心が洗われた瞬間
昨日の記事を受けて・・・というわけではないのですが。
一応の心の整理はついているものの、自分に対して本当に正直になっているのか・・・と言ったら、ちょっと「?」な部分があります。でも周りが気を使っていること・・・特に母親に対して気を使わせていることを感じると、いつまでも気を使わせてしまうのは申し訳ない、と感じてしまう。だから少しでも気を使わなくて済むように、自分もしっかりしないとなぁ・・・とつい思ってしまう。
で、久しぶりに親戚の家に行った。診断を受けて以来、職場と学校に行く以外で外に出るのは初めてのこと。必要最低限の外出しかしていなかったため、軽い引きこもり状態であった。ただ、今日は少しだけ気分が乗ったので、外出することに。
でも、外に出てもなかなか気分は上がってこなかった。なんとなく、心に雲がかかった感じ。
そんな中、途中でトイレに行きたくなって、トイレに行った。
トイレに入り、便座に座ってふと前を見ると、ある言葉がかかっていた。
体験してはじめて身につくんだなあ
書いてあったのは、「相田みつを」の作品集。作品集と言うより、作品を素材にした日めくりカレンダー。
でも、たった短いこの言葉に、自分の心が洗われた気持ちになった。この前の「コトバ★てんかん」で、障害の受容に関して自分は次のように書いていた。
今まで散々「障害の受容」と言うことを言ってきた自分が、いざ自分のことになると受容できていなかった現実。いかに自分が絵空事のように「受容」と言う言葉を使ってきたかと言うことを思い知らされました。もちろん自分の中に「受容できている自分」と「受容できていない自分」がいたのは事実。
「福祉援助者としての自分」はてんかんのことも知っているし、そんなに大きな病気ではないことを理解しているから「社会福祉士」としての自分は障害に対して受容はできていた。でも「1人の個人としての自分」は「てんかん」と言う言葉を聞いてショックを受け、何もかもを失ってしまったかのように錯乱し、そして深いうつ状態に陥っていた。
そこには、「受容」と「拒否」の「二人の自分」が存在していた。
相田みつをの「体験してはじめて身につくんだなあ」は、まさに「障害の受容」に関して、自分に教えられている気持ちになった。今まで何の障害もなく生活してきて、障害を持つ人に対しての支援を職としてきた自分。しかし、いざ自分が「病気」と言う障害を持ったときに、それをなかなか受け入れることのできない自分がいた。口では「受容」と言う言葉をかかげながらも、いざ自分に対しては受容が受け入れられていなかった現実。そしてようやく前向きになろうとしていた時に目にした、この言葉。
本当にそうなんだなぁ・・・とものすごく実感しました。
たった数行の短い文章、でもその数行にものすごく意味が込められている。この言葉は、まさに今の自分を言いえているものだった。
たった1つの言葉。でもその言葉が、心を癒す効果がある。
些細な出来事ですが、これをきっかけに相田みつをに興味を持ってみました。
明日にでも、本屋に行って本を買って来ようかなぁ・・・と思います。
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