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思ひ出アルバム

  • 卒業式が終わって・・・
    以前HPで行っていた「todya's photo」の写真や「御岳写真館」で使用していた写真を再び復活させるべく、「思ひ出アルバム」として随時更新していきたいと思います。また最近の写真でも「思ひ出」となるものについては、ここに納められていくことになるでしょう。

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2005年4月

2005.04.30

コトバ★「カスタムジャケット」

今日のコトバは「カスタムジャケット」。
ハッキリ言います。今日は「コトバ」じゃありません。単にこじつけているだけの事です。
何故かって・・・このblogのサーチワードの中で「カスタムジャケット」でサーチする人が意外と多いからです。

どーして「カスタムジャケット」でヒットするのか?
きっと理由の記事はこの記事この画像付き記事なんだろうなぁ・・・

そう、カスタムジャケットといえば、FOMA・P90xシリーズの目玉でもある「着せ替えケータイ」のアイテム。
P純正のカスタムジャケットから様々な種類のジャケットが発売されている。中にはジャケを自作する人もいて、まさに「個性を重視」できるケータイの1つ。この点、個人的にものすごく大好きなんです。人と違ったことをしたい自分にとっては、カスタムジャケットはホントに楽しいものです。
このカスタムジャケットが好評なのか、P900に続きP901でもカスタムジャケットが採用されています。で、自分もジャケ使用者の1人。TDRに行った時に2枚ほど衝動買いをしてしまい、クリスマスバージョンのジャケを使っていました。
P1000294.JPG

しかし、個人的に思う「P」の難点が・・・それは、不具合が多い?
実のところ、Pを買ってからと言うもの、バイブが動かないのです。あまりのことの一度ショップに持っていったところ、原因不明との理由で新しいPと交換した貰った経緯があります。でも交換後も、やっぱりバイブ不良は現れ、ハッキリ言って「使ってられねぇ~」と言う感じです。また、以前にPを使っていた友達も「壊れやすいんだよぉ」との情報が・・・そのため、個人的にはPを好きになれないのです。たしかにカスタムジャケットは魅力的なのですが・・・
なので、個人的にはPはポンコツのPと呼んでいます。P900は「ポンコツ900と・・・(笑)

と言うわけで、カスタムジャケットに名残を惜しみつつ、1年が経過したので新機種導入です。
今回選んだのは「D901」。正直新機種投入は早まったかなぁ・・・との感もありますが、母親のケータイもなんとなく不調なので、「アンタが変えるのなら、私も変えるよ」との一声で、投入と相成りました。
母親も「変えるのであれば最新機種を・・・」と言うことで、901シリーズからどれを選択するか、と言うことになったのですが、最後まで悩んだのはNにするか、それともDにするかと言うこと。「ポンコツのP」の時点でPはノー眼中。でFとSHは「伸びないアンテナ突起」に気になるので、これも却下。となると、NかDと言うことになるのだが・・・一番の決め手になったのはスペック。ショップのおねーさん(今日は「おねーさん」だったかな・・・爆)も「スペックでは断然にDの方が高いですね」とのこと。Nはどちらかと言うとデザイン重視、ということで、Dに決定。
たしかにDに全く気にならないところがないといえばウソになる。スライドオープンとキー配列が気になったのだが・・・まぁこれは「慣れ」に任せることにして、スペック重視で今回はDに決定。
ちなみにDの使用は・・・ドコモでは初めて。もっと昔まで辿ると・・・初めて買ったケータイの時が、いわゆる「D」と言うものであろう。ちなみに初めてのケータイは「J-phone」の時代。(笑)

で、今は新しいケータイと格闘中。でもこんなにケータイが増えちまって・・・どーするんだ、一体・・・(汗)
あ、505は「デュアル対応」のために残してあるけどね・・・でも、ポンコツは・・・ねぇ。
P1000343

2005.04.29

心が洗われた瞬間

昨日の記事を受けて・・・というわけではないのですが。
一応の心の整理はついているものの、自分に対して本当に正直になっているのか・・・と言ったら、ちょっと「?」な部分があります。でも周りが気を使っていること・・・特に母親に対して気を使わせていることを感じると、いつまでも気を使わせてしまうのは申し訳ない、と感じてしまう。だから少しでも気を使わなくて済むように、自分もしっかりしないとなぁ・・・とつい思ってしまう。

で、久しぶりに親戚の家に行った。診断を受けて以来、職場と学校に行く以外で外に出るのは初めてのこと。必要最低限の外出しかしていなかったため、軽い引きこもり状態であった。ただ、今日は少しだけ気分が乗ったので、外出することに。
でも、外に出てもなかなか気分は上がってこなかった。なんとなく、心に雲がかかった感じ。

そんな中、途中でトイレに行きたくなって、トイレに行った。
トイレに入り、便座に座ってふと前を見ると、ある言葉がかかっていた。


体験してはじめて身につくんだなあ


書いてあったのは、「相田みつを」の作品集。作品集と言うより、作品を素材にした日めくりカレンダー。
でも、たった短いこの言葉に、自分の心が洗われた気持ちになった。この前の「コトバ★てんかん」で、障害の受容に関して自分は次のように書いていた。

今まで散々「障害の受容」と言うことを言ってきた自分が、いざ自分のことになると受容できていなかった現実。いかに自分が絵空事のように「受容」と言う言葉を使ってきたかと言うことを思い知らされました。

もちろん自分の中に「受容できている自分」と「受容できていない自分」がいたのは事実。
「福祉援助者としての自分」はてんかんのことも知っているし、そんなに大きな病気ではないことを理解しているから「社会福祉士」としての自分は障害に対して受容はできていた。でも「1人の個人としての自分」は「てんかん」と言う言葉を聞いてショックを受け、何もかもを失ってしまったかのように錯乱し、そして深いうつ状態に陥っていた。
そこには、「受容」と「拒否」の「二人の自分」が存在していた。

相田みつをの「体験してはじめて身につくんだなあ」は、まさに「障害の受容」に関して、自分に教えられている気持ちになった。今まで何の障害もなく生活してきて、障害を持つ人に対しての支援を職としてきた自分。しかし、いざ自分が「病気」と言う障害を持ったときに、それをなかなか受け入れることのできない自分がいた。口では「受容」と言う言葉をかかげながらも、いざ自分に対しては受容が受け入れられていなかった現実。そしてようやく前向きになろうとしていた時に目にした、この言葉。

本当にそうなんだなぁ・・・とものすごく実感しました。
たった数行の短い文章、でもその数行にものすごく意味が込められている。この言葉は、まさに今の自分を言いえているものだった。

たった1つの言葉。でもその言葉が、心を癒す効果がある。
些細な出来事ですが、これをきっかけに相田みつをに興味を持ってみました。
明日にでも、本屋に行って本を買って来ようかなぁ・・・と思います。

2005.04.28

治療開始

コトバ★てんかん」と「もやもや感」に色んなコメントを頂き、ありがとうございます。本来ならリアクションを起こすべきなんだと思うんですけど、まだハッキリとしたことが言えなかったので、コメントだけ頂いていた状態を続けていました。

今日は仕事を休んで、病院に行ってきました。主治医の先生からも説明を受けました。
結論としては「脳波には異常は見られなかったけど、これまでの状態を見る限りでは、てんかんの可能性がある」と言うことでした。100%てんかんではないものの、その可能性も残っており、予防的観点からも服薬での治療を始めていきましょう、と言うことで今日から服薬が始まります。

Drからは「今回はてんかんの波が出なかったけど、目覚めている時に波を捉えるのは難しい。今回は結果的にシッポをつかめなかっただけかもしれない。一番いいのは発作が起きているときの波を捉えるのが一番だが、それはなかなか難しい。もちろん、てんかんではないかもしれないけど、てんかんが潜んでいることも考えられる。」とのことでした。結局のところ、てんかんであるか否かは「グレーゾーン」といったところかもしれません。

ただ最近の状態をDrに伝えると「自律神経が起因している可能性もある」と指摘を受けました。
実はDrの診断を受ける前に、学校の先生(肩書きはDrの人)にてんかんについて「(自分が見たくない・目を背けたい・グロい)映像や情報が発作の誘引刺激になり得るのか?」と質問すると「その人にとって強いストレスと感じるようなものであれば、それはあり得る」とのことだった。
そして今日はDrにこの1週間の気分や状態について話すと「自律神経のバランスが崩れている部分もあるのかなぁ・・・」とのこと。

そこで使用する薬の選択の話になったのだが、最初は「デパケン」を考えていたとのこと。
しかし最近の自分の状況を話したところ、薬辞典を見ながら「リボトリール」と言う薬を選択した。この薬もデパケン同様「抗てんかん剤」の1つ。ただ薬の説明の中で「この薬は抗てんかん剤だけど、自律神経を整えるためにも処方することがあるとのこと。色々と説明をしてくれたので、一応は納得して診断を受け止めることにしました。

結局のところ、今回のがてんかんなのか、そうでないのかはハッキリしませんでした。
ただ薬を飲むことによって、今の不安定な状態が安定するのであれば、また発作をうまく抑制することができるのであれば、それは自分にとって良いことであるので、まずはこの治療を受けていきたいと思います。その上で、今後どうして行くのかを考えていきたいと思います。

今回の件に関してコメントを頂いた皆さん、本当にありがとうございます。
これから自分の気持ちに合わせて徐々にレスを付けていくことになると思いますが、すべてのコメントには目を通しております。色々と不安になっている自分に対して情報を教えていただいたり、励ましを頂き、大変感謝しています。もちろんまだ完全な状態には戻っていませんし、心から気持ちが安定しているか・・・といえば、それはウソになりますが、でもこれは自分に与えられた「運命」と思い、真正面から立ち向かっていくしかないのかもしれません。福祉の専門職としては自分の現状を受け入れているつもりなのですが、一個人となった時にはまだ受け入れられていない自分がいるのかもしれません。
でもこれからは、一個人としての自分も現実をありのままに受け止め、前向きにやっていこうかなぁ・・・と思い始めています。

きっとすぐに「前向きになりました」とは言えないかもしれませんが、徐々に自分のペースに戻していきたいと思います。
多分これからもこのblogで弱気な一面や、かなり気分が落ち込んでいる日があるかもしれませんが、それもまた「今日のMitakeの姿」と思っていただければと思います。

2005.04.27

とりあえずは、明日。

ふぅ、何か疲れちゃった・・・今日も授業中危なかったし、少しだけ・・・。

色々とコメントを頂いていて、ちょっと返していない状態が続いています。
明日は仕事を休んでいるので、明日ぐらいにも何らかの形でお返しできると思いますので・・・

なので、今日はこんな感じで勘弁してください。
すべては、また明日次第・・・ということで。

いや、でも・・・7.18のNOAHに行きたいなぁ・・・
小橋vs健介、三沢vs川田、共に無制限1本・・・ヨダレもんだよ、ホントに。(笑)

2005.04.26

心理の推測

ようやく最近になって、少しずつ仕事のことも書けるようになりました。
仕事の内容が変わった、と言うことも話していますが、やはり利用者の特性もだいぶ違います。前の授産では単純知的障害の利用者が多く、ほとんどの利用者が言葉を使ってコミュニケーション(言語的コミュニケーション)が可能な利用者がほとんどでした。しかし今の施設は自閉傾向の強い利用者が多く、そのため「言葉と言葉」をキャッチボールして行うコミュニケーションが難しい利用者が多いです。

そのため彼らが「何を考えているのか・思っているのか」は言葉として確認することはできません。
職員が判断する時は、表情や声質、あるいは行動や体の強張りなどから「推測」するしかないのが現状です。もちろん言葉を介するコミュニケーションが難しくても「ジェスチャー」などで返してくれる、いわゆる「非言語的コミュニケーション」によって意思疎通が可能であればそれで良いのですが、非言語的コミュニケーションでも明確に意思疎通が難しい場合は、やはり推測に頼らざるを得ません。

今日はこんなことが。
午前中は「作業」と称して、紙ちぎりをやりました。で自分が担当したのは多動の利用者。
椅子に座っていることができず、常にフラフラとしている状態。なおかつ、作業に対しての意欲は薄い。
そして言語によるコミュニケーションが困難で、自閉傾向の強い利用者。

さぁ、どうやってこの利用者に関わっていくか・・・って、ほとんど関わりは困難でした。
「関わる」と言うこと以前に、利用者と自分との間に何も関係が存在していない、と言うのが一番大きいかもしれません。何しろこの利用者と関わる回数は著しく少なく、関わっているのは部屋での見守りの時ぐらい。だから利用者にとっては「オマエは何者だ?」ぐらいにしか思っていないのかもしれません。
案の定、情報どおりこの利用者は椅子に座ることなく歩き回り、作業とは全く関係のないこと・・・つまり本人が落ち着く「遊び」に終始して終わりました。もちろん、微々たる作業は参加してもらいましたが・・・。

この利用者に対して全体で総括してしまえば、基本的に「作業はしたくない」と言うのが大きな結論かもしれません。で、何故作業をしたくないのか、と言うことを推測すると・・・

1.作業そのものをやりたくない→「作業」よりも「遊び」と言うこと。
2.その作業自体に関心がない→他のことなら関心を持つ可能性あり。
3.作業をしたところで、自分に対しての見返りがない→作業しても、「ニンジン」となるものがない。

ぐらいが考えられる。2のパターンは、基本的に考えにくい。と言うのは、施設では「作業」以外のプログラムに様々なものを用意している。しかしいずれのプログラムに関してもあまり関心はなく、とりあえず動いている・・・という感じ。「作業よりかは・・・」と言うのはあるかもしれないが、基本的には「関心が薄い」と言った方が正しいかもしれない。
ならば・・・ということで、3のパターンを確認するために「紙を切ったら、好きな遊び」と言う形を取ってトライしてみたが、結果的には作業をしようがしまいが、本人にとっては「お構いなし」の状態。別に紙を切ったから・・・という次元で考えているのではなく、モチベーションにも何にもなっていないという感じ。
となれば、やはり一番考えやすい推測は1のパターンになると思う。

と同時に「自閉傾向が強い」と言う障害特性も当然理由として考えられる。
作業を無理強いするのは良くないし、意味がないと考え途中で切り上げ、トイレ誘導を行ったが行こうとせず、遊びに夢中だった。どうにも行かなくなり他の職員の人に相談すると、その職員の声かけではスムーズにトイレに行った。
その状況から、作業の場面を含めて改めて推測すると、利用者と自分との関係について・・・

1.自分のことを「誰だ、こいつ」と思い、本人にとっては自分のことを「職員」として認識をしない。
 →「見知らぬ人」と考え、無視。
2.一応は「職員」として感じているものの、まだ本人にとっては未知の存在。
 →「よくわからないから怖い」と感じ、自分を安定させるために「遊び」に走る。
3.「新しい職員」を認識をしている。→「こいつなら遊んでもいいや」と思い、無視あるいはナメきる。

が推測されるのかなぁ・・・と思う。
個人的には1と2があるのかな・・・と感じている。と言うのは、自分の声かけでは行かないものの、空間を共にしている時間の長い職員の声かけではスムーズに行く。と言うことは、「普段から慣れ親しんだ職員なら安心してトイレに行ける」と言うのがあると考えられ、その推測からは「1」が当てはまる。と同時に、作業時間中の「遊び」は「よくわからない人と一緒にいる」と言うことへの不安、つまり「普段と違った環境」に戸惑い、その不安を紛らわせるために「遊び」に走っている、と考えられる。そう思えば、「2」の推測も否定できない。
ただ・・・「作業したくない」と言うのであれば、3の「遊んでもいいや」と言う気持ちも働いているのかもしれない。

自閉傾向の強い利用者ほど、普段と違った状態になれば落ち着けなくなるのは当然のこと。
そんな状態で「作業をやろう」と言っても、難しいのは当たり前。さらにただですら多動な利用者に対して「座って作業」と言うのは、利用者にとって見れば拷問そのもの。初めから落ち着いて作業ができていれば、もっと別の施設もあるはずであり、それが難しいからこの施設に来ているはず。だから自分のスタンスとしては、無理強いだけはさせたくない。別に作業をやりたくなければやらなきゃいいし、別のことをやって1日落ち着いて過ごせるなら、それの方がいい。ただ、その中で彼らが「より良く生きる」ことへの方向性や手段を見出していくことが、必要なのであろう。でなければ、施設は単なる「保管所」であり、専門職員なんか不要である。

うーん、何か自分に言っているみたいだけど・・・ホントに支援は難しいです、ハイ。

2005.04.25

腰部強化

新しい仕事を始めて、もうすぐ2週間。
今までだったら2週間があっというまに過ぎてしまっていたのだが、さすがに今回の2週間は長く感じる。もちろん、まだ仕事に慣れていないと言うのもあるし、学校との二重生活に四苦八苦しているところもある。そして今の自分の状態も当然「長いなぁ」と感じさせる要因の1つであろう。

でもホントに、今までと仕事の内容がガラッと変わった。
授産施設では主に「作業の支援」と「担当利用者の目標設定」など、どちらかと言うと頭を使う仕事の方が多かった。だからあまり体力的なことに関しては心配が要らなかった。もっとも、仕事の大部分は公園清掃や古紙回収、時には健康増進のためのランニングなど大部分が「肉体労働」だったけど、体の心配をするほどの仕事はなかった。

しかし今の仕事は完全に「直接処遇」の内容。
何が違うかって、半分は前と同じような「生活支援」が中心だけど、もう半分は「介護業務」となっている。特に今日は、1人で車いすに乗っている利用者の排泄介助を行った。その際に、利用者を抱えあげたり座りなおさせたり、洋服を着せたりすることを久しぶりにやった。
いや、久しぶりではなく・・・初めてかも。

もちろん全く初めて、と言うわけではない。既に他の職員の人と一緒に入ったことがあるのでやり方はわかっていたが、いざ1人で入るとなると、勝手が違う。特にトランスファ(対象者の移動・移乗などのこと)に関しては、「うーん、どうしよう・・・」と試行錯誤しながらの状態。
だって前の施設で、トランスファを必要とするような利用者はいなかったし、その必然性もなかったから・・・

とはいえ、一応はヘルパーを持っているのだから、できないことはない。
それに仮にも「プロ」なんだから、基本的に「できない」は通用しない。もちろん対応方法を見たことがないのであれば多少は致し方ない部分があるけど、一度でも対応を見ているのであれば、やらないわけには行かない。それに利用者さんが「オシッコ」と言っているのに「俺、やったことないし・・・」なんて言い訳は通用しない。「私できないから、できる人が来るまで我慢してください」なんて言ってしまったら、自分が何のためにそこにいるのか意味がわからない。そういう状況に対応できるからこそ、そこにいるのであり、利用者が「必要」と欲すれば職員はやらざるを得ない。だから自分はその利用者の対応を1度しか見てないけど、1人でやった。
資格を持つものであれば、当然の行動。経験年数なんか関係ない。

でもね・・・初めて実務でやったトランスファ、結構大変だね。
きっと変なやり方を続けたら、間違えなく腰にくる・・・あぁ、これは職業病になってしまうかも。
そうならないためにも、もっと腰周りを鍛えておかないとね・・・(笑)

2005.04.24

もやもや感

昨日、色々と長々と「てんかん」のことを書きました。
昨日は状態が状態であったため、母親と一緒に病院に行きました。母親としては、検査結果で「てんかんの脳波は見られなかった」と言うことを聞いて、安心したみたいです。
でも自分は、しっくり来ていないのが本音です。

昨日も話したように、昨日のDrは専門外のDrであるため、カルテを見ながら簡単な説明程度しか受けられず、今週改めてDrに病状の確認に行きます。で、昨日の時点では自分に少しカルテを見せながら説明をしていました。いくら自分が福祉のことやOTを勉強しているとはいえ、ハッキリ言ってカルテの内容までは理解できません。ただ、前回の診断(「てんかん発作の可能性」といわれた時)を受けたときに書かれたカルテの一部分を見ると、自分でも読み取れる文が書いてありました。「EEG」(脳波検査)の文字とよくわからない文字の横に「+」と「-」の表記。さらにプラスの方にはこれまたよくわからない文字があって、マイナスの方には「デパケン服用」の文字。

「デパゲン」とは抗てんかん剤の1つで、てんかん発作予防のために処方される薬の1つ。
たしかに前回の診断で「てんかんではなかったとしても、服薬の必要はし、治療もする必要があるだろう」との話を聞いていた。で、検査結果では「てんかん」は認められない。でも抗てんかん剤の服用は必要・・・かえって消化不良な状態です。

てんかんではない、でも抗てんかん剤を使用・・・
じゃ、俺のこれ(=便宜的に「発作」としよう)は、一体何なのか?
血管迷走性のものではなければ、てんかんでもない。じゃ、この発作は何なんだ?
血管迷走性の診断の決め手は「硬直」と「痙攣」の有無、とDrから言われた。事実、この前の発作では「硬直」と「痙攣」が確認されている。だからDrは血管迷走性を否定した。
しかし今回の検査によって「てんかん」も否定された。となると・・・一体、何?

ハッキリ言って、今の自分は悲観的な方向しか考えられていないかも。
たしかに自分でも「悲観的に考えすぎている」と感じている自分がいるのも事実。もっと前向きになる必要性があることも感じている。でもその反面、原因のわからない今の現状に納得できない自分がいるのも確か。
極端な話、「発作が起きるのはてんかんが原因です」と因果関係がはっきりすれば、今後の方向性についてもなんとなく道筋をつけようと思うことができる。でも因果関係がハッキリしていないと、いつまでも「訳もわからず、また発作が起きるかもしれない・・・」と言う不安を抱え続けることになる。特に、学校でまた何時発作が起きてもおかしくない状態が残っており、「発作が起きるかもしれない」と言う不安を抱く状況を耐えるのが限界にきている。
だから悲観的になり、心の底から気持ちが落ち着かない状態が続いているのであろう。

幸いにも、テレビを見て笑えるようになった。めちゃイケを見て、笑えていた。
その部分で先週に比べて「気持ちの整理」がついてきていることは事実。
整理はできてきた。でも・・・いろんな意味で「支え」になるものは不足しているかも。

まだ、完全に二本足で立てていないみたいです。今はまだ、ハイハイの状態かもしれません。

2005.04.23

コトバ★「てんかん」

1週間経ちました。本当はやらないつもりでしたが、気分を変えてやることにしました。
もちろん、内容も意味のあることです。今回のコトバは「てんかん」です。
何故これを取り上げるのか、その理由はまた後ほど。

★「てんかん」とは?
平たく言ってしまえば、脳内の電気的信号が乱れて失神などを起こす、脳の病気です。
ただこれだけでは語弊・誤解もありますので、詳しい説明を日本神経学会が紹介する「てんかん」の説明を元に話していきたいと思います。

先ほども述べたように、てんかんとは「脳の電気的信号の乱れ」と話しましたが、学会の説明では「脳内の神経細胞の異常な電気的興奮に伴って痙攣や意識障害などが発作的に起こる慢性的な脳の病気」と紹介されています。難しい話になってしまいますが、私たちが体の中で何らかの情報伝達を行う際、そこには「電気」と刺激を用いて情報伝達を行っています。筋肉を動かしたりするのも「電気」が関わってきます。心電図をとる時も、体に電極(タコみたいな吸盤ですね)をつけて心臓の動きを見ていますが、あれも「電気的信号の流れ」を見ているのと同じです。心電図を見て、異常な波形を見つけて狭心症などの診断を行っているのです。

脳にも同じことが言え、脳内において「異常な電気的信号」が発生・あるいは流れることによって意識を失ったり、痙攣を起こす状態の疾病を「てんかん」といいます。

★「てんかん」の診断は?
単に失神したり痙攣することが「てんかん」と言うわけではありません。
てんかんは「脳の病気」と言った様に、診断には「脳波検査」が必要不可欠となります。失神した原因が「脳の電気的信号」によるものなのか、あるいは別の疾患(脳梗塞、脳貧血など)であるのかを判断するためです。てんかんの場合、一般的に脳波検査によって脳波に「棘波」(とげ状の脳波が乱れて記録される)が現れます。通常であれば棘波は出現しません。また脳貧血などでも出現することはありません。これがてんかんであるか否かの大きな判断要素になります。

★てんかんの種類
一般的に「てんかんが起きている状態」のことを「発作」といいます。一言にてんかんと言っても、その発作の種類はいくつかに分けられています。学会の紹介では発作・てんかんの種類(病型)として、次のものが挙げられています。(以下、日本神経学会ホームページから引用)

1.強直間代発作(きょうちょくかんだいほっさ)
全身の痙攣、あるいは脱力などが突然起こることが特徴です。そのうち強直発作はいきなり四肢、頚部、体幹などの筋のつっぱりあるいはこわばりが起こり、このため身体がねじれると同時に意識消失がみられます。間代発作と呼ばれるものも手足が突然に屈曲伸展してガタガタとふるわせる痙攣発作です。これら2種の発作は伴うことが多く強直・間代発作と呼ばれており、多くの場合意識消失とともに全身性強直痙攣が起こり、次いで間代性の痙攣発作へと移行します。発作は数分で治まり、しばらく意識不鮮明やもうろう状態あるいは睡眠に移行したあと正常に返るのが一般的な経過です。

2.失神発作(しっしんほっさ)
子供に多い型で、5~15秒の短い意識消失発作が起こり、そのあいだ患者さんは今までしていた動作を一時的に止めてじっとしており、再びもとの動作にもどります。あまり短いと周囲の人も気づかないことがあり、また学校での授業中ボーとしていると指摘され、不真面目な児童と誤解されることもありますので注意が必要です。複雑欠神発作は意識のない間、意味のない自動運動や軽い筋肉のピクつき、脱力、突っ張りなどを伴う発作です。

3.ミオクローヌス発作
顔面、四肢、体幹などの筋肉に短時間のピクッとした痙攣が起こる型です。脱力発作は頭部、体幹、四肢などの姿勢を保つのに必要な筋肉の脱力が短時間発作的に起こり、そのため患者さんは尻もちをついたり、ガクッと頭を前にたれたりし、同時に瞬間的な意識消失を伴うものです。

4.部分てんかん
意識障害の伴う型と伴わない型があります。痙攣などの運動が身体の一部にみられ、しばしばそれが他の部位に連続的に広がっていく運動性の発作は、口周などに痙攣が始まることが多く、手足→口周→同じがわの身半分→全身などにひろがり、全身に痙攣が及んだところで意識を失うのが一般的です。また身体の一部に起こった異常感覚がほかにひろがる感覚性の発作もあり、腹痛、下痢などの自律神経症状が発作的にみられるようなものもあります。

5.特殊なてんかん
乳児や小児の患者さんにみられることが多く、点頭(てんとう)てんかんと呼ばれるものは、急に頭を前に倒し、下肢を伸ばし、上肢を上方にあげ、胴体を曲げる、いわゆる礼拝に似た動作がみられる発作を起こします。精神的および運動の発達障害がみられることが多く、また原因として全身の病気が関与し、特殊な治療が必要なこともありますので、専門医への受診が早急に必要です。レノックス症候群と呼ばれるものは、2~4歳の幼児に多く小発作としての脱力発作やミオクローヌスを伴った欠神発作が頻発するもので、精神や運動の発達障害があり広範な脳障害によって起こるとされています。脳波が特徴的な異常を示すため診断は比較的容易です。反射性てんかんは、光音、音楽、触覚などさまざまな感覚刺激、あるいは自分の運動、条件反射などにより誘発されるてんかんです。数年前にテレビ番組のポケモンを見て、多くの子供さんに痙攣が起こり話題になりましたが、このてんかんと考えられています。

★「てんかん」と「発達障害」
知的障害者施設などにいかれたことのある方がいましたら、きっと施設内でヘルメットをかぶった人を見かけたことがあるかもしれません。また街中でもヘッドギアのようなヘルメットをかぶっている人を見かけたことがある人もいるのではないでしょうか。ヘルメットみたいな、ヘッドギアみたいな帽子は「保護帽」と呼び、補装具・日常生活用具として一定の障害の状況にある人に対して給付されるものです。保護帽の目的は言うまでもなく「頭部の保護」が目的で、肢体不自由の方にも給付されています。そして知的障害を持つ人に対しても給付されており、てんかんを併せもつ知的障害の人が給付を受けているケースが多くあります。

私も施設に勤務していて、てんかんを持つ利用者と接してきました。しかし「発達障害」とてんかんの間に基本的な因果関係はありません。ここで言う「因果関係」と言うのは、「てんかんを持つ人が知的な障害を持っているわけではない」と言うことです。たまたま「発達障害」とてんかんを併せ持っただけのことであり、一般的に存在する病気でもあります。てんかん患者の数は人口10万あたり約200~300人で、0.5~1%の有病率といわれています。

さて、何故今回「てんかん」を取り上げたのか。この1週間、ネガティブな状態だったのか。
すべては、ここにあります。

昨日の記事で書いた「明日の通院次第」と言う内容、実はてんかん発作の検査結果の確認でした。
結論から言えば、てんかんではないものの、抗てんかん剤の服用を必要とするかもしれません。今日の約束で病院に行ったのですが、担当医が不在だったため改めて通院することになりますが、恐らく治療が始まるものと思います。

休みました。」で書いた泣きっぱなしの状態、あれはDrから「てんかん発作の疑いがある」との診断で、さらに「仮に脳波で異常が認められなくても、服薬などで治療を必要とする」との説明に、ショックを受けていました。その前の「ゴメンなさい」は正に発作と同じ状態が起きていたからです。

「ゴメンなさい」を書いたその日、実は学校で意識を失いました。
授業は生理学、ちょうど人体解剖のVTRが流れている時で、その映像を見て「気を失うかも・・・」と思いながら意識を保っていました。しかし自分の考えとは裏腹に、自分は気を失って倒れていました。そのときに周りのクラスメートから「どんな風に倒れたか」の情報を聞くと、てんかん発作と同じ症状を示していました。
突然後ろに「バタン」と倒れて、体が硬直して、痙攣していた。倒れていたのは30秒から1分くらい。

実は倒れたのは、今回が初めてではありません。
初めて倒れたのは10歳の時。やはり状況は学校の授業中で、先生が話をしているときに倒れていました。まだ回りは子どもなので状況については具体的に把握はできないときでしたが、少なくとも「小学生の時」と「今回」の状況が全く同じであることはわかっていました。
また倒れたのはこのときだけではなく、22歳の時と26歳になった時に2回、意識を失っていました。このときはトイレの中で意識を失っていましたが、どの状況でも共通している自覚症状としては、「目覚めた時に金縛りから解放されるような感じ」と言うことでした。小学校の時と全く同じ状態、これまでに4回の意識消失、さらに26歳になって2度目の意識消失・・・職業上のこともあり、通院することにしたのです。
そして診断されたのが、「てんかん発作の疑い」と言うこと、さらに「いずれにしても服薬が必要」とのこと。

確定ではないものの、正直ショックでした。
今まで自分が「てんかん発作を持つ利用者」と接していたのに、実は自分もてんかんであるかも知れない・・・いわば「ミイラ取りがミイラになった」状態。もちろん職業上「てんかん」についての知識は多少ながら持っているから、てんかんが薬によって適切にコントロールできれば日常生活上は何ら問題がないことは十分に理解していました。しかしそれがいざ自分の問題となると、話が別になっているみたいで・・・「福祉職としての自分」としては理解しているものの、「個人としての自分」としてはその現実が受け入れられていない状態。正直、なんともいえない状態でした。

また対人援助職、直接処遇を業としているものとしての不安があるのは事実。
あるいは、これから作業療法士を目指そうとしているものが、「発作の可能性」を孕んでいることへの不安。仮にてんかんではなかったとしても、今後も続く解剖系の授業に「失神の可能性」を感じながらその現実と向き合わなくてはならない不安。そして「再び、授業中に気を失ってしまった」と言うこと自体へのショック。

作業療法士になるため前の職場を離れ、新しい職場を見つけて働き出し、学校にも進学した。
そんな矢先に起きた、「てんかんの可能性」の診断・・・ものすごく大きなショックでした。
何もかも失ってしまったかのように・・・そして、どうして俺だけがこんな目にあうのだろうか、と言う気持ち。

でもこれだけ大きなショックを受けても、1つだけ学んだことが。
それは「障害を受容するということの難しさ」。今まで散々「障害の受容」と言うことを言ってきた自分が、いざ自分のことになると受容できていなかった現実。いかに自分が絵空事のように「受容」と言う言葉を使ってきたかと言うことを思い知らされました。

もちろん自分の中に「受容できている自分」と「受容できていない自分」がいたのは事実。
「福祉援助者としての自分」はてんかんのことも知っているし、そんなに大きな病気ではないことを理解しているから「社会福祉士」としての自分は障害に対して受容はできていた。でも「1人の個人としての自分」は「てんかん」と言う言葉を聞いてショックを受け、何もかもを失ってしまったかのように錯乱し、そして深いうつ状態に陥っていた。
そこには、「受容」と「拒否」の「二人の自分」が存在していた。

ただ、今はだいぶ落ち着いています。
別に「てんかんではなかった」から落ち着いているというわけではなく、冷静を取り戻しつつある、と言った方が正しいかもしれません。事実、「てんかんではない」と言う診断を受けても、今後抗てんかん剤の服用を検討する内容がカルテには記載されていたし、てんかんではなくとも「今後も授業中に気を失うかもしれない」という不安と戦い続けなければいけない現実があり、決して心から晴れ晴れしているわけではありません。まだまだ不安はいっぱいですし、穏やかな気持ちにはなれません。きっと先行きが全く見えていないからだと思います。

とりあえず、1つの診断が出たので、区切りの意味でカミングアウトしました。
まだ当分この問題は続きますし、引きずりますが・・・こう言う背景があったので許していただければと思います。

2005.04.22

保険証到着

待ちに待った保険証が届いた。
と言うのは、先週病院に行ったときに保険証がなく、結局「自費診療」となってしまった。
その結果支払った額は、1万円近くになり、かなりの痛手となった。おまけに、通院がしばらく続くことにもなっていた。

となれば、また自費診療だけは何とかして避けたいところ。
行く度に万単位の額を支払っては、たまったもんじゃない。でも今日、保険証をもらえた。正直、一安心。

と言うのは・・・明日、通院です。
いろんなことがありますが、このことはまだしばらく続きそうなので、すぐに話すことはできなさそうです。
でも、気持ちの整理はだいぶついてきました。もちろん、不安は抱えていますが・・・

何はともあれ、明日の通院次第・・・といったところでしょうか。

2005.04.21

不安との戦い

何とか、無事に授業を終えることができた。正直、安心している。

今日は本当に大丈夫か・・・と思った。
不安は朝から始まっており、通勤の電車内でも胸が苦しく、倒れてしまうんではないかと思った。
途中「ヤバいかなぁ・・・」と思って、思わず座り込みそうにもなったけど、何とか耐えることができた。
今日は朝からこんな状態。

ただ、仕事中はそんなことを忘れてしまう。
きっと仕事の方に意識が集中しているのであろう。ただ、たまに他の職員の人とのコミュニケーションがかみ合わない時がある。そういった部分を考えると、必ずしも今の状態が「今までの自分」に戻ったとは到底言えない状態であることは無論である。

仕事を終えて、学校に向かう。
学校に向かう途中は何とか意識を取り持っていた。学校についても、取り持っていた。
授業が始まって先生が入ってきた。ビデオを持っていないのを見て「今日は大丈夫かも」と思った。
しかしすぐさま「次の時間はVTRを見て・・・」と話した。ものすごく、不安がよぎる。

案の定、やっぱり目を背けたい映像があった。
でも今日は「目を背けたい」のではなく、完全に目を背けた。自分の中でマズイ状態になることをわかっていながら見るのは、全然学習していないことになる。だから、初めからその状況にならないようにするために、映像は見なかった。途中、解説を聞いているだけでも危なくなりそうな時もあったが、その時は何とか他のことに意識をずらすように心がけて、その場を乗り切った。
そして、今日は辛うじて何事もなく終わった。

こんな気持ちで授業を受けるのは、嫌だ。
何でこんな思いまでして、授業を受けているんだろう。そして、何時までこの状況が続くんだろう。

まだはっきりとしたことが言えないので、訳のわからないことしか言っていませんが、いずれ事情はちゃんと説明します。
今の段階は、訳のわからない文章に付き合ってください。

2005.04.20

「慣れ」なのか?

一応は、回復傾向。でも朝が辛い。あと、夜も。
寝るときに次の日のことを考えると、ものすごく辛い。頭の中でパニックが起きている感じ。
有らぬことを頭の中でよぎり、それを払拭しようとする。その過程が苦しい。
避けては通れない不安。その不安に今は立ち向かわなくてはならない現実。それが、苦しい。

そんなことを言いながらも、仕事には行く。
テンションは相変わらず低いながらも、仕事が始まっていくに連れて、嫌がおうにも上がらざるを得ない。
本心はあまりテンションを上げたくないのだが、でもそのままの状態では仕事としては成り立たない。
だから、やっぱり上げてしまう。

でも「上げたくない」と思いながらも上げている自分は、良くなってきているほうなのか?
事実、授業でも線形代数の積算に関して悩んでいる自分がいた。今の時点では先行きが何も決まっていないから、とりあえずは仕事と授業に取り組まなくてはならない。
本当は何もしたくない。でも時間はそれを許してくれない。学校は、待ってくれない。そしたら、やるしかない。

そんな状態が続いているためか、今の生活に慣れてしまっているのかもしれない。
でも、いつ気分が落ちてもおかしくない状態だし、感情が不安定になってもおかしくない。
そんな状態を孕みながらも、また明日がやってくる。

明日は、忌まわしい出来事のあった授業がある。
正直、その出来事は自分にとってトラウマになっている。不安要素を抱えたまま、明日を迎えそうだ。

2005.04.19

「偽っている」自分

一応、仕事復帰。
利用者の前でも普通に接していた。表情も普通だった。
授業も出席した。普通に会話し、普通に表情も表出した。表向きは、いつもと何ら変わりなかった。

でも実際には無理をしているだろう。
いや、無理をして何とかなるまでに回復したのは、それはそれで良いのかもしれない。
でも一人になると、完全に力が抜け切っている状態である。
通勤時・通学時・帰宅時・・・漲るものがないし、心に張りがない。

周りの職員の人から「体調大丈夫?」なんて聞かれたけど、「まぁ、何とか・・・」と濁すのが精いっぱい。
正直、大丈夫なわけがない。もちろん先週の金曜日の状態に比べたら全然違うけど、本質的には当分の間は「大丈夫」と言う言葉は出てこないだろう。
少なくとも、今週末に通院するまでは決して大丈夫ではない。でも、だからと言って「ダメです」と言ったところで何かなるという問題ではない。だから、言葉を濁すぐらいしかできない。

それに、仕事場に立ったら「プロ」に徹しなければならない。
自分は支援者なのだから、支援者としてふさわしい振る舞いをしなければならない。
気分がどん底であっても、利用者の前では自分のことは捨てて精を出さなければ・・・

何とか、今日も一日終えることができた。
また明日も、こうやって「一日を終えた」と書けるかなぁ・・・

2005.04.18

入学式

今日は仕事を休んで入学式へ。

でも心の状態は決して良いわけではなく、本当に「行った」だけの状態。
会場についても、席に座って特に何かあるというわけではなかった。
別に、入学に対する感慨があるわけでもない。ただただ、行っただけ。
無為に言われるがままに行動し、無為に時間が過ぎ、そして無為に終わっていった。

自宅に帰ってきてからは、少し休んで学校へ。
これもやっぱり、無為に近い状態。でも学校に行ってクラスメートとは挨拶できた。
僅かばかりながら、表情もちゃんと出た。

ただ、やっぱり本来の自分とは程遠い状態。
今までの自分だったら、もっと明るいはずだし、もう少し何か考えたりするはず。
でも今の自分は「授業に出る」ことと「授業を聞く」ことで精一杯の状態。
もっとレベルを下げれば、座って教室にいることが精一杯な状態。

着実に少しずつ、回復していることは間違えない。
でもこんな状態ではOTとしては不安な状態。正直、息詰まる気持ちがある。

本当の自分は、こんなんじゃないはずなのに・・・

2005.04.17

何を書けばいいんだろう・・・

なんとなく「義務的」に書いている感じ。
今日はずーとゴロゴロしていた。朝起きて、顔洗って、ゴロゴロする。
飯を食べて、ゴロゴロする。母親に促されて、ようやく外に出る。
でも自宅に帰ってきて、やっぱりゴロゴロする。
で、ようやくパソコンの前に座った。

自分でもこの生活が良くないのはわかっている。
自分でも、この状況から脱したい。笑顔を取り戻したい。心から、笑いたい。
でも今の自分は、心の底から笑うことができない。

ものすごく母親に対して気を使わせていると思う。ものすごく済まないと思う。
本当なら自分がもっと母親に対して労っていかなければならないのに、それが逆になっている。

外に出ようと思っても、すぐに体が動かなかった。
「外に出ないと・・・」と思う心、でも行動に移そうとするとそれにブレーキをかける体と心。
自分の思いとは裏腹に、その行動ができない自分。ものすごく、今は辛い。

「ワーカー」としての自分は、今の状況について受け入れているつもり。
でも一個人としての自分は、まだ受け入れられていない。
だから「ワーカー」としての自分に、自信を失っている状態。
「援助者」と言う仕事をしているのにもかかわらず、それを「個人」として受け入れられていない自分。

今の状況を、変えたい。
でも、どうすれば変えられるのだろうか・・・ものすごく、苦しい。

2005.04.16

心はまだ

昨日よりは少しだけ、戻ってきました。

でもやっぱり、まだダメみたいです。来週からは普通の生活に戻したい、と考えていますが、それもちょっと不安。
「元に戻らないだだめだなぁ」と思う自分がいる反面、そのレベルに持っていけない自分もいる。多分普通の自分だったら、多少無理をしても心をその部分まで引き上げようとするけど、今の自分にはその力がない。
「力がない」と言うよりは、引き上げる気になれないと言ったほうが正しいかも。

少しだけ落ち着いてきた自分。
でも、頭と体と心が一致していない自分がいる。
暗闇から少しだけ抜け出そうとしているけど、でも自分の支えを失いかけてもいることも事実。
決まったわけじゃないから悲観的にならないようにはしているけど、やっぱりそこまで心が戻ってきていない。

今日も1日、こんな状態です。

2005.04.15

休みました。

今日は仕事も学校も休みました。泣きっぱなしの1日です・・・

まだ書く気持ちになれません。なので、今日もゴメンナサイです。
明日の「コトバ」もお休みです。少しだけ回復してきたけど、それでも自分の中ではまだ受け入れられていない部分があるので。

でも「福祉職」として、そして「医療職」を目指すものとしては、自分で説明できるようになりたいので・・・まだ決まったわけではないけど、受容できたら話したいと思います。

一つ心残りなこと。
一度でいいから、彼女を連れて、彼女を助手席に乗せてドライブに行きたかった・・・。

2005.04.14

ゴメンなさい。

今日はちょっと、書くのはお休みさせてください。
色んな事情がありますので、詳しく書く気になったら書きます。今まで続いた「連続投稿」も、もしかしたら明日で途切れるかもしれませんが・・・

いずれにしても、気持ちが落ち着いたら書くことにします。今は不安定な状態なので。
あ、仕事辞める、と言うわけじゃないですよ。

あくまで、体のことなので・・・

2005.04.13

初勲章

今日はより取り見取りの1日。
初めてほぼ全介助の利用者の排泄介助の方法を確認。昨日も話したけど、ここまでの排泄介助はやったことがない。介助方法はほぼ体を密着させての状態。でも服装は基本的に着の身着のままの状態。
いや、排泄物で汚れる、と言う心配はないのだが、それ以上に「流涎」(りゅうぜん、一言で言えば「よだれ」のこと)があるため、それによって汚れる可能性が大。なので替えの洋服を用意しておく必要も実感。さすがに汚れたままの服で学校には行けないからなぁ・・・
今日はこのほかに歯磨きも見たけど、それ以上にいろんな事があったなぁ。

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2005.04.12

初業務

昨日の始業式に続き、今日は初業務。
で、今業務が終わってこれから学校へ向かうところ。初業務は緊張しっぱなしの状態。正直、気持ち悪いの他に何もない感じ。

(今回は画像で脳の模式画像がありますので、あらかじめお断りします。そういうのが苦手な人は、今回はパスした方が身のためかも・・・でもそういうのが苦手な自分が大丈夫だから、何とかなるのかな?
って、「そういうのが苦手」って、これからOTを目指そうとしているのには致命的かな・・・汗)

で、授業が終わって帰ってきました。昨日も雨で、今日も雨。なので学校までは完全徒歩。
でも授業が終わって自宅に帰る時に、運よく終バスが・・・もちろん乗って帰りました

さてさて、最初の仕事、やっぱり完全に緊張しーの状態でした。
もう、朝自宅を出る前から緊張しっぱなし。本当に吐きそうな気分でした。新しい選択をしたときは強気だったのですが、いざ目の前にするといつも弱気になるMitakeなのであります。

そんなことを言いながらも、時間は無情に経過し、いよいよ業務開始。
朝は簡単に準備をした後、利用者さんを迎え入れる。そして最初にすることが、排泄介助。
授産の時もトイレ介助はしたことがあるけど、本格的に排泄介助をするのは初めてのこと。授産では使わなかった尿瓶も、ここでは当然使うし、衣服の着脱も普通にある。慣れないながらも仕事であるため、とにかくやってみる。もちろんてこずる事もしばしばだが、何とかやり遂げる。

排泄介助が終われば、いよいよデイの開始。
と言っても、テンポ的には授産よりも緩やか。ただし「緩やか」と言うのは「利用者さんのテンポ」であって、職員はバタバタの状態。自分の場合は、カチンコチンの状態。で「デイで何をやったの?」と言われても・・・うーん、正直何て言って良いかわからない。プログラム的に言えば「作業」と「外出」といったところだろう。

でも初めてデイの現場に立って感じたのは、初めて前に居た授産が「比較的障害の軽い人」であることを実感したこと。
学生のときの更生施設の実習では「これって、重度の人なの?」と感じていた。きっと一番最初に接したのが、いわゆる「重度・最重度」と呼ばれる人であったので、何をもって「重い・軽い」と言うのかが実感として理解していなかったのかもしれない。でも一応「社会人」としての経験を積んだ上で「前職の施設」と「現職の施設」の利用者を比較してみて、初めて「今の利用者さんの方が(障害の程度が)重い」と言うことを感じた。決定的なことは、言語的コミュニケーションの可能な利用者がほとんどいないということ。授産の時は伝わる・伝わらない関係なく言語的コミュニケーションがほぼ全員の利用者で可能だった。それがデイでは、半分程度の状態である。もし「伝わっている」と限定すれば、その数は数人程度までになるだろう。
また、利用者一人ひとりに対して「どこまで求めていけばよいのか」がわからない状態でもある。もちろん利用者の特性をまだ完全に把握していないので何とも言えないが、「支援目標」が設定されているのかが不明な状態である。事実、今日初めてケース記録をつけた際に、単純に「何をやったか」だけを書くだけだった。ファイリングされている他の記録も見たが、書いているのは「状況記録」だけだった。

何が言いたいのか。
要は「ゴールはどこなのか」と言うこと。きっと「これができたら終わり」なんていうものはないから、ゴール設定自体が問題があるかもしれないけど、それでも「(仮)ゴール」を設定しなければ、支援がボケてしまうのではないのかなぁ・・・と感じたのである。きっとこう言う考えを持つようになったのは、前の職場の主任さんの影響だろうなぁ。

ま、仕事は始まったばっかり。疑問ができたら徐々に声を出してみようかなぁ・・・と思います。

そして夜の専門。今日の授業はこれ。↓(一応、ポップアップ付き)
img003

リハビリテーション概論の授業。ズバリ「脳」について。
最初の授業から配布資料にたくさん書き込みをしている状態。ハッキリ言って、もうお腹いっぱいの状態です。
なので・・・説明省略。(笑)

2005.04.11

この歳にして実感したこと

ついに動き出した、新生活。
今日は午後から作業療法(OT)の専門学校のガイダンス。しかし天気は雨のため、歩いて学校までに行くことに。学校までは歩いて40分。途中バスなどがあればいいのだが、ちょうどその時間はバスが走っていない時間。仕方がないので歩いていったのだが、雨に加え風も吹いており、そのために服はビショビショ。
ものすごくブルーな感じで初登校をしたのだが・・・

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2005.04.10

ブルー

結婚前によく「マッリジブルー」に襲われる、なんてことを言いますが、今の自分もそれに等しい状態かも。
イヤ、もちろん結婚するわけじゃないですよ、そんな相手いませんし。相手はすぐにでも欲しいですけど・・・(笑)

でも今日1日は完全に気分が落ち込んでいます。
早めにメンタルクリニックに行くべきなのかもしれませんが・・・でも理由はなんとなくわかっているんですよね。

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2005.04.09

コトバ★「介護技術講習」

今回のコトバ・・・に入る前に。
既にお気づきの方もいると思いますが、niftyのココログバージョンアップのためか、このblogが異常にパワーダウンしています。とりわけ、昼間にもかかわらずスクロールのレスポンスが著しく低下しており、おまけにコメント記入の際に名前・メルアド・HPアドのテキストボックスが表示されてない状態です。

元々このページ自体「画像」を多用しており、最近はその傾向が強かったからかなぁ・・・と思って「レスポンス低下はこのblogだけかな」と思っていました。ところが同じココログにblogを設置しているまろくんさんのblogも自分のblog同様、レスポンスの低下があるとのこと。さらに自分のblogで画像を使用していないカテゴリ(つまり「コトバ」のカテゴリ)だけの記事でもレスポンス低下が起きていることが判明。

そのため、少しでも快適な環境を目指すため、当分の間は二段形式(ダイジェストと本文)の記事とさせていただきます。

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2005.04.08

サクラサク

昨日の「初陣」から一転、事態は急展開を迎えることに。

昨日、記事を書いた後に一本の電話が。電話の主は、面接をした担当者の人から。
一瞬「ほぇ?」と思った。そしてその後、思いもよらない言葉を耳にする。
今回Mitakeさんに内定を出したいと思います。

エ~ッ、ウッソン?そんなに早く決まっちゃうの?
もう驚き以外の何物でもないです。まさかこの1週間のうちに職業紹介→履歴書・職務経歴書提出→面接→内定となってしまうなんて、予想だにもしなかった。昨日の記事でも「アウトであることを前提に・・・」って書いたくらいだし、4月のあいだはのんびり気ままに職探しでもしよう・・・と思っていた。
それが、昨日の電話で状況は一変した。

できれば早めに入ってほしいので、来週から大丈夫ですか?
ら、来週ですか???マジっすか?来週から学校が始まるのに・・・いきなりッスか?
って感じで、来週から入って欲しいとのこと。さらに「現場を見てもらえれば・・・」と言うことで、早速今日から行くことに。
と言っても今日は元々予定が入っていたので「午前中のみ」の条件つき。もっとも今日は「無給」だから、いわば「見学実習」と言ったところ。

で今日に至ったわけです。
今日は今まで仕事をしていたときと同じように起床。そして出勤。ただし今までと違うのは「自転車」を使うこと。
自転車での移動は結構時間がかかる。既に試走こそはしているものの、「試走」と「実走」は違う。だから今日は「実走の試走」と言うことで自転車を使用。
ところが・・・やはり現実は違った。今日は暖かかった、と言うのもあるけど、ターミナル駅に着いたときには汗ダラダラの状態。今はまだ春だから何とかなるけど、これが夏だったら・・・と考えると、想像はしたくないがトンデモナイ状態になっている可能性が大。そうそう、某蛭子センセイの「汗ダラダラ漫画」みたいな状態になっているだろう。さらに階段の昇り降りをしていると・・・足が笑っていることが自分でもわかる。今までは普通に階段を使っていてもそういう状況になることはなかった。前の施設でランニングをしたときでもこんな状況はなかった。それがたかが自転車をこいだだけで足が笑ってしまうとは・・・非常に情けない。まぁこの問題は体力が付けば解消はされるのだろうけど・・・

とはいえ「汗ダラダラ」の問題は看過できない。仕事の前からこんな状態では、とてもじゃないけど今度の仕事は「仕事」として成り立たなくなる可能性大。前の施設は介助業務がそれほどなかったのだが、今回はほとんどが介助業務。となると、早々休んでいる暇はない。事実、今日実際に行ってみると職員の人が慌しく準備をしていた。正直「エラいところ、選択しちゃったかなぁ・・・」と内心思ってみたり・・・。
とにかく、通勤方法に関してはもう一度再検討の必要あり。

まぁ未知なる不安はたくさんあるけど、とりあえずは来週からこの施設で頑張ってみることにしました。
正式な契約はまだしていないけど、来週の火曜日から出勤です。来週の火曜日・・・そう、来週月曜日は学校の始業式&ガイダンスなんです。さらにその次の月曜日は入学式。「4月はのんびり気ままに」と考えたのは学校との兼ね合いからでしたが・・・どうもそんなことは「お構いなし」でスタートしそうです。(あ、もちろんこの2日は仕事休みますよ。学校に行くことを前提に採用をしていただいていますからね。)
ちなみにプロフィールは修正していますが、次の勤務先は知的障害者デイサービスセンターです。

通学方法は再考の必要があるけど、とりあえずは収入確保で一安心。
この前撮影したさくらの風景も、今日は満開。「サクラサク」とは、正にこのことかな?
(写真はポップアップ付き。でもそのせいか、スクロールがカクカクするんだよねぇ・・・あ~ぁ、メッチャ気になる。ってか、最近画像を多用しすぎか?)
P1000136

2005.04.07

初陣

退職してから、初めての就職活動。
月曜日にハローワークで紹介を受けたところへ面接に行く。面接時間は、10分程度。それに対して、現地まで40分・・・往復で考えると、80分・・・長い。(笑)

もちろん10分ぐらいしか面接をしないことはわかっていた。
昨日の面接時間連絡の電話で「今回は応募者が大変多いので、遠いところからわざわざ来ていただいて申し訳ないのですが、10分ぐらいしかお話を聞くことができないので・・・」との前置きがあった。だからそういう意味では覚悟の上で行っているから、別に面接時間が短いことに関しては苦にならなかった。
事実、面接会場に入った時も面接をした職員が持っていた履歴書の枚数は目算で30枚くらい。1つの枠に30人が応募しているんだから、結構な競争率。面接の時も「今回は応募者が多数で、面接が夕方まで続きますので、面接結果は文書でご連絡します。面接終了後に選考を行いますので、来週明けにお伝えする形になると・・・」と話していたから、これはアウトであることを前提に、次の活動を進めた方がいいかなぁ・・・と思ったほうが無難。
もっとも、自宅からその場所までは結構距離があるから、自宅から近ければそれに越したことはないんだけどね。

で、応募者が多数、って言ったけど、自分の前後の人は印象が残ったなぁ・・・
自分の前に面接をした人は女性。自分は面接会場の前の廊下で椅子に座って待っていたけど、面接が終わって会場から出てくるのを確認するとその女性、なぜか自分の方を見て妖艶な雰囲気を見せ付けて、ルンルン気分でエレベーターに乗って帰っていった。若干見とれていた自分もいたけど・・・正直「そんなに嬉しいことがあったの?」と思ってしまうような雰囲気を振りまきながら帰って行った。
まぁ「自分の方を見て」と言うのは、単に自分がそう思い込んでいるだけなのかもしれないが・・・(汗)

そして自分が面接を終えて会場から出て、エレベーターに乗って帰ろうと、エレベーター待ちをしていたときにチラッ、と廊下の方を見てみると・・・そこに座っていたのは50代半ばぐらいのおじさん。一瞬「この人も、応募したの?」と思ってしまうくらいの貫禄があった人。ただ、別の見方をすれば「リストラされて職探しをしているような雰囲気」が無きにしも非ず。

うーん、みんな必死なんですね、職探しに・・・もちろん自分もその1人ですが。(^^ゞ

2005.04.06

体力減少?

職を離れて、早5日。
もっとゆったりと、blogに書くネタがない、と言うくらいまでに過ごそうと思っていたのに、なんだかんだ言いながら毎日のネタのオンパレード。平日も何もしないでボーとしているかなぁ・・・と思いきや、実は結構動き回っている現実。一昨日はハローワーク、昨日は前の職場、そして今日は市役所へと・・・そして明日も予定あり。結局、こんなもんなのかなぁ・・・

で、今日行動したのは市役所だけではない。
自宅からターミナル駅まで自転車で何分かかるかを確認。と言うのは、ここで調べておかないと今後の生活に重大な支障が出てしまうため。
今までは職場まで行くことを考えておけばよかったため、単純に「自宅から職場まで」を把握しておけばよかった。しかしこれからは「自宅から職場」だけではなく「自宅と駅と職場プラス学校」の位置関係を把握した上で通勤などの時間を考慮しなければならない。そのためには、まずは「自宅から駅」までの自転車での時間をしっかりと把握しなければならない。で、何故ゆえ自転車か、と言うと・・・

自宅と学校間→自転車での通学可能圏内
自宅とターミナル駅→頑張って自転車通勤する圏内
ターミナル駅と学校→学校の最寄り駅、したがって自転車の方が利便性が良い

であるため、自転車が必須アイテムとなっているのである。
ちなみにマトモに自転車生活になるのは8年ぶり、高校以来のこと。児童相談所の実習の時や施設ではたまに乗っていたけど、継続して乗っていくのは久しぶりになる。そのために自転車も購入したけど・・・久しぶりに乗っているせいか、自分でも「安定性がないなぁ・・・」と感じる状態。原付の時の気分がそのまま残っているから、変にハンドルに力が入っている感じが実感している。
おまけに・・・今まではそんなことなかったのに、ちょっとヒィヒィいっている状態・・・(汗)
うーん、これは一刻も早く体力を付け直さないと・・・って、結構前の職場でも動いていたと思うけどなぁ・・・(^^ゞ

おまけで・・・
今日は暖かい・・・いや、暑いくらいかも。自転車でゆっくりと走っていれば、途中でチャリを停めてのんびりとこんな光景をおさめることができる。もう少し咲くと、キレイなんだろうなぁ・・・(写真の腕は別として・・・まぁ所詮ケータイだし。今回はポップアップ付き)
P1000159

2005.04.05

サラリーマン?

本日の起床、8時。早速堕落してしまった・・・(汗)

堕落しながらも、9時には行動開始。今日のスケジュールは午前中が部屋掃除、午後が外回り。
で部屋掃除の内容は・・・ひたすらシュレッダー(笑)

何度も言うように、今一番必要な部屋環境は「本棚」。
そのため古くなった資料関係を廃棄して、新たに本を入れられるスペースを確保したい。しかしすべての資料がそのまま捨てられるわけではない。書籍類やネットからDLした文書なら何とかなるけど、授業で使用した資料に関してはシュレッダーにかける必要があるものがほとんど。なので本棚を整理しつつシュレッダーで「ジィー」・・・の状態。でもたまにシュレッダーの使いすぎでダストボックスから紙くずがあふれ出してしまうこともあり。時には連続使用のし過ぎで自動的に電源OFFになることも・・・わかってはいるものの、使えなくなると結構イラつく・・・(笑)

そんな感じで本棚整理を行うが・・・とてもじゃないけど半日では終わらない。
それに本棚を整理したと思えば机が汚くなるし、机を整理したと思えば本棚のスペースがなくなる。
うーん、何だか「いたちごっこ」だ・・・(汗)

そして午後からは外回り。当初は前の職場に行って退職関係の事務手続きをする予定だった。しかし昨日の一件で履歴書を出しに行くことになり、前の職場に行く前に履歴書を出しに行くことに。
ただ・・・その前に、お菓子の購入。退職前に父母会の方から心付けを頂いており、それを還元するために「利用者のおやつ」として買うことに。もちろん、今までお世話になった職員の分も含めて。(もちろん職員は自腹。)

で手土産を用意した上で、まずは履歴書を出しに行くことに。
一応確実に行くためにナビを使って向かうが、ナビから出てくる言葉は「コノサキ、500メートル、ジュウタイシテイマス」ばっかり。当初はもっと早く行く予定だったのに、渋滞のために思ったよりも時間がかかってしまった。さらに車で行くとはいえ、さすがに直接その場所まで車で乗り付けるわけには行かない。なので駅周辺のコインパーキングを探す。行く前は「実際の距離を知るために、なるべく駅近くのパーキングにしよう」と思っていたが、思っている以上に時間がかかってしまったため、なるべつ現地に近いパーキングに入れようと考える。
しかし・・・近くのパーキングはすべて満車。結局、駅近くのパーキングに駐車して現地に向かうことに。

履歴書を提出後、職場に向かうことに。しかしここでも「コノサキ、ジュウタイシテイマス」の声。
今日は利用者余暇活動の日だったから、なるべく利用者が余暇から帰ってくる前に行こう・・・と思っていたが、渋滞につかまってしまったがために、バタバタする時間帯に訪ねることになってしまった。
で、施設について「ご無沙汰しています」と挨拶すると、主任さんが一言。

オマエ、誰だよ

そう、このときの自分の服装は・・・スーツ。
しかも車を運転していたため、上着は脱いだままでワイシャツの状態。つまり、営業のサラリーマンさながらの姿であった。前の職場ではスーツを着ることはほとんどなく、着たとしてもそれは「法事」の時だけ。普段はGパンのラフな格好だから、スーツを着てしまえば一気に老け込んでしまう。(元々老け込んでもいるけど・・・爆)

スーツ姿で車を運転・・・まさに「サラリーマン」そのもの。
事務の人にも「今日は何を売りにきたの?」と突っ込まれる始末。まぁ退職した後もこうやって冗談を言える環境だから、自分にとって今の職場は居心地の良い職場だったんだよね。たしかに退職してしまったのは惜しいと思っているし・・・
ま、終わったことは振り返らずに、次の道に進んでいきましょう。

2005.04.04

職務経歴書

を作りました(^_^)

今週からはダラダラ生活から脱却。いくら学生の身分に戻る・・・と這いえ、早い話が「昼間はプー太郎」の状態。だから今までの自分なら夜更かし・昼起床の生活になっているだろう。

しか~し!
今回は違う。何しろ「経済的問題」をまともに背負っているため、できることなら早めに再就職を・・・の考えがある。さらに「ダラダラ生活=肥満」の図式が頭の中に出来上がっているため、きわめてノーマルな生活を送る必要があるだろう・・・と心の中で強く思っているために、キチンと7時起床ができるのかもしれない。
もっとも、普通なら仕事に行ってある程度は体を動かせる環境が整うのだが、今はその環境がない。ならば強制的に作る必要がある、と言うのが本音だろう。

と言うわけで、早速今日から行動。
手初めてに飯田橋のしごとセンターまで行くことに。で早速ハローワークへ。
とりあえず自分の目的に見合う求人を片っ端からすべて目を通す。端末とにらめっこすること、45分・・・その中から2つの求人を選び出す。そして2つの求人を見比べて、応募する求人を1つ選択。
エッ?もう応募?4月は色々とバタバタするから、多少は余裕を持ちながら・・・って考えているのにね、我ながら。

そしていざ窓口へ。すると求職票を書くことに。
そっか、この前は利用登録だけしかしてないから、具体的な求職登録まではしてなかった。なので求職票を記入して提出。そして数分して名前が呼ばれる。

呼ばれてからは求職票の確認。今までの経過を話しながら、求職目的や希望をなんとなく話していく。
その後は希望求人の紹介。色々とハローワークの人が手続きをしてくれたけど、その中でこんなことが。

職務経歴書ってかいたことあります?

ショ、ショクムケイレキショ?
いや、名前は聞いたことがあるけど、そんなものが自分にとって現実味のあるものとは思っていなかった。たしかに「社会人経験が短い人でも、書いたほうが良い」とは聞いていたけど、一体自分の場合はどんなことをどうやって書けばいいのだろうか・・・と頭の中で堂々巡りの状態。
一応書き方については簡単なマニュアルを見せてくれて、そのマニュアルを見ながら書いてみて、とのこと。で、履歴書などを明後日までに先方に届くようにとのこと・・・あ、明後日???

なんだか急に慌しくなってきてしまった。
早速帰るなり、職務経歴書の作成を開始。こんな感じで作ってみたり・・・↓
P1000153

結局午後は職務経歴書を作るのにすべての時間を費やしてしまった。
午後は部屋掃除でもしようと思ったのに・・・明日も早速履歴書を出しに行くし・・・あー、何か当初の計画とはだいぶ動きが早くなって来たぞ・・・まぁこうやって動くのも、ある意味自分が「仕事人間」なのかもしれないけどね。じっとしていられないと言うか、多動と言うか・・・(笑)

2005.04.03

厳重処理

退職したあとも、自宅でコツコツと残務処理中。
その1つが、これ↓
P1000141

シュレッダーの山、山、山・・・
ここで処理しているのはすべて個人情報。先週も同じようなことを書いたけど、先週と大きく違うのは、シュレッダーが電動になったこと。先週は手動で行っていたため「紙を折って、シュレッダーを回して・・・」の作業で疲れきってしまった。とはいえ持って帰ってきた書類はほとんどが個人情報。さすがにそのまま捨てるわけには行かないし、かといって手動でシュレッダーにかけ続けるのは、気の遠くなる作業。

と言うわけで、電動のシュレッダーを購入。
電動であれば、手で回す必要なし。おまけに今度のシュレッダーはA4対応。さらに裁断枚数が5枚まで・・・ということは、ほとんどの書類がそのまま入る。おまけにB4の書類はほとんどが半分に折ってあるため、そのままシュレッダーに入れてOK。

と言うわけ、シュレッダー作業が今日のうちに完了。あくまで、仕事上の書類に関しては・・・
さぁ、明日からはその他の書類処理と本棚整理を行わないと・・・専門時代の書類関係も処理する必要性があるかもしれないし・・・まだまだシュレッダーにはお世話になりそうな予感。

2005.04.02

コトバ★「社会福祉士その2」

今回のコトバは「社会福祉士」の第2弾。
半分「苦肉の策」と言う部分もありますが、それなりに書いていこうと思います。

前回は「社会福祉士とは」と言う形で社会福祉士について触れてきましたが、今回はもう少し踏み込んでみたいと思います。
時を同じくして、3月31日に第17回社会福祉士国家試験の合格発表が行われました。それによると、今回の受験者数は41044人に対して合格者は12241人、合格率は29.8%でした。
一方社会福祉士国家試験に合格し「社会福祉士」として登録を受けている人は2004年3月末現在で48736人ですが、このうち日本社会福祉士会に加入している社会福祉士の数は16647人で、組織率としては34.2%に留まっています。日本社会福祉士会が設立された当初(1993年)は35.1%であったものが、その2年後(1995年)には53.9%までに増加しました。しかしその後は減少の一途を辿り、現在に至っています。特に年度毎の加入率減少が著しく、設立当初は約78%、翌年には約81%の加入率を誇っていましたが、1995年に一気に加入率が減少(約65%)し、2004年では23%までに落ち込んでいます。

年齢階層別に見ると、若年層(~30歳)の低さがあり、若年層の加入率は約25%となっています。特に、学生からのいわゆる「現役」で合格する世代(~25歳)で見てみると、その加入率は僅か5.7%です。ここまで加入率が低い理由の1つが「会費」にあります。学校を卒業しこれから就職・・・というときに、会費を負担するだけの余裕がないのです。
社会福祉士受験に12600円、合格して登録するのに19500円、単純に受験+登録で32100円もかかっているのです。さらに社会福祉士会に加入するとなると入会金5000円に年会費10000円、さらに場合によっては県士会(都道府県の社会福祉士会)の会費(会費なし~12000円)を払う必要性もあり、その額は膨大になります。これを一気に払うのですから、若い人にとっては躊躇せざるを得ない状況があります。(自分は気合で払っちゃいましたが・・・汗)

ところで前回の内容に「どんなところで働いているのか」について触れましたが、社会福祉士会に登録している人に限って言えば、高齢者関係施設(老人福祉関係施設・介護老人保健施設・老人介護支援センター)が最も多く、全体の29.9%になります。

(勤務先別会員割合)
1 高齢者関係施設  22.9%(生活指導員・生活相談員・ケアワーカーなど)
 (内訳) 老人福祉関係施設  17.1%
      介護老人福祉施設   5.7%
      老人介護支援センター 7.1%(ホントは「在宅介護支援センター」ですね。)
2 医療機関  11.4%(医療ソーシャルワーカー・精神科ソーシャルワーカーなど)
3 知的障害者福祉関係施設  10.6%(生活支援員・作業支援員・ケアワーカーなど)
4 勤務先なし  7.8%
5 社会福祉協議会  7.7%(福祉活動専門員・福祉活動指導員など)
その他、救護施設、児童福祉関係施設、福祉事務所、行政機関、独立型社会福祉士事務所など

ほぼ上位3つで全体の半分を占めるので、多くの社会福祉士は上記の場所で活躍していると考えるのが一般的かもしれませんね。

2005.04.01

結婚します!

は、ウソです。
だって今日は今日は4月1日・・・エイプリールフールだし。直訳すれば「4月バカ」ってことで・・・(笑)

軽い冗談はこれくらいにして。
昨日は送別会を開いていただいて、ホントに恐縮です。業務時間中は利用者とのお別れ会、業務終了後は内々の送別会。一応利用者の前では「笑って」を強調。「Mitakeさんは天国に行っちゃうわけじゃないんだから」と笑わせた上で、楽しく終了。ただいつも自分にベッタリ甘えていた利用者の1人は、泣きべそを書いていた。まぁその子とは一緒にいる時間が一番長かった利用者だから、その子の涙を見てしまうと、こっちも我慢できずにウルウルしてしまった。あぁ、Mitake一生の不覚。「仕事だから」と割り切って感情に流されないようにしようと思ったけど、やっぱり思いに負けてしまった。

でも普通の仕事を辞めたとしても、こんな感情はきっと持たないだろうな。人相手の仕事だからこそ「思い」が生まれるのであり。寂しさと言うのが生まれるのだろうな。だからこう言う仕事が自分は好きなんだろうな。

さて自宅に帰ってから、利用者とのお別れ会で貰ったものを見ることに。
するとこんなものが・・・
P1000149
これはあくまでも一部。一応、これらは利用者が作ったもの。もちろん職員の手も入っているけど、改めてみるとやっぱり、そこそこの腕を持っていることを実感しますね。ちなみに画に映っているのは売価として600円。そのほかに2つ入っていて、トータルすると約1000円ぐらい。ただし、公に売っているのはお地蔵さんだけ。あとは非売品or直販品なので、どこで売っているかは調べてみてください・・・(笑)

で一夜明けた今日。ちょっと頭がイタイ・・・そのため、完全に普通のお休み状態です。
結局今日は市役所にも行かずに普通にまったり。あ、そうそう、一応郵便局には行きました。利子6円から1年経って、果たして今年はいくらの利子が付くのだろうか。昨日少しお金が戻ってきたのがあったので、それを入金するのとあわせて確認してみることに。
すると・・・

17-04-01 (取扱局番号) 受取利子 22
利子(32)
税金(5)
寄付(5) ありがとうございました
現在高 ¥***,***(←今回も、額は秘密。桁数からご想像を・・・笑)

昨年に比べて、大きく増加。とはいえ・・・ある程度貯金しているのに、これだけ・・・というのが本音かも。さらに昨年8月の地番変更のために郵便局で住所変更をした際に「国際ボランティア貯金に加入していないみたいですが・・・」と言われたので「あ、じゃ(入っても)いいですよ」と言ったがために、寄付として5円引かれてしまうことに。当初の計画では「引かれてもせいぜい1円ぐらいだろう」と思っていたが、それを大幅に上回る5円。「たかが5円ぐらい・・・」と思ってしまえばそれまでなのだが、これからの自分にとっては1円も貴重な存在になることは間違えない。
世界にボランティアする前に、誰か自分にボランティアしておくれぇ~!(笑)

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