグになるよ、ホント。
GHC・IWGP、どっちもこの2人で取れるんじゃないの、と思う、マジで。

この試合、今年見た試合のベストバウトです。

2005.07.18

エアコンがなければ・・・

D1000012扇風機があるじゃん。(笑)

マジメな話、去年エアコンを取り付けるまでは、この扇風機が夏の主役だった。つまり「扇風機なしに夏は越せない」状態だったのである。どんなに暑くても、部屋の窓を全部開けて、扇風機を回していた。それで、過ごしていた。
しかし去年はついに負けてしまい、エアコン取り付けとなった。

とはいえ、だからと言ってこの扇風機の役目が終えたわけではない。
エアコンと扇風機を効率よく使えば、エアコンの電気代も抑えることができる。事実、今はまだ「冷房」としてエアコンを使ってはいない。「暑い」と言うよりは「蒸々する」と言う状態なので、「除湿」で対応をしている。設定温度も強烈に暑かった時は27度か26度で、普通なら28度で設定をしている。

今日扇風機を出したことで、さらに効率よく部屋を「冷ます」ことができるだろう。
どんな時代になっても、扇風機は必需品なのです。

ちなみにこの扇風機、もうウン十年物の扇風機です・・・
昔のものは、物持ちがいいですね。未だに現役で使えるのですから。

2005.07.17

今年も物欲亢進状態

テスト勉強に頭が煮詰まっており、ネタも見つからない状態なので・・・こちらから拝借。
トラックバック野郎「衝動買い、大集合!!」より

別に衝動買い・・・と言うわけではないのですが、本日も出費ありです。
買ったのは、サンダル。他に靴も欲しかったけど、お金がなかったので、とりあえずはサンダルだけ。

いや、欲しい、と言うか、必要性があるように感じてきているから、買っているんでしょうね。
ただそれが昨日の参考書購入のように、お金が出る時は一気に出て行くんですよね。「衝動買い」をするつもりじゃなくても、結果的に参考書や洋服類を購入している。だから「お金が出て行く」=「衝動買い」の状態となっている。

そういえばこんなこともあった。
前職の授産施設の職員時代のこと。入社して早々の頃に「理事長が危ないかもしれない」と言うことがあった。当時まだ「フォーマル」(黒)を持っていなかったため、いきなり初任給で買ったのが、フォーマルだった。結果的に理事長がなくなってフォーマルを使うことになったのは、去年の4月だったが、授産施設を退職するまでにフォーマルを使用した回数は全部で5回・・・2年間で5回も参列していることに。特に理事長が亡くなった年は4回使用しており、一部で「理事長が引っ張っているんじゃいの?」とウワサが流れるくらいだった。
で、当然参列すると言うことは・・・香典も発生するわけであり、一時期は「香典ビンボー」になり損ねたくらいだった。(むしろ「葬式慣れ」していく自分が怖かったが・・・汗)

まぁ「お香典」も「意に反した衝動買い」みたいなものなのか?
ただ正直なところ、なんか一定のリズムや反動で「物欲亢進」が起きているみたい。そういえば去年の夏はエアコンを購入した時から物欲が亢進して来ているし・・・つまり「衝動買い状態」になっているし。

で、その記事のことを書いたなぁ・・・と思ってバックナンバーを調べてみると・・・

何と恐ろしや、
去年と全く同じ日に「衝動買い」をしているではないですか!

こんな偶然ってあるのでしょうか?その証拠に、エアコンを買った翌日は、ノートPCを購入しているし・・・
もしかして・・・7月17日は「衝動買いの日」なのでしょうか・・・(^_^;)

2005.07.16

予算オーバー((+_+))

昨日既に「コトバ」を書いていますので、今日はやらないことにしましょう。
テスト前にもかかわらず、2回連続の「コトバ」はネタにちょっと苦労してしまいますので・・・(^_^;)

で、今日は心療内科の受診。脳波をまた取ったが、結果は異常認められず。
先生から「この期間に何かありましたか?」と聞かれ、うつ様の症状があったことと、処方が増えたことを伝えると「うーん、それは発作じゃないねぇ・・・」って・・・
イヤ、それくらいわかっています。発作らしき症状、今回受診するまでに起きていませんから。ってか、むしろ「紹介状」の趣旨は「てんかん」ではなく「てんかんと共に、気分障害のケア」と言う点で出してもらっているのに・・・なんか、肝心の部分が欠脱している感じ。おまけに、「じゃ今度は3ヵ月後に脳波を取りましょう」と言いながら、会計の受付のときに「次回も脳波を~」と言われたので「いや、今度は3ヶ月ぐらい後に、って言われたんですけど・・・」と言っているのにもかかわらず、確認を取らずに「脳波」の予約を入れているし・・・うーん、正直この病院とは、ちょっとあっていないのかもしれませんね。
事実そのことは母親も感じており、来週も定期通院がある一方で、「セカンドオピニン」と言う形で別の心療内科を受診しようと思っています。母親が事前にメールを出したところ、丁寧な返事が返ってきたことが、決断の大きな原因。気分障害だけでなく、てんかんにかんしても力を入れている診療所みたいなので、来週の定期通院のときに、また改めて「紹介状」を書いてもらおうと思っています。(ホントは今日の時点で「セカンドオピニオンを受けたいので、紹介状を書いて欲しい」と言おうと思ったのですが、なんとなく言う気になれずに、結局紹介状を出してもらえなかったので、インフォームドコンセントが形成されている先生に紹介状を書いてもらうことにしました。いや、「別の病院の受診」の真意は「インフォームドコンセントの不成立」が大きいのですけどね・・・)

さて定期通院終了後は、ちょっと「変装」して新宿の紀伊国屋書店まで買い物に。
何故「変身」かと言うと・・・脳波の検査では頭に電極をつけるため、そのために接着剤みたいなものを使うんです。で、それを使うと頭がボサボサになってしまうので、それを隠すために帽子をかぶって「変身」したわけです。電車の中でも、移動中でも、自宅に帰るまでずーと帽子をかぶったまま・・・ハッキリ言って、暑いです。でも「ボサボサ頭」のまま、街中を歩きたくはないし・・・ってか、それほど髪型を気にするような人間ではないし、カッコいい訳ではないので、気にしなくてもいいといえば、それまでなのですが・・・(^^ゞ

で、買ってきた本が、これ↓
P1000353
すべてOT関係の本。元々はオレンジの「一人で学べる~」だけを買う予定だったのですが、隣にもう1冊別版で同じものがあったため、あわせて購入。さらにその先には・・・自分が苦手とする「解剖学」と「生理学」の参考書が・・・ホントはもっと色々と参考書があったので、全部買いたい位だったけど、色々と予算の都合もあるので、とりあえず今回はこれだけ購入して買えることで。

が、やっぱり専門書は高いもので・・・
P1000354
4冊あわせて、17430円。当初の予定では9000円の予算だったのだが、明らかにオーバー。上の「1人で学べる~」だけだったら予算内だったけど、今の自分の知識から考えると、「PT・OTノート」も必要な存在。結果、予算をオーバーしての買い物に。
その後、新宿から自宅に帰るまでの財布の中身は・・・2000円。(寂)あぁ、お金は全然たまらないなぁ・・・(;_;)

(余談)
あんまり表沙汰にはしていないが、実はmixiに登録している。で、ケータイからもmixiを見れるように設定をしてある。
で、新宿からの帰りの電車の中で、何気なく横の女性がいじっていたケータイの画面を見る(って言うか、視線に入ったといった方が適切)と・・・なんとmixiではないですか!あぁ、同じmixiのおナカマさ~ん!って感じ。

とは言えねぇ・・・クローズドされたmixiの中とはいえ、お互いに知っているわけではないし、もちろんあったことも話したこともない人。だからいきなり「mixiやっているんですね。自分もmixiやっているんですよ」なんていえるわけがない。ってか、声なんかかけられるわけがない。でも・・・同じmixi仲間としては、気になるんですよねぇ・・・
偶然SNS仲間(mixi会員など)を見つけたとき、皆さんはどうしているんですかねぇ?

あ、ちなみにあらかじめ断っておきますが、見ず知らずの方・会ったことのない方に対しての「mixi招待状」は自分は出しません。あくまで「知り合い系サイト」なのですから、自分が知っている人だけを招待します。ですから「私をmixiに招待して!」と言われても、自分は招待をしません。自分が「仲間」として登録している人は、基本的に直接の関係を持っている人に限定をして登録をしていますので、見ず知らずの方・会ったことのない方・お話したことのない方・Mitakeの心が許していない方には招待状は絶対に出しませんので、前もって断言しておきます。

2005.07.15

コトバ★「障害者自立支援法案」

1日早い「コトバ」。とはいえ、今までのような「コトバ」の要素はありません。
やはり障害者制度の根幹を揺るがしかねない状況になっているからです。
「揺るがしかねない」・・・いや、揺るがすもの、それが「障害者自立支援法」です。
(参考 厚生労働省「障害者自立支援法案について」

Yahooニュース「割自己負担、障害者自立支援法案が衆院可決」

 障害者福祉制度の改革を盛り込んだ障害者自立支援法案が、15日の衆院本会議で、与党の賛成多数により可決され、参院へ送られた。
 障害者の負担増を懸念する民主党など野党が反対の構えを崩していないが、与党は早期成立に意欲を見せており、郵政民営化関連法案の審議の影響による時間切れなどの事態が起きない限り、今国会での成立が確実となった。
 法案は、福祉サービスに必要な費用を確保するため、国と都道府県に公費負担を義務づける一方、利用者にも原則1割の自己負担を求める内容。障害者が医療を受ける際、自己負担が安く済むよう公費で助成する現行制度も、自己負担率を原則1割とする。一部を除き、施行は来年1月。
 法案は衆院厚生労働委員会で、受診時の自己負担を引き上げる時期を、今年10月から来年1月へ延期するなどの修正が行われた。
 参院では、低所得者を対象とした負担減免の具体的内容や、所得保障対策、自己負担増で精神障害者が通院回数を減らした場合の問題などが、争点となりそうだ。(読売新聞)

補足のYahooニュース「自立支援法が衆院通過 障害者に自己負担求める」

 身体、知的、精神の障害種別ごとに分かれている福祉サービスを一元化し、費用の一部に自己負担を求める障害者自立支援法案が15日、衆院本会議で与党の賛成多数で可決、衆院を通過した。参院の審議が順調に進めば今国会で成立の見通し。
 与党の修正により、精神障害者通院費の1割負担への引き上げ(現行は5%負担)などの実施時期は、当初の今年10月から来年1月に延期された。
 同法案は、市町村が運営する障害者への在宅サービスに対する国の財政負担を義務化し財政の安定を図る。その一方、障害者に原則1割、最高で月額4万200円を上限とする自己負担を求め、施設・通所サービスでの食費などは実費負担とする。低所得者については負担軽減策をとる。
 自治体には、障害者福祉計画の策定を義務付けている。(共同通信)

以前「「介護保険」と「支援費制度」の統合?」でも触れたように、一言でこの法律の趣旨を言えば「利用者(=障害者)の経済的負担増」である。表面・響きはよく聞こえるが、実態はとんでもない(?)もの。利用者に対して原則1割負担の「応益負担」の原理を取り入れると言うもの。つまり、収入があろうがなかろうが、施設やサービスを利用すれば、それによって生じた利用料を「負担能力」ではなく「使用した分」に応じて支払うことになる。

この制度を本当に実現するとなると・・・例えばの話。
自分の前職は「知的障害者授産施設」。授産施設であるので、利用者にはその能力などに応じて「工賃」を支払っている。しかし多くの授産施設の場合、平均的な工賃額はおおよそ1万円前後。(もちろん収益力を上げて5・6万円ぐらい支払うことのできる授産施設もあるのは事実。)この「1万円前後」の工賃を「収入」と見なし、なおかつ授産施設を利用したら、利用した分だけ利用料を支払うことになる。
つまり・・・ほとんどの場合、「工賃」よりも「利用料」の方が高くなり、結果「自立支援」からさらにかけ離れたものになってしまうだろう。
まぁこのことは、国が授産施設などに対して「もっと高い工賃を支払えるように努力しなさい」と言う「法による無言の圧力」をかけているのかもしれないが・・・

もう1つの例え話。
今の職場は「知的障害者デイサービスセンター」。内容的には高齢者のデイサービスと似たような感じと思ってもらって構わない。ただ高齢者の場合と違うのは、「利用料」の存在。確かに利用者の中には「扶養義務者負担」と言う形で利用料を支払っている利用者もいる。ただし無制限に支払っているのではなく、支援費制度に基づいた「上限額」が個々の利用者に設定されており、その範囲の中で支払っていただいている。つまり毎日デイサービスを利用したとして、負担額が上限を超えた場合、超えた分に関しては支払いの必要がなく、支払う利用料は上限額(上限に満たなかった場合は、実際に利用した分の利用料)となる。しかしこれが新法の施行によって「1割負担」となった場合、収入などに関係なく、すべての利用者に対して「1割負担」が課せられることになる。となるとどのような事態が想定されるか・・・「お金がかかるから・・・」との理由で、利用控えが発生する可能性が考えられる。介護保険発足当時に「要介護度5と判定されて、たくさん利用できるけど、そこまでの利用者負担するお金はない・・・」と同じように、経済的なことを理由に利用を控えてくる可能性がある。また今まで無料で利用してきた人がほとんどの人にとって突然「法律が変わったので、利用料をいただきます」となった時に、納得が得られるかが疑問である。事実、今の時点で当事者団体は強烈に反対運動を起こしているのだから、本当に施行されたらきっと現場は混乱するかもしれない。

そして例え話・・・ではなく具体例。
自分のように精神疾患を持つ人にとっての医療の「命綱」になっているのが、公費負担制度。(通称32条)
この32条、適用範囲が広く、また医療費負担も通常なら3割(30%)のところ、0.5割(5%)の負担で済む。精神科・神経科・心療内科を受診すると言うのは、風邪ひいてちょっと病院に通院するのとは訳が違う。長期的かつ継続的な医療を必要とするものであり、当然それに対しての医療費は相当な額になる。その医療費負担を軽減するために、32条医療が存在している。しかしこの32条医療も「障害者自立支援法」によって見直される。具体的には、32条の適用範囲を一気に狭め、そして負担率も0.5割(5%)から1割(10%)に変更すると言うもの。
つまり、32条の対象になっている人でもこの法案が成立することにより、負担増は免れることができず、また法案成立によって32条の範囲から外れる人は通常の医療費負担(3割負担)となる。最小で2倍、最大で6倍の負担増となる。これは当事者にとって大きな死活問題である。

元々この法律が制定される背景には「支援費制度の破綻」がある。
では何故、破綻になるような法律を安易に作ってしまったのか?介護保険法との統合が見送られたと思えば、それを穴埋めするかのように新しい法律を作って、結局財源を用意する。そしてその財源は、収入のほぼ皆無な障害者本人から「奪い取ろう」としているのである。障害者年金だけで暮らす障害者にとっては、まさに「死」を意味するものになりかねない法律である。

と言うわけで、積極的な運動こそは参加していないものの、この法律自体には反対です。
何より、当事者の現状が全く把握されていない、一部の官僚の作った法律を認めるわけにはいきません。
現場を見て、実際に現場に立って、その上で作ったと言うのであれば話は別ですが・・・そんなわけないですね。

と言うことで、この法律が成立した場合、そして郵政民営化法案が否決されて総選挙になった時は、自分は野党側に回ります。
自民党、サヨウナラァ(。 ̄_ ̄。)ノ~~~フリフリ

2005.07.14

「生きる」ということ。

今日の生理学のテスト、ホント最悪・・・ヤバイです・・・(+o+)

昨日の授業で「風船バレー」をやったと書いたけど、その前の講義では「死」についての内容だった。
それとリンクして、「やっぱりおかしい?」の中で、かささんからこんなコメントを貰った。

Mitakeさんはとっても真剣に生きているって感じます。

うん、初めてこんな言葉を貰いました。正直、「生きている」なんて考えたこともありませんでした。
だから正直、ちょっと照れくさい感じです・・・(^_^;)

ただ「真剣に生きる」って、どういうことなんだろう・・・とふと思います。
昨日の講義では「植物状態」の子どもに対して、親が延命措置を主治医に頼み、してもらうというもの。ただ当然(と言ってしまうのは良くないのかも知れないが)その子の予後は察しの通り。植物状態になってから、2年が経過してのこと。

意思の表示ができない「植物状態の子ども」にとって、親が施した「延命措置」は、果たして「生きている」と言うことになるのであろうか?「生きている」のではなく、見方を変えれば「生かされている」と言えるのかもしれない。親の気持ちだけが先行して、「この世に生かせてあげたい」と言う気持ちが「生きている」であり「生かされた」のかもしれない。

でも哲学的に考えると(正直、自分は「哲学」っているのが大っ嫌いなのですが・・・)
この世に「生」を受けた人は、自らの意思で「生きている」反面、どこかで「生かされている」と言うのがあるのかもしれない。この子の場合は「医療で人為的」に生かされていたが、医療にお世話になっていなくても、何らかの形で人はみな「生かされている」のだと思います。もちろん自分も、社会やこのblogに来てくださる方に「生かされている」のだと思います。

「真剣に生きている」・・・でもその実態は「自分だけで生きている」のではなく、自分以外の人が生きているからこそ、自分は「生かされているのかなぁ・・・」と思います。その態度が真剣かどうかは別として、周りから支えられているからこそ、自分は生きていられるのだと思います。

元々、自分は自己主張が苦手です。だからこういった形で「自分の思い」を伝えているのかもしれません。
もちろんネット上の「匿名性」という特色から、ここに書いている自分の主張や気持ち、考えが100%真実の姿かどうかと言うのは、自分と直接会った人しかわからないと思います。でもここに書く自分自身のスタンスは、仕事のことに関しては守秘義務のため多少の脚色はつけても、自分自身のことは素直に、そしてありのままに表現して行きたいと考えています。そのことが結果的に「真剣に生きている」と感じていただければ、それはそれで、Mitakeの真実の姿なのかもしれません。

でも「生きる」と言うことを、かささんのコメントで考えるきっかけになりました。
たしかに、「てんかんの疑い」(今は半分確定みたいな感じになっていますが・・・)と宣告された時は、自分の仕事柄、本当に希望を失っていました。今年の4月からの内容を見てもらえれば、その心の変化は如実に現れています。「新しい道への希望と不安」→「新生活のスタート」→「てんかんの宣告」→「絶望感」→「絶望から這い上がろうとする自分」が、この1ヶ月の記録で見ることができます。当然その先には「てんかんと共存する」ことへの苦悩や、てんかんによって引き起こされた2次的障害のことも触れています。事実、今の状態がてんかんによって引き起こされた「2次的障害」なのかもしれません。

ただ1つだけ言える真実。もう、戻ることはできない。時間は止まってくれない。
だから、辛くても、苦しくても、イヤでも・・・とにかく、歩けるうちはちゃんと歩いていこう。
まっすぐ前を見ることができないかもしれない。下ばっかり見ているかもしれない。
でも、それでもいいのかもしれない。下を向いていれば、当然何かにぶつかったりすることだってある。
だけどぶつかったら、ぶつかったでいいのかもしれない。とにかく前に進めれば、今はそれでいいのかも。
ただ・・・前に進むことが辛くなったら・・・そのときは、またその時に考えることにしよう。

正直な気持ち、いつ足が止まってもおかしくない状態。
だけど、それでも前に進もうとするのは、心の奥底に眠る「専門職」としてのプライドが足を動かしているのかもしれない。
それと、自分自身の「意地」も少しだけ持っているかも・・・

2005.07.13

「アクティビティ」の想起

今日の仕事中にトイレ(大)に行った回数・・・4回。すべて、軟便。きっと明日のことが影響しているのだろうなぁ・・・

で、今日から学校では「体育学」が始まった。内容は2コマ構成で、前半は講義、後半は実技と言うもの。
で、後半の実技では「キャッチボール」と「風船バレー」をやった。風船バレー・・・既に仕事のデイのプログラムとして組み込まれているし・・・ってか、「プログラム設定者」から「プログラム実施者」になるとはねぇ・・・(^^ゞ
おまけに、実技の前と終わりにはラジオ体操。始まりがラジオ体操第1で、終わりがラジオ体操第2。これまた、前の職場で健康増進のために利用者と一緒にやっていたし・・・って、なんか仕事でやってきたことをそのまま学校でやるのって、ものすごく違和感あり。「なんで学校まで来てこんなことやっているんだろう・・・」って感じ。

ただ、その反面体育学の授業を受けることによって、専門学校時代の「アクティビティ」の概念が浮かび上がる。
正直詳しいことは忘れてしまったが、アクティビティは従来の「レクリエーション」と言う概念を進めたものであり、「生活全体を視点に入れた支援の概念」と言うべきかもしれません。わかりやすく言えば、普段私たちが使っている「レクリエーション」と言う言葉はゲームや遊び、キャンプや娯楽など、いわば「非日常の世界にあるレクリエーションん」のことを指しています。「非日常のレクリエーション」と言う以上は、「日常のレクリエーション」もあるわけで、具体的には食事や入浴、排泄、更衣など、日常生活に関係するものすべてのことを「日常のレクリエーション」と指すわけです。
「アクティビティ」と言う考え方はこの「日常のレクリエーション」と言う部分を中心に捕らえた考え方であります。

で「中心に捕らえた」と言いましたが、もちろんアクティビティの範囲は「非日常」も含まれており、今日の授業でやった「風船バレー」はまさに「非日常」の部分であります。しかし風船バレーを通じてただ単に楽しむだけなのか?
決して、そうではないと思います。「風船バレー」はあくまで「アクティビティ」を実践するための「道具の1つ」であって、そのプログラムの中から「日常のもの」につなげていければよいのです。作業療法的に言えば、風船バレーが「機能回復訓練の一環」として捕らえれば、これも1つの「アクティビティ」になると思うのです。

「アクティビティ」の概念、もう少し掘り下げて考えてみると、例えば自分の今勤務している施設は知的障害者のデイサービスセンターです。前職が知的障害者の授産施設、施設形態が以前と全く異なるため、提供するサービスも異なります。デイサービスの場合は「プログラム」として提供することになります。

では実際にどんなことをしているか?
例えば訓練的要素で言えば「作業活動」や「機能回復訓練」に「スポーツ活動」
娯楽的要素で言えば「散歩」や「スポーツレクリエーション」、あるいは「創作活動」や「プール」などのレクリエーション。
そしてそれ以外の要素として、毎日の給食や歯磨きの時間、そしてトイレ介助まで・・・

これらすべてが広義の「レクリエーション(日常・非日常)」と捉えるのであれば、デイサービスでのプログラムはまさに「アクティビティ」の概念を基に細分化されたもの、と考えることができるのかもしれません。
風船バレーでそれなりに盛り上がりながら、その一方でこんなことも考えていました。煙たがりながらもとりあえずは授業を受けていた前の専門学校時代の授業内容が、思わぬところで結びつきました。

余談ですが・・・大便4回すべて軟便の理由は・・・すべて明日のテストが原因でしょう。
だって、テスト対策をしているつもりでも、やっぱり不安だし、どんな感じで出題されるのかが全く持ってわからないんだもん・・・「過去問中心」って、過去問見ても「そんなのやってねーよ!」と叫びたくなるような問題ばっかりだし・・・だから余計に不安要素になっているんだろうな。あ、あと解剖学の結果も気になっているし・・・

と言うところに、変える直前に掲示板の前が黒山の人だかりに。
見てみると「解剖学 不合格者」との文字が。あ、解剖学の試験結果が・・・自分の番号は・・・ない!
と言うことは・・・解剖学、無事クリアーヽ(^o^)丿 ちなみに点数は・・・ギリギリでした・・・(^_^;)
(きっと「今までのテストで1回でも80点以上取っている人は、検討の余地あり」って先生が言っていたから、それで救済されたんだろうなぁ・・・だって、普通に考えたらたぶん不合格ラインにいると思うし。でも1度だけ「このままではマズイ」と思い、必至に勉強して80点以上を取ったことがあるから、それで救われたんだろうなぁ・・・と密かに分析。だって解剖学の試験、半分ぐらいの人が不合格になっているん位だし。)

2005.07.12

やっぱり、おかしい?

OTの授業、心理学にて、「内田クレペリン検査」を実施。
「クレペリン検査」、簡単に言ってしまえば心理検査の「性格検査」に分類される、作業検査法の1つ。
で、実際にやってみよう・・・ということで、自分の場合はこんな感じになりました。
(薄いかもしれないけど、青線が自分のプロフィール。ってか、メッチャ疲れた・・・(-_-)zzz)

kraepelin1

で、これをどう評価するのか?
どうやら、「正常な成人の成績の傾向」に見られる形っているのが、これらしい↓
kreapelin2

「正常な成人の成績の傾向」に照らし合わせると、自分の形とあまり一致していない。
また作業量も、平均に比べ低い。いわゆる「成績の特徴」が一致していない。
と言うことは・・・やっぱり自分は「異常」なのか???

まぁこの成績を見るときに「定型傾向と大きく違うからといって性格異常を診断するのは適当ではなく、むしろ個性的な表れが強いと考えるべきであり、それを生かす方向を考えていく必要がある」との注釈もある。

とはいえ、今の自分は決して「正常な成人」と言い切っていいものなのだろうか?
なにしろ、今はお薬頼りの状態だし・・・まぁ、今度行く心療内科の参考資料にはなったから、それはそれでよしとするか・・・(何を?)

皆さんはこの結果、どう見ますか?

2005.07.11

ご冥福をお祈りします。

・・・無理です」のコメントから。

破壊王・橋本真也選手が脳幹出血のため11日死去。 享年40歳。

名前: ミスターX | 2005年7月11日 午後 08時52分

申し訳ございませんが上記のコメントは、直接記事とは関係のないコメントなので、こちらの判断で消させていただきます。そのため、この形で別記させていただきました。

ただこのコメントを見て最初は「ガセだろ」と思いました。学校もあり、メールを開いたのがついさっきのことなので、、そう思いながら一応確認をしてみようと思ったら・・・事実のようです。

サンスポ.com「人気プロレスラーの橋本真也さんが死去、死因は脳内出血か」

 プロレスラーの橋本真也さんが11日午前、横浜市内の病院で死去した。死因は脳内出血とみられる。40歳。岐阜県出身。自宅は横浜市青葉区美しが丘西三ノ五四ノ九。葬儀・告別式は未定。
 関係者によると、橋本氏の同居人が同日午前8時55分、意識朦朧(もうろう)としている橋本氏を見つけて119番。午前10時半に心肺停止状態で病院に運び込まれたが、まもなく死亡が確認されたという。死因は脳内出血とみられる。
 橋本さんは岐阜・中京商高(現中京高)時代、柔道で活躍。1984年に新日本プロレス入門。「破壊王」のニックネームで人気を集めた。2000年4月、元五輪柔道メダリストの小川直也選手に敗れて引退したが、ファンの嘆願を受けて復帰。同年11月、新団体「ZERO-ONE」を設立。その後、フリーになっていた。

正直、驚きました。このところの欠場は、すべて肩にメスを入れたことに関して欠場をしているものだと・・・
だから肩が完治し次第、新たなリングなり、ハッスルなりに復帰するものだと思っていた。今回の死因、肩とは直接関係はないが、あれだけの体であったため、何らかの障害は持っていたのかもしれない。そして5.14では新日本の蝶野、ハッスルの小川共に「来場」を呼びかけていたが、どちらの会場にも姿は見せなかった。
後付であり、あくまで推測であるが、そのときは既に動ける状態ではなかったのではないのだろうか・・・いや、「動ける状態にない」と言うのは、レスラーとしてのことであり、レスラーとして動けるメドの立たない本人にとって「試合会場に行く」と言うのは、本人のプライドが許さなかったのかもしれない。

印象的な橋本の試合、もちろん、あの試合。
2000.4.7、東京ドーム 時間無制限1本勝負
○小川直也(15:09、KO)×橋本真也

STO3連発を受けながら立ち上がる橋本の姿、まさしく「命」をかけた戦い。
あの「小川vs橋本」のような試合は、今の新日本にはできないだろう。あの戦いこそが「ストロングスタイル」であり、「プロレス最強」を証明する戦いの1つであるのかもしれない。
そういった意味で、橋本真也が急逝することは、プロレス界にとって大きな財産が失われたことになる。

今日は別のことを書こうと思ったけど、プロレスファンにとっては看過することのできない記事が飛び込んできたので、書かせてもらいました。

橋本真也、破壊王は永久に不滅であり、恐らく今後「破壊王」の名を継承していくものは現れないだろう。
それだけに、あなたの存在が大きすぎる。あなたの「真」の試合がもう一度見たかった。
まだ実現していない、夢のカードがたくさんある。しかし今、それはすべて「幻」となった。

「破壊王」こと、橋本真也さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

2005.07.10

・・・無理です。

「最悪の月」と称した7月。早速、今週木曜日に生理学テストです。
で、範囲は「やったところまで」とのことだけど・・・問題のベースになるのは「国家試験の過去問」がベースとのこと。
で、その「過去問」とやらを引き出してみると・・・

D1000008

ハッキリ言います・・・無理です!

たしかに内容は「生理学」のことだけど、過去門から出てくる言葉は「???」の状態。
問題によっては、ちゃんと紐解いていけば何とか答えにありつけるものも歩けど、ほとんどの問題は「何じゃ、それ」の状態。正直言って、答えなんぞになかなかたどり着くことはできません!社会福祉士のように「一般的に使用されている教科書に準拠」されているような問題はなく、完全に自分で答えを導き出さなければ・・・の状態。
まぁここに「社会福祉士」と「作業療法士」、いわゆる「コ=メディカル」の差があるんだろうなぁ・・・

うーん、やっぱりそろそろ本格的に自分なりに専門書を買い揃える時期が来たかな?
ただね・・・自分の今後のことがわからないし、何しろお金が・・・訳もなく、出費がかさむ。出費した分だけ補填をしているけど、気がついたらその補填分がなくなってしまっている。もちろん、昨日お出かけしたのも大きな理由だけど・・・
そのため、現在のお財布の中身は4000円。もちろん銀行に行けばあるのだが、その銀行に行く時間がない。「コンビニATM」と言う手段もあるのだが、なんとなくそれを使うのは不安。ってか、使ったことないし・・・(^_^;)

今週末が給料日。さて、それまでの間にお財布の中身は持つのでしょうか・・・
計算上は、お昼が1食600円計算だから、3000円。週末には1000札1枚が残っている状態、であるはずだけど・・・どうなんでしょう?とりあえず、給料が振り込まれたら下ろさないと・・・それも、平日に。
だっけ休日だと「手数料」が取られるんだもん・・・(怒)

あぁ、出費の多い週末だったなぁ・・・テスト勉強もはかどらなかったし。
精神的にあまりよろしくない状態です、ハイ。

2005.07.09

コトバ★「相田みつを」

予告どおり、「心の癒し所」の場所こと、「相田みつを美術館」に行ってきました。
なので、今日はいつもの「コトバ」とは趣を変えてみたいと思います。

と前に、まずは定期通院の方から。来週も心療内科のほうに行くけど、そのことについても相談。
で一応自分の中では、来週の先生の診察の様子如何によって「セカンドオピニオン」を理由に、他の心療内科の紹介を出してもらおうかなぁ・・・と考えています。正直、一般内科(神経内科が専門)の先生に対するインフォームドコンセントは完全に確立しており、相談の内容に対して内容を濁すこともなく、はっきりと話してくれる。だからこそ、紹介状を書いてもらいながら「今の心療内科のままでいいのかなぁ・・・」と言うことも遠慮なく話すことができた。先生の方も「医者は患者を選ぶこと・選ぶ権利はないけど、患者は医者を選ぶ権利があるから、必要であったら紹介状を書いてもらって、別の病院に行くことをしても構わないことですよ。そういうことを言うのを遠慮することはありませんよ」と助言を受けた。

うん、やっぱりこの先生は信頼できる先生。来週に心療内科があることを知りながらも、そうした心情に配慮をしてくれたのか、来週までの薬ではなく、いつもどおりの2週間分の処方を出してくれた。つまり、また2週間後に行くことになった。内心「これからは1カ月おきぐらいかな・・・」と思っていたが、どうも2週間のペースはまだ続きそうな感じ。ただ・・・その分、今日から薬が1種類増えることに。それも毎食後の服用・・・正直、ちと辛い。職場には看護師さんもいるから、薬の包装を見れば何の薬かすぐに見抜かれてしまうだろうなぁ・・・まぁかなり強烈な「うつ様状態」がここ2週間で思いっきり出てきちゃったから、薬追加は仕方がないといえば仕方がないのだが・・・先生も「できることなら薬は増やしたくないけど・・・」と前置きした上での処方。薬を服用した場合に考えられる副作用の範囲もちゃんと話してくれたし、悪性症候群のこともちゃんと触れてくれた。だから、この先生の診断に関しては自分は信頼をしている。たしかに薬が増えたことは面倒なことだけど、でも「神経性のてんかん発作」をキチンと落ち着かせるためには必要なことなのかもしれないから、面倒でもしっかりと「セルフケア」をしていかないと。
そういえば毎日書いている「心身状態の記録」(いわば自分自身のケース記録)を読んで、今日は「これ(記録)、カルテにはさんでいいですか?」と聞かれた。今回は先生にとっても診察上重要な内容を自分でちゃんと記録をしていたんだなぁ・・・と実感。
てんかんのことは、また来週の通院後に話すことにしましょう。

さて、本題へ。今日のコトバは「相田みつを」。
いつもは神田乗り換え→有楽町へ行くけど、今日は東京駅から美術館へ。途中で昼食を取って薬を飲まなきゃいけなかったから、東京駅から行くことになった。でも、そのおかげか、同じ「東京駅近く」でも、表情の違いを感じた。
(今回は両方ともポップアップ付き&マイフォトに同じ写真あり。)
D1000004 D1000005

左の写真と右の写真、同じ「東京駅」の近く。ちなみに左の写真は「相田みつを美術館」のある東京国際フォーラム、右の写真はその反対側にある東京駅鉛線沿い。食事処があれば雀荘もある。同じ「東京」でありながら、見る方向によってその印象はガラッと異なる。近代的な「東京国際フォーラム」がありながら、振り返れば昔ながらの「東京」の匂いを感じさせる建物の存在。ただ単に自分が感慨にふけっているだけなのかもしれないけど、そんなことを感じながら、13時前に美術館に行きました。

2回目の来館。今回は「友の会」の会員であるため、入館は無料。(ちなみに同伴者は2名まで無料みたい。)
果たしてどれくらい美術館の中にいたんだろうかなぁ・・・たぶん1時間半ぐらいいたと思います。「美術・芸術」とは縁どおり自分が、1時間以上も作品を鑑賞しているというのはかなり稀なことであり、なおかつ「積極的」に見入っているところに、自分にとって美術館が「心の癒し所」になっているのでしょう。(何故「癒し所」になっているかについてはこの記事で、そして「相田みつを」との出会いはこの記事を参考にしてください。)

今回は新しい企画展の内容で展示されていました。企画展のタイトルは「一生勉強一生青春」。
前回は見つけることのできなかった「体験してはじめて身につくんだなあ」の作品も展示してありました。おまけに解説付きで。結構嬉しかったです。(このことについては、後々「コトバ」の題材として取り上げたいと思います。)

で、今回は自分の中で興味深いなぁ・・・と思った作品がありました。
「体験して」の作品の左右に展示されていた作品、「忍」と「泣」。なんか「妙だなぁ」と思いながらも「深いなぁ」と感じた2つの作品。

「忍」
がまんをするんだよ
がまんをするんだよ
くやしいだろうがね
そこをがまんを
するんだよ

そうすれば
人のかなしみや
くるしみが
よくわかって
くるから


「泣」
強がりなんか
いうことないよ
やせがまんなど
することないよ
だれにえんりょが
いるもんか
声をかぎりに
泣くがいい

ただひたすらに泣けばいい

(企画展ブックより参照)

「忍」と「泣」、比較をすると、何だか矛盾したことを言っているように思える。
「がまんをするんだよ」といいながらも、一方で「強がりなんかいうことないよ」と、相反していることを表現しているように感じる。で、それぞれの作品の時期を見ると、「忍」は1980年代後半の作品、「泣」は1990年の作品。
翌年の12月に相田みつをはこの世を去っているため、「泣」は恐らく晩年に書かされた作品の1つ。
と言うことは・・・あくまで自分の推測だけど、「忍」を書いていた時は世の中の不平不満、自らの境遇に対して色々愚痴を言ってみたり、嘆いて見たりすることなく、「あるがまま」を受け入れていくべきとの思いからの作品。対して晩年に書かれた「泣」は、「あるがまま」にとらわれず、自分の思いは言えるうちに、自分の気持ちを「ありのままに」伝えていこうという思いからの作品・・・なのかなぁ、と考えてみたりしてみました。

作品の著作権があるので、作品そのものはこのblogでは出しません。でも、実際の作品を対比してみると、そんな思いを感じてしまいます。そしてその作品の間に挟まれた「体験して」の作品。今日の一番の展示ポディションでした。(もしかして「作品が見つからなかった」って書いたから、この作品を出してくれたのかな???)

2005.07.08

勝率2割

一体何の数字でしょう?

月曜日→自転車で登校、帰りは途中で雨に降られ、ずぶ濡れ。
火曜日→自転車で登校、帰りは学校を出るときから大雨、よってずぶ濡れ。
水曜日→小雨だったため、徒歩で登校。が、帰るときには雨が止んでいた。おまけに終バスなし。
木曜日→自転車で登校、帰りも降ってなく、無事に帰宅。
金曜日→「傘の必要性有」の予報を参考にして、自宅に戻らずそのまま学校へ。でも自転車で変えることができた・・・

つまり「時間をかけずに、自転車で買えることのできた確率」が2割、ということ。
まともに帰ることができたのは、昨日だけ。今日は天気予報を信じたばっかりに、自宅に帰って自転車で学校に行けばよかったものを、そのまま最寄の駅から歩いていってしまった。そのため、歩いて帰宅。(まぁ途中でバスに乗れたけど・・・)水曜日に関しては、終バスがとっくに終わっており、完全に歩いて帰宅。そして月・火と雨に濡れながらの帰宅。今週は散々な週だった。

「散々な週」と言えば、7月は「最悪の月」でもある。
来週の木曜日は生理学のテスト、再来週の火曜日は心理学のテスト、そして最後の週は作業療法概論・作業基礎科学・生物学・英語のテスト。テスト・テスト・テストのテスト月間。この中で特にヤバいのは生理学に生物学にOT概論に作業科学基礎に・・・って、ほとんどヤバいじゃん(ToT)

何だかなぁ・・・気持ちが安定していないって言うのが、結構大きな要因かも。
わかってはいたし、自分で決めた道だけど、こんなにも想像を絶するものとは思ってもいなかったなぁ・・・このヘビーさに。さらに・・・例のこともあるし。

明日は定期通院日。ちょっとほかの病院のことについて先生とも相談したいなぁ・・・と思っている。
メインの病院(つまり、明日行くところ)とのDrとは「インフォームドコンセント」が成り立っているけど、紹介されていった病院のDrとは、形成されていない状態。むしろ、今後インフォームドコンセントが形成できるかが疑問に感じている状態。そのことを主治医にちょっと相談してみようかなぁ・・・と思っている状態。

今は頭と心の中が「不安」の塊ばっかりでイッパイに満たされている状態です、ハイ。

2005.07.07

今までのは「フリ」?

今日の仕事は完全に「マンツー」の対応だった。
今日は職場で「七夕のお祭り」が行われていた。今働いている施設は「施設」と言うよりも「複合施設」と言う状態で、知的障害者がいれば身体障害者もいて、高齢者もいるし、サークル活動を行いに来る「元気高齢者」(こう言うのは適切な表現なのかな?)もいる。その中で働いているわけであるが、今日は1人の利用者さんと付きっ切りの対応だった。散歩の介助もそうだし、お祭りでも介助。そしてトイレも介助で、更衣も介助して・・・と、ずーと今日は付きっ切りの対応だった。
だから別に今日は「大したことはそんなにやってない」と思っているんだけど・・・なんか疲れているんだよねぇ。

うーん、この気分なら、今日の授業はふけちゃおうかなぁ・・・と考えてしまう。
だって先週の「休講」があって以来、あんまり先生を信じたくないんだもん。また学校に行ったら「休講」なんて書かれていたら・・・って感じ。

ところが、今日はちゃんと授業をした。それどころか・・・

今日は人数が少ない気がするんだけど・・・久しぶりに出席でも取りますか

と授業の最後にポロリ。いや、「久しぶりに出席」って、
アナタ今までに1度も出席を取って授業始めたことありませんから・・・(^_^;)
ってか、今まで「授業→突如休講→授業→突如休講」のパターンは、出席を取る「前フリ」だったの???
ちなみにこの授業、次回が最後・・・ということは、実質講義は今日で終わりであり、来週はテスト。

うーん、今回取った出席、ちゃんと成績に「プラスアルファ」してくれるのであればいいんだけど・・・
だって「久しぶりに出席」って、第1アンタ講義をやってないじゃんかぁ!(;`O´)o

2005.07.06

今日はハズレ。

D1000003朝は雨が降ってたのに・・・雨、降ってないじゃん。
昨日・一昨日と立て続けに雨に降られて「これ以上降られるのは、もうご免」って感じで、今日は用心をして自転車で行かずに、徒歩で学校へ。自転車か徒歩かを決める要素としてiモードのお天気を参考にしており、雨に降られた日はいずれも「今後の傘の必要性」と書かれており、今日も同じようにと書かれていたので、その予報を信じて徒歩で行った。

が・・・授業が終わって外に出たら、雨降ってないじゃん。傘、不要じゃん。
しかも授業がちょっと長引いたために、終バスにも乗れなかったし・・・
結局、トボトボと歩いて帰宅。約40分かけて・・・(涙)

で時間も時間だったため、普段は車が通って歩くのが危険・・・と思う道(=バスの路線だけど・・・)を歩いて帰って、時間省略。
でもこの道もこの時間帯になると、ほとんど車の通りがなくなっちゃうんだね。もっとも、別のところにバイパスができたから、そっちの方を通る車のほうが多くなったと言ったほうが正しいのかも。

まぁそれにしても・・・右手の手の甲が痛い。利用者との格闘。
爪立てを利用者がいて、何時までもずーと自分の手の甲に爪を立てている。その利用者と一緒に帰りの会をやっていたため、そのときは“サラッ”と「後でちょっとお話しようねぇ・・・」と言いながら、帰りの会が終わると、一気に教示。「それ、絶対やらないって約束したでしょ」と。今回はちょっと強めに。

だってさぁ・・・手の甲まっかっかで、ヒリヒリするんだもん・・・(>_<;)

2005.07.05

「どっち」で感じたのか?

二日連続の、雨降り帰宅。今日は完全に学校を出る時から雨。
もちろん、ズブ濡れです。ただGパンも辛うじて、ストック1本がありました。
これで明日雨が降られたら・・・もう、最悪((+_+))

仕事は相変わらず、「自分を騙しているかなぁ・・・」と思いながらも、粛々とこなしています。
そんな中、今日は食事介助の担当。介助が必要な人に対して介助をしながら「○○さん、それは止めようね」と声かけをしたり「××さん、ゆっくり食べよう」と声かけをしたり・・・ってほとんど声かけばっかり。
まぁ今日入った場所はそんなに濃厚な介助を必要とするところじゃなかったからね。

そんな中、食べ終わった利用者さんは、できる人は自分で下膳を行う。
そのうちの1人も、車椅子ながら下膳をしている。(まぁ先日養護学校の先生が実習巡回の際に、この利用者さんが下膳しないところを見て「○○くん、学校では下膳していたんだよねぇ・・・フーン・・・(-。-)y-゜゜゜」ってな感じで軽ーく「元担任」から睨みを効かされて以降、本人的に気分が良いときはしっかりと下膳をするようになった。で、今日もそんな感じで「○○さん、これだけ運びましょう」と声かけをして、下膳をしてもらうことにした。

ところが、今日はちょっと様子がおかしい。
普段なら「やるときはやる、拒否するときは拒否する」の態度がはっきりしているのに、今日は「キョトン」とした感じだった。例えるならば、なんか「魂」が抜け落ちてしまった感じ。で「○○さん」と声をかけると、「ピクッ」と反応はあるものの、やっぱり普段のような反応がない。始めのうちは「あんまり乗り気じゃないのかなぁ・・・」と楽観視していたが、「ピクッ」の反応と、その後の声かけの反応の様子を見て「これはちょっと普段とはちがうかも・・・」と察知。反応を調べるため、利用者さんの目の前で指差しの眼球運動確認を行うが、指を追いかける様子がない。たまに反応が戻ってくるときもあるが、普段のときの反応とは明らかに薄い。その状態を見て、あることを判断。
これって、もしかして発作?

この利用者さんもてんかんを持っており、最近服薬量が微量ながら増えたとのこと。
まだこの利用者さんの発作形態も知らないので、この状態が果たして発作なのかどうか判断に迷ったが、明らかに通常の状態ではないかな、と判断。すぐ近くに係長がいたため、「ちょっと様子がおかしい」と指示を仰ぐ。そして看護師さんを呼んで状態を見てもらった結果、「発作を疑った方がいいかも・・・」との結論。
そのため、この利用者さんは、家庭に連絡をして早退することに。

ちなみにこの利用者さんで疑った発作は「失神発作」。どうしても「てんかん発作」と言うと「強直間代発作」を思い浮かべてしまう。事実、前の職場では強直間代発作や(たぶん)ミオクローヌス発作の利用者さんがいて、その発作の形態は見たことがあったので、どうなるのかは知っており、対応もできていた。しかし今回は初めてのケース。それに、今の職場に来てから1度も目の前で利用者さんの発作を見たことがない。だからちょっとした動きにも「発作?」と思ってしまうこともあった。ただ、今日の発作に関しては、ある程度「確信」を持った疑いだった。
もちろん、このblogで「てんかん」を取り上げたことがあるからこそ知っていたのかもしれないけど・・・

でもこうやって「発作かも・・・」と感じ取ったのは、「専門職」として感じ取ったのだろうか?
それとも、同じてんかん(が強く疑われる状態)を持つ「ピア」として感じ取ったことなのだろうか?事実、6月8日の授業では「小発作が起きていたのかな?」と自分でも思える状態であり、その時のことが頭に過ぎり、「もしかして小発作がおきていたときの自分は、(利用者が発作を起こしている)こんな感じだったのかなぁ・・・」と感じた部分があった。
だから「様子がちょっとおかしいかも」につながり、「発作かも・・・」と感じたのかもしれない。

福祉職に就く支援者でありながら、自らもてんかんの治療を行っている1人。
今日のこのことは「専門職」として捉えたのか、それとも「ピア」の立場で感じ取ったのか?
発作形態を知らないながらも今日みたいな判断ができたのは、もしかしたら両方の立場があったからこそ、こういうことを疑えたのかも知れない。

そんなこともあって、新しいカテゴリー「てんかんとの生活」を追加しました。

2005.07.04

神は見放した?

今日は仕事を休んでお勉強モード。何しろ、最後の解剖学の試験だから・・・
まぁ解剖学に関しては色々とありましたし、自分自身の状態のことを考えると「解剖学」と「生理学」が今後の自分を決める鍵になりそうです。成績ウンウンより、授業を受けた結果自分がどのような状況になるのか、それによって今後の自分の人生も変わっていくことでしょう。今の時点で自分にとって「誘発因子」として捉えているのが、この「解剖学」と「生理学」ですから・・・後期にはそれぞれの「実習」があるから、それに耐えられるかが、今後を決めることになるのでしょうね。

とまぁ発作のことは別にして、とりあえずはテスト勉強が第1。
昨日までにすべてのまとめを終わらせて、今日はその確認作業。気管の構造、小腸と大腸の違い、肝臓の血液循環、肺のこと・・・などなど、色んなことを頭の中に叩き込む状態。
だってねぇ、2週間で授業の休憩をほとんど入れずにすっ飛ばしながら授業を行ったんだから・・・もう脳細胞も若くないし、そんなにはいらんよぉ・・・(-_-)zzz

で、時間もそろそろ学校に行く頃に。外を見てみると・・・おぉ、雨、降ってないじゃん。
これなら自転車でいけるかも・・・と思ったが、ケータイで天気を見ると「今後の傘の必要性」と書かれていたため、バスに乗って学校に行くことに。
しかし・・・バス停に到着して再びケータイで天気を見ると・・・帰る頃の時間までにはギリギリ雨が降らない予想に。
うーん、判断に迷うところ・・・今は雨が降ってないし、予報どおりに行けば雨に降られずに学校に行ける。
自転車を使えば、帰りは歩いて帰ることもなく自転車で帰れる・・・で、今は雨が降ってない・・・

と言うことで、バス停に行ったものの、自宅に引き帰して自転車で行くことに。
学校に行くまでは雨に降られることもなかった。途中のほんの短い休憩時間の間に外を確認した時も、雨は降っていない。
そして授業が終わって帰るときの外の状態は・・・雨、降ってない!

ヨッシャー!神は見放さなかった。予想的中。自転車で学校に行ったのは正解でした。



と、ここまで良かったのですが・・・
「ラッキー、ラッキー」と自転車をこいでいると、突然顔面に「ポツッ」と当たるものが・・・嫌ァ~な予感・・・
案の定、雨は段々強くなって、自分も必至に自転車をこぐ。
しかし・・・時既に遅し、ビョショ濡れになって帰宅。あぁ、神は見放していたのか・・・

まぁせめてもの救いとして、最近買ったばかりのトートバックが濡れなかったことかな?
「万一」のことを考えて、だいぶ前に買ったリュックで学校に行ったから、別にリュックが濡れることには何ら抵抗もなかった。服も長袖を着ていたし、特段新しいものを身につけていたわけではなかった・・・あ、キーホルダーは昨日買った新品だったけど、ズボンのポケットの中だったから無事。
そーいえば今度のキーホルダー、ちょっと珍しいから、時間があったら一度ご披露でもしようかな?ファスナー付きだし。(笑)

2005.07.03

ちょっとだけ、モデルチェンジ。

あぁ、憂うつだ・・・明日はテスト。ほんとにイヤだぁ・・・

と言いながらも、久しぶりにちょこっとだけblogをイジってみました。
今までは「黄緑に近い緑×白」でしたが、今回は「エメラルドグリーン×水色」の、若干の夏バージョンにしてみました。
如何せん、blogを書いている人間が暑苦しいですから、せめてblogだけでも爽やかにいきたいもので・・・(^_^;)
それに、メインのHPの更新を停止したことも、今回のblogデザインチェンジのきっかけになりました。今までは「HPの一部」としてblogがあったので、blogのデザインも極力HPへの配色の整合性を気にしながら作っていました。ただ、もうそのことを気にする必要もなくなったので、思い切って配色を変えてみました。

で、本当ならデザインプレートを使用したかったのですが・・・
何しろこのblog、文章が多いこと多いこと、おまけに画像も扱うから「記事面」を可能な限りblogで占めたい。しかしデザインプレートを使用してしまうと、そういった部分の変更ができないことが判明。
なので、泣く泣く元々のテンプレートの配色チェンジに留まったわけです・・・(;_;)

それと配色が「2色」と言うのもポイントで・・・
このblog、仕様上は「両側サイドバー」にしているのですが、それにあわせて配色を組み合わせてしまうと・・・
なんと、タイトル下に自分が想定していない配色が現れてしまうので。「そんなところに、その色はいらない~い!」って感じで。
そのため、結果的に2色配色となってしまっているのです・・・まぁしばらくはこのデザインで様子を見て、「やっぱり気に入らないかも・・・」と思ったら、問答無用にデザインチェンジをしてしまいましょう。(笑)

そして・・・既にお気づきの片もいると思いますが、右側にちょっとした「バナー」を付け加えてみました。
バースデーイブ」とのこと。芸能人のページで結構見かけていたので「何のこっちゃ・・・」と思っていました。「誰も誕生日を祝ってくれないから、私を祝え~!」ってくらいのノリかな、と思っていました。
ただ、「バースデーイブ」のコンセプトは、そういうものではないみたいです。

祝福される誕生日の前日に、今日まで生きてきた自分へ、支えてくれた人々へ、新しい年齢を迎えられることの喜びと感謝をあらためて思いやる。 そうすることによって、自分が今ここにいること、いられること、たくさんの人に出会えたこと、少し大げさに言えば「命」について思いをはせる時間が生まれるのではないか。そう考えました。

今、命を軽視するような悲しい事件が次々と起きています。
ありがとうを伝える日「バースデーイヴ」という一日が、皆が本当は心の中に持っている大切なものを思い出すささやかなきっかけになればと思っています。
それは、「ありがとうの気持ちを思い出す日」と言いかえてもいいかもしれません。

毎日、世界中のどこかで感謝の声が聞こえる。
不満や憎しみではなく、感謝したいことのひとつひとつを思い出してみる。
ぜひ、「バースデーイヴ」プロジェクトにご賛同ください。
急に世の中は変わらないけれど、大切なことは、ひとりひとりの心の中から始まると信じています。
私たちは 「バースデーイヴ」のコンセプトを多くの皆さんに呼びかけ、この動きを日本全体、そして地球社会全体に広げていきたいと考えています。

誕生日の前の日は、「バースデーイヴ」。
「おめでとう」と言われる前に、
「ありがとう」を伝える日。
育ててくれて、ありがとう。
いてくれて、ありがとう。
家族や恋人、友人に、自分の思いを伝える日。
新しい誕生日を迎えられるのは、
あなたがいてくれたから。あなたに出会えたから。
そして、今ここにいる自分にも、感謝。
「バースデーイヴ」。
それは、すべての人に訪れる、心の記念日です。

自分にとってのポイントになっているのは
・命を軽視するような悲しい事件が次々と起きている
・今日まで生きてきた自分へ、支えてくれた人々へ、新しい年齢を迎えられることの喜びと感謝をあらためて思いやる
・「ありがとうの気持ちを思い出す日」

正直、今の自分は「ありがとう」を素直に言えない状態だと思います。
今までの経緯もあって、表向きには何事もなかったかのように立ち振る舞っているけど、でも実は内心では自暴自棄の状態になっているのかもしれない。
でも事実として、自分を支えている人がいるがいる。自分の近くにも、そして自分の遠くにも・・・そんな人たちに素直に「ありがとう」が言えるようになれれば・・・

今の自分に、自分の人生を共に支えあう人はいませんが、でも「今の自分」を支えている人がいることは感じています。言い換えれば、自分がその立場に立ったからこそ「支えてくれる存在」の大切さを強く感じたのかもしれません。

あなたがいてくれたから。あなたに出会えたから。 そして、今ここにいる自分にも、感謝。

そうなれるように・・・の願望も込めて、今回自分のblogにもバナーを設置させていただきました。
自分の誕生日は11月1日、よって「バースデーイブ」は10月31日。その日までに「ありがとう」が言えるようになれれば・・・と思っています。
バースデーイヴ

2005.07.02

コトバ★「欠格条項」

今日のコトバは「欠格条項」です。
既に以前に「このことについては取り上げる」と話しましたが、早速取り上げたいと思います。ただし「欠格条項」に関して1回の記事だけで話をするのは到底不可能なことでありますから、少しずつお話していけたら・・・と思っています。
また今回のコトバに限らず、比較的このblogで取り上げている内容の多いもの(児童福祉司・虐待・社会福祉士・てんかんなど)については、いずれカテゴリー分けをしていきたいと思います。今回「欠格条項」として話すのは、ほんのアウトライン的なことで、あんまり突っ込んだ話はしません。単純に「知識のひけらかし」と思ってください。

欠格条項について話す前に・・・この社会にはたくさんの「資格」があります。その中でも「法律に基づいた資格」(医師・弁護士・作業療法士・社会福祉士など)と「法律に基づかない資格」(福祉住環境コーディネーターなど)に分けられます。そして「法律に基づく資格」の多くが「国家資格」と呼ばれるものであります。

さて、国家資格をこれから目指そうとしている方は、目指す資格の「根拠法」を一読しているはずです。例えば私の場合は社会福祉士ですので、根拠法は「社会福祉士及び介護福祉士法」にあります。
そして資格に関する根拠法には、必ずある事柄について書かれています。それが「欠格条項」です。

例えば「社会福祉士及び介護福祉士法」では「欠格事由」として次のように書かれています。

社会得福祉士及び介護福祉士法第3条
次の各号のいずれかに該当する者は、社会福祉士又は介護福祉士となることができない。
 1.成年被後見人又は被保佐人
 2.禁錮以上の刑に処せられ、その執行を終わり、又は執行を受けることがなくなつた日から起算して2年を経過しない者
 3.この法律の規定その他社会福祉に関する法律の規定であつて政令で定めるものにより、罰金の刑に処せられ、その執行を終わり、又は執行を受けることがなくなつた日から起算して2年を経過しない者
 4.第32条第1項第2号又は第2項(これらの規定を第42条第2項において準用する場合を含む。)の規定により登録を取り消され、その取消しの日から起算して2年を経過しない者

(※「第32条第1項第2号又は第2項・第42条第2項は「登録の取り消し」に関する条文)

また私が今目指そうとしている作業療法士にも「理学療法士及び作業療法士法」で「欠格事由」として次のように書かれています。

理学療法士及び作業療法士法第4条
次の各号のいずれかに該当する者には、免許を与えないことがある。
 1.罰金以上の刑に処せられた者
 2.前号に該当する者を除くほか、理学療法士又は作業療法士の業務に関し犯罪又は不正の行為があつた者
 3.心身の障害により理学療法士又は作業療法士の業務を適正に行うことができない者として厚生労働省令で定めるもの
 4.麻薬、大麻又はあへんの中毒者

そして医師の場合は「医師法」によって次のように書かれています。

医師法
第3条 未成年者、成年被後見人又は被保佐人には、免許を与えない。
第4条 次の各号のいずれかに該当する者には、免許を与えないことがある。
 1.心身の障害により医師の業務を適正に行うことができない者として厚生労働省令で定めるもの
 2.麻薬、大麻又はあへんの中毒者
 3.罰金以上の刑に処せられた者
 4.前号に該当する者を除くほか、医事に関し犯罪又は不正の行為のあつた者

ここまできたら、色んな法律の「欠格条項」を見てみましょう。
医療関係の代表的な資格として「看護師」もあります。これは「保健師助産師看護師法」(通称保助看法)という資格に規定されているもので、保助看法の欠格条項は次のように規定されています。

保健師助産師看護師法第9条
次の各号のいずれかに該当する者には、前2条の規定による免許(以下「免許」という。)を与えないことがある。
 1.罰金以上の刑に処せられた者
 2.前号に該当する者を除くほか、保健師、助産師、看護師又は准看護師の業務に関し犯罪又は不正の行為があつた者
 3.心身の障害により保健師、助産師、看護師又は准看護師の業務を適正に行うことができない者として厚生労働省令で定めるもの
 4.麻薬、大麻又はあへんの中毒者

(※「前2条の規定」とは、「国家試験に合格しなければならない」ということ)

また国家資格ではありませんが、私たちの生活に非常に密接な関係を持つ「運転免許」も「道路交通法」にてものすごく細かく規定されています。正直、読むのが面倒なくらいなので、なるべくコンパクトにまとめて・・・(笑)

道路交通法第88条(免許の欠格事由)
次の各号のいずれかに該当する者に対しては、第1種免許又は第2種免許を与えない。
 1.大型免許にあつては20歳に、普通免許、大型特殊免許、大型二輪免許及び牽引免許にあつては18歳に、普通二輪免許、小型特殊免許及び原付免許にあつては16歳に、それぞれ満たない者
 2.第90条第1項ただし書の規定による免許の拒否をされた日から起算して同条第7項の規定により指定された期間を経過していない者若しくは免許を保留されている者又は同条第4項の規定により免許を取り消された日から起算して同条第7項の規定により指定された期間を経過していない者若しくは免許の効力を停止されている者

 3.(省略)
 4.(省略)

道路交通法第90条(免許の拒否等)
公安委員会は、前条第1項の運転免許試験に合格した者に対し、免許を与えなければならない。ただし、次の各号のいずれかに該当する者については、政令で定める基準に従い、免許を与えず、又は6月を超えない範囲内において免許を保留することができる。
 1.次に掲げる病気にかかつている者
  イ 幻覚の症状を伴う精神病であつて政令で定めるもの
  ロ 発作により意識障害又は運動障害をもたらす病気であつて政令で定めるもの
  ハ イ又はロに掲げるもののほか、自動車等の安全な運転に支障を及ぼすおそれがある病気として政令で定めるもの
 2.アルコール、麻薬、大麻、あへん又は覚せい剤の中毒者

 3~6(今回の内容に直接関係ないので、省略)
 7.第102条第3項の規定による通知を受けた者(→第90条に関して臨時適性検査の通知を受けた者)

で医療関係の資格として「薬剤師」があり、これは「薬剤師法」によって規定されています。

薬剤師法
第4条(絶対的欠格事由) 未成年者、成年被後見人又は被保佐人には、免許を与えない。
第5条(相対的欠格事由) 次の各号のいずれかに該当する者には、免許を与えないことがある。
 1.心身の障害により薬剤師の業務を適正に行うことができない者として厚生労働省令で定めるもの
 2.麻薬、大麻又はあへんの中毒者
 3.罰金以上の刑に処せられた者
 4.前号に該当する者を除くほか、薬事に関し犯罪又は不正の行為があつた者

色んな法律の「欠格条項」を読んで貰いましたが、何か気づいたこととかありますでしょうか?
一番わかりやすいのは、最後の「薬剤師法」ですね。そう、「絶対的欠格事由」と「相対的欠格事由」です。

医師法の場合ははっきりと書いていませんが、条文を読めばすぐわかります。第3条が「絶対的欠格事由」、第4条が「相対的欠格事由」です。その他の法律に関しては、「絶対的欠格条項」または「相対的欠格条項」のみとなっています。(社会福祉士の場合は「絶対的」、作業療法士・看護師は「相対的」)

さて、なぜ「絶対的欠格条項」と「相対的欠格条項」と分けて書いてあるのか。
それは障害者に対して種々の資格が「障害者」であると言うことだけでその資格を取得できない、つまり「欠格者」とされてきました。事実、法令には欠格事由として「障害者」「○○障害を有する者」と言う表現において、その資格を遂行する能力があっても、その障害のために資格・免許を与えられないと言う現実がありました。

その壁を打ち破った人の1人に、早瀬久美さんがいます。
早瀬さんは薬剤師試験に合格しながらも、欠格事由を理由に免許が交付されませんでした。しかし早瀬さんとその多くの人の運動によって2001年に薬剤師法が改正(上述の条文のように)され、薬剤師免許を受けることができました。(早瀬さんの特集に関しては、こちら

「障害者」であることを理由にした「欠格条項」を持つ資格は、薬剤師や医師、作業療法士などのほかに、非常に多くありました。しかし早瀬さんの運動で、国が動き出し、その結果として「障害者に係る欠格条項の見直しについて」と言う決定がなされ、医師や薬剤師、そして自分が目指そうとしている作業療法士も見直しの対照され、これまでの「絶対的欠格」と言う考えから「相対的欠格」の考え方に変わったのです。実際に障害があったとしても、業務を行うことに支障がなければ資格・免許を与える方針へ「ようやく」転化したわけです。その結果、早瀬さんは薬剤師免許を取得したのです。記事を読ませていただくと、薬剤師試験に合格して3年経ってから免許が与えられたとのこと。長い3年だったと思います。

補足ですが、国家資格は「登録」をされて初めて「免許・資格」が与えられるのです。上述で「3年経って」と書きましたが、国家資格取得の流れはまず国家試験に合格することであり、試験に合格すると「資格を申請する資格を有した」と言うことになるのです。つまり国家試験を受けて合格しただけでは国家資格は与えられず、合格した後に「登録免許税」(資格によって金額は異なる)の金額分の収入印紙を添えて「登録申請」を行い、申請の審査を通って免許・資格が与えられて初めて「国家資格」を取得したことになるのです。

ちょっと長くなってしまいましたが・・・また改めて話すことにします。
(なにせ、この記事を書くのに2時間半もかかってしまっているので・・・汗)

2005.07.01

内容にも気をつかう・・・

今日は2コマ目の授業が休講。よって早く帰宅・・・とは言え、書き込み時間帯はいつもと同じです。
なにせ、解剖学のテストが目前に迫っているもので・・・
おまけに、来週の金曜日は英単語テスト、それも今までやった全範囲・・・ヒジョ~に大変な状況。
(ってか、blog書く暇があれば勉強しろよ、って突っ込まれそうだけど・・・)

と、このblogを書きながら、別のblogも読みながらの同時並行作業をしています。
誰のblogかと言うと・・・利用者さんのblog。仕事上の話の中で「日記」の話題となり、その中から「ブログを使って、養護学校時代の先生にも読んでもらっている」とのことで開設をしたとのこと。

えーと、もちろんこれらの詳細は仕事上知りえた事実であるので、守秘義務が発生。
なのでこれ以上の詳しいことはお話できません。もちろん、その利用者のblogを紹介することも「仕事として関わっている」以上は、ご紹介できません。
まぁ一個人としてであればご紹介はしたいのですが・・・

うーん、こう言うときに「難しさ」を感じますね。
3月までは公然と「業務内容」を書いており、もちろん特定できない形での公開をしていましたし、不特定多数にわからないような形での「社会福祉士」としての紹介をしてきました。

しかしこの4月から「個人情報保護法」が施行され、ウカツに仕事のことは書きにくくなってしまいました。
もちろんこのことも同様で、本当は「色んな世界を提供してあげたい、見てもらいたい」という「援助者の気持ち」としてはあるのですが、その一方で「一歩間違えたら個人情報の漏洩」につながってしまうため、なかなか「援助者としての気持ち」と「職務従事者」としての整合性がとりにくい状態です。

既にお気づきの片もいらっしゃると思いますが、4月になってからblogの傾向が変わってきていることがお分かりでしょうか?
もちろん自分が「てんかん」に直面した事実や「仕事と学生の二束のわらじ」と言うものありますが、一番大きいのは「個人情報」への配慮ですね。今までの場合は純粋に「仕事をしていた内容」を書いていたので、特段「個人情報」につながるものは少なかったです。(事例として挙げたことはありますが・・・)しかし今の仕事の内容をそのまま書いてしまうと、その仕事そのものが「個人情報」と化してしまうため、仕事のことについて書くときは、かなりその内容に慎重になっています。とりわけ、事業を運営している法人が法人なので、その辺はかなり厳しい部分があるので、「業務内容」を取り上げる時はかなり内容に気をつかないながらの書き込みとなっています。

とはいえ、このblogのスタンスは基本的には変わりません。
「社会福祉士ってどんな仕事をしているの?」と言うことを知ってもらうことが、本来の目的です。
なかなか今の仕事内容に触れられない部分が辛いのですが、極力、自分に無理のかからない範囲での紹介をすることができれば・・・と思います。

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