コトバ★「虐待」
今回のコトバは「虐待」。
ただ虐待のあれこれについて話すつもりはないので、ご了承を。
★「虐待」とは?
様々なところで「虐待とは」について色々と書かれていますので、あえてここで「虐待の定義」を詳しく書くのは省略したいと思います。定義を知りたい方は、他のサイトで詳しく調べていただければ、と思います。
現在「虐待とは~」を明確に定義された法令条文はありません。強いてあげれば「児童虐待の防止等に関する法律」(児童虐待防止法)に「児童虐待の定義」として「身体的虐待」「性的虐待」「監護の怠慢(ネグレクト)」「心理的虐待」が明文化されています。
ただ「虐待」と言うのは児童だけではなく障害者・高齢者に対しても行われる可能性を持っているので、全体を通しての「虐待」に対する法的定義は不十分な状態にあると言えるでしょう。(ただし「理念的」な考えで虐待の定義はされていますよ。例えば高齢者に対する経済的虐待は、その1つと言えるかもしれませんね。)
★なぜ「虐待」を取り上げたのか?
実は今回のコトバは、虐待を取り上げるつもりはありませんでした。
たしかにこのblogに「虐待」でサーチをかけて来てくださる方は多いです。しかし自分のいる現場が児童虐待に関する現場ではないことを理由に、このテーマを取り上げても話せる内容が少ないことから外してきました。
しかし昨日、ふとblog検索をしていたら「まんまる笑顔の和パパさん」のblogに気になる記事があったので読んでみると、現場の人間としても取り上げるべき内容であると感じたため、今回拾い上げることになりました。
毎日新聞「届かない悲鳴:施設虐待の深層 背景/中 カリタスの家、資金調達へ奔走」
◇子供「人質」家族に強腰
F県K町の知的障害者更生施設「K」の虐待問題の背景には、重度の障害をもつ子供を抱え、沈黙せざるを得ない家族の存在と、それを逆手にとった資金調達への奔走ぶりも見え隠れする。【虐待問題取材班】「私は壊れそうです。娘も壊れそうです。助けて下さい」「(入所が許可され)母子心中しなくてすむ。娘を殺さなくてすむ」
開設3周年の記念誌に寄せた母親の手記からは、度重なる入所拒否の悲哀や、施設にすがる思いが伝わってくる。さらに、入所してもいつ退所させられるか分からないという不安もつづられている。「年度末になると親は戦々恐々となる。肩たたきである。電話が鳴るたび動悸(どうき)がし、郵便受けで封書を見ると心臓が凍りつく」
「ここから出されたら、ほかに行く所がない」。“人質”を取られた家族は、虐待の疑いや処遇上の問題を感じても、遠慮してなかなかモノを言えない。そんな両者の力関係を、運営母体の「K」常務理事で、「K」の実権を握るH前施設長は最大限に利用した。
障害者がサービスを選び施設側と直接契約する支援費制度への移行(03年施行)を前に計12回開いた保護者対象の研修会。原田前施設長は案内文で「3回以上出席しないと、来年度よりの利用は無いものとする」と“宣言”。以後、随所に本音をちらつかせるようになる。
「(我々の)体制に不満のある人とは契約できない。親としてのエゴに注意していただく」(02年10月13日)
なりふり構わぬ資金要求は職員給与の肩代わりにまで及んだ。H前施設長は同年10月に「障害の状態では、職員人件費の一部を負担していただく」と主張。職員の冬のボーナス支給のメドが立たなかったからだが、一方で「負担したからといって要望が強くなると、よい療育はできない。(契約を)お断りすることもある」とクギを刺してもいた。
支援費制度の導入で、入所者側が施設を選べるようになり、サービスと入所者の権利意識の向上が期待されている。が、家族側の沈黙は今も続いている。(以後省略)
もう、言葉が出ません。こんなことをしているとは・・・
同業者として、情けなく感じますね。こんな上司の下だったら、とっくに辞めてますね。
感情論は別にするとして・・・この記事から感じる論点は2つ。
1つめは「虐待」について。
虐待が発生する要因として「保護者とのコミュニケーション不足」や「職員に対するメンタルヘルスケア不足」などが挙げられると思う。「より良い支援」を展開していくためには、支援に従事する職員の心が安定していなければ「より良い支援」は望めない。安定しない心は結果として利用者にとって不利益となり、その矛先が利用者に向けられる要因ともなる。ましてや入所施設となれば、「閉鎖的」な空間の中で濃密な支援を必要とする利用者と向き合う職員のレスパイトも必要になるだろう。「専門職」である前に、一人の人間であるから当然ストレスは溜まる。対人援助のプロであっても、思い通りに上手くいかないこともある。そういうときに適切なタイミングでサポートを入れる「支援者の支援者」、つまり上司の働きによって虐待の発生は抑止でいるのではないか、と考える。
また「保護者との関係」も虐待を防ぐためにも重要な要因となる。例えば「やってはいけないこと」をしてしまったとき、支援者としては適切な行動を取れるようにするために「教示」を行う。しかし教示の方法が見る人によっては「虐待みたい」と感じる場合もあるだろう。そんな時に保護者との関係を円滑に形成することによって「どのような方向性を目指していくのか」と言うことのコンセンサス(意見一致)を図ることができる。お互いのコンセンサスが図れていないからどちらか一方的な「主従関係」が生まれてしまっているのではないだろうか。
もう1つは「支援費制度」について。
近いうちに「支援費制度」について触れたいと思っていますが、支援費制度の目的は「利用者と事業者の対等な関係」を目指したものであり、また「利用者が主体的に選択できる施設選び」を目的に、平成15年度から始まった新しい障害者福祉制度です。しかし現実問題としては「選択できるだけの施設」がなく、ほとんどの施設利用者は従来の「措置制度」から引き続いて利用しています。
今回の問題は、ある種の「支援費制度の課題」がそのまま「問題」として」表れた格好ではないかと思います。「対等な関係を目指す」と言いながら実態として存在する「遠慮して(虐待の疑いなどを)言うことのできない環境」、「主体的に選択できる施設選び」と言いながら現実問題として「やっとのことで」入所した母親の心情・・・「支援費制度」を歌いながら実態としては「措置制度」よりもひどくなってしまった事例と言えるかもしれません。
大体、記事を読む限りでは「施設長」にすべての問題の元凶がある印象がします。
職員の給料を保護者に肩代わりしてもらうって・・・一体ここの職員はいくら貰っていたのでしょう?肩代わりしてもらわなくては生活ができないほどの給料だったのでしょうか?「資金調達に奔走」って、一体何にお金を使っていたのでしょうか・・・通常の運営・経営を行っていれば、そんなことはないと思うのですが・・・事務も機能していなかったのでしょうか?
なんだか、悲しくなりますね。
専門職のプライドにかけても、このようなことはなくしたいものです。
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