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思ひ出アルバム

  • 卒業式が終わって・・・
    以前HPで行っていた「todya's photo」の写真や「御岳写真館」で使用していた写真を再び復活させるべく、「思ひ出アルバム」として随時更新していきたいと思います。また最近の写真でも「思ひ出」となるものについては、ここに納められていくことになるでしょう。

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2004年10月

2004.10.31

最後の「あがき?」

体調の方はだいぶ回復。
おかげで喉の痛みはなくなったものの、若干鼻水&鼻づまりは残っている状態。おまけに、薬の影響からか若干ウトウトする時もある。でも・・・車は運転しているし・・・(爆)

今日で10月は終わり。残すところ、11月と12月の2ヶ月だけ。
そんな中、あるイベントが今日で終わりになる。その名は「新選組フェスタ」。

新選組フェスタと言えば、オープン前にこんな感じでここでも紹介した。
で実際はどうだったか・・・と言うと、どうもピンと来ない、と言う印象だったであろう。自分は実際に足を運んでいないので「批判する立場にあるのか?」と言われてしまえば、何も言い返すことができない。ただ、あくまでイベントを開催している地元民の立場から言わしてもらえれば、ハッキリ言って「観光」としては全く成り立っていない。
だって・・・客、来ていないんだし・・・それに外から来た人にこんなことを言われているのだから・・・ねぇ。

でも今日は人が多かった。何故多いのか?
それは昨日・今日が「感謝の意味で、入場無料」だったから。
オィオィ・・・そんなんだったら、初めから入場料なんか取るなよ・・・って感じ。

普段は人が来ないのに、今日は人が「比較的」多かった。
理由は簡単、お金を出すほどではない、と言うことなのであろう。もっとも、自分自身も同じ考え出し、別にお金を出してまで見に行こうとは思っていなかった。それに自分は熱烈な「新選組マニア」ではないから、例え何があっても積極的に行こう・・・とは思わない。

どうして人が集まるのか・・・人が集まるには、それに対する「メリット」を感じるからであろう。逆を言えば、そこに行って「満足感」を得ることができなければ、足を運ぶと言う行動にはならないだろう。自分自身も今日は「入場無料」であることはずいぶん前から知っていた。でも、行かなかった。自宅には無料招待券もあった。でも行かなかった。
何故か?それは、上記の通りだから・・・

ってか、初めから入場料なんか取らなければよかったのに・・・
外壁も作らなきゃ良かったのに・・・
敷地内の一画の「特別展」を有料にすればよかったのに・・・

なんか色んなところにアピールしていたわりには、ちっとも盛り上がっていなかったなぁ・・・やっぱり、もう少し内容を考えた方がいいんだろうなぁ。

2004.10.30

コトバ★「名称独占」

今週のコトバは「名称独占」。
以前「児童福祉司」においても名称独占に関して簡単に触れた覚えがある。なので、今回は資格の性格について触れることに。

「名称独占」とは、その資格を持たない人が資格の名前を使用することを禁じることであり、社会福祉士や介護福祉士、精神保健福祉士などがこれに当たる。「社会福祉士及び介護福祉士法」には、次のように書いてある。

(名称の使用制限)
第48条 社会福祉士でない者は、社会福祉士という名称を使用してはならない。
 2 介護福祉士でない者は、介護福祉士という名称を使用してはならない。

「名称独占」とは直接書いていないものの、条文を読めば「名称独占」の資格であることは言うまでもない。

一方「業務独占」とは、その資格を持たない人が資格の名前を使用することを禁じるほか、法に規定する業務に携わることも禁じることであり、保健師や助産師、看護師などがこれに当たる。やはり「保健師助産師看護師法」には、次のように書いてある。

第29条 保健師でない者は、保健師又はこれに類似する名称を用いて、第2条に規定する業をしてはならない。
第30条 助産師でない者は、第3条に規定する業をしてはならない。ただし、医師法の規定に基づいて行う場合は、この限りでない。
第31条 看護師でない者は、第5条に規定する業をしてはならない。ただし、医師法又は歯科医師法の規定に基づいて行う場合は、この限りでない。
 2 保健師及び助産師は、前項の規定にかかわらず、第5条に規定する業を行うことができる。
第32条 准看護師でない者は、第6条に規定する業をしてはならない。ただし、医師法又は歯科医師法の規定に基づいて行う場合は、この限りでない。

ちなみに「規定する業」とは、次の通り。

第2条 この法律において「保健師」とは、厚生労働大臣の免許を受けて、保健師の名称を用いて、保健指導に従事することを業とする者をいう。
第3条 この法律において「助産師」とは、厚生労働大臣の免許を受けて、助産又は妊婦、じよく婦若しくは新生児の保健指導を行うことを業とする女子をいう。
第5条 この法律において「看護師」とは、厚生労働大臣の免許を受けて、傷病者若しくはじよく婦に対する療養上の世話又は診療の補助を行うことを業とする者をいう。
第6条 この法律において「准看護師」とは、都道府県知事の免許を受けて、医師、歯科医師又は看護師の指示を受けて、前条に規定することを行うことを業とする者をいう。

やっぱり「業務独占」とは書いていないものの、「業をしてはならない」と書いてあり、なおかつ「厚生労働大臣の免許を受けて~を業とする者」と書いてあるので、「業務独占」の資格である。

「じゃ、社会福祉士は?」となると、このように書いてある。

第2条 この法律において「社会福祉士」とは、第28条の登録を受け、社会福祉士の名称を用いて、専門的知識及び技術をもつて、身体上若しくは精神上の障害があること又は環境上の理由により日常生活を営むのに支障がある者の福祉に関する相談に応じ、助言、指導その他の援助を行うこと(第7条において「相談援助」という。)を業とする者をいう。

つまり社会福祉士の業務としては上記のことを指すが、上記の業務を行う目的で「社会福祉士」と言う名称を使用することは禁止する、これが「名称独占」の意味するところ。逆を言えば、社会福祉士でなくても、上記の業務を行う時に「社会福祉士」を名乗らなければ、別に問題ないということである。

今の自分の仕事は、まさしく「社会福祉士及び介護福祉士法」が規定している業務そのものを行っている。ただ、実際に今の職場で「社会福祉士」を持っているのは、自分だけ。だから現状では別に資格がなくても十分にできる職業であることは間違えない。ただ、資格がないから誰でもできるのか・・・と言ったら、それは違う。そこには高度の「専門性」があるのだから、資格を持っていれば「専門性の担保」につながることは、当然であると思う。

ただし・・・
メインの「御岳の山」でも繰り返し話しているように、資格はあくまで「資格」であって、実際に仕事をするのは自分自身。別に資格が仕事をするわけではない。このことは名称独占・業務独占に関わらず、当てはまること。資格を取った後が重要なのであり、資格を活かすも殺すも、それは自分次第。

社会福祉士も究極的には「業務独占」を目指しているが、そのためにはやはり社会福祉士一人ひとりが「プロ」であることを自覚していかなければならないのであろう。そして、胸を張って「私は社会福祉士です」と言える仕事をしなければならない。
そのためには、もっともっと自己研鑽をしていかないと・・・

2004.10.29

プロとして

本日の業務内容
午前、機関紙の区分け・結束作業。無事納品完了。
午後、サシェの作業。本日は法人内の職員勉強会のため、作業は通常より早めに終了。
昨日から風邪状態が続いており、昼休みには近くのマ○キヨまで行って風邪薬とのど飴を買ってきた。そして即行、薬を飲んだ。利用者が不思議そうに見ていたので「飲む?」と聞くと「飲む!」と言い出す。
イヤイヤ、お薬とはいえ、一応毒だし・・・それに、あなた風邪ひいてないでしょ。(笑)

今日の内容に関しては、時間があればまた後日に詳しくご報告。
体調不良のなか話を聞いて来たけど、今日の内容は「支援とは」と言うことについて。「支援」については、ここでもこれまでに何度か話題に挙げてきた。ただ今回は「支援者として、支援とは?」と言うことについて。支援そのものの内容について、と言うことではない。

そのなかで今回一番実感したことは、重要なの「プロ」としての自覚を持つこと、と言うこと。当たり前と言えば当たり前なのだが、あらゆる面で「支援者」である以上は「支援のプロ」に徹していかなければならない、と言うこと。

「支援」と言っても、その内容は多岐に渡る。
利用者に対しての直接処遇はもちろんのこと、作業面においても「『できないこと』を『できる様』に環境改善をしていく」ことも支援であり、社会のなかで生活をしやすくしていくことも支援である。そして施設運営も支援者として必要なことであり、常にコスト意識を持って業務に挑むことも重要とのこと。

そして何より「笑顔」が大事であるとのこと。
「毎日笑顔で接していることを、自信を持って言い切れない人はこの仕事を辞めたほうがいい」と講演で話していたが、正直自分はこれに当てはまる。自分のポリシーとして「笑顔があれば、何とかなる」と言うのは持っているけど、それが必ずしも毎日続いていることとは、言い切れない部分がある。

と言うのは、自分では「笑顔」でいるつもりでも、周りから見たら笑顔に見えないことだってある。それに教示をする際も、笑顔で教示をしているわけではない。だから「自信を持って」とは言い切れないのである。ただし、1日1回は必ず「笑顔」の自分がいる。それは利用者を楽しませたいと言う気持ちと、「気持ちよく朝を迎える」ために、笑顔を絶やさないようにしている。朝会った時の第一声は、やっぱり元気よく挨拶をしたいもの。だから利用者から「おはようございます」と言われれば、こっちも笑顔で「はい、おはようございます」と、大きな声で返してあげる。

挨拶は人間の基本的な習慣の1つでもあるから、これだけは大事にしたい。
大事にしたいからこそ、笑顔がある。笑顔があるから、その日も1日「頑張ろう」と言う気持ちになれるのかも・・・

大きな声で言うのは恥ずかしいけど、自分はこの仕事を「天職」だと思っている。
だから、今の施設を動くことがあっても、この世界にからは生涯離れることはないだろう。

2004.10.28

ヤバいです、ヤバいです。

本日の業務内容
終日、機関紙の封入・区分け作業及びサシェの作業。

今日は短めに・・・ハッキリ言って、ヤバいです、体調が。
昨日に引き続き、小学生の来襲。色々と小学生に説明しつつ、緊張をほぐすために喋りつつ・・・なんてことをしていたら、喉が痛くなってきた。おまけに、ちょっとだけ変な咳をしたり、くしゃみが出たり、鼻水が出始めたりする状態。
さらに明日の作業を円滑に行うために残業をしていたけど、徐々に喉の違和感を覚えてくる。これはきっと・・・風邪をひく前兆か???

風邪と言えば、今年は4月の下旬に1度ひいた。そのときの状況は・・・行事関係で結構体が疲れていたなかでのことだった。そして今の状況は・・・そのときの状況と非常に良く似ている。多分放置したら・・・間違えなく悪化すること必至。

と言うわけで、特別にエアコンで部屋を暖める。
そして、風邪薬を飲んで、体を温めて・・・寝ることに。
とりあえずは明日の午前中まで体調を持たせないと・・・と言うより、納品が終わるまで。
納品が終わっちゃえば・・・存分に体調不良になってもいいから・・・(笑)

2004.10.27

てんてこまい

本日の業務内容
午前、サシェの作業及びダンボールの箱作り作業。
午後、体育施設清掃。落ち葉が多く、にっちもさっちもいかない状態。

今日も小学生のための作業体験を実施。
厳密に言えば、学校側から「総合学習の一環」としての依頼を受けて場を設定している。だけど今年はなんだかものすごく大変。半日で1クラス分を受け入れ、それを3回行うとのこと。で今日はその2回目だったけど・・・ハッキリ言って、ものすごく負担。作業体験のために場所を用意し、やることも用意する。前回・今回は何とかなったけど、残る1回は明日。おまけに金曜日〆切の作業が利用者が帰った後の夕方に入り、明日からその作業も動かす必要がある。作業内容としては簡単だけど、正直小学生に全部任せられるか・・・と言ったら、そうではない。むしろ心配な方が多い。

そして何より危惧しているのは、人数。
今までは「別室用意」という形で対応していたけど、今回の作業を行うためには、別室作業はできない。その理由は、別室に移動することによって「ミス」を出す可能性が飛躍的に高くなる可能性があるから。ミスが出てしまったら、その尻拭いをするのは自分。つまり負担はそのまま自分にのしかかってくるのであって、そういった部分も配慮しながら進めていかなければならない。

ぶっちゃけ、小学生にとっては「遊びの延長」程度に感じているだろう。
でもこっちは「仕事」として請けているものであり、遊び半分にやられてしまっては困る。ただ・・・小学生に「責任を持って」といくら説いたところで、それができるとは毛頭思っていない。普通の環境とは違うし、普段経験しないことをしているのだから、少なからず心躍っていることは間違えない。自分が小学生であったことを想像すれば、小学生の気持ちは容易に解せるだろう。

あぁ、明日は少し早めに行って、作業準備をしないと・・・
今日は何も準備しないで帰ってきちゃったし・・・ふぅ(*_*)

2004.10.26

「生きるため」の術

本日の業務内容
午前、サシェの封留め作業、及びダンボールの箱作り作業。途中、別事案で利用者に事情聴取。普段はふざけることもあるある自分だが、この時ばかりは「鬼のMitake」に変身。
午後、ダンボールの箱作り作業。今日は普段より早めに作業を終わらせ、利用者自治会を開催。本日、避難訓練を実施したため、それに合わせて地震の話をする。案外、今の状況について理解している利用者が多かった。なので話としては比較的熱心に聞いてくれたほうかな。

今日は久しぶりに定時近くに帰宅。別に何かあったわけではないのだが、ちょっと所用があって今日だけは早く終了した。で、いつもより早い電車に乗るのだが・・・大体この時間に帰ると、自閉傾向を持っていると思われる人に出会う。
自分の働いている自治体は、他の自治体に比べてうちのような施設が比較的多い。で、何故かそういう人も多い。もちろんその人は、うちの法人ではない、別の法人の授産施設を利用している人。この人の話題は、うちの施設の間でも結構「メジャー」な存在であり、自分も何度かこの人に「またしつこくしているのか?」と怒鳴ることもある。
ただこの施設、うちの施設に比べて利用者に支払う工賃は高いとのこと。その代わり、作業時間も一般企業並みに「8時間労働」のスタイルを通しているとのこと。一般企業に就労することを前提にした日課作りをしているらしい。

でもね・・・この人を見ていると、ちょっと考えるんだよね。
たしかに工賃は高水準であるかもしれない。でも「社会性」と言う部分についてはどれだけ対応しているのであろうか・・・と言うこと。

「怒鳴ることもある」と言ったけど、なぜ怒鳴るのか?
それは見ず知らずの人にしつこく関わったり、並んでいる人の列に割り込んで電車に乗車するなど、「社会性」と言う部分で大いに問題があると感じているからである。たしかに自分の施設から一歩外に出てしまえば、自分は単なる「社会人」であって支援員ではない。でも「福祉に従事している者」としては、こう言う状態はちょっと看過できない。ましてや同じような障害を抱える利用者と接している自分にとっては、決して人事のように感じることはできない。だから、厳しく対応をしている。

もしこのことを誰も言わなかったら、結局この人の「社会生活力」は上がらないだろう。
そういう部分も支援するのが、我々の仕事。たしかに「高い給料水準を維持する」ことも社会で生活していくためには必要なことであるのは言うまでもない。しかしそれ以前に「社会生活力」の欠如は、地域社会で生活していくのに大きなハンデとなる。最低限のマナーや社会性を身につけることも、社会の中で行きていくためには必要な技術。だから自分は、その部分を重視した支援を展開していきたい。いくらお金を稼げても、他人に迷惑をかけるようでは問題である。まずは、「社会生活力」の向上から。そして高い所得を得る・・・これが本筋じゃないのかな?

2004.10.25

「支援」と「指導」

本日の業務内容
午前、サシェの封留め及び梱包作業。合わせてショッピングバックもみる。
午後、サシェの梱包作業及び袋詰め作業。ってか、今日も色々。今日は午前が職員1欠、午後が2欠のため、かなり職員配置が厳しい状態。そのため予定していた外作業も中止。ホント、疲れるわぁ・・・
本日、給料日。最近、自分の薄給に改めて実感する・・・(T_T)

今日の記事が340本の投稿。毎日blogをつけながら、他の人のblogにも行きます。そしてコメントをつけることもしばしば。その中で「介護等体験」に関連して、教職を目指している「yesterdays」さんのblogにこのようなコメントをしました。

「支援」と言う言葉を使えば響きはいいのですが、簡単に言ってしまえば「生活指導」と同じなのです。
「施設を利用する」と言うことは、何らかの理由があって我々一般のような生活が送れないから利用しているわけであり、それに対して支援を行っていくのが、私の仕事です。ですから生活態度に問題があったり、言動・行動などに対して正すべき点があるときは、それを正していくことも必要になるのです。ですから、いくら「支援」と言っても「間違ったことをしている」場合には、それは「指導」しなくてはならないのです。

これは「福祉と教職の仕事の相似性」についてコメントしたときの内容ですが、やっぱり改めて「指導が必要」と感じています。

コメントにも書いたように、「施設を利用する」と言うことは、何らかの理由があって利用しているわけであり、問題がなければ利用する必要はありません。そしてここで言う「問題」と言うのは、障害から起因する事柄すべてが当てはまるものであり、施設外のことに関しても当然「支援」が及ぶことがあります。

しかしその内容が「支援」と言う言葉が適切でないことも多いのが現実。例えば万引をしてしまったり、行方不明になってしまった・・・などは「支援」と言う言葉は不適切です。こう言う場合は「指導」が適切なのでしょう。
なかには「今は対等な関係なんだから、指導はおかしい」と言う人もいるかもしれません。しかし法に触れる行為の場合、それでも「対等な関係なんだから・・・」と言うことを主張できるのでしょうか?

私は「NO」だと思います。
何故なら、仮にそのような行為が「悪い」と認識している、あるいは「やってはいけないから、やらない」と行動で示せるのであれば、そこに「支援」の必要性はないのです。その部分の理解力ないし(社会性の)獲得がなされていないから、支援が必要なのです。

何故こんなことを書いているのか・・・
実は昨日、それがあったんです。夜に施設長から電話があり、その事実を知りました。今日はその利用者は欠席でしたが、明日以降「指導」を行います。もちろん施設外のことですが、「生活支援」が私の仕事である以上、当然その部分も支援の対象です。同時に、保護者に対しても行います。

「支援」と言うのは本人だけ行えば良い訳でなく、本人以外にも行うのです。
そうして初めて、その人の「自立」に向けた生活支援ができるのです。私はまだ、それだけのキャパシティが備わっていないため、色んな人の助けを借りながら日々業務をこなしている毎日なのです。

2004.10.24

やっぱり欲しいなぁ

新潟の地震、大変なことになっているみたいです。
私も6月の上旬に社会福祉士の全国大会で新潟に行っているだけに、被害の状況が気にかかります。今回被災された方に、心からお見舞いを申し上げます。

さて、今日は何か背中が痛い。
別に何もやっていないのに・・・と思っていたが、よくよく考えてみると「筋肉痛か?」と思える出来事あった。

ここ最近は外作業に出ることが少なくなった。業務分担の変化で、今までは外作業中心であったが中作業にも関わるようになった。外作業の場合は委託契約どおりに作業を実施すればよかったのだが、中作業の場合は納期までに作業を完了させなければならない。となると、外作業を実施する日に中作業の納期がやって来る・・・と言うことは日常茶飯事のことに。または自分がいないと作業が回りにくい、と言うこともしばしば。そういう時は他の職員の人に外作業に出てもらうことがあるのだが、最近はその回数が多くなっている。だからここ最近の業務報告を見てもらえれば、古紙回収や清掃作業に出ている回数が少なくなっている。

当然外に出る回数が少なくなれば、それだけ「体を使う」場面が減る。すなわち、「カラダが燃えない」状態であり、どんどんアブラを溜め込んでしまうことに。「それだけは避けなければ・・・」と考えているため、週末にはみっちり歩くことをしている。

で、歩く時にしっかりと両腕を振って歩く・・・
もしかして、それが背中の「筋肉痛」の原因か・・・と疑ってしまう。

でもそれ以外に背中が痛む理由は見つからない。
やっぱり、それが原因かも・・・あぁ、日頃の運動不足を露呈している・・・(*_*)

そんな状態の中で、買い物に。そしておなじみの「さ○らや」へ。(笑)
するとそこにマッサージチェアが。あんまりお店でそういうものは体験しないのだが、今日はちょっと座ってみることに。
まずは比較的お手ごろ価格のチェアに。足のあんま機能はないものの、今の自分にとっては背中をマッサージされることが気持ちよく感じるため、足の部分は気にならない。心の中では「オォ、気持ちいィ・・・」と言う状態。
そしてもう1つ、ややお値段のいいチェアに。こちらの方は足のあんま機能つき。で、座ってスイッチをONにすると・・・機械が指圧点を確認して、マッサージ開始。さすがに値段がイイだけに、マッサージも気持ちいい。足のマッサージも気持ちいい。ずーと座っていたいくらい。

でもあんまりそこに長居することは気持ち的にできない方。
ある程度体験してから、次の場所へ移動。でもやっぱり、マッサージチェアは気持ちいい。以前親戚の家で使ったときも気持ち良かっただけに、今日座ってみて、改めて「やっぱり欲しいなぁ・・・」と実感。

まぁ買おうと思えば何とかなるのだろうけど・・・それ以前に、チェアの置き場がない。
仮に買ったとしても、今の自分の部屋にはそれを置くスペースがない。もし置いたとしたら・・・歩く場所がなくなる・・・(汗)

あぁ、欲しいんだけどなぁ・・・きっと極楽浄土に行けると思うけど。(笑)

2004.10.23

コトバ★「ダウン症」

今週のコトバは「ダウン症」
ドラマのことについても後ほど触れますが、その話題に行く前に、導入を。

★「ダウン症」とは
私は別に医学を専門的に勉強した人間ではないのであまり詳しくは話せません。なので、簡単に「ダウン症とは?」と言うことについて話すことにします。ダウン症は正式には「ダウン症候群」と言い、染色体異常の1つです。通常人間の染色体は23対46本の染色体を持ち、1対の染色体ごとに1番から23番まで番号が付けられており、最後の染色体が「性染色体」として規定されています。(学校で「XYは男性、XXは女性」って勉強したことありますよね。)
ダウン症は人間が持つ染色体のうちの「21番染色体」が1本多い3本で、このことが発達に影響を与えています。
ダウン症の原因はまだ明確にはされていませんが、ダウン症を持つ子が生まれる傾向として「高齢出産」との関係が指摘されています。ダウン症を持つ子の出生頻度は0.15%、およそ1000人から1500人に1人の割合と言われています。

★どんな障害をもつのか
もちろん障害の軽重は様々で、その内容も人によって異なっていますので一概には言えません。ただ一般的に見られているものとして知的障害、弱視・斜視等の視覚障害、心疾患、特異な顔貌などです。ただ「特異な顔貌」と言っても、顔の形が普通の人にくべて変わっている・・・と言うよりも、表情に特徴があると言ったほうが正しいかもしれません。

★実際は
現在、私の施設には数名のダウン症の利用者がいます。もちろん私の施設は成人施設なので、年齢も20代から30代までいます。で、私の場合はダウン症の利用者と関わることが大変多いです。排泄介助で関わったり、ケース担当として関わったり、そして作業場面で関わったり・・・実は私、ダウン症の利用者と関わっている時間がかなり多いかも知れません。
実際に関わって感じていることですが、とにかく人懐っこいですね。なにしろ作業場面でも関わっていますし、ケース担当としても関わっている。そしてそれ以外の時間も関わっている。休憩時間や昼休みの時は一緒に遊んだりもしている。今では彼らと一緒に「3兄弟」(自分を含めてダウン症の利用者が2人おり、自分を含めた利用者と3人でいると、まるで「ブー・フー・ウー」の3兄弟(自分的には「だんご3兄弟」の方がイメージできるんだけどな・・・)みたいに見えるらしい。)を名乗っているくらいの間柄で、それだけ人懐っこさがある。でもその一方で「幼さ」と言う面もある。年齢的には20代・30代に達しているものの、彼らの興味範疇はいわゆる「幼児」が関心を集めるもの。で、その関心がいつまでも進展することなく、ほぼ永続的にその関心が続いている。普通の「幼児」であれば、一定の年齢に達すると、興味嗜好も高次なものに発展していく。しかし彼らの場合は、それがない。そしてそのことが時に、彼らの間柄でトラブルとして発展することもある。当然私もトラブルに対して対応することもあり、必要であれば教示も行う。やっぱりその部分は「ダウン症」の部分以上に「知的障害」の部分が占めているのでしょう。
その他のこととしては、「どんな障害を持つのか」に触れた内容は、やはり当てはまっていますね。心臓関係の疾患も経験していますし、視覚に関しての障害も持っています。また皮膚疾患も持っており、市販されている薬品を使うのはなるべく避けるようにしています。

そんなにダウン症について詳しいわけではない。ただ10月26日に放送される「たったひとつのたからもの」に関しては、自分はかなり共感してみることができると思う。自分の場合、こう言うドラマに関しては兎角批判的な目で見てしまうところが多い。だけど今回に関しては、ものすごくリアルに描かれている。何といっても、実際のダウン症の子が出ているのだから、これ以上に障害を見ている人に伝えられないわけがない。今日もメイキングを放送していたけど、正直これだけを見ていても、とても面白い内容に仕上がっていることを感じ取れた。

多分、この子は別に「演技」と言うことは特に意識していないと思う。ただ、色々と経験を積むこととしては、今回のことはこの子にとって、大きくプラスになることは間違えない。障害を持ってしまうと、どうしても社会の「枠」が狭まってしまう。事実、うちの施設の利用者のほとんどは「社会的な経験値」と言うのは低く、当然その枠も狭い。そういう中で「ドラマ」と言う経験を通じて色んなことを体験できるのは、とても良いことだと思う。

今回のドラマ、号泣確立は90%かな。
お時間に余裕のある方、個人的には必見のドラマです。もちろんダウン症を理解するためにも。


参考文献・サイト
社会福祉用語辞典(ミネルヴァ書房)
社会福祉士・介護福祉士のための用語集(誠心書房)
財団法人日本ダウン症協会

2004.10.22

ココログオフィシャルガイド2005発売

本日の業務内容
午前、色々ありすぎて、わからない・・・ってか、覚えてない。
午後、サシェの梱包作業。途中、久しぶりに利用者と一緒にトイレ掃除を行う。普段は利用者だけで掃除するか、または別の職員が一緒に掃除をするのだが、今日はその職員が忙しかったため、自分がやることに。まぁ別に自分が入る必要もなかったけど、週末だったのでトイレ内を消毒する必要もあったので参加。消毒液をテキトーに水で薄めて磨いて、水で流す・・・って、こんな感じでいいのか・・・(^^ゞ

午前中は、本当にドタバタ状態。
利用者のストレッチ体操を行った後に、別室に小学生の体験作業場を準備。すると、ウォーキングに出ていた利用者が戻ってきたため、準備を並行しながら利用者用の作業準備&指示。で、再び体験作業の準備を始めようと思ったら、小学生が来てしまった。「ウッソ~ン、早いよぉ・・・」と焦りながら、準備を行っていたが・・・小学生に作業を説明している時も利用者からは「Mitakeさん、何するの?」との指示受け待ちが殺到。
こんな状態が午前中イッパイ続いた。やっぱり作業室内に常勤職員1人は、キツイ。

ところで話は変わって・・・
本日「ココログオフィシャルガイド2005」が発売になりました。

で誠に恐縮ながら・・・
「Mitakeの小箱」もこの「ココログオフィシャルガイド2005」に紹介されています。たしか「ココログガイド」と言うところに掲載されているみたいです。

もっとも、まだ自分は現物を読んでいないのでわからないのですが・・・
近いうちに入手しようと思います。もし見つからなかったら・・・そのときはネットで調達しますか・・・(笑)

まぁ紹介されようとなかろうと、「Mitakeの小箱」のスタンスは今後も今までどおりです。別に何か特別なことをするつもりもありません、今のところは。自分の思うがままに書き、そして時には真面目なことも書く。
これが「Mitakeの小箱」なのです。

関連リンク
ココログブックスニュース
ココログブックス

2004.10.21

帰りそびれ

本日の業務内容
終日、ダイレクトメールの部材の検品。昨日の「発想の転換」から一夜明け、朝利用者が体操をしている最中でも緻具作りに集中。そして型紙を作って緻具量産。おかげで当初は難しいと思われた作業が、予想以上に早く進む。そして何と、3時ごろにはすべての作業が終わり、納品可能な状態まで完成した。
正直、こんなに早く終わるとは思ってもいなかった。昨日の一件があっただけに、ちょっとうれしい誤算。

無事作業が終わったこともあり、今日は久しぶりに早く帰ろう・・・と思っていたが、施設長から「明日は午前中に小学生が(作業)体験に来るから」との話があったため、何人来るのかを聞いてみた。すると・・・

「え~と、2回に分けて。1回が14・5人かな。」

エッ?そんなに来るの?
ハッキリ言って、そんな人数が作業室の中に入って作業できるわけがない。おまけに、それだけの人数の作業も用意できていない。なおかつ、それが2回・・・到底、今の状態では手薄なまま終わってしまう。さらに明日は職員が1欠の状態。

それを聞いてしまっては、素直に帰るわけには行かない。もちろん帰っても問題はないのだが、実際に作業室の中を動かすのは自分。だから結局明日苦労するのは自分。そういう状況がわかっていながら、帰ることなんかできるわけがない。せめて1回分の作業は確保しておきたい。

と言うわけで、残ってサシェの香料の袋詰めを実施。その数、600個あまり。
600個を屈みながら袋詰めをし、なおかつ手袋もせずに袋詰めをした。そのため、腰は痛いわ、手に香料の臭いはつく。で、手の臭いを嗅いで見ると・・・ラベンダー風味の手に。(爆)

結局、忙しい時の退社時間とほとんど変わらず。むしろ、今日の方が遅いくらい。
やっぱり忙しい日々からは当分抜けられそうにないなぁ・・・。

2004.10.20

「発想の転換」と「休息」

本日の業務内容
午前、来年度の清掃関係の見積書を作成後、関係先に提出。その後会報に掲載する原稿の作成、そして久しぶりにサシェの香料の袋詰め。素手でやってしまったため、ラベンダーの臭いがしっかりとついてしまった。
午後、ダイレクトメールの部材の作成。来週の金曜日午前が〆切だが、利用者にとって難しい作業が1工程だけあり、その作業の部分が滞ってしまっている。その上、利用者が作業をミスしてしまい、その量が100枚程度に及んでしまったため、思わず「おぃ~!」と叫んでしまった。あまりの出来事に怒る気にもならず、頭がクラックラの状態。顔では笑っているけど、心の中では大泣き状態。
まぁ難しい作業を利用者でもできるように緻具の作成に集中していた自分にも落ち度があったけど、居眠りしながらやっていたら、そりゃミスは出すわ・・・もちろん、その利用者はその後の作業は中止。別作業に切り替え。

そうこうあって、今日もまた残って少し作業をしていこうと思ったけど、何しろ外は台風接近。さらにその影響で母の透析も通常より早く実施。そのため迎えも早く行くことになったため、結局残ることなく帰ってきた。そして自宅で緻具の作成をしようと、母に今の作業について話をした。

今やってる作業、難しいんだよね。紙をまっすぐ貼るのであれば、上から当て紙をしてその下に貼る様に指示ができるんだけど、斜めに張るってことになると、やっぱり緻具を作らなくちゃ難しいみたい。上から当て紙をしても・・・当て紙・・・?

ここで一瞬、ひらめく。当て紙、当て紙、当て紙・・・

そうか!そうすればいいんだ!

施設で考えている時は本当に「緻具」を作ることに頭を悩ませていたけど、家でやろうと思って話をしていたら、答えは簡単だった。何も無理してサイズを測って緻具を作ろうとしなくても、発想の転換で大した加工もしないで簡単に緻具を作ることができことが判明。おかげで、自宅での仕事はなし。明日は早めに出勤してちょこっと加工すれば、全然問題なし。これなら、きっと多くの利用者がこの作業に参加できる。

やっぱり少し時間を置いたことと環境が変わったことで、別の見方ができたみたい。それに頭の中もかなりクリアな状態だったかも。施設にいるときは利用者のミスで頭と心がパンパンの状態だったけど、自宅に戻ったことで緩和。やっぱり適度に休息した後の方が、発想も仕事も良い方向に向かうんだな・・・と言うことを実感。

これがうまくいけば・・・今回の作業も何とかなりそうだ。
とにかく、明日が勝負。明日の如何によってすべてが決まるかも。

2004.10.19

・・・お~い。

本日の業務内容
午前、ダイレクトメールの部材の検品・梱包作業。昨日の遅れを取り返すべく、利用者を増員。おかげで、作業終了のメドが立つ。ただし午前中に近くの小学校1学年が見学に来たため、落ち着いて作業ができる雰囲気ではなかった。表では小学生に話しかけながら、心の中では「クソ忙しい時に・・・」と思っていたりもする。
午後、来年度の清掃関係の見積書を作成。今日は月に1度の嘱託医相談があり、自分の担当する利用者が相談を希望したため、一緒に話を聞くことに。そうこうしている間にダイレクトメールの作業が終了したため、そのまま納品。その後は嘱託医相談の結果報告書を作成し、利用者に対しての作業評価をつける。
っていうか、午後は作業に参加していませ~ん。(爆)

午後は作業をしていないとはいえ、パソコンの前や自分の机で必要な作業は行ってる。
そんな中電話が鳴って受話器を取ると、自分のケース担当の保護者からの電話だった。電話は本人に用件があったみたいなので、利用者を電話口に呼び出す。その時、利用者に「Mitakeさんもお話したいことがあるから」と一言言って電話を代わった。そして利用者が自分に受話器を渡したので、自分が話をしようと思い「もしもし」と呼びかけた途端・・・

ガシャ!

ぉぃぉぃ・・・そりゃないだろう。
こっちも話しておきたいことがあったのに、自分の用件が終わったら切っちまうのかい?
あまりの出来事に思わず「コノヤロウ・・・」とつぶやいてしまった。

まぁね、こういう保護者もいるのは事実。
話しやすい人もいれば、そうでない人もいる。こっちの伝えたいことが伝わる人もいれば、伝わらない人もいる。この仕事って、利用者だけでなく保護者ともうまく付き合っていくことも大事。そういう部分は学校の先生と似ている部分があるかなぁ・・・と実感している。

ただ・・・やっぱ、ストレス溜まるね・・・(^_^;)

2004.10.18

舅状態?

本日の業務内容
午前、公園清掃。台風や大雨が続いてなかなかしっかりできなった公園清掃。今日は久しぶりの晴天で、今までできなかった分まで念入りに実施。ついでに池の中も「溝さらい」を実施。木が出てくるは、出てくるは・・・打ち出の小槌を振ったかのように。
午後、ダイレクトメールの部材の検品作業。でも実際は保護者向けの手紙のワープロ打ちに、利用者の評価基準の作成の打ち合わせなどで、作業に参加した割合は少ない。でも作業の進行状況はちょっと滞り気味・・・また明日から早出&残業をしなければならないかなぁ・・・

今日から再び介護体験の学生さんが「来襲」。
介護体験の学生さんネタはこれまで何度なく書いてきたけど、やっぱり今回もネタとして成立しそうな感じ。大体うちの施設に来る学生さんの場合、女性2名のパターンが多く、男性はやや少なめ。だけど今回は男性2名のパターン。
(利用者的には女性2名の方がものすごく盛り上がっているけど・・・笑)

でもやっぱり、今回の学生さんも「やる気ゼロ」オーラが漂っている。
何しろ、体験初日にもかかわらず上履きを忘れているのだから、ちょっと神経を疑ってしまう。まぁ2人いるうちの1人は「まぁ、何とかなりそうかな・・・」と言う印象だが、もう1人は「ちょっと厳しいなぁ・・・」って感じ。だから作業に関しても「学生ボラ」と言うよりも「利用者に毛が生えた」と言う状態かも。つまり、当てにできないということ。

どうも今年の学生はハズレばっかり。福祉系の学生と一般系の学生では、やっぱり違う。最初のうちは「自分の目が肥えてきたのかな・・・」と思ったけど、やっぱり「学生の質」であることを実感。
でもこう言うことばっかり言っているのって・・・なんか「小舅」みたい・・・(爆)

2004.10.17

入らないんですゥ~~~残念!

ちょっと波田陽区風に・・・内容は全く関係ないけど。(笑)

今日は自宅の修繕。
なにしろ、今家の中には電気のつかないところが幾つもあって・・・
何かこれだけでかなり「ビンボー」な家に感じる・・・(笑)

いや、別に電球を買うお金がないわけではない。
単に「変える時間がない」のである。なにしろ朝早く起きて変えるのは眠くて面倒だし、仕事から帰ってきた後では真っ暗。だから休日に・・・と思っても、今度はダラダラした生活になっているため、これまた変えずに1日終了・・・

しかし、今日は気合が違った。
起きた時間こそはお昼前だったけど、メシを食べた後に脚立を運び、脚立を交換する電球の場所にセット。そして電球を取り外すと・・・電球だけでなく「電球ケース」も一緒に外れた。

どうやら「電球のボックス」があって、そのボックスから電球の部分(ソケットの部分)だけ外して、新しい電球を付け替えるらしい。なので、電球を取り替えるためにボックスからソケットを外し、古い電球を取り外して、新しい電球をつける。そして、ソケット部分をケースに戻そうとしたのだけど・・・

ケースの口より、

電球の玉の方が大きくて入らないんですぅ~

残念。

これで、電球の交換を一時中止。
近くのお店で電球を買いなおして、再び装着。そして、今度はちゃんと収まった。

あ~あ、今日は電球を全部付け替える予定だったのに・・・
残る場所は、玄関の外灯。この電球こそ、夜じゃ付け替えられない。
あぁ、玄関の外灯を付け替えるのはいつの日になることやら・・・(笑)

2004.10.16

コトバ★「児童福祉司」

今週のコトバは「児童福祉司」
ところが、実際にこのblogにアクセスしてくる時のワードは「児童福祉士」でヒットする人が多い。実は「児童福祉士」は間違えであり、「児童福祉司」が正しいのである。

この世界には「シ」がつく資格・職業がたくさんある。例えば、次のように・・・

」:社会福祉士、介護福祉士、精神保健福祉士、理学療法士、作業療法士など
」:医師、看護師、助産師、保健師など
」:児童福祉司、知的障害社福祉司、身体障害者福祉司

しかし「どうして、それぞれ「シ」が違うのか?」と言うことに関しては、あまり触れられていない。なので、それぞれの「シ」について調べてみると、次のように書いてあった。

」:一定の資格・職業の人。
」:技術・技芸などを表す語に付いて、その技術の専門家であることを表す。
」:律令制で、省に属し、寮の次に位した役所。明治初年、官省に属し、局・寮の次に位した役所。(「つかさどる」仕事のこと)
(すべて「yahoo!辞書より」)

こうやって見ると、「士」と「師」はあまり差が見られないように感じる。しかし「士」と「司」では、だいぶ意味が違ってくる。さらに、ここで挙げた「司」の職業は、すべて行政職である。つまり「司」とつく職業はすべて公務員であり、公務員の職業・職種・役職として「司」があると考えるのが普通であろう。だから「士・師」と「司」は全く意味が異なってしまうので、間違った表記に注意しなければならない。

ちなみに「士」と「師」について、私の学生のときは「士は侍(さむらい)職」「師は業(わざ)職」と教えられた。要は「国家試験での間違えをしないように」と言うことだったのが、今現在での考え方は「名称独占」か「業務独占」か、と言う部分で考えられている。

「名称独占」とは「資格を持たないものが、その資格を名乗ったり紛らわしい名称を使うことを禁止」する資格のことで、ここに挙げた「士」の資格はすべて名称独占になる。一方「業務独占」とは「資格を持たないものがその資格を名乗ったり紛らわしい名称を使うことを禁ずるほか、資格の根拠法が規定する業務を行うことを禁止」する資格のことで、やはりここに挙げた「師」の資格はすべて業務独占になる。

ただ、この推測どおりに考えたら「弁護士はどうなるの?」と言う問題に当たる。弁護士の場合は「弁護士資格を持たないものが、弁護活動をしてはならない」と言う旨が弁護士法に書かれているので「業務独占」にあたる。しかし名称は「士」であるため、上記の内容では説明がつかないことになる。

なので・・・「士」と「師」に関しては「保健・医療・福祉の領域」と言うことで考えれば、とりあえずは説明がつくだろう。

最後に「児童福祉司」について。
既に「児童相談所実習」でも書いてありますが、児童福祉司になるためにはまず公務員試験に合格する必要があります。その上で児童相談所に配属され、児童処遇の職に携わることになって初めて「児童福祉司」を名乗ることができるのです。ただ・・・今言ったように「名乗ることができる」のであって、人によっては「児童福祉司」になる資格を持っているのです。
実は「児童福祉司」と言うのは社会福祉主事と同様に「任用資格」であって、児童福祉司の資格要件に合致し、なおかつ実際に児童福祉司として業務に携わることによって、初めて「児童福祉司」と言えるのです。ちなみに自分の場合は既に児童福祉司になる要件を満たしている(「社会福祉士であること」と「大学で社会学を修めて卒業」)ので、児度相談所で勤務をすれば当然「児童福祉司」になれるのです。

でも実際は・・・そう簡単にはなれるものではないんですよね・・・
それに、実際の仕事は非常にハードなもので・・・実際に児童福祉司をされている「児童福祉司日記」を読んで頂ければ、その大変さは手に取るようにわかると思います。児童相談所実習に行って感じたことですが、本当に児童福祉司の方には頭が下がります。色々とバッシングを受けることも多い職業ですが、そんな中頑張っている児童福祉司の皆さん、ご苦労様です。

2004.10.15

やっぱり、「仕事」は「仕事」

本日の業務内容
親子旅行同行2日目、先ほど帰宅。一言・・・疲れた。

昨日は「白根山」に登ったけど、今日は3ヶ所に立ち寄る。で、最後に立ち寄ったのがここ、軽井沢プリンスショッピングプラザ
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実は今回の同行の中では一番楽しみにしていた。何といっても、仕事をしながらプライベートで買い物をしようと考えていた。しかし実際に買ったのは、これ。
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ハッキリ言って、こんなもんはどこにでもある。
なのに「あぁ、あったらいいのかなぁ・・・」程度の思いで買ってしまった。別に軽井沢まで行って買うようなものではない。

今日、改めて実感。やっぱり「仕事」は「仕事」であって、基本的にプライベートは取れないということ。施設の行事でTDRやUSJに行ったりしたけど、やっぱり満足に遊べるものではない。まぁそれらの行事は基本的に「施設主催」であるから当然と言えば当然だけど、今回の親子旅行は「父母会主催」の旅行。職員は本当についていくだけであるが、実際は自由な時間はあまりない。別に「仕事」として何をやったと言うわけじゃないけど、でもやっぱり行程すべてが「仕事」と化してしまった。

もっとも親子旅行の場合は宿泊旅行と違って、親子で参加している利用者の方が多い。すると必然的に・・・接待旅行の雰囲気をもってしまうのかな?事実、昨日の宴会では周りからの「急かせ」に応じて一曲披露しちゃったし・・・こんなことをするために同行したわけではないのだが・・・やっぱり、これって単なる接待?

でもね、泊まった旅館は良かったよ、マジで。
初めて「温泉って良いなぁ・・・」と実感できた旅館。基本的に「温泉嫌い・風呂嫌い」の自分だけど、今回だけは「良い!」と実感できた。この旅館なら、また行っても良いかなぁ・・・その旅館は「奈良屋旅館」。

ただ・・・そう感じたのは単に「自腹を切ってない」だけからかも・・・(笑)

2004.10.14

ちょっと夜遊び

夜の湯畑
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遊びのような、そうでないような

本日の業務内容
親子旅行同行。今回は施設の行事ではなく、父母会の行事。なので特に何か準備する必要はなく、本当に「同行」しているだけ。ただ、中には親が参加していない利用者もいるため、その利用者のサポートの役目が主な役割。

でも実際は結構やることも多い。参加している親のほとんどは母親であり、利用者の多くは男性。となれば、母親の手が届かない部分を職員が見ることになる。もちろん、24時間関係なく。

普段は施設にいるときだけ接しており、自分も自宅に帰ればダラダラの生活。でも今日は利用者の手前、普段自宅にいるときのように過ごすわけにはいかない。

利用者はあまり気にしていないかも知れないが、こっちはかなり疲れる。やっぱり泊まりがけの仕事は精神的に疲れるなぁ・・・

現在は?

草津ゆもみショー
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行事同行中。

現在、行事同行中。今はここ。
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2004.10.13

一番のリアリティかな

本日の業務内容
午前、化粧品サンプルのダイレクトメールの検品・結束作業。終了後は次の作業の部材を取りに出かけたり、アセスメント票の記入をしたり・・・細々とした業務を少しずつ。
午後、サシェの作業。芳香剤を詰めるところからサシェの封入・梱包まで・・・以前もサシェの作業はやったことがあるのだが、この作業の難点は「臭い」。正直、こういった臭いは好きではない。長い時間臭いを嗅いでいると、頭がクラックラしてくる。おまけに、その「大本」となる芳香剤の塊が大量にあるのだから・・・ある種の拷問状態・・・(爆)

今日はニュースから。
スポニチアネックス「聖子 10年ぶり主演ドラマで感動の涙」

 歌手・松田聖子(42)が10年ぶりに主演するドラマ、日本テレビ「たったひとつのたからもの」(26日後9・00)の制作発表が12日、東京・汐留の同局で行われた。ダウン症で余命1年と宣告された子供と母親の6年と2カ月にわたる懸命の闘病ぶりを描いた感動作。母親役の聖子はこの日初めてダイジェスト版を見て泣きはらして、登場が遅れるハプニングが発生。司会の女性アナも涙を流すなど、会場は異様な雰囲気に包まれた。
 会見場所となった日テレホールにある300インチモニターに映し出された9分間のダイジェスト版。実際のダウン症児が子供役として出演したドキュメンタリードラマで、会見の司会を務めた同局の小野寺麻衣アナ(28)はウルウル状態となり、しばらく声が出なかった。数十秒の間を置いて、なんとか「感動のドラマです」と声を振り絞り、聖子登場のおぜん立てをつくった。
 10年ぶりのドラマ主演。駆けつけた多くのカメラマンたちが一斉にカメラを構える。ところが、意外な声が響き渡った。「ちょっと、待ってください。聖子ちゃんが泣いちゃっているみたいなんで…」。声の主は演出家の雨宮望氏。控室の小さなモニターでダイジェスト版を視聴していた聖子が「相当泣いてしまった」(関係者)ため急きょメーク直し。雨宮氏が「松田さん、OKだそうなんで、(会見に)いきましょうか」と話すまでに数分間を要した。
 フラッシュを浴びた聖子は笑顔を交え、「きょう初めて見て、胸がいっぱいになりました。私の力で表現できるか悩みましたが、私のすべてを懸けて、心を込めてやらせていただいた」とあいさつ。「泣いてはいけないのに泣いてしまったシーンはしょっちゅうで、スタッフもウルウルしていた」と苦笑い。
 父親役の船越英一郎(44)は「長く仕事をしているが、自分の出演ドラマを見て初めて落涙した」と聖子を“援護射撃”した。
 会見が終了し記者が退出した後、聖子のリクエストでダイジェスト版を再び“上映”。聖子はほお全体にハンカチを当てて、またまた大泣きしたという。かつてアイドル時代には「涙なき泣き」が話題になった聖子だが、今回は本当に涙が止まらなかったようだ。

この前の金八の話題にしてもそうだけど、この種のテーマを扱うドラマが多くなった。この前は自閉症だったけど、今回はダウン症。もちろん自分の施設にもダウン症の利用者さんはいるし、かく言う自分がダウン症の利用者のケース担当でもある。

実際に自分が接して感じるダウン症の印象は、明るい。
だけどダウン症の子って、みんな同じような顔立ちになっている。言語も不明瞭だし、知的レベルも「低い」と言うよりは「幼い」と言う印象の方が強い。もちろん知的レベルが低いことは低いのだが、それ以上に自分がダウン症の利用者と接していて気にしているのことが、健康配慮のこと。

今回のドラマでも「余命1年と宣告された子供と母親の6年と2カ月にわたる懸命の闘病ぶりを描いた」とあるが、実際ダウン症の子は知的な部分だけではなく身体的な面でも疾病や障害を抱える子が多い。うちの施設にいるダウン症の利用者は心臓疾患を患ったことがあり、それも同じ症状(心筋梗塞)であった。年齢的にはまだ20代・30代であるけど、普通の健康な人に比べたら身体的なリスクはかなり高い。だから昔は「ダウン症の子は6歳まで生きれれば御の字」と言われていたことがあった。

しかし今は医療技術が進歩し、たとえ障害を持ってこの世に生まれたとしても早期療育・早期治療で長く生きることができるようになった。ただ、技術の進歩があるとはいえ現実として、長く生きることのできない子がいることも事実なのである。

今回のドラマは、実際のダウン症児が子役として出ていると言う。朝、ズームインスーパーを見ていて「この子、演じているのかな?かなりダウンちゃんに見えるけど・・・」と思ったけど、やはりダウン症児だった。今回、本当に障害を持った子を出演させると言うのは、製作側としても、親の側としても、非常に勇気のいる決断だったと思う。でも、だからこそ、今までのドラマでは描くことの難しかった「障害のリアリティ」を忠実に再現し、強く見ている人に伝えられるかな・・・と感じる。

きっと自分も、このドラマを見たら大号泣することは間違えない。
いくら福祉に携わっている人間とはいえ、所詮「普通の人」であるから。本当に理解をしたいのであれば、このドラマはかなり勧められる・・・と個人的に考えている。

2004.10.12

仕事の鬼?

本日の業務内容
終日、化粧品サンプルのダイレクトメールの検品・結束作業。公園清掃は他の職員の人に任せて、今日は中作業に集中。ってか、そうしないと作業が回らない可能性があった。ただそのおかげで、何とか明日納品のメドは立った。利用者がするべき作業分も終了し、後は職員が検品・結束すれば完了。何とかなりそう。
午後に体育施設清掃の報告書を出しに、市役所まで外出。雨の日の外出は、イヤだ(*_*)

だけど本当は「これ、ちゃんと終わるのかなぁ・・・」と危惧していた。
その証拠に、ここ数日はいつもより早く出勤し、普段より遅くまで残業をしていた。特に朝は送迎業務があるからタダですら他の職員よりも早く出勤している。それを更に早く出勤して作業をし、そして定時を過ぎても作業のメドをつけるために残業をする。もちろん今日も残業をして来た。

その光景を見て、施設長が一言・・・「Mitakeさん、仕事の鬼ね。

いや、それだけやらないと不安なのです。
今までだったら「何とかなるかな・・・」ぐらいでも良かったけど、今は「これなら大丈夫」と言った、はっきりしたメドが立たないとどうしようもない状態なのである。新しい業務分担になって2ヶ月目。最初の1ヶ月目はミスの連発で、結構色んなところに迷惑をかけてしまった。それがあるだけに、今はかなり慎重になっており、早出・残業もその現れであると思う。ミスは許されないし、高い品質も維持しなければならない。だからこそ、今はかなり必死になっているのである。

だから別に「仕事の鬼」と化しているわけではない。
ただし・・・木曜日から1泊2日の行事が入っているから、かなり必死なのね・・・(汗)

2004.10.11

「ON」と「OFF」

今回はTBからの人が多い。なので、今日はもう1本。

10.9両国のIWGP戦をあえて「史上最低の茶番」と形容することにしよう。ただし「茶番」が絶対にいけないのかと言ったら、それはまた違う。茶番があるからこそ、リアルの試合に燃えられるのである。

「エンタメ路線」を茶番と言ってしまうのは語弊があるが、自分は基本的にアメプロのようなプロレスは好きではない。「好きではない」のであって、嫌いなのではない。自分も昔はTAKAみちのくが当時のWWF(現WWE)に参戦していた時は常にアメプロを見て、燃えていた。周りはついてきていなかったけど、自分は結構ハマっていた。その証拠に今のケータイにも着メロとしてケインのテーマをDLしてあるくらいなのだから。

でもエンタメ一直線では、やはり飽きる。そんな時に出会ったのが全日本。
全日の三沢vs小橋戦を見て「プロレスのすごさ」を感じた。そこから、リアルなプロレスを好むようになった。アメプロから心が移った瞬間であった。そして国内のプロレスであればなんでも見るようになった。もちろん、新日も。だから基本的に「ご贔屓」のプロレス団体は持っていない。ただ「好んで見る」と言えば、やっぱり今はNOAHであり、「小橋建太サイコー」なのである。

ではなぜ自分は「NOAH」に惹かれるのであろうか?
やっぱり「力と力のぶつかり合い」「プライドのぶつかり合い」を感じ取れるからではないだろうか。自分の場合はほとんどテレビ観戦である。でも、テレビからであっても戦いの「熱さ」を感じることができる。そして見ていると、熱くなれる。言葉ではうまく形容ができないけど、心の奥底から沸々と湧き上がるものがいつもある。だから自分はNOAHが好きなんだろう。特に選手権試合では、それが毎回味わうことができる。

かと思えば、この前の「ハチロー」「ブサイクの祭典(一人を除く)」のように、いつものプロレスとはまた違った「面白さ」も持っている。自分が始めて生で観戦したプロレスはNOAHであった。それも普通の試合ではなく「ハロウィン興行」を見に行った。そのときの感想は「また見たい!」と言うものだった。
目の前で見るエルボースイシーダ、ハーフネルソンスープレックスの迫力に圧倒されながら、ファンを楽しませることも忘れていない選手の姿勢。初めて生で見たプロレスには、そのすべての要素が凝縮されていた。常に真剣勝負をしているわけではなく、たまに見せる「エンタメプロレス」。でも絶対に見に来た観客を裏切らない試合をする・・・それがNOAHなのであろう。

だから新日本の試合に関して、そういうスタイルで試合を見せるなら、それで良いと思う。藤田vs佐々木戦についても、初めからそのようなストーリーの元で行うのであれば、それは別に構わない。ただし、その試合をして観客は満足しているのであろうか?客の期待を裏切っていないのであろうか?客の期待を裏切る試合だけは、絶対にしてはいけない。

猪木は「客に媚びた試合を組むな」と言っているみたいだけど、客がいてのプロレス・ファンあってのプロレスであることを忘れてはならない。ファンを置き去りにした試合をすれば、間違えなくファンは減っていく。「プロレスの復興」を考えるのであれば、かなぐり捨てて奮闘する小川直也のように「ファン」の心を掴む努力を惜しんではいけない。

何故今の新日本に魅力を感じないのか・・・
それはきっと「ファン」が置き去りにされているからなのであろう。あくまで個人的見解。

何かあるのか???

天気予報では昨日・今日は晴れる・・・と言っていたが、実際は全然晴れていない。
どんよりした空模様で、台風のとき同様に気分が憂鬱になりそうな天気。

にもかかわらず、なぜか今日は車で通る所々に人が多い。
何といっても、いつも酷評をしている「新選組フェスタ」に人が集まっている雰囲気に驚いている。出かけるために自宅から駐車場に行く途中で新撰組フェスタに行く集団を何度も見かけたり、市内を自由に走れる「レンタサイクル」を乗っている集団に出くわしたり・・・極めつけは、普段は誰も乗っていないことがほとんどの「シャトルバス」が今日は満員であった。
一体、新選組フェスタに何があったのであろうか?

さらには車で走っているとコインランドリーに人だかりができていたり、コンビニの駐車場が満車だったり・・・なんか今日は行くところ・通るところに人の集団が形成されている。買い物に行ったホームセンターも車でいっぱい。今日は3連休の最終日なのに、何でこんなにも人が多いのだろうか?

っていうか・・・「俺、もっと外に出るよ」って感じ・・・(^_^;)

2004.10.10

「ふざけんじゃねーよ!」

別に今日何かあったわけじゃない。昨日の新日本、両国大会のヒトコト。
北斗晶が草間社長・報道陣に対してのヒトコト。
★IWGPヘビー級選手権試合60分1本勝負
○佐々木健介(2:29、体固め)×藤田和之
※佐々木健介が第39代新王者に。

うーん、たしかに怒り狂うのは当然だろうな。
健介が胴締スリーパーに耐えている中で、藤田の方がマットに付いていた為にカウントが入った。状況的には藤田が攻め込んでおり、健介は劣勢だった。なのに突然の3カウント、攻められていた健介が、突如「王者」になった瞬間だった。

もちろんレフェリーはルールにのっとり、レフェリーの責務を忠実に実行していた。しかし、結末はあまりにもお粗末なものである。誰が見たってこの結果は納得できるものでないだろう。新王者になった健介でさえも、絶対に納得はしていないだろう。藤田は、多分この結果がバカバカしく思えて、今後新日への参戦はしないだろう。
そして北斗の一言・・・「ふざけんじゃねーよ!

いや、その言葉ものすごくわかる。事前VTRで悲壮な決意をしていたのに、こんな結果を出されたのでは、腹が立つのは当然である。ある種「命がけ」でプロレスをやっているのに、この結果では「バカにされた」と思われても仕方がない。北斗が怒り狂うのは当然のことだろう。
もっとも、怒り狂っていた時の姿は「北斗晶」ではなく「佐々木久子」のように見えた。

ただ・・・きっとこれが「新日本」の現状なんだろう。
長州がリングを占拠したときも観客から歓声が上がったし、永田と対峙しつかみ合ったときも、場内からは長州コールがあった。そして長州がリングを去ると気に入った一言・・・「おまえら、反応が遅いんだよ。

これも「ごもっとも」な発言だろうな。
長州は新日本の人間ではない。だから新日本から見たら「外敵」と考えなければいけない。なのに「外敵」がリングを占拠したときに歓声が上がり、なおかつ長州コールも沸きあがった。本来であれば外敵が来たのであればいち早く一掃する必要があるだろう。なのに、「ようやく」と言う感じで他の選手が現れた。おまけに、観客はブーイングどころか長州を受け入れてしまった。これは一体どういうことなのか?

答えは簡単、きっと今の「新日本」に魅力を感じていないのであろう。
本当に今の新日本が好きなのであれば、長州が来た時点でファンはブーイングを浴びせるのが当然だろう。また長州が参戦を宣言した時も、必要ない人間であればそこでもブーイングをするべきだろう。しかし長州が登場し会場を去るまで、一度もブーイングはなかった。つまり今の新日本には「長州」は必要とされているのであろう。

このことって、新日本にとってはどうなのかな?
新日本を去った人間が、新日本にとって「必要」とされていることを・・・
今のままでいたら、間違えなく新日本は「崩壊」するだろう・・・多分。

2004.10.09

今日はおまけ

ふとしたことで知り合った、カナミさんのblogで発見。

ハンドルネームうらない
HN「Mitake」の結果は・・・小吉。中途半端にいいらしい・・・

ちなみに、改名参考例も。

Mitake。」→末吉
ムッシュMitake」→小吉
Mitake将軍」→凶
Mitake2号」→末吉
勇者Mitake」→中吉
ハイパーMitake」→吉
まったりMitake」→小吉
Mitake半額処分」→中吉
Mitake太郎」→大吉
Mitake★さぶ」→吉
Mitake(;´ロ`)」→凶

さぁ、あなたならどれを選ぶ?(笑)

コトバ★「身障者ステッカー」

台風、東京に直撃。
午前中は何とか買い物に出かけられたけど、午後からは雨足が強くなる。外は横殴りの雨で、外に出ようものなら10秒でビショビショ・・・と言う状態。何か1日大雨だと、それだけでかなり憂鬱な気分になる。別に何処か出かける用事があるわけではないのだが、やっぱりブルーになるなぁ。

そういえば、以前にも「アクセス解析をしている」と言ったことがあるけど、このblogにも色んなワードでヒットしてきている人がいる。そこでアクセス解析の結果から気になった言葉について一言書こう・・・と言うのが新しい試み、「コトバ」。

記念すべき最初の「コトバ」は「身障者ステッカー」。
身障者ステッカーについては色んなところで話題にあがっている。このことをblogで取り上げている人もいれば、コラムとして書いている人もいる。もちろん自分自身も「我思」の方で書いたことがあるし、このblogでも書いている。ただ、コラムの内容によっては「うーん、それはどうかなぁ・・・」と思うような記述もある。

あらかじめ断っておくが、私は障害者ではない。しかし、身障者ステッカーは使用している。それは母親の通院介助のために使用している。でもこれだけでは言葉不足なので、もっと踏み込んで話していきたい。

そもそも私自身も、最初の頃は身障者ステッカーを使用していなかった。何故なら、運転している自分は障害者ではないから。また母親のために運転をしているとはいえ、母は車椅子生活をしているわけではない。社会生活も極力普通に送っている。しかし私の母の障害は「慢性腎不全によるじん臓機能障害(身辺活動困難)」で、1級の認定を受けている。もちろん諸制度も利用させていただいている。そして、近距離の移動ならともかく、基本的には「車」は必要不可欠なものである。通院の時はもちろんのこと、日常の買い物であっても必要になる。しかし普通の人が母を見れば「どこに障害があるの?」と思うことは間違えないだろう。何故なら、外見からはどこにも「障害」を持っているように見えないからである。別に四肢の障害があるわけじゃないし、感覚器の障害と言うわけでもない。呼吸器官系の障害でもないから、普通にしていれば全くわからない。しかし「腎不全」であるため、週3回の血液人工透析は絶対に欠かすことはできない。私も週3回、仕事が終わった後は病院に行っている。

話はステッカーのことに戻るが、障害者のうち一定の等級に該当する人は、各都道府県の公安委員会から「駐車禁止除外標章」というステッカーが交付される。もちろん管轄の警察署に行って申請をすると交付されるのだが、私の場合も当然車を運転する上で必要になるので、申請をして交付を受けた。だから交付を受けた当時は、何らかの事情で路上駐車する際やデパートなどの障害者用スペースに駐車する時はこの標章だけを出していた。

ところが、実はこの標章は外から見ると非常に「見えづらい」のである。標章のタイプは各都道府県によって異なると思うが、東京都の場合は銀紙ベースに「ホログラム加工」をしてある。だから夜間などは車の近くに来ないと標章をおいてあるのかがわからないのである。その弊害として、私の知っている人がこの「駐車禁止除外標章」を出してあったのにもかかわらず、警察から「駐車禁止」のキップをきられたのである。当然その人は警察に行って標章の存在を話したが、警察からは「ホントに置いてあったの?」と疑われたとのこと。さらに私がたまたま車の中に居た時に、その人の車が再び「駐車禁止違反」を取られそうになった場面を目撃したので、その場の警察官に「この車、身障者で除外標章が出ていますよ」と指摘すると「アラ、ホント。気がつかなかった」と話した。
さらにはどう見ても「あんたは身障者の車じゃないだろう」と言うような車が障害者用スペースに駐車していることも多く見かけていた。

そんな経緯があって、私も身障者ステッカーを使うようになった。ただ身障者ステッカーが法的に何の効力もないことは十分に承知している。ステッカーが効力をなさない一方で、身体障害者標章(通称、身障者マーク。四つ葉のクローバーマーク)には一定の効力がある。ただしその標章を付けられるのは、障害者自身が車を運転する場合のみ。私のように同乗者が障害者である場合には、この標章には該当しない。だから車椅子マークの「身障者ステッカー」を使用している。

本当なら自分も身障者ステッカーを使用するつもりはなかった。しかし実際問題として「駐車禁止除外標章」だけを持っていても、傍からは「わかりにくい・見えにくい」のが現状である。だから周囲に周知してもらうために身障者ステッカーを使うようになった。デパートなどの障害者スペースに止める際も、標章だけではわかりにくいのでステッカーも合わせて使用するようになった。

ある人は「何故障害者だけに標章を与えるのか?差別ではないか?」と言う人がいるが、実際にこの標章を交付されても、これを使うことは非常に稀なことである。むしろ、使わないほうが多いだろう。第一交通量の多い幹線道路で路駐をしようものなら、それはたちまち渋滞となり「円滑な通行」を妨げる要因になるだろう。そういう状況が発生することがわかっていながら、「駐禁除外だから」と言って堂々と車を止められる人は、まずいないだろう。むしろ普通の車の方が、よっぽど平気で路駐をしている。もっといえば、本当に必要な場所で車を寄せたいのに一般の路駐車がいるために身動きが取れないケースの方が多い。さらにデパートなどで障害者スペースに車を止めようと思ったら、ダッシュボードに標章などを置いていない一般の車が止まっている時の方が多い。
こう言う現状がある中で、本当に障害者が標章を受けることは「差別」なのであろうか?

たしかに身障者ステッカーを、何の障害も持っていない「障害を持ってない人」が使っているケースが多くなっていると思う。だけど身障者ステッカーを使っている人すべてがそういう人間ではない。そのことを声を大にしていいたい。

それともう1つ。
路駐が免除されるのは「駐車禁止除外標章」を外から見えるところに提示している車だけであって、身障者ステッカーや身障者マークだけでは免除にならず、規制場所で路駐をしていれば障害者であっても「駐車禁止違反」の反則を取られます。ですから「マークが免罪符になっている」と言う間違った考えは捨ててください。
ホントに必要な人は、そういうドライバーのせいで非常に迷惑なのです。

2004.10.08

周りに支えられています・・・

本日の業務内容
終日、化粧品サンプルのダイレクトメールの検品・封緘・結束作業。本当は午前中に公園清掃に出ようかと考えたが、天気は既に雨が降っていたし、同じ午前中に古紙回収作業が出るとのこと。本当は出た方が良かったかなぁ・・・と思ったが、一方でダイレクトメールの作業も進めていく必要もあった。なおかつ、自分が居ない状態になってしまうのは若干不安。そのため今日は外作業には出ず、終日ダイレクトメールの作業をやった。
そのおかげで、ダイレクトメールの方はだいぶ進んだ。何とか先行きも見えてきた。ただし、先行きが見えるようになったのも自分が早く出勤&少し残業している部分もあるからかもしれない・・・

でもやっぱり、自分ひとりではどうにもならないところがある。
9月・10月と欠員した職員の補充として日替わりのアルバイトさんを雇っているが、こういう現場に携わった経験は皆無の人。その人だけを残して外作業に出てしまうのは不安になる。でもそういうときに心強いのは、自分が入職する前から非常勤として働いているパートの人。自分の方が利用者や作業に対して濃密に関わっていることは事実だけど、非常勤のパートの人も作業の状況とかを把握してうまく動かしてもらっている。非常勤だから毎日働きに来ているわけではないのだが、でも出勤してきている時はやはり頼っている。というより、頼らなければならない状態とも言える。

さらにパートの人には、自分の「アドボケーター」として頼っている部分がある。最近作業面に関して不備が目立つところがあるが、そういった部分について自分の年齢的なところからうまく言えない部分について他の職員の人に代弁してもらっている部分がある。2年目に入り、なおかつダイレクトメール系の作業に関しての責任を持つことになったと言っても、他の職員の人から比べればまだまだ経験年数は浅い。だからどうしてもうまく言えない部分があるけど、そういった部分をパートの人が補ってもらっている。

さっきは「自分が早く出勤&少し残業している部分もあるからかもしれない」と言ったけど、やっぱり自分は周りに支えてもらっているから、今の自分があるのだと実感している。周りがいるからこそ、今の作業が順調に回っているのであって、周りの存在を忘れてはいけないなぁ・・・とつくづく実感している今日この頃です。

2004.10.07

成長の跡あり?

本日の業務内容
午前、化粧品サンプルの差込作業。午前中のうちに終わり業者の方からも連絡があったので納品・・・と思いきや、その部材を使って新たな作業をして欲しいとのこと。で、化粧品サンプルのダイレクトメールの組立作業を開始。
午後、体育施設清掃。
本日、ケース会議。今日は自分担当の会議。

今日のケースは、自分が始めてやったケース会議の人の内容。思えば1年程前、この利用者のケース会議を始めてやったが、結果は散々足るもの。その当時の自分としては「これで良いのかなぁ・・・」と思いながら、他の人のケース会議の内容を見ながら見よう見まねで資料を作っていた。ところが結果は最悪で、とてもじゃないけど「ケース会議」の「ケ」の字にもならないものだった。そのケース会議、入職して1ヶ月目のこと。

そのケース会議から1年3ヶ月、再び同じ利用者のケース会議が回ってきた。
しかし会議内容は当時とは全然違う。もちろん内容も違うし、視点も違う。もちろんケース会議の出来としては主任さんから「つまんない」と言われる状態でまだまだ・・・と言う感じではあるが、「ケース会議」としてはある程度成り立っている位までにはなった。

最初の失敗以後はある程度内容のあるケース会議を開けるようにはなっていたが、やはり同じ利用者のケース会議の内容を比べてみれば、その違いは明らかになっている。今思うと初めてやったケース会議の内容があまりにも内容がなさ過ぎて、本当には恥ずかしい内容であったと思う。それと比較して今回の内容は多少良くなっている。
このことを「成長している」と言って良いものなのかどうかはわからないが、多少は今までの自分よりも「マシ」になったと考えて良いのかなぁ?

最近の記事では「自分はまだまだ」と言っているが、微々たる速度で「成長」はしているのかな?でも自分でそんなことは言うものではないのかもしれないけどね・・・(^_^;)

2004.10.06

「受容」と「傾聴」

本日の業務内容
午前、公園清掃。雨上がりのため、落葉清掃は満足にできず。ブロアーで落葉を吹き飛ばそうとしても「濡れ落葉」にはあまり効果なし。まぁうちの家にも大きな「濡れ落葉」が居るけど・・・(毒)
午後、化粧品サンプルの差込作業。昨日のお昼に部材が入ってきたけど、昨日の午後は余暇活動。そのため作業に取りかかったのは今日から。でも今日の時点でかなり進んだ。全部で6000個の作業を入れたのだが、今日の時点で約5000個が終了。業者さんの話では「1日2000から2500ぐらいはできると思いますよ」とのことだったが、その予想をはるかに上回るペースで進む。この調子なら、明日の午前中に終わるのは間違えなし。やっぱりうちの施設の利用者さんの能力は高いわ、ホント。

午後の作業中、利用者さんから「Mitakeさん、ちょっと話がしたいんだけど・・・」と相談が。大体どんな内容の相談かは察しが付いている。具体的なことは言えないが、その利用者さんに他の利用者さんがしつこくしてきて、施設に来たくなくなってしまう、と言うことだった。ただ、相談している利用者さんもしつこくされた時の態度が本当に「嫌がっている」という印象が持ちにくく感じる。

でも悩みは利用者さんにとっては深刻そうな感じ。
だから利用者さんの言いたいことや思っていることをすべて聞いて、その上でアドバイスや職員としての対応について話した。この行為、まさに援助技術の1つである「受容と傾聴」を体現している。もちろんしつこく関わってくる利用者だけに非があるわけじゃないけど、相談している利用者にとっては「深刻」に感じている。だから感じていることを聴いてあげた上で、職員の考え方を伝え、なおかつ要望も聞いていく・・・ケースワークの実践例になっている。

どうしても施設の中に留まっていると「作業」と「生活」の部分に重点を置かれてしまうところがある。だけど本来の仕事は「ケースワーク」であり、こう言うことが本来の仕事だと思う。無論、自分はケースワークをやるためにこの世界に飛び込んでいるわけであり、今回の事例以外にも「何とかしなければ・・・」と思う事例はまだまだたくさんある。

こう言うことを考えると・・・やっぱり色々と経験をする必要がありそうな感じ。
動き出すには、まだちょっと早いのかな?

2004.10.05

行き過ぎのテクノロジー?

本日の業務内容
午前、ジャム用飾りの輪ゴムの作成。
午後、利用者余暇活動のため、ボーリングに引率。ボーリング場に到着してプレーをする前に「今月から来年の3月まで(つまり下半期)の余暇活動で、誰が一番成績が良いか、やってみない?1番の人は・・・いいことあるかも?!」とハッパをかけると、何故か異様な盛り上がり。おまけに成績も軒並み良いし、中には4連続ストライクを出す利用者もいた。
「いいこと」と言っても、別に何をするかも言ってない。なのにこれだけ盛り上げられるとは・・・言葉の威力、恐るべし・・・(笑)

今日は大雨。ホントは少し残ろうかなぁ・・・と思っていたのだが、施設長が「電車が止まらないうちに帰って・・・」とのことなので、普通どおりに帰宅。そしてテレビを見ているとこんなものを紹介していた。

その名は「セコムリフト
そのコンセプトは「要介護者が一人で操作できる」と言うもの。でとりあえず紹介VTRを見ていたけど、なんだか複雑な感じ。

特に「一人で操作」という点について。まぁたしかに一人で操作ができないことはない。
ただし、その前提としては「体が動く」と言うこと。どうやら一人で操作するためには、専用のベスト(スリング)を着た上で、そのベストに付けられたフックにリフトを引っ掛けて動くらしい。でも・・・一人でそのベストを着ることってできるの?だって、何故「リフト」が必要なのかって、大部分は全身性介護の必要な人であるから、移動用のリフトが出ているはず。なのに「一人で操作」するまえに「一人でベストを着る」って、本当に可能なのかな?それにこう言うリフトって多分「寝たきり」の人を想定して作ってあるはず。なのに「一人で操作」って、本当に必要なのかな?「普段の介護の負担軽減に」という意味であれば、これは大きな意味があると思うが、あまりにも「一人でできる」と言うことに固執してしまうのは、如何なものかなぁ・・・と思う。
もちろん「一人でやる」と言うことを否定しているわけではない。一人で物事ができればそれに越したことはないし、むしろ「自立」にむけていいことであると思う。だけど何でもかんでも「一人」と言うことが「自立」を意味するのであろうか?ある程度の支援があっても、それで良いのではないだろうか・・・と思う。

もちろん介護者の負担というのはわかるし、一人で何でもできたら、それはそれでいいことだと思う。でも機械を用意して「一人でどうぞ」って感じで言われても、何か人間味が感じられないなぁ。介護って別に日常の生活を支えることだけが「介護」ではないと思う。「介護」という過程を通して「人間としてのふれあい・心の通じ合い」を図ることが、介護のあり方ではないのだろうか?ふれあいや心の通じ合いは、人間にしかできないものであって、機械にはできない。そういった部分を見失ってしまっては、やはり「生活の質」の向上は果たせないと思うけどなぁ・・・

(参考サイト:SECOMニュースリリース

2004.10.04

説明するのも、メディアの役目では?

本日の業務内容
午前、利用者との面談の後、ケース会議の資料作成。
午後、午前中に受注した作業の納品、古紙回収1件、そして市役所へ公園清掃の報告書提出。

うちの施設では作業終了後に「終礼」を行っている。その中のヒトコマ。

M「そういえば先週から10月なんだよね。10月に入ると何かやるんだけど、知ってる?」
利「・・・(反応、薄い)」
M「(半そでのTシャツを着ている利用者を見て)う~ん、うちの班にはあまり季節感がないかなぁ・・・」
利「わかった!子ども替えだ!」

子ども替え・・・面白いよ、なかなか。(爆笑)

で、本題はこちら。
昨日はなかなか寝付くことができなかった。そんな中「EZTV」で「年金」のことをやっていた。

内容は「若者が年金保険料を納めない」と言うもの。まぁたしかに今の制度では「納めろ」と言う方が無理があるし、もし自分だったら積極的には納めないだろう。今は「会社勤め」だから強制的に給料から天引きされているけど、もし支払納付書で「払いなさい」と来たら、お金に余裕がなければ払わないだろう。だって、「払えるモノ」がないんだから・・・

でも問題にしたいのは、この先。
実際に払っていない人2人を取材したVTRが流されていた。1人は無職で収入なしのため払わない、もう1人は「自分の意思」で払わない、と言うもの。双方の事情や「年金」に対する考えが放送されていた。で、内容はここまで・・・

ってさぁ、それで「終わり」なの?何でもっと「放送」しないの?
何が不満かって、どうして「どうしても払えない人」に対しての措置の説明をしないの?例えば学生であれば「学生納付特例制度」、保険料を支払う能力がない場合は「保険料免除制度」など、どうしてこう言う部分を説明しないのであろうか?もっと言えば、もし国民年金に未加入の時に不慮の事故が発生し障害を負ってしまった場合、前述した申請をしないで「未加入」の状態だと「障害年金」がもらえない、と言うことを何故放送しないのであろうか?特に最近は「無年金障害者」のことが大きく話題に挙げられているのにもかかわらず、どうしてそういった部分を説明しないのであろうか?

自分の場合は、前述の制度をすべて活用している。
自分が二十歳になった当時は「学生納付特例制度」ができていなかったため、学生期間のうち一部分は「全額免除」、一部分は「学生納付特例適用」となっている。さらに自分が就職したのは5月で、学校を卒業してから就職するまでに1ヶ月の「空白」が発生してしまう。そのためその1ヶ月のために免除申請をし、認められた。そして今は厚生年金に加入。もうすぐ自分は26歳になるが、法的には「6年間」加入していることになる。もちろん、今の職場に就職するまで年金保険料は一銭も払っていない。でも必要な手続きはすべてしているので、未加入期間は発生していない。もちろん保険料を「払った人」と「払っていない人」の差はあって当然だから、保険料を払っていない期間に関しては年金額に反映されないし、免除された期間も普通の人に比べて「3分の1」相当であることもわかっている。それを理解したうえで、今後も「学生納付特例期間」の保険料は払うつもりはない。単に「年金に加入していた」という事実さえあれば、年金額は少なくとも「25年以上」経てばもらえることには変わりない。

と言った感じに、どうして肝心なところを放送しないのか?
たしかに社会保険庁は「役立たず」のお役所だし、国民年金制度は完全に「破綻」しているけど、それでもなお「年金の制度や必要性」を伝えていくのも、マスメディアの役目ではないだろうか?単に社会保険庁を批判するだけでなく、制度を説明し、国民に浸透させていくこともメディアの役目であろう。

正直言って、自分も積極的に「払った方が良い」とは言わない。払う・払わないはどうぞご自由に・・・と言う立場である。それでも「必要最低限のこと」は説明するべきであろう。その上で「払う・払わない」の選択肢があるのが、本筋でないだろうか。

2004.10.03

ないときは、ない。

正直言って今日は・・・書くネタがない。
何かないかなぁ・・・と思って色々と探してみたが、やっぱりない。
でもね・・・ないものはないのだから、仕方がない。

なにしろ今日は久しぶりにお昼過ぎに起床。休日であっても大体は正午回る前には起きていたけど、今日は1時近くに目覚めた。別に夜更かしをしたわけでもなく、至って「いつもの休日前」の過ごし方であった。なのに遅い起床になってしまった。
まぁ何しろ、先週は本当に「ストレス」の多い1週間だったから、体がものすごく疲れていてもおかしくはないが・・・実際にblogを読めば、いかにストレスの多い1週間であったかはわかるのだが・・・
(もちろんblogに書いてあることは、ほんの一端であり、内容をかいつまんでいるもの。実際には、ここに書けないことがたくさんあるんだよね。書けない理由は・・・もちろん守秘義務。詳しく書いてしまったら、明らかに何のことを書いているのか、誰のことを書いているのかが特定されてしまうため。たしかに自分の仕事を多くの人に知ってもらいたい、という気持ちはあるが、知ってもらう以前に「守秘義務」という大前提がある。施設職員としても、社会福祉士としても「守秘義務」は当然に守るべきもの。なので、そのラインぎりぎりのところでいつも書かせてもらっています。)

疲れている体に、遅い起床。さらに外は雨・・・こんな状態では、な~んにもしていません。
ホントはやることがまだまだあるんだけど・・・ようやく今になってエンジンがかかり始めたかな、という状態。でも結局長続きせず、今日のそのままフェードアウト・・・と言う感じなるのかな・・・(汗)

いやぁ、今日は文章中に「・・・」を使うことが多い。
一度bbsかメールで「どうして文章に『・・・』を使うことが多いんですか?」と聞かれたことがあったけど、「・・・」を使う理由は「使いやすいフレーズ」と言うのと「自分の気持ちを表している」の2つかな?
文章表現の1つとして「・・・」を使っていることが多いけど、今日のように「・・・」を多用している時は、「・・・」と言うのが自分の気持ち・気分の表れなのかもしれない。なんとも言いようのない、何と表現していいのだろうか、というときや、自分自身が不安に陥っていたり、気分が安定していない時・・・などなど、自分の気持ちや心境を表している時に「・・・」を使っているのかもしれない。

あ、こんなことを書いていたら、ちゃんと1つの「ネタ」になっちゃった・・・(^_^;)

2004.10.02

う~ん、微妙ぅ・・・

うちの施設にも来ているんだけど・・・昨日から「あること」が始まっている。
NHKのニュースのアナウンサーを見れば一目瞭然。あるいは、小泉さんを見れば一目瞭然。胸元に輝く「赤い羽根」。
そう、10月1日から始まっているのは「共同募金」。

共同募金が「第1種社会福祉事業」であることを知ったのは、専門学校に入ってからのこと。今までは「街頭募金かぁ・・・」程度に感じていたが、そのことを知ってからは「募金活動」というよりも「社会福祉事業」としてみるようになってしまった。

「社会福祉事業」と言っているけど、福祉のサービスについては「第1種社会福祉事業」と「第2種社会福祉事業」、それと「その他の社会福祉事業」の3つに分けられる。「何が社会福祉事業なの?」と言うことは社会福祉法と言う法律に書かれているのだが・・・ここでは難しい話をするつもりはない。ただ「第1種とと第2種の違いは?」と言うことだけ。

簡単に言ってしまえば「お金が絡むか、絡まないか」「入所か、通所か」によって第1種か第2種かが決まる。共同募金の場合は「お金」が絡んでおり、集めた募金に関して適正に配分する必要があり、第1種社会福祉事業とされている。で、第1種社会福祉事業の場合は国と地方自治体、それと社会福祉法人しか事業を行うことができない。それに対して第2種は株式会社でも事業を行うことができる。「コ○スン」とか「○ネッセ」が介護分野に参入しているのは、そのサービスが第2種社会福祉事業に該当するものであるから、参入しているのである。
ちなみに今自分が働いている施設は「知的障害者授産施設」で、これは第1種社会福祉事業。つまり「共同募金」と同じなんですよね。

と言うわけで、こう言う事情を知っているので、駅前で「共同募金にご協力をお願いしま~す」なんて言っているのを見ると、何かビミョ~な感覚に陥ってしまう。「あぁ、今年も社会福祉事業をやっている・・・」って感じで見てしまう。それに事実としてうちの施設にも、共同募金で受配されたものがある。去年は、共同募金によってトラックを受配していただいた。だから共同募金を見ると「募金するもの」というよりは「募金を配分していただいている」という感覚になってしまう。もっと平たく言えば・・・うちみたいな施設が「募金を貰もらうもの」みたいに錯覚しちゃうんだよね・・・(汗)

いや、もちろん自分も共同募金に貢献してますよ。ちゃんと募金もしましたし。
でももしかしたら、その募金がうちの施設に「受配」されるかもしれないんだよね・・・
この流れって、なんかマネーロンダリングみたい・・・(笑)

2004.10.01

まともな1日?

本日の業務内容
午前、公園清掃。台風後のためブロアーを使用。落ち葉が多い・・・というよりも「どんぐり」の方が多かった。何しろ、コンクリート一面にどんぐりが散らばっているのだから、ホウキはおろか、ブロアーですらも完全に取るのは困難。と言うわけで、できる範囲で実施・・・
午後、利用者の家へ家庭訪問。家庭訪問をするも、留守。ただし、なんとなく誰かが居そう・・・な雰囲気はある。誰も出てこないので仕方がなく施設に戻る。と、すぐさま家庭訪問に行った家から電話。「ほ~ら、やっぱり居たじゃん・・・」って感じ。だったら最初から出てきて頂戴よ、マジで。色々と時間を割いていっているんだからさ。
というより、家庭訪問の目的は「現状把握」が第一目的だったからね。多問題ケースだし。

今日は今週の中で一番「まとも」な1日だったかも。
個別支援計画が今日から新しくなったけど、自分の担当利用者分はすべてそろわず。もちろん直前に計画書を渡した家はほとんどない。1週間から2週間の余裕を持って計画案を提示していた。にもかかわらず、全員そろわず。なので施設長に「直接自宅まで行って、取ってきます」と言うと「いや、ちゃんと今日持ってきてもらうと約束したのだから、あなたが行く必要はない。計画書も余裕を持って渡しているのだから、行かないでいい。私のほうから連絡するわ」と言って、施設長にその後のことをお願いする。まぁ「直接取りに行く」と言っても、車で片道1時間はかかる場所であり、施設長も万一の事故を心配しての発言だったのであろう。

でもこう言うときは施設長を使ったほうがうまくいくのかもしれない。いくらどんなに自分が「お願いします」と言っても、親からしてみれば「年下のあんたに・・・」という部分が少なからずあるだろう。そして自分の方も「なんとなく恐縮・・・」という気持ちがある。そういう時は「年の功」を使ったほうが手っ取り早い。
でもこれで来週持ってこなかったら・・・マジでどうしよう?

来週の方が「マトモ」じゃなくなるかもしれない・・・(汗)

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