支援とは?
本日の業務内容。
午前、ボールペンのラベルはがし作業。午前中に終了し、納品。納品と合わせて次の作業を請ける。残りの時間は、午後の作業のための準備時間。
午後、幼児用雑誌の付録作り作業。
本日、避難訓練実施。避難訓練終了後に2階から利用者が一人、トコトコと歩いて降りてきた。思わず「ウッソ~ン・・・」と言ってしまった。完全に、この利用者の存在を忘れていた。今日の訓練は地震を想定した訓練。と言うことは・・・
この利用者、死亡決定・・・(ToT)/~~~
で、今日はケース会議。ある意味困難事例。ただし自分担当のケースではない。
もちろん意見を言う。しかし当然ながら、主任さんに突っ込まれる。もちろん、最後は何も言えずの状態。で、主任さんが色々と話す。話している中に「必要なことはやらなきゃいけないし、それは本人の意向とは関係ない。本人の意向だけでやっているのであれば、福祉施設はいらない。」と言うのがあった。
「本人の意向」・・・社会福祉基礎構造改革によって、ほとんどの福祉制度は「措置制度から契約制度」へ転換した。高齢者の分野では介護保険であり、障害者の分野では支援費制度がその代表である。そして「措置から契約へ」に変わったことにより、利用者と対等な立場で契約することになった。その意味で、高齢者分野では「~さん」のように、ある種の「お客様」的存在に変化している。
じゃ障害者福祉の現場ではどうなのであろうか?利用者は「お客様」なのか?
仮に利用者を「お客様」と捉えるのであれば、普通に考えれば「お客様第一主義」のもと、お客様の意向がすべて・・・ということになる。しかし、そのスタイルで施設運営を進めていいのか・・・と言ったら、当然答えは「NO」と言うことになるだろう。
何のために福祉施設があるのか?福祉施設が存在するためには、存在するための「根拠」と「目的」がある。自分の勤務している「知的障害者授産施設」では、その施設での目的がある。そして職員はその目的を達成するために、ありとあらゆる支援を展開している。「目的の達成」のためには、当然「利用者の意向」だけではなく、施設側のスタンスと言うものも展開しなければならない。
例えば「施設に行くのが面倒だから、行かない」と言うことを「利用者の意向」として捉えていいのだろうか?「利用者の意向だから・・・」と言うことで終えてしまっては、何のために福祉施設があるのかわからない。その意向を受け入れるのであれば、福祉施設の存在意義はない。何らかの「問題」があるからこそ、福祉施設を利用しているのであって、問題がなければ福祉施設を利用する必要はない。「施設に行くのが面倒」と言うこと以前に「支援が必要だから、施設を利用している」のだから、当然「面倒」という理由が通用するはずがない。
利用者の意向がすべてなのか・・・というのは、こう言うところにある。
もちろん意向をすべて「無視」しては、それは「支援」ではない。
利用者の意向を踏まえつつ、ここの利用者にとって「必要なこと」を実施していくことが「支援」なんだろう。たとえ親御さんが「それはいらないんじゃない?」と言うことであっても、本当に必要ならその必要性を説いて実施すべきなんだろう。
でもやっぱり、そういう場面では自分は弱い。
何が弱いかって・・・保護者にとっては息子同様の年齢の職員に言われるのだから、言葉に重みがない。そういう時は施設長を使うのだけど・・・やっぱりこう言うときに「支援」の難しさを痛感する。
もっとも、今日のケース会議でも「これだ!」と言うような意見を出すことはできなかった。まだまだ自分には知識も足りないし、技量も足りない。そして経験も・・・足りないものだらけの支援員。
まだまだ、勉強は続く・・・。
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