「一般」と「特殊」
本日の業務内容
午前、チョコレートギフトの部材検品。検品の内容は、個別に包装された外観のチェックとチョコの破損有無の確認をしている。で、別のチョコを検品しようと思って倉庫裏からチョコをだし、いざ検品と使用と思って箱のフタを開けてみると・・・そこにあったのは個別包装されたチョコではなく、チョコレートの塊(約2キロ)が「ドン」と入っていた。開けた瞬間、思わず吹きだしてしまい「どうやって検品するんだよ・・・」と言う感じで、作業ができなかった。
午後、家庭向けへの行事お知らせを作成。その後、別の職員の人が午前中に行ってきた古紙回収の降ろしにいく。そしてその後は、紅茶パックの梱包作業。
業務終了後、法人内職員研修。
純粋な「法人内職員研修」と言うのは初めてのこと。まぁ「職員研修」と言うのは形式的なものであり、実態としては新理事長の「所信表明に関しての説明」である。昨年4月に理事長が逝去し、昨年末にようやく新理事長が決定。その後様々な事務手続きを経て今年から新体制がスタートしたわけである。
前の理事長は非常にビックな人だったから、法人運営もナベツネ状態だった。しかし今回の理事長は福祉畑はなじみのない人。ただし福祉と全く無縁な人ではなく、本職はドクター。もちろんうちの施設とも全く縁がないわけではないので、ずぶの素人と言うわけではない。
でも話の内容は、いわゆる「世間一般」の福祉の流れに沿った考えを述べるに終始。
特に盛んに言っていたのは「一般企業では~」のくだり。名札をつけようとか、応対方法とか、取っ掛かりのある部分から色々と話していた。
いや、たしかにそういったことは必要かもしれない。電話応対の際に先に名前を名乗る、と言うことは必要だと思う。名札をつけるのも必要だと思う。でもそれは「絶対」にやらなくちゃいけないことなのか。例えは自分を例に挙げれば、仮に名札をつけることにしよう。でも自分の仕事は中作業で色々と動く場面があれば、外作業に出ることもある。で、外で何をやっているのかと言えば、公園清掃作業や古紙回収作業をやっている。でも外作業において名札をつけていることは、正直邪魔。方やうちの施設では木工作業もあるのだが、木工に従事する職員にとっても名札は邪魔。様々な機械を扱っている中で、もし名札が機械に巻き込まれたりするようなことがあれば事故につながる可能性は十分にある。その他、自分たちは直接処遇に立ち会う仕事をしており、利用者に対して介助のために身体接触を行うこともしばしばある。その際に名札で利用者を傷つけてしまう可能性も否定できない。基本的にそういう時は「外せばいい」と言えるだろう。でもそれを繰り返していることは、果たして現実的であるのだろうか・・・
あくまで一番端的な例を挙げたけど、たしかに福祉の世界も競争が必要な時代に来ているといわれている。そのためには職員一人ひとりの意識改革は必須であることは言うまでもない。ただし、果たしてどこまでを「企業並み」に近づけていく必要があるのだろうか。もちろん福祉の仕事が「特殊な仕事」と言うわけではなく、数多くある仕事の1つとして「人と接する仕事」として「福祉」があるに過ぎない。だから福祉といえども、企業体であることは間違いない。
ただその一方ですべてのことを「企業並み」に物事を運んでよいのかと言えば、それもまた違う。自分たちが相手にしているのは「モノ」や「カネ」ではなく、「人」である。それもファミレスやコンビニのような「サービス」ではなく、何らかの生活上の支援を必要とする人に対しての「サポートサービス」である。普通の健康な人であれば企業論理に基づいて進めることは可能かもしれない。でも実際に相手にしているのは、その方法ではうまくいかない人である。だから何でもかんでも「一般企業のように~」と言うわけにはいかないのでは、と感じる。
誤解のないように言いたけど、自分たちは別に福祉に「あぐら」を書くつもりはありません。
特別に保護された世界である必要はないと思いますし、可能な限りノーマルな状態が望ましいことは言うまでもありません。しかしいくら「特殊な仕事ではない」と言っても、仕事をするためには専門的な知識と技術を必要としています。経験も必要ですが、経験だけでは補うことのできないものもあります。
うーん・・・うまく話がまとまらない。
言いたいことは、何でもかんでも「競争」とか「普通の会社と同じように」とか言うのはどうかな、と言うことです。福祉施設は「企業体」でありながら、普通の企業とは「ちょっとだけ」違うと思うのです。
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